誠光社店主、堀部篤史さんの「90年代のこと」(夏葉社/1728円)が出ました。サブタイトルに「僕の修行時代」と書かれています。

「昔は良かったなどと言うつもりはないが、もうこれ以上いらないと強く思う。」これ以上リッチなもの、便利なもの、美味しいものはいらない。「せめて本当に必要なものを取捨選択できるぐらいは覚めていたい。そのためにはかつてわれわれに何がなく、代わりに何があったかを思い出す必要がある。」というのが、この本の出発点です。

1994年、高校生だった彼の愛読書は「ガロ」でした。仲間たちは、「週間少年ジャンプ」などの週間漫画雑誌に夢中でしたが、彼は「人と違うものを選ぶことで、かれらとははっきりと違う自分の立ち位置を確保しようと必死だった。」のです。そして、「ガロ」を始め、オルタナティブなアイテムを探しもとめ、あちらの本屋、こちらの本屋とかけずり回ります。辿り着いたのが「三月書房」。そこで「ガロ」を起点に、知らない作家や未知の作品へと触手を広げていきます。本だけでなく、音楽、映画、アートの世界へと無限に広がってゆく世界を見つけるのです。

「過去に触れてきたものがある時点でつながり、違った見え方をする。無関係だったもの同士がジャンルを越えてつながる。音楽を聴き、映画を観続けていると必ずそんな瞬間が訪れる。」

膨大な量のレコードを聴き、古本を買いあさり、映画館に足しげく通うことで、自らの思想を作り上げてゆく。インターネットなど皆無だった頃、すべての評価が検索一発で瞬時に目前に並ぶ時代ではありません。駄作、見込み外れ、失敗作を浴びることで自分なりの批評精神が磨かれてゆく。B級、C級の映画を見続けて、私も私なりの修行時代を通過したように思います。

誠光社には、よく行きます。堀部さんとは、本よりも音楽の話で盛り上がる事が多いです。本著にもアメリカのロックバンド、ソニックユースとダイナソーJrに夢中だったことが書かれていますが、80年代これらのバンドが出てきた時、私自身、パンク少年、ニューウェーブ少女たちの溜まり場みたいな、京都でも過激で、新しい音楽を扱っていたレコード店の店長をしていました。部下たちは、彼らの音楽を絶賛していましたが、しかしながら、私はダメでした。はきそうになるぐらい聴き続け、バックグラウンドや、音楽状況の情報を探しだしましたが、どうしても受け入れることは無理でした。そして、新しい音楽には新しい店長を、とバトンタッチしました。

この時に、流行の音楽、映像、文学、アートを無視して、自分で選んだものを観て、読んで、聴いたことは大きな経験でした。インターネットなんてまだまだ先の話、という時代、自分なりのアメリカンカルチャーの文脈を組立てる作業は楽しかった堀部さんも書いています。「検索型の世界は時に文脈を崩壊させる。背景のない検索結果がでたらめな組み合わせを産み、意味は剥奪され、表層だけがコピーされ続けてゆく」

最終章「1996年、本屋は僕の学校だった」で、元の職場である恵文社に、POSシステムが導入された時のことに触れています。「出版社、取次、書店の三者が無駄を減らし利益をあげられるシステムだというが、そこには『読者』のことは勘定に入っていない。効率の代わりに犠牲となるのは多様性だ。読者の傾向や層を数値化しすることによって、最大公約数を求める店舗を平均化していくことが目に見えるようだった。」

私も同じようなことを十数年前に、取次ぎのエライさんや、経営陣に向かって発言したことがあります。その場の嘲笑的な雰囲気が今も忘れられません。でも、この本を読んで、あの時の考えは間違いではなかったんだ、と力づけられました。

堀部さんが、90年代に、観て、聴いて、読んだ膨大な量の情報の一部を再生しながら、あの時代の雰囲気を見つめ、今の時代に欠けているものを明らかにしてゆく作業をまとめた本であり、その思想が、誠光社の書架に生きていることがわかります。そして私にとっては、過去のある時代の情景が目前に現れてきた刺激的な本でもありました。

