「村上春樹を読んだことがないのではなく、『名前を知らなかった』と言うのにはさすがに驚いた。どんな暮らしをしていたら三十歳を超えるまで村上春樹の名を知らずにいられるかと興味が湧いた」

フツーの青年の話なら、あ、そういう人もいるのね、というですが、これ、阪急京都線水無瀬駅の前にある長谷川書店水無瀬駅前店長、長谷川稔さんのエピソードです。この書店は、とても個性的で、面白いお店なのです。私の大好きな本屋さんです。

本というものに親しんでこなかった長谷川さんが、32歳で、家業の本屋さんになりました。最初に「人にとって読書をする喜びとはなにか?」と考え、彼は本を読み出します。そして出会ったのが、村上春樹著「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」でした。

「書かれた文章や言葉の一つひとつに、書かれなければならなかった必然性があるのだということ。文章とは、ただ言葉を並べているだけでなく、その背景や行間も含めて伝えている表現なのだということ。それらを初めて知り、衝撃を受けたという。なぜ人は本を読むのか 少しだけ分かった瞬間だった。」

石橋毅史著「本屋な日々青春編」(1944円)には、全国各地の本屋さんや、夏葉社のような独立系出版社など、販売不振に喘ぐ本の業界で、店主たちの考える書店の、出版のあるべき姿を模索する人達が沢山登場してきます。そして、第一章「伝える本屋」の最初に登場するのが、長谷川書店です。読書経験の乏しい書店員に、魅力的な書架が出来るのか?という著者の疑問を解消すべく、長谷川さんと話を続けます。

長谷川さんは「本屋は楽しい」、でもそれは「地域の人たちと本屋としてどこまで交われるか、とうことですね。このあたりは、本屋はウチしかないから、しょうもない棚をやったら申し訳ないというのもあるし。」と答えています。その熱意が、様々な試行錯誤を呼び起こし、狭い書店内の方々で、未知との本との出会いを作ってくれます。

著者の石橋は、本屋を選び取った若者達の姿を求めて、全国を旅していきます。安易に持ち上げたりせず、現実を見つめ、批判精神を忘れずに、でも本屋の未来を見つめる人達の姿を見つめています。今後、「風雲編」「激闘編」「番外編」と続刊が出るみたいです。こちらも期待しています。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)3日(火)

 

 

「学問を、ただ方向づけられた知識の体系と論じることに意味はない。学問がそういうものだと思い込んでいる人にも、私は関心はない。それはあなたが見つけなさい。歩くこと、そのことに楽しみがあり、それが学ぶことなんだ。どこを歩くのか、それは、あなたが見つけなさい。本のなかを歩いてもいい。もちろん雑誌という海もある。住んでいる町だって、川だって海だって行くことはできる。島を歩いても、歴史に身をおくことだってできるのだ。歩きながら、育て育てられた人たちがいる。そこに学問があるのだ。」

と、フリーライターとして編集者として、独自の活動を続けてきた中川六平が、著書『「歩く学問」の達人』(晶文社/古書/絶版1400円)の「まえがきにかえて」で、書いています。

アカデミックな世界から、或は既成概念に縛られた世界から飛び出し、様々な世界を歩き、人と出会い、考えて、自らの思想を作り上げていった人達十数名を取り上げて、彼らの”歩き方”を紹介したのが、この本です。

鶴見良行、山折哲雄、藤森照信らの研究者、「ガロ」を立ち上げた長井勝一、「谷根千」という先駆的地域雑誌に関わった森まゆみ、「本の雑誌」編集長目黒考二などの編集者。或は、役者の小沢昭一、カヌーイストの野田知佑、作家の松下竜一など多彩な顔ぶれが登場します。

1964年創刊された「ガロ」の編集者長井勝一の元には、ユニークな人々が集まってきます。白土三平、水木しげる、つげ義春等の漫画家はもちろんのこと、筑摩書房の名編集者松田哲夫が、作家の赤瀬川原平が、さらには南伸坊が、長井を慕って集まってきます。評論家の鶴見俊介は、「戦後の学問の歴史でいうと、今西錦司さんの作った今西学派というのはたいへん大きなものですが、そうした区分をこえて思想史を考えるとき、ガロ学派は今西学派に匹敵すると私は思っています。」

