川本三郎の「あの映画に、この鉄道」(キネマ旬報社/古書1800円)は、この著者の博識ぶりに驚かされながらも、楽しく一気に読んだ本です。よく知られているように、映画・文芸評論家であり、絶妙の散歩エッセイも書く著者は、鉄道ファンでもあります。この本では、そちら方面の知識、情報もフル稼働して、映画に出て来た鉄道を詳しく紹介してくれます。

しかも、北海道、関東、中部、関西、中国、四国、九州に区分けして書いているから驚きです。例えば、群馬県桐生市から栃木県日光市までを結ぶわたらせ渓谷鉄道。井筒和幸作品「のど自慢」、森田芳光の「僕達急行 A列車で行こう」等に登場し、最近の映画では是枝裕和「海街diary」にも使われていて、解説しています。

「父親の葬儀のために山形県の田舎町に来た三姉妹が、腹違いの妹に見送られ東京に戻る駅は、終点のひとつ手前、足尾駅でロケされている。」

と万事この調子で、映画に登場する駅のことが詳しく書かれています。凄いな、この記憶力と情報力。実際に足を運んだ場所もあるみたいです。京都も登場します。一本は山本富士子主演の「夜の河」です。

「昭和三十一年に公開されたこの映画は、何よりもまず、空襲の大きな被害を受けなかった古い京都の街並みをとらえるところに良さがある。堀川のあたりに瓦屋根の家が並ぶ。その堀川沿いに市電が走る。ポールを付けた昔ながらの市電。」

山本富士子の着物姿の色っぽさにあてられていただけの私とはちがうな〜。

もう一本は、京マチ子主演「偽れる盛装」(昭和26年)の京阪電車です。「京人形のような美女を、嫉妬に狂った男が追う。とうとう彼女は電車の踏切のところで追いつかれ、刺されてしまう。(幸い命はとりとめる) この踏切が京阪電車。地下に潜ってしまった現在、こういう場面は生まれない。」

著者はあとがきでこう書いています。

「日本映画が数多く作られた昭和二、三十年代の映画には、廃線になった数々の鉄道が、まだ現役時代の姿をよくとどめている。動く絵のなかにきちんと動態保存されている。そのことを記録に残しておきたいという気持ちも本書のモチーフになっている。」

昭和の時代が鉄道と共にあったことを記録する、資料としても一級の価値のある本です。ここに紹介される映画は、おそらく映像ソフトで観ることができます。お好きな一本を探すのも良し、文章を読んで行ってみたくなったら、ふらりと出かけるも良し。

因みにこの本は全編書き下ろしです。資料集めもさぞや大変だったと思います。

★イベントのお知らせ「宮沢賢治 愛のうた 百年の謎解き」

2019年1月18日(金)19時より、「新叛宮沢賢治 愛のうた」を出された澤口たまみさんとベーシスト石澤由男さんをお迎えしてトーク&ライブを行います。ご予約受付中(1500円)

 

長期にわたりニューヨークに滞在し、現代アート、写真のキューレションに携わっていた河内タカが、現代アートを紹介する「アートの入り口」(太田出版/古書1300円)は、気楽に読める一冊です。

著者曰く「ここに書き綴ったものは、そのほとんどがまだ朝日が昇る前の早朝の静かな時間帯を使って書いたものです」。ラジオから流れる“Take Five”にでも耳を傾けながら、気分よく現代アートの世界に入れます。

ここにも登場するジャクソン・ポロックやマーク・ロスコなどの、現代作家を書いた本には難解なものが多く、辛気くさい。その点この本は、先ず著者の住んでいたNYの雰囲気や、彼の生活を記した文章から始まります。一緒にソーホーのギャラリーを回っている感じがします。そして、徐々に作家についての紹介が始まります。

