「爆笑問題」の太田光の「ラストデイズ忌野清志郎」(PARCO出版1200円)を読んだ第一印象が、これです。

忌野清志郎率いるRCサクセションのアルバム「COVERS」を巡って、様々な人々とのインタビューを本にした、正確に表現すればNHKで放映された「ラストデイズ」を活字化した本です。

1988年、RCサクセションは、反核・反戦をストレートにぶつけた全曲カバーアルバム「COVERS」を発表しますが、販売直前に所属レコード会社東芝EMIから販売中止を申し渡されます。親会社が原発に関係していたために、中止に追い込まれたみたいです。当時、レコード店の現場にいた私は、仲間の同業者と一緒に、毎日抗議のFAXを送った記憶があります。結局このアルバムは違う会社から発売され、大きな話題になりました。

世の中の絶賛とは裏腹に、太田はこのアルバムを批判します。「COVERS」って、表現として有効だったのか?比喩的表現に抜群の冴えを見せる清志郎が、何故、直接的な言葉で歌を作ってしまったのか?それって芸がなさすぎるよ、という思いから、こう結論します。

「一度は発売中止にまで追い込まれて、放送もできなくなって、それで何をどうやって伝えるの?ってところなんですよ。メッセージはわかるが、でもその表現を放送できるかたちに、人に届けるかたちにすることが芸だろうってやっぱり思うんですよ。

だから『COVERS』は不器用だった」

そして、その疑問を検証するように、関係者へインタビューを開始します。高校時代の清志郎の仲間、「COVERS」にも参加した泉谷しげる、件のレコード会社の当時の宣伝担当者、RCの盟友、仲井戸麗市と広がっていきます。そして、表現するとは何か、表現する者の憂鬱と苦悩という、太田自身の抱えている問題へと向かいます。そして、表現者として失ってはいけないことを語ります。

「鈍感にならないことっていうのはすごく感じましたね。だんだん年を取るとほら、図々しくなるじゃない?でもやっぱりモノを作る人っていうのは、そんなふうに鈍感になっちゃうといいものは作れないんだろうなって。」

「爆笑問題」は、最初の頃、かなりきわどいテーマのネタをストレートに漫才にしていましたが、ストレートな表現の未熟さに突き当たり、自分たちの芸を磨いていきます。だからこそ、大好きな清志郎がストレートな表現で反核、反戦を歌ったアルバムに疑問を持ち、翻って表現者として自分を見つめ直すという離れ業をやってのけたのがこの本なのです。そして、清志郎の大きさに、「やっぱり敵わなんなぁ〜、この人には」という認識で終わるのですが、冷静に認める太田はやはり凄い。

最後のページに載っている清志郎の言葉、

「希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。『なんでなんだ?』っていつも子どもみたいに感じていたいぜ。ふざけんなよ、俺がサイコーなんだっていつも胸を張っていたいだろ?」いいですね〜。

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先月、京都市内各所で行われていた「KYOTOGRAOHIE京都国際写真祭2015」で観た「コンゴの紳士たち『サブール』の美学」のことは、ブログでご紹介しました。その写真集「SAPEURS」(青幻舎2484円)が発売されました

SAPEURS(サプール)はコンゴ共和国首都のバコンゴ地区に暮らし、フツーに平日は働き、週末になるとグレードの高いブランドのスーツに身を包んで街を闊歩する人達の事です。

なんだ、金持ちの黒人の写真集か?と早とちりしてはいけません。彼等は、その僅かな収入を高級ブランドの服につぎ込んでいるのです。そして、街の人達は彼等に憧れ、尊敬しているのです。正式名称「おしゃれでエレガントな紳士協会」。通称「サップSAPE」

この本の魅力、それは元気をくれることです。シャキッとせんかい、カッコ良くやろうぜ、相棒!と背中を押してくれる気合いが一杯です。

黒い肌には、どんな奇抜なコーディネートも決まります。真っ赤の帽子に、ピンクのスーツ、赤のネクタイに赤の靴履いて、葉巻加えるなんて、普通は見ていられませんね。

でも、サプールの連中がやると、これ以上ないくらい、カッコいいのです。

おそらく、彼等は生活の他の部分を捨ててでも、洗練されたファッションを身に纏うことに生きるすべてをかけている。金持ちが、冨に任せて服を買いあさっているのではありません。自分を表現することこそすべて。これぞファッションの真の精神かもわかりません。毎朝、この写真集を捲りながら元気をもらいましょう!

