なんとも、恐ろしい台詞ですが、これ門井慶喜の「定価のない本」(東京創元社/古書1300円)に登場する主人公で、神田で古書に携わる琴岡の言葉です。

「芳松が、死んだ。という知らせを琴岡庄治が聞いたのは、昭和二十一年(1946)八月十五日、あの敗戦を告げる玉音放送のちょうど一年後のことだった。」

で、物語の幕は開きます。倉庫に積んであった本が崩れ落ちて、芳松は圧死したらしいのですが、どうも腑に落ちないという感じがした主人公が謎を解いてゆくと、そこにはGHQの謀略があったという推理小説です。でも、謎解きよりも、終戦から戦後にかけての神田古書街の描写と、歴史が面白い小説です。

神田古書街が、これほど大きくなったのは、実は「関東大震災」だったことは、案外知られていない事実です。震災で新刊書店も古書店も燃えてしまったのですが、行動力のあった古書店主たちは、汽車に飛び乗り、「震災をまぬがれた浜松へ、名古屋へ、仙台へ散った。そうして新刊本をどんどん買って東京へおくり、それを古本として売りだした。」

高値を付けられ、飛ぶように売れたのが神田古本街の発展の第一歩だったのです。こんな街で古本屋修行をしてきた琴岡は、独り立ちします。しかし実店舗を持たず、古書籍オンリー、目録のみの商売を始めます。

「古書籍はふつうの本ではない。明治維新以前の本であり、和本である。維新後に刊行されたいわゆる『古書』よりもはるかに仕入れが困難で、はるかに手元の資金がいる」

そういう本を商いにしている彼のお得意客に、徳富蘇峰がいて、キーパーソンとして登場してきます。さらに後半、GHQとの戦いで、妻子に危険が及びそうになり、田舎に逃す時に用心棒がわりになってくれるのが太宰治です。もう、こんな人物たちが出てくるだけで、日本文学好きなら読んでみたくなります。多くの希少本も登場します。また、当時からあった百貨店での市会の様子も詳しく描かれていて、古書業界の昔を知ることができます。

GHQの画策する「ダスト・クリーナー計画」に挑戦する古書店主たちの矜恃と、彼ららしい戦い方も見逃せません。

琴岡の「本を売る者に、悪者はいない」に、私たちも同じ思いです。

講談社がシリーズで出版している「17歳の特別教室」。執筆陣は瀬戸内寂聴、京極夏彦、磯田道史などトップクラスばかりです。このシリーズに高橋源一郎の「答えより問いを探して」(古書900円)があります。これが、面白いのです。

独自の教育方針で運営する和歌山県「きのくに国際高等専修学校」で、2018年6月10日と11日に行われた特別授業を単行本化したものです。

高橋先生は生徒たちに先ず、こう言います。

「たいていの学校では教科書で正解を勉強して、後でテストに正解を書くと100点がもらえるでしょう。文学と哲学はそういうことはしません。それが『問いを探して』ということです。ぼくはそれがいちばん大切だと思っています。」

さらに続けて、「誤読」という言葉はおかしいんじゃないかと言います。正しい読み方が一つで、それ以外は間違いなんて。作家である高橋先生は「そこに書かれている文字はどんなふうに読んでも自由なんです。作者さえ気がつかなかったことに読者が気がついて、作者のぼくが影響を受ける。」それでいいんだと。

生徒たちは、常識と全く違う授業に驚きながら、何だか面白そうと、先生のペースに巻き込まれていきます。先生は、鶴見俊輔や、吉本隆明など17歳にはちょっと無理かもと思われる作家も俎上に乗せながら、彼らに理解できるように授業を進めるのですが、大人の私たちもぜひ拝聴したくなってきます。

私たちも忘れてはならない文章がありました。

「何かが『正しい』、あるいは『常識』だと考えているといっても、なぜ、それが『正しい』のか、とか、なぜ、それが、『常識』なのか、とまでは考えないですね。というか、考えないから『常識』ということばになっちゃう。気をつけなきゃいけないですね。『常識』ということばが出てきたら。」

17歳の生徒たちに混じって、私たちも頭の中を切り替えてみませんか。

戦場で傷つけた左目に、真っ黒のアイパッチを付け、ウォッカロックを飲みながら、タバコスパスパで戦場を渡り歩く女性ジャーナリストの生涯を描いた「プライベイト・ウォー」を観に行きました。

