岩波書店が、1985年に発売を開始した全8巻「講座日本映画」の、第1巻「日本映画の誕生」、第2巻「無声映画の完成」、第3巻「トーキーの時代」(思いの外出品/岩波書店各800円)。今村昌平、佐藤忠男、新藤兼人、鶴見俊輔、山田洋次を編集委員に迎えたこのシリーズは、日本映画の歴史を研究するのには、最適のシリーズです。特にこの三巻は、日本映画の始まりの頃をテーマにしていて、見たこともない作品や、当時の映画ポスター、役者の写真などが数多く使われていたり、興味深い内容になっています。

「日本の映画事業が、その出発の早々から、やくざと交渉を持たなければならなかったということは、日本映画のあり方に大きく影響していることである」という第1巻に収録されている佐藤忠男の「日本映画の成立した土台」という論考など面白いです。(本シリーズは現在絶版)

映画本の次にご紹介するのは、写真についての本です。小久保彰著「アメリカの現代写真」(空き瓶 Books出品/筑摩書房2000円)は、現代写真の元祖ロバート・フランク、ウィリアム・クラインに始まり、60年代、70年代、多様に変化し続けてきたアメリカ写真界から、70年代後半のニューウェーブ派の活躍を経て、80年代の姿までをパースペクティブに見つめた一冊です。ロック、ジャズのレコードを集めているうちに、そこに使われた写真家の作品に惹かれてアメリカの現代写真に興味を持った私には、刺激的な一冊でした。個人的には、今も強烈な印象を残すのは、黎明期に活躍したウィリアム・クレインでしょう。彼の「ニューヨーク」は、まるで映画のワンカットを見ているみたいです。

 

 

 

3冊目は、佐々涼子の「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」(とほん出品/早川書房500円)です。これは、感動しました!2011年3月、宮城県石巻市の日本製紙石巻工場は津波に呑み込まれ、機能停止し、出版社への紙に供給が止まってしまう。その危機の中、半年後には復活するという工場長の宣言のもと、とんでもない闘いの日々が始まります。食べ物も十分ない、電気、水道、ガスの供給もままならない状態での手探りでの作業、さらには本社との葛藤と、もうデッドエンド直前の状態です。紙の本を待っている読者のためという目的のためにだけ悪戦苦闘した現場の人間の挫折と希望を描いたノンフィクションです。本に関わる人、本を読む人には、ぜひ読んでほしい一冊です。

★「夏の古本市」は18日(日)まで開催しています。(12日(月)は定休日。)

その後19日(月)〜23日(金)まで休業いたします

 

 

 

 

北海道の原野に、ぽつんと建っている丸太小屋に住み、畑を耕し自給自足の暮らしを続ける弁造爺さん。弁造さんに14年間もの長い間付き合って来た写真家、奥山淳志の「庭とエスキース」(みすず書房/古書2500円)は、何よりも文章が心に染み込む本です。難しい言葉を使うことなく簡潔な表現で、弁造爺さんの日々の生活を描き、移ろいゆく北海道の自然の姿を的確に捉えていきながら、生きることの意味を思索してゆきます。

こんな文章に出会うと、自分の文章の未熟さを痛感します。著者は、小説家でも評論家でもなく、写真家ですが、ここまで描けるのかと何度も何度も思いながら、約300ページの本作を読みきりました。

「日本の木々の紅葉はどこか沈んだ色彩を持っている。一見鮮やかに見える赤や黄色の底には黒が混ざり、それがこの列島の自然特有の落ち着いた秋の表情を作り出しているとしたら、メープルは歌うように鮮やかで明るい秋の表情を作り出す。葉がまとった赤と黄色の底は一切の濁りもなく透明だった。そうした葉が無数となって、空に伸びる幹と枝を覆い包み、秋が深まると風に乗って舞った。そして、宙から舞った色彩は幹の周りを埋め尽くした。それはいつまでも見惚れるほどの秋の終わりの光景だった。」

写真家ならではの観察眼に裏付けられた文章。どう転んでも私には書けません。

「自分のものではない誰かの人生を満たしている日々の時間に触れてみたい」と思っていた著者の前に弁造さんが現れます。大正九年生まれの弁造さんは、明治からこの地で生きて来た開拓民の最後の世代。土地を開墾し、畑を耕し、丸太小屋を建てて、一人で暮らしていました。彼が丹念に手入れをして大きくした森の姿をカメラに収めています。1998年4月に弁造さんに出会い、2012年の春彼が逝ってしまうまで、彼の丸太小屋に愛犬さくらと共に訪ね、寝食を共にして来ました。