元気といえば、今週末京都で、ジンバブエの子供たちによる「ジャナグルコンサート」が行なわれます。「ジャナグル」とは、ジンバブエ語で「明るい月」です。大らかでくったくのない子どもたちから沢山の元気を貰ってください。前売りチケットあります。

6月13日「アース&ハーモニーコンサート・イン・京都

         呉竹文化センター 13時会場

30才を過ぎるまで、私は殆どお酒を飲みませんでした。ビール一杯で真っ赤になっていました。お酒との付き合いは、友人が始めたジャズバーでした。今はなき、この店のマスターにサントリーオールドから始まって、バーボン、スコッチと世界のグレードの高いウイスキーの飲み方を教えてもらいました。だから、今もウイスキーは離せません。

サントリー宣伝部を経て作家になった吉村喜彦「マスター。ウィスキーください」(コモンズ750円)は、ウイスキー好きには楽しい一冊。サブタイトルに「日本列島バーの旅」と書いてあるように、日本全国の11店舗のバーが紹介されています。でも、決して高級な、お洒落な店の紹介ではありません。

「客商売で、客に緊張感を強いるのは本末転倒だ。でも、悲しいことに、東京にはその手のバーが多すぎる。それはお子ちゃま客が生半可なバーテンダーをありがたがっているからだろう。幼稚な客と嘴の黄色いバーテンダーが、『緊張感のあるバー』という田舎芝居をナルシスティックに演じあっているだけなのだ。」

と手厳しい。確かに、こんなバーあるんですよね。サラリーマン時代、東京と博多で、居心地の悪い経験をしたことを思いだしました。

東京、大阪、神戸といった大都会だけでなく、網走、石垣島、松山、仙台等のお店が紹介されていますが、流氷を使ったオン・ザ・ロックを出す網走の「スコッチバー・ジアス(THE EARTH)」は、行ってみたい場所です。紀行エッセイとしても、又、客商売をする人間の立ち居振る舞いの勉強としても読めます。

お酒に関する本は、山のように出版されています。お酒と同じく、文章を巧みにあやつる作家のものはいいですね。例えばサントリー博物館文庫から出ている常盤新平の「酒場の時代」(600円)は、1920年代の酒を巡るアメリカの風俗を描いた本ですが、白黒のアメリカ映画を観ている気分にさせてくれます。

そして伊丹十三の「女たちよ」(文芸春秋600円)に

「『シンケンヘーゲル』というジンと『ウンデルベルグ』という、木の皮から製した酒を混ぜ合わせて作った『アイゼン・ウント・シュタール』すなわち『鉄と鋼鉄』と呼ばれるカクテル、これを私は長尾源一氏にならった。女に対しては、力強く、かつ素早く。これを私はすべての女友達から学んだ。」

これ、酒を巡る文章では私のベスト10に入ります。

最後にウイスキーが最も様になる役者は誰かと言われると、フランスのリノ・バンチュラと答えたい。渋いとはこんな役者の飲み姿を言うのでしょう。

いわゆる作家の日記文学の面白さに魅かれたのはいつからだろう。創刊直後の雑誌「SWITCH」に掲載されていた高橋源一郎の「追憶の1989年」あたりか、或は晶文社から出ていた植草甚一の本に付属していた日記だと思います。

そして坪内祐三の「三茶日記」や「本日記」を経由して、小林信彦の「60年代日記」(白夜書房1200円)に出会います。毎日、誰とあった、何処何処へ行った、何を食べた、映画を観た、本を買った、だけの記述が延々と続くのですが、これが面白いのです。おそらく、公開を前提にした日記なんで、作家の演出がそこここに仕込まれていて、一緒に街に繰り出し、刺激を与えられているような気分にさせるのでしょう。日記文学を読んだ後には、ちょいと街に出たくなります。

