井伏鱒二、太宰治、上林暁といった大物たちが集まった「阿佐ヶ谷会」を詳細にまとめた青柳いずみこ・川本三郎監修の「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」(幻戯書房/古書2400円)は、文壇を代表する作家たちの飾らない人柄が表れた一冊です。

戦前、井伏鱒二、太宰治、上林暁、木山 捷平、亀井勝一郎など中央線沿線に住んでいた文士たちが、阿佐ヶ谷駅近くの中華料理屋に集まり、酒を飲み、将棋を指して一時を楽しみ、戦後は、仏文学者青柳瑞穂の家に会場を移して、交流していました。

瑞穂の孫で、この本の監修者でもある青柳いずみこは、「阿佐ヶ谷文士たちに共通しているのは、純文学に徹して清貧に甘んじたということ、商業主義に陥ることをひどく嫌ったということだ。」と回想しています。文士たちは、お金があるとはとても言えない境遇でものんびりとした、どこ吹く風といったタッチで文章を書いています。

本書は、井伏、上林、木山、亀井、家を提供した青柳瑞穂たちが、「阿佐ヶ谷会」について書いた文章を収集しています。上林は、戦時中食料が乏しくなって食べ物を当てにしていったピクニックで、太宰が几帳面に弁当を用意していたことを書いていました。「狭い峡谷を走るその電車の中で、太宰君は持参してきた弁当箱を開いた。そばに坐っていた誰かにおむすびを分け、指先にくっつくご飯粒を舐めながら、むしゃむしゃと食った。」とても戦時中の話とは思えない、のんびりした時間です。

上林はまた、「阿佐ヶ谷会には統領はいないが、強ひて統領格の人を探せば、井伏さんといふことにならう」と書いています。この回の中心人物だった井伏は、将棋や酒の飲み方だけでなく、文学創作の点でも文士たちの規範になっていたみたいです。仏文学者河盛好蔵によると、全くアポも取らずに井伏の家を訪ねたところ、喜んで迎えてくれたそうです。青柳いずみこは、井伏の振る舞いをこう書きます。

「どの文士の回想を読んでいても、井伏は来るもの拒まずだったらしい。友人たちは玄関を通らず、庭を横切り八畳の書斎の縁側に直行して声をかけ、すぐに将棋が始まる。」

お金もモノもない時代だけれども、おおらかに人生を楽しんだ人々の、これはドキュメントでもあります。

明日は、川本三郎「それぞれの東京 昭和の町に行きた作家たち」という昭和文士、映画監督、画家を巡る本をご紹介します。

 

予告

12月11日(水)から始まる知床在住の絵本作家あかしのぶこさんの絵本展に、知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンが届きます。シュトレンも含めて20個ほどのパンは、初日のみの販売になりますのでお見逃しなく。

 

熊本にある橙書店店主田尻久美子さんの新しい本「橙書店にて」(晶文社/古書1300円)は、著者の優しさが随所に表れていて、とても心地よい後味が残る一冊です。

熊本市内の路地裏にある橙書店。本屋と喫茶とギャラリーを一つにしたその店に寄り添うお客さんたちを、田尻さんはそっと見つめています。開店当時、全てが未経験で、勢いに任せて突き進む不安な日々を救ってくれたのが、工事をしてくれた棟梁の、「やっているうちにプロになる」という言葉でした。「やっているうちにプロになるから大丈夫。この言葉は、店をはじめたとき、お守りだった」。そして、店を営みながら文芸誌「アルテリ」を発行するまでに至りました。

知人の写真家が書架を見て、「相変わらず弱者の本ばかりおいてるね、そこがぶれないよね。」と呟いたそうです。

「私はそうだろうかと思いながら書架を眺め、意識したことはなかったけど確かに弱者だらけだな、と合点がいった。水俣病患者にハンセン病治療所入所者、戦争の無数の被害者、さまざまな理由で差別される人たち、寄る辺ない人……..よりどりみどりだ。耳をそばだてたくなるのはかそけき声で、それは人を圧しようとする大きな声よりも力強く魅力的だ。」

