古谷田菜月の「神前酔狂宴」(河出書房新社/.古書1200円)を読み始めた時は、どこから面白くなるのか見当がつきませんでした。しかしこの特殊な物語世界に洗脳され、脳内を撹乱されて、ズズッとのめり込み、そこから一気に読みきりました。

物語の中心となるのは、明治期の軍神をまつった神社併設の結婚披露宴会場。ここで派遣社員として働く、浜野と梶という青年が主人公です。給料分の仕事をやればいいや、とやる気のなかった浜野でしたが、ある日「新郎新婦の愚かしさ、披露宴の滑稽さを限界まで高めることこそ我が使命と考えるようになり、全力で働くようになった。」のです。

神前結婚の披露宴という特殊な職場の環境を生きる人々や、別の神社から会場を乗っ取ろうと乗り込んでくる倉地と、浜野の確執も描かれ、仕事小説としてのスタイルを見せつつ、物語はどこへ向かうのかわからんままに、どんどん進んでいきます。二人の青年の青春物語であり、お仕事小説でもあり、披露宴という茶番を笑い飛ばすかのような喜劇小説というように、多面的な側面を垣間見せながら、読者は、超忙しい式場内を浜野たちと疾走してゆく羽目になります。

結婚披露宴が「伝統主義による女性差別」と「商業主義による男性差別」に満ちた滑稽な儀式だと気付きながらも、浜野はその茶番劇に全精力を傾けて仕事をするうちに、社内で出世していきます。そんな時、「“自分の本心”と結婚式を挙げたい」と希望する松本千帆子という不思議な女性がやってきます。え?どんな結婚式?? 新郎はいません。??もうこの辺で私の脳はショート寸前です。

松本千帆子は付き合っていた男性がいたのですが、結婚話が出たところで別れた過去があります。彼女の話を聞いた結婚式場のスタッフがこんなことを浜野に言います。

「よくわかんないですよね。人でもなく、物でもない。確かなものと結婚したいって。自分自身というのとも違って……..。本心と、って言ったかな。自分の本心と、連れ添っていきたい。そんなふうに言ってました。」

後半は、この女性の申し出を受けた浜野が「ねえ、やろうよ、その婚礼!」と宣言し、神社も式場も巻き込んで、一気呵成に実行してゆくところがクライマックスになります。

この小説、すべての人におすすめしません。現に、書評を読んでいても、よくわからんという意見と、大絶賛という意見が交互に出ていました。でも、全く違う文学体験をしてみたい方には強くお勧めします。私は最後のページで、上手い!と思わず拍手してしましました。

 

★連休のお知らせ 1/20(月) 1/21(火)連休いたします

★1/22(水)〜2/2(日) レティシア書房冬の古本市プレ企画「こんな本が揃いました」

★2/3(月)2/4(火)古本市準備のため連休いたします

★2/5(水)〜2/16(日) 恒例女性店主による『冬の古本市』を開催します。今年も神戸・大阪・岐阜・東京・御殿場・京都などの女性店主の選書です。ぜひお立ち寄りください。

 

フリーの森林ジャーナリスト、田中淳夫の著書「森は怪しいワンダーランド』(新泉社/古書1200円)は、著者が世界各地の森林で体験した不思議な出来事やとんでもないトラブルに巻き込まれた体験、そして、今、普通に流布している森林に関する常識の本当の姿が書き綴られています。

ソロモン諸島にあるシンボ島でのこと。深夜聞こえてくる祭りのような音に、ひょいとテントから顔出すと、誰もいない。「何もなかった。生ぬるい風は吹いているが、光も音も聞こえない。黒々とした森が広がっているだけだ。祭りどころか、人っ子一人歩いていない。太った月だけが深夜の村に陰翳をつけていた。」

精霊だった……?そんな体験からお話は始まります。森林で生きる民族と暮らす中で、そこに息づく伝説や神話を聴いたり、自らその渦中に入ったりして、こう考えます。

「彼らのような自然の中で暮らす民族は、伝説と現実の経験談の区別が判然としないことを、私はニューギニアだけでなく各地で経験している。だが近代教育が行われる過程で、そうした世界は科学的に否定されてゆくのだ」

