共に京都精華短期大学で油絵を専攻して、卒業。それから40年あまり、それぞれの人生を歩みながら「絵」を描くことを手離さずに来られた、三人の女性による展覧会「見ることの不思議展2」が本日から始まりました。

大家好子さんは岐阜県で、シルクスクリーンを制作されています。「ハイヒール」や「鳥」という好きなものを題材にして、繰り返しの形の面白さを追求した版画が並びました。テキスタイルの柄のような洒落た作品です。実際に作品のいくつかをプリントした布で、洋服も制作されていたのだそうで、その布(端切れ・200円〜)をはじめ、色鮮やかなポストカード、ブックマーク、Tシャツも販売しています。(ポストカードは150円)

長野利喜子さんは、身近なものを材料にして制作されています。メロンの皮を干してインクをのせ、プレス機で刷った楽しい版画作品。グリーンピースを描いたやさしい木版画。そして、卵の殻(小さく穴をあけて中身は取り出した後)に小さく切った和紙を貼り、ジェッソで固めて好きな色で自由に絵を描いた「タマゴ」たち。かまぼこ板から出来た小さなボックス。台所の中から生まれた愛らしい作品には、ほっこりニッコリしてしまいます。タマゴは一個ずつ販売中(100円〜300円)何も描かれていない白色のタマゴに、自分で着色してみるのも楽しいかも。

 

高井八重子さんは、油絵一筋です。グレーを基調にして、オレンジや黄色を配した洒落た色使いが本当に美しい。部屋の何処に飾ってもきっと素敵です。今回の展覧会のために描かれた、同じ構図で色違いの二つの横長の絵「パレード」(写真最上と左下)の作品は、ピエロの楽隊が奏でるお祭りの太鼓や喇叭が聞こえてきそうで、初日から本屋の壁にすっかり溶け込んでいます。 ずーっと絵を描き続けるというのは、なんてステキなことなんだろうと、改めて思いました。何かに心動かされる柔らかな感性と、それを表現できる確かな技術。そして、どこかしら懐かしい香りのする落ち着いた雰囲気。

三人は、卒業後は特に顔を合わせる事もなく過ごしてきて、2年程前初めて一緒に展覧会をされたのだそうです。2回目は、皆さん本好きということで、こうして本屋で実現しました。さて、まだ暑い日があると言ってもようやく秋らしくなりました。ぜひベテランの描く絵画をお楽しみください。(女房)

「見ることの不思議2」展は、10月9日(火)〜21日(日)月曜日定休12時〜20時(最終日18時まで)

 

「この広い世界で、音を見つけたのはいつだったのだろう。この広い世界で音を見つけたのは誰だったのだろう。ぴんと張り伸ばされた弦を指で最初に弾いたのは誰?張り詰めた皮を撥で叩いたのは誰?草の茎に息を吹き込んで、空気を笑わせたのは誰?」

という中沢けいの「誰が見つけたの」という文章の前後に、有元利夫の作品が並んでいます。有元利夫は、1946年生まれ、39歳で亡くなった夭折の画家です。リコーダーを吹く女性を描いた「サラバンド」、紙風船のようなものが飛び交う中で、まるで指揮棒を振り上げたようなスタイルの女性を描いた「音楽の愉しみ」、赤い靴を履いて体操をしているような「夜の歌」など、有元の世界観を代表する作品を楽しめるのが「七つの音」(講談社/古書/絶版2400円)です。

中沢の文章が、そのまま有元の作品の説明になっているわけではありません。有元作品の世界に流れる音の存在が、中沢のフィルターを通して文章に仕上げられた本です。

この本のタイトル「七つの音」について、妻、有元容子は「絵のタイトルにもたくさんつけるほど、本人も音にすごくこだわりがあったから。と中沢の対談で語っています。確かに、「室内楽」「楽典」「音楽」「古曲」等、音楽をイメージさせるようなタイトルがありますが、それぞれの絵が、楽曲そのものを表現しているのではなく、一つ一つの音に込められた大切な何かを語っているように思えます。

