少し前のブログに梯久美子の「原民喜死と愛と孤独の肖像」(岩波新書/売切れ)のことを書きました。今回は同じ著者の「愛の顛末」(中公文庫/500円)です。サブタイトルに「恋と死と文学と」とあります。三角関係、夫婦の葛藤、ストーカー、死の床で語られる愛など、もう韓流ドラマ好みの話題満載なのですが、ここに登場する文学者の本を、思わず読んでみたくなるところが著者の力量です。

小林多喜二、近松秋江、三浦綾子、中島敦、原民喜、鈴木しづ子、梶井基次郎、中城ふみ子、寺田寅彦、八木重吉、宮柊二、吉野せい、という12名が登場します。どの人も「激し過ぎる」人生なのですが、だからこそ、彼らが永遠に輝くのかもしれません。そんな中から私の知らなかった作家を紹介します。

戦後を代表する歌人の一人宮柊二は、1912年新潟に生まれ、1939年徴兵されて、日中戦争ど真ん中の中国山西省に送られます。その時詠んだのが、

「うつそみの骨身を打ちて雨寒しこの世にし遇ふ最後の雨か」です。

「うつそみ」は現世を生きている自分のこと。戦闘にのぞむ兵士の死の覚悟を詠っています。敵陣深く侵攻する日々の中で、内地にいる最愛の女性、英子に多くの手紙を送ります。「ここは山西省の一寒村であり、この前には日本の部隊は居りません。殆ど想像のつかない少人数が、ここを死守して作戦の十字を掴んで居ります。」

激しい戦闘が日々繰り返される最前線から送られてくる手紙には、時を越えて、個人の真摯な思いが溢れています。その激戦を耐えぬき、故国に戻った彼は英子と結婚し、子どもが生まれ、職も得て再スタートします。1945年再び召集されて、戦地に赴くことになりますが、敗戦が決まり、家族の元に戻ります。戦後は短歌界を牽引します。晩年の歌にこんなものがあります。

「中国に兵なりし日の五カ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」

1986年、74歳でこの世を去りました。

この本に登場する文学者たちが背負っていたものは、戦争であり、貧乏であり、病いでした。重圧に耐えながら、命を削った果てに残ったのが、彼らの作品でした。

戦中から戦後にかけて古い因習、価値観に抗い、恋に生きることを選んだ、中城ふみ子という歌人がいました。19歳で親に決められた結婚をし、3人の子の母となり、文学も諦め、そして離婚。31歳で乳がんで亡くなるのですが、人とは違った生き方を貫く女性に世間は冷たく、母となった女に自由な恋愛などできなかった時代に、死を前にして彼女は抗い続けました。

「内部のこえに忠実であらうとするあまり、世の常の母らしくなかった母が子らへの弁解かも知れないが、臆病に守られる平穏よりも火中に入って傷を負ふ生き方を選んだ母が間違ひであったとも不幸であったとも言へないと思ふ」

と生前出された歌集「乳房喪失」のあとがきに書いています。

この文庫の解説で、永田和宏は「もう一度、これらの作家を読み直してみたいと思わせてくれる一冊であった」と書いていますが、その言葉通りのノンフィクションです。

 

 

石田千の「店じまい」(白水社/古書800円)は好きな本で、前にもご紹介しましたが、また手に取って読んでしまいまいした。帯の言葉を借りていうと「あなたの町にもきっとあった、あの店この店・・・・その不在の光景の数々」を描いたエッセイです。

昔馴染みの店の閉店の話って、ちょっと感傷的になるものです。私が閉店を経験した時も、店側の人間はわりとクールで事務的になってゆくのですが、お客様サイドはやはり違っていたようでした。石田の文章は、哀愁をにじませながらもどこか醒めた部分があり、しかも瑞々しい感性で語られて、とても気持ちよく読めます。彼女の好きなお店は例えばこんな感じ。どんな町にでもあるような蕎麦屋さんで、

