2020年10月、日本の誇る作曲家筒美京平が80年の生涯を閉じました。普段音楽を聞かない人でも、この人の曲に接したことのない人はいないと思います。いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」などカラオケで歌った方も多いのでは。シングル総売上7560万枚!前人未到の記録です。その中には「サザエさん」の主題曲も入っています。

筒美とも交流のあった音楽家、近田春夫が迫る「筒美京平大ヒットメーカーの秘密」(文春新書/古書600円)は、この作曲家の大きさを再認識するにはピッタリの一冊です。

本書はエディターの下井草秀が、1966年から2020年までの筒美の活躍を近田と語り合うという構成を取っていて、とても読みやすい。

尾崎紀世彦「また逢う日まで」は、グループ・サウンズ全盛期にいたズーニーブーがリリースした「ひとりの悲しみ」の歌詞(作曲は筒美)を書き直して大ヒットしたなんて知りませんでした。

筒美の快進撃は、昭和四十六年にデヴューした南沙織の「17歳」と、その翌年の郷ひろみ「男の子女の子」からスタートし、やがて、アイドル歌謡曲の王者へと登りつめていきます。

「京平さんの楽曲は、基本的にゼロから生まれるものではなく、何かにインスパイアされるところから始まることが多い。70年代の外国の楽曲には、換骨奪胎して歌謡曲に置き換えたくなるような魅力的な作品がいっぱいあったんだよ。」

と近田が語るように、筒美は多くの外国の曲を学び、取り込んでいきます。そして70年代に勃興してきたニュー・ミュージックやフォークを見ながら、「木綿のハンカチーフ」のような新しい楽曲を作り出します。桑名正博「セクシャルバイオレットNo1」というロック寄りの曲まで作曲しているのです。

本書後半に、興味深い対談が三つ掲載されています。一つ目は筒美の実弟で音楽プロデューサーの渡部忠孝と。次はブルーコメッツの「ブルーシャドウ」やザ・タイガースの「モナリザの微笑み」の作詞家で、「ブルーライト・ヨコハマ」で筒美と組んだ橋本淳。そして、「真夏の出来事」の大ヒットで知られる歌手平山みき。いや〜どれも現場を知る人の対談だけに、とても面白い!あの当時の音楽業界の雰囲気が伝わってきます。

実弟の渡部忠孝との対談で、興味ある話がありました。渡辺家で二人がまだ幼かった頃の話です。

「僕(忠孝)が歌舞伎好きだったのに対して、兄は宝塚が好きでした。歌舞伎に行くのは祖母と一緒で、宝塚に行くのは母と一緒。兄は宝塚となると目を輝かせながら舞台を見つめてましたね。やっぱり、歌舞伎と違って宝塚は西洋の音楽を使ってるからかな。」

こんな本を読んでいると、筒美サウンドをまた聴きたくなってきます!

⭐️本の紹介をZOOMにてさせたいただく「フライデーブックナイト」。次回は9月17日(金)です。

⭐️北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。

10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約

 

 

 

生態学者ってどんなお仕事?本書の著者伊勢武史は、こう答えています。

「特定の生きものではなく、多くの生きものにとって普遍性な法則を探すこと、生きものの『機能』に着目し、多くの機能がからみ合って動いている自然界の成り立ちを考えることである。」

何十時間もかけてゆっくりと変化してゆく森林生態系を、研究対象にしている著者の研究は時間のかかるものなのです。「生態学者の目のツケドコロ」(ペレ出版/古書1200円)は、著者が、生態学を学ぶ過程で身につけた知識や経験をもとに、目前で起こっている事象を説明してゆく、人間も含めた生き物と環境の関係を一歩引いたところから見つめるものです。だから、生態学の歴史やら、理論やら教科書的な部分は全くありません。

