兵庫県立美術館で、12月8日〜2月14日まで「ジョルジュ・モランディ終わりなき変奏」展が開催されています。お正月2日からオープンしていたので、行ってきました。

モランディは20世紀イタリア美術史で最も重視される画家の一人です。独自のスタイルで、ひたすら静物画を描いた孤高の画家です。

作家、堀江敏幸は、モランディの静物画をこう表現しています。

「日常使っている品々が、そのどれにも似ていない存在感を放っている。私たちのまなざしは、壜と壜のあいだに、花瓶と壜のあいだに、花瓶と水差しのあいだに、つまりはざまに吸い込まれ、ひとつひとつの物ではなく、物と物のあいだに生じる呼気のようなものに否応なく惹きつけられる。」

ひたすら瓶を描き続けた不思議な作品がズラリと並んでいます。どこにでもあるような瓶なのですが、堀江の指摘する通り、その隙間の向こうをじっくり見つめると、彼の家に来てから今日まで、瓶の上に積み重ねられた長い時間が、ふわっと伝わってきます。

映画監督小津安二郎は、戦後の作品で、どこの家にでもあるやかん、お椀、茶碗、おちょこといった小物を、必要以上に画面の中に配置していました。そうするとその小物たちが、家族と共に過ごした長い時間を伝えてくれるのです。普通の家庭の、普通の生活を描き続けることで、観客は自分たちの生きてきた長い時間を見つめ直すことになります。同じように、モランディの家にあった瓶は、単なる瓶から、見るものに様々な思いをもたらす存在へと変化していくのでしょう。

モランディは1890年、ボローニャに生まれ、生涯、ボローニャとその近郊から出ることなく一生を過ごしたそうです。そして自分のアトリエの薄暗い部屋に閉じこもり、卓上静物と風景という限られたテーマに取り組みました。風景画にも人物は殆ど登場しません。

今回の作品展で、近くの街並みを描いた作品が展示されていて、これがとても素敵なのです。爽やかな日の光を浴びながら、マルチェロ・マストロヤンニみたいな陽気なイタリア男が、ワイン片手に煙草を曇らしながらベランダにいると、洗濯ものを一杯詰め込んだソフィア・ローレンのような大らかな女性が、声をかける・・・そんな情景が浮かんできます。展示会場を何度も往復しながら、その作品を見つめていました。

 

店にある「ジョルジュ・モランディ」(新刊/FOIL3240円)には、写真家ルイジ・ギッリが撮影したモランディのアトリエを見ることができますが、こちらも作品以上に、塵ひとつない空間で、静寂感が漂っています。こういう空間から、激しい自己主張や、物語を一切排した作品が出来上がってくるのですね。

静かな時間を堪能して、帰途に着いた途端、駅は初詣の人々で大混雑でした。そうだ、お正月だったんだ!と、満員の阪急電車で思いしった次第です。

 

 

先日、伊丹市美術館で開催されている「鴨居玲」展に行ってきました。絵画展で、こんなに圧倒されたのは久しぶりでした。

ご存知かもしれませんが、デザイナー鴨居羊子の弟さんです。彼女のエッセイは当店でも人気ですが、玲さんの絵画については、予備知識ゼロの状態でした。

本人が、自らの初期としている37〜38歳の頃の絵画から展示は始まります。パステル画の「ドンコサックの踊り」で、空中を浮遊するかの如き踊り子の躍動感!その後のシュールリアリズム的作品は、私には面白くなく通り過ぎました。

そして片隅で語る男三人を描いた「BAR」。ストイックな構図に足が止まりました。或は、「蛾と老人」で、アコーデイオンを弾く老人の前を飛ぶ蛾を捉えた、不思議な画面に吸い込まれていきました。

71年、スペインに渡った彼は、絶頂期を迎えます。重厚な、見事に人間の身体の動きを捉えた作品が並びますが、代表作「廃兵」には、ノックアウトされました。戦争で負傷し、肢体を失くした軍人を描いた作品で、こちらを見つめる兵士から、己の悲劇を怨む声が聞こえてきそうな辛い作品なのですが、暫く佇んでいました。まるで、動くな!と作者に言われているような圧倒的な存在感です。