こういう店なので、いろんな思いの人たちが集まってきます。大雨で店が水浸しになった時、来店した人が後片付けに参加してくれたり、あるいは、熊本在住だった作家石牟礼道子さんが死去された時、彼女を知っている人も知らない人も集まってきます。

「悲しみにくれている。店が通夜会場のようだ。近しい気持ちの人と同じ空間にいたい、と思って来店されるのだろう。葬式というのは、本来そういうものかもしれない。死んだ人のためでなく、残された人たちのためにある。」

なぜこんなに人が来るのですかと尋ねられた時の、彼女の答えはこうです。「自分でもよくわからない。ありがたく巻き込まれているだけだ。」と。彼女の魅力が大きいのはいうまでもありません。ここで、朗読会を行なった村上春樹もそんな魅力に吸い寄せられた一人かもしれませんね。

「『もうすぐ満月だね』 そういうことを気にして暮らしている人が、私の周りにはわりといる、満月が近くなると、自然とそんな話をしているような人が。私もその口だ。」

“月友達”がいるなんて素敵ですね。ふと立ち止まって、月を見上げる。あ、満月、だけで嬉しくなる。田尻さん、私もその一人です。犬の散歩の時にいつもお月様を探しています。

 

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イギリス生まれの絵本作家、スーザン・バーレイが、1984年に発表した「わすれられないおくりもの」(評論社/古書850円)は世界的に注目され、今も売れ続けています。

森に住む老いたアナグマは、森の仲間たちに慕われていました。しかし、「長いトンネルの 向こうに行くよ さようなら アナグマより」という手紙を残して、天国へと旅立っていきます。悲しみにくれる仲間たち。けれど、冬が去り春が訪れる頃、みんなは彼が残していった豊かさを心の中に残すことで、少しづつ悲しみを癒していきます。肉体は滅んでも、彼の言葉や教えてもらったことは永遠に残ると悟った友達のモグラは春の大空に向かって、「ありがとう、アナグマさん」と呼びかけます。

「モグラは、なんだか、そばでアナグマが、聞いてくれるような気がしました。そうですね……きっとアナグマに…..聞こえたにちがいありませんよね。」

ラストの春の大空に向かって声を出すモグラのシーンがとても素敵で、愛したものの魂は、いつでもそばにいるよ、という感じが良く表されていると思います。

三木卓は「鶸」で芥川賞、「路地」で 谷崎潤一郎を受賞した文学者です。三木が物語を作り、スーザン・バーレイが日本語を英語の翻訳し、絵を描いた作品「りんご」(かまくら春秋社/古書900円)を入荷しました。海外の作家のものを、文学者が日本語に翻訳したものは沢山ありますが、その逆のパターンは珍しいと思います。       

話は山の中に捨てていたりんごの芯を、森の動物たちが育てるというものです。左ページに日本語と英語、右ページに絵が配置されています。

「春になって 木は はじめて 白い花を いっぱいにさかせました。」

“Spring came  For the first time the tree was full of white flowers”

難しい英語ではありません。なんとなく音読したくなってきます。体の中に言葉がすっと入ってくる感じです。こういう文章を英語の勉強に使えばいいのに…….。

ところで、三木卓の新刊(?)が、新しく立ち上がった出版社、水窓出版から出ました。「ミッドワイフの家」(新刊1980円)という短編集です。昭和48年に一度講談社から出版されtものを復刻したものです。三つの短編が収められていますが、「炎に追われて」は童貞であることに苦悩する若者が、童貞を捨てる様を描いた物語です。

「わたしは和子の歯を舌で愛撫し、口を開いてくれることを望んだ」なんていう、古色蒼然として文章に出会うと、なんだかなぁ〜と思いますが、雑誌に発表されたのが昭和48年。あの時代では、こんな物語を書く人は少なかったのでしょうか。

