1994年北斗出版から「森は海の恋人」が出版されました。著者の畠山 重篤は、1943年上海生まれ。戦後、父親の実家のある宮城県気仙沼で牡蠣、帆立の養殖に従事していました。汚水の垂れ流し等で海の汚染が始まった時、上流山間部の森林が果たす役割に着目し、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山へ植樹を開始します。その経緯を書いたのが「森は海の恋人」でした。

今年、”牡蠣爺さん"こと畠山さんへの聞き語りで、「牡蠣の森と生きる」(中央公論社/古書950円)が出版されました。三キロもある大ダコを素手で捕まえていた幼年時代、父親が始めた牡蠣の養殖を手伝い出した若い頃、チリ地震で発生した津波で大打撃を受けたこと、帆立養殖に挑戦し、何度も失敗しながら、軌道に乗せて暮らしが楽になってきた日々、そして高度成長時代、三陸の海に異変が起こるまでが前半です。

東京オリンピックで日本が沸き立っていた頃、先ずノリの養殖に異変が起き、続けて牡蠣が思うように育たなくなります。海の汚染です。企業活動による排水や生活排水の汚れなどが、海を河川を汚していきます。そんな時、森の豊かな場所に魚が集まることを科学的に立証した北大の松永勝彦教授に出会います。

植物プランクトンが海藻や海中の窒素やリン等の栄養分を吸収するのを助けるのが、鉄分です。広葉樹が秋に落葉し、腐植土になる時に出来るフルボ酸は、地中の鉄と結合し、フルボ酸鉄となり、川を経由して海に流れ込んできます。鉄分を海に運んでいたのは、森で生まれたフルボ酸だったのです。

畠山さんは、早速仲間たちと植林運動を立ち上げ、森を豊かにしていきます。そのことが、長い目で見れば、海を豊かにするのです。

「森と川、海がつながり、鉄が供給されれば美しいふるさとはよみがえる。それがわたしの信念です」

畠山さんは、本業の傍ら植林作業を行い、地元の小学生の海辺の体験学習へと、活動のエリアを広げていきます。全て、順調と思っていた矢先、再び津波がこの地を襲います。東日本大震災です。その破壊の凄まじさが語られます。老人ホームに入所していた母親を失い、何もかもが流され、もうダメだと思ったある日のこと、「魚がいる!」と孫たちが叫びます。さらに、湾を調査した京大の田中克先生は、こんな言葉を伝えます。

「津波では、干潟を埋め立てた場所での被害は大きいですが、川や森の被害はほとんどありません。海が、津波で撹拌されて養分が海底から浮上してきたところに、森の養分が川を通して安定的に供給されています。畠山さん、”森は海の恋人”は真実です」

牡蠣を守り、海と山を守ってきた畠山さんの半生が、よくわかる聞き語りです。

 

 

 

本に関する書籍を発行している神戸市の出版社、苦楽堂の作品はユニークです。

先ずは、3冊シリーズで出版されている「次の本へ」(1944円)。様々な人たちが紹介する「面白い2冊目」とどう出会うかを集めたユニークな本です。一冊は読んだ、しかし次にどんな本を読めば良いのかをわからないという方々へ、こんな本からあんな本へと繋がったということを紹介してくれます。フランクルの「夜と霧」から、同じ著者の「それでも人生にイエスと言う」という繋がりは、成る程と思いました。坪内祐三「靖国」から赤坂真理の「東京プリズン」も戦後を考えるということでは納得です。でも、中にはそっちへ向かうのかとびっくりさせてくれるものも沢山あります。

この本は売れたので、第二弾「「続・次の本へ」(1620円)が登場しました。山崎ナオコーラ、山折哲雄、最相葉月などの著名人も参加、さらにヒートアップしていきます。第三弾「次の本へ しごと編」(1728円)は、少し切り口を変えて、囲碁棋士、映画館支配人、喫茶店店主、遊覧航海士、ラジオ記者など、様々な仕事をしている人たちが、一体どんな本を読み繋いでいるのかを集めています。元保育士の方は、「怪獣大図鑑」から「特撮秘宝Vol.1」へ。コンサートホール企画に携わる人は、「戦後日本のジャズ文化」から「芝居上手な大阪人へ」などフムフムの連続です。