また、ボルネオの奥地では、自分自身どう判断していいのかわからない現場に立ち尽くします。テレビをつけると「美川憲一と研ナオコの歌謡ショーが始まったのである。ボルネオ奥地で『かもめはかもめ〜』と聴く、この違和感。しかし、思わず聞きほれてしまう私がそこにいたのだった」

第2章「遭難から見えてくる森の正体」は、まさに映画「インディージョーンズ」の世界です。テントの上の木の葉を食べる多くの虫が、糞をして、それが「テントをたたいて雨の音に聞こえるなんて」虫嫌いの人なら卒倒しかねません。それでも著者は、秘宝を求めてジャングル奥地に踏み込むジョーンズ教授よろしく、森の奥地へと入っていきます。

笑ったのは、勝手知ったる生駒山でのこと。「斜面を登る途中で滑り落ちた。沢に足を突っ込んだ。一瞬、悲鳴が口を突いた足元は濡れて泥だらけになった。遭難…….という文字が脳裏に浮かんだ。」その時、携帯のメールに着信が入ります。「娘からだった『帰りにキャベツ買ってきて』」さらに「玉ねぎと牛乳も買ってきて」と…….。なんとか無事下山し、娘さんの買い物も部終了したとか。やれやれでしたね。

第3章では、常識として受け入れている森の現象の本質を見抜いていきます、例えば森林セラピー。「森林浴」「森林療法」「森林セラピー」という言葉の裏に潜む、トンデモ科学とごまかし。その姿を読者に示して、「森林散策が心地よいことは、誰もが感じる経験則だ。しかし、トンデモ科学の装いを施して、トンチンカンな期待だけが膨らまされているのが森林セラピーではないか。」と結論づけています。

森という大きな存在を、様々な角度から教えてくれる格好の一冊です。アウトドア派必読!

 

新年最初の読書は、マガジンハウスで、数々の雑誌の編集に携わってきた編集者岡本仁の「続々果てしのない本の話」(オークラ出版/古書1200円)でした。同社の「&Premium」に連載されていた読書エッセイ40編をまとめたもので、誠光社の堀部篤史さんと共作した「古本18哩」も収録してあるという本好きにはたまらん一冊なのです。ところが読みだした最初は、ケッ!アートに詳しい編集者が、クールに自分の好きな作家をエッセイ風に描いた東京人好みの本ね…….みたいな感じで、プリプリしながら読んでいました。(なら読むな!)

が、そういう扁壺なおじさんの気持ちを、ゆっくりと柔らかにしてくれて、結局最後まで一気に読みきりました。そのキッカケになったのが、こんな文章でした。

「幸せな結婚というのは『いま、ここ』がいちばん尊いと知るきっかけであると同時に、『いま、ここ』がいかに儚いものなのかを悟るきっかけでもあるのじゃないか。ミランダ・ジュライの『あなたが選んでくれるもの』で、彼女が自分の結婚について触れている部分を読んでいるうちにそんな気持ちになり、庄野潤三の『夕べの雲』を思い出した。」

ミランダ・ジュライ→庄野潤三へと流れてゆく文章が、チャーミングです。本書では、ひとりの作家、あるいは著作から、岡本が思い浮かべた作品が次々と果てしなく並べられていきます。もちろん、私の知らない作家や、アーテイストや写真家がどんどん登場してきますが、決して上から目線にならずに、ねえ、こんな面白い人いるよ、みたいな感覚なのです。程々にクールでベタベタせずに描かれているので、心地よく読めます。

岡田温司著「モランディとその時代」という美術の本から「この本は自分自身の考えと信じていることが、もしかしたらただの紋切り型になっていないかと疑ってみることの大事さを教えてくれる。見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない、考えているようで考えていないことが、自分のまわりにまだまだたくさんあるような気がしてきた。」

本の内容を紹介しつつ、最後に自分の言葉で、その本から受けた思想をきちんと伝えることは、なかなか出来ません。(ブログを書きながら日々痛感しています)