 

 

 

 

エチオピアの農村や中東で、フィールドワークを続けてきた文化人類学者松村圭一郎が、その活動を通して、世界を、私たち日本人を、見つめ直した「うしろめたさの人類学」(ミシマ社/新刊1836円)は、新しい発見が沢山ある素敵な本です。

目次には「経済ー『商品』と『贈り物』を分けるもの」とか、「関係ー『社会』をつくりだす」、「国家ー国境で囲まれた場所と『わたし』の身体」等々、難しそうなタイトルが並んでいますが、最後まで読めるかな〜?などの心配は無用です。

「できれば人類学とは無縁の人に自分の言葉で届けたいという思いでここまで書いてきた。願わくは、紡いできた言葉が学問の垣根を越えた越境的な贈り物となることを祈りつつ」と最後に書かれている通り、もう、めちゃくちゃ日常の事柄を例を引っ張ってくるので、成る程、成る程と読み進むことができます。

まず彼が足しげく通ったエチオピアの様々な現場から、新しい考え方を模索していきます。例えば、この国では、みんな平気で物乞いにお金を渡します。

「物乞いに抵抗なくお金を与えているエチオピア人の姿を見て、なぜ自分はお金を与えることに躊躇するのだろう、と問うことができる。他者の振る舞いから、自分自身がとらわれた『きまり』の奇妙さに気づくことができる。人の振りみて、我が身を疑う。これが人類学のセンスだ。」

良い言葉ですね、「人類学のセンス」って。遠い所にあった人類学という学問がぐぐぐっと近づいてきます。

人類学のフィールドワークでは、当然その地の人と深い関係性を持ちます。様々な状況で、色々な感情、行動を体験します。そんなフィールドに馴染んだ身体は、フィールドから、ホームに戻ってくると、あれ、なんか違うなぁ〜というずれを経験します。「自分の居場所と調査地を往復するなかで生じる『ずれ』や『違和感』を手がかりに思考を進める。それは、ぼくらがあたりまえに過ごしてきた現実が、ある特殊なあり方で構築されている可能性に気づかせてくれる。」

私たちがいきる社会を構築しているものは何なのか、その延長にある国とは何なのかと、答えを求めていきます。格差は深く進行し、膨大な情報の洪水の中に溺れ、人とのつながりが遮断され、出口の見えない孤独に苦しむ。しかし、表向きは、街がピカピカに美化され、格差なんてどこにも存在しないような顔をしているのが、今の日本だとすると、「ホームレスも、障がい者も、精神を病む人も姿を消した街は、どんなにきれいに開発されても、ずっと生きづらい。バランスの崩れた場所になっているはずだ。格差を突きつけられる機会が失われているのだから。表向きの『美しさ』は、その裏で不均衡を歯止めなく増殖させてしまう。」ことになります。

震災の映像を見て、何もしない自分のうしろめたさを感じ、義援金を送った人も多いはず。著者は言います。

「知らないうちに目を背け、いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに自覚的になること。そして、ぼくらのなかの『うしろめたさ』を起動しやすい状態にすること。人との格差に対してわきあがる『うしろめたさ』という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる。」

うしろめたさを起動することで、現実を見直し公平さへの希求が持ち上がるのだという事を、多くの体験を通じて、私たちに語ってくれます。本書は、今年度の「毎日出版文化賞特別賞」を受賞しました。

 

 

 

 

 

池澤夏樹が、沖縄のボーダーインク社から出版した「沖縄への短い帰還」(古書/1600円)は、沖縄について書いたエッセイ、書評、インタビュー、講演などをまとめた一冊です。著者は、1994年から10年間沖縄に住んでいました。都会である那覇から、田舎の知念へ引越もしています。

戦争末期、軍部は時間稼ぎに沖縄を戦場にし、20万以上の民間人が犠牲になりました。戦後はアメリカによって好き放題使われていることは、皆さんご存知のことです。日本は沖縄をいいように扱ってきました。著者は、そんな現状への鋭い意見を発表しています。しかし、この本はそういう面だけでなく、様々な顔を持つ沖縄を紹介しています。

