新刊書店で勤務し始めた頃から、本や本屋さんに関する本を読んできました。その中で、最も共感して、読んだ後に、心を軽くしてくれたのが松浦弥太郎でした。2002年に中目黒にオープンした彼の「カウブックス」まで足を運びました。そして、06年。彼は「暮しの手帖」の編集長に就任します。その後の活躍は、ご存知の通りです。

その「暮しの手帖」に連載していた「編集長の手帖」、「こんにちはさようなら」と、定期購読者対象の付録「編集長日記」が再編集されて「暮しの手帖日記」(暮しの手帖社900円)という書名で一冊の本になりました。

「『暮しの手帖』が新しくなりました。これからも、暮しにまつわる新しい工夫と発案で、少しでもみなさまの暮しに役立てるようにがんばります。」という挨拶で始まる4世紀26号から、58号までが掲載されています。

「今日もていねいに」

という文章でいつも終わるのですが、どの号も、その日、その日を慈しむ気持ちに満ちていて清々しい気分になります。私が好きなのは、「随筆とエッセイの違い」という文章です。エッセイ、随筆好きの老紳士との会話がメインの話で、丸ごと引用したいぐらいです。最後はこう締めくくられています。

「随筆とは役に立つ実用の文学。いい言葉です。」

彼が編集長をやり始めた頃からの「暮しの手帖」(各300円)も取り扱っています。こちらも合わせてどご覧下さい。

 

「健康のために、邪気を近づけず、溜めない。明るくはつらつとした、無邪気な暮しを努力しましょう。無邪気な暮しは、あらゆることを前進させてくれるでしょう。」

これは、「暮しの手帖」という雑誌の持っているポリシーなのかもしれません。

 

 

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「ゴジラ」が今年、アメリカで復活するそうです。予告編では面白そうですが、前回素人以下の馬鹿野郎監督がリメイクした作品では、ゴジラへのリスペクト皆無の大駄作だったので、油断大敵です。

で、とりあえず復活を祝して、ゴジラがらみの本を集めてみました。

先ずはクレヨンハウス発行の「わが子からはじまる原子力と原発きほんのき」(300円)です。ゴジラは、ビキニ諸島の原爆実験で永住の地を追われて、全身に放射能を浴びて登場しました。言わば、人類の負の遺産を背負っています。だから、原発の本は外せません。

お次は、このゴジラ生みの親、円谷英二を知らなければなりません。明治34年に生まれ、大正14年、前衛映画「狂った一頁」の撮影に参加し、本格的に映画界に入りました。その後、特撮監督として地位を確立し、多くのゴジラ映画や怪獣映画、SF映画の製作を任されます。そして、映画からTVヘと活動の場を拡大して、ご存知ウルトラマンを送り出します。そのカツドウヤ人生を、多くの写真で紹介した「円谷英二」(小学館3000円)は、円谷特撮で大人になった方には、必需品ですね。今みたいなCG技術のない時代、知恵を絞って新しい映像を作り出した物作りの現場の熱気が伝わってきます。ご子息の円谷一さんが自ら編集されていて、父親の背中を追いかけた本としても魅力的です。思わず、笑ってしまいそうな写真も沢山あって、お父様への愛情が伝わってきます。

さて、円谷プロが送り出した大ヒットTVドラマ「ウルトラマン」シリーズの脚本を書いた金城哲夫のことをご存知でしょうか。沖縄出身の脚本家で、そのストーリーの節々に、悲惨だった沖縄戦の傷口が垣間見えています。本人がどこまで、沖縄戦のこと、アメリカに支配され続けた事を意図してシナリオに反映していたか、確実なことは言えませんが、山田輝子著「ウルトラマンを創った男」(朝日文庫300円)を読むと、彼の辿った数奇な人生が甦ります。69年円谷プロ退社後、沖縄に戻ります、しかし、76年、泥酔して、自宅の階段から滑り落ち、死去。享年37歳でした。

