明治から昭和にかけて活躍した、京都の日本画家木島櫻谷の回顧展(泉屋博古館で開催中)に行ってきました。

京都画壇にあって、二十代で頭角を表し、明治後期から大正時代にかけて花形の画家として活躍した木島櫻谷は、動物画で抜きん出た才能を発揮しました。野を駆け下りる一匹の猪をダイナミックに描いた「野猪図」(明治33年)や、強風に向かって今飛び出そうとする鷲を描いた「猛鷲図」(明治36年 写真左)には、思わず身を避けたくなるような臨場感があります。「勇壮」という言葉は、こういう作品にこそ相応しいものだとおもいました。

熊と鷲が見つめ合う「熊鷲図屏風」(明治時代 写真右下)では、雪原に立ち、内省的で深い優しさを湛えた眼差しで遠くを見つめる堂々たる熊と、太い幹に鋭い爪を立てて、やはり遠くを見据える鷲を描いています。こちらは「静謐」という言葉が思い浮かんで、暫くの間、作品の前から動くことができませんでした。

さらに、高さ250cmの巨大な画面に描かれた、疾走する二人の騎馬を描いた「かりくら」(明治42年)になると、うかうかしているとこちらが馬に蹴り飛ばされそうな、ど迫力。風に舞う馬の毛並みの徹底的な描写力も忘れられません。一方で、彼の代表的傑作と呼ばれている「寒月」(大正元年 写真下)では、冴え渡る月光に照らし出された雪深い竹林を、周囲を警戒しながら歩む一匹の狐が描かれています。静まり返った竹林、鋭い目つきの狐。厳しい環境に生きる生命の一瞬です。

木島の作品で、最も多く登場する動物は馬だそうです。厩からのぞく馬の上体を描いた「厩」(昭和6年)は、哲学者のような知性と優しさを兼ね備えた馬が描かれています。

この展覧会を開催している泉屋博古館は岡崎近辺にあります。美術館自体も素敵な空間で、テラスから見渡す山の美しさが印象的です。ここから東に向かうと哲学の道で、今の季節、まぁ恐ろしいぐらい混み合ってます。この静かな空間で、京都の秋を心ゆくまで楽しまれることをお薦めします。

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3連休最後の月曜日(祝日でも当店は月曜定休です)、姫路市立美術館で開催中の「リアルのゆくえ」(11月5日まで)という美術展に行ってきました。

明治以降、西洋の写実技法に多くの画家たちが学び、数々の作品を発表してきました。日本洋画の先駆者、高橋由一の「鮭」が入口を飾り、明治から大正、戦争を経て現代まで、写実表現の変遷を堪能できる多種多様な絵画を集めた企画展です。

明治9年生まれの寺松国太郎の「サロメ」が、実にエロいことに感激です。むっちりした腰回り、ふくよかな乳房の女性が、その胸元にサロメの首を抱きしめているという構図で、美術的にどうのこうのというより、こら、おっさん何考えてるんや、このスケベ野郎と言いたくなる作家の妄想力に打ち砕かれました。

そんな下劣な私の性根を浄化させたのが、明治23年生まれの高島野十郎の「蝋燭」でした。蝋燭の炎を描いただけの作品なのですが、じっと見ていると、ジリジリという音まで聞こえてきて、その炎が揺らめいてくるのを感じます。炎が内包している精神性、あるいは宗教性までもが画面から立ち上ってきます。彼より数年後に生まれた中原實は、シュルレアリズム等の新しい表現に触れたことが画風に影響を与えているような「昼の星雨」が展示されていました。ポップでモダンなセンス溢れる作品で、硬質でヒンヤリした感覚が私好みです。

そして、こんな場所でお目にかかるなんて!と喜んだのは、長谷川 潾二郎の「猫」です。赤い絨毯の上で、暖かそうな顔つきで寝ている猫を描いた作品です。リアルなんだけど、どこか幻想的で不思議な世界は、同時に出品されていた「静物」、「代々木風景」といった作品にも見受けられます。

最も心に残ったのは、大正7年生まれの河野通紀の「淋しい水」でした。黒い背景に、机の上に載った鍋に入った水を描いたものですが、徹底的に精緻に描き込まれた作品からは、画家の内面が浮かび上がり、それが私たちの心に入り込み、様々な感情が湧いて来る作品です。

展示の規模、内容、そして適度な混み具合などすべてが満足のゆく美術展でした、暑い中、姫路まで行ったかいがありました。

 

 

 

★入荷しました!

