砂澤ビッキは、作家の武田泰淳の小説「森と湖の祭り」の主人公のモデルになったアイヌの木彫家です。彼は、1931年旭川に生まれました。ビッキという名前はアイヌ語ではなく、方言で「カエル」のことで、本人が気に入って使い始めたそうです。

芦原伸著「ラストカムイ」(白水社/古書2200円)は、ビッキの足跡を辿って北海道各地を巡り、さらにカナダの少数民族ハイダ・グアイの人々の元に赴き、綿密な取材を重ねていきます。そして北太平洋沿岸の先住民(ハイダ族)の生活にアイヌ文化の影があることを感じ、さらにはハイダ族の始祖は縄文人ではなかったのかという仮説を打ちたて、それが仮説ではない確信を持つまでを描いたノンフィクションです。

ビッキは、幼少の頃、美瑛川の川岸大地に入植した父親の開墾生活を見ながら育ち、アイヌとしてのアイデンティティーを認識しました。その一方、目前に広がる大自然に魅了され、「木彫造形の芽生えと絵心の楽しみを教えてくれた」と書かれています。

やがて、阿寒に移ったビッキは、テントを背負って、森に入り込み、樹木と語らいました。「アイヌは科学ではなく、長らく森と共生してきた経験や信仰から植物にも霊魂が宿っていることを知っていた。またそれぞれも樹木の特性も熟知していて、感謝しながら利用していた。」と著者が記すように、ビッキも森を理解し、その中から、彼のアートが出来上がってきました。

面白いと思ったのは、澁澤龍彦が絡んでくるところです。「ビッキの生涯を思う時、この鎌倉での澁澤龍彦との出会いがのちのビッキの芸術を決定づけたのではないか。」と。

本書では、彼の生きた時代とアイヌの歴史を重ねながら生涯を追いかけていきます。その最期は壮絶でした。1989年、すでに大腸ガンが骨髄にまで転移し、手遅れの状態でした。にも関わらず、神奈川県民ホールで行なわれる展覧会には、ベットに寝たまま会場に赴き展示の指示をして、なんとか北海道に戻りました。そして、それから数日後に亡くなりました。享年57歳でした。

本書の後半、北大西洋沿岸の先住民族とアイヌとの関係、さらに縄文人が関わってくる大きな物語は、これだけで一冊の本になりそうです。

「この物語を書こうと思った動機はハイダ・グアイの木彫文化がアイヌアートに伝わっていないかとの検証を試みることだった。しかし、今ではそれは逆で、縄文人がベーリンジアを越え、アメリカ先住民・ハイダ民族の始祖となったのではないか、と考えるようになった。」

こんな壮大な仮説の本、読んでみたいです。

 

 

 

以前、池澤夏樹編集による日本文学全集が出版されました。その中で、池澤は古事記を現代語に翻訳し、話題になりました。私も面白く読みましたが、それから6年が経過し、古代を舞台にした小説を発表しました。

実在されたと言われるワカタケル、後の雄略天皇に焦点を当てた長編「ワカタケル」(日本経済出版社/古書1600円)です。

イチノヘノオシハ(市辺押歯)やら、ナダタノオホイラツメ(長田大郎女)やら、古代人独特の名前の人物が数多く登場しますが、覚えられなくても先へ進みましょう。(私はそうしました。)細かいところにこだわっていると、このダイナミックな歴史物語の面白さを堪能できなくなります。

国家の基本を作り上げたワカタケル。凄まじい暴力的世界と血塗られた権力闘争を平定し、国が整うまでを描いた叙事詩的物語なのですが、こんな描写も出てきます。

「何ごとも男が率先するのはよろしい。卑俗な世事などは男に任せてかまいませぬ。だが、本当に国生みをなしたのはイザナミであったことをお忘れなく。ものごとを底のところから作ってゆくのは、女であります。先の世を見通して道を示すのは、女であります。

戦の場ではせいぜい戦いなされ。刀を抜き、弓を引き、戈を振り立て、火を放つのは男。しかし、亡くなった者たちの後を満たす者を生むのは女。民草は一人残らず女の胎より生まれます。」