「ガロ学派」。集まってくる人達が好きな事を、好きなようにやっているだけの集団です。編集会議もなく、じゃ、来月はこのマンガと、このマンガで、みたいな感じの遊びに溢れた集団です。南伸坊は、長井を「オヤジのような人」と評していますが、「ガロ学派」は好きなことをやる、長井さんにわかってもらえることを基本にしていたようです。人が人に出会い、触発されてゆく。人の海を歩いて、触発されて、新たな動きを始めて、そこに人が集まってくるのです。

同じように、自分好みの企画を組んで、好きな人に原稿を頼み、好きな作家の紹介だけをするというやり方で大きくなった「本の雑誌」を、立ち上げたのは目黒考二。この人、本が読めなくなるという理由で、会社を辞めた筋金入りの本好きです。盟友、椎名誠とスタートしたこの雑誌を、目黒は純粋な遊びだという信念で始めました、だからこそ、一切の妥協をせずに編集を巡り椎名とは何度も衝突します。「本の雑誌」の面白さは、本で遊ぶことに徹していることですね。いつもラクな方に、自由気侭にやってきた目黒ですが、町の印刷工場を営んでいた彼の父親は、先の大戦で戦争反対を叫び、治安維持法で獄中にいた人物です。やりたいことをやるということでは、筋金入りの親子です。

 

 

最後までやっと読めました、種村季弘を!「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房/絶版800円)です。

種村 季弘(1933〜2004年)は、古今東西の異端、暗黒的な文化やアートに関する広汎な知識で知られた評論家です。独文学の翻訳の他、内外の幻想小説や美術、映画、演劇、舞踏に関する多彩な評論を展開してきた、「博覧強記」として知られています。「吸血鬼幻想」、「ドイツ怪談集」とか何度かトライしたのですが、挫折。彼の膨大な知識量に付いて行けなかったのだと思います。

しかし、生前最後の自撰エッセイ集として発行されたこの本は、非常に読みやすい一冊でした。2004年、病状が悪化した彼は、編集者と共に様々な媒体に発表したものを収集し、整理してまとめました。本書は「西日の徘徊老人編」、「幻の豆腐を思う篇」、「雨の日はソファで散歩篇」、「聞き書き編」に分けられています。

「西日の徘徊老人編」では、戦後アメリカ兵が独占していた占領下の銀座を「多様な民族、多様な人々を静かに受け入れている戦前の、あるいは今の銀座のような品位がなかった。」と書いています。傑作なのはその中に収められた「名刺」というエッセイ。

書き出しは、「テレビを家の中に置かず、名刺を持たないとどういうことになるか。テレビ番組が話題になる大抵の席で口をきかなくてすむし、人に会っても名刺を渡さないからすぐに忘れてもらえる。この情報過剰時代にその人の身のまわりだけがひっそりと閑散となり、都会の真ん中に住んでいて世捨て人になれる。」都会の真ん中で世捨て人になる偏屈なおやじ、いいですね〜。

「幻の豆腐を思う篇」は、そのタイトル通り、食に関するエッセイが集まっています。「豆腐は日常食である。だから近くにいい豆腐屋があるかどうかが、豆腐好きには死活の問題になる。」と、引越しの度に、豆腐屋を探して奔走していた様が面白く描かれています。酒好きには、酒場にちょいと行きたくなる文章がいっぱい書かれています。

自分の死をすぐ傍に捉えていたのでしょうか。「そこの共同浴場である日倒れて、そのまま救急車で運ばれてお陀仏になる。あの世行きの永くて短い待合室であること」が温泉の理想と語り、山田風太郎論では「人生をぜんぶ余録、余生と見て、死ぬまでの一切を、とりわけ死を滑稽事として演じること。山田風太郎はすでにみごとにやり遂げた。われわれは今からでも遅くない。」と締めくくっています。

絶妙に味のあるエッセイって、おそらくこういうものなのでしょうね。

町田智浩の「映画と本の意外な関係」(集英社/古書400円)は、最近読んだ映画、書物に関する本の中では、最も刺激的な一冊でした。

この本の最初に、映画に映し出されたいくつかの本棚の紹介があります。昨年「ダンケルク」で話題になったクリストファー・ノーランのSF映画「インターステラー」は、重力論、量子力学果ては五次元論まで飛び出す、わかったような、わからないような、しかし何度観ても飽きない作品でした(10回は観たなぁ〜)。映画の冒頭、主人公の家の本棚の移動ショットがあるのですが、町田は、ここにある本をピックアップしていきます。時間を逆にたどってゆくマーティン・スミスの小説「時の矢」や、マデレイン・レングルの「五次元のぼうけん」をみつけ、これらの本がノーラン監督の映画の原型になったことを見逃しません。