マーク・ロスコを、人の感情に深く訴えかける「カラーフィールド・ペインティング」と呼ばれる抽象絵画のスタイルの中心をなすアーティストと捉え、「油絵具を水彩のように薄く溶き、何層にも塗り重ねていくことによって生み出される深く透明感のある画面であり、その表面を凝視していると、最初に見えていた色とは異なる色彩が感じられます。海の色や夕焼けが刻一刻と動くのと同じで、それ自体がまるで生きているかのごとく、キャンパスの奥から淡い光が静かに放たれているようなのです。」

イメージが湧いてくる文章です。紹介した作家の作品や作品集が掲載されているのですが、いかんせん小さい。興味ある作家に出会えば、パソコンを立ち上げて、画像を検索されることをお薦めします。

後半、新しい流れの写真家が多く紹介されています。ポートレート写真で有名なアーヴィング・ペンでは、生前彼が「人を撮るということは手術するようなものと語っていたそうです。被写体となる人物の中に深く入っていって、その人の真の姿を切り取ることは、その行為にあたる自分にも痛みを覚えるというニュアンスで語ったのかもしれません」と彼の言葉を紹介しています。(右のヘップバーンの写真は彼の作品です)

この本で最後に紹介されるのが、ヴィヴィアン・マイヤーという写真家です。彼女については、ドキュメンタリー映画をブログで前に書いた事があります。生前は全く無名の写真家でしたが、死後、その膨大な数の作品が発見されました。写真を誰からも学ばず、ニューヨークやシカゴのストリートで、日々シャッターを押して、リアルでライブ感に溢れる写真を撮っていました。晩年、生活に困窮し、2009年に人知れず亡くなりました。著者は「この名もない一人の女性が生涯をかけてコツコツ撮り続けた、これほど凄みのある写真を見ることができる奇跡に、ぼくは感謝したい気持ちでいっぱいです。」という文章で結んでいます。蛇足ながら、この映画を観たのは、2015年12月7日でした。3年ぶりに彼女のことを書く事になりました。

多くの現代アートの作家や、写真家を網羅した本書から、お好みの作家を見つけ出してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

★イベントのお知らせ「宮沢賢治 愛のうた 百年の謎解き」

2019年1月18日(金)19時より、「新叛宮沢賢治 愛のうた」を出された澤口たまみさんとベーシスト石澤由男さんをお迎えしてトーク&ライブを行います。ご予約受付中(1500円)

 

 

 

 

「70パーセントの青空」は、1988年秋から1989年春にかけて、「月刊カドカワ」に連載されたものに加筆修正した安西水丸の長編小説デビュー作です。

「一九六四年十月、東京は第十八回オリンピックでわきたっていた。昨日、マラソンで、エチオピアのアベベ・ビキラが優勝した。」

主人公は美大を卒業して、大手広告代理店の下請け会社に入社した若い男です。彼が広告代理業界で、様々な人達と出会い変化してゆく姿を追いかけていきます。ここには等身大の著者がいます。物語では、主人公は二人の女性と出会います。割烹で働く古風なヤエ子と、同じ広告代理店で働く現代的な文里です。9ページにヤエ子の、68ページに文里のイラストが挿入されていますが、その絵が二人の女性の内面まで語っています。

「時雨がいった。プラタナスの色づいた紀尾井坂を上がり、上智大学の土手に出た。土手下のグラウンドの土が雨でコーヒー色になっている。身体が冷えて感じたのは雨に濡れたせいではなかった。時雨のいったあと、つめたい風が吹きはじめた。」

都会小説には、なくてはならない上手い情景描写です。かといって、ただスケッチとおざなりの恋愛事件だけで作り上げられた小説ではありません。苦々しい青春の一時を切り取った物語です。

「ぼくは射精した。ヤエ子の腰あたりから、精液は内股をつたって流れた。ぼくはヤエ子の背にかぶさるようにして立っていた。吐く息で、ヤエ子のうなじのほつれ毛がゆれた。」