さて、こんな本出すのか!とびっくりしたのが「スリップの技法」(1543円)です。「スリップ」は、新刊本に挟まれている栞みたいなもので、新刊書店で本を買うと、このスリップは店員が抜き取ります。集まったスリップをもとに在庫のチェック、発注や売場の管理に使います。業界人以外にこんな本読むの?と半信半疑で置いてみたら、数冊売れました。お買いになられたお客様に書店関係の方ですか?と聞くと、「いいえ、でも面白そうだから。」というお返事に、そうか〜面白いと思う人がいるんだと感心しました。

もう一冊。「真っ直ぐに本を売る」(1944円)は、出版社から直接仕入れをしたり、もっと簡便なやり方で本を仕入れるやり方を説明した本です。これまた本屋さん以外の人は読まないのかと思っていると、違う商売の方が買われたり、メディア関係の方が買われたりと面白い売れ方をしている本なのです。

およそ一般向けとは言い難い本を出版する、苦楽堂を応援していきたいと思っています。

レティシア書房連休のお知らせ

誠に勝手ながら、6月3日(月)4日(火)連休いたします 

 

今年87歳の小林信彦は、最も敬愛する作家の一人です。教養、大衆芸能への知識、文学的技量に加えて、ユーモアと笑いのセンスを兼ね備えた作家です。この人の映画論、コラムに駄文はなく、作品の評価も的確で信頼していました。週刊文春で連載されていた「本音を申せば」は、楽しみでした。80歳を超えた作家が、広瀬すずや、橋本愛を語るのですからね。ただ残念ながら、体調を理由に休載中です。

小林が2003年に出した「名人」(文藝春秋)が、朝日新聞社から文庫で再発(古書300円)されました。しかも1981年「ブルータス」に収録された古今亭志ん朝との対談も再録されています。「名人」というタイトルからわかるように、これは江戸落語を代表する古今亭志ん生と、その息子志ん朝について書かれたものです。米朝一門に代表される上方落語は見たことがありますが、江戸のは実際に見たことがありません。だから、この本はとても興味深く読みました。

落語に興味のない人は、後半かなりページを割いて書かれた「落語・言葉・漱石」をどうぞ。「夏目漱石と落語」と題された章では、漱石の「我輩は猫である」と落語の世界を様々な角度からアプローチしていきます。

「江戸芸能を源流とするもっとも洗練された笑いが、じかに西洋に触れてきたもっとも知的な作家の筆によって蘇ったのは、明治文学史上の大きな皮肉である。」

「文学の中に<厳粛な真実・人生>のみを求めた(同時代の)自然主義作家の作品の大半が読まれなくなった今日、『猫』は依然として読み継がれている。それも、<教科書にのっているから読まれる>古典のたぐいではなく、ぼく自身が体験したように、もっとスリリングで白熱した読書の時を過ごすことができる。このような作品を古典の枠内に閉じこめておくのは読書界にとって大きなマイナスである」

というのが小林の「我輩は猫である」評価の核心です。

最後に収録されている対談で、志ん朝が「芸」の定義をこんな風に語っています。

「芸というのは、やはり聞いている人に魔術をかけるというか、何もないのに本当に飲んだように見せたりという、まやかしに近いものでしょう。まやかしに近いものというのは、精一杯やっちゃうと、相手はまやかされないんですよ」

至極名言です。余裕のないところに良い芸はない。それは小説も一緒だと小林も賛成しています。

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前田亜紀著「カレーライスを一から作る」(ポプラ社/古書750円)が面白い!カレーライスを作る本のどこが面白いの??とお思いの方、これ単なるレシピ本ではありません。

カレーを作るなら、まずスーパーへ行って、具材を買い調理し、ご飯を炊いて盛り付けて、はい終わりというのがフツーですが、ここで作るカレーライスは、すべて一から作ってゆくのです。つまり、

1.野菜を種から育てる 2.お米を苗から作る 3.肉となる鳥をヒナから育てて、屠殺する 4.塩、スパイス、器もスプーンも一から作ってゆく

というカレーの作り方です。

提案したのは、「グレートジャーニー」で有名な冒険家の関野吉晴。で、それを実行したのがドキュメンタリー番組制作者の前田亜紀。実際に作ったのは武蔵野美術大学の学生たち。期間は1年間。4本足の動物は一般人は殺せないので、2本足の鳥なら大丈夫。なら、鶏よりダチョウが面白いと、ダチョウカレーに決定します。総勢150名ほどが参加した、奇妙なプロジェクトのスタートです。

