月に一度か二度、新刊で面白そうなもの、これはなかなか古本では出回らないと思われるものを、ピックアップして仕入れています。本日数点入荷しました。

先ずは、当店ロングセラー中の絵本「ネコヅメのよる」の作者、町田尚子が京極夏彦と組んだ妖怪えほん「あずきとぎ」(岩崎書店1620円)は、怖い!いや、妖怪なんて出て来ませんが、怖い。

夏休み、田舎にいるおじいちゃんの家で過ごす少年に降り掛かるのは…….。「ネコヅメのよる」に登場したネコも登場し、のどかな夏休みの始まりです。しかし、おじいちゃんの飼い犬と川に行った時に起こるのが…….。物語終盤で、少年の横顔の耳元に聴こえる「しょきしょきしょき」という不思議な音……。美しい絵が、より一層恐怖を盛り上げます。「ネコヅメのよる」も再入荷しています。

「ああ、絵が描きたい、そんな気持ちにさせる素晴らしい本」と安西水丸が、この本の旧版への書評を書いたのが岩崎昌子著「愛蔵版イヌイットの壁かけ」(誠文堂新光社3024円)。題名の通り、カナダの先住民族、イヌイットの女性の作った壁掛けを収録した作品集です。厳しい北の自然の中で狩猟に向かう彼等の生活や、先祖から伝わる伝説を描いたものなど、イヌイットの豊かな世界が満ちあふれた一冊です。雪に覆われた地ゆえに、逆にカラフルで暖かい色合いの作品が多いように思います。著者はカナダへの移住をきっかけにイヌイットアートに出会い、収集を始めた方です。そのコレクションの一部は、北海道立北方民族博物館(網走)に収蔵されているそうです。

河出文庫から穂村弘「ぼくの宝物絵本」(800円)が出ました。歌人にしてエッセイの名手が、絵本は子供のものじゃない!「会社が辛くても、ページを開けばそこは天国」と大人向けに選んだ絵本紹介です。

穂村は「絵本のなかで、泣いたり笑ったりしている子供たちに興味がもてない。生き生きとした表情をみても、ふーんと思うだけだ」という一方、無表情な少女を見ると、魅かれる、と書いています。そこで紹介されているのは、宇野亜喜良が描く少年少女。でも「無表情なおじさんもいることを思いだした。その名は『ジャリおじさん』(おおたけしんろう作)、これこそ完璧な無表情。そしてやっぱり不思議な旅にでかけるのだ。素晴らしい。」と無表情なおじさんにまで言及しています。

穂村は、歌人としてもユニークな世界を表現していますが、エッセイストとしても楽しませてくれます。その最たるものが、ラストで紹介されている酒井駒子「BとIとRとD」を論じた「滅茶滅茶な魂」です。大人が子供に憧れるのは、ものごとの流れが見えなくて、ただ目の前のことだけに夢中になれる、滅茶滅茶な魂を持っているから…..。絵本には興味のない人にも、面白い本です。

まだまだ紹介したい本があるので、明日も続けます。再入荷ですが「茨木のり子の献立帖」(1728円)も入りました。

レティシア書房のお客様、作家中村理聖さんの「小説すばる」新人賞受賞後第一作「若葉の宿」(集英社1728円)が発売されたので、平積み(!)中です。

「一年ぶりにハレの舞台に現れた橋弁慶山を見上げると、夏目若葉の心は重たくなった。会所の向いにある町家旅館・山吹屋は、若葉の実家である。町名の由来となった山を眺めていると、汗が噴き出し、不快感が増してゆく。祭りのざわめきが遠く感じられ、違う世界の出来事のように思った。」

という書出しのように、舞台は京都、祗園祭りの鉾町にある小さな旅館山吹屋。祖母とき子に幼い頃より厳しく育てられ、今は老舗の旅館で新米仲居として働く若葉が、小説の主人公です。京都を舞台にしたサスペンスものや、ラブストーリーものは、多数出版されていますが、それらの小説で展開されるようなドラマチックなお話はありません。静謐な筆運びで、旅館の日々と移り変わってゆく京の四季を追いかけていきます。