弁造さんは、若い時画家を目指したことがありましたが、様々な事情からその道を諦めました。それでも絵を描くことへの情熱を持ち続け、小屋の中でキャンバスを立てて絵に没頭することもありました。

「僕は弁造さんの自給自足へのアイデアと工夫を知れば知るほど興味を深めた。しかし、その自給自足の庭は弁造さんの一部でしかなかった。弁造さんの『生きること』の中には、自給自足も、諦めた絵描きへの夢も、再燃する絵描きへの切望も、混ざり合いながら全てが詰まっていた。」

開拓民の末裔の男の丸ごとの人生を通して、著者は彼が亡くなった後も、自身の「生きる」ことの意味を探り続けています。これは、一人のカメラマンが原野に生きる一人の男と対峙し、彼の生と死を見つめることで、自身の人生に彼の人生の知恵と思索を取り込んでいった、いわば哲学書なのです。いい本に出会えたと思っています。

★連休のご案内  8月5日(月))6日(火)は恒例「レティシア書房 夏の古本市」(8/7〜8/18 参加27店舗)の準備のためにお休みさせていただきます。

かつて、ヒーリングあるいは癒し系の本としてネィティブアメリカンの本が流行りました。どうでもいいいような内容の本も多くありましたが、是非読んで欲しいと思うのは、ナンシー・ウッド著・金関寿夫訳「今日は死ぬにはもってこいの日」(めるくまーる/古書850円)、ジョセフ・ブルチャック編・中沢新一+石川雄午訳「それでもあなたの道を行け」(めるくまーる/古書800円)の2冊です。

「今日は死ぬにはもってこいの日だ。生きているもの全てが、わたしと呼吸を合わせている。すべての声が、わたしの中で合唱している。すべての美が、わたしの中で休もうとしてやって来た。あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。」

生きること、死ぬことをこれほど簡素に、しかも深く描いたものはないと思います。この二冊の本は、ゆっくりと読むことをお薦めします。簡単な文章ばかりなので、一気に読もうと思えば読めますが、それでは意味がありません。ゆっくりと、ゆっくりと、心の中で反復することで、彼らの心とシンクロナイズしてください。アメリカ大陸の雄大な自然と共に、暮らしてきた中から生まれてきた彼らの精神は、きっと読者の心の中に染み込んできます。

 

ところで、最近ネィティブアメリカンの悲しい世界を知る映画を見ました。「ウインドリバー」です。ネィティブアメリカンの女性たちの失踪件数が急激に増加しているにも関わらず、一度も調査されたことがない現状。彼らが住む、いわゆる保留地の生活環境の悪化、広大なその保留地に警官が数名しかいないという危険等を、映画の背景に溶け込ませたサスペンス映画です。

主人公は、この地の野生管理局に勤務するハンターです。彼が、雪の上に若い女性に死体を発見したところから物語は始まります。捜査にやって来た FBIの女性刑事と共に、その死因を探ってゆくうちに、やりきれない現実に直面することになります。舞台となるウインド・リバーは、全米各地に点在するネイティブアメリカンの保留地のひとつで、荒れ果てた大地での生活を強いられた人々は、貧困やドラッグなどの慢性的な問題に苦しんでいます。保留地で頻発する女性たちの失踪や性犯罪被害も多発しています。現代のアメリカの繁栄から見放された”忘れられた人々”の姿を、正統派のサスペンス映画に仕立て上げたテイラー・シェリダン監督の腕前に拍手です。

主人公のハンター、コリーを演じるのはジェレミー・レナー。「ハート・ロッカー」「メッセージ」などでめきめきと頭角をあらわしてきた役者ですが、実にいい!マッチョ的な強さではなく、人生の悲愁を滲ませた佇まいが様になっています。復讐は、賛美されるものではありませんが、この映画のラストには溜飲が下がる思いでした。

 

★連休のご案内  8月5日(月))6日(火)は恒例「レティシア書房 夏の古本市」(8/7〜8/18 参加27店舗)の準備のためにお休みさせていただきます。

左京区浄土寺にある「ホホホ座」は、皆さんよくご存知の書店。この店を切り盛りする二人、山下賢二さんと松本伸哉さんの本「ホホホ座の反省文」(ミシマ社1944円)は、最初、なんや二人の愚痴本かいなぁ〜、なめんとんなぁ〜、などと思いつつ読み始めたところ・・・・・。