一方で、著者は、少年のような瑞々しい感性をひょいと出すことがあります。京都の細見美術館で見た「永遠の少年、ラルティーグ」展の感想をこんな文章で綴っています。

「いまこの瞬間の興奮と幸せを永遠のものにしたいという、ラルティーグの無邪気さが観る者を自然に笑顔にしてしまうような写真、涙が出そうになるほど素敵だった。」

なんだか写真展で、顔をクシャクシャにして楽しんでいる著者の姿が想像できます。

それにしても方々の美術館に出かけていますねぇ〜。本当に好きなんだ。

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ローン地獄、児童虐待、性暴力、障害者差別、親の介護、などなどの諸問題を、ちょっとだけ「自分のこと」として引き寄せて考え、文章にした青山ゆみこ「ほんのちょっと当事者」(ミシマ社/新刊1760円)は、笑って、泣かせて、そうだよなと納得させ、最後にまた泣かせてくれる松竹新喜劇みたいに楽しい。そして、実は極めて深刻な状況を生きなければならない我々の姿を浮き彫りにしてくれます。彼女自身は、「ほんのちょっとした」どころではない当事者だったのですが……。

彼女は、小さい時に家庭に来ていた、ある医師に性暴力らしきものを受けています。第4章「あなたの家族が経験したかもしれない性暴力について」でかなり詳しく告白されています。「もう三十年だぜ。それぐらい性暴力は根深い傷跡を残すのだ。そしていまならわかる。あれは治療なんかではなく、単なるわいせつな性行為であったことが。」と総括し、こう書いています。

「性暴力は被害者を何重にも傷つける。たかが痴漢だなんて思わないでほしい。その被害者が、あなたの大切な娘であり、妻であり、家族があるかもしれない。

そして、それは女性に限ったことではない。あなたの大事な息子が、性被害を受けて傷ついているかもしれないのだ。他人事ではない。そう感じて欲しいと切に願う。」

彼女は、様々な体験の中から自分の心の中を見つめていきます。こういうことが、本当の「自分探し」かもしれません。「自分が弱く愚かで、正義とは反対の真反対にいる人間であることを、わたしは日常でもよく思いしらされる。その度に、自分の弱さが誰かに対して暴力に変わるかもしれないと、とても怖くなる。」

「『参院選』元派遣労働者のシングルマザーが立候補へ。「ボロ雑巾のように捨てられた。世の中を変えたい」

これ、参院選に「れいわ新撰組」から立候補した渡辺照子さんのニュースのヘッドラインです。第8章「わたしのトホホな『働き方改革』」の巻頭は、このニュースから始まります。ほんとに、トホホな彼女の就活なのですが、笑って済ませられない現状が見えてきます。「一億総活躍社会」って、どこの国のこと?という有様が語られていきます。

悩み、悲しみ、時にはイラつきながら、「当事者」にならざるを得なかった彼女が最後に対峙したのが、親の看取りでした。彼女は父親と長い長い確執の時間がありました。第9章「父のすててこ」では、母のこと、父のことを振り返ります。しんどい事ばかりだった彼女が、本文最後で「パパ、ありがとう」という言葉を書くことができるまでの物語に、親を見送った人なら涙するかもしれません。

「わたしたちが『生きる』ということは、『なにかの当事者となる』ことなのではないだろうか』という文章が強く響いてくる本です。

 

●大阪の動物保護団体ARKの来年度カレンダー発売中です。

壁掛けタイプ1000円(少なくなってきました) 机上タイプ800円です。売上は、全てARKにお渡しいたします。当施設に保護されている動物たちのために使われます。

島田潤一郎さんは、ご存知のようにひとり出版社「夏葉社」の代表です。上質の本をコンスタントに発行されています。近著「古くてあたらしい仕事」(新潮社/新刊1980円)は、多くの人に読んで欲しい一冊で、生きる事、仕事をすることの本質が、ぎっしりと詰まっています。

大学卒業後就職した仕事に馴染めず、様々の会社を渡り歩き、自分の人生の方向を決められない日々が続きます。その時彼を支えたのは、当時ロッテ球団の監督だったバレンタインの、こんな言葉でした。