彼が移住を決心したのは、「東京という大都会が提供してくれるさまざまな魅力が色あせて見えるようになったからだった。もうあの喧噪はいらない。」でした。「感動的においしいものはなくても、まずくないものが手に入ればいい。沖縄ならばそういう食生活になりそう。」

ここから、地元の食材の話が展開されていきます。そして、当然、泡盛の話題になっていきます。「酔うために飲んで、気持ちよく喉を通り、素直な酩酊に入れる。翌日はすっきり目が覚める、という意味では、泡盛はよい酒である。」

沖縄ぐらしのエッセイの後に、沖縄についての本の書評が集めてあります。本土の出版社から出たものもありますが、沖縄の出版社の本が多いです。その中で、宮城文著「八重山生活誌」(沖縄タイムス社)に驚きました。

「一人の女性が自分が経てきた時代の生活文化すべて書き記そうと決意した。九年あまりかけて知るところを書き、不明な点は調査を重ね、ついにA5判で六百ページの大著を完成した。検索項目だけで二千を越える綿密な生活誌である」この本が完成した時、著者はなんと数え年で81歳でした。

続く第三章は、著者が受けた沖縄に関するインタビューがまとめてあります。1995年、地元雑誌の載ったインタビュー記事を少し長いですが紹介しておきます。

「地方にもっと強い力をというのは、言ってみれば『強い国」』か『幸せな国』かの選択なんだな。『強い国』が欲しいのであれば、みんな中央のことをきくというのがいい。日本の会社が軍隊をまねて人を使うのと一緒でしょ。一糸乱れず行進する兵隊が強いんですよ。だけど『幸せな国』ってのはそうじゃない。みんなしたいことして、ばらばらで、しかもなんとなくまとまっているというふうが幸せなんですよ。やっぱり日本というのは、明治以来の西洋コンプレックスがあってどうしても『弱い国』にはなりたくないんだ。力の神話にすがっている。ぼくなんか『弱いけれど幸せな国』の方がいいんだけれど………。琉球はかつて『弱いけれど幸せな国』を実現していたから、そこへ返りたいという思いも強い。」

あるべき国の姿をこの地に求めた愛情と、ここを見捨てた日本という国への辛辣な意見が交差する一冊です。 

一年の約半分を京都で過ごすという評論家、永江朗さんの「四苦八苦の哲学」(晶文社/古書1300円)は、タイトル通り読むのに四苦八苦させられた本でした。でも、眠くはならずに、最後まで読むことができました。

仏教のことば「四苦八苦」。生・老・病・死という基本の「四苦」と、それに、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の「四苦」を加えたものが「八苦」です。本書は、その内、生・老・病・死について、永江さんが、哲学書の文章を引っ張りながら、ああだ、こうだと考えたものです。

「四苦」のうち、老・病・死は、苦しいものの原点であり、私たちが避けられないものであることはよく分かります。しかし、「生」は何故苦しいのか?ここでは、ハイデガーの「存在と時間」からの引用で始まります。

「私たちはそのつどすでに或る存在了解のなかで生き、しかも同時に、存在の意味は暗がりのうちに蔽われている」

?………..????理解できなくても心配ご無用。著者が、日常で体験するいろいろな事を例にして解説してくれます。ただ、頭の隅に置いておきたいのは、様々な原典の文章を「誤解でも曲解でも牽強付会でもかまわない。あくまで参考意見。哲学者のことばを思考の条件のようにして、わたしがじぶんで考えるきっかけにしたい。」という著者の言葉です。この本は哲学の解説書ではないということです。だからこそ、面白いのです。

最近の読んだ本の中では、恐ろしい程の付箋を貼付けました。特に第四章「生について」で、ハイデガーやらレヴィナスが登場してくると完全にお手上げ状態でしたが、著者のサポートで、それこそ「四苦八苦」しながら読みました。刺激的でした。