こう言い放ったのは、ワカタケルの乳母のヨサミです。そして物語後半、近隣の国への無謀な出兵を押しとどめようとしたのはワカタケルの大后のワカクサカでした。その後、女帝が国を治め、平和な国家建設へと向かいます。

さらに女王イヒトヨに至っては、「女と生まれた以上は男を床に迎えるのが当たり前と言う。さして興味なかったけれど、知らぬまま済ませるのも口惜しい気がして、試したの」とおっしゃる。さらにどう感じたかと言う問いに対しては、

「なにも。こんなものかと思い、一度で充分と思いました。それからは男を近づけなかった。だから子もいない。」

因みに彼女の治世は穏やかな日々だったそうです。

思慮深い女性たちが印象に残る物語でもありました。超おすすめです。

 

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料理家として数々の著作がある高山なおみが、本についてのエッセイ集を出しました。題して「本と体」(アノニマスタジオ/1980円)は、彼女が親しんだ絵本や小説の思い出として26冊の本が並んでいます。そして、絵本編集者の筒井大介、写真家の斎藤陽道、画家の中野真典、各氏へのロングインタビューが収録されています。

へぇ、こんな本読むんだ!と思ったのは「ピダハン」の紹介。ピダハンとは、アマゾンの奥地に住む少数民族の名前です。著者のダニエル・L・エベレットは、ピダハンと30年近くも生活を共にし、ヤシの葉でできた小屋に住み、狩りの獲物はその日に全て食べ、穫らない日は全く食べなくても大丈夫という暮らしを体験しました。

高山は「村中が親戚みたいに仲良しで、将来も、明日のことも思い煩わず、今日だけを楽しんで生きている、笑いながら生きているとか。 夢も、現実のひとつと信じられているとか。」と感動しています。

そして、MARUUが書いた「うさぎのまんが」。当店にも在庫していますが、マルーという名のうさぎの女の子が主人公のコミックです。と言っても、可愛いうさぎの漫画ではありません。中学、高校と多感な時期に摂食障害だった著者は、その冴えない日々の思いを漫画という表現に託しています。

「辛さと楽しさ、悲しみと喜び、醜さと美しさは、まったく逆のもののようだけど、それらはふとしたきっかけでひとつになり、、眩しい光を放つことがある。自分がいることを根底から否定したことのある人だけが、私たちに見せてくれる世界。そういうものがあるような気がするのです。」と高山は評価しています。

彼女の本では、「明日もいち日、ぶじ日記」(新潮社/古書800円)が好きでしたが、この本も気に入りました。

最後に高山自身へのインタビューがあり、自分がどもりだったと言っています。

「体の中に言いたいことが人いちばい溢れているんです。私はそれがどもりだと思う。」

彼女は、日々の小さな変化をきちんと見て、聴いて、生きていたいと思っていて、そういうことを他人に正確に伝えようとすると、変なリズムになったり、同じ言葉を何度も使ったりと、間隔が空いたりするというのです。

「だから私、いまだにどもりなんです」

ヤンチャで幸せで少し切ない子供時代の話や、選ばれた本や対談から、高山なおみの人となりが見えてくるような本です。

 

佐藤春夫?明治生まれの詩人だったよね、「田園の憂鬱」とか「都会の憂鬱」とかいうタイトルの小説出していたはず…….。

確か、創作活動に行き詰まり、東京を離れて妻と愛犬と田舎暮らしを始め、その日々の中で考えたことを綴ったのが「田園の憂鬱」でした。「その家が、今、彼の目の前へ現れて来た。」という奇妙な書き出しで始まるのですが、ようわからん物語だった記憶があります。

そんな著者が、1920年6月、当時日本の植民地だった台湾へと旅立ちます。よほどこの地が気に入ったのか、その後、台湾を舞台にした作品を連発します。それをまとめたのが「佐藤春夫台湾小説集」(中公文庫/古書600円)です。

台湾でも人気のある「女誡扇綺譚」は、廃港を舞台に、この地の詩人と日本人記者が、だれもいない屋敷から聞こえてくる「なぜもっと早くいらっしゃらないの」という女の声を巡って、真相を追及するミステリー仕立ての話です。廃港を彷徨う二人の描写と、廃れてしまった港の描写が素晴らしく、今なら新鋭の台湾人映画監督が見事な映像美で見せてくれるのではないかと思います。