「水が来て注文をして、テレビに飽きぬうち。新聞なら三面記事と黒枠、天気予報と週刊誌の広告をながめたころ。おまちどおさま。それまでの心づもりと空腹の間あいは、からだで覚えていて、整えられる店のおくの湯気のむこう、あかい顔をしてゆでているおじさんや、三角巾をきっちりむすんだおばさんが、あわてずせかさず、長年のいつもどおりを守っているおかげで、気どりなくいられる。食べたいものを、食べたい速さでたいらげる。」

こんな居心地のいい店って、誰も何軒かお持ちのはず。それが、ある日行ってみると閉店している、という経験もされているでしょう。その店が存在した時の街の情景を背景にして、店の人と交わった一瞬を書き留めています。石田は、古風なセンスの優れた下町エッセイを何点か書いていますが、この本がベストではないでしょうか。

馴染みの豆腐屋が閉店していた時。

「暮れに来たときは、あぶらあげ二枚買った。半年後、店をたたんでいた。ひとの死を知ったときのようにざわついて、部屋のなかで、立ったりすわったりしている。すぐそばにあった景色が、腰まわりからはなれていかない。」

店は変わり、街も変わり、そこに何があったのか誰も忘れている、というのが現実ですが、心のどこかに様々な思いと郷愁と共に残っている店ってありますよね。この本を読みながら、そういえば、あの店…..って思い出したりしました。

 

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「二歳になるころ、ぼくの耳が聞こえないことがわかった。先天性の感音性難聴という診断だった。」で始まる齊藤陽道著「声めぐり」(晶文社/新刊1998円)は、障害者プロレスラーから、写真家へと転身した男が、聞こえない声とどう向き合い、自分の世界を取り戻していったかを綴った本です。

彼の病気は、内耳や聴神経などの音を感じる『感音器』の障害によっておこる難聴で、音がひずんで聞こえる、音の聞こえる範囲が狭いといった特徴があります。病気を認知した頃から、彼は補聴器を付け、正確な発音練習に明け暮れます。自分はきちんと声を出しているのか、変な声じゃないだろうかとビクビクした日々を送ることになります。相手の言う事が理解できなくても、分かったような返事と表情をするのが小学校時代だったと振り返っています。それは中学時代も同じで、「深まってゆく孤独をまた頑張って抑えていったら、きっと近いうちに、自死するか、残酷な形で人を傷つける未来しか思い描けなかった」という日々でした。

しかし、都立石神井ろう学校に入学し、手話に出会ったころから人生が変わり始めます。手話が自分の気持ちに結びついた道具として話せることを知でり、自分の声を取り戻していきます。

「朝起きてまず思うことは、『今日も話ができる!』だった。ごはんもそこそこに、制服に着替えてすぐ家を出て、自転車で学校へと向かう。」

けれど、人生はそんなに簡単にいかない。アルバイト先で「つんぼ」という差別用語をぶつけられたり、様々な場面で自分の存在を否定されたりする場に出くわします。罵声を浴びても、自分のことを見てくれていたという錯綜した思いをこう書いています。

「悪意のことばすら、まず自分を見てくれているという、いびつにねじくれた喜びとして感じてしまった。出てゆく先のない怒りは、鬱積し、よりどす黒く醜い色に染まりながら腐ってゆく」

そんな齊藤の前に、「無敵のハンディキャップ」という本が現れます。著者の北島行徳が代表を務める障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の誕生から、試合、参加するレスラーの事を書いたノンフィクションです。齊藤は、この本にのめり込み、何度も、何度も読み返します。

「障害に負けず、健気に生きているという健常者にとっての都合のよいステレオタイプな『障害者」はどこにもいなかった。どの人物も血肉ある者として描かれていて、みんなが不器用に生きる『人間』だった。」

試合をみたあげく、「ドッグレッグス」に入門し、プロレスラーとしてリングに上がります。その後、リングでの体験を元に、写真家として生きていくのですが、波瀾と思いの深さに満ちた彼の物語を、このブログでは語りきれません。