読み進めてゆくと、実に面白い。

「『わざわざ言いたいためだけに、遠回りをする』ことは、意識的にやっているわけではないのですが、なぜか、ホホホ座では多い気がします。日頃、無駄話ばかりしているからでしょうか。面白い表現は、合理性から離れたところから生まれる。そんな気もしています。」とか、「あらゆる物事は、自然発生的に始まることが、一番長続きし、強い。と僕は考えています」という山下さんの文章に出会うと、そうだよな、と納得します。

ホホホ座開店への道、そして京都市左京区という特殊な環境下で、どのようにしてホホホ座を育ててゆくか、二人の考えが明らかにされていきます。ホホホ座が開店したビルの二階で、元々古本屋「コトバヨネット」を営んでいた松本さんは、2000年前後から書店業界でのナチュラルな暮らし・生活を目指す流行に対して、こうぼやきます。

「ひたひたと忍び寄る『暮らし・生活系』の足音に、お店の存続をかけて歩調を合わせながらも、時として、その道に、バラバラと画鋲をまき散らしたくなることもあります。それは、常に人生の脇道に追いやられていた、サブカル者としての怨念と、燃えカスのようなプライドがもたらす、屈折した感情なのかもしれません」

「バラバラと画鋲をまき散らしたくなる」というご意見、私も同感です。その手の本一色に染まってゆくことへの苛立ちは、今もあります。

これは素晴らしいと思った山下さんの考え方を見つけました。子供が買って欲しいとねだった本を、親が難しいからもう少し大きくなってからと拒む、よく見かける光景に対して彼はこう書いています。

「その本に『大きくなってから』出会うチャンスは、決して多くはありません。そもそも、本は可能性を開拓するためにあるので、今この時点で、理解できるかどうかは、たいして重要ではないのです。

可能性しかない子どもが、直感で『面白そう』と思った本は、なるべく買ってあげるべきだと、僕は考えています。」

ぼやき本かと思っていたら、深く考えさせる。あるいは、こんな新しい仕事のやり方ってあるんだと驚かせてもらえる刺激に満ちた本でした。二人の中年男の今後に嫌が応にも期待度アップ。

ところで、版元のミシマ社が作ったポップが素晴らしい出来!

「もはや夢も希望もなく それでも毎日店あけてます。」

そして帯の文章

「『ていねいな暮らし』『セレクトショップ』『夢を持とう』…..そういうものに疲れてしまったすべての人へ。」

お見事!座布団一枚です。

 

 

トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再びやってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

 

 

村上春樹と柴田元幸の対談を収録した「本当の翻訳の話をしよう」(SWITCH LIBRARY/古書1300円)を一気に読みました。もともと雑誌「MONKEY」に掲載された対談を単行本にしているものなので、柴田ファンは雑誌ですでにお持ちかもしれません。でも、まとめて読むとこの二人が愛してやまない作家、主にアメリカ文学の作家たちのことがよく分かり、二人の創作や翻訳に様々な影響を与えていることが理解できます。

大のジャズ好きの村上が、ジャズの進化発展とアメリカ文学の発展を、上手い具合に述べていました。40年代ダンス音楽だったジャズに、50年代に黒人がビバップという革新的なジャズスタイルを創造し、それを白人が洗練化させていった歴史を踏まえて、「50年代はクリエイティビティと洗練化が上手く歩調を合わせていた時代で、その頃に出されたジャズのレコードはあまりハズレがない。60年代になるとまたクリエイティビティな動きが起こってくるわけだけど、そのぶんハズレが多くなるんです。小説も50年代はハズレがない時代な気がします。」

柴田がその意見に同調すると、村上は続けます。「小説もメイラー、カポーティー、サリンジャー、マッカラーズと、50年代は質のいいものがまとまって出てきている。60年代はそれがはじけてばらけてきます。」

こういった興味深い話がぎっしり詰まった一冊です。私は、先ずはアメリカ映画があってその原作を読みだしました。どちらかというと海外小説に興味のない方にもこの本を読んでいただいて、興味ある作家が出てくれば、一度トライしてみてもらいたいと思います。後半には、二人が同じ文章を翻訳して、どこがどう違うのかトークする場面が出てきます。翻訳の奥深さを知っていただけるはずです。

最も面白かったのは、村上が小説に置ける礼儀正しさを重視しているというところ(P174)でした。柴田が、「礼儀正しさというのは登場人物の振る舞いのことですか。」と問い返すと、村上は「上手く言えないんだけど、文章を書く姿勢というか心持ちというか。」と答えます。