生々しい性描写を交えながら、空虚さに引きずられる日々が続いていきます。小さな広告代理店に入社したはずが、親会社に出向することになり、実力派のデザイナーたちに揉まれながら、彼は日に日に実績を積み上げていきます。輝ける日々の始まりのはずなんですが、満たされないまま、きらびやかな広告業界の中で立往生してしまいます。

そして、「どこか知らない国に、自分の若い日の時間が持ちたい」という思いに目覚め、会社を辞め、ニューヨークに向かうことを決心します。ラストは新天地に向かう飛行機の中です。

「空は青かった。さわやかな秋の午後の青空だった。この青は、100%の青ではないな。ぼくの仕事の時に使うカラー・チャートをおもった。何パーセントの青だろう。しばらく考えた。

70パーセントの青だと思った。70パーセントの青空。それは完全な青になにかが不足している。今までの自分にそれを重ねた。70パーセントの青空。それはぼく自身だったかもしれない。」

安西自身の青春の記録はこうして幕を閉じます。(2300円/古書・絶版・初版・帯付き)眩しい青空が心に残るエンディングです。

 

 

 

★イベントのお知らせ「宮沢賢治 愛のうた 百年の謎解き」

2019年1月18日(金)19時より、「新叛宮沢賢治 愛のうた」を出された澤口たまみさんとベーシスト石澤由男さんをお迎えしてトーク&ライブを行います。ご予約受付中(1500円)

少し前のブログに梯久美子の「原民喜死と愛と孤独の肖像」(岩波新書/売切れ)のことを書きました。今回は同じ著者の「愛の顛末」(中公文庫/500円)です。サブタイトルに「恋と死と文学と」とあります。三角関係、夫婦の葛藤、ストーカー、死の床で語られる愛など、もう韓流ドラマ好みの話題満載なのですが、ここに登場する文学者の本を、思わず読んでみたくなるところが著者の力量です。

小林多喜二、近松秋江、三浦綾子、中島敦、原民喜、鈴木しづ子、梶井基次郎、中城ふみ子、寺田寅彦、八木重吉、宮柊二、吉野せい、という12名が登場します。どの人も「激し過ぎる」人生なのですが、だからこそ、彼らが永遠に輝くのかもしれません。そんな中から私の知らなかった作家を紹介します。

戦後を代表する歌人の一人宮柊二は、1912年新潟に生まれ、1939年徴兵されて、日中戦争ど真ん中の中国山西省に送られます。その時詠んだのが、

「うつそみの骨身を打ちて雨寒しこの世にし遇ふ最後の雨か」です。

「うつそみ」は現世を生きている自分のこと。戦闘にのぞむ兵士の死の覚悟を詠っています。敵陣深く侵攻する日々の中で、内地にいる最愛の女性、英子に多くの手紙を送ります。「ここは山西省の一寒村であり、この前には日本の部隊は居りません。殆ど想像のつかない少人数が、ここを死守して作戦の十字を掴んで居ります。」

激しい戦闘が日々繰り返される最前線から送られてくる手紙には、時を越えて、個人の真摯な思いが溢れています。その激戦を耐えぬき、故国に戻った彼は英子と結婚し、子どもが生まれ、職も得て再スタートします。1945年再び召集されて、戦地に赴くことになりますが、敗戦が決まり、家族の元に戻ります。戦後は短歌界を牽引します。晩年の歌にこんなものがあります。

「中国に兵なりし日の五カ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」

1986年、74歳でこの世を去りました。

この本に登場する文学者たちが背負っていたものは、戦争であり、貧乏であり、病いでした。重圧に耐えながら、命を削った果てに残ったのが、彼らの作品でした。

戦中から戦後にかけて古い因習、価値観に抗い、恋に生きることを選んだ、中城ふみ子という歌人がいました。19歳で親に決められた結婚をし、3人の子の母となり、文学も諦め、そして離婚。31歳で乳がんで亡くなるのですが、人とは違った生き方を貫く女性に世間は冷たく、母となった女に自由な恋愛などできなかった時代に、死を前にして彼女は抗い続けました。