ここで、この本からの引用を書き出したらきりがないのですが、自殺について考察した部分に、著者のホンネが突出していたので、ご紹介します。

病気による肉体的苦痛に耐えかねて死ぬのはわかるが、それ以外の理由で自殺することについて、「人はなんてくだらない理由で自殺するのか」と著者は言います。そして、「追いつめているものはなにかと冷静に観察すると、それは欲求・欲望の一形態でしかない。欲望を棄ててしまえば、自殺なんてしないですむのに。集団本位的自殺にいたっては、アホらしいとしかいいようがない。乃木希典夫妻の殉死に感動した同時代人は多かったようだし、神社までつくって祀られたが、実につまらない死に方ではないか。(中略)仕えた王のための殉死であろうと、遥か昔にあった面目を失うようなことを償うための自殺であろうと、どちらにしてもばかばかしい。死ぬのは勝手だが、神社までつくることはないだろう。」

同感です。「殉死」の上に「お国のために」なんていうのは実にばかばかしい。

読み終わって、成る程な〜、そういう真理かと理解したこともあったけど、やっぱりわからないこともありました。今度、永江さんが来られたら聞いてみよう!

 

マスコミ報道、TVニュースで「イスラム」という言葉が、飛び交っています。そして、受け取る側は、あんまりイスラム人に近づきたくないイメージを持ちがちではありませんか。

しかし、そのイメージがいかに誤ったものであるかを、はっきりと極めて分かりやすく教えてくれるのが、内藤正典「となりのイスラム」(ミシマ社/新刊1723円)です。世界の人口の1/4にあたる15〜6億人がイスラム教徒といわれているのですから、彼らと関わることなく生きてゆくのが困難になってきています。

「イスラムにはキリスト教の『原罪』という感覚はありません。単純な話で、『生まれてきた赤ん坊に罪なんかないだろう』ということです。キリスト教では生まれながら人間は『原罪』を背負っていることになっていますが、イスラムにはそういう”辛気臭さ”はありません。」

ミッション系の大学に通学していたので、「宗教原論」が必須でした。その講義で、のっけに出た言葉が「原罪」です。なんじゃ、それっ???の状態でしたが、この本に出会ってすっとしました。

イスラム教は、利子を禁じていることをご存知ですか。私は池澤夏樹の著書で、彼がそのことに賛同していたことから覚えていました。「簡単に言ってしまえば、眠っているあいだに金が増えたり減ったりするということがダメだという意味です。」何もしないのに、お金が増えているっておかしいですよね。高い利子に目がくらみ、無謀な投資を行い、すってんてんになった人の話はそこら中にあります。ちゃんと汗かいてお金儲けしようよっていうのは、当然の教えではありませんか。

著者はイスラム教徒の本質をこう見ています。

「他人を騙すようなことは決してしない、他人を見下さない、自分の家族を含めて、何が正しいことなのか、いつもそれを考えて行動する。」

だから、イスラム圏に旅すると、安心と平安をもたらすと感じるそうです。キリスト圏の国に旅した時には感じない、だらっ〜としたリラックス感に満たされるのだとか。そういうことを、著者自身の体験を交えて書いています。そこから、実際にイスラム教徒とお付き合いする時に、どうすべきかが丁寧に解説されています。お役立ち情報満載です。

さて、そんなイスラム教徒のイメージが凶悪なものになってしまったのは何故なのでしょうか。暴力組織として恐れられている「イスラム国」最大の問題は、「イスラム千四百年の『共存の歴史』に学ぶつもりがさらさらないということです。寛容であり、共存のために積み重ねてきたイスラムの伝統や知恵を、完全に無視してしまうことなのです。」

