門間雄介著「細野晴臣と彼らの時代」(文藝春秋/古書1800円)は、日本を代表する音楽家細野晴臣の評伝です。(500ページ/読み応えあります。)

「白金台にあるクワイエット・ロッジを訪ね、評伝を書かせてくださいと細野晴臣さんにお願いしたのは2012年9月のことだ。」と著者は後書きで書いています。それから8年の歳月が経過して、やっと世に出ました。

「細野晴臣はまだ何者でもなかった。 1968年。 全共闘の運動が全国に広がり、グループ・サウンズのブームがピークを迎え、やがて終息していったこの年、細野は立教大学に通うひとりの学生だった」というところから、彼の物語が始まります。

幼少の時から音楽が好きで、小学校6年のときTV西部劇「ローハイド」のシングルを買ってもらい、熱心に聞いていた少年時代。

音楽好き少年は、やがてギターを手に取り、のめり込んでいきます。のちに大学時代の友人の紹介で大瀧詠一に出会い、日本語でロックを歌うことに挑戦した「はっぴーえんど」を結成し、解散したのちは「 YMO」を坂本龍一たちと立ち上げ、瞬く間に日本中に彼らのエレキトリックサウンドが響き渡ることになったのです。YMO後も、歌謡曲の世界に近づいたり、ワールドミュージックを吸収したりしながら、ソロアルバムを発表し続け、今日に至っています。そのプロセスを著者は綿密に追いかけ、細野の心理状態を克明に描いていきます。メンバーとの確執、音楽ビジネスへの疑問、失望。そして宗教への逃避…….。

面白い話を一つ。「はっぴーえんど」のギタリスト鈴木茂は、当時を振り返ってこう言っています。

「ロックバンドはお酒を飲んで、羽目を外してというイメージがあるかもしれないけど、ぼくたちはそういうのがなかったからね。四人ともお酒を飲めないから、移動中はお茶とおまんじゅうで、細野さんはずっと落語の謎かけをしていた。」

コロナが発生する以前ですが、NHKで「はっぴーえんど」を特集する番組がありました。その時すでに、細野は「オリンピックなんてやることないよ」と言っていました。おぉ〜NHKで言ってくれたなぁ〜と感心した記憶があります。

でも、なぜ彼がそんなことを言ったのか、答えを本書で見つけました。前の東京オリンピックの時に、彼が愛していた都電が都市整備の名の下に、廃止されていったのです。

「オリンピックを境に街が消えていった」と彼は言います。その記憶が残っているからこそ、今回のオリンピックにも反対の意見を、あんなにも早く表明していたのでしょう。

最後に細野の父方の祖父、官僚だった細野正文の話を紹介しておきます。1912年ロシア留学を終えた彼は、タイタニック号に乗り込み、あの大事故に遭遇しまが、無事生還します。しかし国内で、女性や子供を差し置き、自分だけ生還したのは武士道にもとる、との批判が巻き起こりついに役職を解かれてしまうのです。正文の名誉が回復されたのは1997年でした。

細野は、著者のインタビューにいつも軽快に答え、取材は笑いが絶えなかったと言います。音楽的魅力だけではなく、人間的な魅力が、はっぴーえんど、キャラメル・ママ〜ティン・パン・アレー、YMOなどの活動に乗り出す際に、この人のもとに多くの人が集ったと言うことがよくわかるのです。彼とともに時代を歩いた人々を記録した貴重な一冊です。

 

 

数年前に「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(講談社売切れ)という本をブログで紹介しました。大量生産・大量消費システムの大きな渦の中で、これはおかしい?と思ったパン職人の渡邉格が、自らが目指すパン屋を開店させるまでを描いた本でした。その第二弾とでもいうべき本が、ミシマ社より刊行されました。それが「菌の声を聴け」(新刊/1980円)です。

自家製酵母と国産小麦で、オリジナルのビールやパンを作る著者の店「タルマーリー」。前作では、パン作りに相応しい環境を求めて岡山県真庭市に移住し、パン作りを始めるまでが描かれていました。新作の「菌の声を聴け」は、なんとこの地を離れて鳥取県智頭町へ転居するところから始まります。え?わざわざ車でパンを買いに来る人がいるほど繁盛していたお店を閉めて、さらに山奥へと移住するのは何故?と思われる方も多いと思います。