本書は、障害者なのにここまでやっています、というような感動ものでもなく、自伝でもありません。齊藤は「声めぐりの旅へ踏み出す一歩を支えてくれた現象」を語ったものだと書いています。聴こえないからこそ、コミュニケーションをより深く真剣に考え、模索していった人生の記録です。

 

写真家の平野太呂が、憧れの先輩36人に会いにゆき、自然光で撮影されたご本人と仕事現場の写真を元に、人となりを紹介するフォト・エッセイ「ボクと先輩」(晶文社/古書1150円)は、ほのぼのとした本です。

登場する先輩が凄い!安西水丸、高橋悠治、大林宣彦、ピーター・バラカン、なぎら健壱、水木しげる、立花ハジメ、平野甲賀、小西康陽等々、様々なジャンルで活躍する達人ばかりです。

先輩たちの素敵な表情を捉えた写真が美しい。安西水丸の微笑み、ざっくばらんなおっちゃんという雰囲気の建築家阿部勤、自転車ビルダー渡辺捷治の頑固そうな職人顔と、彼が作り上げた自転車、昔の映写機を持って楽しそうな映画監督大林宣彦、FMラジオのDJブース内のクールなピーター・バラカン、バット片手にグラウンドの彼方を見つめる野球解説者篠塚和典など、この人達の顔を見ているだけで、こちらの気持ちも明るくなります。

最初に登場する「テーラー大塚」の店主、大塚忠雄氏など、全く知らない方もいます。1945年生まれ。祖父母の代から続く、浅草橋のカスタムオーダーの洋服店のオーナーです。白髪とベレー帽姿が、カッコいい!おしゃれな紳士です。「タンゲくん」等でお馴染みの絵本作家、片山健のアトリエも撮影されています。こんなアトリエで絵本を作っていたのか・・・。絵本作家は「笑ってくださいとか、絵を描いてくださいとか絶対言わないでくれって取材のときはお願いするんだけど、なんか今日はそんな感じじゃなさそうだからよかった!」と発言しています。平野太呂という写真家の人間性は、他人をホッとさせる何かを持っているみたいですね。ここに登場する人達の表情を見ていると、そう思います。

おぉ〜、やはり只者ではなかったのが桑原茂一です。1975年、小林克也と組んで「スネークマンショー」を結成して、音楽シーンに旋風を巻き起こした人物です。その後もラジオ等で活躍しています。彼はこんなラジオ番組のデモを聞かせます。

「国民のみなさん、わが国は先ほど正式な手続きをもって、戦争を行うことになりました。しかし、ご安心ください。相手がどこの国か、いかなる戦争か、すべての国民のみなさんに分からぬように進めていく次第でございます。勝敗に関しても分からぬように処理させていただきます。戦争に怯えることなく、ふだんと変わらぬよう処理させていただきます。戦争に怯えることなく、ふだんと変わらぬ日常をお過ごしいただければと考える所存です。」

凄いラジオ番組!と驚いていたら、オクラ入りとか……..。このギャグ、笑いながら、ほんまにありうる話で冷や汗が出ます。

さて、最後を飾るのは、装丁家として有名な平野甲賀。彼の作り出す独特の文字は、本好きな方よくご存知のはずです。一時、カウンターカルチャーの書籍発行に力を注いだ晶文社の本の装幀を一手に引き受けたブックデザイナーです。76歳になって、東京から生活の場を小豆島に移しました。和室に置かれた大きな古い机、障子の向こうからさして込んでくる日光、木箱を組み合わせたような本棚。落ちついたいい仕事場です。

「そろそろ春がやってきそうな3月の上旬、4歳の娘と『帰省』した。」帰省……?つまり、平野太呂は平野甲賀の息子なのです。単行本になることが決まったら、題字を頼むとの息子の要望通り、本の題字は大先輩である父親でした。

 

 