英国サンデー・タイムズ紙の特派員として、世界中の戦地に赴き、レバノン内戦や湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争などを取材してきた女性記者、メリー・コルヴィン。スリランカ内戦で左目を失明し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、黒の眼帯をトレードマークに世界を駆け巡りますが、2012年、シリアで砲撃を受けて命を落としました。

地獄のような戦場を再現しながら、映画は、世界にその姿を知らせようとした彼女を、決して英雄として描いていません。私たちは、なぜ殺し合いをするのかという永遠の命題を突きつけてきます。そして、子供、女性、一般市民が虐殺される様を見つめていきます。決して後味のいい映画ではありませんが、たとえ、宗教上の問題や、国境の問題などがあるにせよ、私たちは戦争をしてはいけないのだと改めて認識させてくれる映画でした。監督は「ラッカは静かに虐殺されている」で、シリアの悲劇をドキュメンタリー映画として制作したマシュー・ハイネマン。今度はドラマで戦争の悲惨さを描き出しました。

もう一人、戦争をしてはいけないことを最後まで言い続けた映画人がいます。菅原文太です。坂本俊夫著「おてんとうさんに申し訳ない」(現代書館/古書1400円)という彼の自伝の最後「文太の思い」という章に詳しく書かれています。

彼は、俳優として忙しい日々を送っていた頃から、少しずつ社会との関わりを深めていきます。日本の食料自給率を考えると、これからは農業こそ最も重要な産業にしていかねばという意識が、彼を農業生産法人会社「おひさまファーム竜土自然農園」を2009年に山梨県に設立させ、有機無農薬農業へと向かわせます。2011年の東日本大震災以降は、反原発、脱原発を推進する活動を始め、ドナルド・キーン、瀬戸内寂聴、赤川次郎らと「自然エネルギー推進会議」の発起人になります。

そして、戦争中の悲惨な体験が風化されてゆく現状に対して、こう発言しています。

「いまの総理大臣こそが『戦争は、誰が、どんな理由で起こそうとも間違っている』と言わなければならない。『日本は二度と戦争をしない。手助けであろうが絶対にしてはいけない』と率先して示さなければいかんのに、いま逆の現象が起きている」

戦争経験者ならではの、昨今の危機感の表れです。彼は、行動で示すために沖縄辺野古へと向かい、基地反対闘争を支援し、沖縄知事選の応援役も買って出ます。沖縄出身ではないのに、ここまで行動する根底には「やっぱり日本人として恥ずかしい気持ちがあるんですよ。いいかげん、何らかの決着をつけなきゃいけないのに、何も変わらない」という思いがあったからです。

この本は、文太の俳優人生を丸ごと描いているのですが、最後は役者としてではなく、社会と真剣に関わった一市民として亡くなった彼の姿で終わります。彼の思いを、私たちみんながそれぞれの立場で、繋いでゆくべきだと思います。

 

 


海外文学で台湾、韓国の作家が注目されています。白水社エクス・リブリスという海外文学シリーズに、若手の旬な作家の作品が集められています。その中の一冊、呉明益の「歩道橋の魔術師」(古書/1800円)を読みました。

今年、最も鮮やかな印象を残す短編集でした。ノスタルジックな雰囲気に抱きしめられて、読書の快楽を思い切り感じさせてくれました。

呉明益は、1971年台北生まれのエッセイスト、小説家です。本作品には、タイトルになっている「歩道橋の魔術師」のほか、10作品の短編が収められています。そして、幾つかの作品に魔術師が登場し、物語に深い幻想的雰囲気を出しています。

舞台は、戒厳令解除(1987年)の前夜、台北の繁華街「中華商場」。経済成長の熱気ムンムンの商店街に生きる子どもたちが、遊び、学び、働いている姿には、日本の昭和30年代〜40年代のノスタルジックな雰囲気が濃厚です。作者自身、尚場で青年期を過ごしています。だからと言って、そんな気分だけの物語ではありません。

歩道橋に魔術師がいて、現実世界とは違う世界を見せてくれる。しかし、それはともすれば、子どもたちを、現実とイリュージョンの彼方へと引きずりこみます。ただ、物語の視点は、大人になった子どもたちのそれであり、あの時代を見つめ、すでに自分の人生の方向が決まっていたことを冷ややかに思い出すのです。その距離感が、巧みです。