そして、帰国後の彼の作品群へと展示は続きますが、それは早すぎる死へのラストランの幕開けでした。画面中央の真っ白なキャンバスの前に焦燥しきった表情の鴨居自身が座り、こちらを見つめています。彼の回りには、それまで彼が描いてきた人物や、彼の愛犬チータが取り囲み、何も描けなくなった「私」という大きな作品で、画家の悲痛な声なき叫びが迫ります。「もう描けない」という事実を、渾身の力で描ききった彼は、幾度かの自殺未遂の後、85年に、57歳の若さでこの世を去ります。

滅多に図録は買わないのですが、これは購入。日々、眺めています。

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どなたの陰謀か存じませんが、京都の美術館はどこも琳派がらみの展覧会ばかりです。JR京都駅前「美術館『えき』KYOTO 」でも、関連展覧会が開かれていますが、琳派の影響を強く受けた絵師であり、図案家として明治から昭和にかけて活躍した神坂雪佳と、1970年代生まれで、琳派の「可愛らしさ」や「意匠性」を継承する山本太郎を一緒に展示しているところがミソです。

山本が、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」へのオマージュを込めた「マリオ&ルイージ図屏風」は、ゲーム「スーパーマリオ」に登場するキャラが屏風の左右に描かれているのですが、これなど可愛らしさの極みです。今にも屏風から躍り出て活躍しそうな迫力です。暫く、この屏風の前で遊ばせてもらいました。

一方、神坂の、お盆に描いた「竹図角盆」の枯れた味わいに引き込まれました。彼の「八つ橋」が、そのデザイン性の卓越さを認められて、日本人として初めてフランスの雑誌「ル・モンド・エルメス」に取り上げられていたなんて全く知りませんでした。

圧倒的に楽しかったのは、「元禄舞図屏風」。大きな屏風に描かれるは、武士や農民、商人も子どもも、それぞれのリズムで踊っています。どの顔も楽しげで、陽気なお囃子に浮かれている感じが伝わってきます。出来るなら、その末尾にでも加えていただきたいものです。

展覧会は明日で終わりますが、青幻舎から「琳派からの道」(新刊3024円)が入荷しました。この両者の作品はほぼ収録されています。アート専門の出版社だけに印刷、製本も見事で、ページを展けた瞬間「元禄舞図屏風」に描かれた人々がお出迎えです。

この本の中で、京都美術工芸大学学長の河野元昭さんが、二人共、琳派の「かわいい」部分を継承していると論じています。

「山本太郎は本質的な部分で琳派のかわいさや意匠性を継承している。雪佳の<金魚玉図>をモチーフにした<プープー車玉>には特に印象的に『かわいい琳派』が表れている」

光琳以来、琳派が好んで描いて来た杜若をモチーフにした「杜若家鴨図」にちょこんと描かれているアヒルの玩具なんて、「可愛い」の最たる例だと、思いました。

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写真家、杉本博司が現代美術と古美術を結びつけて一冊の本に仕上げた、レアーな一冊「歴史の歴史」(六耀社/サイン入7000円)。

杉本は、一見すると水と油みたいな関係の現代美術と古美術が、彼の内部では一体化していたことに気づきます。そこで、

「その美が内包する力のほんの一部のおすそわけを自分の作品のなかに移植することができているような気がしている。ここに掲載されている作品は、そういった意味で私の古美術品とその不肖の弟子の現代美術としての海景写真なのだ。」

で、不思議な世界が始まります。鎌倉時代に製作された仏舎利を入れる容器に杉本の「海景」が入っている「時間の矢」という作品で始まります。そして、彼の名を一躍有名にした「海景写真」が続きます。水平線と地平線の境界が定かではない世界を描いた一連の作品は、魂が返ってゆく場所に見えてきます。

端整な世界の中、突然ブハハ〜ッと大笑いしたくなる作品が登場してきます。題して「男根の遺言」。縄文時代に製作された男根を象徴するような石棒がストレッチャーに載せられている作品です。子孫を残して行くのは切実な願いであるだけに、また妙に可笑しい。

かと思えば、消毒器(注射器などを消毒する器械)の中の勾玉。勾玉は古墳時代に祭祀具や装身具として使用されたものですが、この形状は見ていると、耳朶に引っ掛けて、フツーでは交信できない世界の人とコミュニケーションを可能ならしめる気がします。そして、並んでいる8点のうち、2点は現代の製作品です。それが、50年代の消毒器の上に一列に並んでいる。作品のタイトルは「消毒済みの生命」。想像が広がります。