三木卓の違った側面を知った気分です。

 

 

 

 

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現在、京都シネマにて上映中の長編アニメ「幸福路のチー」は、台湾から彗星の如く飛び出したソン・シンインが監督した作品です。彼女は、京都大学大学院で映画論を学んでいて、数年間京都に滞在していました。その時の京都での暮らしを綴ったのが「いつもひとりだった、京都での日々」(早川書房/古書1300円)です。

台湾からやってきた若い女性と、彼女の周りを去来する人たちの交流を瑞々しく綴ったエッセイです。半分観光ガイドっぽい京都暮らし本とは一線を画している、とても素敵な一冊でした。

新宿から夜行バスに乗り、京都へと向かい、早朝の京都駅八条口に降り立ちます。初めての古都の印象は、こんな風でした。

「駅の周辺はからっぽ。わたしだけ。暗くて、静かな空間。急に怖くなった。慌てて重たいスーツケースを引きずり、地下街に身を潜めた。何かに飲み込まれてしまいそうで怖かった。 地下街は明るかった。けれど、誰ひとりいない。スーツケースに座って、静かに時が過ぎるのを待つ。古都が目覚めるのを待った。」

静寂感と孤独感。この本を覆っているのは、この二つです。来日直前、彼女は親友の自殺を知ります。友人を失った悲しみと「いつもひとりだった、京都での日々」。

でもこの町と、そこに暮らすおかしくて不思議な人たちとの交流を通して、固まっていた心の中がほぐされていきます。その春風のような優しさが、文章にはあふれています。

居心地が良かったけれど、ひっそりと消えていったカラオケボックス。おばあさん一人がやっている喫茶店。そこは、なんと注文してコーヒーが1時間過ぎて、やっと出てくるお店です。店の名前は「クンパルシータ」。普通なら、二度ど来るか!と思うとことですが、行くんですね、彼女は。やがて、その店も閉じてしまいます。他には、京大吉田寮で出会った天才的ピアニストや、着物フェチの坊主とか、不思議な、そしてちょっと切ないような人たち。

「京都の銭湯が大好きだ」という彼女。銭湯で交わされる京都弁は、当初さっぱり理解できなかったのですが、距離が縮まって、ある時「お風呂あがりに冷たい牛乳を飲むのんが人生最高のことやね。これぞジャパニーズ・スタイルや」と見知らぬおばさんからプレゼントされます。残念ながら、この銭湯も店をたたむことになります。彼女にとって「この銭湯だけが、わたしが厳寒の京都を過ごした場所であり、京都弁を学び、人情の温かさを学んだ場所だということが重要なのだ。」という場所だったのです。

「しゃあないわ。何事にも賞味期限いうもんがあるしなぁ」とは銭湯のおかみさんの言葉です。深い言葉ですね。

最後に彼女はこう書いています。

「神様。京都でひとりぼっちの日々をくださって、ありがとうございます。」

来週、映画「幸福路のチー」を見にゆく予定です。

 

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と言っても、これ、この三人の本をまとめて一緒にした当店のコーナーのことです。この三人がお互いにコラボした本が何点かあったために思い切って並べてみました。

「踏切の前に並んだ葱坊主」は、和田誠が初めて作った俳句です。小学校に入るちょっと前六歳頃の作だそうです。和田と俳句を作る人たちとの楽しい交流を描いた「五・七・五交友録」(白水社/古書900円)は、俳句なんて興味ない人(私も含めて)に読んで欲しい本です。最初から読む必要はなく、パッと開けて、これ面白そう!という一句に出会ったら、そこには作った人と和田の交流が面白く書かれています。

「犬の目の語り続けし薄暑かな」

これは、銅版画家山本容子の作品で、彼女は和田の銅版画の師匠です。彼女の愛犬ルーカスが「暑おすなぁ〜、毛皮着てるようなもんやさかい、たまりまへんな〜」という様を描いた一句です。通読はしていないのですが、時間が空いた時に、パラパラ読んでいて、ちょっとずつ俳句に親しんでいます。