一方、「霧社」は原住民族セデック族による反日抗争事件「霧社事件」を思い起こさせる物語です。「霧社事件」は1930年、日本統治下の台湾で起こった最大規模の暴動です。佐藤は、討伐隊が集結して一触即発の最中に霧社に出向き、山登りをしながら見聞したものを記録風に描きました。梅毒で鼻がもげた男や、巧みに客を誘惑する少女、低賃金でこき使われる現地の人たちを描いています。

台湾で再評価されているという情報がなければ、手にとっていなかったと思いますが、興味深く読みました。

 

白土三平といえば、「カムイ伝」なのですが、第一部「カムイ伝」が全15巻、第二部「カムイ外伝」が全11巻、そして「カムイ伝第二部」が全12巻という超大作で、どれぐらいの人が読破したのでしょう?1964年から2000年まで、実に37年かかって書き続けられ、しかも未完なのです。

本書、毛利甚八著『白土三平伝 カムイ伝の真実』(小学館文庫/古書300円)は、白土の側にいた編集者から見た彼の肖像画的な一冊です。まずは、何よりも面白いのは、彼の父親です。

白土が生まれたのは1932年。満州国建国宣言がされ、長い戦争へと突入する前夜でした。5月には犬養首相が暗殺されるという世の中です。そんな情勢下、プロレタリア美術運動に関与していた三平の父岡本唐貴は警察に逮捕、拘留され、激しい拷問を受けます。社会活動をする父の絵が売れるわけもなく、一家は貧困に喘ぐ生活を余儀なくされます。

「白土の生い立ちは、在日朝鮮人や長屋に生きる貧しい人々をごく普通に隣人として眺める仲間意識を白土の心のなかに育てた。後年、戦時下に『アカの子』として孤立感を意識した中学生時代や紙芝居作家として東京の下町で過ごした二十代を通じて、そうした仲間意識はいっそう磨かれることになった。」

第一部で非人部落に逃げ込んだ登場人物が被差別の過酷な暮らしの中、自らの考えを改めるというモチーフは、若き日の経験が影響を与えています。

1944年、十二歳の白土は疎開先の長野県上田市に降り立ちます。自然豊かなこの場所で狩猟採取本能を蘇らせるような経験を数多く積みますが、やはり、そのこともカムイ伝に反映されます。

戦後、父の知人の紹介で紙芝居に携わります。漫画家白土三平の原点です。やがて紙芝居作家から貸本作家へと進み、後に「月刊漫画ガロ」編集長になる長井勝一に出会います。そして、長井のもとで、初の長編「甲賀武芸帳」を書き始めます。その頃から、それまで生活のために書いていた漫画を、自分の表現手段として考えるようになります。

そして、自由な発想で新しい漫画表現を探すための雑誌「ガロ」を創刊します。多くの漫画家がこの雑誌から世に出ましたが、とりわけ大きな衝撃を与えたのがつげ義春でした。「ねじ式」の掲載です。

「『ねじ式』は全共闘世代の若者に雷のような衝撃を与え、日本の漫画文化を多様化させるジャンピングボートとなってゆく。」

左翼画家の下で育ち、したたかに戦争を生き抜き、戦後漫画文化を大きく飛躍させた男の自伝として、また戦争をくぐり抜けた一家の物語として面白い本でした。

なお、現在は房総半島の小さな家で、魚釣りに勤しみながら暮らしておられるとか。

 

 

先ずは、科学用語満載のこの本を最後まで読んだ(理解はともかく)ことに、拍手をしたい!