さらに、ボルヘスの短篇集をみつけ、こう書いています。

「クーパー(映画の主人公)が迷い込んだ五次元空間は、マーフ(主人公の娘)の本棚が上下左右に連結されて無限に続く図書館のように見えます。まさにボルヘスが想像した『バベルの図書館』です。」

面白かったのは「007」シリーズの言葉をめぐる章です。2012年に公開された「スカイフォール」のタイトル”Sky Falls” はローマ時代の法格言「天堕つるとも、正義を成就せしめよ」から取られています。物語は、まさに天が堕ちるような事態が勃発して、窮地にたった007の上司Mを助けるべくロンドン市内を疾走するボンドに、Mのこんな言葉が囁かれます。

「我らの英雄的な心はひとつなのだ 時の流れと運命によって疲弊すれど 意志は今も強固だ 努力を惜しまず 探し求め 見つけ出し 決して挫けぬ意志は」

これ、1800年代に活躍した詩人テニスンの「ユリシーズ」という詩からの引用でした。大活劇のスパイ映画なのですが、方々に、こんな知的遊びが隠されていたなんて。

ご存知アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」の原作はパトリシア・ハイスミス。彼女は50年代に「よろこびの代償」というタイトルで女性同士の恋愛小説を発表しています。後年、彼女は自分が同性愛者だとカミングアウトしました。そして、この原作は2015年に「キャロル」というタイトルで映画化されました。ところが、彼女がカミングアウトするまでに、「太陽がいっぱい」における隠された同性愛を指摘していた人物が日本にいました。映画評論家、淀川長治です。

主人公トムが親友フィリップを殺すシーンを、淀川はこう解説したといいます。

「実はトムはフィリップに恋しており、自分のものにならない彼を殺して、同一化する物語だ。フィリップの胸に突き立てられるトムのナイフはペニスの象徴だ」

当時、作家の吉行淳之介など多くの人がそれは深読みすぎると批判しましたが、彼女の死後書かれた伝記から、「太陽がいっぱい」に流れていた同性愛的メタファーが証明されたのです。ここまで読み込む淀川の力量は恐ろしいほどです。

この本を読んで、紹介されている作品をご覧になってはいかがでしょうか。きっとスリリングな映画体験になりますよ。

★連休のお知らせ 勝手ながら19日(月)20日(火)連休いたします。よろしくお願いします。

誰にも頼まれてないのに毎日このブログを書くために、何冊か同時進行で本を読んでいます。楽しいけれど、たま〜にツラい読書だったりします。スムーズに読了すれば順次アップするのですが、何かで止まったりするとあせります。ある日、立ち寄った新刊書店の文庫平台の堂場俊一の「Killers」(講談社文庫/古書800円)の上下巻の分厚い文庫が並んでいるではありませんか! いかん、こんな本読み出したら、ブログアップの計画がめちゃくちゃになると思いつつ、結局購入。もうそれからは、一気に読み上げました。

個人的に、日本作家によるハードボイルド、警察もの、新聞記者もの小説は大好きで、けっこう多くを読んできました。大沢在昌「新宿鮫」、逢坂剛「カディスの赤い星」、原尞「私が殺した少女」などは読み返すこともあります。最近、堂場瞬一が面白い作品を連発していて、上下巻で約1000ページある「Killers」も、読み応え十分のサスペンスものであり、しかも戦後から今日に至る渋谷という街を描ききっているところが注目点です。

「明治通りと直角に交わる細い橋の上に立って、渋谷駅方面を凝視する。渋谷川自体は、両岸をコンクリートで固められてしまい、川というより細い水路のようにしか見えず、川底には申訳程度に水が流れているだけだ。両岸には古びたビルが立ち並び、そこだけが昭和のままになっている。」

そんな今の渋谷に残された古いアパートで、老人の他殺死体が発見されたところから話は始まります。老人の顔には十字の傷が付けられていたので、捜査に当たった刑事たちは、1961年に起こった連続殺人件事件を思い出します。それらの事件の被害者の顔にも同じ傷があったからです。