前から店に置いておきたかった和田の本も入荷しました「Book Covers in Wadaland 」( ARTES/古書2900円)。こちらは和田がブックカバーを担当した本を集めて、紹介した一冊です。玉木正之「京都祇園遁走曲」の祇園の街並みは、個人的に大好きなカバーです。(案外見つからない)

安西水丸と村上春樹が組んだ「村上朝日堂」シリーズもまとめて単行本で入荷しました。春樹は和田とも組んで、音楽関係で素敵な作品を出していますが、安西と組んだ作品では、安西の世界を巧みに自分の文章の中にはめ込んでいます。個人的に春樹&安西コンビのベストと言えば「中国行きのスロウ・ボート」の装幀でしょうね。すっきりしたデザインとブルーが目に飛び込んできます。春樹最初の短編集で、以前ブログにも書きましたが、中でも「午後の最後の芝生」は、最も好きな春樹作品です。

 

この三人が共同で出した本は、ないはずです。せめて書架の中で一緒にしたいと思い、コーナーを作りました。眺めているだけで、なんだかワクワクするのです。

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新刊書店に溢れるヘイト本について作る側、売る側の思惑を追いかけた永江朗「私は本屋が好きでした」(太郎次郎社エディタス/新刊1760円)は、新刊書店の現状を深く掘り下げた一冊で、少なくとも、新刊書店員は須く読んでおきたい本です。

本の紹介に入る前に個人的な体験を一つ。私が新刊書店勤務時代は、これほど多くのヘイト本は出ていませんでしたが、それらしい本は日々入荷してきました。署名も著者も忘れましたが、とある本のあまりに幼稚な内容の偏りに、入荷即返本をしたところ上司に注意されました。その時の指摘は、1.本の選別をするのは書店ではなく読者だ。2.書店は組織で動く営利企業だから利益第一だ。という二つでした。わかりましたと言ったものの、モヤモヤ感は残り続けてきました。この感じは、もしかしたら今の本屋を立ち上げる遠因にもなっていたのではないかとも思います。

で、そのモヤモヤ感が、この本を読んでスッキリ解消。なるほど、そう言う事だったのかと納得しました。永江さんありがとうございます。(永江さんにはお世話になりっぱなしです)著者はこう書いています。

「ヘイト本を『仕事』だからと割り切ってつくる編集者、『仕事』だからと割り切って広告宣伝し、営業する担当者は、『仕事』だからと割り切って原発を動かしつづけたり、廃液を垂れ流したりする公害企業の従業員や経営者と似ている。彼らもまた、手を汚している。」

そして書店については、「これは想像力の問題だ。店頭にヘイト本を並べている書店員は、その本が入荷した時、その本を見た人がどんな気持ちになるか想像していない。自分が働く書店にどんな客が来るのか想像していない。」

「韓国人出て行け」なんて本を在日コリアンの子供や、観光で日本に来た韓国の人々が見たらどう思うか。書店に入ったら、「京都人は醜い、臭い」なんて本が置いてあれば、「なんや、気分悪いわ〜」と一緒ですね。

では何故この手合いの本が並ぶのかについて、著者は旧態依然とした流通制度にメスを入れています。もちろん、悪戦苦闘している書店員たちの現状を常に頭に置きながら、どうあるべきかを論じていきます。

「入荷してきたヘイト本を書店員が店頭に並べるたびに、その街の誰かを傷つけ、泣いている。そのことを出版業界にいる者は無自覚ではいけない。」これは肝に命じておかねばならない言葉です。

ところで、青林堂という出版社をご存知でしょうか。漫画雑誌「ガロ」を出し、漫画界のニューウェーブを引っ張った出版社です。しかし今、青林堂は確信犯的にヘイト本を出しています。え?あの出版社が?と、私もこの本で知って驚きました。