「人生でもっとも大切なのは、人から必要とされる事だ」

島田さんは、仕事とはそういうものだと思いつつづけてきました。誰かを支えたい。「仕事のスタートとは、そういう純粋なものである」というのが彼の哲学になっていきました。

「一冊の本が人生を救うというようなことはないのかもしれない。でも、僕にはきっと、なにかできることがある。僕にしかできないことがある。」

そんな思いを胸に秘めながら、出版社「夏葉社」を立ち上げ、自ら編集し、自社のことを理解してくれる全国の本屋さんを営業するという、仕事がスタートしていきます。彼の起こした出版社の優れたところは、彼自身の言葉で言えば、

「いまを生きる作家の本は、既存のたくさんの出版社がつくっている。それならば、ぼくはかつて出版され、絶版になっている本を、もう一度自分の手で出してみたかった。 数十年前の作家と編集者が魂を削ってつくった本に、もう一度あらたな息吹を吹き込んでみたかった。魂のリサイクル。」

読者の顔を思い浮かべ、それを置いてくれる書店員のことを考えて作る本、著者はそれを「親密で、私信のような本。仕事もまた同じ。一対一でしか伝えられないことがある。」と表現しています。合理性、効率で考えるのではない仕事。「今日、誰のために、なにをするのか。 仕事の出発点は、いつもそこだ。」という考えが、くり返し、本書には登場します。

本書で、一箇所だけ当店の名前が登場します(P138)。「大量生産、大量消費以前のやり方を現代に蘇らせることによって、自分の仕事の場所を保持しているように見える」書店の一つとして、名前を挙げていただきました。

「それはいってみれば、大きな声でなく、小さな声を尊重する店のあり方だ、『みんながそういっている』というのではなく、『あのひとはこういっている』という本の並べ方」と。よくぞ、言ってくれました!島田さん。ありがとうございました。

彼が編集した「ガケ書房の頃」の中に、著者の山下賢二さんが、こんなことを書いています。

「本屋は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかと思っている。誰でも敗者になった時には、町の本屋へ駆け込んだらいい」と。

そして、しんどい時、憂鬱な時、本屋が支えになるのは、「強い者の味方ではなく、弱者の側に立って、ぼくの心を励まし、こんな生き方もあるよ、と粘り強く教えてくれたからだ。」という島田さんの言葉を、私もその通りだと思いますし、当店もそういう本屋でありたいと仕事をしています。

この本は大手出版社の新潮社から出ていますので、大きい書店にはあると思います。当店でなくても、お近くの書店で見つけて、ぜひお読みください。

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壁掛けタイプ1000円 机上タイプ800円です。売上は、全てARKにお渡しいたします。当施設に保護されている動物たちのために使われます。

 

井伏鱒二、太宰治、上林暁といった大物たちが集まった「阿佐ヶ谷会」を詳細にまとめた青柳いずみこ・川本三郎監修の「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」(幻戯書房/古書2400円)は、文壇を代表する作家たちの飾らない人柄が表れた一冊です。

戦前、井伏鱒二、太宰治、上林暁、木山 捷平、亀井勝一郎など中央線沿線に住んでいた文士たちが、阿佐ヶ谷駅近くの中華料理屋に集まり、酒を飲み、将棋を指して一時を楽しみ、戦後は、仏文学者青柳瑞穂の家に会場を移して、交流していました。

瑞穂の孫で、この本の監修者でもある青柳いずみこは、「阿佐ヶ谷文士たちに共通しているのは、純文学に徹して清貧に甘んじたということ、商業主義に陥ることをひどく嫌ったということだ。」と回想しています。文士たちは、お金があるとはとても言えない境遇でものんびりとした、どこ吹く風といったタッチで文章を書いています。

本書は、井伏、上林、木山、亀井、家を提供した青柳瑞穂たちが、「阿佐ヶ谷会」について書いた文章を収集しています。上林は、戦時中食料が乏しくなって食べ物を当てにしていったピクニックで、太宰が几帳面に弁当を用意していたことを書いていました。「狭い峡谷を走るその電車の中で、太宰君は持参してきた弁当箱を開いた。そばに坐っていた誰かにおむすびを分け、指先にくっつくご飯粒を舐めながら、むしゃむしゃと食った。」とても戦時中の話とは思えない、のんびりした時間です。