 

 

 

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ちょっと貴重な本が入ってきました。印南清著「馬術讀本」(中央公論社3000円)です。著者は明治生まれ、関東軍にも在籍していた陸軍大佐で、戦後は馬術振興のために活躍した人物です。

この本が珍しいのは、装本と序文を三島由紀夫が担当していることです。あとがきには、馬術を楽しむ三島の写真まで掲載されています。日付を見ると、昭和45年5月とあります。彼が自決をしたのが、この年の11月。最後の馬上姿です。三島は序文で、

「印南先生はその稀なる日本人の一人であり、古武士とヨーロッパ騎士道との、古きよき時代においてのみ可能であった有機的総合体である」と書いています。

おそらく、三島好みの人物だったんでしょうね。表紙絵は、三島の小説「音楽」も手掛けていた神野八左衛門。まぁ、三島コレクター以外には興味ないかもしれませんが、こんな大型の馬術本も出ていたんですね。

馬と言えば、競馬。競馬といえば、そうです寺山修司を忘れてはなりません。全6巻の「競馬場で会おう」(JICC出版6巻セット3000円)は、昭和45年からの、レースのドキュメントです。各レースの評価が載っていて、例えば45年11月の「中距離特別」の書き出しは、こんな具合。

「雨の日の逃げ馬には哀愁がある。(略)晴天の日の逃げ馬と、雨の日の逃げ馬の違いは、理由のない哀愁に由来している」

なんて、寺山らしい文章です。寺山は競馬がらみの著作もかなりありますが、競馬に興味なしの方にも、「競馬への望郷」(角川文庫300円)はお薦めです。巻頭に載っている名馬ハイセイコーに捧げた詩「さらばハイセイコー」は、人生の中で、踏ん張るべき時に読むべき作品といいましょうか。

「ふりむくな うしろには夢がない ハイセイコーがいなくなっても すべてのレースが終わるわけじゃない 人生という名の競馬場には 次のレースをまちかまえている百万頭の 名もないハイセイコーの群れが朝焼けの中で 追い切りをしている地響きが聞こえてくる」

今にも駆け出しそうな荒馬の闘争心が聞こえてきそうです。

 

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今日と明日の二日間のイベント「第二回京都レコード祭り」に朝から行ってきました。ゼスト御池の広場は、オープン直後だというのに、大勢の方がもう真剣にレコードを探していました。そこだけ、恐ろしい熱気と殺気でした。

大学卒業後、最初に飛び込んだ業界が輸入レコードを取り扱う商社でした。30年以上前の事です。もちろん、ネットもない時代。アメリカで新作が出て、日本盤が出るのが数ヶ月後という時代。頼るべき情報は「ビルボード誌」のみでした。ジョン・レノンが射殺された時、泣きながら遺作の「ダブルファンタジー」を必死に輸入して、寒い中、伊丹空港の倉庫からせっせと運んでいたことを思いだします。

しかし、今や、音楽業界にかつての盛り上がりはありません。多くのCDショップが閉店に追い込まれました。そんな状況にも関わらず、レコード祭りの会場は熱気でムンムン。知り合いのレコード店主も、こんなにレコード買う人いたんなんて…..と茫然としていましたが、気がつけば、私もその大混雑の中で、何枚ものレコードを手にしていました。

さて、音楽を熱心に聴く喜びを教えくれるのが、片岡義男と小西康陽が「雑誌芸術新潮」に掲載していた音楽談義をまとめた「僕らのヒットパレード」(国書刊行会1600円)です。オタク的な情報の網羅ではなく、世界中のありとあらゆる音楽を聴いてきた二人の喜びが溢れています。これを聴け!的な押しつけがないのが良いですね。

