画家、堀内 康司(1932〜2011)をご存知でしょうか。

私は知りませんでした。ある古本市で「堀内康司の残したもの」(求龍堂2500円)という本に出会い、鋭利で、クールで、孤独感を張りつめたような画風に思わず足を止めました。1950年代に町のあちこちに建つ煙突を描いた一連の作品の、ひんやりとした感覚に惹きつけられました。

この画家を調べてみると、画家としての活動は極めて短かったのですが、池田満寿夫を世に送り出した人物だったのです。堀内は、10代の頃、草間彌生らとグループ展に参加して、その実力を認められ始めました。50年代後半には、それまで住んでいた松本を離れ、東京に拠点を移します。そしてイラストレーター&エッセイストの真鍋博等と反画壇グループ「実存者」を結成、新しい芸術表現に向かうのですが、20代後半から画家としての活動を休止してしまいます。その後、競馬新聞の記者として一サラリーマン人生を送ることになり、絵筆を折り、若手が世に出る手助けに従事しました。

この作品集には、10代の頃の緩やかなフォルムのスケッチから、「都会は冷酷な半面にまだ一歩深い冷ややかさを備えていました」という彼の言葉を象徴するような無機質な町の表情を捉えた一連の作品、彼が愛した花街、フランス座の踊り子を描いた作品、そして死の冷徹な臭いを撒き散らす静物画まで網羅されています。生きているという感情を排除して、虚無感漂う作風をどうやって身につけたのか、或は何故に若くしてキャンバスに向かうことを止めたのか、その謎を探るためにこの作品集はあるのかもしれません。

昨年ブログで紹介した写真家、奈良原一高が、堀内 についてこの本の中で書いています。

「堀内 康司は僕と同じように軍需工場の廃墟の絵を描いていたので、彼は僕を自分が知っている様々な場所に連れていった。僕たちは玉の井の赤線地帯を訪れ、浅草のロック座の踊り子たちと話し込んだ。」

確かに、廃墟を描いた作品群には奈良原の写真に相通じるものがあるようです。

高度成長時代に入った頃、画家としての活動にピリオドを打ち、画家から、競馬新聞の記者への転身。競馬を描いた作品と共に、写真が何点か掲載されています。「府中ダートコース直線1962」は傑作と呼べる一枚です。直線コースの向こうから迫ってくる馬達のスピード感が見事に表現されています。映画のワンカットみたいです。

 

 

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

東京、岐阜、神戸、大阪、滋賀、京都から20数店の女性店主がセレクトしたステキな本が、所狭しと並びます。ご来店お待ちしています。

 

 

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真っ赤な外函を取ると、出てくるのが、やはり赤一色の装幀の表紙。”History of Modern Art”という文字がうっすら浮かび上がっています。トータルで750ページの偉容を誇るこの本は、H.H.アーナスン著「現代美術の歴史」(美術出版社/初版5000円)です。

近現代美術史に始まり、今世紀の現代美術を下記の様に区分して追いかけて行きます

フォービズム→ドイツにおける表現主義→キュビズム→キュビズムの波及→20世紀初期の建築→幻想からダダへ→そして新即物主義→両大戦間のエコール・ド・パリ→シュルレアリスム→建築における国際様式→両大戦間の国際的な抽象美術→両大戦間のアメリカ美術→抽象表現主義とアメリカの新しい彫刻→戦後のヨーロッパ絵画と彫刻→ポップア−ト→1960年代の抽象→建築における国際様式 第二の波動→ポストミニマルの70年代→多元的な70年代→借用の80年代→建築におけるポスト・モダン

読むのに大変な労力の要る大著ですが、白黒、カラー図版を惜しみなく使用しているので、私などは、お気に入りを見つけて、その作家の項目を読み始めるのがベターです。

ところで、こういう美術の作品ってステキなものが多いせいか、CDジャケットに使われていんですね。3枚見つけました。また、アレクサンダー・コールダーの「ロブスターの捕り器と魚のしっぽ」というモビール風の作品は、海外の映画会社のロゴ宣伝に使用されていることを発見しました。映画のオープニングでモビールがゆらゆら揺れている横に会社のロゴが出てくるのをご覧になった方もおられると思います。ひょっとしたら、本の装幀に使われているのも見つかるかも。因みに発売された(1995年)のお値段は25000円です。

