川本三郎の「『それでもなお』の文学」(春秋社/古書1400円)は、著者の世界観や、人生観が色濃く反映されていて、深く心に響いてきます。

「戦争に反対するわけではない。無論、軍国主義の風潮に便乗するわけでもない。『鬼畜米英』『ぜいたくは敵だ』と国を挙げて戦争に熱狂している時に、安吾は『だらしなさ』によってその熱狂の外にいる」

これは、戦後すぐに発表された坂口安吾の「ぐうたら戦記」を通して、作家が戦争とどう向き合ったかを書いたものです。さらに「続堕落論」から「堕落とは死よりも生を選ぶことをよしとする考えであることを明らかにしている。戦前、日本浪漫派が死を賛美したのに対し、安吾はたとえぶざまであっても生のほうこそ肯定する。」これは、そのまま川本の思想を語っています。

また、丸谷才一が戦争末期、徴兵制で無理矢理兵隊にさせられた体験から、「戦前の日本を支配した生真面目な文化を乗り越えようとした。そこで見出したのが、和歌や『源氏物語』に象徴されるたおやかな王朝文化だった。それは、個人の自由などないがしろにする軍国主義の対極にあるものだった。武張った、硬直した、死を賛美する武士道に対し、生を愛し、死を慈しむ雅びの文化だった。」と論じ、戦争を切り捨てます。

この本は、近現代文学史の中の、安吾、林芙美子、永井龍男等、いわば大御所的存在の作家から始まるのですが、もう歴史になった文学者だけを論じるのではなく、今を生きる作家達を大事に扱っているところがポイントです。釧路を舞台にした作品を発表し続ける桜木紫乃、老いてゆく父親と介護を扱った「長いお別れ」を書いた中島京子、そして「光の犬」(私の今年ベスト1)の松家仁之等の、当ブログでも馴染みの小説家が取上げられています。

ちなみに「光の犬」に登場する添島一家を「普通の一家の主として、昭和から平成にかけての暮らしを淡々と描いてゆく。大仰な感情移入はしないし、ここに小市民の暮らしがあると言いたてることもない。ひとは家族のなかで生まれ、家族のなかで死ぬ。生と死のあいだに人生がある。その当り前のことを描いてゆく。」と分析しています。

無名の小市民、つまりどの家族にもある出産、入学、結婚、離婚、病気、そして死といった出来事を通して、家族を丸ごと描いたと著者は言います。

文学が、生きることの原風景を様々な表現方法で描くものであるならば、その見本市みたいな一冊です。

ところで、本書で紹介されている木村友祐の「野良ビトたちの燃え上がる肖像」は、私も読んでいましたが、反東京オリンピックの濃厚な路上文学として見事な出来具合でした。いやぁ〜、この本を選ぶか!ということで、明日はこの小説を紹介します。

 

 

札幌に、「くすみ書房」という名前の本屋がありました。

2015年、内外のファンに惜しまれつつ、約70年間の書店の歴史の幕を下ろしました。二年後の春、店主久住邦晴氏は病に倒れ、復活することを強く希望されていましが、その年の夏の終わりに他界されました。享年66歳でした。

ミシマ社から出た「奇蹟の本屋をつくりたい」(1620円)は、その闘病時に書き残した原稿をもとに構成されています。本が売れない時代に、なんとか本を売ろうと奮闘努力した書店の記録です。

1999年、様々な外的要因でくすみ書房は経営のピンチに陥ります。営業努力しても一向に売上げは回復せず、支払いは滞り、督促の電話が鳴り続けます。そして、どん底の2002年、高校に入学されたばかりの邦晴氏の息子さんが白血病で亡くなりました。葬儀の香典をかき集めて、本の支払いに回したその日、閉店することを決意します。しかし、邦晴氏はそこで、「くすみ書房さんは、きっと息子さんを亡くして力を落とし店を閉めたんだろう。しょうがないね」と言われるだろう、閉店を息子のせいにするわけにはいかない、と思い直します。

そこから、邦晴氏は新しい本屋の姿を模索してチャレンジを開始します。

業界、マスコミが注目したのが「なぜだ、売れない文庫フェア」と称する文庫の企画展でした。POSデータではじき出された文庫売上げ順位の下位には、名作が並んでいます。でも、売行き不良でどの本屋にも置いていない。良書が消滅する危機感と、売上げデータ最優先の画一的品揃えのナショナルチェーンへの抵抗の意味も含めて、このフェアを敢行します。これが当たりました。マスコミを味方につけた戦略も功を奏して、店の売上げも復活してゆきます。さらに、当時まだ珍しかった店内での朗読会を始めます。