本作を翻訳した天野健太郎は、「呉明益の平易で、かつしっかりとした透明感のある文体は淡々と人物、会話、風景を描写し、でも最後、なにかがこぼれ落ちたように、たしかに心をうつ。」と解説しています。

「たしかに心をうつ。」 ホント、そうなんです。

「わたしは浴室に向かって叫んだ。ねぇ、服借りていい? いいよ、右手の戸を開けると、シャツが入っている。わたしはクローゼットを開けた。するとそこにゾウがいた」

という不思議な描写で幕をあける「ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた」という小説には、読者の心をうつ、何かが潜んでいます。昨今、簡単に号泣させたり、感動させたりする小説が多いのですが、そんなレベルとは遠く、忘れていた自分の心の痛みや、甘酸っぱい後悔を思い出す傑作短編が並んでいます。

絶対、オススメです。

哲学者、野矢茂樹の「そっとページをめくる」(岩波書店/古書1200円)は、個性的な書評本です。サブタイトルに「読むことと考えること」と書かれている通り、単に紹介する本の羅列には終わってはいません。前半は本の紹介、後半はよりディープな「読む」という体験を掘り下げていきます。

私がこの本に興味を持ったのは、最初に三谷尚澄の「哲学してもいいですか?」(ナカニシヤ出版/古書1900円)が取り上げられていたからでした。これは、文部省あたりが推し進める、すぐに社会に貢献できる技術研究重視と、文学部系学部不要論の現状へ異議申し立ての一冊です。高度な職業的技能が身につく学部は、いい学部というのがお役人の見解です。

「文部省は学生を鋳型にはめようとしている。そしてあなたの学部ではどんな鋳型を提供しているのか、と問うてくる。」と、野矢は書きます。しかし「哲学は鋳型そのものを考え直し、論じようとする。なじんだ考え方に新たな光を当て、他の考え方の可能性を探ろうとする。だから、哲学は学生を鋳型にはめる教育にはなりえないし、まさにそこにこそ、哲学教育の生命線がある。」と結んでいます。

そして、この本を「あなたの代わりに考えて、上から目線で決めつけたりはしない。一歩ずつ、読者とともに、次考えようとする」と評価しています。こういう本がきちんと取り上げられています。そして、何よりも注目すべきは、著者の「そっとページをめくる」の書評を自ら書いているのです。自分の本の書評なんて前代未聞ですが、面白い。

後半では、宮沢賢治の「土神ときつね」を取り上げ、「相貌分析」という読み方を提案してくれます。まず、賢治の作品の原文が載っています。「女の樺の木」と仲の良い「きつね」に嫉妬した「土神」が、「きつね」を何度も打ち付けて殺してしまうお話です。

「その泪は雨のように狐に降り狐はいよいよ首をぐんにゃりしてうすら笑ったやうになって死んでいたのです。」

という不可思議な文章で幕を閉じるファンタジーです。この物語を、野矢は「相貌分析」という手法で読み解いていきます。私も賢治のこの物語を読んだ時、本当に「土神」は嫉妬に狂っただけの愚かな人物だったのか、「きつね」はウソのない、気のいい人物なのか、様々な疑問を持ったのですが、この手法で分析されると、成る程なぁ〜と納得しました、

帯に「本を味わう指南書」と書かれています。時には、こんな本で、頭の中のギアチェンジされてはどうでしょうか。

「11の書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方」とサブタイトルの付いた田中佳祐著、武田信弥構成による「街灯りとしての本屋」(雷鳥社/古書1200円)は、書店紹介の本に載っている有名店はあまりなく、どの店も新鮮でした。

「『「街灯りとしての本屋」』は、本屋の歴史を語るものでもなく、未来の姿を描くものでもありません。小さな個人書店が増えているいまの時代に生成しつつある、本屋に魅せられた人々の物語を紹介するものです。」

という趣旨に沿って、様々な形態の書店と店主が紹介されています。仲良しの近所の家にお邪魔するような感じの絵本屋さん、南阿蘇鉄道の駅の待合室にある週末のみ開店する書店、子育てをしながら、シェアアトリエで絵本を専門に販売する書店等々、個性的なお店ばかり。店主の写真も魅力的です。