さて、豆本を作っておられる、杉本さんの新作が4点届きました。アポリネール「アムステルダムの水夫」、夏目漱石の「硝子戸の中」、小川未明の「橋の上」、石川啄木の「第十八号室より悲しき玩具抜粋」の四冊です。すべて素敵な装幀が施されています。

小川未明の「橋の上」は、和綴じの表紙に夕闇迫る川辺の橋を描いてあるもの。泣き止まない子どもに手こずる夫婦、誰もいない橋の上で、彼らを見つめる黒い影を描いたちょっとゾッとする小川らしい小品ですが、この表紙の絵がその世界にピッタリです。本好きの方へのプレゼントに最適です。ここだけにある本ですから。お値段は横7.5cm×縦9.5cmの豆本各1620円です。(限定販売)

 

 

 

★レティシア書房は12月29日〜2017年1月4日まで休業いたします。新年は1月5日から平常通り営業いたします。

開店前に、京都府立文化博物館でやっている「ダリ版画展」に行ってきました。

ダンテの「神曲」の物語を版画にしたものがズラリ並んでいましたが、そこは萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」の修羅場巡りの方が面白いやん、と足早に駆け抜けました。が、レンブラントの顔を描いた作品で、おっと、と足が止まってから、この才人の変幻自在の才能とに堪能しました。この夏一番の猛暑で、脳みそが焼ける一歩手前で見る白日夢もオツ?なもんです。(今日の京都の暑さときたら・・・)

さて、ダリの世界から一転。店には「香月泰男画文集<私>の地球」(求龍堂・絶版3000円)が入荷しました。初めて彼の作品に出会ったのは「画家の詩、詩人の絵」(青幻舎2000円)でしたが、それから気になり出して、探していました。

1911年生まれの香月は、 戦中ソビエトに拘留され、強制労働に従事します。その苛烈な経験がその後の作風に影響を与えてますが、激しさとは真逆の「静謐」という言葉がピタリ当てはまる作品を見ていると、猛暑も、オリンピックの喧噪も吹き飛んでいきそうです。椅子の向こうに顔を出す犬を描いた「朝」、或は水槽を覗き込む少年を捉えた「水鏡」など好きです

しかし、その一方で、彼の様々な世界を知ることもできました。

「私はいつまでも青年になりたてでありたいために、ま上の青空を眺めることにしています。私の神経を古代につながらせるために、月の光を浴びたいと思っています。私の存在を小さく小さく思いこむために、星座を探すこともあります」

という言葉の横には、地表から見上げた宇宙が描かれています。夕焼けの彼方に広がる星々に見いってしまいます。この作家には「月の出」「日の出」といった天体そのものを描く作品もありました。

この画集で、私の一番のお気に入りは、1938年に描かれた二作品「犬」と「祖父」です。両方並んで配置されていて、どちらからも落ち着きのある構図から、不動という言葉が持つ安心感が伝わってきます。静かな佇まいが、心落ち着かせてくれます。ネットで画像を探しましたが、アップされていませんでした、店頭の本でぜひ見て下さい。

★レティシア書房 夏の一箱古本市のお知らせ 

8月9日(火)〜8月20日(土)20数店が今年も店内に出店します!