「祇園祭が終わって八月を迎えると、京都の夏は一段と重苦しくなった。」なんて、文章に出会うと、京都で暮らしている人は、そうそう、と納得してしまいます。こんな時期に京都観光によう来るわ、というのが偽らざる気持ちですが、この小説を読みながら、京都の季節感、その時々の感情を味わって下さい。

事情があって祖父母に育てられた若葉は、自分がこの旅館を継いでゆくことに疑問を持っています。私の人生、これでいいの?一方、古い旅館や、呉服屋さん等が集まる界隈にも、時代の波が押し寄せてきます。「若葉が暮らす中京区でも、小綺麗なホテルやお洒落なマンションが増えていた。近隣にあるマンションで、無断で民泊を始めた住人がいて、そこに泊った外国人たちが、騒音やごみ出しで問題を起こしたこともある。」

変わりゆく京都の街と、自分の生き方に確たるものが見出せない若葉の心の迷いが、巧みに描写されていきます。小説は後半、一気に進みます。その渦に巻き込まれてゆく若葉。自分の居場所を求めて若葉が辿り着いた結論は?

女優で、書評家の中江有里さんは、この小説を「『心あらわれる』とはこういう読後感をいうのだ。」と高く評価されてますが、ページを閉じた時、祇園祭から始まって葵祭の五月で終わるこの小説の、爽やかな初夏の空を見上げた気分になりました。

NHKさん、朝の連続ドラマにいかがですか。

 

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ソール・ライターという写真家をご存知だろうか。

1923年ペンシルバニア生まれ。少年時代にカメラを手にした彼は、23才の時にNYに移り、写真を撮り始めます。その後、英国版ヴォーグ、ELLE等のファッションカメラマンとして活動します。「ソール・ライターのすべて」(青幻舎2700円)は、写真家ライターの魅力をぎゅっと濃縮した一冊です。

60年代から80年代のアメリカ映画、とりわけ舞台がNYなら、作品の内容に関わらず観に行っていた時期がありました。スクリーンに映し出される街並みの魅力的だったことを、今でも記憶しています。映画監督シドニー・ポラックは「雨に濡れた」街並みを撮らせれば、誰にも負けないショットを演出した人ですが、ソール・ライターの雨のNYにも、そんな雰囲気が充満しています。哀愁と孤独が適度にミックスされた作品を見ていると、そこに写っている人物の人生を想像させてくれます。

作品集の後半に、自分の部屋で寛いだり、或は着替えをする女性のヌードが数多く収められています。部屋に射し込む光線を巧みに捉えながら、女性の柔らかな肌を浮かび上がらせ、この街で生き抜く女たちの悲しみ、人生への迷いや覚悟までも、感じさせる作家の力量は凄いとおもいました。

ライターが多感な時代を過ごした1950年代のNYロウアー・イーストサイド地区は、カウンターカルチャーが花開いて、NYアートシーンの中心でした。ライターは、この地で多くの作家、アーティストと交流しました。

しかし、「それが彼の写真にはほとんど影響を与えていないように思える。」と柴田元幸は語っています。そして、21世紀に入ってから街を撮った写真を見ても、被写体の選び方、その奥行き、大胆な構図などに全く変化がないにも関わらず、「時代遅れという印象はまったくない。保守でも、前衛でもない、『ライター流』と言うしかない姿勢が一貫しているのである。」と柴田は言います。(この本の中に「うしろからあなたの左耳をくすぐる写真」というタイトルで収録)

2012年、トーマス・リーチはライターをテーマとした長編ドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』を製作・監督しました。残念ながら京都での上映は終了してしまいました。この写真集でその魅力を味わっていただければと思います。

 

2013年11月26日、ニューヨークで死去。

木版画家、川瀬巴水。

大正五年、木版処女作「塩原おかね路」を発表の後、日本各地を取材して”風景版画シリーズ”を刊行し、知名度を上げます。500点にも及ぶ風景版画を残し、昭和31年、74歳で亡くなりました。叙情性と日本的風情から「昭和の広重」とも称されました。