もう一点。いとうせいこうの「世界のポップス1991」(JICC出版850円)。ここで紹介されている曲は、例えば

「国連事務総長の歌」とか、「私は遺伝子」とか全く知らない歌ばかりです。取り上げた曲の歌詞を日本語で紹介して、その国で、その歌が流行ったのは何故か、ということを解き明かしていきます。「歌は世につれ、世は歌につれ」って、こういう事だったのですね。

ユーゴスラビア発の流行歌「歌が聴こえない」の紹介では

「歌というものの根源、特にこの連載で紹介し続けている”社会に密接な流行歌”、”社会の深層”を象徴的にあらわしてしまうポップス”それ自体を問い直さざるを得ない内容なのである」と書かれています。

歌の持つ深い世界を知るには絶好の一冊でしょう。

 

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映画を観る時に、音響(音楽ではありません)に気をつかうようになったのは何時からだったでしょうか。私の場合は、ヒッチコックの「鳥」(63)でしょうね。オープニングタイトル、画面を横切る鳥達を捉えて、その後ろで響く羽音。きっと、鳥の苦手な人が観たら、ゾクゾクと寒気がするでしょう。本当の羽音なのか、合成音かはわかりませんが、ザザザッという不気味な音は見事です。

音響技術は、SF映画で飛躍的発展を遂げてきました。しかし、何の音もしない宇宙空間を包括的に捉えたキューブリックの「2001年宇宙への旅」における、深淵な空間を表現したのには驚かされました。沈黙がどこまでも続く音づくりって極めて困難な作業だったでしょう。

音楽の概念を360度引っくり返したジョン・ケージを解説したポール・グリフィスの「ジョン・ケージの音楽」(青土社1200円)で、ケージはこんな事を言っています。

「自分の音楽でも他人の音楽でも構わないのですが、その時私たちが本当に静かにしていて全員が耳をすましている状態があれば、そうしたこと自体が音楽であってくれたらいいと思うのです。」

これは、生活空間を取り巻く音が、プロが創作した音と同等の価値を持つことを言ってるのではないでしょか。しかし、今、街頭で静かに耳を傾けると、無意味な音楽、騒音、いら立つ大声という音の暴力で逃げ出しそうです。町から「音楽」が消えてしまっています。

オーバーレベル気味の音響と過剰な音楽ばかりの昨今の映画(最近では、無理矢理これに涙腺がゆるむ下品な歌まで付いてますが)や、TVの大群の前に晒される時、極めてシンプルな音で、物語を表現する作品に出会うと、ホッとしますね。特に、カーチェイスシーンに、大音響のエンジン音と同じぐらいの出力の音楽をぶつける輩には、マックィーン主演の「ブリット」を教科書として欲しいと思います。100数分間のシーンで、音楽なし、役者の音声なし、ひたすら最大出力で回転するエンジン音だけです。何事も過剰にならぬ事が肝要だとおもいます。

 

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「或る青年は、風になりたいとつね日ごろ希つていた。そこで彼は風になった。それは、このような仕方であった。・・・・・」

カッコいいと思うか、このキザ野郎と思うかはさておき、これ立原道造の「かろやかな翼ある風の歌」の一節です。1914年生まれの詩人で、24歳と少しでこの世を去りました。永遠の抒情詩人というイメージの強い作家ですが、個人的感想を言えば、甘い!という事になってしまいます。しかし、その甘さには猛毒が入っていたことに気づいたのは、最近です。

生前に出版を予定していた物語を集めた「鮎の歌」(みすず書房2100円)を再読すると、砂糖菓子のごとき甘い言葉が散乱してはいますが、その一方、例えば「物語」の最後を飾る文章を目にすると、この作家の言葉が生と死のギリギリのところで吐き出された気がします。それは、こうです

「歩きながら、うたっていた。うたひながら、歩いて行った。みな燃え立っていた。空はいい色をして光っていた。雲がむらがっていた。さうして夏は、幾たびか私の歴史のなかでめぐりながら、私を灼きかへしていた。」