上林はまた、「阿佐ヶ谷会には統領はいないが、強ひて統領格の人を探せば、井伏さんといふことにならう」と書いています。この回の中心人物だった井伏は、将棋や酒の飲み方だけでなく、文学創作の点でも文士たちの規範になっていたみたいです。仏文学者河盛好蔵によると、全くアポも取らずに井伏の家を訪ねたところ、喜んで迎えてくれたそうです。青柳いずみこは、井伏の振る舞いをこう書きます。

「どの文士の回想を読んでいても、井伏は来るもの拒まずだったらしい。友人たちは玄関を通らず、庭を横切り八畳の書斎の縁側に直行して声をかけ、すぐに将棋が始まる。」

お金もモノもない時代だけれども、おおらかに人生を楽しんだ人々の、これはドキュメントでもあります。

明日は、川本三郎「それぞれの東京 昭和の町に行きた作家たち」という昭和文士、映画監督、画家を巡る本をご紹介します。

 

予告

12月11日(水)から始まる知床在住の絵本作家あかしのぶこさんの絵本展に、知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンが届きます。シュトレンも含めて20個ほどのパンは、初日のみの販売になりますのでお見逃しなく。

 

熊本にある橙書店店主田尻久美子さんの新しい本「橙書店にて」(晶文社/古書1300円)は、著者の優しさが随所に表れていて、とても心地よい後味が残る一冊です。

熊本市内の路地裏にある橙書店。本屋と喫茶とギャラリーを一つにしたその店に寄り添うお客さんたちを、田尻さんはそっと見つめています。開店当時、全てが未経験で、勢いに任せて突き進む不安な日々を救ってくれたのが、工事をしてくれた棟梁の、「やっているうちにプロになる」という言葉でした。「やっているうちにプロになるから大丈夫。この言葉は、店をはじめたとき、お守りだった」。そして、店を営みながら文芸誌「アルテリ」を発行するまでに至りました。

知人の写真家が書架を見て、「相変わらず弱者の本ばかりおいてるね、そこがぶれないよね。」と呟いたそうです。

「私はそうだろうかと思いながら書架を眺め、意識したことはなかったけど確かに弱者だらけだな、と合点がいった。水俣病患者にハンセン病治療所入所者、戦争の無数の被害者、さまざまな理由で差別される人たち、寄る辺ない人……..よりどりみどりだ。耳をそばだてたくなるのはかそけき声で、それは人を圧しようとする大きな声よりも力強く魅力的だ。」

こういう店なので、いろんな思いの人たちが集まってきます。大雨で店が水浸しになった時、来店した人が後片付けに参加してくれたり、あるいは、熊本在住だった作家石牟礼道子さんが死去された時、彼女を知っている人も知らない人も集まってきます。

「悲しみにくれている。店が通夜会場のようだ。近しい気持ちの人と同じ空間にいたい、と思って来店されるのだろう。葬式というのは、本来そういうものかもしれない。死んだ人のためでなく、残された人たちのためにある。」

なぜこんなに人が来るのですかと尋ねられた時の、彼女の答えはこうです。「自分でもよくわからない。ありがたく巻き込まれているだけだ。」と。彼女の魅力が大きいのはいうまでもありません。ここで、朗読会を行なった村上春樹もそんな魅力に吸い寄せられた一人かもしれませんね。

「『もうすぐ満月だね』 そういうことを気にして暮らしている人が、私の周りにはわりといる、満月が近くなると、自然とそんな話をしているような人が。私もその口だ。」

“月友達”がいるなんて素敵ですね。ふと立ち止まって、月を見上げる。あ、満月、だけで嬉しくなる。田尻さん、私もその一人です。犬の散歩の時にいつもお月様を探しています。

 

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12月11日(水)から始まる知床在住の絵本作家あかしのぶこさんの絵本展に、知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンが届きます。シュトレンも含めて20個ほどのパンは、初日のみの販売になりますのでお見逃しなく。