保護猫が店内を闊歩するCat’sMelow Bookstoreも登場します。店主の安村さんが書かれた「夢の猫本屋ができるまで」はこのブログでも紹介しました。

書店を経営しながら、本の制作から流通、販売まで一人でこなしているH.A.Bookstoreを営む松井佑輔さんは、日頃から素敵なミニプレスを出されています。出版だけでなく、面白そうなものを見つけては、取引先に紹介して流通させる業務もこなしています。ブログで紹介した「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する1」もここが卸元です。

「自分の住む街に本屋がなかったら、その人は一生本を買わないかもしれない。様々な本が並ぶ棚から、たった一冊の本と出会い、自分のお金で買うという体験を知らないままかもしれない。本屋に限らず、本棚があって本を売っている店が通学路にあれば、小学校六年間で一回くらい入るじゃないかな。そういう出会い、色々な本が一覧で見れて、それを買えるという状況がなくなったら、この世の本は死ぬと思っているんです。」松井さんの考える本屋の存在の意義です。ここに登場する店主たちの本への想いは様々です。しかし、本を死なせないために、それぞれ工夫しながら本屋を営んでいるのは間違いありません。

TAWARAMACHI BOOK STOREという新刊書店を経営する落合博店長は、小さくてもいいから、街の駄菓子屋みたいに個人のやっている本屋が街のあちこちにあったほうが街として面白いと語られていますが、その意見には賛成です。幸せなことに、レティシア書房の近辺には個性的な書店が数件あります。そんな書店を回遊したり、疲れたらカフェで一休みできるこの界隈は、素敵な街だと思います。

 

梨木香歩の初エッセイ集「やがて満ちてくる光の」(新潮社/800円)を、読み終わりました。職業作家としてデビューした頃から25年間、様々な雑誌に掲載されたものを中心に集められています。社会のこと、人間のこと、自然界のことなど作家のアンテナに引っ掛かったものが、彼女らしいきっちりした文章で書かれています。

2014年、オーストラリアで起こった人質事件について書かれた「英雄にならなくても」は、昨今の物騒な言動ばかり目立つ我が国の現状に切り込んだ内容なので、紹介いたします。この事件、犯人がイスラーム教に関係していた時期があった事から、ムスリム社会へのバッシングが危惧されていました。とある女性がツイッターにこんな書き込みをしました。

「私の横に座っていたムスリムと思われる女性が、(ムスリムとわかって敵意や攻撃を受けるのを避けるため)そっと彼女のヒジャーブを外した。駅に着いて、私は彼女を追いかけて言った『それ、着けたら?私、いっしょにに歩くから』彼女は泣き出し、私を抱きしめた 一分間ほど。」

その後多くのリツィートがあり、ささやかな善意の存在が知れ渡りました。

「この『いっしょにいるよ』運動は、何も過激派に対する過激な反対運動でも、ムスリムの人たちをずっとガードして回る、というような自分を徹底的に犠牲にして誰かのために尽くす、というヒロイックなものでもない。ただ、いっしょにいる『その場』で、彼女たち、彼たちに、私はあなたの敵ではないよ、そばにいるよ、といっているだけなのだ。」

反韓を助長する愚かなメディア、政治家どもが跋扈する今、英雄にならずともほんの少しの勇気で、出自や宗教の違いで辛い環境にいる人たちを救うことができる。梨木はこの文章をこんな風に締めくくっています。

「針の筵にいるような思いをしているひとが、目の前にいたら、そっと微笑みかけてあげる、そっと傍に立ってあげる、彼女たち、彼たちを疎外しない、孤立させない、それだけのこと。」

もう一つ紹介します。「きょうの仕事に向かう」というエッセイで、仕事に向かう姿勢を語っています。有機無農薬で畑をしている伊藤さんが、延々と夏の草刈りをやっていて、ふと始めた場所を見ると、すでに草が伸び始めている。「でも、黙々とやっていたら、いつかは終わる。仕事ってそんなものだと思うんですよ。」という言葉に感銘した彼女は、「自分のできることを、ただ黙々とやっていく。そうすれば、どんなつらい仕事も、いつかは終わる。呪文のようにこのことばを唱えて、今日も今日の仕事に向かう。」