誠光社店主、堀部篤史さんの「90年代のこと」(夏葉社/1728円)が出ました。サブタイトルに「僕の修行時代」と書かれています。

「昔は良かったなどと言うつもりはないが、もうこれ以上いらないと強く思う。」これ以上リッチなもの、便利なもの、美味しいものはいらない。「せめて本当に必要なものを取捨選択できるぐらいは覚めていたい。そのためにはかつてわれわれに何がなく、代わりに何があったかを思い出す必要がある。」というのが、この本の出発点です。

1994年、高校生だった彼の愛読書は「ガロ」でした。仲間たちは、「週間少年ジャンプ」などの週間漫画雑誌に夢中でしたが、彼は「人と違うものを選ぶことで、かれらとははっきりと違う自分の立ち位置を確保しようと必死だった。」のです。そして、「ガロ」を始め、オルタナティブなアイテムを探しもとめ、あちらの本屋、こちらの本屋とかけずり回ります。辿り着いたのが「三月書房」。そこで「ガロ」を起点に、知らない作家や未知の作品へと触手を広げていきます。本だけでなく、音楽、映画、アートの世界へと無限に広がってゆく世界を見つけるのです。

「過去に触れてきたものがある時点でつながり、違った見え方をする。無関係だったもの同士がジャンルを越えてつながる。音楽を聴き、映画を観続けていると必ずそんな瞬間が訪れる。」

膨大な量のレコードを聴き、古本を買いあさり、映画館に足しげく通うことで、自らの思想を作り上げてゆく。インターネットなど皆無だった頃、すべての評価が検索一発で瞬時に目前に並ぶ時代ではありません。駄作、見込み外れ、失敗作を浴びることで自分なりの批評精神が磨かれてゆく。B級、C級の映画を見続けて、私も私なりの修行時代を通過したように思います。

誠光社には、よく行きます。堀部さんとは、本よりも音楽の話で盛り上がる事が多いです。本著にもアメリカのロックバンド、ソニックユースとダイナソーJrに夢中だったことが書かれていますが、80年代これらのバンドが出てきた時、私自身、パンク少年、ニューウェーブ少女たちの溜まり場みたいな、京都でも過激で、新しい音楽を扱っていたレコード店の店長をしていました。部下たちは、彼らの音楽を絶賛していましたが、しかしながら、私はダメでした。はきそうになるぐらい聴き続け、バックグラウンドや、音楽状況の情報を探しだしましたが、どうしても受け入れることは無理でした。そして、新しい音楽には新しい店長を、とバトンタッチしました。

この時に、流行の音楽、映像、文学、アートを無視して、自分で選んだものを観て、読んで、聴いたことは大きな経験でした。インターネットなんてまだまだ先の話、という時代、自分なりのアメリカンカルチャーの文脈を組立てる作業は楽しかった堀部さんも書いています。「検索型の世界は時に文脈を崩壊させる。背景のない検索結果がでたらめな組み合わせを産み、意味は剥奪され、表層だけがコピーされ続けてゆく」

最終章「1996年、本屋は僕の学校だった」で、元の職場である恵文社に、POSシステムが導入された時のことに触れています。「出版社、取次、書店の三者が無駄を減らし利益をあげられるシステムだというが、そこには『読者』のことは勘定に入っていない。効率の代わりに犠牲となるのは多様性だ。読者の傾向や層を数値化しすることによって、最大公約数を求める店舗を平均化していくことが目に見えるようだった。」

私も同じようなことを十数年前に、取次ぎのエライさんや、経営陣に向かって発言したことがあります。その場の嘲笑的な雰囲気が今も忘れられません。でも、この本を読んで、あの時の考えは間違いではなかったんだ、と力づけられました。

堀部さんが、90年代に、観て、聴いて、読んだ膨大な量の情報の一部を再生しながら、あの時代の雰囲気を見つめ、今の時代に欠けているものを明らかにしてゆく作業をまとめた本であり、その思想が、誠光社の書架に生きていることがわかります。そして私にとっては、過去のある時代の情景が目前に現れてきた刺激的な本でもありました。