★夏休みのお知らせ
8月21(日)〜25(木)

休みを利用して、兵庫県立美術館で開催されている「1945年±5年」という展示会に行ってきました。1940年から1950年頃の日本の画家達の、油彩を中心とした作品展です。戦争と敗戦、そして占領の時代、作家はどうキャンバスに向き合ったかを知る絶好の展覧会でした。

個人的には、松本竣介(左写真参)と香月泰男の作品が観たかったのですが、深窓のお嬢様を描いていると思いこんでいた小磯良平が、今まさに突撃する兵士の一瞬をダイナミックに描いた作品に出会ったりしました。

この展示会に駒井哲郎の、40年代の河岸を描いた版画がありました。平和な河岸の、戦争の影などまるで見えない、心和む作品です。駒井は、文章も巧みで作家論、芸術論を小難しくならずに静謐な随筆で読ませてくれます。

「白と黒の造形」(講談社文芸文庫/絶版1450円)は、敬愛する画家たちへのオマージュに溢れたエッセイ集です。この中で、彼が手掛けた詩集、訳詩集の挿画の事に触れていて、ロオトレアモン作、青柳瑞穂「マルドロオルの歌」(限定350部 1951年発行)に五枚の挿絵、カット一点、全部オリジナルの銅版画を用いたとあります。さぞかし豪華な本だったんでしょうね。因みにネットでは現在10万円ぐらいの値段が付いています。さらに、安東次男の詩集「からんどりえ」は豪華版7部、普及版30部という超少数出版だったとか。

また、恩地孝四郎への敬愛に満ちた「音痴先生の思い出」というエッセイで、1935年頃からに発行された月刊書物誌「書窓」に掲載されていた挿絵や詩から恩地に魅き込まれ、駒井17歳の時、当時40過ぎだった恩地に出会い、親交を深めていった大事な時間を、慈しむように描いています。恩地は、こんな詩を彼に贈っています。

「五月は黄色い風にのってくる 窓辺は白くなり 内は青く染まるのだ 空にむけた心は光を呼吸する 投げこまれたエンベロブには何もかいていない 風は文字を持たないからだ ”bon ami” 形のない返事をかきつける」

そして駒井は恩地のことを、こんな文章で締めくっています。

「少年のような感受性を生涯持ち続けたなんとも優しい先生だったように思う」と。

 

 

ロベール・クートラス作品集「ある画家の仕事1930−1985」(Ecrit32400円)が入りました。

ロベール・クートラスは、1930年パリに生まれの画家です。彼は「カルト」と呼ばれる手札サイズのカード制作を始め、靴の函、ボール紙、ポスターの裏に下地を塗ってキャンパス代わりの仕立てて、ひたすら書き続けました。その作品を原寸大で70点収録した「僕の夜Mes Nuits」(2700円)を、同社が2010年刊行、日本でも知られるようになりました。

クートラスの元には、生前、彼が売ることも、バラバラになることも認めなかった作品群が膨大な数で保管されています。そのほぼすべてを網羅したのが、今回刊行された「ある画家の仕事1930−1985」全2巻です。価格が3万を越すので、買ってね!とは、中々お薦めしにくいのですが、これが、ホントに胸に染み入る作品です。

この全集には、小川洋子が、「小さい、ということ」というタイトルで文章を寄せてます。「カルト」作品を集めた「僕の夜」をこう証言しています。

「『僕の夜』の闇は深い。ボール紙の厚みを越え、言葉など届かない、不用意に指先を浸すとそのまま吸い込まれてしまうような深さをたたえている。にもかかわらず描かれたものたちは皆、自分がどれほどの闇に閉じ込められているのか気づきもしないまま、口元に笑みを浮かべていたりする。」

「吸い込まれてしまうような深さ」・・・ふと、得体の知れない物語の世界に足を踏み入れてしまいそうです。

もらい受けたポスターの裏にガッシュで描かれた「僕のご先祖さま」と呼ぶ人達は、皆一様に、左側を向いているのを、小川洋子はこう指摘しています。

「目が一つしか描かれていないのだから、方向は真横のはずなのに、一瞬、視線が交わった気がしてはっとさせられる。瞳だけが、こっそりこちらを見つめているのだ。『ちゃんと、聞こえているかな?』 そんなふうに、問いかけるような瞳をしている」

確かに、見ている私のことを、時間を越えたところから見ている感じがします。店頭には見本も一冊置いています。重い(重量的にも)本ですが一度、ご覧下さい。不思議なカートラスの世界に魅き込まれます。