確かな言葉が、響いてくるエッセイ集です。なお、この本、出たばかり新刊の古本ですが、表紙にシミがあります。だから、定価の半額ですが、中身は美本です!お早めに。

岩波書店が、1985年に発売を開始した全8巻「講座日本映画」の、第1巻「日本映画の誕生」、第2巻「無声映画の完成」、第3巻「トーキーの時代」(思いの外出品/岩波書店各800円)。今村昌平、佐藤忠男、新藤兼人、鶴見俊輔、山田洋次を編集委員に迎えたこのシリーズは、日本映画の歴史を研究するのには、最適のシリーズです。特にこの三巻は、日本映画の始まりの頃をテーマにしていて、見たこともない作品や、当時の映画ポスター、役者の写真などが数多く使われていたり、興味深い内容になっています。

「日本の映画事業が、その出発の早々から、やくざと交渉を持たなければならなかったということは、日本映画のあり方に大きく影響していることである」という第1巻に収録されている佐藤忠男の「日本映画の成立した土台」という論考など面白いです。(本シリーズは現在絶版)

映画本の次にご紹介するのは、写真についての本です。小久保彰著「アメリカの現代写真」(空き瓶 Books出品/筑摩書房2000円)は、現代写真の元祖ロバート・フランク、ウィリアム・クラインに始まり、60年代、70年代、多様に変化し続けてきたアメリカ写真界から、70年代後半のニューウェーブ派の活躍を経て、80年代の姿までをパースペクティブに見つめた一冊です。ロック、ジャズのレコードを集めているうちに、そこに使われた写真家の作品に惹かれてアメリカの現代写真に興味を持った私には、刺激的な一冊でした。個人的には、今も強烈な印象を残すのは、黎明期に活躍したウィリアム・クレインでしょう。彼の「ニューヨーク」は、まるで映画のワンカットを見ているみたいです。

 

 

 

3冊目は、佐々涼子の「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」(とほん出品/早川書房500円)です。これは、感動しました!2011年3月、宮城県石巻市の日本製紙石巻工場は津波に呑み込まれ、機能停止し、出版社への紙に供給が止まってしまう。その危機の中、半年後には復活するという工場長の宣言のもと、とんでもない闘いの日々が始まります。食べ物も十分ない、電気、水道、ガスの供給もままならない状態での手探りでの作業、さらには本社との葛藤と、もうデッドエンド直前の状態です。紙の本を待っている読者のためという目的のためにだけ悪戦苦闘した現場の人間の挫折と希望を描いたノンフィクションです。本に関わる人、本を読む人には、ぜひ読んでほしい一冊です。

★「夏の古本市」は18日(日)まで開催しています。(12日(月)は定休日。)

その後19日(月)〜23日(金)まで休業いたします

 

 

 

 

北海道の原野に、ぽつんと建っている丸太小屋に住み、畑を耕し自給自足の暮らしを続ける弁造爺さん。弁造さんに14年間もの長い間付き合って来た写真家、奥山淳志の「庭とエスキース」(みすず書房/古書2500円)は、何よりも文章が心に染み込む本です。難しい言葉を使うことなく簡潔な表現で、弁造爺さんの日々の生活を描き、移ろいゆく北海道の自然の姿を的確に捉えていきながら、生きることの意味を思索してゆきます。

こんな文章に出会うと、自分の文章の未熟さを痛感します。著者は、小説家でも評論家でもなく、写真家ですが、ここまで描けるのかと何度も何度も思いながら、約300ページの本作を読みきりました。

「日本の木々の紅葉はどこか沈んだ色彩を持っている。一見鮮やかに見える赤や黄色の底には黒が混ざり、それがこの列島の自然特有の落ち着いた秋の表情を作り出しているとしたら、メープルは歌うように鮮やかで明るい秋の表情を作り出す。葉がまとった赤と黄色の底は一切の濁りもなく透明だった。そうした葉が無数となって、空に伸びる幹と枝を覆い包み、秋が深まると風に乗って舞った。そして、宙から舞った色彩は幹の周りを埋め尽くした。それはいつまでも見惚れるほどの秋の終わりの光景だった。」

写真家ならではの観察眼に裏付けられた文章。どう転んでも私には書けません。

「自分のものではない誰かの人生を満たしている日々の時間に触れてみたい」と思っていた著者の前に弁造さんが現れます。大正九年生まれの弁造さんは、明治からこの地で生きて来た開拓民の最後の世代。土地を開墾し、畑を耕し、丸太小屋を建てて、一人で暮らしていました。彼が丹念に手入れをして大きくした森の姿をカメラに収めています。1998年4月に弁造さんに出会い、2012年の春彼が逝ってしまうまで、彼の丸太小屋に愛犬さくらと共に訪ね、寝食を共にして来ました。