吉田篤弘「京都で考えた」(ミシマ社1620円)入荷しました。初回サイン入りです。

 

毎日、本を中心に、映画、音楽等の紹介を書いているのですが、たまに美術展に出かけた時は、その印象をブログに残すようにしています。しかし、絵画の解説ってホントに難しい。風景が美しい、人物の描写が素晴らしい、みたいな恥ずかしい文章になりがちです。

先日入荷した江國香織の「日のあたる白い壁」(白泉社/絶版500円)は、こうやって絵画の解説をすれば、わかりやすく、しかも書き手の心情を伝えることができるのだなぁ〜と感心しました。好きな画家の一枚に、著者が魅かれていったワケを書いているのですが、なる程と納得します。絵画自体の説明やら、画家の歴史的背景を極力抑えているスタイルがよろしい。著者とその絵の間の個人的な物語に引込まれて、その作品を見に出かけたくなったりします。

ゴーギャンの「オレンジのある静物」の出だしは「こんなにおいしそうなオレンジの絵はみたことない。」と作品が急に身近になるようだし、カリエールの「想い」ではゴダールの映画「気違いピエロ」のある台詞から始まります。東郷青児は、自由が丘のモンブランというケーキ屋さんの包み紙に描かれた女性の話から始まって、

「そこに描かれているのは、この世のものではないような女のひとだった。かといって人形のようではなく、外国人のようでもなかった。ひどく華奢なのに、一方でどこかが奇妙に肉感的なのだ。年齢もあやしく、おねえさん、というには匂やかな色気があって洗練されすぎていたし、中年の婦人、というには美しすぎるようにおもえた。小鳥みたいな女だ。」とあざやかに描きだします。

江國の作品への深い愛情が飛び出したのが、小倉遊亀の「家族達」です。

「みて!私が描いたわけでもないのに、私はこの絵について、そう言いたくなってしまう。みて! こんなにすこやかで堂々として、みずみずしく、生命力に溢れた絵を、日本の女性が描いたの、と。」

たっぷりした存在感に溢れた作品で、シンプルであり大胆なタッチが際立っています。この解説の終わりに、江國は小倉と同時代に活躍していたジョージア・オキーフのことを引合いにだして、

「ちょうど同じ時代に、日本とアメリカで絵を描いていた二人の女性。二人共、かっこいいと思う。」と結んでいます。

どこから読んでも、絵画を見るワクワク感をぐっと上げてくれる一冊です。

 

 

★吉田篤弘の新刊「京都で考えた」(1620円)が発売されます。

全国発売は10月20日ですが、京都地区先行販売が決まりました。また、ご予約された方には先着でサイン本をお渡しします。先行発売は10月12日(木)です。


 

なんの変哲もない門と時計台、そして奥に見える平屋建ての建物。門の前をドッジボールで遊ぶ少女。どこにでもありそうな風景を描いた「時計のある門」(1935年)から伝わってくる透明な静寂感は、観るものに様々な物語を投げかけてくるようです。

画家長谷川潾二郎が、パリに旅立つ直前のこと、麻布にあるこの赤煉瓦の堀のある建物(正確には東京麻布天文台ですが)を見た瞬間に、その素敵な雰囲気に魅了された彼は描こうと思いたちますが、諸事情で断念。しかし、パリから帰国して三年、この風景が心に浮かんできます。