さらに柴田が「ヴォネガットがディーセンシー(decency=まっとうさ)という言葉を使いますが、それとも違いますか」と迫ると、村上は「似ているかもしれない。」と前置きして、彼の論を展開していきます。立ち読みでも、ぜひご一読を。

 

トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再びやってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

 

 

 

信頼している映画評論、文芸評論、そしてエッセイストの川本三郎の「台湾、ローカル線、そして荷風」(平凡社/古書1500円)を味わいました。そうなんです。「味わう」という言葉がピタリとハマる一冊なのです。

著者は10年ほど前に妻に先立たれました。その後、一人暮らしを続けていますが、この本は雑誌「東京人」に2015年から18年にかけて連載された「川本三郎 東京つれづれ日誌」をまとめたものです。一人ローカル線に乗り、見知らぬ町を歩き回り、地元のお酒飲む。あるいは、最近何度も訪れている台湾で、地元に生きる人たちと交流を持つ。老境にさしかかった著者の、ゆっくりと流れてゆく時間。

「きれいな名前の町には、それだけで行きたくなる。埼玉県の北東部に、菖蒲町という町がある。現在は久喜市に入っている。五月の菖蒲の季節になると、この街のことを思い出す。以前から一度、行きたいと思っていた。五月の連休が終わったあと、朝から、風がさわやかで、五月晴れ。思い立って菖蒲に出かけた。」

と、こんな感じでひょいと出かけるフットワークの軽さが魅力的です。別に観光地を巡るわけでもなく、田園風景を楽しみ、季節の風を感じながらぶらぶらするだけです。そして、その土地に所縁のある作家が紹介されていきます。例えば、秋晴れの一日、森鴎外の歴史小説に登場する興津の町(静岡市清水区)に出向きます。ここは戦時中、詩人の堀内大學が、家族を連れて疎開していたのだそうです。こうして著者の鉄道の旅に付き合いながら、日本文学史の一部を垣間見ることができます。

「七十代のいま、若い頃に比べれば、はるかに平穏な暮らしに恵まれている。」と、まえがきに書かれています。一人旅を愛し、読書に浸り、新しい映画に興奮する。好きな世界をいくつか持っていることこそが、老後の暮らしを豊かなものにすることを、この本は教えてくれます。確かに、孤独はある。しかし、著者は最も敬愛する永井荷風のこんな言葉で、孤独の良さを表現しています。

「生きている中、わたくしの身に懐かしかったものはさびしさであった。さびしさの在ったばかりにわたくしの生涯には薄いながらにも色彩があった」

 

♫トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再びやってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

                     075−212−1772(レティシア書房)

♫連休のお知らせ 7月1日(月)〜2日(火)

 

 

1994年北斗出版から「森は海の恋人」が出版されました。著者の畠山 重篤は、1943年上海生まれ。戦後、父親の実家のある宮城県気仙沼で牡蠣、帆立の養殖に従事していました。汚水の垂れ流し等で海の汚染が始まった時、上流山間部の森林が果たす役割に着目し、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山へ植樹を開始します。その経緯を書いたのが「森は海の恋人」でした。

今年、”牡蠣爺さん"こと畠山さんへの聞き語りで、「牡蠣の森と生きる」(中央公論社/古書950円)が出版されました。三キロもある大ダコを素手で捕まえていた幼年時代、父親が始めた牡蠣の養殖を手伝い出した若い頃、チリ地震で発生した津波で大打撃を受けたこと、帆立養殖に挑戦し、何度も失敗しながら、軌道に乗せて暮らしが楽になってきた日々、そして高度成長時代、三陸の海に異変が起こるまでが前半です。

東京オリンピックで日本が沸き立っていた頃、先ずノリの養殖に異変が起き、続けて牡蠣が思うように育たなくなります。海の汚染です。企業活動による排水や生活排水の汚れなどが、海を河川を汚していきます。そんな時、森の豊かな場所に魚が集まることを科学的に立証した北大の松永勝彦教授に出会います。

植物プランクトンが海藻や海中の窒素やリン等の栄養分を吸収するのを助けるのが、鉄分です。広葉樹が秋に落葉し、腐植土になる時に出来るフルボ酸は、地中の鉄と結合し、フルボ酸鉄となり、川を経由して海に流れ込んできます。鉄分を海に運んでいたのは、森で生まれたフルボ酸だったのです。