私は「ささやかな時間」(写真右)という絵が印象に残りました。リコーダを構えた女性が赤いテーブルクロスの机の前に坐って、どこか遠くを見つめています。音が空中に溢れ出す前の、静かな一時。見ていると心が落ち着きます。

中沢は「「誰が見つけたの」の最後をこう結んでいます

「この広い世界で、魂に響く音を最初に発見したのはいつだったのだろう。それから今日まで、どれくらいの時が過ぎたのだろう。時が過ぎる間に、どれくらいたくさんの音が発見されたり、作られたしたのだろう。」

有元の絵の中から、あなたの魂に響く音を探してみてはいかがですか。

 

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催

ただ今ギャラリーで開催中「災害で消えた小さな命」(複製画)展の主宰者うささんが、代表をつとめる劇団Sol.星の花による「Voice in the Wind その声がきこえますか」が、京都府民ホールアルティ(上京区烏丸一条下る)で上演中。お問い合わせは劇団Sol.星の花京都公演実行委員会まで。7月10日(火)〜12日(木)

 


 

 


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 京都芸大出身の廣田美乃さんの個展が、5月8日(火)〜20日(日)ギャラリーモーニングで開催されます。廣田さんは、2012年にギャラリーモーニングさんと当店で、同時開催の個展をしています。(左の写真は当時のDM

今回の個展を記念して、彼女の作品を収録した小誌が出ました。(発行:ギャラリーモーニング800円)廣田さんは、1987年京都生まれで、京都市立芸術大学で油画を専攻し、作家活動を開始。2013年には京都美術ビエンナーレ産経新聞社賞を受賞しました。

性別を感じない若い(子供もしくは10代)人物の、ある時は淋しげな、ある時は哀しげな表情を捉えた作品が多く、この小誌には、2010年から16年までに制作された作品が収録されています

私は、登場する人物達の着ている服に白い色が多いことが、作品の世界観を表現しているように思えます。男女、老若、正邪、明暗、というように世界を二つに分けない、その間に漂っている様な透明な空気が感じられ、それが色のついていない白に通じている様に思えるのです。13年作「機密事項伝達」(写真右)は、白いシャツを着た三人の少年たちが、寄り合いひそひそ話をしている様子が描かれています。白いシャツが、彼らのピュアな連帯感めいたものを演出しています。その場を支配している空気は、静かで、清らかで、自覚のない悪意でしょうか。

 

じっとこちらを見つめているようで、もっと遠くの何かをさがしている視線や、虚ろに見えて、自分と世界の繋がりを考えているような表情のこどもたちの世界をお楽しみ下さい。

新作を並べる今回の個展のDMに、

「日常の中の些細なこと、気がつくと消えてしまう、ことばにするには難しい、その瞬間の、表情、感情、姿、空気」と書かれていました。(左は2018年・小誌には未収録の新作)

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

よろしくお願いします。

★5月15日(火)から、沖縄在住のほんまわかさんの「紅型染めと小さな絵本 ほんまわか作品展」を開催いたします。

 

 

ヒエロニムス・ボスと聞いて、あっ、あの気色悪い絵を描く画家かと思われる方もあるかもしれませんね。

人物像はおろか、生年月日すら不明。後年、ブリューゲルやダリ、マグリットなど多くの画家に影響を与えた謎の多い画家ですが、肖像画も残っていないそうです。緻密な描写で、天国と地獄を所狭しと描いた代表作『快楽の園』に着目し、奇想天外なボスの世界を、ドキュメンタリーにした映画「謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス」を観てきました。