同じ日記でも、海外を旅した時に書かれたものは、味わいがまた違います。

高峰秀子著「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」(新潮社700円)は、1958年、彼女が出演した「無法松の一生」が、ヴェネチア国際映画祭に出品、そのために渡欧し、夫の松山善三とヨーロッパ各地を回った時の日記をまとめたものです。

「8月24日 台風の前触れなる小雨の中を、朝十一時発のエアフランスに乗るため羽田に向かう」

で始まる高峰の日記は、旅先で彼女が見たもの、経験したもの、味わったものをつぶさに描いていきます。彼女は、数々のエッセイで素敵な文章を披露してくれていますが、日記も魅力的です。

映画がグランプリを受賞した後、二人はヨーロッパ各地へ向い、素直に感動したり、驚いたりの連続なのですが、ノートルダムの蚤の市ではこんなシニカルな見方もしています

「11月15日 のみの市にゆく。私たちは小さいモザイクのガクを買った。ふるめかしいすすけた物をみていると、人間の業のようなものを感じて気味が悪い。売っている人々がみんな非常に興味深いかおをしている。栗をかじり乍ら散歩するのは仲々オツである。」

途中、ご主人が病気になったりと、珍道中を続けて翌年2月末に船で帰国の途につき、3月27日、彼女の誕生日に神戸港に到着します。ぐるりと地球を半周した気分になります。

 

 

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あっ、これレティシア書房の店じまいではありません。石田千のエッセイのタイトルですから。

「月と菓子パン」から始まって、「踏切趣味」、「踏切みやげ」と彼女のエッセイを楽しんできました。今回ご紹介する本は、タイトル通り、町の中にある、何の変哲もないお店の店じまいや、いつの間にやら、消えていった商店街の片隅にあったお店への思いを書き綴ったエッセイです(白水社900円)

彼女のエッセイが素敵だなと思うのは、読んだ後、私たちの生きている周囲の風景がちょっと違って見えてくるところです。

ビルの谷間から見える月、公園に植えられた桜、一杯飲み屋さんから漂ってくる香ばしい匂い、など普段目にしたり、聞こえてきたり、身の回りにあるものが、ノスタルジーを手みやげに近寄ってくる感じ。彼女の本を片手に、ちょっと町の中を散歩してみたくなります。

店じまいの話は、リアルに書けば、どのお店にも歴史があり、それが消えていくのですから、辛い哀しい話になってしまいがちですが、彼女らしい優しい文章で、そうか店じまいか、長い間お疲れさまでしたと言いたくなってきます。

「坂なか書店」というタイトルで、閉店する書店のことが描かれています。そこそこの規模の書店で、活気があり、本を買う楽しさに満ちた場所だったところでした。最終日、彼女は「森がなくなったようだ」と思います。それから、彼女は、昔の馴染みの小さな本屋のことを思いだしました。ある日、その店に入ると店内が雑然としているのに気づきます。

「机のふちにセロテープで貼付けた紙が揺れた。閉店のあいさつだった。三十八年続いた店は、本日五時をもって閉店とする。閉店三十分まえの店の、ただひとりの客になっていた。」

町は変わり続け、その場所に何があったのか、記憶からも消えてゆく。

「作る人も、売る人も、買う人も、膨大に増えつづける本の速度に、気持ちもからだも追いつけなくなっている。森が消えていくときとおなじように、立ちつくす。

森があったことを語り継ぐだけになっては、いけない。そのことだけ、わかっている」

さすがに、本屋のことは、ノスタルジーだけで語ることはできなかったようです。

 

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「風のかたみ」、「廃市」等、私の好きな作家の一人、福永武彦の中編小説を二つ読みました。そうか、この作家は、こんな人間の狂気とか、恐怖を描くんだと改めて感動しました。

一つは「深淵」。修道院に勤める女性と、常に飢えを抱えて、憎しみのみで生きているような野卑な男の交わりを描いた小説です。話は、女の独白、男の独白が交互に登場し、陵辱された女性が、男との奇妙な同棲生活になだれ込んでいき、その地獄から脱げる機会があったのに、さらなる暗闇に引きずり込まれてゆく様を描いています。言わば、お互いの魂の告白とでもいうべきスタイルでクライマックスへと向かうのですが、最後はこんな文章で終わります。