「そもそも生物に『よい生物』や『わるい生物』なんてないと僕は思う。人間がある目的のために自然を利用してやろうと考えるときに、その人にとって『役立つ生物』『役立たない生物』はいるかもしれないけど、根本的に生物の存在そのものに善悪なんてない。いま日本で猛威を振るっている外来生物にもふるさとがあり、そのふるさとで生活するぶんには誰からも批判されたりしない。ところが人間がその植物を日本に持ち込んでしまったため、『悪者』として駆除の対象になってしまったのである。」

こんな風に著者は、「人と自然の関係って何だろう」という哲学的ともいえる命題に向かっていきます。「レジ袋有料化は環境にいいの?」「コロナウイルスとの向き合い方」「里山ってなに?」という科学者らしい話題の一方で、「琳派の描く植物」やら「京都のおもしろさ」といったトピックスもあります。肩の凝らない、それでいてしっかりした考えが身につく本です。

「生物学者である僕は、倫理的に何が正しいか言う立場にはない。言いたいのはただ、環境が人を変えるということ。環境に合った思考と行動ができる者たちが繁栄する。そして人間も、生物としてそのような柔軟性を持っているのだと思う。」

生態学的な視点を持つメリットを教えてくれます。

 

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文化人類学者の今福龍太。宮沢賢治の未完の草稿にスポットを当てて、新しい賢治像を模索した「宮沢賢治デクノボーの叡智」(新潮選書/古書1000円)が店にあって、読みたいと思いつつ約400ページの分厚さに尻込みしているところです。

一方、昆虫を追い求めた著者の少年時代を振り返った「ぼくの昆虫学の先生たちへ」(筑摩書房/新刊1870円)は、読みやすい一冊でした。著者が尊敬する昆虫学の先生たちへの架空の書簡を通して描いているところが面白い。

登場する先生は、アンリ・ファーブル、ダーウィン、ヘルマン・ヘッセ、北杜夫、手塚治虫、ウラジミール・ナバコフ、安部公房、などの十四人です。学者だけではなく、文学者や漫画家が入っていますが、皆さん昆虫に深く関係しているのです。

そして著者が注目しているのは、彼らが、近代科学の機械論的な世界観に疑問を抱いているということ。実証的データを基本に、全ての自然科学現象のメカニズムを完全に解明できるという考え方に疑問を持っていた人々だということです。

「科学的理性だけでは説明できない領域が世界には存在することをいちはやく語ろうとしました。だからこそ、そこでは文学と科学との、芸術と自然科学との豊かな交差が必要だったのです。だれよりも、『昆虫記』の執筆に生涯を捧げた博物学者アンリ・ファーブル自身が、南フランスで消えかかるオック語の復興運動に深く関わったオック語詩人でもありました。」

本書は、昆虫少年だった著者の昆虫への深い愛情を告白したものではなく、昆虫を通して、自然を、文学を、そして世界を理解するに至った日々を、架空書簡に託して表現したものだと思います。

なるほど、そういう解釈か!と唸ったのは、安部公房の「砂の女」でした。なぜ、主人公が砂嵐の中に埋もれたような村へ向かったのかというと、作者は、主人公が砂地に棲む珍しい昆虫を求めて砂丘地帯を訪れるという設定にしました。趣味的な昆虫採集のために失踪したことについて著者はこう書いています。

「男の失踪のきっかけが、想像力をたくましくさせる物語を生むであろう、都会からの逃亡とか、心中とか、誘拐とかではなく、たんなる趣味的な昆虫採集のためだったという拍子抜けするような設定をあえて選ぶことで、先生はこの小説に俗っぽい心理学的解釈が入り込む余地をあらかじめ消し去ったのです。そんな通俗心理の空白地帯に広がる、より不条理な精神の荒野に近づくために選ばれたのが、それじたいいかなる心の産物でもない、無機的な砂であり、人間ならざる昆虫でした。」