畠山さんは、早速仲間たちと植林運動を立ち上げ、森を豊かにしていきます。そのことが、長い目で見れば、海を豊かにするのです。

「森と川、海がつながり、鉄が供給されれば美しいふるさとはよみがえる。それがわたしの信念です」

畠山さんは、本業の傍ら植林作業を行い、地元の小学生の海辺の体験学習へと、活動のエリアを広げていきます。全て、順調と思っていた矢先、再び津波がこの地を襲います。東日本大震災です。その破壊の凄まじさが語られます。老人ホームに入所していた母親を失い、何もかもが流され、もうダメだと思ったある日のこと、「魚がいる!」と孫たちが叫びます。さらに、湾を調査した京大の田中克先生は、こんな言葉を伝えます。

「津波では、干潟を埋め立てた場所での被害は大きいですが、川や森の被害はほとんどありません。海が、津波で撹拌されて養分が海底から浮上してきたところに、森の養分が川を通して安定的に供給されています。畠山さん、”森は海の恋人”は真実です」

牡蠣を守り、海と山を守ってきた畠山さんの半生が、よくわかる聞き語りです。

 

 

 

本に関する書籍を発行している神戸市の出版社、苦楽堂の作品はユニークです。

先ずは、3冊シリーズで出版されている「次の本へ」(1944円)。様々な人たちが紹介する「面白い2冊目」とどう出会うかを集めたユニークな本です。一冊は読んだ、しかし次にどんな本を読めば良いのかをわからないという方々へ、こんな本からあんな本へと繋がったということを紹介してくれます。フランクルの「夜と霧」から、同じ著者の「それでも人生にイエスと言う」という繋がりは、成る程と思いました。坪内祐三「靖国」から赤坂真理の「東京プリズン」も戦後を考えるということでは納得です。でも、中にはそっちへ向かうのかとびっくりさせてくれるものも沢山あります。

この本は売れたので、第二弾「「続・次の本へ」(1620円)が登場しました。山崎ナオコーラ、山折哲雄、最相葉月などの著名人も参加、さらにヒートアップしていきます。第三弾「次の本へ しごと編」(1728円)は、少し切り口を変えて、囲碁棋士、映画館支配人、喫茶店店主、遊覧航海士、ラジオ記者など、様々な仕事をしている人たちが、一体どんな本を読み繋いでいるのかを集めています。元保育士の方は、「怪獣大図鑑」から「特撮秘宝Vol.1」へ。コンサートホール企画に携わる人は、「戦後日本のジャズ文化」から「芝居上手な大阪人へ」などフムフムの連続です。

さて、こんな本出すのか!とびっくりしたのが「スリップの技法」(1543円)です。「スリップ」は、新刊本に挟まれている栞みたいなもので、新刊書店で本を買うと、このスリップは店員が抜き取ります。集まったスリップをもとに在庫のチェック、発注や売場の管理に使います。業界人以外にこんな本読むの?と半信半疑で置いてみたら、数冊売れました。お買いになられたお客様に書店関係の方ですか?と聞くと、「いいえ、でも面白そうだから。」というお返事に、そうか〜面白いと思う人がいるんだと感心しました。

もう一冊。「真っ直ぐに本を売る」(1944円)は、出版社から直接仕入れをしたり、もっと簡便なやり方で本を仕入れるやり方を説明した本です。これまた本屋さん以外の人は読まないのかと思っていると、違う商売の方が買われたり、メディア関係の方が買われたりと面白い売れ方をしている本なのです。

およそ一般向けとは言い難い本を出版する、苦楽堂を応援していきたいと思っています。

レティシア書房連休のお知らせ

誠に勝手ながら、6月3日(月)4日(火)連休いたします 

 

今年87歳の小林信彦は、最も敬愛する作家の一人です。教養、大衆芸能への知識、文学的技量に加えて、ユーモアと笑いのセンスを兼ね備えた作家です。この人の映画論、コラムに駄文はなく、作品の評価も的確で信頼していました。週刊文春で連載されていた「本音を申せば」は、楽しみでした。80歳を超えた作家が、広瀬すずや、橋本愛を語るのですからね。ただ残念ながら、体調を理由に休載中です。

小林が2003年に出した「名人」(文藝春秋)が、朝日新聞社から文庫で再発(古書300円)されました。しかも1981年「ブルータス」に収録された古今亭志ん朝との対談も再録されています。「名人」というタイトルからわかるように、これは江戸落語を代表する古今亭志ん生と、その息子志ん朝について書かれたものです。米朝一門に代表される上方落語は見たことがありますが、江戸のは実際に見たことがありません。だから、この本はとても興味深く読みました。