兵庫県立美術館で、12月8日〜2月14日まで「ジョルジュ・モランディ終わりなき変奏」展が開催されています。お正月2日からオープンしていたので、行ってきました。

モランディは20世紀イタリア美術史で最も重視される画家の一人です。独自のスタイルで、ひたすら静物画を描いた孤高の画家です。

作家、堀江敏幸は、モランディの静物画をこう表現しています。

「日常使っている品々が、そのどれにも似ていない存在感を放っている。私たちのまなざしは、壜と壜のあいだに、花瓶と壜のあいだに、花瓶と水差しのあいだに、つまりはざまに吸い込まれ、ひとつひとつの物ではなく、物と物のあいだに生じる呼気のようなものに否応なく惹きつけられる。」

ひたすら瓶を描き続けた不思議な作品がズラリと並んでいます。どこにでもあるような瓶なのですが、堀江の指摘する通り、その隙間の向こうをじっくり見つめると、彼の家に来てから今日まで、瓶の上に積み重ねられた長い時間が、ふわっと伝わってきます。

映画監督小津安二郎は、戦後の作品で、どこの家にでもあるやかん、お椀、茶碗、おちょこといった小物を、必要以上に画面の中に配置していました。そうするとその小物たちが、家族と共に過ごした長い時間を伝えてくれるのです。普通の家庭の、普通の生活を描き続けることで、観客は自分たちの生きてきた長い時間を見つめ直すことになります。同じように、モランディの家にあった瓶は、単なる瓶から、見るものに様々な思いをもたらす存在へと変化していくのでしょう。

モランディは1890年、ボローニャに生まれ、生涯、ボローニャとその近郊から出ることなく一生を過ごしたそうです。そして自分のアトリエの薄暗い部屋に閉じこもり、卓上静物と風景という限られたテーマに取り組みました。風景画にも人物は殆ど登場しません。

今回の作品展で、近くの街並みを描いた作品が展示されていて、これがとても素敵なのです。爽やかな日の光を浴びながら、マルチェロ・マストロヤンニみたいな陽気なイタリア男が、ワイン片手に煙草を曇らしながらベランダにいると、洗濯ものを一杯詰め込んだソフィア・ローレンのような大らかな女性が、声をかける・・・そんな情景が浮かんできます。展示会場を何度も往復しながら、その作品を見つめていました。

 

店にある「ジョルジュ・モランディ」(新刊/FOIL3240円)には、写真家ルイジ・ギッリが撮影したモランディのアトリエを見ることができますが、こちらも作品以上に、塵ひとつない空間で、静寂感が漂っています。こういう空間から、激しい自己主張や、物語を一切排した作品が出来上がってくるのですね。

静かな時間を堪能して、帰途に着いた途端、駅は初詣の人々で大混雑でした。そうだ、お正月だったんだ!と、満員の阪急電車で思いしった次第です。

 

 

先日、伊丹市美術館で開催されている「鴨居玲」展に行ってきました。絵画展で、こんなに圧倒されたのは久しぶりでした。

ご存知かもしれませんが、デザイナー鴨居羊子の弟さんです。彼女のエッセイは当店でも人気ですが、玲さんの絵画については、予備知識ゼロの状態でした。

本人が、自らの初期としている37〜38歳の頃の絵画から展示は始まります。パステル画の「ドンコサックの踊り」で、空中を浮遊するかの如き踊り子の躍動感!その後のシュールリアリズム的作品は、私には面白くなく通り過ぎました。

そして片隅で語る男三人を描いた「BAR」。ストイックな構図に足が止まりました。或は、「蛾と老人」で、アコーデイオンを弾く老人の前を飛ぶ蛾を捉えた、不思議な画面に吸い込まれていきました。