「塀は私が描きに来るのを待っていたようだった。そして私はこの塀を描くために巴里から帰ってきた。そんな気がした。……」

画家が、やぁ、待たせたねと挨拶して塀の向こうへ消えてゆく姿を想像しました。

或は、夕暮の荻窪を描いた「荻窪風景」(1953)。初夏らしいある日の夕暮れ。道の向こうに女の子が誰かを待っています。画面のこちらから、仕事を終えたお父さんが帰って来る。手を降る女の子。並んで家路に就くのだろうか、と思いをめぐらせる小さな幸せが満ちた作品です。

長谷川の静物も魅力的です。この画文集の中からなら、私は「洋燈のある静物」が好きです。赤い縞のテーブルクロスの上に乗ったランプと洋書、そしてパイプと植物を入れた小瓶。まるで「暮らしの手帳」の表紙絵みたいな雰囲気です。日曜日の静かな午後のゆったりした幸せが漂ってくるようです。

猫好きの長谷川だから描けた「猫」(1966)。午睡に耽る猫の細やかな表情。赤い絨毯のぬくもりが伝わってくる作品です。この愛猫タローを描くのに、5年の歳月をかけたみたいです。画文集には長谷川自身の「タローの思い出」という文が載っています。ある時、彼はタローの履歴書を作ろうと決心します。これが傑作。姓名に始まり、現住所、本籍(エジプト)、職業(万国なまけもの協会日本支部名誉顧問)と続きます。体重は「ずっしり重し」には笑えます。

タローが死んで、庭に埋葬した後、どこからともなく現れた白い猫の話は、ペットを飼われている方、あるいは見送った方には涙ものです。

「長谷川潾二郎画文集−静かな奇譚」(求龍堂)は2400円で販売しています。

 

 

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80年代半ば、アート系出版社として、ユニークな本を出していたリブロポートが 「うたの絵本」シリーズという子供向けのシリーズ本をリリースしました。

その第一作が「なかよしともだち」(初版900円)というタイトルで、装本が平賀甲賀、挿絵が武井武雄でした。「なかよし小道」、「どんぐりころころ」等の懐かしい唱歌12曲に武井の絵が付いています。どの絵も愛らしく、手元に置いて見ていたいものばかりです。北原白秋の「雨ふり」や、「かくれんぼ」(作者不明)に用いられている独特の鳥のデザインなどは、さすが洗練されています。

京都在住の版画家、木田安彦の2002年京都大丸で開催された個展の図録「異才・木田安彦」(1500円)が入りました。図録といっても400ページ以上あるぶ厚い一冊です。この個展では、木田が魅了されていた歌舞伎の舞台の臨場感あふれるスケッチが並んでいます。役者のダイナミックな動きをスピーディーに捉えた素描は、歌舞伎好きでなくとも面白い。木田のライフワークとなった「三十三間堂」シリーズ、日本の祭シリーズ等の傑作も収録されています。

 

歌舞伎絡みでもうひとつ。通称「武智歌舞伎」を立ち上げた武智鉄二の芸術と生涯を追いかけた森彰英著「武智鉄二という藝術」(水曜社1500円)も入りました。

昭和24年、彼の演出による実験的歌舞伎公演が行われました。これが、武智歌舞伎の始まりです。しかし、数年で活動は終息し、その名前だけが残りました。その後、映画界へ転出し、なんとハードコアポルノ映画「白日夢」でセンセーショナルな話題を世間に投げかけます。さらに、彼の監督作品「黒い雪」が猥褻文書図画公然陳列の疑いで訴えられ、「黒い雪裁判」に巻き込まれていくという波乱の生涯でした。伝統芸能の伝承者が、なぜポルノ映画を作り始めたのか、1人の芸術家の内面に迫ってゆくノンフィクションです。

 

 

 

★勝手ながら、5/8(月)、9(火)連休いたします。

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画家、堀内 康司(1932〜2011)をご存知でしょうか。