「内部のこえに忠実であらうとするあまり、世の常の母らしくなかった母が子らへの弁解かも知れないが、臆病に守られる平穏よりも火中に入って傷を負ふ生き方を選んだ母が間違ひであったとも不幸であったとも言へないと思ふ」

と生前出された歌集「乳房喪失」のあとがきに書いています。

この文庫の解説で、永田和宏は「もう一度、これらの作家を読み直してみたいと思わせてくれる一冊であった」と書いていますが、その言葉通りのノンフィクションです。

 

 

石田千の「店じまい」(白水社/古書800円)は好きな本で、前にもご紹介しましたが、また手に取って読んでしまいまいした。帯の言葉を借りていうと「あなたの町にもきっとあった、あの店この店・・・・その不在の光景の数々」を描いたエッセイです。

昔馴染みの店の閉店の話って、ちょっと感傷的になるものです。私が閉店を経験した時も、店側の人間はわりとクールで事務的になってゆくのですが、お客様サイドはやはり違っていたようでした。石田の文章は、哀愁をにじませながらもどこか醒めた部分があり、しかも瑞々しい感性で語られて、とても気持ちよく読めます。彼女の好きなお店は例えばこんな感じ。どんな町にでもあるような蕎麦屋さんで、

「水が来て注文をして、テレビに飽きぬうち。新聞なら三面記事と黒枠、天気予報と週刊誌の広告をながめたころ。おまちどおさま。それまでの心づもりと空腹の間あいは、からだで覚えていて、整えられる店のおくの湯気のむこう、あかい顔をしてゆでているおじさんや、三角巾をきっちりむすんだおばさんが、あわてずせかさず、長年のいつもどおりを守っているおかげで、気どりなくいられる。食べたいものを、食べたい速さでたいらげる。」

こんな居心地のいい店って、誰も何軒かお持ちのはず。それが、ある日行ってみると閉店している、という経験もされているでしょう。その店が存在した時の街の情景を背景にして、店の人と交わった一瞬を書き留めています。石田は、古風なセンスの優れた下町エッセイを何点か書いていますが、この本がベストではないでしょうか。

馴染みの豆腐屋が閉店していた時。

「暮れに来たときは、あぶらあげ二枚買った。半年後、店をたたんでいた。ひとの死を知ったときのようにざわついて、部屋のなかで、立ったりすわったりしている。すぐそばにあった景色が、腰まわりからはなれていかない。」

店は変わり、街も変わり、そこに何があったのか誰も忘れている、というのが現実ですが、心のどこかに様々な思いと郷愁と共に残っている店ってありますよね。この本を読みながら、そういえば、あの店…..って思い出したりしました。

 

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「二歳になるころ、ぼくの耳が聞こえないことがわかった。先天性の感音性難聴という診断だった。」で始まる齊藤陽道著「声めぐり」(晶文社/新刊1998円)は、障害者プロレスラーから、写真家へと転身した男が、聞こえない声とどう向き合い、自分の世界を取り戻していったかを綴った本です。

彼の病気は、内耳や聴神経などの音を感じる『感音器』の障害によっておこる難聴で、音がひずんで聞こえる、音の聞こえる範囲が狭いといった特徴があります。病気を認知した頃から、彼は補聴器を付け、正確な発音練習に明け暮れます。自分はきちんと声を出しているのか、変な声じゃないだろうかとビクビクした日々を送ることになります。相手の言う事が理解できなくても、分かったような返事と表情をするのが小学校時代だったと振り返っています。それは中学時代も同じで、「深まってゆく孤独をまた頑張って抑えていったら、きっと近いうちに、自死するか、残酷な形で人を傷つける未来しか思い描けなかった」という日々でした。

しかし、都立石神井ろう学校に入学し、手話に出会ったころから人生が変わり始めます。手話が自分の気持ちに結びついた道具として話せることを知でり、自分の声を取り戻していきます。