巴水の版画集「夕暮れ巴水」(講談社/絶版3800円)が入荷しました。林望が、各作品に、文章或は詩を付けて、巴水的世界を言葉で表現しています。かつて、どこかで見た風景、とでも言えばいいのでしょうか。限り無い郷愁を思い起こさせる作品がズラリと並んでいます。真青な空、美しい浜辺、そして夕暮れ…….。その一方で、夜の闇に建つ二棟の蔵の間から不思議な白い光が出ている作品「夜の新川」があり、林はこう評価しています。

「この光には、ただ無為の『詩』、一瞬に存在して次の刹那には消え去る『時』のなつかしさが描き取られている」と

寂寥感、という言葉だけでは当てはまらない、深い豊かさと哀しみを漂わせています。雨にけむる橋の上に佇む人力車を描いた「新大橋」、雨上がりの港で沖の船を見つめる犬を描いた「明石町の雨後」などの作品にそのテイストが滲んでいます。寂しげな風景なのですが、どこかに幸福感もある不思議な世界です。

細い雨が降る露天風呂を描いた「修繕時の雨」に林はこんな詩を付けています。

「ぼくが温泉を愛するのは 風景があたたかいからです そこでは なにもかも湯気のなかに霞んでいて 空気がはるばるとしているからです (中略) ただじっと湯に浸かって むかしのことを思っていよう それで 涙が出たら 温泉のお湯で洗い流して 空でも見ていようさ ほうほうと湯気 ほう ほう ほ ほ 」

なんて幸福感に満ちた詩でしょう!

作品集には絶筆となった「平泉金色堂」も収められています。雪が降り積もる金色堂に向かう、一人の僧の後姿を捉えています。人生の最後を予感される作品ですが、豊かな人生を生ききった作家の最終に相応しい作品です。

「かぎりあるみちは いつかきっとおわる そう、こころにねんじて きしきし ゆきふみしめてあるく」

林が巴水の画業を讃えた最後の詩です。

 

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内外で高い評価を受けている映画監督、是枝裕和。「そして父になる」「海街ダイアリー」「海よりもまだ深く」などご覧になった方も多いと思います。

是枝監督が、これまでの表現活動を語った「映画を撮りながら考えたこと」(ミシマ社2592円)は、面白い一冊でした。映画監督の本ですが、細かい技術論や、抽象的な映画表現論ではありません。彼はTVドキュメンタリーの出身なので、自分が育ったTV界に言及している部分が多く、日頃何気なく見ているTVのバックステージのことも描かれています。

今、恐ろしく保守化しているこの業界ですが、60〜70年代にかけては、かなりアナーキーな状況でした。是枝は、当時の少年の人気ナンバーワン番組だった「ウルトラマン」シリーズで脚本を書いていた佐々木守を取り上げていました。佐々木は、積極的に戦わないウルトラマンを書いています。「戦いの根拠になる正義がない」というスタンスでこのヒーローを描いていたのが、少年だった是枝には新鮮だったと回想しています。その後、TVは、新しい表現を求めない場所へとシフトしていきます。

吉田秋生のコミック「海街diary1/蝉時雨のやむ頃」を映画化した「海街diary」は素敵な作品でした。鎌倉に住む四人の女性の日々の細やかな感情にゆらめきを描いているのですが、彼が参考にしていたのは、何度も映画化された谷崎潤一郎の「細雪」だったことも、この本で知りました。

一人の表現者が、TV映像にしろ、劇場映画にしろ、業界の悪しき慣習や、体制に抗いながら己の世界を創り上げてゆく物語として、一気に読める本でした。

さて、是枝を育んだTV界に、創成期から今日に至るまで包括的に楽しく読ませてくれるのが、荒俣宏の「TV博物誌」(小学館900円)です。

1961年から69年まで続いた刑事ドラマ「七人の刑事」は、今日の刑事ものの原点とも言える作品ですが、この番組を演出した今野勉とのインタビューも掲載されていて、「月光仮面」「鉄腕アトム」等々を見ながら大きくなった僕たちテレビっ子には、興味のある話ばかりです。一方、大阪局で、東京発の番組とは全く世界の違う高視聴率を稼いだ「番頭はんと丁稚どん」「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」を製作した澤田隆治を通して、何故、関西発の番組はこうも異質なのかを論じています。「アタリ前田のクラッカー」なんて、ある年齢以上でないと全く通じないでしょうが、毎週楽しみでした。