一方で、先の大戦で西欧列強が、今の中東・イスラム世界をずたずたに分割し線引きをし、植民地支配を続け、あげくにイスラム文化よりもヨーロッパ文化が上であると考え、無理矢理欧化させようとしたことが、イスラム国の暴力化に火を付けたのだといいます。フランスでは公教育の場から、イスラム教徒の女性が身につけているスカーフやヴェールの着用を禁止しました。彼女たちにとって、髪の毛やうなじは性的な羞恥心の対象です。だからスカーフなどで隠しているのです。例えば、ミニスカートをはくのが恥ずかしい人は、パンツルックにするとか、ロングスカートをはきます。何を着るかは、本人が決めることであって、国家があれこれ指示することではありません。イスラム文化が劣っているから、優美なフランス文化を教えてあげようというゴーマンフランスの姿なのです。

「これは国家をあげてセクハラを働いているようなものではないか。髪の毛をあらわにしてヴェールをとれば女性が解放されて自由になるとでも思っているのかもしれないが、それはミニスカートをはけば女性が自由になるといっているようなもの。逆に女性の側からいえば、性を商品化する行為そのものだ」と、著者は欧州評議会でぶち上げたそうですが、反応は,,,,,,,,,だったようです。

イスラムを学ぶことで、世界を違う角度から見ることが出来る書物です。

山本昌代の中編小説を集めた「手紙」(岩波書店/古書900円)は、日常生活に入り込む微妙な狂いを描いています。

津田塾大在学中に、浮世絵師の応為と、その父葛飾北斎の姿を描いた「応為坦々録(おういたんたんろく)」で文芸賞を受賞してデビューしました。その後、歌舞伎役者の沢村田之助を描いた「江戸役者異聞」、平賀源内を主人公にした「源内先生舟出祝」など、近世を舞台にした作品が多く、時代作家のレッテルを貼られがちでした。有名なところでは映画化もされた「居酒屋ゆうれい」の原作者でもあります。

「文学界」「すばる」等の文芸雑誌に発表されて、この本に収録されている作品は、すべて現代を舞台にしています。普通の人々の普通の生活に、得体の知れない何かが忍び込む怖さを、巧みに描いていきます。だからといって、オカルト小説っぽくなることはありません。

永遠に続くもの、それが日常だと思い込んでいると、突然さす影。その影で、人生がどう変わってゆくのかを淡々と描く作品が並んでいます。くっきりした結末が用意されているわけではありません。夢なのか、思い込みなのか、幻なのか、なんの解決もないまま物語は終ります。人生の翳りに見える時もあれば、怖さが剥き出しになる時もあります。

タイトルにもなっている「手紙」は、中年の男性作家のポケットから「I love you」と書かれた紙切れが何回も出てくるという奇妙な物語です。作家は、不思議に思いながらも、日常を生き続けます。外で仕事をする妻と、一日中家にいて原稿を書いている夫との、交流があるようなないような会話も不気味ですが、その日常に変化をもたらす兆しのような差出人不明の手紙。何度も投函されるこの手紙に、夫は段々と不感症になっていきます。やがて、不条理で不気味な幕切れが待っているのです。

「鷺」は、中年に差し掛かった女性と、介護が必要になってきた母が暮らす一軒家にゆっくりとカメラが入り込むように、二人の女性の日々を映し出されるお話です。掃除、洗濯、食事の用意、介護サービスに出かける母親の見送りと、決まりきった生活だけの繰り返し。しかし、デイサービスからの帰宅途中、遠くまで散歩に行ってしまった母親を見た時から、何かが変わっていきます。母親にも、また未来を全く描けない娘の方にも。それが何なのかは、描かれません。

「母は食べる手をすっかり止めて、何も映っていないテレビの画面を見た。食事中はテレビをつけない。父の存命中から変わらない習慣である。『テレビ、つける?』 訊いても無言のまま動かない。『お母さん』と呼んだ。」

二人を見続けたカメラが、すう〜っと家から抜け出してゆくような映像で物語は終ります。結末をつけない、つけることに意味をもたせない短篇集です。

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1962年5月15日、文学者串田孫一は旅に出ます。

「北海道へ、雨の中の出発だった。 昨夜荷造りをすっかりすませてから、山靴に油を塗った。尾をピンと立てた鷦鷯の印のついているイギリス製の油をたっぷり塗ったその靴をはいて、荷を担ぎあげると、気分はここで笑いたくなるほど明るくなった。音のない細かい雨が降っている。」