小説は、現代から東京オリンピックで都市開発の進む渋谷に、時代が戻っていきます。警察の捜査と、犯人の異常なまでの殺人への執着を描きながら、繁栄の影で増幅されてゆく憎悪を炙り出していきます。

「ぞっとする、猥褻な指で背中を撫でられたような不快感が全身を駆け抜けた」

悪寒と恐怖の深い闇。都市開発の名のもとの街殺しは、2020年に迫った東京オリンピックに続いています。もちろん、これはフィクションですが、こんな人物が出てきてもおかしくありません。ラストはぞっとする幕切れです。

だから、東京オリンピックなんて止めましょうよ。

 

月に一度か二度、新刊で面白そうなもの、これはなかなか古本では出回らないと思われるものを、ピックアップして仕入れています。本日数点入荷しました。

先ずは、当店ロングセラー中の絵本「ネコヅメのよる」の作者、町田尚子が京極夏彦と組んだ妖怪えほん「あずきとぎ」(岩崎書店1620円)は、怖い!いや、妖怪なんて出て来ませんが、怖い。

夏休み、田舎にいるおじいちゃんの家で過ごす少年に降り掛かるのは…….。「ネコヅメのよる」に登場したネコも登場し、のどかな夏休みの始まりです。しかし、おじいちゃんの飼い犬と川に行った時に起こるのが…….。物語終盤で、少年の横顔の耳元に聴こえる「しょきしょきしょき」という不思議な音……。美しい絵が、より一層恐怖を盛り上げます。「ネコヅメのよる」も再入荷しています。

「ああ、絵が描きたい、そんな気持ちにさせる素晴らしい本」と安西水丸が、この本の旧版への書評を書いたのが岩崎昌子著「愛蔵版イヌイットの壁かけ」(誠文堂新光社3024円)。題名の通り、カナダの先住民族、イヌイットの女性の作った壁掛けを収録した作品集です。厳しい北の自然の中で狩猟に向かう彼等の生活や、先祖から伝わる伝説を描いたものなど、イヌイットの豊かな世界が満ちあふれた一冊です。雪に覆われた地ゆえに、逆にカラフルで暖かい色合いの作品が多いように思います。著者はカナダへの移住をきっかけにイヌイットアートに出会い、収集を始めた方です。そのコレクションの一部は、北海道立北方民族博物館(網走)に収蔵されているそうです。

河出文庫から穂村弘「ぼくの宝物絵本」(800円)が出ました。歌人にしてエッセイの名手が、絵本は子供のものじゃない!「会社が辛くても、ページを開けばそこは天国」と大人向けに選んだ絵本紹介です。

穂村は「絵本のなかで、泣いたり笑ったりしている子供たちに興味がもてない。生き生きとした表情をみても、ふーんと思うだけだ」という一方、無表情な少女を見ると、魅かれる、と書いています。そこで紹介されているのは、宇野亜喜良が描く少年少女。でも「無表情なおじさんもいることを思いだした。その名は『ジャリおじさん』(おおたけしんろう作)、これこそ完璧な無表情。そしてやっぱり不思議な旅にでかけるのだ。素晴らしい。」と無表情なおじさんにまで言及しています。

穂村は、歌人としてもユニークな世界を表現していますが、エッセイストとしても楽しませてくれます。その最たるものが、ラストで紹介されている酒井駒子「BとIとRとD」を論じた「滅茶滅茶な魂」です。大人が子供に憧れるのは、ものごとの流れが見えなくて、ただ目の前のことだけに夢中になれる、滅茶滅茶な魂を持っているから…..。絵本には興味のない人にも、面白い本です。

まだまだ紹介したい本があるので、明日も続けます。再入荷ですが「茨木のり子の献立帖」(1728円)も入りました。

レティシア書房のお客様、作家中村理聖さんの「小説すばる」新人賞受賞後第一作「若葉の宿」(集英社1728円)が発売されたので、平積み(!)中です。

「一年ぶりにハレの舞台に現れた橋弁慶山を見上げると、夏目若葉の心は重たくなった。会所の向いにある町家旅館・山吹屋は、若葉の実家である。町名の由来となった山を眺めていると、汗が噴き出し、不快感が増してゆく。祭りのざわめきが遠く感じられ、違う世界の出来事のように思った。」