 

 

小学館が、松本清張原作の映画を「解説本+DVD」で10本出していました。

この10本の中で、大傑作は「張込み」(1958年松竹/モノクロ 中古2100円)です。個人的には、大好きな日本映画50本に入れたい程、惚れ込んでいます。清張の原作は僅か30ページ程の短篇です。殺人犯逮捕のために、犯人の昔の恋人の自宅前で張込みを続ける二人の刑事の緊迫の日々を描いたサスペンスですが、映画は116分の長編に仕立て上げました。

何がスゴイと言っても、アバンギャルドな映像表現でしょう。

先ずタイトルが中々出てこない。横浜駅を出る桜島行夜行に飛び乗る二人の男。季節は夏、冷房のない車内はうだる様な暑さ。あの時代、東京から九州に行くのに一昼夜かかりました。その道中を、なんの説明もないまま描いていきます。二人は佐賀で下車して、とある家の前の宿に入る。そして、若い男の独白で「さぁ、張込みだ」という台詞と、睨みつける様な視線のアップの映像に「張込み」のタイトルがかぶさる。ここで、初めて二人の男は刑事だったことがわかります。初めて観た時は、その格好良さにしびれました。絶対に小説ではできない。

そんなシーンを取り上げていったら切りがありませんが、後半、犯人が乗っているバスを空撮で捉えるシーン。刑事のアップから一気に映像は空高く舞い上がり、俯瞰で田舎道をゆくバスを捉えます。こういう視点の切り替えに出会えることこそ、映画の醍醐味の一つですね。音楽を担当しているのは黛 敏郎で、サスペンスを盛り上げる見事な音楽を作り出しています。

解説本も充実しています。全10作の解説は川本三郎。同じく連載で松本清張記念館館長、藤井康栄が松本の実像に迫っていきます。川本は「松本清張の犯罪小説の特質は、犯罪を犯す人間の側にある悲しさ、無念、疎外感を描いたことにあるが、映画『張込み』も東京に出て、犯罪に走らざるをえなくなった出郷者と、彼を愛した女性の悲しみを浮き上がらせたところに、感動がある」と書いていますが、その通りです。

映画は「砂の器」の名コンビ野村芳太郎(監督)と橋本忍(脚本)。出演は大木実、宮口精二、田村高広そして高峰秀子と、これまた見事なキャストで、当時の役者の層の熱さを感じます。TVでは何度もドラマ化されていますが、高峰の役を大竹しのぶが演じたフジテレビ版、ビートたけしが刑事を演じたテレビ朝日版が印象に残っています。

 

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お恥ずかしい話を一つ。レティシア書房開店前、少しは古書業界を知っておこうと、古書に関する本を乱読しました。その中で、野呂邦暢とか上林暁とか木山 捷平とか小山清とか、今まで読んだ事のない作家が、しばしば登場してきました。これは、拙い!と思い読み始めました。

古くさいなぁ〜、退屈〜と感じた作品もありましたが、野呂の「鳥たちの河口」を読んだ時は、唸りました。37年長崎生まれで、諫早で育った彼が73年に「文学界」に発表した小説です。会社の労働争議で辞職を受け入れざるを得なかった男が、百日間河口に通い、鳥の観察をするだけの話です。

当時、野呂が住んでいた家の裏を流れる本明川を、河口まで歩くのが本人の日課でした。毎日の散歩で見た風景を見事に小説に組み込み、自然描写の素晴らしさで読者を誘い込みます。主人公の置かれた状況が状況なんで、晴々とした風景が登場することはありません。なんせ、「空は暗い」で始まりますから。