 

 

 

 

エチオピアの農村や中東で、フィールドワークを続けてきた文化人類学者松村圭一郎が、その活動を通して、世界を、私たち日本人を、見つめ直した「うしろめたさの人類学」(ミシマ社/新刊1836円)は、新しい発見が沢山ある素敵な本です。

目次には「経済ー『商品』と『贈り物』を分けるもの」とか、「関係ー『社会』をつくりだす」、「国家ー国境で囲まれた場所と『わたし』の身体」等々、難しそうなタイトルが並んでいますが、最後まで読めるかな〜?などの心配は無用です。

「できれば人類学とは無縁の人に自分の言葉で届けたいという思いでここまで書いてきた。願わくは、紡いできた言葉が学問の垣根を越えた越境的な贈り物となることを祈りつつ」と最後に書かれている通り、もう、めちゃくちゃ日常の事柄を例を引っ張ってくるので、成る程、成る程と読み進むことができます。

まず彼が足しげく通ったエチオピアの様々な現場から、新しい考え方を模索していきます。例えば、この国では、みんな平気で物乞いにお金を渡します。

「物乞いに抵抗なくお金を与えているエチオピア人の姿を見て、なぜ自分はお金を与えることに躊躇するのだろう、と問うことができる。他者の振る舞いから、自分自身がとらわれた『きまり』の奇妙さに気づくことができる。人の振りみて、我が身を疑う。これが人類学のセンスだ。」

良い言葉ですね、「人類学のセンス」って。遠い所にあった人類学という学問がぐぐぐっと近づいてきます。

人類学のフィールドワークでは、当然その地の人と深い関係性を持ちます。様々な状況で、色々な感情、行動を体験します。そんなフィールドに馴染んだ身体は、フィールドから、ホームに戻ってくると、あれ、なんか違うなぁ〜というずれを経験します。「自分の居場所と調査地を往復するなかで生じる『ずれ』や『違和感』を手がかりに思考を進める。それは、ぼくらがあたりまえに過ごしてきた現実が、ある特殊なあり方で構築されている可能性に気づかせてくれる。」

私たちがいきる社会を構築しているものは何なのか、その延長にある国とは何なのかと、答えを求めていきます。格差は深く進行し、膨大な情報の洪水の中に溺れ、人とのつながりが遮断され、出口の見えない孤独に苦しむ。しかし、表向きは、街がピカピカに美化され、格差なんてどこにも存在しないような顔をしているのが、今の日本だとすると、「ホームレスも、障がい者も、精神を病む人も姿を消した街は、どんなにきれいに開発されても、ずっと生きづらい。バランスの崩れた場所になっているはずだ。格差を突きつけられる機会が失われているのだから。表向きの『美しさ』は、その裏で不均衡を歯止めなく増殖させてしまう。」ことになります。

震災の映像を見て、何もしない自分のうしろめたさを感じ、義援金を送った人も多いはず。著者は言います。

「知らないうちに目を背け、いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに自覚的になること。そして、ぼくらのなかの『うしろめたさ』を起動しやすい状態にすること。人との格差に対してわきあがる『うしろめたさ』という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる。」

うしろめたさを起動することで、現実を見直し公平さへの希求が持ち上がるのだという事を、多くの体験を通じて、私たちに語ってくれます。本書は、今年度の「毎日出版文化賞特別賞」を受賞しました。

 

 

 

 

 

池澤夏樹が、沖縄のボーダーインク社から出版した「沖縄への短い帰還」(古書/1600円)は、沖縄について書いたエッセイ、書評、インタビュー、講演などをまとめた一冊です。著者は、1994年から10年間沖縄に住んでいました。都会である那覇から、田舎の知念へ引越もしています。