ドキュメンタリー映画作家であり評論家の、文系バリバリの森達也が、理系バリバリの第一線に立つ科学者と対話する「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」(ちくま文庫/古書700円)。

脳科学者、理論物理学者、人類学者、生物学者、進化生態学者、物理学者、サイエンス作家等10名が、森と現代サイエンスの最先端を語り合っていきます。森は子供の頃、死ぬということに恐怖を覚え、死んで消えてしまう、と両親に泣きながら訴えた経験を持っています。

「なぜ消えなくてはならないのか。ならば何のために生じたのか。何のために今があるのか。そんな自問自答をくりかえしながら、もしかしたら消えるわけじゃないのかもしれないと子供は考える。肉体はそこに置いて、意識だけがどこかに行くのかもしれない。ならばどこに行くのか。そして生じる前はどこにいたのか。どこから来てどこへ行くのか。」

と、子供ごころに考えたと言います。本書で、最先端の科学理論を駆使する研究者たちに、手を変え、品を変えてこの質問をぶつけてゆくのです。そこがスリリングです。TV レポーターのように「私は初心者なんで簡単に」などとは言いません。かなり勉強し、論点を明確にして対談に臨んでいます。

だから科学者たちも、真剣に答えます。でも、ここに登場する学者は、森の命題に対して現在の科学は答えることはできないと明言しています。生命の発生にしても、宇宙の最初の姿にしても、私たちの身体についても、わからないことだらけなんだという事実をこの読書で知ることができました。

ただ、森の問いかけに対して、やれダークマターだの、嘘時間だの、エントロピーだの、ネオ・ダーウィニズムンだの、アポートシスだの、ポンポンポンと様々な科学概念が登場してくるので、その都度ipadで調べて解説を読んで、さらに頭の中が大混乱に陥るという繰り返しでした。それでも最後まで興味を持って読めたのは、科学者たちの理論を聴きながら、森がその科学者を丸裸にして、彼らの心の中を探り出そうとしているところなのかもしれません。

半分以上わからん・・・で終わったのですが、ジャーナリストとしてのシャープな切込みに巻き込まれていった、というのが正直なところです。

「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」について、明確な解答が得られるとは森自身も考えてはいませんでした。学者たちの話を聞いて、もがいてもがいて、何かを掴みたいとしてきた結果がこの本です。知りたいと思ったことに挑戦し、考え、話を聞き、理論を読む。これが学ぶということですね。本書は学ぶということを理解する一冊、なのかもしれません。

 

スペインの詩人、フワン・ラモン・ヒメネス・マンテコンが1900年代初頭に発表した散文詩「プラテーロとぼく」(岩波少年文庫/古書400円)は、限りなく美しい物語です。スペインで発表後、各国で翻訳されて、一匹のロバ、プラテーロと飼主の少年の物語に多くの世代が共感しました

「岩波少年文庫」と言う児童書のジャンルに入っていますが、むしろ、大人が読んだ方が、この世界の美しさと、そこに流れる平和が理解できるのではないかと思います。

「静かな一瞬が不意におとずれたとき、プラテーロが高く鳴く。そのやさしい鳴き声は、昼日中のような明るい神秘さに、すぐにまた立ちかえる鐘の音や、花火や、ラテン語や、モデストの楽隊の音楽と、いっしょに溶け合う。そしてその鳴き声は、空高く舞いながら、甘美なものとなり、余韻を残して、清らかなものになってゆく………。」なんて文章がポンポン登場するので巣から。

本書は、南スペインのアンダルシア地方ポルトガルとの国境の町モゲールで、ロバのプラテーロと過ごした青春の日々を138編の散文詩で構成されています。ナイーブで、闘牛や闘鶏の大嫌いな優しい少年。そして動物や弱い者へ向ける視線は、この上なく暖かい。その一方で、どこか社会に対して虚無的に見ています。ロバ一頭だけが友達だった孤独感も顔を出します。      

「きみのその目はね、プラテーロ、きみには見えないけれど。おだやかに空を見あげているその目はね、美しい二つのバラなのだよ。」

少年は、愛するプラテーロと、毎日少しづ変化してゆく町の様子、自然の香りを感じ取っていきます。やがて少年とプラテーロの別れがやってきます。

プラテーロの死を知った少年のいる場所をこんな風に描いています。

「しいんと静まりかえった馬小屋の中に、小窓から射しこむ日の光 をよぎるたびに燃えながら、三色の美しい蝶が一つ、飛びまわっていた…….。」

この上なく美しい、という言葉しか出てきません。随所に挿入されるラファエル・アンバレス・オツテガのイラストも、この本の世界にぴったりです。

最近、山本容子の版画がジャケの新訳朗読CDも発売されました。今でも、人気があるんですね。

写真家で、3人の子の母親でもある繁延あづさの”猪肉生活”のドキュメント「山と獣と肉と皮」(亜紀書房/古書1200円)は、面白い!とにかく面白いとしか言いようのないノンフィクションです。