 

「『パン工房の外の自然環境こそが大事なのではないか』という菌たちからのメッセージを感じていたからこそ、この智頭に移転してきたのだ。きっと建物の中だけではなく、もっと広い周辺の自然環境を整える必要があるからこそ、人口最少県の中間地、町の面積の93%が森林の鳥取県智頭町に移転した。」と書かれています。

そして新天地で、新しいビール作りに七転八倒する様がユーモアたっぷりに語られていきます。読みながら、菌という存在について、様々なことを学びました。

「野生の菌で発酵させる場合、人間だけでなく菌こそが心地よく遊べるような場を作ることが重要である。具体的に言うと、パンの原料の生産現場やパン工房の周辺環境から、化学物質を排除する必要がある。森、川、田畑…….といった里山を汚染することなく、自然環境を保全していかなければならない。そして発酵に関わる職人は、生活を取り巻く化学物質ー殺虫剤、防虫剤、合成洗剤、化粧品、添加物、化学薬品などーも使わない暮らしを実践する。」

山極壽一氏が「『カビを食べる人』のパンとビール作りが未来の共生社会を拓く」と帯に推薦の言葉を書いています。菌とともに生きることで、我々がこれから自然と共生してゆく術を教えてくれます。

野生の菌は人間がコントロールできないので生産性が悪いと言うのが世間の常識だそうですが、だからこそ相手を知り、仲良くなって、美味しいものを作ってゆく。そこにパン職人の楽しさがあるといいます。

なお、この本では「タルマーリー」女将の麻里子さんがエピローグを書いています。獅子奮迅する夫を見つめながら、本当に身体と心に良い暮らしや子育てを語ってくれます。

 

温又柔( Wen Yuju)と木村友祐の二人の作家による書簡集「私とあなたのあいだ」(明石書店/新刊1870円)は、サブタイトルに「いま、この国で生きるということ」とあります。

この本は、いまこの国で真っ当に生きていけるのか?という疑問を、台湾生まれで日本語で本を書く温又柔と、虐げられて行き場を失う人々に焦点を当てた作品を出している木村友祐が、語り合います。はっきり言って、かなりしんどい。でもいま私たちが直面している、見たくない、考えたくない状況を目の前に広げてくれます。300ページにも及ぶ往復書簡集ですが、読んでよかったと思う手応え十分の一冊です。

私が本書を読んだのは、こんな文章に出会ったからです。

「飢えの苦しみを味わうことなく、芳醇な餌を与えられながらすくすくと育ったかれらが、痩せっぽちで生まれたきり餌もろくにもらえず喰うものを自力で求めてもがくしかない魚たちにむかって、『おまえは努力が足りない』とあざ笑う姿は、ただもう醜いとしか言いようがありません(いま私も麻生太郎を思い浮かべています)。」

すくすく育ったのは、特権階級の政治家たち。もがいているのは、貧困に苦しむ階級のことです。麻生太郎をこんな風に書いてくれたのを、初めて見ました。木村は「いま私も」と書いているように、温又柔もまた麻生をそういうふうに見ているのです。

空疎な言葉を連発し続けた安倍、国民を見下し続ける麻生のような政治家に実権を握られた日本の政治的社会的状況に、二人の文学者が異議ありの声をあげ、どうあるべきかを語ってゆきます。とりわけ、帰化せずに台湾国籍のまま、国内で文筆活動を続ける温又柔の受けた差別は、いかにこの国が自国以外の人間に優しくないかを実証するものでした。

選挙権がない彼女は、「投票したいなら、帰化するのが礼儀だ」という言葉をぶつけられました。

「礼儀?だれへの?まさか、国への?ならば、日本国籍を所持しながら投票しない有権者のほとんどは、自国に対してものすごく無礼だということになります。」

正論です。本書の持つ力は、二人の言葉の力なのですが、私たちが権力者の言葉のまやかしを打破するための力となるでしょう。

「たとえ、ガイジンで、さらにいえばアジアの、親日であるはずの台湾出身の、それもオンナであるおまえが生意気なことを言うな、と私の口をふさごうとするひとがいても、これからもわたしは、あなたたちこそ、この国の当事者だ、としつこく言い続けます。」と言う、温又柔の側に立っていたいと思います。

 

 

 

 

作家で翻訳家でもある辛島デイヴィッドの「文芸ピープル」(講談社/新刊1540円)を読んで驚きました。えぇ〜こんなに現代文学の、しかも女性文学者の作品が英訳されているんだ!