ここで、関野はひとつ提案します。「作物をなるべく自然に近い形で育てようという提案だ。野菜や米をより早く、より大きく育てるための化学肥料や、害虫を防ぐための農薬は一切使わないやり方で作ってみよう」というものです。しかし、畑仕事もしたことのない、ましてダチョウなんて飼ったことのない学生たちです。次々とトラブルやら、難問が押し寄せてきます。ダチョウのヒナが全部死んでしまい、ここで、熱が引いたみたいに多くの学生が去っていきます。しかし、プロジェクトは続きます。

「一から作る」という関野の言葉には彼の自然への思いが込められています。

「私たちは自然のものを『ゼロから』作ることはできない。種から植物を育てることはできる。生まれた動物を大きく育てることもできる。でも、何もない『ゼロ』から、種や命を生み出すことはできない。だから、始まりは『ゼロ』ではなく『一』なのだ。自然から生み出す大事な『一』」

『一』からスタートしてゆくことで、命を見つめ、社会を見つめるのが、このプロジェクトの原点です。実際、最後まで付き合った学生たちの社会を見る目が変化してきているのです。

関野は「体を通して学んだことは、すぐに結果は出ないし、そもそも、すぐに身につく知識を教えているつもりはない。」と考えます。そして、その体験から10年ぐらい経過した時に、ああ、あれは、こういうことだったんだと分かってくれればいい、と。

「答えはすぐに出なくて良い。いつまでも待つ。それが関野ゼミなのだ。」

蛇足ながら、著者は「カレーライスを一から作る」というタイトルで劇場公開映画を作ってしまいました。

 

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誠に勝手ながら、6月3日(月)4日(火)連休いたします 。

 

日本の高度成長期、どこにでもあったドライブインの今の姿を取材したノンフィクションが、橋本倫史著「ドライブイン探訪」(筑摩書房/古書1400円)です。著者一人で、企画、取材、制作を手がけたミニプレス「月刊ドライブイン」全12号をもとに生まれました。ロードサイドに佇むドライブインと、そこを経営する人たちを丹念に取材した結果、戦後の日本の歩んできた姿がふわりと浮かんできます。

「日本全国に点在するドライブインは、一軒、また一軒と姿を消しつつある。でも、今ならまだ営業を続ける店が残っていて、話を聞くことができる。なぜドライブインを始めたのか。どうしてその場所だったのか。そこにどんな時間が流れて来たのか。そんな話をひとつひとつ拾い集めれば、日本の戦後史のようなものに触れることができるのではないか」

著者が、記録を残しておこうと思いたち、ドライブイン巡りを始めたのは2011年。日本中を東に西に駆け巡ります。今や、ポツンと取り残されているような感じのドライブインの写真が収録されています、しかし開店当時は、どのドライブインも目の回るような忙しさで、ほとんど眠る間もなく働き続けたというのが、携わった方々の一致した意見です。日本国内に道路網が整備されて、マイカーが増え、観光バスが増え、トラック便が増えて来た時代、どのドライブインも満員でした。

やがて高速道路が整備され、パーキングスペースが充実してくると、途端にロードサイドのドライブインは斜陽になっていきます。それでも細々とやっている場所が、全国にあるのです。地元に根を下ろし、個性的な品揃えで頑張っています。そんなお店の話を読んでいると、こちらの気分もほっとしてくるというか、なんとも言えない心地よさに包まれてきます。掲載されている写真も味があって、「よう、元気かい」とフーテンの寅さんがでできそうな風情です。

エピローグに登場する「ドライブイン薩摩隼人」は、昭和5年生まれの横道貞美さんと奥様の陽子さんが経営しています。貞美さんの戦後の人生物語だけで一冊の本ができそうなぐらい濃いのですが、彼は一時期「軍国酒場」という飲み屋をやっていました。先の大戦で亡くなった兵士たちの供養の場として、軍服や軍用品を飾っていましたが、愛国主義的な場所ではありません。政治的意見の全く違う人たちが集まってきた不思議な場所です。当時の遺品は、このドライブインに併設してある「戦史館」に今も展示されています。

貞美さんはこう言い切ります。

「人は皆、それぞれ考えが違うでしょう。違う考えを尊重する、それが飲酒主義よ。でも、今は違う考えを持っとる人を否定するでしょう。それはいかんわけよ。そうすると争いが生まれる。『軍国酒場』をやりよったけど、右翼でも国粋主義者でもないわけよ。戦争はいかん。もし戦争が起きれば私は逃げますよ」

地元を愛し必死に生き、働いてきた人たちの姿を捉えた傑作でした。本の帯で「title」の辻山さん、「ホホホ座」の山下さん、「蟲文庫」の田中さん、「ウララ」の宇田さんなど、各地の本屋の名物店主が推薦文を寄せていることでも、この本の面白さがわかります。