戦争末期、軍部は時間稼ぎに沖縄を戦場にし、20万以上の民間人が犠牲になりました。戦後はアメリカによって好き放題使われていることは、皆さんご存知のことです。日本は沖縄をいいように扱ってきました。著者は、そんな現状への鋭い意見を発表しています。しかし、この本はそういう面だけでなく、様々な顔を持つ沖縄を紹介しています。

彼が移住を決心したのは、「東京という大都会が提供してくれるさまざまな魅力が色あせて見えるようになったからだった。もうあの喧噪はいらない。」でした。「感動的においしいものはなくても、まずくないものが手に入ればいい。沖縄ならばそういう食生活になりそう。」

ここから、地元の食材の話が展開されていきます。そして、当然、泡盛の話題になっていきます。「酔うために飲んで、気持ちよく喉を通り、素直な酩酊に入れる。翌日はすっきり目が覚める、という意味では、泡盛はよい酒である。」

沖縄ぐらしのエッセイの後に、沖縄についての本の書評が集めてあります。本土の出版社から出たものもありますが、沖縄の出版社の本が多いです。その中で、宮城文著「八重山生活誌」(沖縄タイムス社)に驚きました。

「一人の女性が自分が経てきた時代の生活文化すべて書き記そうと決意した。九年あまりかけて知るところを書き、不明な点は調査を重ね、ついにA5判で六百ページの大著を完成した。検索項目だけで二千を越える綿密な生活誌である」この本が完成した時、著者はなんと数え年で81歳でした。

続く第三章は、著者が受けた沖縄に関するインタビューがまとめてあります。1995年、地元雑誌の載ったインタビュー記事を少し長いですが紹介しておきます。

「地方にもっと強い力をというのは、言ってみれば『強い国」』か『幸せな国』かの選択なんだな。『強い国』が欲しいのであれば、みんな中央のことをきくというのがいい。日本の会社が軍隊をまねて人を使うのと一緒でしょ。一糸乱れず行進する兵隊が強いんですよ。だけど『幸せな国』ってのはそうじゃない。みんなしたいことして、ばらばらで、しかもなんとなくまとまっているというふうが幸せなんですよ。やっぱり日本というのは、明治以来の西洋コンプレックスがあってどうしても『弱い国』にはなりたくないんだ。力の神話にすがっている。ぼくなんか『弱いけれど幸せな国』の方がいいんだけれど………。琉球はかつて『弱いけれど幸せな国』を実現していたから、そこへ返りたいという思いも強い。」

あるべき国の姿をこの地に求めた愛情と、ここを見捨てた日本という国への辛辣な意見が交差する一冊です。 

一年の約半分を京都で過ごすという評論家、永江朗さんの「四苦八苦の哲学」(晶文社/古書1300円)は、タイトル通り読むのに四苦八苦させられた本でした。でも、眠くはならずに、最後まで読むことができました。

仏教のことば「四苦八苦」。生・老・病・死という基本の「四苦」と、それに、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の「四苦」を加えたものが「八苦」です。本書は、その内、生・老・病・死について、永江さんが、哲学書の文章を引っ張りながら、ああだ、こうだと考えたものです。

「四苦」のうち、老・病・死は、苦しいものの原点であり、私たちが避けられないものであることはよく分かります。しかし、「生」は何故苦しいのか?ここでは、ハイデガーの「存在と時間」からの引用で始まります。

「私たちはそのつどすでに或る存在了解のなかで生き、しかも同時に、存在の意味は暗がりのうちに蔽われている」

?………..????理解できなくても心配ご無用。著者が、日常で体験するいろいろな事を例にして解説してくれます。ただ、頭の隅に置いておきたいのは、様々な原典の文章を「誤解でも曲解でも牽強付会でもかまわない。あくまで参考意見。哲学者のことばを思考の条件のようにして、わたしがじぶんで考えるきっかけにしたい。」という著者の言葉です。この本は哲学の解説書ではないということです。だからこそ、面白いのです。