主人公は河口で死んだカモメも見つけます。

「のどから腹にかけてひきむしったように皮が裂け、肉がえぐられている。はみだした暗紫色の内臓に鼻を近づけた。」

こんな導入部で、小説はシンボリックに、生きる恐れ、よるべなき明日、忍び寄る不安を描いていきます。河口の風景と、主人公が助けた渡り鳥にだけ描写を絞った分だけ、ぐっと凝縮された世界が押し寄せてきます。文学の強靭な力とは、こういう作品の事でしょうね。

ラスト、この渡り鳥を大空に放つところで終わるのですが、決して開放的ではなく、重く、苦いものが残ります。白黒映画黄金時代のフランス映画みたいです。

この小説を含めた「野呂邦暢集大成」(文遊社)の1巻「棕櫚の葉を風にそよがせよ」、2巻「日が沈むのを」が入りました(どちらも2400円)。2013年に刊行が始まった本シリーズは、装幀、字体、デザイン等隅々まで入念に作られていてお薦めです。持った感触も良く、現在、7巻まで刊行されています。いずれは全巻揃えておきたいものです。

木版で漫画を描くか……..?と、ページを捲って先ず思ってしまいます。

「魂を削るようにして木版に向かった」先に出来上がった一コマ、一コマは、もうアートです。とにかく今年最も驚かされ、引込まれた一冊が、藤宮史「黒猫堂商店の一夜」(青林虹工藝舎1100円)。

主人公は猫です。彼が営む「黒猫堂商店」が舞台ですが、ストーリーはあるようなないような、長編の詩を読んでいるような感覚です。主人公の猫が、首尾一貫静謐で、哲学者のような、詩人のような表情が、モノクロ画面に染み込んでいきます。

第三話「星のはじまりの話」は、宮沢賢治の世界を彷彿とさせます。

「星をけずって 薄荷水を溶かし 星のインクをつくってみる 夜空の星を 眺める と星は<わたし>が思うように輝き そして 消え入りもする ー羽ペンの先に 星のインクをつけてみる」

というモノローグと共に、ペンを走らせる彼の穏やかな表情を見つめているだけで、落ち着いた気持ちになります。

第四話「夜をゆく」は、萩原朔太郎的な世界。「月のない深夜 誰とも 往きあわない 町へ出て 水晶の眼鏡で 町を眺めてみると あちらこちらにキラキラした言葉が浮かんでいる」

楽しさに微笑む彼が、全く異次元の空間へとトリップしてしまう幻想的世界が展開します。マンホールを下りたら駅があり、やってきた汽車は、喫茶店の椅子の上に彼を運びます。古風な街角を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを口にする様が心に残ります。

途方もない時間と労力による木版画で構成された漫画は、扉の言葉にあるように「穏やかな懐かしさと柔らかい孤独を心地よい手触りで甦らせてくれる」ようです。

第七話「漂う日々」では、最初のページには「一コマ2秒間ずつ見てください」と書かれています。ゆっくり、ゆっくりと読んでくださいという作者の思いです。永遠に続く孤独を、穏やかに、穏やかに、遥か彼方に流してしまうような豊かな世界が広がります。描いた線はおしゃべりですが、彫った線は、実に寡黙です。

 

 

 

 

 

 

明治37年生まれの小説家随筆家の永井龍男は、東京を描いた良い随筆がありますが、まぁ、そんなに読みたい〜と思いませんでした。”オールドファッション”なイメージしかありませんでしたが、「青梅雨」(講談社/昭和41年発行500円)という短篇を読んで、そのイメージがコロリと変わりました。出だしはこんな感じです。

「十九日午後二時ごろ、神奈川県F市八三八無職太田千三さん(77)方で、太田と妻のひでさん(67)養女の春枝さん(51)ひでさんの実姉林ゆきさん(72)の四人が、自宅六畳間のふとんの中で死んでいるのを、親類の同所一八四九雑貨商梅本貞吉さん(47)がみつけ、F署に届けた」