 

★イベントのお知らせ

6月5日(水)より「世界ひとめぐり旅路録」展をされる小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)

団地マニアを自称する三人の男たち。写真家大山顕、脚本家佐藤大、編集者・ライターの速水健朗。職業は様々ですが、団地への愛は深い。この三人のユニットを団地団と呼び、映画、アニメ、マンガなどに登場する団地について語り合ったのが「団地団」(キネマ旬報社/古書1600円)です。「類書なき、超脱線系、団地エンタメ」という言葉通り、大いに笑えます。メンバーが、方々の団地を訪ねた写真(大山顕撮影)が、カラーページで掲載されています。

鼎談は、大友克洋の「童夢」からスタートします。これ、未読の方ぜひお読みください。見事に団地が舞台となっているコミックです。(現在、絶版で古書も値段は上がっていますが)

ワハハと笑ってしまったのは「第3章 団地妻はいかに生まれしか」です。団地映画の転換点が、1971年公開の日活ロマンポルノ第1作「団地妻、昼下がりの情事」です。ここで鋭い指摘があります。メンバーの大山が、ヒロインのセリフを引用して、こう発言します。

「私だってずっと我慢してたのよ!毎日毎日こんなコンクリートの箱の中で同じことの繰り返し。好きなものを食べず、欲しいものも買えない窮屈な収入。息が詰まりそう」

大山「このセリフに込められているような、団地が窮屈だという意義申し立てのようなものって、60年代の団地映画にはなかった感覚だと思うよ。」

60年代は団地に住み、TV、冷蔵庫、電気洗濯機に囲まれて生活するのがステイタスだったのが、70年代は、そういう生活を否定する風潮が登場したというのです。

感心しつつ、笑ったのはマンションポエムという小特集です。マンションポエムとは、マンションの広告コピーのこと。電車や折り込みに登場するコピーが実に興味深い。まるで世界征服みたいなのが「TOKYO が KIBA を向く」、住宅が意志を持っているような「住まいはどこまで人に尽くせるか」「私は、誰にも似ていない」、部屋の一部をポエムに転化したような「帰宅のシーンを気高く演出するエントランス」等々、コピーライターの頑張り満開です。

その極みは、実は阪急不動産が手がける「ジオタワー宝塚」です。「宝塚に、世界を」。各部屋がアテネ風、パリ風、モナコ風とバリエーション豊かな部屋作りのマンションで、CMには宝塚歌劇団員が登場する念の入れようです。

いやはや、オタクの鼎談ってやはり面白い。今やマンションが日常の風景になりましたが、団地が日本を代表する住宅だった時代があったことを教えてくれる好著でした。

★イベントのお知らせ

6月5日(水)より「世界ひとめぐり旅路録」展をされる小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)

 

絵本作家として有名な安野光雅の、ちょっと珍しい本が入りました。

一つは、サブタイトルに「『ちくま日本文学全集』の装画」とあるように、彼が担当したちくま文学全集の装画を集めた「文学の絵本」(筑摩書房/古書800円)です。この本の面白いのは、「表紙の絵のこと」という章にまとめて、安野が一人一人の作家にどうしてこんな絵を描いたのかが、簡単に解説されているところです。

その文章がいいのです。例えば、色川武大はこんな感じです。

「新宿の飲み屋街、看板の文字がめだつ街。色川さんはこの街に来るだれからも愛された不思議な人だった。そばに来る人を拒まず、面白い話を聞かせては、すーうっと眠るのだった。飲めないわたしは遥かにその噂を聞くだけだった。この横丁をひょうひょうと行く、こんな人間にわたしも話を聞きたかった」

そして、ノスタルジックな酒場横丁の風情が描かれた装画の隣には、色川の『風と灯りと煙たち』より、「盛り場は、私にとって、いつもうそ寒い風が吹き抜けているところだった。私は小学生の中途から、学校をサボって盛り場を徘徊する味を知り出した。当時、山の手の方から見ると、浅草は第一級の盛り場であるとともに、悪の華のようにも見えた。」という文章が添えられています。

登場する文学者は60人。装画と解説をみながら、そういう気持ちで絵を描いたのかを知ると、それぞれの作家の本を読んでみようかなとつい思ってしまう、文学案内になっています。

もう一冊ご紹介。「愉快でちょっと切ない安野光雅 初の戯画集」という帯のついた「マッチの気持ち」(文藝春秋/古書1200円)です。これ、主人公はマッチです。変幻自在にその姿を変えるマッチをユーモアたっぷりに描いてあります。