こんな作家は、もう人気ないだろうな〜と思っていたら、人気マンガ家の魚喃キリコが挿画を担当した、立原道造詩集「僕はひとりで夜がひろがる」(PARCO出版1400円)なんて本も出ていました。

「やがて長い沈黙が私に深く入って来る うっとりとして思ひ出す。音楽の中の日没 過ぎた一日 私は支へられてしづかに歩み出す」

こんな詩には、クールなタッチの彼女の絵がピッタリです。

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あちこちで既に書かれているので、何も今さらここにわざわざって、思わなくもなかったのですが、大飯原発運転差止めの判決文要旨についてNJP訟廷日誌から一部を転載することにしました。

裁判所の判決文ですが、論理明快、至極真っ当な文章です。こう結論づけています。

『 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。』

「愛国心」ってこういうことですよね。

店に一冊の写真集があります。「百年の愚行」(Think the Earthプロジェクト800円)。タイトル通り、この100年間に人間が行ってきたありとあらゆう愚行の写真集です。戦争、飢餓、環境破壊等々、愚行の百貨店みたいな本ですが、この本の中で、池澤夏樹がこう書いています。

「消費は中毒である。一度習慣になると、これから逃れるのはむずかしい。今の時点で我々の未来にとって有利なことは何だろう。それは、たぶん、自分が中毒であることを知っていることだ。消費が与えるのは瞬間の快楽であって、それと幸福は違うこともわかっている。そのあたりから考え直すしかないだろう」

考え直すなら今しかない!と判決文は主張しているのかもしれません。

わずかですが店にも関連本があります。

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「四谷怪談」で有名な鶴屋南北は、実は鰻が好きで、滅多に芝居に登場しない鰻が出てくる作品が二本もあり、しかも重要な小道具として登場します。「四谷怪談」と「謎帯一寸徳兵衛」です。

「南北の作風は油っこい。鰻はたとえ白焼きでもサッパリしたなかに油っこさがある。人間の欲望がむき出しになっているためであろうが、芝居の運びそのものに、したたかで、油っこいところがあるのだ。そういう味が行間ににじんでいるのは、南北の嗜好によるのだろう。鰻は南北のトレードマークである」

これ、演劇評論家の渡辺保の「芝居の食卓」(柴田書店・絶版800円)の一節です。歌舞伎に登場する食をメインに取り上げた本ですが、芝居に興味のない人でも面白く読めます。

例えば、「幕の内弁当」に関するエッセイでは、まず「幕の内」という言葉の定義から入り、その弁当がどんなものであったかが書き込まれています。江戸時代の芝居見物では、お弁当だけでなく多くの食事が提供されます。

「これだけ食べ尽して、その合間で芝居を見る。視覚聴覚、そして味覚。芝居見物は全身を働かせるものだった。いい気持ちで客席で寝てなどいられなかったのである。」

この本を出版している柴田書店はどちらかと言えば、プロの料理人向けの専門書籍をメインに刊行しています。それ故か、演劇評論家が書いたものが、食に重きを置いた、上質の食文化の本に出来上がったのだと思います。

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お客様のご注文に応じて、1本づつ作られるオーダーメイド傘が人気のイイダ傘店。その物作りの真摯な姿勢を紹介する「イイダ傘店のデザイン」(パイインターナショナル・新刊書1814円)が入荷しました。

2004年の新作は、手元が動物の作りになった日傘です。「リスは大好物のどんぐり柄で二重張り、ネコには魚の骨でも刺繍で豪華に、ペンギンの流氷は藍染めのロウケツ染め、パグは無骨にモノトーンのツートーン、ブタに真珠は光沢感のある水玉模様、ラッコはぜいたくにいろんな貝殻をたくさん」とそれぞれの動物に合わせた個性的なテキスタイルの傘ばかりです。こんな傘なら雨の日も結構楽しいかも。