「快楽の園」は、1490年から1510年の間のいずれかの時期に描かれたもので、スペインのプラド美術館に所蔵されています。

奇々怪々、グロテスクに満ちていながら(写真左上)魅力的な作品で、いつまでも魅入って佇んだり、その描写に思わず笑っている人や、あっけにとられている観客を映画は捉えています。作品を巡って美術史家、作家、哲学者、音楽家、アーティスト達がそれぞれに熱い思いを語っていきます。それにしてもです、映像で捉えられた「快楽の園」の細部をじっくりと見ていると不思議な感覚になってきます。

エロチックであったり、オカルト風であったり、スプラッタ風であったり、これはギャグか??と思わせたりと、様々な場面がぎっしり充満しています。ボスが、誰のために、何のためにこの作品を描いたのか、全く不明です。描かれている世界が天国なのか、或は地獄なのか、多くの論争を巻き起こしましたが、これもまた不明のまま。ただ、何でもありの世界をじっくりと見た人が皆、それぞれの物語を語りたくなってくるのです。

平凡なセンスを吹き飛ばすボスの作品に一度トライしてみて下さい。

映画「謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス」の優れているなと思ったところは、監督が選んだ音楽が完璧に画面にマッチしていることです。ジャック・ブレルのシャンソン。エルヴィス・コステロの「オベロン・アンド・ティタニア」。「快楽の園」の世界をそのもののようなラナ・デル・レイの唄う「Gods&Monsters」。カール・リヒターのオルガンで、「憐れみたまえ、わが神よ!」等々、クラシックから現代のロックまで、その選曲のセンスに脱帽しました。

明治から昭和にかけて活躍した、京都の日本画家木島櫻谷の回顧展(泉屋博古館で開催中)に行ってきました。

京都画壇にあって、二十代で頭角を表し、明治後期から大正時代にかけて花形の画家として活躍した木島櫻谷は、動物画で抜きん出た才能を発揮しました。野を駆け下りる一匹の猪をダイナミックに描いた「野猪図」(明治33年)や、強風に向かって今飛び出そうとする鷲を描いた「猛鷲図」(明治36年 写真左)には、思わず身を避けたくなるような臨場感があります。「勇壮」という言葉は、こういう作品にこそ相応しいものだとおもいました。

熊と鷲が見つめ合う「熊鷲図屏風」(明治時代 写真右下)では、雪原に立ち、内省的で深い優しさを湛えた眼差しで遠くを見つめる堂々たる熊と、太い幹に鋭い爪を立てて、やはり遠くを見据える鷲を描いています。こちらは「静謐」という言葉が思い浮かんで、暫くの間、作品の前から動くことができませんでした。

さらに、高さ250cmの巨大な画面に描かれた、疾走する二人の騎馬を描いた「かりくら」(明治42年)になると、うかうかしているとこちらが馬に蹴り飛ばされそうな、ど迫力。風に舞う馬の毛並みの徹底的な描写力も忘れられません。一方で、彼の代表的傑作と呼ばれている「寒月」(大正元年 写真下)では、冴え渡る月光に照らし出された雪深い竹林を、周囲を警戒しながら歩む一匹の狐が描かれています。静まり返った竹林、鋭い目つきの狐。厳しい環境に生きる生命の一瞬です。

木島の作品で、最も多く登場する動物は馬だそうです。厩からのぞく馬の上体を描いた「厩」(昭和6年)は、哲学者のような知性と優しさを兼ね備えた馬が描かれています。

この展覧会を開催している泉屋博古館は岡崎近辺にあります。美術館自体も素敵な空間で、テラスから見渡す山の美しさが印象的です。ここから東に向かうと哲学の道で、今の季節、まぁ恐ろしいぐらい混み合ってます。この静かな空間で、京都の秋を心ゆくまで楽しまれることをお薦めします。

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3連休最後の月曜日(祝日でも当店は月曜定休です)、姫路市立美術館で開催中の「リアルのゆくえ」(11月5日まで)という美術展に行ってきました。

明治以降、西洋の写実技法に多くの画家たちが学び、数々の作品を発表してきました。日本洋画の先駆者、高橋由一の「鮭」が入口を飾り、明治から大正、戦争を経て現代まで、写実表現の変遷を堪能できる多種多様な絵画を集めた企画展です。