「骨折しました。 たんかにのせられ 救急車で急ぎます すぐに手術です あ こんどは うまくいきました」という文章に、折れたマッチを担架に乗せて運ぶ救急隊員の絵。知らず知らずに気分が軽くなってくる一冊です。お誕生日のプレゼントなどに最適かもしれません。函入りです。

「マッチの紋付きで どちらへ おでかけですか 今夜はライターさんのおめでたいことで あ ライターさんは タキシードと伺っていました」

最後のページは、粋な小話みたいです。マッチの紋付の絵のセンスがいい!

 

大半をアラスカで過ごし、オーロラやここに生きる動物たちを撮影している写真家、松本紀生著「極北のひかり」(Creuus/古書1300円)を読んでいて、不覚にも泣いてしまいました。なんて、この著者は幸せ者なんだろう。

それはアラスカの荒野でキャンプをしている時のことです。近くに狼の小さな群れが来ていることに気づいた著者は、彼らに語りかけようとして、遠吠えの真似をします。「ワオーーーー」と声を張り上げますが、無反応でした。ところが暫くして、「アウ〜〜〜〜〜」と応えたのです。

「鳥肌がたった。野生のオオカミが返事をしてくれたのである。どう贔屓目に聞いても狼のものではないニセの遠吠えに対して、人間を避けるようにして生きる孤高の野生動物が声を返してくれたのである。」

その後も、彼らは反応をしてくれました。「相手の遠吠えに対してこちらが吠える。するとそれに対してまた相手が吠える。そうすることで、あたかも野生動物と自分との間で会話が成立しているかのような錯覚を覚えたのである。」

この話には続きがあって、翌年、同じ場所にキャンプをした時、やはりその狼たちが、やってきたのです。そして、同じように彼の遠吠えに応えたのです。

「顎を反らして、耳を下げ、うっすらと目を閉じながら、腹を震わせるような野太い声を返してくれたのです。折しも昇り始めた太陽が、遠吠えで発せられた吐息を逆光で浮かび上がらせていた。」

彼が撮影した白オオカミの写真が載っています。この経験を生涯忘れることはないと著者は書いています。過酷な自然の中に身を置かないと経験できない至上の喜びが、この本にはあふれています。

その後も、この地に来ると遠吠えをしてみるのですが、反応はありません。

「それでもよかった。声を交わしあうことなどできなくても、彼らがどこか近くで暮らしていると想像するだけで、心が温かくなる気がした。オオカミが生きていけるだけの汚れのない自然がまだこの世には残っていると感じられるだけで、充分だった。」

自分の生き方を模索し、アラスカに出会い、極北の厳しい自然の中に身を置いてマイナス四十度の世界で見つけたもの。自分はどう生きるのかを探す彼の旅に参加してみませんか。

とても素敵な本でした。

最近、ちょっと阿部昭の小説に入れ込んでいます。阿部昭は、海軍将校阿部信夫の息子として広島に生まれ、その後神奈川県藤沢市に引っ越しここで育ちます。東大文学部に進みラジオ局に入り、62年「子供部屋」で文学界新人賞を受賞して作家になります。元軍人の父のこと、知的障害を持つ兄や息子など、自分の家族を書くことが多い私小説家系列の作家です。短編小説の名手として知られています。今回入荷したのは「阿部昭短編集」(水窓出版/新刊1728円)。

個人的に、私小説は波長が合わず、あまり熱心に読んではいないのですが、彼の作品だけは、どんどん読めるのが不思議です。父親がモデルと思われる元軍人の戦後を、息子の目線で描いた「幼年詩篇」など典型的な私小説なのです。会社員生活に馴染めない父親は、すぐに辞表を出して家にこもってしまいます。家にあったものを順番に売っては生活をしている様子が描かれていて、陰気といえば陰気なのですが、面白い作品です。

「未成年 」に登場する父親も似たり寄ったりです。この中で、やはり元軍人だった父親が自分の部屋で屑あつめをする様を、こんな風に表現している文章があります。

「僕には、おやじが自分の肉体がほろびてゆく音をじっと耳をすまして聞いている。そんな風に思えるのだ。なんの役にも立たないそんな紙屑やがらくたを、おやじがまるで生き物を可愛がるみたいににして身のまわりに寄せ集めているのは、なぜかそうしなければ心が寒いからなんだろう。温もれないような気がしているからなんだろう。 おやじの胸にぽっかりあいた暗い、つめたい穴をのぞきこむような気がする。」