出版社や取次ぎのお仕着せで、独創性のないフェアに背を向けて、「本屋のオヤジのおせっかい『中学生はこれを読め』」といった書店独自の企画で勝負をしていきます。順調に回復していったのも束の間、またもた大型書店の出店で売上は下降。思いきって、本屋を始めた場所を捨て、新しい土地に移転を決意します。

しかし、今度は邦晴氏の妻が病に倒れます。何度かの手術の後、2011年、57歳で妻は天国に旅立ってしまいます。そんな失意の中にあっても、「高校生はこれを読め」展を企画し、実行します。だが、本屋を取り巻く状況は厳しさを増すばかりです。移転した店も2015年6月閉鎖。再建を目指そうとした矢先、病が発覚。肺がんでした。

闘病中、彼は本書の執筆に全精力を傾けます。最後にこんな事を伝えます。

「お金がなくても作れる本屋 だから借金の無い経営 きちんと休みのとれる本屋 知的好奇心の満たされる本屋 文化を発信できる本屋 置きたい本だけを置いている本屋 何者にも束縛されない本屋を目指します」

この言葉を書店業に携わる人間は、真摯に受け止めるべきだと思います。「奇蹟の本屋をつくりたい」は、不幸にも病に倒れた本屋の一代記と同時に、人が一生かかって、一つの事を成し遂げる長い道程を支える希望を語った本です。多くの読者に読んでもらいたいお薦めの一冊です。

なお、店内にはこの本の出版記念として、各地で活躍する書店主さんが書いた本を並べています。夢の実現に悪戦苦闘したステキな人達です。

 

来週8月8日(水)からスタートする「レティシア書房夏の古本市」に出品される本のご紹介Vol.3です。

先ず、これは買い!安い!!という豪華五冊セットの本です。晶文社が出している「植草甚一倶楽部」全5巻がなんと1800円!!です(出品 徒然舎)。「芸術誌」「収集誌」「読書誌」「散歩誌」「映画誌」のジャンルに分けられていて、それぞれに植草の文章が収録されています。単品では当店にもありましたが、全巻セットで販売、しかもハードカバーで1800円(1冊当たり360円)。

「読書術」の中に「中間小説の面白さはスピードから生まれてくる」というエッセイがあります。「中間小説の面白さは、それを読んでいくスピードから生まれてくるのだ。あんまりゆっくり読んでいると、すぐにつまらなくなるものだし、それで、面白かったら、それは傑作のなかにはいってくる。」という指摘に、成る程な〜、と納得した記憶があります。「芸術誌」では、お決まりの西洋芸術の紹介ではなく、フリージャズ、ロックに始まり、新しいムーブメントに敏感だった植草らしいエッセイが並んでいます。

当店でも人気の翻訳家柴田元幸が、東京大学出版界から出した「アメリカン・ナルシス」(1000円/出品 徒然舎)は、柴田が大学教師になってから書いた論文を集めたアメリカ文学論です。第一部は19世紀アメリカ文学を論じたもので、メルヴィルの「白鯨」からスタートです。第二章ではアメリカ論を中心にまとめ、第三部では、彼の翻訳でお馴染みのポール・オースター、スティーブン・ミルハウザー等が登場してきます。端正なアメリカ文学論で、柴田ファンにはマストアイテムだと思います。なお、この本は第27回サントリー学芸賞受賞を受けています。

もう一点。私の大好きな香月泰男の図録「香月泰男小品展』(1000円/出品 徒然舎)は、1994年3月に画廊で開催された時の図録です。戦中戦後のシベリア抑留時代の極めて緊張度の高い「シベリアシリーズ」とは異なり、日常のありふれた空間を切り取った作品は静かで、子どもと触れ合う母親を描いた作品群には、平和の貴重な時間が描かれています。

 

 

 

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。なお、準備のため6日(月)7日(火)は連休いたします。

 

 

来週8月8日(水)から始まる古本市に出る本の紹介第2弾です。

これは面白そう!と表紙だけで、読みたくなったのが「謎のマンガ家・酒井七馬伝」(700円/出品 本は人生のおやつです)です。手塚治虫の単行本デヴュー作は「新宝島」ですが、その後、この作品は多くの漫画家に賞賛され、追い越そうと多くの作家が努力してきました。しかし、「新宝島」には共作者がいました。現在、手塚全集に収録されているのは、手塚がリメイクしたもので、どこにも共作者の名前はありません。まるで封印されたようなその共作者の名前が、酒井七馬なのです。