明治9年生まれの寺松国太郎の「サロメ」が、実にエロいことに感激です。むっちりした腰回り、ふくよかな乳房の女性が、その胸元にサロメの首を抱きしめているという構図で、美術的にどうのこうのというより、こら、おっさん何考えてるんや、このスケベ野郎と言いたくなる作家の妄想力に打ち砕かれました。

そんな下劣な私の性根を浄化させたのが、明治23年生まれの高島野十郎の「蝋燭」でした。蝋燭の炎を描いただけの作品なのですが、じっと見ていると、ジリジリという音まで聞こえてきて、その炎が揺らめいてくるのを感じます。炎が内包している精神性、あるいは宗教性までもが画面から立ち上ってきます。彼より数年後に生まれた中原實は、シュルレアリズム等の新しい表現に触れたことが画風に影響を与えているような「昼の星雨」が展示されていました。ポップでモダンなセンス溢れる作品で、硬質でヒンヤリした感覚が私好みです。

そして、こんな場所でお目にかかるなんて!と喜んだのは、長谷川 潾二郎の「猫」です。赤い絨毯の上で、暖かそうな顔つきで寝ている猫を描いた作品です。リアルなんだけど、どこか幻想的で不思議な世界は、同時に出品されていた「静物」、「代々木風景」といった作品にも見受けられます。

最も心に残ったのは、大正7年生まれの河野通紀の「淋しい水」でした。黒い背景に、机の上に載った鍋に入った水を描いたものですが、徹底的に精緻に描き込まれた作品からは、画家の内面が浮かび上がり、それが私たちの心に入り込み、様々な感情が湧いて来る作品です。

展示の規模、内容、そして適度な混み具合などすべてが満足のゆく美術展でした、暑い中、姫路まで行ったかいがありました。

 

 

 

★入荷しました!

吉田篤弘「京都で考えた」(ミシマ社1620円)入荷しました。初回サイン入りです。

 

毎日、本を中心に、映画、音楽等の紹介を書いているのですが、たまに美術展に出かけた時は、その印象をブログに残すようにしています。しかし、絵画の解説ってホントに難しい。風景が美しい、人物の描写が素晴らしい、みたいな恥ずかしい文章になりがちです。

先日入荷した江國香織の「日のあたる白い壁」(白泉社/絶版500円)は、こうやって絵画の解説をすれば、わかりやすく、しかも書き手の心情を伝えることができるのだなぁ〜と感心しました。好きな画家の一枚に、著者が魅かれていったワケを書いているのですが、なる程と納得します。絵画自体の説明やら、画家の歴史的背景を極力抑えているスタイルがよろしい。著者とその絵の間の個人的な物語に引込まれて、その作品を見に出かけたくなったりします。

ゴーギャンの「オレンジのある静物」の出だしは「こんなにおいしそうなオレンジの絵はみたことない。」と作品が急に身近になるようだし、カリエールの「想い」ではゴダールの映画「気違いピエロ」のある台詞から始まります。東郷青児は、自由が丘のモンブランというケーキ屋さんの包み紙に描かれた女性の話から始まって、

「そこに描かれているのは、この世のものではないような女のひとだった。かといって人形のようではなく、外国人のようでもなかった。ひどく華奢なのに、一方でどこかが奇妙に肉感的なのだ。年齢もあやしく、おねえさん、というには匂やかな色気があって洗練されすぎていたし、中年の婦人、というには美しすぎるようにおもえた。小鳥みたいな女だ。」とあざやかに描きだします。

江國の作品への深い愛情が飛び出したのが、小倉遊亀の「家族達」です。

「みて!私が描いたわけでもないのに、私はこの絵について、そう言いたくなってしまう。みて! こんなにすこやかで堂々として、みずみずしく、生命力に溢れた絵を、日本の女性が描いたの、と。」