私は知りませんでした。ある古本市で「堀内康司の残したもの」(求龍堂2500円)という本に出会い、鋭利で、クールで、孤独感を張りつめたような画風に思わず足を止めました。1950年代に町のあちこちに建つ煙突を描いた一連の作品の、ひんやりとした感覚に惹きつけられました。

この画家を調べてみると、画家としての活動は極めて短かったのですが、池田満寿夫を世に送り出した人物だったのです。堀内は、10代の頃、草間彌生らとグループ展に参加して、その実力を認められ始めました。50年代後半には、それまで住んでいた松本を離れ、東京に拠点を移します。そしてイラストレーター&エッセイストの真鍋博等と反画壇グループ「実存者」を結成、新しい芸術表現に向かうのですが、20代後半から画家としての活動を休止してしまいます。その後、競馬新聞の記者として一サラリーマン人生を送ることになり、絵筆を折り、若手が世に出る手助けに従事しました。

この作品集には、10代の頃の緩やかなフォルムのスケッチから、「都会は冷酷な半面にまだ一歩深い冷ややかさを備えていました」という彼の言葉を象徴するような無機質な町の表情を捉えた一連の作品、彼が愛した花街、フランス座の踊り子を描いた作品、そして死の冷徹な臭いを撒き散らす静物画まで網羅されています。生きているという感情を排除して、虚無感漂う作風をどうやって身につけたのか、或は何故に若くしてキャンバスに向かうことを止めたのか、その謎を探るためにこの作品集はあるのかもしれません。

昨年ブログで紹介した写真家、奈良原一高が、堀内 についてこの本の中で書いています。

「堀内 康司は僕と同じように軍需工場の廃墟の絵を描いていたので、彼は僕を自分が知っている様々な場所に連れていった。僕たちは玉の井の赤線地帯を訪れ、浅草のロック座の踊り子たちと話し込んだ。」

確かに、廃墟を描いた作品群には奈良原の写真に相通じるものがあるようです。

高度成長時代に入った頃、画家としての活動にピリオドを打ち、画家から、競馬新聞の記者への転身。競馬を描いた作品と共に、写真が何点か掲載されています。「府中ダートコース直線1962」は傑作と呼べる一枚です。直線コースの向こうから迫ってくる馬達のスピード感が見事に表現されています。映画のワンカットみたいです。

 

 

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

東京、岐阜、神戸、大阪、滋賀、京都から20数店の女性店主がセレクトしたステキな本が、所狭しと並びます。ご来店お待ちしています。

 

 

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真っ赤な外函を取ると、出てくるのが、やはり赤一色の装幀の表紙。”History of Modern Art”という文字がうっすら浮かび上がっています。トータルで750ページの偉容を誇るこの本は、H.H.アーナスン著「現代美術の歴史」(美術出版社/初版5000円)です。

近現代美術史に始まり、今世紀の現代美術を下記の様に区分して追いかけて行きます

フォービズム→ドイツにおける表現主義→キュビズム→キュビズムの波及→20世紀初期の建築→幻想からダダへ→そして新即物主義→両大戦間のエコール・ド・パリ→シュルレアリスム→建築における国際様式→両大戦間の国際的な抽象美術→両大戦間のアメリカ美術→抽象表現主義とアメリカの新しい彫刻→戦後のヨーロッパ絵画と彫刻→ポップア−ト→1960年代の抽象→建築における国際様式 第二の波動→ポストミニマルの70年代→多元的な70年代→借用の80年代→建築におけるポスト・モダン

読むのに大変な労力の要る大著ですが、白黒、カラー図版を惜しみなく使用しているので、私などは、お気に入りを見つけて、その作家の項目を読み始めるのがベターです。

ところで、こういう美術の作品ってステキなものが多いせいか、CDジャケットに使われていんですね。3枚見つけました。また、アレクサンダー・コールダーの「ロブスターの捕り器と魚のしっぽ」というモビール風の作品は、海外の映画会社のロゴ宣伝に使用されていることを発見しました。映画のオープニングでモビールがゆらゆら揺れている横に会社のロゴが出てくるのをご覧になった方もおられると思います。ひょっとしたら、本の装幀に使われているのも見つかるかも。因みに発売された(1995年)のお値段は25000円です。