●大阪の動物保護団体ARKの来年度カレンダー発売中です。

壁掛けタイプ1000円 机上タイプ800円です。売上は、全てARKにお渡しいたします。当施設に保護されている動物たちのために使われます。

 

「文士」という言葉がふさわしい作家の愛用品を集めた一冊の写文集を入荷しました。文・矢島裕紀彦、写真・高橋昌嗣による「文士の逸品」(文藝春秋/古書1000円)です。

「『文士はかすみを食って生きるべし』という名言がある。なるほど文士の逸品には豪華絢爛たるものはない。がらくた(?)ばかり、されど逸品なのである」とは、本書の帯に書かれた半藤一利の言葉です。確かに、いかにも高価なものは登場しませんね。エリート会社員から一転して、貧困の俳人として生きた尾崎放哉のインク壺なんて、どこにでも転がっていそうな壺なのですが、こう書かれています。

「放哉は独居無言、句作三昧で生きながら、夥しい数の手紙を書き送っていた。孤独を希求しつつも、真冬の深更、火鉢の埋み火に思わず手をかざすように、友の情愛に縋らずにはおれなかった。横たえた壜の口から、そんな放哉の生の痕跡がこぼれ落ちて見えた。」

こんな文章を読みながら壜を見てみると、寒さに震えながら手紙を書く放哉の姿が立ち上ってきます。写真と文章が見事にコラボして、文士たちの生の姿が浮き上がります。「反骨とははにかみの人生哲学」をモットーにした山口瞳の帽子では、「真面目な性格の現れか、気楽な散歩でもての指先までをピント伸ばして歩いていたという作家の姿が、帽子の向こうに浮かんでくる」。その姿が蘇ってきます。

幸田露伴の煙管とか、池波正太郎の万年筆とか、遠藤周作のマリア像、宮沢賢治のチェロ、いかにもこの作家らしいものが並んでいる反面、谷崎潤一郎のめちゃくちゃ派手な長襦袢や、檀一雄の貝の化石などなんだか笑えてくるものもあります。

古びて黄ばんだオルガンは、寺田寅彦が愛用したものです。「寅彦が理学博士の学位を得たテーマは、尺八の音響学的研究。中学時代から尺八を吹き、長じては蓄音機に凝る音楽マニア」だったそうです。知りませんでしたが、今なら、中古レコード店でレコードを漁る姿を見かけたかもしれませんね。

私が一番、驚いたのは小林多喜二のデスマスクです。プロレタリア文学の旗手だった小林は、警察に目をつけられて拷問の末に惨殺されます。葬儀まで妨害する警察の隙をついて、仲間たちが作ったデスマスクです。深夜、塗った石膏を生乾きの状態ではがしたため、マスクの一部が裂けてしまいました。

「狂気の時代に抵抗し無念の死を遂げた作家の魂が、苦闘と崇高の色を宿すそのマスクに、確かに刻まれていた。」という文章で結んでいます。このデスマスク、小樽市の小樽文学館が所蔵していて見ることができるのだそうです。

 

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「住む」ということについて様々な角度から考察する本を何点か入荷しました。従来なら、住宅については建築家の仕事と決まっていました。しかし最近、建築家の中には、自分の作った家にどんな家族が入居し、どのような生活を営むのかということに興味を持ち、それまでこういった事に対応してきた社会学者や、文学者が、それぞれの垣根を超えてアプローチしてゆくというムーブメントが起こりました。その動きを書き留めたのが上野千鶴子「家族を容れるハコ、家族を超えるハコ」(平凡社/古書1500円)です。

こういう動きが出てきたのは、「住宅という『ハコ』と家族という『現実』がどうやらズレてきているらしい、という現状認識です。『住宅に、想定通りの家族がおさまっているわけだはなさそうだ」というズレに気がついたから、こういう関心が出てきたのでしょう。」と著者は指摘しています。