71年、スペインに渡った彼は、絶頂期を迎えます。重厚な、見事に人間の身体の動きを捉えた作品が並びますが、代表作「廃兵」には、ノックアウトされました。戦争で負傷し、肢体を失くした軍人を描いた作品で、こちらを見つめる兵士から、己の悲劇を怨む声が聞こえてきそうな辛い作品なのですが、暫く佇んでいました。まるで、動くな!と作者に言われているような圧倒的な存在感です。

そして、帰国後の彼の作品群へと展示は続きますが、それは早すぎる死へのラストランの幕開けでした。画面中央の真っ白なキャンバスの前に焦燥しきった表情の鴨居自身が座り、こちらを見つめています。彼の回りには、それまで彼が描いてきた人物や、彼の愛犬チータが取り囲み、何も描けなくなった「私」という大きな作品で、画家の悲痛な声なき叫びが迫ります。「もう描けない」という事実を、渾身の力で描ききった彼は、幾度かの自殺未遂の後、85年に、57歳の若さでこの世を去ります。

滅多に図録は買わないのですが、これは購入。日々、眺めています。

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どなたの陰謀か存じませんが、京都の美術館はどこも琳派がらみの展覧会ばかりです。JR京都駅前「美術館『えき』KYOTO 」でも、関連展覧会が開かれていますが、琳派の影響を強く受けた絵師であり、図案家として明治から昭和にかけて活躍した神坂雪佳と、1970年代生まれで、琳派の「可愛らしさ」や「意匠性」を継承する山本太郎を一緒に展示しているところがミソです。

山本が、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」へのオマージュを込めた「マリオ&ルイージ図屏風」は、ゲーム「スーパーマリオ」に登場するキャラが屏風の左右に描かれているのですが、これなど可愛らしさの極みです。今にも屏風から躍り出て活躍しそうな迫力です。暫く、この屏風の前で遊ばせてもらいました。

一方、神坂の、お盆に描いた「竹図角盆」の枯れた味わいに引き込まれました。彼の「八つ橋」が、そのデザイン性の卓越さを認められて、日本人として初めてフランスの雑誌「ル・モンド・エルメス」に取り上げられていたなんて全く知りませんでした。

圧倒的に楽しかったのは、「元禄舞図屏風」。大きな屏風に描かれるは、武士や農民、商人も子どもも、それぞれのリズムで踊っています。どの顔も楽しげで、陽気なお囃子に浮かれている感じが伝わってきます。出来るなら、その末尾にでも加えていただきたいものです。

展覧会は明日で終わりますが、青幻舎から「琳派からの道」(新刊3024円)が入荷しました。この両者の作品はほぼ収録されています。アート専門の出版社だけに印刷、製本も見事で、ページを展けた瞬間「元禄舞図屏風」に描かれた人々がお出迎えです。

この本の中で、京都美術工芸大学学長の河野元昭さんが、二人共、琳派の「かわいい」部分を継承していると論じています。

「山本太郎は本質的な部分で琳派のかわいさや意匠性を継承している。雪佳の<金魚玉図>をモチーフにした<プープー車玉>には特に印象的に『かわいい琳派』が表れている」

光琳以来、琳派が好んで描いて来た杜若をモチーフにした「杜若家鴨図」にちょこんと描かれているアヒルの玩具なんて、「可愛い」の最たる例だと、思いました。

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写真家、杉本博司が現代美術と古美術を結びつけて一冊の本に仕上げた、レアーな一冊「歴史の歴史」(六耀社/サイン入7000円)。

杉本は、一見すると水と油みたいな関係の現代美術と古美術が、彼の内部では一体化していたことに気づきます。そこで、

「その美が内包する力のほんの一部のおすそわけを自分の作品のなかに移植することができているような気がしている。ここに掲載されている作品は、そういった意味で私の古美術品とその不肖の弟子の現代美術としての海景写真なのだ。」

で、不思議な世界が始まります。鎌倉時代に製作された仏舎利を入れる容器に杉本の「海景」が入っている「時間の矢」という作品で始まります。そして、彼の名を一躍有名にした「海景写真」が続きます。水平線と地平線の境界が定かではない世界を描いた一連の作品は、魂が返ってゆく場所に見えてきます。

