日本文学界の長老、黒井千次(1932年〜)の小説を久々に読みました。「たまらん坂」(福武書店/古書1200円)。サブタイトルに「武蔵野短編集」とあるように、実在の武蔵野にある場所が登場します。ベタベタの武蔵野愛みたいな小品ばかりだったらやめようと思ったのですが、う〜ん、上手い!ベテランの短編を堪能しました。

サラリーマンの内面を描写する著作が多い作家だけに、本作品集に登場するのも定年を迎えたり定年間近のサラリーマンが主役になっているものが多くあります。初老の男たちが、武蔵野にある地名や場所に、かつての青春時代の淡い恋と輝きを思い出して、足腰が弱っているにも関わらず、フラフラ歩き回る物語です。そして、変わりゆく街の姿、老いてゆく自分を見つめるのです。

何よりもデティールが素晴らしい。細部にこそ神が宿ると言いますが、武蔵野の自然がどの作品でも深く描きこまれていて、武蔵野に行ったことのない人も、この界隈を歩いているような錯覚を覚えます。

本書を読もうと思ったきっかけは、タイトルになっている「たまらん坂」に、忌野清志郎の曲が絡んでくることが面白いと思ったからなのです。それが清志郎の「多摩蘭坂」です。国分寺駅付近にある坂で、この辺りに住んでいた清志郎が作った歌です。

主人公はある日、妻と息子が一緒にRCサクセションのレコードを聴いている場面に遭遇します。最初はうるさい歌だと思っていたのが、徐々に、のめり込んでいきます。そして「たまらん坂」の来歴を調べ始めるのが物語のスタートになっているのです。清志郎の歌をこんな風にイントロに使うなんて、参りました。

「青春の輝きと愛」などという気恥ずかしい言葉が帯に書かれていますが、それはさておき、武蔵野に吹く風、降りしきる雨、虫の声、暮れてゆく情景を、ゆっくりと味わう短編小説集です。

 

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なお、勝手ながら29日(日)は臨時休業させていただきます。


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