たっぷりした存在感に溢れた作品で、シンプルであり大胆なタッチが際立っています。この解説の終わりに、江國は小倉と同時代に活躍していたジョージア・オキーフのことを引合いにだして、

「ちょうど同じ時代に、日本とアメリカで絵を描いていた二人の女性。二人共、かっこいいと思う。」と結んでいます。

どこから読んでも、絵画を見るワクワク感をぐっと上げてくれる一冊です。

 

 

★吉田篤弘の新刊「京都で考えた」(1620円)が発売されます。

全国発売は10月20日ですが、京都地区先行販売が決まりました。また、ご予約された方には先着でサイン本をお渡しします。先行発売は10月12日(木)です。


 

なんの変哲もない門と時計台、そして奥に見える平屋建ての建物。門の前をドッジボールで遊ぶ少女。どこにでもありそうな風景を描いた「時計のある門」(1935年)から伝わってくる透明な静寂感は、観るものに様々な物語を投げかけてくるようです。

画家長谷川潾二郎が、パリに旅立つ直前のこと、麻布にあるこの赤煉瓦の堀のある建物(正確には東京麻布天文台ですが)を見た瞬間に、その素敵な雰囲気に魅了された彼は描こうと思いたちますが、諸事情で断念。しかし、パリから帰国して三年、この風景が心に浮かんできます。

「塀は私が描きに来るのを待っていたようだった。そして私はこの塀を描くために巴里から帰ってきた。そんな気がした。……」

画家が、やぁ、待たせたねと挨拶して塀の向こうへ消えてゆく姿を想像しました。

或は、夕暮の荻窪を描いた「荻窪風景」(1953)。初夏らしいある日の夕暮れ。道の向こうに女の子が誰かを待っています。画面のこちらから、仕事を終えたお父さんが帰って来る。手を降る女の子。並んで家路に就くのだろうか、と思いをめぐらせる小さな幸せが満ちた作品です。

長谷川の静物も魅力的です。この画文集の中からなら、私は「洋燈のある静物」が好きです。赤い縞のテーブルクロスの上に乗ったランプと洋書、そしてパイプと植物を入れた小瓶。まるで「暮らしの手帳」の表紙絵みたいな雰囲気です。日曜日の静かな午後のゆったりした幸せが漂ってくるようです。

猫好きの長谷川だから描けた「猫」(1966)。午睡に耽る猫の細やかな表情。赤い絨毯のぬくもりが伝わってくる作品です。この愛猫タローを描くのに、5年の歳月をかけたみたいです。画文集には長谷川自身の「タローの思い出」という文が載っています。ある時、彼はタローの履歴書を作ろうと決心します。これが傑作。姓名に始まり、現住所、本籍(エジプト)、職業(万国なまけもの協会日本支部名誉顧問)と続きます。体重は「ずっしり重し」には笑えます。

タローが死んで、庭に埋葬した後、どこからともなく現れた白い猫の話は、ペットを飼われている方、あるいは見送った方には涙ものです。

「長谷川潾二郎画文集−静かな奇譚」(求龍堂)は2400円で販売しています。

 

 

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80年代半ば、アート系出版社として、ユニークな本を出していたリブロポートが 「うたの絵本」シリーズという子供向けのシリーズ本をリリースしました。

その第一作が「なかよしともだち」(初版900円)というタイトルで、装本が平賀甲賀、挿絵が武井武雄でした。「なかよし小道」、「どんぐりころころ」等の懐かしい唱歌12曲に武井の絵が付いています。どの絵も愛らしく、手元に置いて見ていたいものばかりです。北原白秋の「雨ふり」や、「かくれんぼ」(作者不明)に用いられている独特の鳥のデザインなどは、さすが洗練されています。