後半は杉本が選んだ古美術の品々が並んでいるのですが、室町時代に作られた能面が数点撮影されています。彼はこう指摘します。

「夢幻能では演者が面を付けることによって死者の霊が舞台上に呼び戻されるのである。つまり古代から中世への自由な時間飛翔が、面によって可能になったのである。」

そうか、「海景」も海と空の境界の消えたところへ魂が飛び込んで、飛翔するのかもしれない。作品が持つ静謐な世界観の一方、どこか解放される雰囲気があるのは、そういう事だったのかもしれません。

 

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アート系出版社パイインターナショナル社からエリック・ブルーンの新刊でますよね、とお客様に言われて、恥ずかしながら、え、誰それ??の状態でしたが、めでたく入荷してきました。「北欧フィンランド グラフィックの巨匠 エリック・ブルーン」(3024円)

エリック・ブルーンは、1926年フィンランド、ヘルシンキ生まれのグラフィックデザイナーです。本人の言葉です

「グラフィックデザイナーは実に遊び心と発想力が必要な職業である。依頼された課題に対し、視覚的なアイデアを提供するのが仕事だ。グラフィックデザイナーの数だけ可能性があることを知って欲しい。デザインする際には、誰に訴えるのか、どんな手段を使えば見る人が気づくのか考えることが重要である。答えは探さないと見つからない。いつも簡単に見つかるものではない。なぜなら、そのためには夢中になること、つまりインスピレーションが必要であるからだ。仕事が重要であると感じる時は、夢でも見ることができる。もしそうでない場合、一度手を休めるか、もう一度基本に立ち戻り、情熱を探すべきである。

グラフィックデザイナーの道具: 電球(エディソン型) ろうそく ひらめき えんぴつ これらの助けで、ありきたりのアイデアを避けることができる。最高の発見を常に目指すべきである」

溢れ出るアイデアいっぱいの作品群は、思わず微笑ませてくれる楽しさに満ちあふれています。「笑顔でポーズをしてくれた」アザラシの細密画の優しく可愛い、卓越したユーモアのセンス。

この本は、50年代を中心にしたイラストレーションと原画、広告・装幀・ロゴデザイン等のグラフィックの仕事、そして細密画とスケッチの三部構成です。

どの作品にも、巧みな色使い、洒落たレイアウト、そしてダイナミックな動きを見せるキャラクターが溢れています。本の表紙にもなっているフィンランド航空のポスターはホント洒落ています。飛行機と化した魚が大空を飛ぶという、空を行く楽しさがいっぱいの大胆な絵柄。クライアントの意向も大切だけれど、それ以上に、見た人の笑顔を想像して作り続けたデザイナーだと思います。

私が一番気に入ったのは、細密画とスケッチです。細かい線を巧みに重ねあわせて描かれた「Vikko」詩のポスターや、きつつきの郵便切手、羽ばたく瞬間を捉えたアカゲラのポスター等々、フィンランドの自然を捉えた作品群には、魅入ってしまいました。オマケにアザラシと熊の細密画ポスターも付いています。

相変わらず、お客様に色々教えて頂きながら、また新しい素敵な本に出会ってよかった・・・今後ともよろしくお願いします。

 

 

図録、美術関係の本がどっさりと入りました。ポピュラーなものから、レアーなものまで様々。「フェルメールからのラブレター展」(900円)や「藤田嗣司展」(2000円)などよく知られた豪華な図録も、改めてページをめくっていると楽しいものですが、今まで知らなかった作家にぶつかるとワクワクします。

ルフィーノ・タマヨ。

彷徨する獣の作品の上に「TAMAYO」とだけ書いてある「ルフィーノ・タマヨ展」(2500円)に、こう解説されています。

「1920年代以降、後期キュビズム的な純粋主義からも、単なる直裁的なシュルレアリズムからも、民族的な土着主義や社会主義リアリズムからも離れた、新しい様式を目指す立場を明確にし始めた」

確かにキュビズム的な色合いの濃い作品もありますが、ギラギラした情欲に満ちたものもあれば、グイグイと押し出す力強さに溢れた作品、思わず吹き出しそうなユーモアにあふれた大らかな作品もあって、とにかく魅き込まれる画家です。「ヌードのピカソ」というピカソを丸裸にした作品は、美しい色合いで、なんか可笑しくて、ピカソに対する親愛を感じます。