え、推理小説?? 違うんですね。場面は一日前に戻ります。「九時少し前に東京駅を出た湘南電車が、F駅へ着いた。」。この電車には主の太田千三が乗っています。そして、我が家へと向かいます。出迎えてくれる家族、うん、まるで小津映画に出てくる幸せな中流家族の一コマみたいですが、ここから全員自殺へと向かっていくのです。しかも文章は淡々と進み、自殺を仄めかす雰囲気もありません。お風呂に入り、新しい浴衣に袖を通し、ちょっとお酒を呑みながら、歓談する場面が続きます。

しかし、「二人とも、けさから、死ぬなんてこと、一口も口に出さないんです、あたし、あたし、えらいと思って」

という台詞を最後に、場面は現場検証の場面になり、小説はそこで終ります。愛しい様な最後の晩餐がくっきりと現れ、静寂の中に、生と死を捉えた短篇でした。

この短篇集には、忍び寄る老いの孤独を描いた「冬の日」が収録されていて、こちらもお薦めです。夫に先立たれ、娘までも天国へ旅立った妻は、その娘の子供を世話していたのですが、娘の亭主が再婚することになり、子供を新しい母に返し、長年住んでいた家を手放します。立ち退きの迫った年末の数日を描いているのですが、深い孤独とやがて訪れる死を前にした、彼女の心情が簡潔な描写の中に浮き上がってきます。

「床の間に供えられた小さな鏡餅には、もう罅が入っているようであった。」

という文章で小説は幕を閉じます。年を重ねた我々世代には、ちょっと辛いけど、生きるってこういことなんよね、と納得します。

この静かな描写は、小津映画ファンの方にもお薦めです。

 

 

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河出書房新社発行の文藝誌「文藝」は、他の文芸誌「文学界」、「群像」、「新潮」と比較すると新しい文学を紹介している雑誌です。この雑誌主宰の「文藝賞」の近年の受賞者、例えば田中康夫「なんとなくクリスタル」、長野まゆみ「少年アリス」、現役高校生だった綿矢りさ「蹴りたい背中」という作品を見ればなんとなくお分かりでしょう。

この「文藝」が戦中、戦後どのような歴史を辿ったかを簡潔な文章で書いたのが佐久間文子「『文藝』戦後文学史」(河出書房新社1400円)です。

「文藝」は1933年に創刊されます。当時の版元は改造社で、初代編集の主任は、作家の上林暁。新しい文芸運動を盛り上げるために新人発掘に力を入れていきます。その中には「夫婦善哉」の織田作之助もいました。作家陣を充実させて邁進しようとしたところに、暗い影を落としたのが第二次世界大戦でした。1942年雑誌掲載の太宰治「花火」が公序良俗に反するとの理由で削除処分を受けてしまいます。官憲の圧力だけでなく、物資不足で用紙を集めるもの一苦労するようになり、さらに追い打ちをかけるように、反体制的と見なされた改造社は解散命令を受け廃業させられてしまいます。

その時「文藝」の権利を譲渡されたのが、河出書房です。増々激しくなる空襲と物資不足でしたが、当時の編集長、野田宇太郎は、爆弾の落ちる音を聞きながら、編集作業を続行。

「わたくしが爆死しない限り、東京中が焼野原になっても。『文藝』の発行には決して支障をきたさぬ覚悟」とカーキ色のショルダーバッグに原稿をしまい込み、空襲の中を逃げ回りながら、雑誌を発行し続けました。

そして、戦後を迎えます。焼跡から経済復興、バブルを経て今日に至るまで、一冊の文芸誌の変遷が描き込まれています。そうか、あの時はこんな作家が登場してきたのか、成る程、と思いながら読みました。

ところで、河出という出版社は何度も倒産しています。しかし、何とか雑誌の刊行を続けようと獅子奮迅の努力をします。そんな編集者の一人に坂本一亀という出版部から移動してきた人物がいました。野間宏「真空地帯」、三島由紀夫「仮面の告白」、高橋和己「悲の器」など戦後文学の名作を次々と手がけた編集者です。57年、一度目の倒産の時、再建要員として抜擢、編集長を務めました。何を隠そう、坂本龍一のお父様です。

堅苦しい文学史ではありませんので、読み物として楽しめる一冊です。巻末には「文藝」略年譜が付いていて、これが結構面白いです。