という書出しのように、舞台は京都、祗園祭りの鉾町にある小さな旅館山吹屋。祖母とき子に幼い頃より厳しく育てられ、今は老舗の旅館で新米仲居として働く若葉が、小説の主人公です。京都を舞台にしたサスペンスものや、ラブストーリーものは、多数出版されていますが、それらの小説で展開されるようなドラマチックなお話はありません。静謐な筆運びで、旅館の日々と移り変わってゆく京の四季を追いかけていきます。

「祇園祭が終わって八月を迎えると、京都の夏は一段と重苦しくなった。」なんて、文章に出会うと、京都で暮らしている人は、そうそう、と納得してしまいます。こんな時期に京都観光によう来るわ、というのが偽らざる気持ちですが、この小説を読みながら、京都の季節感、その時々の感情を味わって下さい。

事情があって祖父母に育てられた若葉は、自分がこの旅館を継いでゆくことに疑問を持っています。私の人生、これでいいの?一方、古い旅館や、呉服屋さん等が集まる界隈にも、時代の波が押し寄せてきます。「若葉が暮らす中京区でも、小綺麗なホテルやお洒落なマンションが増えていた。近隣にあるマンションで、無断で民泊を始めた住人がいて、そこに泊った外国人たちが、騒音やごみ出しで問題を起こしたこともある。」

変わりゆく京都の街と、自分の生き方に確たるものが見出せない若葉の心の迷いが、巧みに描写されていきます。小説は後半、一気に進みます。その渦に巻き込まれてゆく若葉。自分の居場所を求めて若葉が辿り着いた結論は?

女優で、書評家の中江有里さんは、この小説を「『心あらわれる』とはこういう読後感をいうのだ。」と高く評価されてますが、ページを閉じた時、祇園祭から始まって葵祭の五月で終わるこの小説の、爽やかな初夏の空を見上げた気分になりました。

NHKさん、朝の連続ドラマにいかがですか。

 

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ソール・ライターという写真家をご存知だろうか。

1923年ペンシルバニア生まれ。少年時代にカメラを手にした彼は、23才の時にNYに移り、写真を撮り始めます。その後、英国版ヴォーグ、ELLE等のファッションカメラマンとして活動します。「ソール・ライターのすべて」(青幻舎2700円)は、写真家ライターの魅力をぎゅっと濃縮した一冊です。

60年代から80年代のアメリカ映画、とりわけ舞台がNYなら、作品の内容に関わらず観に行っていた時期がありました。スクリーンに映し出される街並みの魅力的だったことを、今でも記憶しています。映画監督シドニー・ポラックは「雨に濡れた」街並みを撮らせれば、誰にも負けないショットを演出した人ですが、ソール・ライターの雨のNYにも、そんな雰囲気が充満しています。哀愁と孤独が適度にミックスされた作品を見ていると、そこに写っている人物の人生を想像させてくれます。

作品集の後半に、自分の部屋で寛いだり、或は着替えをする女性のヌードが数多く収められています。部屋に射し込む光線を巧みに捉えながら、女性の柔らかな肌を浮かび上がらせ、この街で生き抜く女たちの悲しみ、人生への迷いや覚悟までも、感じさせる作家の力量は凄いとおもいました。

ライターが多感な時代を過ごした1950年代のNYロウアー・イーストサイド地区は、カウンターカルチャーが花開いて、NYアートシーンの中心でした。ライターは、この地で多くの作家、アーティストと交流しました。

しかし、「それが彼の写真にはほとんど影響を与えていないように思える。」と柴田元幸は語っています。そして、21世紀に入ってから街を撮った写真を見ても、被写体の選び方、その奥行き、大胆な構図などに全く変化がないにも関わらず、「時代遅れという印象はまったくない。保守でも、前衛でもない、『ライター流』と言うしかない姿勢が一貫しているのである。」と柴田は言います。(この本の中に「うしろからあなたの左耳をくすぐる写真」というタイトルで収録)

2012年、トーマス・リーチはライターをテーマとした長編ドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』を製作・監督しました。残念ながら京都での上映は終了してしまいました。この写真集でその魅力を味わっていただければと思います。

 

2013年11月26日、ニューヨークで死去。

木版画家、川瀬巴水。

大正五年、木版処女作「塩原おかね路」を発表の後、日本各地を取材して”風景版画シリーズ”を刊行し、知名度を上げます。500点にも及ぶ風景版画を残し、昭和31年、74歳で亡くなりました。叙情性と日本的風情から「昭和の広重」とも称されました。