「おじさんが槍を突き出そうとしたとき、胸がぎゅっと苦しくなる感じがあった。おそらく私は、必死に抵抗する猪を憐れんだのだ。突き刺される瞬間、私まで息苦しかった。それなのに、チラッと肉が見えただけで、”おいしそう”という喜びに近い感情が湧き上がった。なんだか、自分が矛盾しているような気がした。」

出産の撮影を中心にして、家族を撮影してきた著者が、東日本震災以後、東京から長崎へと一家で引越しました。そこで出会ったのが、猪猟のおじさんでした。一見すると派手な服装のヤクザ風のおじさんがご近所に住んでいて、挨拶に行ったら鹿肉をプレゼントされて、そこから彼女は猪猟に、なぜか引きつけられていきます。やがて猟の現場にも同行し、仕留める現場を目撃します。それまで命のあった猪の目を撮った生々しい写真があります。

「”殺したくない”という感情と”おいしい”という感情は、どうやっても一直線にはつながりそうもない。それでも、両方の感情は一続きの糸でつながっているはずだという確信もある。」

おじさんの猪はシンプルです。罠を仕掛け、かかった猪の眉間を鉄パイプで叩き、失神している間に、頸動脈をナイフで断つというやり方です。猟に同行したある日、最後の瞬間を迎える猪をファインダー越しに見ていた彼女は、こんな体験をします。

「そこに映し出されているのは、静かにこちらを見つめる猪の目だった。金縛りに遭ったように固まってしまった。猪が私を見て、私も猪を見ている。不思議な感覚だった。猪が目線をこちらに向けたままいなないた。ヒギュー!自分に対して発せられる咆哮に、目をそらすことができない。」

しかし、解体が進み、肉の具合を精査してゆくうちに、「絶対においしく食べてやる」という気持ちが湧き上がります。「かわいそう」と「おいしい」の境界線で揺れる彼女の心持ちが描かれていきます。

「食べ終えて一頭が完全な思い出になったとき、最後に残ったのは懐かしむ気持ちだ。あれほど”かなしい”と感じたことも、今はどこか愛おしい。猪を見つめて食べるまでがひと続きの体験であるように、気持ちの移り変わりもひと続き。死の悲しみと料理の喜びはたしかにつながっていて、さらに濃やかな感情が絡まり合ってもいて、味わい深い濃厚スープだった。」

と、自分の感情の移り変わりが綴られています。

「人間は、生き物を殺して食べている」という紛れもない事実を真っ向から受け止め、そうして明日も生きていく。私たちが生きることの根源を、猪猟を通して描いています。

「魅力的な人、土地、そして死んでいった獣たちが私に書かせてくれた本。感謝の気持ちでいっぱいです。」という最後の言葉が心に残ります。

梨木香歩のエッセイ「炉辺の風おと」(毎日新聞社/古書1300円)は、毎日新聞日曜版「日曜くらぶ」に2018年から連載されているエッセイを一冊にしたものです。楽しみにしていた映画評のそばにあったので、ついでに読んでいました。今回、一冊になって読み直して、彼女の文章の豊かな魅力を再認識しました。

梨木が八ヶ岳山麓に小さな山小屋を持ち、ここに通いながら見た八ヶ岳の自然、特に植物や訪れる野鳥のことがエッセイの中心になっています。読む時にはパソコンや図鑑を置いて、その都度チェックして読み進めていました。

「渡り鳥がきちんとその季節にやってきてくれて、ひさしぶりに声を聞いたり姿を見たりすると、何か、人間の小さな思惑を超えた大きな流れの存在が確実にあることが感じられる。」