昆虫好きな人にも、昆虫なんて見るのも触るのも嫌いという人にも、お勧めしたい一冊です。

最近の高橋源一郎の著作は、小説を除いてほぼ読んでいて、ブログでも取り上げています。「高橋源一郎」と検索すると何点か出てきます。一方の辻信一も、スローライフ提唱の時から読んでいますが、最近では田中優子との共著「降りる思想」をブログに書きました。どちらも私がとても信頼している人です。

「『あいだ』の思想」(大月書店/新刊1760円)は、「あいだ」という非西欧的概念から生み出される思想をもとに、どのようにしてこれからの複雑な時代を見て、行動してゆくのかを、二人の対話を通して読ませる刺激的な一冊です。いゃ、本当に刺激的です。眠っていた脳細胞を総動員して、二人の深い知性のやりとりを楽しみました。

しかし、この哲学的な対話を紹介するのは、極めて難しい。下手に引用すれば、そのまま丸ごと本の中身を書き写すことになってしまいそうです。だから、読んでください!で、このブログは終了です。

まぁでも、それではなんなので、膨大な数の付箋を貼り付けた中から、こんな文章を紹介します。

「本書が『あいだ』という、一見あまりにも日常的でありきたりの日本語に秘められた豊かな可能性に、読者が思い当たるきっかけとなればうれしい。それは、和辻哲郎が『風土』で論じ、木村敏が『あいだ』や『人と人の間』で論じ、オギュスタン・ベルグが『風土の日本』で論じてきた哲学的テーマだ。それは、人間、時間、世間、仲間、中間、居間、間柄、間合い、そして間というキーワードの中にも生きている。『あいだ』という概念の汎用性、その広さと深さ、そして豊かさにはほとんど限りがないと思えるほどだ。」

様々な「間」を巡り、二人の知識と見識が披露され、分断化し孤立化してゆくこの世界をどのようにつなげてゆくかが検証されています。

「『あいだ』で読み解くコロナの時代」で、辻は、国民の中にある「わからない」ことへに苛立ちが危険水域に近づいていると警告しています。

「コロナ禍で統計学的な言語が支配的になる中で、すでに縮減していた『わからない』ことへの忍耐力がさらに急速に縮小していった。だから、どういう政治家や専門家が人気があるかというと、単純に言い切る人、昨日言ったことと、今日言ったことが変わっていてもいいから(笑)、きっぱりとそのばでわかったように断言する政治家や専門家に人気が集まります。わかりやすさの水位が、もう十分危険水に達しているみたいです。」

ほらほら、何人かそんな人たちの顔が浮かんできますね。「わからない」ということと「わかる」ということの「あいだ」から、コロナに覆われた私たちの今生きてる世界が見えてきます。

過去、何度かこの二人の本は、私の拙い言葉で紹介してきましたが、おかげさまで全て販売しました。熱意が伝わったのか、あるいは二人を支持するお客様が多くおられたのか、それはわかりませんが……..。

 

待賢ブックセンター「処暑の古書市」を開催中です。9/5(日)までです。勝手ながら、8/29日(日)は臨時休業させていただきます。 

 

●北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約

 

 

2019年、長年活動の場としていたアフガニスタンのジャララバードで武装集団に襲撃されて、亡くなった中村哲の「希望の一滴」(西日本新聞社/古書1300円)は、日本が先の大戦で敗北した日に読みたい一冊です。

医者としてアフガニスタンの僻地医療に携わっていた中村は、2000年の凄まじい干ばつで、自給自足の農業に従事していた人々が飢饉で難民になる危険性が極めて高くなり、地元民と協力して灌漑事業に着手しました。

この本は、1600本にも及ぶ井戸を掘り、用水路を建設し、砂漠化した大地に緑が戻るまでの記録です。どれほどの困難と苦闘を乗り越えてきたか、想像を絶するものがあります。何よりも良いのは、数多く収録されている写真です。著者と共に、灌漑工事に携わる住民たちの表情が、とても心に染み込んできます。彼らが田植えをしている写真を見ていると、平和であること、自分たちの土地が豊かなものになったことが、これほど人々の顔を明るくするのだということがよく分かります。