2018年、村田沙耶香「コンビニ人間」がニューヨーカー誌などで「ブック・オブ・ザ・イヤー」に選出。19年、小川洋子「密やかな結晶」が全米図書館翻訳文学部門の最終候補に選出、20年には松田青子「おばちゃんたちのいるところ」、川上未映子「夏物語」が翻訳と、その勢いは止まりません。

本書に登場する翻訳家デヴィッド・ボイドによると「数年前まではアメリカの編集者の日本の女性作家に対する関心はそこまで高くなかった。それがここ数年の間に『何人かの編集者の(男性よりも)女性の作品を出したいとはっきり言われる』」のが現状のようです。

「3人でお腹一杯」これ、戦後の英語圏の日本文学需要を端的に表現しています。3人とは、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫でした。この3人でもう十分だというのです。その後、村上春樹の登場で彼の独壇場になったのですが、2010年代後半、ガラリと変化します。

小山田浩子、柴崎友香、中島京子、松田青子、村田沙耶香、川上未映子らの作品がどんどん翻訳されるようになったのです。その状況を著者は、多くの編集者や翻訳家、そして独立系出版社の人々の姿を通して浮き彫りにしていきます。

日本語を英語に翻訳する苦労も紹介されています。小山田浩子の「穴」を翻訳していたデヴィッド・ボイドは、重要な登場人物である主人公の義母が、全体を通して「姑」と書かれていることについて、日本語だと違和感がないが、直訳に当たる”mother-in-law”を繰り返すと、不自然な印象を与えるというので作家に相談します。翻訳者と作家が検討して、義母に名前をつけることにした、という微妙な作業過程が語られます。

さらに躍進は続きます。2020年、柳美里「JR上野公園口」が全米図書館賞の翻訳文学賞を受賞しました。日本的だと私たちが思っていた世界が、実はインターナショナルな世界で通用するということが、この本を読むと理解できます。ここで紹介されている作家を、読んでみようかなと多くの方が思われるかもしれません。

 

 

2017年7月、山口県のある限界集落で起こった殺人&放火事件。5人が殺され、2軒の家が放火されました。村で生まれて、都会に出てから再び村に戻った若者が逮捕、起訴されました。その事件を追いかけた迫真のルポが、高橋ユキ著「つけびの村」(晶文社/古書900円)です。

7月21日。山口県周南市、須金・金峰地区の小さな山村で、村人が5人撲殺されて家が放火されます。逮捕されたのは、1949年にこの集落で生まれた保見ワタル。地元高校を卒業後、上京して職を転々とした後、生まれ故郷に戻ってきましたが、村人と一切の交流を断ち、一人暮らしを続けていました。

こんな風に書くとホラー推理小説みたいに見えますが、著者は、村の歴史を掘り返し村が衰退してゆく様を追いかけていきます。そこで見えてくるのは、村で生まれた「噂」が怪物へとなってゆく、という事実でした。

「いざ村に足を踏み入れてみれば、そこにはネットやテレビ、雑誌といったメディアに全く流れていないうわさが、ひっそりと流れ続けていた。

そんな村で生まれ育ち、関東に出て仕事をしていたワタルが40歳を過ぎた頃、戻ってくる。私が村を歩けば羽虫がいたるところから飛んできてまとわりついてくるように、このUターンが、また新たなうわさを生んだ。」

うわさ話を生んだ場所は、村落の中にある「コープの寄り合い」でした。「ただ単に食品や生活用品を共同で購入するというだけでなく、その後に何人かが残って、うわさ話をしていた」という事実を著者は突き止めます。

「まるで金峰地区における諜報機関ではないか」と驚きを隠さない。うわさ話の細かさ、過度な情報量。そこには、主観に基づいた悪口のようなものも含まれていました。都会なら、すぐに消滅すような類の話が、いつまでも残りとぐろを巻いてゆく。