さて、豆本を作っておられる、杉本さんの新作が4点届きました。アポリネール「アムステルダムの水夫」、夏目漱石の「硝子戸の中」、小川未明の「橋の上」、石川啄木の「第十八号室より悲しき玩具抜粋」の四冊です。すべて素敵な装幀が施されています。

小川未明の「橋の上」は、和綴じの表紙に夕闇迫る川辺の橋を描いてあるもの。泣き止まない子どもに手こずる夫婦、誰もいない橋の上で、彼らを見つめる黒い影を描いたちょっとゾッとする小川らしい小品ですが、この表紙の絵がその世界にピッタリです。本好きの方へのプレゼントに最適です。ここだけにある本ですから。お値段は横7.5cm×縦9.5cmの豆本各1620円です。(限定販売)

 

 

 

★レティシア書房は12月29日〜2017年1月4日まで休業いたします。新年は1月5日から平常通り営業いたします。

開店前に、京都府立文化博物館でやっている「ダリ版画展」に行ってきました。

ダンテの「神曲」の物語を版画にしたものがズラリ並んでいましたが、そこは萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」の修羅場巡りの方が面白いやん、と足早に駆け抜けました。が、レンブラントの顔を描いた作品で、おっと、と足が止まってから、この才人の変幻自在の才能とに堪能しました。この夏一番の猛暑で、脳みそが焼ける一歩手前で見る白日夢もオツ?なもんです。(今日の京都の暑さときたら・・・)

さて、ダリの世界から一転。店には「香月泰男画文集<私>の地球」(求龍堂・絶版3000円)が入荷しました。初めて彼の作品に出会ったのは「画家の詩、詩人の絵」(青幻舎2000円)でしたが、それから気になり出して、探していました。

1911年生まれの香月は、 戦中ソビエトに拘留され、強制労働に従事します。その苛烈な経験がその後の作風に影響を与えてますが、激しさとは真逆の「静謐」という言葉がピタリ当てはまる作品を見ていると、猛暑も、オリンピックの喧噪も吹き飛んでいきそうです。椅子の向こうに顔を出す犬を描いた「朝」、或は水槽を覗き込む少年を捉えた「水鏡」など好きです

しかし、その一方で、彼の様々な世界を知ることもできました。

「私はいつまでも青年になりたてでありたいために、ま上の青空を眺めることにしています。私の神経を古代につながらせるために、月の光を浴びたいと思っています。私の存在を小さく小さく思いこむために、星座を探すこともあります」

という言葉の横には、地表から見上げた宇宙が描かれています。夕焼けの彼方に広がる星々に見いってしまいます。この作家には「月の出」「日の出」といった天体そのものを描く作品もありました。

この画集で、私の一番のお気に入りは、1938年に描かれた二作品「犬」と「祖父」です。両方並んで配置されていて、どちらからも落ち着きのある構図から、不動という言葉が持つ安心感が伝わってきます。静かな佇まいが、心落ち着かせてくれます。ネットで画像を探しましたが、アップされていませんでした、店頭の本でぜひ見て下さい。

★レティシア書房 夏の一箱古本市のお知らせ 

8月9日(火)〜8月20日(土)20数店が今年も店内に出店します!