「自然は決して過剰な要求をしない。『過酷な自然』とは、人間側が欲望の分だけ言うのであって、自然を意のままに操作しようとする昨今の風潮は思いあがりである。インダス川の支流、クナール川は簡単に制御できるものではない。殊に取水口の建設は、人為と自然の危うい接点であり、『少しばかりお恵みください』という姿勢がなければとても成功するものではなかった。」

今年の大雨で発生した各地の災害の様子を見て、この文章が浮かんできました。

中村哲がやろうとしてきたこと、やってきたことが一杯詰まっているのですが、読んでいて、全く難しくないのは、彼の人間性と知性によると思います。多くのアフガニスタン民衆に愛されたのも、当然だと思いました。彼が亡くなった時、前総理の全く気持ちのこもっていない記者会見を見て、あの政治家には優しさのかけらもないのだと落胆しました。

「国益だ、正義の戦争だ軍隊の増派だのと、騒がしい世界とは無縁なところに平和に生きる道が備わってあるのだ。私たちもまた必死だ。世界で何が起きようと、ひたすらシャベルを振るい、水を送って耕し、その日を無事に過ごせたことに感謝する。」

こんな言葉こそ、敗戦の日には相応しいと思います。困難な地での、過酷な仕事の物語ながら、なぜか心休まる不思議な本でもあります。

アフガニスタン政権交代で、著者の残した仕事がこれからどうなってゆくのか心配です。

 

●8/25(水)〜9/5(日)待賢ブックセンター主催「処暑の古本市」開催します。

なお、勝手ながら29日(日)は臨時休業させていただきます。

 

●私が出演するZOOMミーティング「フライデーブックナイト」の第1回が、今月20日に決定しました。ご興味のある方は下記アドレスまで

https://ccacademy.stores.jp/items/60fd4e1bbc1e6422b5501a4b

 

 

 

信頼している評論家の川本三郎著「東京は遠かった 改めて読む松本清張」(毎日新聞社/古書1350円)で、松本清張の存在の大きさを改めて確認しました。

松本清張ってTVの2時間推理ドラマの原作者ね、ぐらいの感覚の人もいるかもしれません。私にとっては、「砂の器」「張り込み」「ゼロの焦点」「黒い画集」などの日本映画の傑作群の原作者という認識でした。だから、今更古びた社会派推理の本なんてなぁ〜という気分でした。おそらく川本三郎が著者でなかったら読まなかったと思います。

「格差社会と言われてすでに久しい。一億総中産階級と言われた1980年代のバブル経済期に誰が、その先に格差社会が来ると想像しただろう。しかし、いま、松本清張の初期の作品を読むと、日本の社会は、いまもむかしもそれほど変わっていないのではないかと思ってしまう。」

著者は、松本の長編・短編を一作品づつ取り上げ、小説に描かれる中央と地方の格差、閉鎖的な社会の中で転落してゆく男と女の悲劇を解説しています。

長編推理作家だと思っていましたが、短編に優れた作品が多く存在し、松本の鋭敏な時代感覚が反映されていると著者は言います。

そして、「霧の旗」で、九州から一人東京に出てきた女主人公についてこう書いています。

「東京の真ん中の銀座にあって、地方都市から出てきた若い女性は孤独である。金もないから心細い。東京は憧れの地であると同時に力のない、いまふうに言えば『負け組』の彼女にとっては、威圧的な冷たい街でしかない。

松本清張は、このように、東京をいつも、地方という弱者の目でとらえる。東京を地方によって相対化する。東京人には見えない、東京の負の部分が見えてくる。」

第二章『昭和の光と影」では犯人のトリックや犯罪の動機だけがメインモチーフになる作家ではないことが、数々の作品のディテールを通じて示されていきます。事細かに描かれた都市の情景と、そんな文章を膨大な作品からチョイスした川本の眼力に感心しました。