上野から夜汽車に乗り、北海道へ。この旅の全貌を、その日その日の日記と、友人に宛てた手紙形式で描き綴ったのが「北海道の旅」(筑摩書房/古書1900円)です。二百数十ページに渡って詳細に旅で出会った風景、人々のことが書き込まれています。串田は写真撮影が苦手と断った上で、知人の三宅修が撮影した北海道の写真が、何カ所かに渡って挿入されていて、当時の北海道の姿を見ることができます。

「その冷たい、紫の山から吹いて来る風をいっぱいに吸い込んで、昨夜の朝からの汽車と船との旅で、体の中に重たくよごれて留まっている感じの空気と交換する。」青函連絡船が函館に近づいた夜明けに、旅への期待を美しい文章で表現しています。

串田孫一は哲学者であり、思索者であり、随筆家で、詩人で、登山家でもありました。代表作「山のパンセ」に見られるように、山を歩きながら思索をめぐらせ、味わいのある随筆を書いていました。旅の記録に徹しながらも、瑞々しい感性の文章は、読みやすく、この「北海道の旅」も彼が見た北海道の自然が目に浮かびます。当時、空の旅なんて論外で、鉄道網もまだまだの時代です。ゆっくりと進んでゆく汽車や船のテンポが心地良くなってきます。

「出帆の時刻が来ても船は少しもそんな用意をする気配はなく、切符売場に行ってみると、お客が少ないので、一番小さい船が湖の向こうから戻って来るのを待ち、それに乗ってくれと言われました。その一番小さい船が湖上の霧の中からぽつんと見えてきました。そしてそれが船だと分かるまでに十分、この桟橋に着くまでにまた二十分かかりました。」

このゆったりした感覚は、今の旅にはありませんね。また、とある宿屋で珈琲を出してもらったところ、珈琲色に煮出された紅茶でした。「この煎じ茶のような紅茶を飲みほすのには、勇気だけではだめだった」とユーモアで括っています。

万事この調子で、「こういう旅ではあまり強い、烈しい感動をいちいち期待してはいけないので、むしろ旅心淡々、ねむくなれば車窓に凭れ、風に吹かれてうとうとしたって構わないし、そんなに緊張を続けていたら疲れてしまうでしょう」と旅の極意をサラリと書いています。

こんな感じで旅は続くのですが、一カ所だけ怒りを爆発させています。それは十勝岳に登った時の事です。そこに「第十普通科連隊重迫中隊登山記念、三六、九。四」と自衛隊登山記念の碑が立ってあるのを見て、その無粋な感覚、みっともなさに怒りをあらわにしています。山を愛する者として、軍隊の暴挙は許せなかったのでしょうね。

慌ただしい今を生きる私たちは、このように長い時間をかけてゆっくりと旅なんてなかなか出来ないですから、この本で旅心を少し味わってみて下さい。

 

 京都大学文学部卒業、京都在住の谷崎由依の新作「鏡のなかのアジア」(集英社/古書1200円)は手強い作品です。前作「囚われの島」(河出書房/古書1300円)が、書店員から圧倒的支持を受けた長編でした。まだ読んでいませんが。

さて、今作「鏡のなかのアジア」は、チベット、台湾、京都(多分京大)、インド、マレーシアを舞台にした独立短編です。翻訳家の柴田元幸が「物語は自在に時空を移動しつづけ、ホラ話めいたさまざまなイメージはいつしか、圧倒的な美しさを獲得する」と帯に推薦文を寄せています。

「馬のようにしたたかな蹄を持ち、どこまでも駆けてゆくことのできる、墨色をした文字たちは、風の強いときにいっせいに、五色の旗から抜け出していく。」なんて、文章が突然飛び出してきます。文字が抜け出して、空を覆う???