「新宝島」の作画を大学生だった手塚が担当し、原作構成を関西マンガ界のベテランだった酒井が担当しました。出版社に、無名の手塚を売り込んだのも彼でした。しかし、その後二人の間に確執が生じ、マンガ界の頂点目指して脚光を浴びる手塚に対して、酒井は全く売れず、紙芝居業界に転じ、あげくはコーラを食料にして、寒さに震えながら餓死同然にこの世を去ったという伝説だけが残りました。でも、それは真実なのか?それを探ってゆくのがこのノンフィクションです。我が国のマンガ黎明期の歴史もよく解る力作です。

池澤夏樹の娘、池澤春菜の書評集「乙女の読書道」(500円/出品 本は人生のおやつです)も、読んでおきたい一冊です。声優、歌手、ガンプラ女子など多彩な顔を持つ春菜は、SF小説にも深い造詣があります。海外のSFを中心にして、多くの書評が載っているのですが、ファンタジー、耽美小説、幻想文学と広い範囲をカバーしています。書評の間に、「向こう岸の父と祖父」という、自分の家族を語った文章もあります。「私の父は作家、池澤夏樹。 私の祖父は作家、福永武彦、私の祖母は詩人、原條あき子。」という書出しで始まります。著名な作家に囲まれて育った、彼女の思いが綴られています。巻末には父娘による「父と娘の読書道」も入っています。

昨日紹介した夏葉社の新刊「庄野潤三の本 山の上の家」の主人公、庄野潤三の作品もあります。「紺野機業場」(500円/出品OLD BOOK DANDELION)です。雑誌に掲載された長編小説を単行本化したもので、発行されたのは1969年。「ふとしたことから私は、北陸地方の海ばたの、さびしい河口の町で小さな織物工場を経営している紺野友次という人と知り合った。それからもう四年になる。」という風に始まる物語は、紺野という人物を通して、この地方の織物文化、歴史等が語られていきます。古本市では庄野の作品はよく見るのですが、これは初めて見ました。レアなの?

 

 

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。なお、準備のため6日(月)7日(火)は連休いたします。

澤口たまみ著「新版宮沢賢治愛のうた」(夕書房/古書1300円)は、彼の若き日の恋愛と作品の関係を解き明かした労作です。

宮沢賢治は、生涯恋人もいず、童貞であった。或は擬似的恋愛感情を若くして死んだ妹トシに抱いていたとか、学生時代の後輩の男性に同性愛的感情を抱いていたという説がフツーになっています。しかし、それはおかしくない?まあ、自分のことを引合にだすのはなんですが、10代、20代を振り返っても、女性に触れることに血道を上げていたし、周りの友達もみなそうでした。性欲やら、恋愛感情なしの若い日々なんて信じられない。そんな人物がこんなにも美しい文学を作り上げるのだろうかと常々疑問に思っていました。

「賢治は年譜に記されていない恋をしていた」と、確信めいた思いを持った著者は、丹念に作品を読み漁り、検証作業を積み重ねて、彼には結婚まで考えていた女性がいて、その女性との恋が、彼の小説や詩に少なからず影響を与えていたことに迫っていきます。ただ、思い込みと推理だけで走りだすと、あったような、なかったような女性週刊誌の芸能ゴシップ記事になりかねません。僅かばかりの証拠をもとに、当時の賢治の行動と作品をねばり強く検証してゆく姿勢は、彼への愛情なくしてはありえません。

恋人は大畠ヤスという女性です。大正6年、花巻高等女学校卒業後、小学校の教員をしていました。賢治との出会いは、彼が主宰していたレコードコンサート。普段から、賢治は変わり者と評されていたのですが、美しい日本語で音楽の世界を語る賢治に彼女は惹かれていきます。しかし、賢治とヤスは近所同士の教師同士。賢治の家は金持ちで、彼は変人で有名。一方、ヤスは美人で知られた蕎麦屋の看板娘。万一、二人が付き合っているのが公になったら、大騒ぎになります。人知れず二人は交際を深めていきます。彼女を自分のものにしたいという欲望との葛藤が表れているのが、傑作長編詩「小岩井農場」です。

結局二人の恋は成就しませんでした。賢治最愛の妹が結核でこの世を去り、自らもその疑いがあること、そして二人の家のこと等々、超えられない問題の前で、賢治はこの恋にピリオドを打ちます。