さらに、松本が古書店をよく利用していたことを上げて、「『古本』をはじめ、作品のなかによく古本屋を登場させている。一般にミステリ好きと古本好きは重なることが多いが、清張の作品に古本屋が出てくると、それだけで心に残る。」と書き、古本屋が登場する作品を列挙しています。

松本清張という作家のことを再認識させてくれる一冊です。

●夏季休業のお知らせ  勝手ながら8月9日(月)〜17日(火)お休みいたします

私が出演するZOOMミーティング「フライデーブックナイト」の第1回が、今月20日に決定しました。ご興味のある方は下記アドレスまで

https://ccacademy.stores.jp/items/60fd4e1bbc1e6422b5501a4b

 

 

 

 

現在店内で展開中の「ミシマ社フェア」の本命商品、安田登「三流のすすめ」(1760円)を会期中に読むことができました。

「本書がめざす人物像は『三流の人』です。三流の人になりましょう!というのが本書の主張です。」ただし、「一流」はもちろん素晴らしいし、目指すことは価値があり、それを否定してはいるわけではありません。

では、著者のいう「三流の人」とは何か?

三流人の理論と実践を、古今東西の古典などから解説していきますが、のっけから、こんな文章にぶつかります。

「いいですか。ここのところをよく覚えておいてください。三流をめざすと、なにもものになりませんせんし、ほとんどのことは役に立ちません。」

おいおい、そんな本を読むのか、と思われるかもしれませんが、コロナでこれまでの社会のあり方や生き方、働き方を木っ端微塵にされた今、これからのあるべき姿は、一流を目指すのではなく、「三流の人」なのです。

三流の人をめざすためには、「ほめられようとしない」「そしられても気にしない」というのは大事だと書かれています。会社にいる間は、昇進を重ね仕事ぶりを認められていた男性が、退職後、地域の活動やデイケアで浮いてしまうことが多々あります。

「会社の中でほめられたり、おだてられたりする機会が多かったのでしょう。会社をやめた後でもそれを期待してしまう。そうするとこういう人になってしまいます。ですから、ある年齢になったら『もう自分はほめられることはのぞまないようにしよう』と決める。かりにほめる人がいても『本心は違うんだ』と思うようにする。」

さて、本書の肝は、第四章以降にあります。四章は「三流の聖典『論語』」です。

「『論語』が三流だなんて言うと怒る人もいると思うのですが、じつは孔子こそ三流人の代表です」と著者は断言しています。ここから、「論語」やその他の中国の古典がどんどん登場してきます。

なんか、難しそう? いえいえ、そんなことは全くありません。漢字大嫌いの私が納得できたのですから、著者の教え方が巧いと言うことですね。

読み終わるのに時間がかかったのは、四章以降をゆっくりと、着実に読んだからかもしれません。

無理やり盛り上げようとキャンキャン騒ぐキャスターのTVオリンピック報道なんぞ消して(しつこく言ってますが)、中国古典の世界に入り込んでください。ミシマ社三島邦弘社長の本展挨拶文に書かれた「あら、三流って楽しいかもね」という言葉に実感が持てますよ。

 

サイエンスライターの渡辺政隆著「科学で大切なことは本と映画で学んだ」(みすず書房/古書1800円)は、新しい科学理論を生み出した科学者、その理論についての基本的な解説書なのですが、ほうぼうに話が脱線してゆくので、全く肩の凝らない読み物です。

先生は、なんせ「映画と本」ですから、ハメット、ブォネガット、ショーン・コネリー、「アナ雪」に「時をかける少女」「ガケの上のポニョ」、そして「ひょっこりひょうたん島」が登場します。もちろん、本筋のダーウィン、グールド、ドーキンス、寺田寅彦、中谷宇吉郎は、バッチリです。