京都編では、主人公の女子大生が「どんなに餅を求めていても、餅の感触に焦がれていても、パンを捨てて餅とともに生きる日々には戻れない。ほんとうに食べたいのはパンではなく餅であるとしても。我々のなかにあるのはただ原風景としての餅、もののイデアのごときものであり、それは疾うに失われている。」うん?「原風景としての餅」って何だ、餅はモチやろ!!などと怒ってはいけません。

ここはいったいどこなのか。時代は現代なのか過去なのか?読み手は狐につままれたような気分になります。その言葉、掴まえた!と思った瞬間、それは、スルリと逃げてしまい、宙ぶらりんの状態に置き去りにされます。日本語の文章の中に、アトランダムにアルファベットに変換された地名や擬音語が耳に残り、文字は音となり、舞台となったアジアの地に溶け込んでいきます。

読者の戸惑いをよそに、物語の空間は捻れ、混沌としていきます。でたらめか、はたまた真実か?読者を幻想空間に陥れる企みが、方々に仕掛けられています。わけのわからん世界に、いつのまにかがんじがらめにされてゆく危ない小説でもあります。

「音が空間をかたちづくる。音が空間をひらいて、その場所は音によってどこまでもひらかれてゆく。私の身体の、私の腕と腋のあいだのほんのわずかな隙間のなかに、無数の音が混在していて耳をすませばすますほどに、それは幾らにも増えていくのだ。私の身体はひろがってゆく。私の身体のあらゆる場所が音に満たされ、ひらいてゆく」

この小説が持っている硬質な幻想力は、読む者をここではないどこかに連れ出す熱量を持っています。ふと気づいて、私は何を読んでいるのか?と自問自答するかもしれません。万人にお薦めは出来ませんが、作家のくり出す言葉に挑戦し、絡み合う文章の謎を解き明かしてみたいと思わる方は、ぜひ。最後まで、なげたらあきまへんで!

 

 

 

詩人の高田敏子の本を初めて読みました。1914年東京生まれの彼女は、1846年満州から引揚げて詩作を開始。60年代には朝日新聞に詩を連載していました。初期はモダニズム風の作風でしたが、その後、何気ない日常生活に垣間見える心の機微を、優しく見つめたものへと変化していきます。

私が手にしたのは、76年に発表された「むらさきの花」(花神社/古書1400円)です。

「日々は平穏である 長女は四部屋の社宅に住み 二児を育てながら 料理とケーキ作りに熱中している 次女は二部屋のマンションに移り 靴のデザインを仕事として 土曜か日曜日にもどって来る  テレビの前でコーヒーを飲みながら きっということば  この家 寒いわ もっと暖房を強くしたら」

というのが本のタイトルにもなっている「むらさきの花」の出だしです。え?これ詩なの?と思ってしまいそうですが、ささやかなシアワセに満たされている心の有り様が映し出されています。

「この平穏な日々 何をほかに思うことがあろう 毎夜私は 縁先につながれて眠る犬の いびきを聞きながらねむる」

難しい表現や、意味の理解できない単語などありません。でも、こんな言葉が伝えてくれる穏やかさを、私たちも体験することがあります。

山小屋暮らしをする主人のもとへ、娘とその子供たちが来て、去っていった時を描いた『夏の終わりを』という詩では「楡の木から聞こえる ひぐらしの声 ひとり夕食は 茄子のしぎ焼きと 茗荷の味噌汁で終った」(中略)そして

「日常のなかで 訪れあう度にくり返す 別れのときのその度に 娘の目には いたわりとさびしさが増して 私の朝が少しずつ淡くなってゆくことが思われる そんな私の中に まだ黒い瞳を見張っている私がいて 眠れぬ夜を待ちつづけている」

老境の中に忍び込む寂寞たる想いを、どこまでも優しく描き出しています。

疲れた時は、複雑に重なり合うイメージを解きほぐすような、すっと胸の中に入り込んで来るこんな詩を読むと、詩人の言葉に心が満たされていくような気がします。

「母の愛は 母が逝ってもなお 寒い夜の私をあたために来る 白髪の 老いた母の 細い手」(『母の手』より)