本書には、様々なジャンルで活躍している人たちとの対論も収録されていて、これが面白い。かつて「日航スチュワーデス魅了の礼儀作法」というベストセラーを出した(新刊書店時代、実際よく売れました!)の著者、奥谷禮子との対論「みんなシングルの時代」はオススメです。日本最強のシングル対談!と言いながら、話が始まります。シングル差別言葉としては、かつて「小野小町」がそうだったという指摘があります。え?どーいう意味?って、ここでは書けません。(あまりの下ネタ)

数年後、「『51C』家族を容れる箱の戦後と現在」(平凡社/古書2500円)が出されました。こちらは、建築家を中心とした対論が中心で、やや専門的な内容になっています。ちなみにどちらも絶版です。

さて、「TOTO」というロゴ、皆さんご存知ですよね。トイレ、バスなどの製造を手がける大手メーカーですが、業界向けに出していた「TOTO通信」が20冊ほど入りました。元は建築関係用の雑誌ですが、興味深い記事やインタビューもあり、住居やビルの内部を撮影した写真が美しくて楽しめます。価格は100円!です。すでに何冊か売れていますので、お早めににどうぞ。

最後にご紹介するのはアサダワタル著「住み開き」(筑摩書房/古書900円)です。これ、自宅の一部を解放して、博物館やギャラリーにしたり、廃工場や元店舗を改装してシェア生活を実践している人々の姿を記録したものです。ここでは登場していませんが、書店をしている例なども実際にはあります。

共通していること、「それは、無理せず自分のできる範囲で自分の好きなことをきっかけにちょっとだけ開いているということ」。公共施設や、商売目的の施設ではなく、個人宅をちょっとだけ解放することで新しいコミュニティが生まれ、「自分の仕事や趣味の活動が他者へと自然にかつ確実に共有されてゆくのだ。そこでは無論、金の縁ではなく、血縁でもなく、もはや地縁でも会社の縁でもない。それらが有機的に絡み合う『第三の縁』 が結ばれるのだ。」という事例が満載です。

 

レティシア書房で開催中の「風展2019・いつもひつじと」北海道在住のフェルト作家澤口弘子さんの作品展は、今週日曜日まで。手作りならではのマフラー・ストール・ベストが並んでいます。今週に入って、新作の追加も北海道から届きました。ぜひ手作りの暖かさに触れてみてください。

芦原伸著「森の教え、海の教え」(天夢人/古書1300円)を読んでいると、日本列島の広さと奥深さが迫ってきます。

「土地々々に伝わる『教え』を学ぶと、見える風景も変わってくる。歴史や風土、民族に触れることにより、旅人の視野は広がる。人々の暮らし方、生き方が理解できる。伝承や習慣は人々が昔からつないできたもので、伝統芸能はその結晶といえるものだ。森に寄りそう人々、海を糧とする人々には、生きる知恵が備わっている。本書はそういう意味で、日本各地に起こる『教え』をまとめたものだ。」

著者は日本各地を回り、絶滅したと推測されているニホンオオカミが教えてくれたことを調べて、奈良県大台ヶ原へ、埼玉県秩父の森へ、そして、マタギが教えてくれたことを知るために秋田県の阿仁に向かいます。

紀伊田辺で、南方熊楠が宇宙の概念を「曼荼羅」という表現で描いた立体形の空間の意味を探り、京都丹後半島で、浦島太郎伝説に耳を傾ける。ところで、本書に出てくる「ブラキストン・ライン」というのは、津軽海峡の上に引かれた動物分布の境界線です。北海道には本州固有の動物が生息せず、逆に本州にはいない固有種が生息しています。津軽海峡はニホンザルの北限であり、ヒグマの南限を分かつ海。ブラキストンは動物境界線がここにあることを立証した人物なのですが、一体どういう人物なのか知っている人はほとんどいません。その人物にスポットを合わせて、彼が求めた世界を見つめていきます。