「朝起きてまず思うことは、『今日も話ができる!』だった。ごはんもそこそこに、制服に着替えてすぐ家を出て、自転車で学校へと向かう。」

けれど、人生はそんなに簡単にいかない。アルバイト先で「つんぼ」という差別用語をぶつけられたり、様々な場面で自分の存在を否定されたりする場に出くわします。罵声を浴びても、自分のことを見てくれていたという錯綜した思いをこう書いています。

「悪意のことばすら、まず自分を見てくれているという、いびつにねじくれた喜びとして感じてしまった。出てゆく先のない怒りは、鬱積し、よりどす黒く醜い色に染まりながら腐ってゆく」

そんな齊藤の前に、「無敵のハンディキャップ」という本が現れます。著者の北島行徳が代表を務める障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の誕生から、試合、参加するレスラーの事を書いたノンフィクションです。齊藤は、この本にのめり込み、何度も、何度も読み返します。

「障害に負けず、健気に生きているという健常者にとっての都合のよいステレオタイプな『障害者」はどこにもいなかった。どの人物も血肉ある者として描かれていて、みんなが不器用に生きる『人間』だった。」

試合をみたあげく、「ドッグレッグス」に入門し、プロレスラーとしてリングに上がります。その後、リングでの体験を元に、写真家として生きていくのですが、波瀾と思いの深さに満ちた彼の物語を、このブログでは語りきれません。

本書は、障害者なのにここまでやっています、というような感動ものでもなく、自伝でもありません。齊藤は「声めぐりの旅へ踏み出す一歩を支えてくれた現象」を語ったものだと書いています。聴こえないからこそ、コミュニケーションをより深く真剣に考え、模索していった人生の記録です。

 

写真家の平野太呂が、憧れの先輩36人に会いにゆき、自然光で撮影されたご本人と仕事現場の写真を元に、人となりを紹介するフォト・エッセイ「ボクと先輩」(晶文社/古書1150円)は、ほのぼのとした本です。

登場する先輩が凄い!安西水丸、高橋悠治、大林宣彦、ピーター・バラカン、なぎら健壱、水木しげる、立花ハジメ、平野甲賀、小西康陽等々、様々なジャンルで活躍する達人ばかりです。

先輩たちの素敵な表情を捉えた写真が美しい。安西水丸の微笑み、ざっくばらんなおっちゃんという雰囲気の建築家阿部勤、自転車ビルダー渡辺捷治の頑固そうな職人顔と、彼が作り上げた自転車、昔の映写機を持って楽しそうな映画監督大林宣彦、FMラジオのDJブース内のクールなピーター・バラカン、バット片手にグラウンドの彼方を見つめる野球解説者篠塚和典など、この人達の顔を見ているだけで、こちらの気持ちも明るくなります。

最初に登場する「テーラー大塚」の店主、大塚忠雄氏など、全く知らない方もいます。1945年生まれ。祖父母の代から続く、浅草橋のカスタムオーダーの洋服店のオーナーです。白髪とベレー帽姿が、カッコいい!おしゃれな紳士です。「タンゲくん」等でお馴染みの絵本作家、片山健のアトリエも撮影されています。こんなアトリエで絵本を作っていたのか・・・。絵本作家は「笑ってくださいとか、絵を描いてくださいとか絶対言わないでくれって取材のときはお願いするんだけど、なんか今日はそんな感じじゃなさそうだからよかった!」と発言しています。平野太呂という写真家の人間性は、他人をホッとさせる何かを持っているみたいですね。ここに登場する人達の表情を見ていると、そう思います。

おぉ〜、やはり只者ではなかったのが桑原茂一です。1975年、小林克也と組んで「スネークマンショー」を結成して、音楽シーンに旋風を巻き起こした人物です。その後もラジオ等で活躍しています。彼はこんなラジオ番組のデモを聞かせます。