小説「ヤマナシ」の最後「私の幻燈はこれでおしまひであります」二人の恋もまるで幻燈のように消えていったと著者は書いています。

ところで、ヤスは、その後、結核を発病しますが、年齢の離れた医者と結婚し、渡米し、アメリカで生涯を閉じました。彼女が暮らしたシカゴの町から「木と空気の悪いのが悲しくて悲しくて」と書いた手紙を賢治に送っています。故郷、花巻の美しさとそこにいた賢治の姿を思っての言葉だったのかもしれません。

この本で描かれていることが本当だったのかどうかはわかりません。著者の妄想なのかもしれません。ただ私としては、こんな恋の苦しみがあったからこそ、美しい作品を残せたのだと思いたいものです。

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。


 

ミシマ社から、「絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話」(若林理沙著/1728円)という長いタイトルの本が出ました。京都は40度近い猛暑の日々、外へ出るだけで危険な暑さです。こんな時こそお薦めの、ココロとカラダを考える一冊です。

本の中に「ミシマ社通信」という小冊子が付いています。そこに、著者が、夏バテは冬と春から始まっているという東洋医学の考え方を述べています。即ち、「すでにバテ気味だという人、冬の間に夜更かしをたっぷりしたり、冷たいもの・ナマモノをよく食べる生活をしていませんでしたか?これらは夏の暑さに対抗するために必要な体のラジエーションシステム(陰気)を弱める行為とされています」ということです。

著者は、死ぬまでの間それなりに楽しめる、ココロとカラダの「いい塩梅」の状態を目指すことが健康であり、最終目標は、ああ、楽しかったと息を引き取ることだと考えています。そのために、何をどうしてゆくのか。自分の健康法の棚卸しに始まり、「寝る・食う・動く」の時間を決める、「寝る・食う・動く」の質を高める、風邪は引き始めに東洋医学で治す、生活そのものが養生になるという順番でステップアップしていきます。

成る程と思ったのは、「ハレ」をちょこちょこ消費する不健康という見方ですね。たまにしかない「ハレの日」は、豪華で楽しい一時です。それに比べて、ごく普通に続く、そして日常生活の多くを占める「ケの日」は地味な日です。ところが、ネット時代の到来と共に、膨大な量の情報が流れ込み、これも楽しい、あれは美味しい、こっちはお買い得と、本来なら「ハレの日」の情報が、日々の生活を侵します。増加する情報や刺激の量が、ハレの感覚を麻痺させてしまい、現代人は祝祭が毎日ないと我慢できなくなりつつあるようです。結果、ちょこちょこ「ハレの日」を消費してしまい、「ハレの日」へのハードルが上がってしまい、感動が目減りして、徒に多くのものを消費してしまいがちです。

「生きている間の限られた時間を最大限に楽しむためには、ハレとケをある程度分離させた、メリハリが必要なのです」という著者の考えには頷きます。BS放送の民放チャンネルを回していると、健康食品からファッション、美容に至るまで「ハレの日」の情報の垂れ流しに遭遇します。このスィッチをオフにすることから、健康は始まるのかもしれません。

ミシマ社からは、矢野龍彦&長谷川智「ナンバ式元気生活」(1620円)、大塚邦明「病気にならないための時間医学」(2376円)、そしてブログでも紹介した小田島隆「上を向いてアルコール」(1620円)など面白い健康関連の本が出ています。

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。

 

1959年1月から、その年の年末まで、須賀敦子が詩を書いていたそうです。もしかしたら、それ以外にも詩作に没頭していた時期があったのかもわかりませんが、今回、59年に書かれたものが発見されました。それをまとめたのが「須賀敦子詩集 主よ一羽の鳩のために」(河出書房/古書1550円)です。

今まで発表されなかったのは何故か。解説で池澤夏樹が「創作者はみな己の内に批評家を抱えている。時にはその批評家がとても厳格で、これは発表に価しないと言うこともあり、これ以上は書き続けるに及ばないとさえ言うことがある。」だから、これまで発表されなかったのかもしれません。

気取りのないスタイルで綴られた作品は、すっと心に入ってきます。

「あさが 私を たたきおこした 目をこする私を しかりつけて つよく 私に ほほずりした。湧き水に 手足を洗ひ すこし ぬれた わらぞうりを ひたひたとはき さあ したくはできた 六月の 草のあさの中へ 出かけよう。」

59年6月に書かれた「あさが」という詩は、爽やかな朝の匂いに満ちています。ところで、詩集のタイトルに「主よ」という言葉が入っています。須賀はカソリックに入信しています。この作品集の背後にはキリスト教があり、はっきりと主に向かって語りかけているものもあります。