イギリス生まれの絵本作家、スーザン・バーレイが、1984年に発表した「わすれられないおくりもの」(評論社/古書850円)は世界的に注目され、今も売れ続けています。

森に住む老いたアナグマは、森の仲間たちに慕われていました。しかし、「長いトンネルの 向こうに行くよ さようなら アナグマより」という手紙を残して、天国へと旅立っていきます。悲しみにくれる仲間たち。けれど、冬が去り春が訪れる頃、みんなは彼が残していった豊かさを心の中に残すことで、少しづつ悲しみを癒していきます。肉体は滅んでも、彼の言葉や教えてもらったことは永遠に残ると悟った友達のモグラは春の大空に向かって、「ありがとう、アナグマさん」と呼びかけます。

「モグラは、なんだか、そばでアナグマが、聞いてくれるような気がしました。そうですね……きっとアナグマに…..聞こえたにちがいありませんよね。」

ラストの春の大空に向かって声を出すモグラのシーンがとても素敵で、愛したものの魂は、いつでもそばにいるよ、という感じが良く表されていると思います。

三木卓は「鶸」で芥川賞、「路地」で 谷崎潤一郎を受賞した文学者です。三木が物語を作り、スーザン・バーレイが日本語を英語の翻訳し、絵を描いた作品「りんご」(かまくら春秋社/古書900円)を入荷しました。海外の作家のものを、文学者が日本語に翻訳したものは沢山ありますが、その逆のパターンは珍しいと思います。       

話は山の中に捨てていたりんごの芯を、森の動物たちが育てるというものです。左ページに日本語と英語、右ページに絵が配置されています。

「春になって 木は はじめて 白い花を いっぱいにさかせました。」

“Spring came  For the first time the tree was full of white flowers”

難しい英語ではありません。なんとなく音読したくなってきます。体の中に言葉がすっと入ってくる感じです。こういう文章を英語の勉強に使えばいいのに…….。

ところで、三木卓の新刊(?)が、新しく立ち上がった出版社、水窓出版から出ました。「ミッドワイフの家」(新刊1980円)という短編集です。昭和48年に一度講談社から出版されtものを復刻したものです。三つの短編が収められていますが、「炎に追われて」は童貞であることに苦悩する若者が、童貞を捨てる様を描いた物語です。

「わたしは和子の歯を舌で愛撫し、口を開いてくれることを望んだ」なんていう、古色蒼然として文章に出会うと、なんだかなぁ〜と思いますが、雑誌に発表されたのが昭和48年。あの時代では、こんな物語を書く人は少なかったのでしょうか。

三木卓の違った側面を知った気分です。

 

 

 

 

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12月11日(水)から始まる知床在住の絵本作家あかしのぶこさんの絵本展に、知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンが届きます。シュトレンも含めて20個ほどのパンは、初日のみの販売になりますのでお見逃しなく。

 

 

 

 

 

 

 

現在、京都シネマにて上映中の長編アニメ「幸福路のチー」は、台湾から彗星の如く飛び出したソン・シンインが監督した作品です。彼女は、京都大学大学院で映画論を学んでいて、数年間京都に滞在していました。その時の京都での暮らしを綴ったのが「いつもひとりだった、京都での日々」(早川書房/古書1300円)です。

台湾からやってきた若い女性と、彼女の周りを去来する人たちの交流を瑞々しく綴ったエッセイです。半分観光ガイドっぽい京都暮らし本とは一線を画している、とても素敵な一冊でした。

新宿から夜行バスに乗り、京都へと向かい、早朝の京都駅八条口に降り立ちます。初めての古都の印象は、こんな風でした。

「駅の周辺はからっぽ。わたしだけ。暗くて、静かな空間。急に怖くなった。慌てて重たいスーツケースを引きずり、地下街に身を潜めた。何かに飲み込まれてしまいそうで怖かった。 地下街は明るかった。けれど、誰ひとりいない。スーツケースに座って、静かに時が過ぎるのを待つ。古都が目覚めるのを待った。」