最近の読んだ本の中では、恐ろしい程の付箋を貼付けました。特に第四章「生について」で、ハイデガーやらレヴィナスが登場してくると完全にお手上げ状態でしたが、著者のサポートで、それこそ「四苦八苦」しながら読みました。刺激的でした。

ここで、この本からの引用を書き出したらきりがないのですが、自殺について考察した部分に、著者のホンネが突出していたので、ご紹介します。

病気による肉体的苦痛に耐えかねて死ぬのはわかるが、それ以外の理由で自殺することについて、「人はなんてくだらない理由で自殺するのか」と著者は言います。そして、「追いつめているものはなにかと冷静に観察すると、それは欲求・欲望の一形態でしかない。欲望を棄ててしまえば、自殺なんてしないですむのに。集団本位的自殺にいたっては、アホらしいとしかいいようがない。乃木希典夫妻の殉死に感動した同時代人は多かったようだし、神社までつくって祀られたが、実につまらない死に方ではないか。(中略)仕えた王のための殉死であろうと、遥か昔にあった面目を失うようなことを償うための自殺であろうと、どちらにしてもばかばかしい。死ぬのは勝手だが、神社までつくることはないだろう。」

同感です。「殉死」の上に「お国のために」なんていうのは実にばかばかしい。

読み終わって、成る程な〜、そういう真理かと理解したこともあったけど、やっぱりわからないこともありました。今度、永江さんが来られたら聞いてみよう!

 

マスコミ報道、TVニュースで「イスラム」という言葉が、飛び交っています。そして、受け取る側は、あんまりイスラム人に近づきたくないイメージを持ちがちではありませんか。

しかし、そのイメージがいかに誤ったものであるかを、はっきりと極めて分かりやすく教えてくれるのが、内藤正典「となりのイスラム」(ミシマ社/新刊1723円)です。世界の人口の1/4にあたる15〜6億人がイスラム教徒といわれているのですから、彼らと関わることなく生きてゆくのが困難になってきています。

「イスラムにはキリスト教の『原罪』という感覚はありません。単純な話で、『生まれてきた赤ん坊に罪なんかないだろう』ということです。キリスト教では生まれながら人間は『原罪』を背負っていることになっていますが、イスラムにはそういう”辛気臭さ”はありません。」

ミッション系の大学に通学していたので、「宗教原論」が必須でした。その講義で、のっけに出た言葉が「原罪」です。なんじゃ、それっ???の状態でしたが、この本に出会ってすっとしました。

イスラム教は、利子を禁じていることをご存知ですか。私は池澤夏樹の著書で、彼がそのことに賛同していたことから覚えていました。「簡単に言ってしまえば、眠っているあいだに金が増えたり減ったりするということがダメだという意味です。」何もしないのに、お金が増えているっておかしいですよね。高い利子に目がくらみ、無謀な投資を行い、すってんてんになった人の話はそこら中にあります。ちゃんと汗かいてお金儲けしようよっていうのは、当然の教えではありませんか。

著者はイスラム教徒の本質をこう見ています。

「他人を騙すようなことは決してしない、他人を見下さない、自分の家族を含めて、何が正しいことなのか、いつもそれを考えて行動する。」

だから、イスラム圏に旅すると、安心と平安をもたらすと感じるそうです。キリスト圏の国に旅した時には感じない、だらっ〜としたリラックス感に満たされるのだとか。そういうことを、著者自身の体験を交えて書いています。そこから、実際にイスラム教徒とお付き合いする時に、どうすべきかが丁寧に解説されています。お役立ち情報満載です。

さて、そんなイスラム教徒のイメージが凶悪なものになってしまったのは何故なのでしょうか。暴力組織として恐れられている「イスラム国」最大の問題は、「イスラム千四百年の『共存の歴史』に学ぶつもりがさらさらないということです。寛容であり、共存のために積み重ねてきたイスラムの伝統や知恵を、完全に無視してしまうことなのです。」