「国民のみなさん、わが国は先ほど正式な手続きをもって、戦争を行うことになりました。しかし、ご安心ください。相手がどこの国か、いかなる戦争か、すべての国民のみなさんに分からぬように進めていく次第でございます。勝敗に関しても分からぬように処理させていただきます。戦争に怯えることなく、ふだんと変わらぬよう処理させていただきます。戦争に怯えることなく、ふだんと変わらぬ日常をお過ごしいただければと考える所存です。」

凄いラジオ番組!と驚いていたら、オクラ入りとか……..。このギャグ、笑いながら、ほんまにありうる話で冷や汗が出ます。

さて、最後を飾るのは、装丁家として有名な平野甲賀。彼の作り出す独特の文字は、本好きな方よくご存知のはずです。一時、カウンターカルチャーの書籍発行に力を注いだ晶文社の本の装幀を一手に引き受けたブックデザイナーです。76歳になって、東京から生活の場を小豆島に移しました。和室に置かれた大きな古い机、障子の向こうからさして込んでくる日光、木箱を組み合わせたような本棚。落ちついたいい仕事場です。

「そろそろ春がやってきそうな3月の上旬、4歳の娘と『帰省』した。」帰省……?つまり、平野太呂は平野甲賀の息子なのです。単行本になることが決まったら、題字を頼むとの息子の要望通り、本の題字は大先輩である父親でした。

 

 

誠光社店主、堀部篤史さんの「90年代のこと」(夏葉社/1728円)が出ました。サブタイトルに「僕の修行時代」と書かれています。

「昔は良かったなどと言うつもりはないが、もうこれ以上いらないと強く思う。」これ以上リッチなもの、便利なもの、美味しいものはいらない。「せめて本当に必要なものを取捨選択できるぐらいは覚めていたい。そのためにはかつてわれわれに何がなく、代わりに何があったかを思い出す必要がある。」というのが、この本の出発点です。

1994年、高校生だった彼の愛読書は「ガロ」でした。仲間たちは、「週間少年ジャンプ」などの週間漫画雑誌に夢中でしたが、彼は「人と違うものを選ぶことで、かれらとははっきりと違う自分の立ち位置を確保しようと必死だった。」のです。そして、「ガロ」を始め、オルタナティブなアイテムを探しもとめ、あちらの本屋、こちらの本屋とかけずり回ります。辿り着いたのが「三月書房」。そこで「ガロ」を起点に、知らない作家や未知の作品へと触手を広げていきます。本だけでなく、音楽、映画、アートの世界へと無限に広がってゆく世界を見つけるのです。

「過去に触れてきたものがある時点でつながり、違った見え方をする。無関係だったもの同士がジャンルを越えてつながる。音楽を聴き、映画を観続けていると必ずそんな瞬間が訪れる。」

膨大な量のレコードを聴き、古本を買いあさり、映画館に足しげく通うことで、自らの思想を作り上げてゆく。インターネットなど皆無だった頃、すべての評価が検索一発で瞬時に目前に並ぶ時代ではありません。駄作、見込み外れ、失敗作を浴びることで自分なりの批評精神が磨かれてゆく。B級、C級の映画を見続けて、私も私なりの修行時代を通過したように思います。

誠光社には、よく行きます。堀部さんとは、本よりも音楽の話で盛り上がる事が多いです。本著にもアメリカのロックバンド、ソニックユースとダイナソーJrに夢中だったことが書かれていますが、80年代これらのバンドが出てきた時、私自身、パンク少年、ニューウェーブ少女たちの溜まり場みたいな、京都でも過激で、新しい音楽を扱っていたレコード店の店長をしていました。部下たちは、彼らの音楽を絶賛していましたが、しかしながら、私はダメでした。はきそうになるぐらい聴き続け、バックグラウンドや、音楽状況の情報を探しだしましたが、どうしても受け入れることは無理でした。そして、新しい音楽には新しい店長を、とバトンタッチしました。