★夏休みのお知らせ
8月21(日)〜25(木)

休みを利用して、兵庫県立美術館で開催されている「1945年±5年」という展示会に行ってきました。1940年から1950年頃の日本の画家達の、油彩を中心とした作品展です。戦争と敗戦、そして占領の時代、作家はどうキャンバスに向き合ったかを知る絶好の展覧会でした。

個人的には、松本竣介(左写真参)と香月泰男の作品が観たかったのですが、深窓のお嬢様を描いていると思いこんでいた小磯良平が、今まさに突撃する兵士の一瞬をダイナミックに描いた作品に出会ったりしました。

この展示会に駒井哲郎の、40年代の河岸を描いた版画がありました。平和な河岸の、戦争の影などまるで見えない、心和む作品です。駒井は、文章も巧みで作家論、芸術論を小難しくならずに静謐な随筆で読ませてくれます。

「白と黒の造形」(講談社文芸文庫/絶版1450円)は、敬愛する画家たちへのオマージュに溢れたエッセイ集です。この中で、彼が手掛けた詩集、訳詩集の挿画の事に触れていて、ロオトレアモン作、青柳瑞穂「マルドロオルの歌」(限定350部 1951年発行)に五枚の挿絵、カット一点、全部オリジナルの銅版画を用いたとあります。さぞかし豪華な本だったんでしょうね。因みにネットでは現在10万円ぐらいの値段が付いています。さらに、安東次男の詩集「からんどりえ」は豪華版7部、普及版30部という超少数出版だったとか。

また、恩地孝四郎への敬愛に満ちた「音痴先生の思い出」というエッセイで、1935年頃からに発行された月刊書物誌「書窓」に掲載されていた挿絵や詩から恩地に魅き込まれ、駒井17歳の時、当時40過ぎだった恩地に出会い、親交を深めていった大事な時間を、慈しむように描いています。恩地は、こんな詩を彼に贈っています。

「五月は黄色い風にのってくる 窓辺は白くなり 内は青く染まるのだ 空にむけた心は光を呼吸する 投げこまれたエンベロブには何もかいていない 風は文字を持たないからだ ”bon ami” 形のない返事をかきつける」

そして駒井は恩地のことを、こんな文章で締めくっています。

「少年のような感受性を生涯持ち続けたなんとも優しい先生だったように思う」と。

 

 

ロベール・クートラス作品集「ある画家の仕事1930−1985」(Ecrit32400円)が入りました。

ロベール・クートラスは、1930年パリに生まれの画家です。彼は「カルト」と呼ばれる手札サイズのカード制作を始め、靴の函、ボール紙、ポスターの裏に下地を塗ってキャンパス代わりの仕立てて、ひたすら書き続けました。その作品を原寸大で70点収録した「僕の夜Mes Nuits」(2700円)を、同社が2010年刊行、日本でも知られるようになりました。

クートラスの元には、生前、彼が売ることも、バラバラになることも認めなかった作品群が膨大な数で保管されています。そのほぼすべてを網羅したのが、今回刊行された「ある画家の仕事1930−1985」全2巻です。価格が3万を越すので、買ってね!とは、中々お薦めしにくいのですが、これが、ホントに胸に染み入る作品です。

この全集には、小川洋子が、「小さい、ということ」というタイトルで文章を寄せてます。「カルト」作品を集めた「僕の夜」をこう証言しています。

「『僕の夜』の闇は深い。ボール紙の厚みを越え、言葉など届かない、不用意に指先を浸すとそのまま吸い込まれてしまうような深さをたたえている。にもかかわらず描かれたものたちは皆、自分がどれほどの闇に閉じ込められているのか気づきもしないまま、口元に笑みを浮かべていたりする。」

「吸い込まれてしまうような深さ」・・・ふと、得体の知れない物語の世界に足を踏み入れてしまいそうです。

もらい受けたポスターの裏にガッシュで描かれた「僕のご先祖さま」と呼ぶ人達は、皆一様に、左側を向いているのを、小川洋子はこう指摘しています。

「目が一つしか描かれていないのだから、方向は真横のはずなのに、一瞬、視線が交わった気がしてはっとさせられる。瞳だけが、こっそりこちらを見つめているのだ。『ちゃんと、聞こえているかな?』 そんなふうに、問いかけるような瞳をしている」

確かに、見ている私のことを、時間を越えたところから見ている感じがします。店頭には見本も一冊置いています。重い(重量的にも)本ですが一度、ご覧下さい。不思議なカートラスの世界に魅き込まれます。