「私の名前はボンド。ジェームズ・ボンド。職業は鳥類学者。1900年、フィラデルフィア生まれだが、イギリスに移住してケンブリッジ大学を卒業した。その後再びアメリカに戻り、いったんは銀行勤めをしたのだが、子どもの頃からの鳥好き、蝶好きの情熱抑えがたく、フィラデルフィア自然科学アカデミーの研究員に転じた。」

これは007映画の宣伝文句ではありません。このジェームズ・ボンドは、バードウォッチャーの間では有名な「フィールドガイド西インド諸島の鳥」(1936年)の著者です。

「007」生みの親、イアン・フレミングが勝手に主人公にジェームズ・ボンドという名前を使ってしまったのです。しかも1958年に出版された第6作「007ドクター・ノオ」ではボンドは鳥類学者となって、ジャマイカに潜入するという設定なのですからややこしい。

こういう小ネタからお話が始まるので、へぇ、そうだったんだと親しみを感じながら読み進めることができます。蛇足ながら、映画版「007ドクター・ノオ」のショーン・コネリーは鳥類学者という設定ではなかった気がします。鳥の羽より、女性ばかり追っていたはず。

数学者の岡潔(当店でもロングセラー)についても、著者は面白い話をしてくれます。1961年松竹映画「好人好日」は、偏屈だが人のいい数学者の物語で、演じるは笠智衆。この映画のモデルになったのがどうも岡潔らしい。彼は多くの奇行のある人物で、在野の研究者として長い間数学の研究に打ち込み、国外で高い評価を受け文化勲章をもらいます。

「一躍時の人になった岡をいっそう有名にしたのが、犬の散歩中の途中、長靴を履いて空中に飛び上がった写真だった。

あるいは、数学は情緒の表現であり、情操教育を怠ると国が亡びるなどの発言で注目を浴び、毎日新聞に連載して1963年に出版した随筆集『春宵十話』により、教育や文化に一言家をもつ文化人としても知られるようになった。」

門外漢には彼の数学上の業績についてさっぱりわからないが、そんな岡の奇行伝説と映画が、数学者像を定着させたのではないか、と著者は言います。

後半の「進化の話」で、「進化論」のダーウィンや、「利己的な遺伝子」でお馴染みのドーキンスが登場しますが、ここは熟読したいところ。

本書で紹介された本については、各章ごとに出版社、発行年が記載されていますので検索がしやすくなっています。

 

 

東京の本屋さんTitleの店主、辻山良雄さんのとても素敵な本、それが「小さな声、光る棚」(幻冬舎/新刊1760円)です。本書は幻冬舎のwebsite「幻冬舎plus」に連載された「本屋の時間」からセレクトされたエッセイ集です。

「まともに思えることだけやれば良い。

それは個人経営のよいところであり、その店が長く続いていくための秘訣でもある。

仕事量は増え、肉体的には勤めていたときよりもきつくなったが、それでも続けていられるのは、その小さな自由がわたしには合っていたのだろう。」

これは、名言ですね。私が大型書店に勤めていた頃は、会社の利益のためにまともじゃないこと、例えば置きたくもないヘイト本を販売せざるを得なかった経験もありました。でも、「小さな自由」を獲得した今は、書店員として、人として「まともに思えることだけやる」権利を持つことができました。

本屋として、あぁ、この気持ち一緒だな、と思った文章にも出会いました。店主のお知り合いで、いつも忙しくしている方が、店で買った本を撫ぜながら、本はいいなぁと日頃の忙しさを忘れたように呟きました。併設されているカフェでコーヒーを飲んだ後に出てきたその人の表情には少し正気が戻っていたように店主は感じました。そして、店主はこう思います。