池澤は、やはり解説で「信仰ある人々は常に内心で主に話しかけているのではないかと想像している。祈ることは勝手な欲望を訴えることではなく、まずもって語りかけること、答えを期待しないままに思いをつたえること、それによって結果的に自分を律することではないだろうか。」と書いています。須賀の詩にあるストイックな部分は、信仰の力によるものなのです。イタリア語で「クリスマス・イヴ」を意味する「Vigilia di Nastale」という作品では「主よ もう何日も あなたの大きな手を肩にかんじながらも わたくしは ことばのないままに ただ町をあるきまわったのです。」と主へ語りかけています。

私の様な信仰心のない者でも、須賀の言葉は深く心に染み込んできました。

須賀の詩集と一緒に、彼女の代表作「ミラノ霧の風景」、「コルシア書店の仲間たち」、「ヴェネツィアの宿」、「トリエステの坂道」から、異国で出会った彼女の大切な友人のこと、イタリアで知り合い結婚した夫ペッピーノと家族のこと、そして須賀の父と母への思い出を描いた作品を中心に17作を選んだ「須賀敦子エッセンス1 仲間たち、そして家族」(河出書房/古書1600円)も入荷しました。須賀敦子の本を読むのに、何から手をつけようかとお考えの方は、こちらのアンソロジーはいかがですか。

 

誠に勝手ながら、7月16日(月)17日(火)連休いたします。

 

『「ユタカ」とは金を持っていることを言うのではない。「考え方がユタカ」なこと」

だと言い切るのは、高知で活躍するデザイナー、梅原真です。生まれた故郷に拠点をおいて、「一次産業×デザイン=風景」という独自の方程式のもとで、様々な作品を世に送り出しています。例えば、かつおを藁で焼く「一本釣り・藁焼きたたき」、荒れ果てた栗の山から「しまんと地栗」等々。「土地の力を引き出すデザイン」で2016年度毎日デザイン賞・特別賞を受賞しました。

ユニークな活動を続ける梅原真の考えている事、やろうとしている事を、彼がデザインした作品と共に紹介したのが、「おいしいデ」(羽鳥出版/新刊3024円)です。

「今までは、『農薬使わずにできるわけない』という固定観念があった。大量生産、大量収穫を教えられ、疑わなかった。」荒れ放題になった四万十流域の栗山。中国産の安い栗が市場を席巻し、誰も栗を作らなくなり、荒れていきました。そこで、原田は、化学肥料と農薬を使わずに栗を作ることに挑戦し、少づつケミカルフリーの栗農家が増えていきます。

2016年、首都圏のデパートから、フードコレクションへの依頼が飛び込みます。ケミカルフリーの価値を「地」という文字に象徴させるために、「しまんと栗」から「しまんと地栗」にデザインをリニューアルし、さらに◯印の中に、「地」の文字を入れこみます。結果、高級感を助長するような浮ついた感じがなく、生産者の誠実さ、商品の安心感が消費者へ伝わっていきます。原田は「その商品が『誠実に見えているか」というのは大きなポイントであり、誠実さというのはおいしさとイコールに近い。」と語っています。大量生産ラインから生み出される商品には、見つけられない誠実さです。

「昔は暮らしのために経済があった時代で、ちゃぶ台が暮らしの中心にあった。ところがいまは先に経済があるから、未来を語るのではなく経済を語っている。日本の姿を誰も語らないじゃないですか」

本当に価値あるものを探し、支援し、デザインの力で世間に広げてゆく。効率最優先のフード業界に挑戦してゆく原田を、糸井重里は「梅原真というおっさんは、なんでもやりよるデ」と帯に書いています。どことなく、関西の馬力あるおっさんの仕事ぶりを読んでいる気分になってきました。お薦めです。

 

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催

★★ネイチャーガイド安藤誠氏の「安藤塾」は10月27日(土)に決まりました。参加ご希望の方は電話、メールにてご連  絡下さい

 

純粋京都人の鷲田清一と、半京都人の永江朗の二人による「てつがくこじんじゅぎょう(哲学個人授業)」(basillico/古書650円・絶版)は、ワハハ、と笑いながら読める「てつがく」入門書です。こんなに楽しい哲学入門書は、内田樹「寝ながら学べる構造主義」以来です。