「『うわさ話』で濁りきった空気の中、酸欠状態になったワタルは、集落で孤立を深め、妄想に耽ってゆく」

裁判は、ワタルの妄想癖が精神疾患にあたり、責任能力を犯行時に保っていたのかを巡って、最高裁までいきます。そして2019年「被告人は自らの価値観に基づき実行しており、妄想が事件に及ぼした影響は大きくない。主文、本件上告を棄却する」という判決で死刑が確定しました。

閉ざされた村で起こった事件を巡って、著者は多くのことをあぶり出します。悪意、憎しみ、偽善、そしてうわさ話が勝手に大きくなってゆく恐怖。もちろん情報を拡散させたマスコミとネットの存在も視野に入れておかねばなりません。一つの事件を通して、著者と共に村を歩き、古老の話を聞いて、そこにある暗闇を体感しました。

ちなみにこの集落の人口は、2010年10月は8世帯14人、15年は6世帯10人、19年には5世帯8人と廃村一歩手前まで来ています。

 

印南敦史「音楽の記憶」(自由国民社/古書1100円)は、帯に大きく「ガイドブックではありません」と書いてあり、サブタイトルは「僕をつくったポップ・ミュージックの話」とあります。

著者の印南敦史は、1962年東京生まれの書評家、作家です。音楽の批評でも、マニアックな知識をひけらかすような文章を書くことを好まず、例えば私などが「こういうのがあるから、読んでみたら?」みたいなアプローチで、「こういうのがあるから、聴いてみたら?」という風に書いています。

本書は、著者が人生の、あるいは青春の節目節目に影響を受けた音楽について語っています。クィーン、マービン・ゲイ、ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、オフコース、ブルーハーツなど、誰もが知っているシンガーやグループが登場してきます。

若き日にLAのホテルで、同行したばんばひろふみとの会話が面白いです。自分の未来に何も期待が持てず、自己嫌悪に陥っていた著者に対して、ばんばは「自分を変えたいとか、そんなん無理やし、うまくいかん。そうじゃなく、いまの自分をどう生かすかを考えるべきなんや。」そして

「考えすぎや。”Take it Easy”や。”Take it Easy”でええんや」と言い放ちます。

“Take it Easy”は、イーグルスのデビューシングルのタイトルです。言われたその時は、なにを訳知り顔でと思った著者でしたが、年とともに”Take it Easy”という言葉の持つ重みがわかってきたと書いています。

そんな感じで、本書は続きます。もう音楽ガイドブックではないのはお分かりでしょう。

また、経済的にどん底だった著者が、一時、足繁く通ったジャズバーでマスターに「経済的にちっとも楽にならないんんですけど、こういう状態っていつまで続くんですかね」と訊ねた時のマスターの答えも素晴らしい。スパッと明快にたった一言「一生」お見事!

好きなことをやってるんだから、そりゃそうだよな、と納得したといいます。続いて、そのバーでよく聞いたバド・パウエルについてしみじみ書かれています。

こんな風に音楽を聴いてきたのだ、という一冊です。

戦後詩に多大な影響を与えた詩人、田村隆一(1923〜1998)の家に間借りすることになった校正者の橋口幸子が、当時を綴った「こんこん狐に誘われて田村隆一さんのこと」(左右社/新刊1870円)は、こんな書き出しで始まります。

「詩人の田村隆一さんの家に間借りすることになった。と言っても、最初は田村さんの四番目の正妻だった田村和子さんが、大家として鎌倉の稲村ヶ崎にひとりで迎え入れてくれた。」

ところがここへ、和子さんと恋愛関係にあった詩人の北村太郎さんが越してくるのです。著者とその夫、そして恋愛関係にあった二人の、奇妙な四人の同居生活が始まります。

さらにそこへ、違う場所に住んでいた田村隆一が帰ってくるのです。と、こう書けば、なんだか文化人のややこしい物語かと思ってしまいますが、そうではありません。

春風の様に優しくて温かくて、大らかな田村の人柄に守られて素敵な海辺の暮らしを過ごした著者の思いが溢れた本なのです。

著者が思い出す田村は「パジャマを着て一日中ベッドに寝転がって週刊誌を読んでいるか、小さなテレビを見ている」風でした。

「単純なわたしは、毎日毎日パジャマを着てベットに寝転がっていても食べていけることが不思議だった。悪いことに、なんだかそんな風にしていても食べていけるのだと錯覚を起こしそうになるのだった。積極的に働かなくてはいけないという気がうせていった。」