「閉鎖された病院内の空家で一目を忍ぶ生活を続けていた男女が謎の失踪を遂げ、次いで怪奇な白骨死体の発見となり、その発掘が三日警視庁鑑識課の手で行われた結果死体は女の方に相違いないことが判り、奇怪な殺人事件が判明した」

この二人の心に巣食っていたのが何なのか、明らかにならないまま、読者は、宙ぶらりんの状態で放り出されます。

もう一つは「世界の終り」。こちらは日常の平和から逸脱して、狂気の世界で彷徨う人妻を描いた、ほんと怖い小説です。冬は雪に閉ざされる小さな町の医者に嫁いで来た女。最初は、それなりの幸せを感じていたはすが、軌道が少しずつ狂っていく様を描いています。出張帰りの夜汽車の中で夫は妻の状態を不安に思うのですが、彼の暗澹たる気分を、雨の中を突き進む夜汽車の描写で表現していくあたりは、見事です。

「一体どういう兆候によって人は他人の幸福を測定するのだろうか(略)或る人間が快活でありお喋りでありよく笑い機嫌よくしていれば、果たして幸福なのだろうか」

20世紀バージニア・ウルフ等が駆使した「意識の流れ」という手法を重視しつつ、超常現象を織り込んで正気と狂気の狭間で苦しむ女性を描いた作品です。

発表されたのは、1959年。福永41歳。そして、翌年に「廃市」を発表します。

なお、この二編は池澤夏樹編集「日本文学全集17 堀辰雄 福永武彦 中村真一郎」(河出書房1800円)に収録されています。もちろん「廃市」も収録されています。

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1968年、北山修、加藤和彦、はしだのりひこの三人によるフォーク・クルセイダーズが「帰ってきたヨッパライ」を発表すします。

「天国よいとこ、一度はおいで、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ♫」という世間の常識をあざ笑うかのような歌詞で音楽界を席巻しました。その後、リムジン江 で分断された朝鮮半島について歌った「イムジン河」を発表するも、当時の政治的配慮でレコード会社が発売を中止しました。で、この二曲の歌詞を書いたのが松山猛です。彼はその後、フリーランスの編集者として飛躍していきます。京都育ちの松山のエッセイが2冊入ってきました。

「贅沢の勉強」(文藝春秋800円)には、何カ所か私の知っている京都のことが書かれていて、つい読んでしまいます。

例えば、「京屋」という東福寺近くのコロッケ屋さん。レティシア書房開店までの暫くの間、東福寺付近に住んでいたので、この店のコロッケの美味しさは聞いていました。(女房はちゃっかり食べたそうです・・)松山はこう書いています。

「僕にとっての、コロッケの原点であり。昭和三十年代のあいだ、ずっと五円でありつづけたそのコロッケに愛情すら感じている。」と。

また、「京都の人は毎日何を食べているのだろう」と題して、1980年代の京都の家庭料理のことが語られています。簡単でおいしい「おかずの哲学」話は、成る程と納得します。こんな具合にどんどん読んでいくうち、なんと知り合いの方が登場しました、洛北雲ヶ畑の志明院のご住職、田中真澄さんです。

田中さんは、私が北山で書店員として働いていた時に、お付き合いをさせてもらった方で、「ダムと和尚−撤回させた鴨川ダム」(北斗出版・絶版)の著者です。ダムによる自然破壊を無視出来ず、様々な運動の結果、ダム工事を中止に追い込んだルポルタージュでした。ロングセラーの売場に並べたり、大学に持ち込んだりと、著者と共に売り続けた思い出深い一冊です。

さて「贅沢の勉強」という本は、京都の事だけではなく、あらゆる地域の、あらゆる国の食文化を中心にした風土と文化に関する考察が満載されていますが、お金を積んだら得られるだけの「贅沢の勉強」ではありません。著者は贅沢をこう定義しています。

「だれにも邪魔されぬ時間を、生活の中に持てる者は贅沢である。同様にひそやかな隠れ家たるべき空間を持つ者もまた贅沢である。さらに、日常の発想を、ことごとく実現できる力を持ち得るのは贅沢者である。基本的人権に保障されているはずの、自由と平等を、本当に享受していると感じられること。それがこの贅沢論の出発点でなくてはならない」