このパイインターナショナルから、暮らしに楽しさをプラスしてくれそうな書籍が同時入荷です。

紙、布、絵具等でアンティークっぽさを出すDIYテクニックを解説したコラージュ制作のための「コラージュのおくりもの」(井上陽子1728円)、刺繍で雑貨をつくるための「ひみつのステッチ」(神尾茉莉1728円)、一冊丸ごと、ふろしきをそのデザインから紹介する「ふろしき」(3024円)、映画の衣裳デザインもするファッションクリエイター伊藤佐智子さんが、日本各地の伝承されている染と織を網羅した「日本の染と織」(3024円)

そして、食欲の減退しそうな猛暑の日々の食欲を増すようなレシピ「はじめてのスパイスカレー」、「はじめてのスパイスおかず」(どちらも永野仁舗著1728円)

そうそう、橋とか工場等の建築大好き女子に人気の写真集「美しい土木・建設中」(西山芳一2052円)もこの出版社です。そして、犬派、ネコ派からの支持が高い「パンといっぴき」、「パンといっぴき2」(桑原奈津子・1296円)も、好調です。

新刊書ですが、小さくても、本作りの楽しさと愛情に溢れた出版社を、今後もどしどし紹介していきます。

吸血鬼なら、この本というのが入荷しました。種村季弘編集による「ドラキュラ・ドラキュラ」(薔薇十字社・初版2800円)です。編者いわく

「数年前薔薇十字社から『吸血鬼幻想』と題するエッセイを公けにして以来、私は折りがあれば、血の糸につながれた真珠のように純白な吸血鬼の歯牙にも譬えられるような吸血鬼小説のミニチュアール・アンソロジーを編んでみようと考えていた。」

その本がこれです。15人の作家の短篇が収録されています。なんせ、編者が異端文学、魔術や錬金術、果ては神秘思想の研究者だけあって、選ばれている作品は彼の審美眼に叶ったものばかりがセレクトされています。その中に、空想科学小説の第一人者、ジュールヌ・ベルヌの作品が入っていました。ベルヌは、ほぼ全部、小学校の時に全集で読み、「海底二万哩」は。数回も愛読した作家でしたが、吸血鬼が登場する話は記憶にありません。読んでみると、長編「カルパチアの城」の一部を採録したものでした。しかも、ここには吸血鬼が血を吸うシーンなんてありません。何故ここに?

「メスメリスム(催眠術)は古来吸血鬼伝説の不可欠の要素である。また吸血鬼信仰の本場カルパチア地方に取材した一事からしても、作者が吸血鬼小説のユニークな変種を作ろうとしている意図は疑いを容れない」

と収録した理由を明らかにしています。催眠術が古来吸血鬼伝説には不可欠というのが、正しいのかどうかは浅学の私に解りませんが、種村季弘らしいセレクトですね。

性的エクスタシーと、背徳と、反キリスト的立場が混じりあって、深い闇の中で苦悩する彼には、独特の美が立ち上ってきて、それは魅力的な存在です。まぁ中には、ロマン・ポランスキーの映画「吸血鬼」の主人公みたいに、処女ではない女の血を吸ったために、のたうち回るという諧謔に満ちた人物もいますが、この本をきっかけに、ヨーロッパ幻想文学の一翼を担う吸血鬼文学の魅力に踏み込むのも面白いかも。

店内には、本家本元のブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(創元推理文庫600円)もあります。全500ページにも及ぶ大長編。後半、ペンシルバニアから、血を求めてロンドンに出てくるのですが、霧深い夜のロンドンって、まさに絶好の舞台です。ドイツの奇才ヴェルナー・ヘルツウォーク監督の「ノスフェラトゥ」は、最もこの原作に近い美意識で作られた傑作だと思いますが、主演のイザベラ・アジャーニがもう綺麗で、ドラキュラじゃなくても噛みつきたくなりますよ、きっと。

 

 

 

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