巴水の版画集「夕暮れ巴水」(講談社/絶版3800円)が入荷しました。林望が、各作品に、文章或は詩を付けて、巴水的世界を言葉で表現しています。かつて、どこかで見た風景、とでも言えばいいのでしょうか。限り無い郷愁を思い起こさせる作品がズラリと並んでいます。真青な空、美しい浜辺、そして夕暮れ…….。その一方で、夜の闇に建つ二棟の蔵の間から不思議な白い光が出ている作品「夜の新川」があり、林はこう評価しています。

「この光には、ただ無為の『詩』、一瞬に存在して次の刹那には消え去る『時』のなつかしさが描き取られている」と

寂寥感、という言葉だけでは当てはまらない、深い豊かさと哀しみを漂わせています。雨にけむる橋の上に佇む人力車を描いた「新大橋」、雨上がりの港で沖の船を見つめる犬を描いた「明石町の雨後」などの作品にそのテイストが滲んでいます。寂しげな風景なのですが、どこかに幸福感もある不思議な世界です。

細い雨が降る露天風呂を描いた「修繕時の雨」に林はこんな詩を付けています。

「ぼくが温泉を愛するのは 風景があたたかいからです そこでは なにもかも湯気のなかに霞んでいて 空気がはるばるとしているからです (中略) ただじっと湯に浸かって むかしのことを思っていよう それで 涙が出たら 温泉のお湯で洗い流して 空でも見ていようさ ほうほうと湯気 ほう ほう ほ ほ 」

なんて幸福感に満ちた詩でしょう!

作品集には絶筆となった「平泉金色堂」も収められています。雪が降り積もる金色堂に向かう、一人の僧の後姿を捉えています。人生の最後を予感される作品ですが、豊かな人生を生ききった作家の最終に相応しい作品です。

「かぎりあるみちは いつかきっとおわる そう、こころにねんじて きしきし ゆきふみしめてあるく」

林が巴水の画業を讃えた最後の詩です。

 

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内外で高い評価を受けている映画監督、是枝裕和。「そして父になる」「海街ダイアリー」「海よりもまだ深く」などご覧になった方も多いと思います。

是枝監督が、これまでの表現活動を語った「映画を撮りながら考えたこと」(ミシマ社2592円)は、面白い一冊でした。映画監督の本ですが、細かい技術論や、抽象的な映画表現論ではありません。彼はTVドキュメンタリーの出身なので、自分が育ったTV界に言及している部分が多く、日頃何気なく見ているTVのバックステージのことも描かれています。

今、恐ろしく保守化しているこの業界ですが、60〜70年代にかけては、かなりアナーキーな状況でした。是枝は、当時の少年の人気ナンバーワン番組だった「ウルトラマン」シリーズで脚本を書いていた佐々木守を取り上げていました。佐々木は、積極的に戦わないウルトラマンを書いています。「戦いの根拠になる正義がない」というスタンスでこのヒーローを描いていたのが、少年だった是枝には新鮮だったと回想しています。その後、TVは、新しい表現を求めない場所へとシフトしていきます。

吉田秋生のコミック「海街diary1/蝉時雨のやむ頃」を映画化した「海街diary」は素敵な作品でした。鎌倉に住む四人の女性の日々の細やかな感情にゆらめきを描いているのですが、彼が参考にしていたのは、何度も映画化された谷崎潤一郎の「細雪」だったことも、この本で知りました。

一人の表現者が、TV映像にしろ、劇場映画にしろ、業界の悪しき慣習や、体制に抗いながら己の世界を創り上げてゆく物語として、一気に読める本でした。

さて、是枝を育んだTV界に、創成期から今日に至るまで包括的に楽しく読ませてくれるのが、荒俣宏の「TV博物誌」(小学館900円)です。

1961年から69年まで続いた刑事ドラマ「七人の刑事」は、今日の刑事ものの原点とも言える作品ですが、この番組を演出した今野勉とのインタビューも掲載されていて、「月光仮面」「鉄腕アトム」等々を見ながら大きくなった僕たちテレビっ子には、興味のある話ばかりです。一方、大阪局で、東京発の番組とは全く世界の違う高視聴率を稼いだ「番頭はんと丁稚どん」「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」を製作した澤田隆治を通して、何故、関西発の番組はこうも異質なのかを論じています。「アタリ前田のクラッカー」なんて、ある年齢以上でないと全く通じないでしょうが、毎週楽しみでした。