図録は、資料として展覧会の時に購入したりしますが、往々にして、そのまま書庫で眠ってしまうことが多いものです。でも、展覧会にも行ったことのないタマヨさん(タマヨさんって呼んでしまう親しみのある名前です)の作品集は、側に置いて毎日めくりたくなります。それは、彼の作品から音楽が聞こえてくるように思えるから。

「ロックンローラー」なんて作品は、まるでジェイムズ・ブラウンが腰をくねらして卑猥な歌詞をシャウトしているみたいで、踊り出したくなってきます。或は、「フルート奏者」でフルートを吹く人物を描いた作品は、もうジャズです。表紙を飾る彷徨する犬(写真左上)も、オレは歌うぜえぇ〜と叫んでいるみたいです。

メキシコの風土が持つ、自由で、大らかな雰囲気に育まれた画家のリズムが作品に投影しているのでしょう。同じタマヨさんの洋書「TAMAYO」(4000円)も入荷しています。踊って、歌って、拍手して、メキシコのど暑い熱風を受けながら、冷えたテキーラでも飲んで気分最高って画集です。1993年、京都国立近代美術館に来ていたのに、知らなくて、本物に出会えなかったことが残念です。

メキシコがらみで、もう一点珍しい本があります。石崎忠司の「メキシコの刺繍」(徳間書店2000円)です。1968年、何の知識もなく日本を飛び出し、インディオと暮らして土着民の衣裳と染織を研究した著者の紀行文学としても面白い読物です。「メキシコインディオの衣裳」という図版が付いています。この本、ネットで検索すると高い価格で取引されていますが、入荷したものは残念ながらカバーがボロボロです。なので、2000円で販売しています。

 

本日より「闇のみぎわ/Social noir」展を2週間開催します。

銅版画の北岡広子さん、写真の中村キョウさん、音楽のEusolさん、それに関連本を私、という計4人の共同展です。元をただせば、数十年前に、あるジャズバーで飲み語り合っていた仲間たちです。

ありがたいことに、レティシア書房を開店した2年3ヶ月の間に、彼らにはそれぞれ展覧会をして頂きました。20代から30代だった昔の仲間が、こうした形で一堂に会して何かできるのは嬉しいことです。店という場を持ってよかったと思えることの一つです。

「闇のみぎわ」という暗闇と、そこからほのかに感じる光との間をテーマに、銅版画と写真、そしてCDとLP、本を展示しました。それぞれの出品者が「闇」という言葉から思い起こすイメージを作品に、音楽に、本に託して展示してあります。展示販売しているCDとLPは試聴可能ですので、お申し付け下さい。

闇の彼方にあるものが死なのか、見果てぬ幻想なのか、あるいは、やがて訪れる希望なのか、それは見る人の意識が決めることだと思います。日常ではあまり触れることのない、その境地に踏み入れてみるのは如何でしょうか。

イギリスの小説家、詩人のオスカーワイルドは誌「スフィンクス」でこう歌っています

「こちらへこい、睡そうで、彫像のような、可憐の家来よ こちらへこい 美妙な、怪奇のものよ 半ばは女人で、半ばは動物の、怪奇のものよ」

「怪奇のものよ」。人なら誰でも己の心の奥に潜んでいるものへ近づくことになるかもしれませんね、

展覧会は6月1日(日)までです。(最終日は18時まで)

 

 

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大人になってからのこと、ある日、武井武雄と聞いて、忘れていた「キンダーブック」という名前を思い出しました。子ども向けの薄い雑誌です。そうしたら、小さい頃、部屋にあった木製の小さな本棚の色や形までも甦りました。ただし、キンダーブックがその本棚に並べてあったわけではなくて、きっと幼稚園の本棚だったかと、儚い記憶・・・・。

古本屋を始めてから、改めて武井武雄と出会い、この人は童画だけの人ではなかったと認識しました。どこかで古くさいと思っていた色合いのモダンな事!店にある「ラムラム王」(銀貨社1000円)のページをもう一度めくりました。

今回「「武井武雄の世界展」に行き、画家武井武雄のすばらしい絵の数々に感動しました。「風曜日」「星曜日」をはじめとする作品群の中で私は「青の魔法」の青い色が好きです。そこには