落語に興味のない人は、後半かなりページを割いて書かれた「落語・言葉・漱石」をどうぞ。「夏目漱石と落語」と題された章では、漱石の「我輩は猫である」と落語の世界を様々な角度からアプローチしていきます。

「江戸芸能を源流とするもっとも洗練された笑いが、じかに西洋に触れてきたもっとも知的な作家の筆によって蘇ったのは、明治文学史上の大きな皮肉である。」

「文学の中に<厳粛な真実・人生>のみを求めた(同時代の)自然主義作家の作品の大半が読まれなくなった今日、『猫』は依然として読み継がれている。それも、<教科書にのっているから読まれる>古典のたぐいではなく、ぼく自身が体験したように、もっとスリリングで白熱した読書の時を過ごすことができる。このような作品を古典の枠内に閉じこめておくのは読書界にとって大きなマイナスである」

というのが小林の「我輩は猫である」評価の核心です。

最後に収録されている対談で、志ん朝が「芸」の定義をこんな風に語っています。

「芸というのは、やはり聞いている人に魔術をかけるというか、何もないのに本当に飲んだように見せたりという、まやかしに近いものでしょう。まやかしに近いものというのは、精一杯やっちゃうと、相手はまやかされないんですよ」

至極名言です。余裕のないところに良い芸はない。それは小説も一緒だと小林も賛成しています。

レティシア書房連休のお知らせ

誠に勝手ながら、6月3日(月)4日(火)連休いたします 

 

 

Tagged with:
 

前田亜紀著「カレーライスを一から作る」(ポプラ社/古書750円)が面白い!カレーライスを作る本のどこが面白いの??とお思いの方、これ単なるレシピ本ではありません。

カレーを作るなら、まずスーパーへ行って、具材を買い調理し、ご飯を炊いて盛り付けて、はい終わりというのがフツーですが、ここで作るカレーライスは、すべて一から作ってゆくのです。つまり、

1.野菜を種から育てる 2.お米を苗から作る 3.肉となる鳥をヒナから育てて、屠殺する 4.塩、スパイス、器もスプーンも一から作ってゆく

というカレーの作り方です。

提案したのは、「グレートジャーニー」で有名な冒険家の関野吉晴。で、それを実行したのがドキュメンタリー番組制作者の前田亜紀。実際に作ったのは武蔵野美術大学の学生たち。期間は1年間。4本足の動物は一般人は殺せないので、2本足の鳥なら大丈夫。なら、鶏よりダチョウが面白いと、ダチョウカレーに決定します。総勢150名ほどが参加した、奇妙なプロジェクトのスタートです。

ここで、関野はひとつ提案します。「作物をなるべく自然に近い形で育てようという提案だ。野菜や米をより早く、より大きく育てるための化学肥料や、害虫を防ぐための農薬は一切使わないやり方で作ってみよう」というものです。しかし、畑仕事もしたことのない、ましてダチョウなんて飼ったことのない学生たちです。次々とトラブルやら、難問が押し寄せてきます。ダチョウのヒナが全部死んでしまい、ここで、熱が引いたみたいに多くの学生が去っていきます。しかし、プロジェクトは続きます。

「一から作る」という関野の言葉には彼の自然への思いが込められています。

「私たちは自然のものを『ゼロから』作ることはできない。種から植物を育てることはできる。生まれた動物を大きく育てることもできる。でも、何もない『ゼロ』から、種や命を生み出すことはできない。だから、始まりは『ゼロ』ではなく『一』なのだ。自然から生み出す大事な『一』」

『一』からスタートしてゆくことで、命を見つめ、社会を見つめるのが、このプロジェクトの原点です。実際、最後まで付き合った学生たちの社会を見る目が変化してきているのです。

関野は「体を通して学んだことは、すぐに結果は出ないし、そもそも、すぐに身につく知識を教えているつもりはない。」と考えます。そして、その体験から10年ぐらい経過した時に、ああ、あれは、こういうことだったんだと分かってくれればいい、と。

「答えはすぐに出なくて良い。いつまでも待つ。それが関野ゼミなのだ。」

蛇足ながら、著者は「カレーライスを一から作る」というタイトルで劇場公開映画を作ってしまいました。

 

レティシア書房連休のお知らせ

誠に勝手ながら、6月3日(月)4日(火)連休いたします 。