一方で、先の大戦で西欧列強が、今の中東・イスラム世界をずたずたに分割し線引きをし、植民地支配を続け、あげくにイスラム文化よりもヨーロッパ文化が上であると考え、無理矢理欧化させようとしたことが、イスラム国の暴力化に火を付けたのだといいます。フランスでは公教育の場から、イスラム教徒の女性が身につけているスカーフやヴェールの着用を禁止しました。彼女たちにとって、髪の毛やうなじは性的な羞恥心の対象です。だからスカーフなどで隠しているのです。例えば、ミニスカートをはくのが恥ずかしい人は、パンツルックにするとか、ロングスカートをはきます。何を着るかは、本人が決めることであって、国家があれこれ指示することではありません。イスラム文化が劣っているから、優美なフランス文化を教えてあげようというゴーマンフランスの姿なのです。

「これは国家をあげてセクハラを働いているようなものではないか。髪の毛をあらわにしてヴェールをとれば女性が解放されて自由になるとでも思っているのかもしれないが、それはミニスカートをはけば女性が自由になるといっているようなもの。逆に女性の側からいえば、性を商品化する行為そのものだ」と、著者は欧州評議会でぶち上げたそうですが、反応は,,,,,,,,,だったようです。

イスラムを学ぶことで、世界を違う角度から見ることが出来る書物です。

山本昌代の中編小説を集めた「手紙」(岩波書店/古書900円)は、日常生活に入り込む微妙な狂いを描いています。

津田塾大在学中に、浮世絵師の応為と、その父葛飾北斎の姿を描いた「応為坦々録(おういたんたんろく)」で文芸賞を受賞してデビューしました。その後、歌舞伎役者の沢村田之助を描いた「江戸役者異聞」、平賀源内を主人公にした「源内先生舟出祝」など、近世を舞台にした作品が多く、時代作家のレッテルを貼られがちでした。有名なところでは映画化もされた「居酒屋ゆうれい」の原作者でもあります。

「文学界」「すばる」等の文芸雑誌に発表されて、この本に収録されている作品は、すべて現代を舞台にしています。普通の人々の普通の生活に、得体の知れない何かが忍び込む怖さを、巧みに描いていきます。だからといって、オカルト小説っぽくなることはありません。

永遠に続くもの、それが日常だと思い込んでいると、突然さす影。その影で、人生がどう変わってゆくのかを淡々と描く作品が並んでいます。くっきりした結末が用意されているわけではありません。夢なのか、思い込みなのか、幻なのか、なんの解決もないまま物語は終ります。人生の翳りに見える時もあれば、怖さが剥き出しになる時もあります。

タイトルにもなっている「手紙」は、中年の男性作家のポケットから「I love you」と書かれた紙切れが何回も出てくるという奇妙な物語です。作家は、不思議に思いながらも、日常を生き続けます。外で仕事をする妻と、一日中家にいて原稿を書いている夫との、交流があるようなないような会話も不気味ですが、その日常に変化をもたらす兆しのような差出人不明の手紙。何度も投函されるこの手紙に、夫は段々と不感症になっていきます。やがて、不条理で不気味な幕切れが待っているのです。

「鷺」は、中年に差し掛かった女性と、介護が必要になってきた母が暮らす一軒家にゆっくりとカメラが入り込むように、二人の女性の日々を映し出されるお話です。掃除、洗濯、食事の用意、介護サービスに出かける母親の見送りと、決まりきった生活だけの繰り返し。しかし、デイサービスからの帰宅途中、遠くまで散歩に行ってしまった母親を見た時から、何かが変わっていきます。母親にも、また未来を全く描けない娘の方にも。それが何なのかは、描かれません。

「母は食べる手をすっかり止めて、何も映っていないテレビの画面を見た。食事中はテレビをつけない。父の存命中から変わらない習慣である。『テレビ、つける?』 訊いても無言のまま動かない。『お母さん』と呼んだ。」

二人を見続けたカメラが、すう〜っと家から抜け出してゆくような映像で物語は終ります。結末をつけない、つけることに意味をもたせない短篇集です。

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