京都在住の版画家、木田安彦の2002年京都大丸で開催された個展の図録「異才・木田安彦」(1500円)が入りました。図録といっても400ページ以上あるぶ厚い一冊です。この個展では、木田が魅了されていた歌舞伎の舞台の臨場感あふれるスケッチが並んでいます。役者のダイナミックな動きをスピーディーに捉えた素描は、歌舞伎好きでなくとも面白い。木田のライフワークとなった「三十三間堂」シリーズ、日本の祭シリーズ等の傑作も収録されています。

 

歌舞伎絡みでもうひとつ。通称「武智歌舞伎」を立ち上げた武智鉄二の芸術と生涯を追いかけた森彰英著「武智鉄二という藝術」(水曜社1500円)も入りました。

昭和24年、彼の演出による実験的歌舞伎公演が行われました。これが、武智歌舞伎の始まりです。しかし、数年で活動は終息し、その名前だけが残りました。その後、映画界へ転出し、なんとハードコアポルノ映画「白日夢」でセンセーショナルな話題を世間に投げかけます。さらに、彼の監督作品「黒い雪」が猥褻文書図画公然陳列の疑いで訴えられ、「黒い雪裁判」に巻き込まれていくという波乱の生涯でした。伝統芸能の伝承者が、なぜポルノ映画を作り始めたのか、1人の芸術家の内面に迫ってゆくノンフィクションです。

 

 

 

★勝手ながら、5/8(月)、9(火)連休いたします。

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画家、堀内 康司(1932〜2011)をご存知でしょうか。

私は知りませんでした。ある古本市で「堀内康司の残したもの」(求龍堂2500円)という本に出会い、鋭利で、クールで、孤独感を張りつめたような画風に思わず足を止めました。1950年代に町のあちこちに建つ煙突を描いた一連の作品の、ひんやりとした感覚に惹きつけられました。

この画家を調べてみると、画家としての活動は極めて短かったのですが、池田満寿夫を世に送り出した人物だったのです。堀内は、10代の頃、草間彌生らとグループ展に参加して、その実力を認められ始めました。50年代後半には、それまで住んでいた松本を離れ、東京に拠点を移します。そしてイラストレーター&エッセイストの真鍋博等と反画壇グループ「実存者」を結成、新しい芸術表現に向かうのですが、20代後半から画家としての活動を休止してしまいます。その後、競馬新聞の記者として一サラリーマン人生を送ることになり、絵筆を折り、若手が世に出る手助けに従事しました。

この作品集には、10代の頃の緩やかなフォルムのスケッチから、「都会は冷酷な半面にまだ一歩深い冷ややかさを備えていました」という彼の言葉を象徴するような無機質な町の表情を捉えた一連の作品、彼が愛した花街、フランス座の踊り子を描いた作品、そして死の冷徹な臭いを撒き散らす静物画まで網羅されています。生きているという感情を排除して、虚無感漂う作風をどうやって身につけたのか、或は何故に若くしてキャンバスに向かうことを止めたのか、その謎を探るためにこの作品集はあるのかもしれません。

昨年ブログで紹介した写真家、奈良原一高が、堀内 についてこの本の中で書いています。

「堀内 康司は僕と同じように軍需工場の廃墟の絵を描いていたので、彼は僕を自分が知っている様々な場所に連れていった。僕たちは玉の井の赤線地帯を訪れ、浅草のロック座の踊り子たちと話し込んだ。」

確かに、廃墟を描いた作品群には奈良原の写真に相通じるものがあるようです。

高度成長時代に入った頃、画家としての活動にピリオドを打ち、画家から、競馬新聞の記者への転身。競馬を描いた作品と共に、写真が何点か掲載されています。「府中ダートコース直線1962」は傑作と呼べる一枚です。直線コースの向こうから迫ってくる馬達のスピード感が見事に表現されています。映画のワンカットみたいです。

 

 

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

東京、岐阜、神戸、大阪、滋賀、京都から20数店の女性店主がセレクトしたステキな本が、所狭しと並びます。ご来店お待ちしています。

 

 

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