この時に、流行の音楽、映像、文学、アートを無視して、自分で選んだものを観て、読んで、聴いたことは大きな経験でした。インターネットなんてまだまだ先の話、という時代、自分なりのアメリカンカルチャーの文脈を組立てる作業は楽しかった堀部さんも書いています。「検索型の世界は時に文脈を崩壊させる。背景のない検索結果がでたらめな組み合わせを産み、意味は剥奪され、表層だけがコピーされ続けてゆく」

最終章「1996年、本屋は僕の学校だった」で、元の職場である恵文社に、POSシステムが導入された時のことに触れています。「出版社、取次、書店の三者が無駄を減らし利益をあげられるシステムだというが、そこには『読者』のことは勘定に入っていない。効率の代わりに犠牲となるのは多様性だ。読者の傾向や層を数値化しすることによって、最大公約数を求める店舗を平均化していくことが目に見えるようだった。」

私も同じようなことを十数年前に、取次ぎのエライさんや、経営陣に向かって発言したことがあります。その場の嘲笑的な雰囲気が今も忘れられません。でも、この本を読んで、あの時の考えは間違いではなかったんだ、と力づけられました。

堀部さんが、90年代に、観て、聴いて、読んだ膨大な量の情報の一部を再生しながら、あの時代の雰囲気を見つめ、今の時代に欠けているものを明らかにしてゆく作業をまとめた本であり、その思想が、誠光社の書架に生きていることがわかります。そして私にとっては、過去のある時代の情景が目前に現れてきた刺激的な本でもありました。

 

 

 

 

エチオピアの農村や中東で、フィールドワークを続けてきた文化人類学者松村圭一郎が、その活動を通して、世界を、私たち日本人を、見つめ直した「うしろめたさの人類学」(ミシマ社/新刊1836円)は、新しい発見が沢山ある素敵な本です。

目次には「経済ー『商品』と『贈り物』を分けるもの」とか、「関係ー『社会』をつくりだす」、「国家ー国境で囲まれた場所と『わたし』の身体」等々、難しそうなタイトルが並んでいますが、最後まで読めるかな〜?などの心配は無用です。

「できれば人類学とは無縁の人に自分の言葉で届けたいという思いでここまで書いてきた。願わくは、紡いできた言葉が学問の垣根を越えた越境的な贈り物となることを祈りつつ」と最後に書かれている通り、もう、めちゃくちゃ日常の事柄を例を引っ張ってくるので、成る程、成る程と読み進むことができます。

まず彼が足しげく通ったエチオピアの様々な現場から、新しい考え方を模索していきます。例えば、この国では、みんな平気で物乞いにお金を渡します。

「物乞いに抵抗なくお金を与えているエチオピア人の姿を見て、なぜ自分はお金を与えることに躊躇するのだろう、と問うことができる。他者の振る舞いから、自分自身がとらわれた『きまり』の奇妙さに気づくことができる。人の振りみて、我が身を疑う。これが人類学のセンスだ。」

良い言葉ですね、「人類学のセンス」って。遠い所にあった人類学という学問がぐぐぐっと近づいてきます。

人類学のフィールドワークでは、当然その地の人と深い関係性を持ちます。様々な状況で、色々な感情、行動を体験します。そんなフィールドに馴染んだ身体は、フィールドから、ホームに戻ってくると、あれ、なんか違うなぁ〜というずれを経験します。「自分の居場所と調査地を往復するなかで生じる『ずれ』や『違和感』を手がかりに思考を進める。それは、ぼくらがあたりまえに過ごしてきた現実が、ある特殊なあり方で構築されている可能性に気づかせてくれる。」