北海道から沖縄まで様々な場所を巡り、最後に登場するのはカナダ、ハイダ・グアイです。星野道夫ファンならピンときますよね。ハイダ・グアイは、太平洋の北東部にある諸島で、トーテム・ポールが並んでいます。トーテム・ポールには多くの動物が彫られていますが、その中にワタリガラスがいます。星野道夫はワタリガラスの神話を追いかけて、世界各地を巡りました。アラスカからカムチャッカに渡り、極東の少数民族を訪ねて話を聞く予定でしたが、熊に襲われるという悲劇に遭遇しました。

今、星野が生きていたら60代後半。彼の口から辺境の民たちの声を、教えを、聞いてみたかったです。

書評の本で、必ず読むのは岡崎武志と荻原魚雷です。他はあんまり面白くない、が私の読書体験の結果です。

荻原は「二十六歳から三十八歳までの十二年間ほぼフリーターとして生計を立てていた。ライターとしては月に一、二本、対談や座談会をまとめる仕事くらい。週休三日か四日の日々。あとは同人誌やメールマガジンに古本エッセイや身辺記事を発表していた。」と、後書きにあるような人生を送ってきました。そんな荻原が、「小説すばる」に十年間連載した「荻原魚雷の古書古書話」をまとめたのが本日取り上げる「古書古書話」(本の雑誌社/古書1600円)。

「原稿用紙六枚というのは読むのも書くのもいちばん好きな長さの文書だ。電車に乗っていて一駅か二駅で一本読める。枕もとに置いて寝る前にパラパラと読んだり、トイレで読んだりするのもいいでしょう。いつでもどこでからでも読める本になっている。というか、たぶん最初から最後まで一気に読むと疲れるのでおすすめしない。」と書いていますが、私はそのおすすめできない方法で読みきりました。疲れることもなく、驚いたり、成る程と納得したりしながら、450ページのボリュームを楽しみました。本の中でチョイチョイ顔を出す荻原さんの日々の生活のシーン、決してリッチなものではなく悲惨な時もあったのだろうけれど、そんなの何処吹く風みたいなタッチの文章もまた楽しいところです。

取り上げられている本は、文学、実用書、漫画、ビジネス書、野球に将棋と、もうなんでもござれで退屈しません。文学ばかりの書評本はちょっと窮屈ですが、本書は著者の伸びやかな感性のおかげで、ヘェ〜こんな本が世の中にあったんだと知ることができました。

山口瞳が「世相講談」(1966年)の中の「生き残り」という作品で、戦時中に東南アジアの島々に出兵して戦後その存在を忘れ去られ、島に取り残された人々のことを書いていて、それを読んだ萩原は「日本が東京オリンピックで盛り上がっていたころ、山口瞳は戦場に残された人々の探索を打ちきった政府に抗議するためにこの作品を書いた」という評価をしています。気骨があった作家だったのだと知りました。

もう一つ雪と氷の研究者の中谷宇吉郎が1961年に出した「太陽は東から出る」をご紹介します。

60年代日本は原子力ブームでした。しかし、中谷は「国を挙げて、今にも原子力発電ができ、電気は使い放題の時代がもうすぐ来るような錯覚に陥っていた」と苦言を呈しています。中谷は原子力発電そのものに反対ではありませんでしたが、原子力発電を「商業ベースに乗らない」と疑問視していました。荻原は、この本の紹介の後に、

「この論考が雑誌に発表されたのは1961年である。同年の秋、福島県の双葉町議会、大熊町議会が東京電力の原子力発電所誘致を議決した。」と書いています。

荻原の「本当怠け者」(ちくま文庫/古書950円)、「活字と自活」(本の雑誌社/古書1300円)、「日常学事始」(本の雑誌社/古書1200円)、「閑な読書人」(晶文社/古書1600円)を在庫しています。「山本善行VS岡崎武志 」という古本好き必見コーナーの隣に置いていますのでどうぞ。