昭和58年に書かれた文章ですが、今も十分通用してると思います。

もう一冊、「大日本道楽紀行」(小学館800円)は、「この国の歩き方」とサブタイトルにあるように、日本各地をぶらりぶらり旅したルポルータジュです。白黒写真が旅愁を誘います。

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作品社が出している「日本の随筆シリーズ」は全100冊、その別巻が全100冊出版されています。古書市では定番の「500円コーナー」の王道をゆくシリーズです。店にも、最近十数冊入荷しました。

ゆっくり中身を観ていると、凄いシリーズだなぁ〜と改めて思います。テーマ毎に、編集者を決めて、その人にテーマに相応しい随筆をセレクトしてもらう企画です。

例えば「顔」というテーマでは、編者は映画監督の市川昆。文学者の随筆に混じって、小津安二郎、マキノ雅弘、篠田正浩らの同業者の映画監督、宇野重吉、高峰秀子らの役者、喜多六平太、野村万蔵らの古典芸能関係と幅広く収録されています。

また「歌」というテーマでは、編集は加藤登紀子。巻頭はシャンソン歌手、石井好子。そして、服部良一、岡本おさみ、淡谷のり子、そして北山修と音楽関係者が顔を揃えています。詩人の牧羊子が「みなやさしい詩のコトバとそれにふさわしいリズムとメロディーで私を夢中にさせる」と日本のフォークソングを評し、「猫」の「地下鉄にのって」のこんな歌詞を取り上げています。

「次でおりるよ 君ももちろんおりるだろううね でも君はそのまま行ってもいいよ」

そして「人生をまるで風のように受け入れている君たちの詩が定着する世界は素直に美しい、と思う」と結んでいます。思わず、店に在庫している「猫」のベストアルバム(LP1000円)を聞き直してみました。

別巻の方は、谷沢永一編の「書斎」のみ在庫していますが、本好きには答えられない内容です。吉田健一、江戸川乱歩、庄野潤三、北原白秋らズラリ30数人の文人が書斎や本について語っています。

おぉ〜この編集者がこのセレクトか!とニンマリしながらお好みの一冊をお探し下さい。もちろん価格は古書市の定番500円です

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女三人とは、与謝野晶子、宮本百合子、林芙美子のことです。まだ、女性が一人で海外へ出かけることが少なかった時代に、この女性作家たちの大胆なシベリア鉄道の旅をルポルタージュしたのが、森まゆみ「女三人のシベリア鉄道」(集英社絶版/900円)です。

与謝野晶子は、先に船でパリに渡った夫の後を追いかけて、1912年(明治45年)5月、日本を立ちウラジオストック経由、シベリア鉄道を使ってパリまで、外国語が全く話せないのに、たった一人で向かいました。

「かにかくシベリアの汽車にして、一人旅をいたさんとするにて候へ暴挙に近きことごとは自らもおもひ居り申候」

と本人も認めている大胆さです。

15年後の1927年、今度は宮本百合子(当時は中條百合子)がロシア語の研究家で数才年上の湯浅芳子とシベリア鉄道を経由してロシアへ向かいます。当時のロシアは社会主義革命十年後で、新しい国造り真っ最中でした。理想の国家みたさに、百合子はロシアに飛び込みます。そして、帰国後、日本共産党に入党、そこで宮本顕治と結婚して、活動を始めます。

そして、百合子より4年後の1931年、林芙美子は、夫を内地に残して、パリにいる恋人のもとへと旅立ちます。やはりシベリア鉄道経由で。彼女の代表作「放浪記」の冒頭は「私は宿命的に放浪者」で始っています。

著者の森まゆみは、三人への深いシンパシーとリスペクトを大事にしながら、ウラジオストックへと向かいます。今は崩壊した社会主義国家の大国の横顔と、モスクワ、ミンスク、ベルリンを経由してパリまで突き進むシベリア鉄道の魅力が描かれます。車窓から、かつてこの地を旅した女性達の面影を探し求めるように。