鴨川まで犬の散歩に行くと、冬に渡ってくる鳥を見ることができます。その時、同じようなことを感じたことがあります。

豊かで様々な表情を見せる自然の姿に、驚き、喜び、共に生きていることを深く感謝する一方で、海岸にうちあげられたプラスチック製品の残骸の写真に心を痛ませる。これは、「この時代に生きる人間の多くが、皆、何らかの形で『加担してきた』ことの結果だ。」と断じ、「『長く使われることを考えて作られていない』ものが、大量に作られるようになった。」この時代、そしてこれからをどのようにして生きてゆくのかを彼女は静かに考え続けます。

「長く使われるもの」には「言葉」も含まれると思います。自分で獲得し、それを駆使してきた言葉にも、その人らしさが宿ります。他者に何かを伝えようとしたり、自分の内面に深く降りてゆくときの大切なツールです。廃刊に追い込まれた雑誌「新潮45」について、言葉そのものが乱れ、安易に軽々しく使われたと批判しています。そして、こう言います。

「一つの言葉と真摯に向き合う。そうでなければ伝えたいことは何も伝わらない。」

ブログを書いている私にも突き刺さります。

「生活の道具でも、言葉でも、そして住まいでも、長く使われるものには、愛情を注ぐための目に見えない受け皿が備わっているように思う。使い手は、日々の生活のなかでその受け皿を見つけ、また作り出してもいく。」

それが本来の暮らしというものかもしれません。八ヶ岳の自然は、いつも穏やかなわけではありません。冬は違う顔を見せます。でもそんな厳しい季節でも、「孤独であることは、一人を満たし、豊かであること。そしてその豊かさは、寂しさに裏付けされていなければ。それでこその豊穣、冬ごもりの醍醐味。」と考えます。彼女が見つけた自然の変わりゆく姿を読みながら、自分の生を見つめていくことになります。

あっ!やはりこの本を手に取っていたんだと嬉しくなったのは、写真家水越武の「日本アルプスのライチョウ」(新潮社)のこと。北海道在住の写真家の最新作で、鳥を撮った写真集ではベスト1の力作です。この本については、近々ご紹介いたします。

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木版画で、北海道の厳しい自然の中を生き抜く動物たちを描いてきた手島圭三郎。その作品すべてを収録し、さらに手島の絵本が出来るまでの過程を追いかけた記録と、手島が自作の絵本と北国の自然について書き記したものを収録した「手島圭三郎全仕事」(絵本塾出版/新刊2970円)を入荷しました。

手島は北海道紋別出身の木版画絵本作家です。父親が鉄道員で転勤が多く、彼も転校を余儀なくされました。オホーツク海沿いの農漁村を転々として育ちましたが、その時、彼が見ていたオホーツク海の荒々しい風景や、そこに生きる動物たちの生態が、作家としての原点となっていきます。北大卒業後、中学校で教壇に立ち、その後に木版画家として独立しました。

81年日本版画協会展に出展したシマフクロウの版画が出版社の編集者の目にとまり、絵本作家としてデビュー。シマフクロウ、キタキツネ、ヒグマなど北海道の動物を題材とした作品を発表し、アイヌ文化研究の第一人者藤村久和と組んでアイヌに伝わる叙事詩ユカラを絵本化しました

「しまふくろうのみずうみ」で日本絵本大賞、「きたきつねのゆめ」でイタリア・ボローニヤ国際児童図書館グラフィック賞、「おおはくちょうのそら」で、ニューヨークタイムズ選世界のベストテンに選ばれています。

私が初めて手島の本を手にしたのは、82年に発表された「しまふくろうのみずうみ」でした。翼を広げた、しまふくろうのダイナミックな姿に圧倒されました。その次に出会ったのは85年に発売された「きたきつねのゆめ」でした。飛び跳ね、疾走するきたきつねの姿に目を奪われた記憶があリます。

残念ながら、これらの本は古本で値段が上がっていて、なかなか店で揃えることができない状況でした。また、見つけても本の状態が良くなくて、販売には向かないものがありました。この全仕事集は、印刷も良く、手島の版画作家としての技量を充分味わうことができます。このボリュームで、2970円はお買い得だと思います。絵本好きだけでなく、大自然を愛する人、ネイチャーフォトを趣味にしている人にもご覧いただきたい一冊です。

 

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