静寂感と孤独感。この本を覆っているのは、この二つです。来日直前、彼女は親友の自殺を知ります。友人を失った悲しみと「いつもひとりだった、京都での日々」。

でもこの町と、そこに暮らすおかしくて不思議な人たちとの交流を通して、固まっていた心の中がほぐされていきます。その春風のような優しさが、文章にはあふれています。

居心地が良かったけれど、ひっそりと消えていったカラオケボックス。おばあさん一人がやっている喫茶店。そこは、なんと注文してコーヒーが1時間過ぎて、やっと出てくるお店です。店の名前は「クンパルシータ」。普通なら、二度ど来るか!と思うとことですが、行くんですね、彼女は。やがて、その店も閉じてしまいます。他には、京大吉田寮で出会った天才的ピアニストや、着物フェチの坊主とか、不思議な、そしてちょっと切ないような人たち。

「京都の銭湯が大好きだ」という彼女。銭湯で交わされる京都弁は、当初さっぱり理解できなかったのですが、距離が縮まって、ある時「お風呂あがりに冷たい牛乳を飲むのんが人生最高のことやね。これぞジャパニーズ・スタイルや」と見知らぬおばさんからプレゼントされます。残念ながら、この銭湯も店をたたむことになります。彼女にとって「この銭湯だけが、わたしが厳寒の京都を過ごした場所であり、京都弁を学び、人情の温かさを学んだ場所だということが重要なのだ。」という場所だったのです。

「しゃあないわ。何事にも賞味期限いうもんがあるしなぁ」とは銭湯のおかみさんの言葉です。深い言葉ですね。

最後に彼女はこう書いています。

「神様。京都でひとりぼっちの日々をくださって、ありがとうございます。」

来週、映画「幸福路のチー」を見にゆく予定です。

 

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12月11日(水)から始まる知床在住の絵本作家あかしのぶこさんの絵本展に、知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンが届きます。シュトレンも含めて20個ほどのパンは、初日のみの販売になりますのでお見逃しなく。


 

 

 

と言っても、これ、この三人の本をまとめて一緒にした当店のコーナーのことです。この三人がお互いにコラボした本が何点かあったために思い切って並べてみました。

「踏切の前に並んだ葱坊主」は、和田誠が初めて作った俳句です。小学校に入るちょっと前六歳頃の作だそうです。和田と俳句を作る人たちとの楽しい交流を描いた「五・七・五交友録」(白水社/古書900円)は、俳句なんて興味ない人(私も含めて)に読んで欲しい本です。最初から読む必要はなく、パッと開けて、これ面白そう!という一句に出会ったら、そこには作った人と和田の交流が面白く書かれています。

「犬の目の語り続けし薄暑かな」

これは、銅版画家山本容子の作品で、彼女は和田の銅版画の師匠です。彼女の愛犬ルーカスが「暑おすなぁ〜、毛皮着てるようなもんやさかい、たまりまへんな〜」という様を描いた一句です。通読はしていないのですが、時間が空いた時に、パラパラ読んでいて、ちょっとずつ俳句に親しんでいます。

前から店に置いておきたかった和田の本も入荷しました「Book Covers in Wadaland 」( ARTES/古書2900円)。こちらは和田がブックカバーを担当した本を集めて、紹介した一冊です。玉木正之「京都祇園遁走曲」の祇園の街並みは、個人的に大好きなカバーです。(案外見つからない)

安西水丸と村上春樹が組んだ「村上朝日堂」シリーズもまとめて単行本で入荷しました。春樹は和田とも組んで、音楽関係で素敵な作品を出していますが、安西と組んだ作品では、安西の世界を巧みに自分の文章の中にはめ込んでいます。個人的に春樹&安西コンビのベストと言えば「中国行きのスロウ・ボート」の装幀でしょうね。すっきりしたデザインとブルーが目に飛び込んできます。春樹最初の短編集で、以前ブログにも書きましたが、中でも「午後の最後の芝生」は、最も好きな春樹作品です。

 

この三人が共同で出した本は、ないはずです。せめて書架の中で一緒にしたいと思い、コーナーを作りました。眺めているだけで、なんだかワクワクするのです。

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