シベリア鉄道といえば、五木寛之の「青年は荒野を目指す」が強く印象に残っています。日本を捨てる青年の虚無感にぴったりだったと思います。そして、大瀧詠一のアルバム「ロングバケイション」に収録されている名曲「さらばシベリア鉄道」ですね。

「この鉄道の向うに何があるの 雪に迷うトナカイの哀しい瞳 答えを出さない人に 連いてゆくのに疲れて 行き先さえ無い明日に飛び乗ったの」

松本隆の乙女ちっくな歌詞と、大瀧の哀愁溢れるメロディーを太田裕美が歌って、大ヒットしたこの曲のイメージが、私のシベリア鉄道です。

池澤夏樹編集の「日本文学全集」(河出書房)を毎月買っています。ちょっとした時間を利用して、ポツリポツリと読み続け、樋口一葉「たけくらべ」、夏目漱石「三四郎」、森鴎外「青年」、堀辰雄「かげろうの日記」」「ほととぎす」、中村真一郎「雲のゆき来」と読破しました。

漱石は「吾輩は猫である」ぐらいしか読んだ事ありませんし、鴎外にいたっては全く読んでいません。この巨匠の長編小説を読んで、久方ぶりに文学と格闘したような気分です。

「三四郎」は、地方から東京に出てきた大学生三四郎の日々のうつろいを描いた長編小説ですが、導入部分が見事です。東京に向かう列車で一緒になった女性と、ひょんな事から宿で合部屋になり、いい寄られるも逃げてしまう主人公の優柔不断な姿から始まります。そして、東京での生活でも、魅惑的な女性に翻弄されてゆく様が描かれていきます。小説の中に「迷羊/ストレイシープ」という言葉が繰り返し出てきます。これは三四郎の事を仄めかしているのですが、変貌する明治の東京と、押し寄せる海外文化、そして都市生活者の女性に振り回される一青年の、いわば「自分探し」ですね。その手合いの本を読むぐらいなら、「三四郎」を読む方が利する事大なのは明白です。小説の最後はこんな文書で終了します。

「三四郎は何とも答えなかった。ただ口に内で、迷羊、迷羊と繰返した。」

さて、一気に近代化、西洋化してゆく日本で、三四郎は迷羊を脱して、自らの進むべき道を見つけるのか、それはどんな道なのか見てみたいと思うところで幕切れです。

この「三四郎」の発表から数年して出版された鴎外の「青年」は、読むのに苦労しました。おそらく、鴎外は「三四郎」を読んでいたのでしょう。構成はそっくり同じなのです。主人公、小泉純一の上京物語で、東京で同郷の作家を訪ねる導入部も「三四郎」と一緒です。そして二人共、現れた女性に引き起こされる恋愛的なもの、性的なものに怯えてしまいます。特に純一の悩みは深そうです。

「なぜ真の生活を求めようとしないのか。なぜ猛烈な恋愛を求めようとしないか。己はいくじなしだと自らを恥じた。」

そこまで悩まなくたって…とは思いますが。

ただ、編者の池澤夏樹が指摘しているのですが、鴎外の「性欲」にてついての考え方です。

「鴎外は軍医森林太郎として兵士の性欲のことを考えた。はっきり言えば性欲の『処理』のことである(これは従軍慰安婦問題にまで繋がるむずかしい問題だ)。鴎外は留学先のドイツでこの問題を周囲の同僚たちのことも含めて体験的に考え、自分に振り返ってそれこそ自然主義的に、しかし露悪ではなく科学者の観察の姿勢で『キタセクスアリス』を書いた。『性的人生』という意味だが、これは発禁になった」

厳格な軍医だった鴎外らしい姿です。

さて、次に挑戦するは南方熊楠、柳田國男、折口信夫、宮本常一の四人をまとめた民俗学の登竜門みたいな分厚い一冊です。そして、その次が丸ごと吉田健一と格闘は続きます。

★臨時休業のお知らせ

勝手ながら5月11日(月)〜13日(水)まで臨時休業いたします

 

◉14日(木)〜24日(日)ギャラリーは、

緑を愛する設計事務所「もじゃハウスプロダクツ製作ノート展」です。

お楽しみに!