弁造さんは、若い時画家を目指したことがありましたが、様々な事情からその道を諦めました。それでも絵を描くことへの情熱を持ち続け、小屋の中でキャンバスを立てて絵に没頭することもありました。

「僕は弁造さんの自給自足へのアイデアと工夫を知れば知るほど興味を深めた。しかし、その自給自足の庭は弁造さんの一部でしかなかった。弁造さんの『生きること』の中には、自給自足も、諦めた絵描きへの夢も、再燃する絵描きへの切望も、混ざり合いながら全てが詰まっていた。」

開拓民の末裔の男の丸ごとの人生を通して、著者は彼が亡くなった後も、自身の「生きる」ことの意味を探り続けています。これは、一人のカメラマンが原野に生きる一人の男と対峙し、彼の生と死を見つめることで、自身の人生に彼の人生の知恵と思索を取り込んでいった、いわば哲学書なのです。いい本に出会えたと思っています。

★連休のご案内  8月5日(月))6日(火)は恒例「レティシア書房 夏の古本市」(8/7〜8/18 参加27店舗)の準備のためにお休みさせていただきます。

かつて、ヒーリングあるいは癒し系の本としてネィティブアメリカンの本が流行りました。どうでもいいいような内容の本も多くありましたが、是非読んで欲しいと思うのは、ナンシー・ウッド著・金関寿夫訳「今日は死ぬにはもってこいの日」(めるくまーる/古書850円)、ジョセフ・ブルチャック編・中沢新一+石川雄午訳「それでもあなたの道を行け」(めるくまーる/古書800円)の2冊です。

「今日は死ぬにはもってこいの日だ。生きているもの全てが、わたしと呼吸を合わせている。すべての声が、わたしの中で合唱している。すべての美が、わたしの中で休もうとしてやって来た。あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。」

生きること、死ぬことをこれほど簡素に、しかも深く描いたものはないと思います。この二冊の本は、ゆっくりと読むことをお薦めします。簡単な文章ばかりなので、一気に読もうと思えば読めますが、それでは意味がありません。ゆっくりと、ゆっくりと、心の中で反復することで、彼らの心とシンクロナイズしてください。アメリカ大陸の雄大な自然と共に、暮らしてきた中から生まれてきた彼らの精神は、きっと読者の心の中に染み込んできます。

 

ところで、最近ネィティブアメリカンの悲しい世界を知る映画を見ました。「ウインドリバー」です。ネィティブアメリカンの女性たちの失踪件数が急激に増加しているにも関わらず、一度も調査されたことがない現状。彼らが住む、いわゆる保留地の生活環境の悪化、広大なその保留地に警官が数名しかいないという危険等を、映画の背景に溶け込ませたサスペンス映画です。

主人公は、この地の野生管理局に勤務するハンターです。彼が、雪の上に若い女性に死体を発見したところから物語は始まります。捜査にやって来た FBIの女性刑事と共に、その死因を探ってゆくうちに、やりきれない現実に直面することになります。舞台となるウインド・リバーは、全米各地に点在するネイティブアメリカンの保留地のひとつで、荒れ果てた大地での生活を強いられた人々は、貧困やドラッグなどの慢性的な問題に苦しんでいます。保留地で頻発する女性たちの失踪や性犯罪被害も多発しています。現代のアメリカの繁栄から見放された”忘れられた人々”の姿を、正統派のサスペンス映画に仕立て上げたテイラー・シェリダン監督の腕前に拍手です。

主人公のハンター、コリーを演じるのはジェレミー・レナー。「ハート・ロッカー」「メッセージ」などでめきめきと頭角をあらわしてきた役者ですが、実にいい!マッチョ的な強さではなく、人生の悲愁を滲ませた佇まいが様になっています。復讐は、賛美されるものではありませんが、この映画のラストには溜飲が下がる思いでした。

 

★連休のご案内  8月5日(月))6日(火)は恒例「レティシア書房 夏の古本市」(8/7〜8/18 参加27店舗)の準備のためにお休みさせていただきます。