「本屋が自分を取り戻すために役に立つのであれば、その人には気の済むまでゆっくりと過ごしてほしい。」

帰り際に「いい時間を過ごしました」と言われたことが、何度か当店でもありました。それを聞いた瞬間、店をやっていて一番幸せを感じる時なのです。

本書では、コロナで休業を余儀なくされ、その後、幾度かの緊急事態宣言下での営業についても語られています。

「社会はまた走り出そうとしている。そのことにわたしは違和感がある。いまはすこし仕事をスローにしても、もっと深く本のことを知りたい。何をのんきにやってるんだといわれようとも、自分の速さで歩きながら考える。

そうした根っこがないと、それはわたしの仕事であるとはいえない」

「自分の速さで歩きながら考える。」とても大事なことだと思います。

一昨年辻山さんにお会いした折、オリンピック期間中は閉店して、喧騒の東京から逃げるとおっしゃていた辻山さん。結局一年延びて、その計画は実行されませんでしたが、ひょっとして明日からそうされるのかな…….。

当店はせめて、オリンピッ最終日までしつこくミシマ社の本を勧めるフェアを展開して、テレビ観戦より読書!と、いい続けてみます。

辻山さんの本は「ことばの生まれる景色」(ナナロク社/古書1850円)も置いています。こちらも本当にいい本です。

 

「読書する一人の人間には二人分の価値がある」

という文章にグッときて読んだのが、カウテル・アディミ「アルジェリア、シャラ通りの小さな書店」(作品社/古書1950円)です。

幅4メートル奥行き7メートル。(うちの店とほぼ同じくらいです)アルジェリアに実在したこの小さな書店の名前は〈真の富〉といいいます。この書店を開けたのは、若干21歳のエドモンド・シャルロ。彼は書店経営と同時に出版も手がけました。昨今、出版部門を立ち上げている日本の個性的な書店の、先駆けですね。

シャルロはアルベール・カミュを世に送り出し、ここにはサン=テグジュペリやジッドらそうそうたる作家たちも集ってきました。

「1943年3月5日 ジッド、サン=テグジュペリと夕食。今後は二人ともアルジェに落ち着く。サン=テグジュペリは意気消沈しているように見えた。アメリカ軍が彼の飛行を拒否したからだ。」

こんな文章を目にすると、その情景が浮かび上がってきます。

シャルロはアルジェリア生まれのフランス人。小説は彼のメモを辿りつつ、ちっぽけな書店が大きな歴史の渦に翻弄されてゆく姿を描いていきます。

ご存知のように、アルジェリアはフランス領でした。第二次大戦をフランス側で戦いますが、やがて独立運動が起こります。本書でも触れられていますが、運動の過程で起こる大量虐殺があり、現代の戦争の歴史そのもののが凝縮されような国で〈真の富〉書店はこう宣言します。

「地中海的な概念を持つ友情の場所  言語や宗教の区別なく、地中海をめぐるあらゆる国々の作家や読者を呼び寄せる、ここの、この大地の、この海の人々を呼び寄せる場所。そして何よりも、偏狭なアルジェリア主義者に反対する。それを超越して進むこと!」

面白いのは、小説の構成です。シャルロのメモを中心にして、書店に長く住み込み守ってきたアラブの老人アブダラーの物語に、この書店の解体に来た現代青年リヤドの物語が絡んできます。最初はまごつきましたが、激烈な歴史を生き抜いてきた過去と現代がクロスしていきます。

アルジェリアだけではなく、我が国でも書店が激減しています。この本を読んでいると、書店とはいかなる存在なのか?と思いを巡らしてしまいました。人と本が出会い、その出会いが広がってゆく場所。そんな場所が少なくならないような世界であってほしいものです。

本作の著者カウテル・アディミは、アルジェリア出身の女性作家で、本作が長編3作目です。「アルジェリア生まれのフランスで一般にあまり知られていない出版社の事業を掘り起こし、仮構の手帳を創造して彼の半生を生き生きと描き上げた」ことが高い評価になったと、訳者があとがきで書いています。同感です。