そりゃ、そうでしょうね。ウイスキー片手に部屋に入ってくる田村とムダ話を楽しんだり、ふらりと出かけてお蕎麦を食べたりという生活です。

「ゆきちゃん、仕事というものはね、朝のうちに片付けて、午後は遊ぶのよ」というのが田村の口癖らしかったのですが、いいですねこの言葉!夜型の仕事をしている若い時には、わからなかったでしょうが。

静かで、穏やかな暮らしが続いていきます。読んでいると、なんだかこちらも柔らかい風に頬を撫でられているような気分です。

著者は、前にブログで紹介した「いちべついらい」(夏葉社/新刊1870円)で田村和子さんのことを描いています。タイトルにうなった「いちべついらい」について、本書で田村がこう言っています。

「ひさしぶりっていう意味なんだ。かっこいいだろう。ね、かっこいいよね」

飄飄としている詩人の顔が浮かんできます。

インド洋に浮かぶセイロン(現在はスリランカ)と聞いて思い起こすのは、おそらく「紅茶」でしょうね。セイロン紅茶は紅茶の代名詞になる程有名です。しかし140年前、ここはコーヒーの一大産地でした。それが、紅茶の国になってしまったのは、言うまでもなく、この国を支配していたイギリスの占領地政策によるものでした。

そんな国でコーヒー豆を栽培し、フェアトレードで取引をできる体制を作った清田和之の「コーヒーを通して見たフェアトレード」(書肆侃々房/新刊1650円)は、スリランカの辛い歴史の中から、新たなビジネスを始めた著者のコーヒーへの熱い思いが伝わる一冊です。著者は、熊本で有機無農薬専門のコーヒー販売店「ナチュラルコーヒー」を経営しています。

1948年イギリスから独立し、1972年現地語で「聖なる、光り輝く島」と言う意味の「スリランカ」に国名を変更しました。しかし1800年代、紅茶の国際貿易でトップシェアを独占していた英国は、コーヒー畑を一掃し、紅茶畑に変えてしまっていたのです。それが現在にもつなっがています。

著者は、再びスリランカがコーヒー生産国へと生まれ変われるように赴きます。コーヒーの木を栽培し、豆を精製できる土地を探し山奥へと入っていきます。

ブラジルをはじめとして、コーヒー労働者の悲惨な労働環境を見た著者は、問屋や商社を通さずに直接仕入れ、適正な価格で代金を支払うフェアトレードを始めていきますが、そう簡単にはいきません。フェアトレードで大事なことは、継続的な取引です。一回だけ買い叩いてハイ終わりみたいなことはしません。継続して生産者を「買い支える」ことがこの運動の精神なのです。継続的取引を続けるために著者は一歩前進、二歩後退を繰り返していきます。

「私たちに安らぎのひとときをもたらしてくれるコーヒー。それは、誰のどんな手を経て私たちのもとに届いているのか。思いを馳せ、生産者を身近に感じて初めて、いつも飲んでいるコーヒーがかけがえのない一杯だと感じるだろう」この思いがスリランカの人々を動かして行ったのです。農産物の生産者は、コーヒーであれ野菜であれ自然環境をとても大事にしています。有機栽培を実現させる努力に、我々消費者が思いを馳せ、地球の反対側で働くコーヒー農民を知ること、理解することが、本当のフェアトレードではないかと著者は問いかけています。

 

 

「私はこれまで、他人のためにはもとより、自分自身のためにさえ、奮発したという覚えがいちどもありません。何もそれを自慢にしているわけではないのですが。」

と、下向きな文章を書いているのは、「落穂拾ひ」「小さな町」などの短編小説で多くのファンを持っている小山清です。1911年東京浅草生まれ、太宰治に師事し小説家の道を目指しました。58年に脳血栓で倒れ、65年死去。