端整な世界の中、突然ブハハ〜ッと大笑いしたくなる作品が登場してきます。題して「男根の遺言」。縄文時代に製作された男根を象徴するような石棒がストレッチャーに載せられている作品です。子孫を残して行くのは切実な願いであるだけに、また妙に可笑しい。

かと思えば、消毒器(注射器などを消毒する器械)の中の勾玉。勾玉は古墳時代に祭祀具や装身具として使用されたものですが、この形状は見ていると、耳朶に引っ掛けて、フツーでは交信できない世界の人とコミュニケーションを可能ならしめる気がします。そして、並んでいる8点のうち、2点は現代の製作品です。それが、50年代の消毒器の上に一列に並んでいる。作品のタイトルは「消毒済みの生命」。想像が広がります。

後半は杉本が選んだ古美術の品々が並んでいるのですが、室町時代に作られた能面が数点撮影されています。彼はこう指摘します。

「夢幻能では演者が面を付けることによって死者の霊が舞台上に呼び戻されるのである。つまり古代から中世への自由な時間飛翔が、面によって可能になったのである。」

そうか、「海景」も海と空の境界の消えたところへ魂が飛び込んで、飛翔するのかもしれない。作品が持つ静謐な世界観の一方、どこか解放される雰囲気があるのは、そういう事だったのかもしれません。

 

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アート系出版社パイインターナショナル社からエリック・ブルーンの新刊でますよね、とお客様に言われて、恥ずかしながら、え、誰それ??の状態でしたが、めでたく入荷してきました。「北欧フィンランド グラフィックの巨匠 エリック・ブルーン」(3024円)

エリック・ブルーンは、1926年フィンランド、ヘルシンキ生まれのグラフィックデザイナーです。本人の言葉です

「グラフィックデザイナーは実に遊び心と発想力が必要な職業である。依頼された課題に対し、視覚的なアイデアを提供するのが仕事だ。グラフィックデザイナーの数だけ可能性があることを知って欲しい。デザインする際には、誰に訴えるのか、どんな手段を使えば見る人が気づくのか考えることが重要である。答えは探さないと見つからない。いつも簡単に見つかるものではない。なぜなら、そのためには夢中になること、つまりインスピレーションが必要であるからだ。仕事が重要であると感じる時は、夢でも見ることができる。もしそうでない場合、一度手を休めるか、もう一度基本に立ち戻り、情熱を探すべきである。

グラフィックデザイナーの道具: 電球(エディソン型) ろうそく ひらめき えんぴつ これらの助けで、ありきたりのアイデアを避けることができる。最高の発見を常に目指すべきである」

溢れ出るアイデアいっぱいの作品群は、思わず微笑ませてくれる楽しさに満ちあふれています。「笑顔でポーズをしてくれた」アザラシの細密画の優しく可愛い、卓越したユーモアのセンス。

この本は、50年代を中心にしたイラストレーションと原画、広告・装幀・ロゴデザイン等のグラフィックの仕事、そして細密画とスケッチの三部構成です。

どの作品にも、巧みな色使い、洒落たレイアウト、そしてダイナミックな動きを見せるキャラクターが溢れています。本の表紙にもなっているフィンランド航空のポスターはホント洒落ています。飛行機と化した魚が大空を飛ぶという、空を行く楽しさがいっぱいの大胆な絵柄。クライアントの意向も大切だけれど、それ以上に、見た人の笑顔を想像して作り続けたデザイナーだと思います。

私が一番気に入ったのは、細密画とスケッチです。細かい線を巧みに重ねあわせて描かれた「Vikko」詩のポスターや、きつつきの郵便切手、羽ばたく瞬間を捉えたアカゲラのポスター等々、フィンランドの自然を捉えた作品群には、魅入ってしまいました。オマケにアザラシと熊の細密画ポスターも付いています。

相変わらず、お客様に色々教えて頂きながら、また新しい素敵な本に出会ってよかった・・・今後ともよろしくお願いします。