『青の魔法をかけられて   昔の空は青かった。

青の魔法をかけられて   昔の海も青かった。

魔法使いの居ない今    空と海は灰色だ。

地球は廻っているけれど  青の魔法を知る人は

みんな僕らを見限って   月の世界へ行ったのだ。』

とリズミカルな詩が添えられていました。ユーモラスで怖い、そして優しくて辛辣。繊細で大胆、わかりやすく、懐かしくて新しい。生と死がいつも重なりあう。

一緒に展覧会を見た店長は、やはりというか、武井さんの作った本に、感動していました。本の装丁とか挿絵だけでなく「本」そのものを美術品のように、こんなにたくさん作っていた人だと初めて知りました。

そして私は木版画に魅かれました。木目の美しさを生かした何とも言えないいい色合いの、素敵な木版画にいっぱい出会えました。感謝です。

ちなみに、もう一冊「父の絵具箱」(900円六興出版)という、娘の三春さんが書かれた本も在庫しています。

武井武雄の世界展〜こどもの国の魔法使い」は京都高島屋で5月19日まで。お薦めです。(女房)

 

 

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現在京都国立近代美術館で開催中の「映画をめぐる美術ーマルセル・ブロータースから始める」に行ってきました。

私は、大変面白く観て来ましたが、展示の殆どが映像作品なので、その雰囲気に馴染めないと、なんのこっちゃわからん展覧会に感じるかもしれません。楽しめる作品を探して、何度でも観ることをオススメします。

私のお気に入りは、やなぎみわさんの作品。二つの映像が同時進行します。一つは舞台を製作している側を捉え、もう片方は演じている側を捉えた作品です。と同時に、さらに二つの作品が交互に映し出されます。素材の映画は「グロリア」と「レオン」。どちらも大人と子供の組み合わせの逃避行です。「グロリア」は中年女性と小さな男の子で、「レオン」は殺し屋の男と女の子。しかし、演じる方も、演出する方も、一様に宝塚歌劇団の学生のような制服を身にまとった高校生くらいの少女たちです。演ずる二人をまっすぐに見つめる演出者たちの、無表情な顔と、観客からすれば、もう漫画としか言いようの無い演技のミスマッチの連続には、大きな声で笑い続けてしまいました。(朝一番に行ったので誰もおらず恥をかきませんでした)

ところで、大学時代に似たような映像作品を制作したことを思いだしました。しかも、やなぎさんよりも、二つ画面の多い四画面同時進行の「軋轢」。カーセックスしている(と言っても、車のドアからはみ出た足だけの演出ですが)二人と、それらしくボンネットを揺すっているスタッフと、平々凡々たる顔をして、大学に向かう学生の顔と、生のフィルムに傷をつけて焼き付けたもの、の四つを同時上映する作品でした。フィルムの長さもバラバラなので、それぞれ勝手に終わるという作品。学生映画祭にも出品し、ひんしゅくとホンの少し、極々一部の賞賛を得ました。「オモロいもん作ろう」だけで製作した作品ですが、画面数だけは、やなぎさんに勝ちました?!

 

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小豆島の旅、番外編。

高松から丸亀に寄り道しました。駅前の「猪熊弦一郎現代美術館」で開催中の「フランシス・アップリチャード展」を観たかったのです。ロンドン在住の作家で国内では初の個展。

紙粘土に着色して、布や毛皮などを着せかけた不思議な動きの人物が展示されていました。何かをしようとしている途中の格好で静止しているその姿が、不気味でもありユーモラスでもあり、面白かったです。美術館の天井の高い空間ともよく合っていて、不思議なゆっくりした時間が流れていました。

同時開催の「猪熊弦一郎 壁画の仕事」では、京都の旧ホテルフジタのラウンジの壁面が展示されていました。ホテルフジタは鴨川沿いの瀟洒なホテルで、友人とよくお茶してましたが、一昨年から取り壊し工事が始まり、新しいホテルになるようです。ホテルフジタは1970年開業。しばらくして改装された際、壁面の前に新しい壁ができて、猪熊の壁画は所在不明だったそうです。何でも2011年、解体現場に猪熊弦一郎の壁画があるという匿名の電話があり見つかったとか。ステンレスの壁にリズミカルに開けられた丸い穴から、ヴィヴィッドな色が見えるとてもモダンな壁画は、時を経て戻るべき場所に落ち着いたのですね。

私はこの美術館の常設展示も好きで、香川に行く機会があれば立ち寄りたい所の一つです。(女房)

 

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