軍人だった父親と息子の関係を通して、戦後の一つの姿を描いています。きっと、こんな家族は日本中にあったはずです。平易で飾りのない文章だからこそ、リアルにその姿が立ち上がってきます。

「おふくろが庭先に放り出してある壊れた椅子にぐったりもたれて、砂いじりしている幼い孫を見張っている」という文章で始まる「あの夏」は、よくある妻と母親の間で立ち往生する夫の日々を描いた作品です。後半「いまや自分も子供を持つ親になって、おふくろというものがただ老いた肉体というよりは、何か不仕合わせな魂のように感じられるようになった。おふくろの一生が、僕をふくめた男たちにくすねられた、はかない一生だったという気がするようになった。」と老いてゆく母を見つめています。

どこにでもある人生の一瞬を切り取って、生と死、そして老いを描き切った傑作揃いの短編集です。版元の水窓出版は、この本の他に、三木卓の「ミッドワイフの家」という、やはり地味な小説を刊行しています。この出版不況にエライ!

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。

 5月6日(月)〜8日(水)は連休いたします。

 

 

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いつも、優れたノンフィクションやエッセイを書いている森まゆみの「暗い時代の人々」(亜紀書房/古書1400円)は、大正末期から戦争に向かう昭和の暗い時代を、圧力をかわして生き抜いた九つの物語です。登場する人物の中で竹下夢二以外、一般にはあまり知られていない顔ぶれです。

その中に、斎藤雷太郎と立野正一という人物が登場します。1908年生まれの立野正一は、京都市立美術工芸高校(現京都市立銅駝美術工芸高校)卒業後、社会主義運動に関わり、治安維持法違反で投獄されます。その後1934年、西木屋町に「フランソワ喫茶室」を開きます。

「フランソワ喫茶室」。京都の人なら、あ〜、あのクラシカルな喫茶店か、と思い出します。森はこんな風に描写しています。

「高瀬川沿いの路地にある小さな喫茶店は、外観はスパニッシュ風の青灰色のモルタル塗りで、二階には手すり子があり、一階の窓にはステンドグラスがはまっている。木の扉を押すと、中にはビロードのような赤い布張りの椅子で、手作りのこげ茶の木のテーブル、壁にはレオナルド・ダヴィンチの『モナ・リザ』の複製画があり、ヨーロッパ調の古めかしいつくりだった。」

一方の斎藤雷太郎は、1903年の横浜生まれ。30年に京都松竹撮影所の大部屋俳優となり、役者稼業の傍ら、「京都スタジオ通信」などのミニコミ紙を発行していました。36年、哲学者の中井正一らと文化新聞「土曜日」を発行しますが、この新聞が反政府的、反ファシズム的だと当局に睨まれます。その時、この新聞を支え、活動を支援したのがフランソワ喫茶室だったのです。

鶴見俊輔は、「その頃治安維持法のもとでそんな小さなメディアが喫茶店を通じてたくさんの人に読まれていたのは奇跡的ですよ。」と語っています。

「土曜日」はフランソワ開店の2年後の1936年(2・26事件の年です)に発行。治安維持法下でも、映画や美術、ファッションの記事を中心にしながら、時事的な記事を載せていました。なお、当時映画記事を書いていた一人は、淀川長治でした。

フランソワの立野マスターは、この新聞を200部買取り、店で無料配布していたので当時の大学生たちが読んでいました。「理論や教条ではなく、感性と軽やかさを信条とした」ミニコミとして、支持を広げていきます。しかし、軍部のファシズム政権下で反社会的と見なされ、関係者は全員検挙されます。フランソワも空襲に備えて、テーブルや椅子を疎開させ、一旦閉店します。

戦後フランソワを再開し、店の片隅で左翼リベラルの本を販売するミレー書房を立ち上げます。やがてここは、多くの文化人の集うところとなっていきます。立野正一は1995年は亡くなりましたが、妻の留志子さんが引き継ぎ、店は続いていきます。私が文庫本を持って通っていた頃は、もう二代目の時代だったと思いますが、静かにゆっくりとコーヒーの飲める喫茶店でした。2003年、この店は国の登録有形文化財に登録されました。カフェが登録有形文化財に登録されたのは日本で初めてでした。2009年、留志子さんは亡くなりますが、店はその後も営業を続けています。

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。(4月29日は定休日)

 5月6日(月)〜8日(水)は連休いたします。