私たちがいきる社会を構築しているものは何なのか、その延長にある国とは何なのかと、答えを求めていきます。格差は深く進行し、膨大な情報の洪水の中に溺れ、人とのつながりが遮断され、出口の見えない孤独に苦しむ。しかし、表向きは、街がピカピカに美化され、格差なんてどこにも存在しないような顔をしているのが、今の日本だとすると、「ホームレスも、障がい者も、精神を病む人も姿を消した街は、どんなにきれいに開発されても、ずっと生きづらい。バランスの崩れた場所になっているはずだ。格差を突きつけられる機会が失われているのだから。表向きの『美しさ』は、その裏で不均衡を歯止めなく増殖させてしまう。」ことになります。

震災の映像を見て、何もしない自分のうしろめたさを感じ、義援金を送った人も多いはず。著者は言います。

「知らないうちに目を背け、いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに自覚的になること。そして、ぼくらのなかの『うしろめたさ』を起動しやすい状態にすること。人との格差に対してわきあがる『うしろめたさ』という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる。」

うしろめたさを起動することで、現実を見直し公平さへの希求が持ち上がるのだという事を、多くの体験を通じて、私たちに語ってくれます。本書は、今年度の「毎日出版文化賞特別賞」を受賞しました。

 

 

 

 

 

池澤夏樹が、沖縄のボーダーインク社から出版した「沖縄への短い帰還」(古書/1600円)は、沖縄について書いたエッセイ、書評、インタビュー、講演などをまとめた一冊です。著者は、1994年から10年間沖縄に住んでいました。都会である那覇から、田舎の知念へ引越もしています。

戦争末期、軍部は時間稼ぎに沖縄を戦場にし、20万以上の民間人が犠牲になりました。戦後はアメリカによって好き放題使われていることは、皆さんご存知のことです。日本は沖縄をいいように扱ってきました。著者は、そんな現状への鋭い意見を発表しています。しかし、この本はそういう面だけでなく、様々な顔を持つ沖縄を紹介しています。

彼が移住を決心したのは、「東京という大都会が提供してくれるさまざまな魅力が色あせて見えるようになったからだった。もうあの喧噪はいらない。」でした。「感動的においしいものはなくても、まずくないものが手に入ればいい。沖縄ならばそういう食生活になりそう。」

ここから、地元の食材の話が展開されていきます。そして、当然、泡盛の話題になっていきます。「酔うために飲んで、気持ちよく喉を通り、素直な酩酊に入れる。翌日はすっきり目が覚める、という意味では、泡盛はよい酒である。」

沖縄ぐらしのエッセイの後に、沖縄についての本の書評が集めてあります。本土の出版社から出たものもありますが、沖縄の出版社の本が多いです。その中で、宮城文著「八重山生活誌」(沖縄タイムス社)に驚きました。

「一人の女性が自分が経てきた時代の生活文化すべて書き記そうと決意した。九年あまりかけて知るところを書き、不明な点は調査を重ね、ついにA5判で六百ページの大著を完成した。検索項目だけで二千を越える綿密な生活誌である」この本が完成した時、著者はなんと数え年で81歳でした。

続く第三章は、著者が受けた沖縄に関するインタビューがまとめてあります。1995年、地元雑誌の載ったインタビュー記事を少し長いですが紹介しておきます。

「地方にもっと強い力をというのは、言ってみれば『強い国」』か『幸せな国』かの選択なんだな。『強い国』が欲しいのであれば、みんな中央のことをきくというのがいい。日本の会社が軍隊をまねて人を使うのと一緒でしょ。一糸乱れず行進する兵隊が強いんですよ。だけど『幸せな国』ってのはそうじゃない。みんなしたいことして、ばらばらで、しかもなんとなくまとまっているというふうが幸せなんですよ。やっぱり日本というのは、明治以来の西洋コンプレックスがあってどうしても『弱い国』にはなりたくないんだ。力の神話にすがっている。ぼくなんか『弱いけれど幸せな国』の方がいいんだけれど………。琉球はかつて『弱いけれど幸せな国』を実現していたから、そこへ返りたいという思いも強い。」

あるべき国の姿をこの地に求めた愛情と、ここを見捨てた日本という国への辛辣な意見が交差する一冊です。