カント、マルクス、サルトル、デカルトまで、ズラリ哲学界の大御所が20数名並びます。彼らの、何故かグッと来る<殺し文句>的文章を取り上げて、臨床哲学者とフリーライターの二人が、意見をぶつけます。鷲田のちょうど良い加減の京都弁が、お堅い話をホンワカさせてくます。

各章の初めに、取り上げた哲学者の言葉が登場します。例えば、オーストリアの哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインなら「私の命題は、私を理解する人がそれを通り、それの上に立ち、それをのり超えていく時に、最後にそれが無意識であると認識することによって……..」と、素人にはさっぱりわからん文章で始まり、「話をするのが不可能なことについては、人は沈黙せねばならない」という彼の殺し文句を巡って、二人がその解釈を展開するのですが、鷲田の結論はこうです

「この本(注:論理哲学論考)は、事実は語れるといっているかのように見えて、実は自縛していて、自分は語れないというこになる。これって、コム・デ・ギャルソンと同じでしょ。今日も永江さんはギャルソンを着てはるけど」

そう、振られて永江は「え、コム・デ・ギャルソンが『論理哲学論考』ですか」と問い直すと。鷲田はすかさず、こう答えます。

「これ以上やったら、服という概念を超えてしまう。服でなくなってしまう」と。めんどくさいことをとことん追い詰めた、ウィトゲンシュタインの仕事をこんな風に伝えてくれます。

スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの所で、鷲田は「哲学者って、一見、倒錯的なところがあって、わからないことが出てくると喜ぶんですよ。」と言います。すると永江は「疑問好きの変態ですか」とまるで上方漫才みたいな掛け合いになりながらも、深淵な世界へと読者を誘いこみます。

哲学は、自分を疑い自分を試し続けることであると、オルテガの哲学を、鷲田はこう表現します。

「自分が知っていると思っていることが、じつはいちばん妖しげなもので、『本当のことは何も知らない』と知っている、ということが知っていることだ」

こんな感じで、頭の柔らかい二人の哲学論議がどんどん続いていきます。ものの見方、考え方へのカンフル剤として、ぜひお読み下さい。

 

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)

店内にて開催(月曜定休日)

阿久津隆著「読書の日記」(NUMABOOKS2700円)は、5cm以上の厚さで、全1100ページにも及ぶ圧巻の読書日記です。著者の阿久津隆さんは、1985年、栃木生まれ。2014年東京に「fuzukue」をオープンさせました。このお店は、ゆっくりと本が読めて、コーヒーも食事もお酒もOKの店です。レティシア書房ご近所にある「月と六ペンス」的なお店です。

 

 

「あまりに暇で悲しくなっていった。どうやって生きてゆくのだろう。いや大丈夫だへらへらとニコニコと生きていくだけだなんの心配もいらない。たいしたことではない。」

等といった、閑散としたお店の状態がチラリ、ホラリと入ってきます。かと思えば、「野球。戦力外通告の記事が出始めた。」などというプロ野球の話がヒョイと登場する。著者はどうやら日本ハムのファンみたいです。

この分厚い本、実は全部読んでいません。けれども、拾い読みしているだけで結構面白い。のっけに、フォークナーの「八月の光」が登場します。禁酒法時代の南部アメリカを舞台にした重厚な物語かぁ〜、ちょっと私にはしんどいな、と思って早速飛ばしてみたり。

私にも納得の一冊も登場します。木村俊介著「善き書店員」(ミシマ社1944円)です。著者が、何人かの書店員の話をじっくり聞いた本ですが、その中で、広島のある書店員が、品揃えも大事だけれも、接客がさらに大事という話をされています。ちょっとした親切、微笑みで、少しの間でも救われる人がいるという話だったと思います。私も、阿久津さんの言葉通り「とてもふしぶしにぐっときて、最後ではっとした。」記憶があります。

本のこと、店のこと、日々の暮らしのことが、ぎっしりと詰まっている日記です。書評集というよりは、一人の本好きな青年が、何に刺激され、何を思ったのかが克明に記録されています。阿久津さんは映画も好きで、ジム・ジャームッシュ監督作品「パターソン」を取り上げて、「見ている間、とても幸福だった」と書いています。その気持ち、よく解るなぁ〜。

武田百合子「富士日記」を読んでいた時のこと。「食事の記述をさかのぼっていろいろ見ていたら、書いてあったかどうかは忘れたが納豆を食べたくなった、というか翌朝に納豆を食べることがたても楽しみな予定になった。」と書かれています。

 小さな幸福感が、とてもよく伝わってきます。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

★夏の一箱古本市8月8日(水)〜19日(日)まで店内にて開催