先月夏葉社より、小山が1950年代に、様々な雑誌等に掲載したエッセイをまとめた「風のたより」(夏葉社/新刊1760円)が出版されました。「清純な作家が残した、つつましやかな11編の随筆」と、帯に書かれている通りの随筆集です。身の回りのあれこれを文章にしたものばかりで特にどうといった感じではないのですが、読んでいると、何やら穏やかな気分になってくるのです。

「動物園にて」というエッセイで、狐の獣舎に立つ青年をこう描写しています。

「その青年はビスケットを入れた大きな袋を携帯していて、動物たちの小屋を一つ一つ見舞っていた。その青年は狐の小屋の前にも立った。狐は青年の掌からビスケットをもらって食べた。青年には狐の臭さに辟易している様子はさらに見えなかった。

私はなんて優しい人だろうと思った。この青年はきっと素直な、正直な心の持主に違いない。」

他人を見つめる優しい眼差し。

また「私について」の章では、

「私には生活信条のようなものは、なんにもない。ややはっきりしているものは、好き嫌いであるが、これだって必ずしも頑固に主張しようとは思わない。人と気まずくなるよりは、妥協したい方である。私の二、三の小説だって、自分の好き嫌いをはっきりさせるというよりは、ただ『自分の好き』をだらしなく氾濫させたものでしかないだろう。」と書いています。

欲がないというべきか。ほんとうに慎ましいと言うほかないと思います。しかし一方で、「私が勤先の金を盗んで刑務所にはいったのは、いまから二十余年も昔のことになります。」と「その頃のこと」の冒頭にありました。荒れた刑務所生活のことを書いているかと思えば、愛着の湧いた看守さんに呼称番号を呼ばれた思い出を書いているのです。

高橋和枝の装画がとても暖かく、相変わらず素敵な装丁の美しい本です。

おそらく現代では出てこない小説家ですね。なお当店には、昭和28年に発行された「落穂拾ひ」(筑摩書房・初版/古書6000円)があります。

 

 

「日々の営みの先に、確かな未来がつながっている」

これは、中村明珍著「ダンス・イン・ファーム」(ミシマ社/新刊2090円)の最後のページに書かれた言葉です。

著者は1978年東京生まれ。ロックミュージシャンとして活躍していましたが、2013年山口県周防大島に移住して、「中村農園」で農業に従事する一方で、僧侶もしています。この本は、それまでのミュージシャンから、180度転換した島の暮らしを選ぶまでの経緯、そして未知数だった農家としての暮らしぶりを綴ったものです。

「七十五才は新人よのう」

これ、敬老会に入っている方と、これから入る方のやり取り。

150人足らずの集落のうち、30〜40代は自分達だけで、主力の住人は70〜80代。だから、若いというだけで大歓迎されて島暮らしがスタートです。

貯金0円で34才の時に移住。島のジャム屋さんでアルバイトを開始して、移住後一週間で、「オリーブの苗木寄贈と植樹」と「寺で出家」の二つの儀式を通過します。野菜栽培になんども挑戦、寺の修行での激ヤセ、と前途多難な滑り出しですが、著者の性格なんでしょうね。切実なんだけど、おかしくて、どんどん読んでいけます。

「なせばなる」一言で言ってしまうと身も蓋もないのですが、そういうことです。

畑を耕し、島の老人たちと関わり、また、自ら様々なイベントを企画して島の魅力をアピールしたりしながら、著者は「お金」のこと、「地球環境」のこと、「老いる」ことへと視野を広げていきます。農家として、やっていきたいことを地道に続け、トライ&エラーの繰り返しの日々が、充実した人生への道を開いていく。冒頭の言葉は、そんな経験から生まれてきたのですね。

ところで、この周防大島って名前に聞き覚えがありませんか。2018年10月、島と本土を結ぶ橋にドイツ船籍の船がぶつかり、橋に掛けたあった水道管が破壊されて、島の水が出なくなった事故があった場所です。その時の様子も詳しく書かれています。

最後のページに載っている、著者の子供と飼っているヤギの後ろ姿の写真が、なんとも微笑ましく、幸せをもらいました。