静まり返った寒い夜、貴方を温める存在に気づかせてくれる言葉です。

「すべて自然のまま 海底に 心静かに 忠実に 生を呼吸しているだろう」

という海亀の描写が美しい『私の夜』で、この詩集は終ります。最後の行は「私も 星明かりの海の 深みへと降りてゆく 私の夜」深い眠りへと誘ってくれそうです…。

 

★連休のお知らせ 9月10日(月)11日(火)連休いたします。

9月12日(水)〜23日(日)ARK(アニマルレフュージ関西)写真展「Special Friennds」

  保護シェルターで暮らす犬猫の日常を写した作品展です。

 

 

 

1905年広島に生まれた原民喜は、幼年期の頃から小説家を目指し、慶応大学仏文学部を卒業後、貧しい生活を強いられながら作家活動を続けます。44年、彼を支えてきた妻が病気で亡くなります。翌年、疎開先の広島で被曝。戦後、数々の作品を発表するも、51年鉄道自殺しました。

ノンフィクション「狂う人『死の棘』の妻・島尾ミホ」の著者梯久美子は、「原民喜 死と愛と孤独の肖像」(岩波新書/500円)で、原民喜の人生を追いかけました。

「私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思った。」で始まる彼の傑作「夏の花」は、亡くなった妻の初盆に当たる八月十五日の広島からスタートし、原子爆弾を落とされた日のこの街の、悲惨な状況が克明に描かれています。

「戦後の東京にひとり戻った原は、死者たちを置きざりにしてしゃにむに前に進もうとする世相に抗い、弱く微かなかれらの声を、この世界に響かせようとした。そのために詩を書き、小説を書き、そしてそのあとでかれらの仲間入りをしたのである。もっとも恐怖していた死に方を選んで。」

と、梯は、原の生き方を描いています。本書は原の幼年時代、最愛の妻と過ごした時代、その妻に先立たれて失意の中で被曝し、戦後なんとか生き延び「夏の花」等の作品を発表して、自殺するまでの三章に分かれています。全く他人との会話ができない、社会への適応能力に欠けていた原にとって、妻の貞恵との出会いは、彼の人生最高のできごとでした。しかし、結婚6年目に妻は肺結核を発症します。死に向かう彼女の傍で、原はこんな詩を書きます。

「冷え冷えとしたなかに横たはって、まだはつきりと目のさめきらないこのかなしさ。おまへのからだのなかにはかぎりない夢幻がきれぎれにただよっていて、さびれた池の淡い日だまりに、そのぬくもりにとりすがっている。」

44年9月28日、貞恵死去。享年33歳、結婚して11年と半年が経っていました。その悲しみも癒えぬ翌年8月6日、疎開先で便所に入った途端、頭上に一撃を受け、目の前が真っ暗になります。

「8月6日8時半頃 突然 空襲、一瞬ニシテ 全市街崩壊 便所ニ居テ頭上ニサクレイスル音アリテ頭ヲ打ツ 次ノ瞬間暗黒騒音」という文章を残しています。

梯は「原爆は人類史上に残る惨劇であるゆえに、それを語る声は高くなりがちである。言葉には熱狂が宿り、政治性をおびる。だが原の声はあくまで低く、言葉は静かである。」と述べています。

静謐にして繊細な文章だからこそ、悲惨な現場の描写も読めるのかもしれません。初期作品集「幼年画」(新刊1944円)を読むと、美しい文章を書く作家だったことがよく理解できます。

倉敷の蟲文庫オーナー田中美穂さんは、この初期作品集を「おそらく誰しもが持っていた『幼き日』の記憶が、春から夏にかけての瀬戸内のやわらかな風土とともに、せつなく美しく描かれている。」と評価しています。その言葉通り、美しい小説集です。

私はこの「幼年画」で原に魅力に引き寄せられて、「夏の花」を、その他の小品を読みました。そしてこのノンフィクションに辿り着くことができました。逆に本書から原民喜に入るのもいいと思います。

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