昭和35年、京都市内河原町二条(ご近所です)に「斉木幸子写真場」を開いた写真家、斉木幸子の写真集「遊牧民旅情」(昭和56年・文化出版局・初版、署名入1400円)を見つけました。

蛇足ですが、彼女は京都の老舗「京扇堂」の長女で、お店の近くには私が通った小学校がありました。

この本は理屈ぬきで、沙漠とそこに暮らす遊牧民に魅かれて、何度も足を運んだ女性写真家の作品集です。巻頭で、親交のあった司馬遼太郎が序文を、こう書いています。

「遊牧は、人間の虚飾をとりはらって、なまのままの魂で生きる暮らし方である。斉木さんのなかには、人間の原始の暮らしへのつよい憧憬がある。であればこそ風と光に彫りきざまれた素のままの人間のうつくしさを、追いもとめてきたのかと思われる」

アフガニスタンで、イラクで、イランで沙漠と共に暮らす彼等を捉えた写真が収録されています。ページをめくると、映画「アラビアのロレンス」に登場しそうな作品が並びます。砂嵐の日々、テントの中でじっとしている暮らしは想像できません。私たちの生活と比較すると、どうしても貧しく見えてしまいそうなのですが、それでも子どもたちは元気で、笑顔が素晴らしい。イランのペルセポリスの裏山で見かけたロバに乗る母親と娘を捉えた写真は、その屈託のなさ、仲睦まじさの伝わってきます。彼等の背後に広がる荒涼なる大地が、より一層、印象的です。

或は、木陰で洗濯をしながら談笑するお母さん達と、午睡を楽しむロバを捉えた一枚は、作家もこの場に参加したいと書いている通り、のどかなひと時。アフガニスタン、イラク、イランの遊牧民にはそれぞれに個性がありますが、沙漠と共に生きる人びとの慎ましさと逞しさを垣間みることができます。

この写真集が世に出てから、今日に至るまでの間に、この地域は果てしない闘争と殺戮で、混迷を深めています。子ども達に笑い声が戻ってくる日が来ればいいのですが。

ところで、「斉木幸子写真場」ですが、3代目が引き継いで今も営業されています。

 

 

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明治生まれの上方舞の舞踊家、武原はんの随筆集「のちの雪」(光風社・初版1700円)を手に取りました。最初は函の状態を調べるつもりだったのですが、パラパラとめくっているうちに、その文章の美しさに魅き込まれてつい読んでしまいました。

例えば能楽堂で急に停電に出会い、真っ暗になった舞台の上に蝋燭が急遽用意された時の様子を書かれたものは、舞台の静謐な空間が伝わってきます。

「まだほの明るさがガラスを透して残っていたが、いつとなく囃子方の顔、地謡の人達の顔が闇に消え、蝋燭の淡い光に舞う唐織の金がきらりと光る。シテ柱に来た時班女の面がほの白く、夢のように浮き出たかと思うと、後しざりと共に闇に消え、又浮き出るのである。美しい笛の音が長く引き、まろやかな小鼓の音、澄み切った太鼓の音、朗々と地謡の声、皆闇の中より流れ来て、ワキ座の少将の顔が朧ろにあるばかり、この世とは思われず、唯うっとりとさせられていた。」

この本に収録されているのは、昭和14年から32年までの間に書かれたもので、一昔も二昔も前の世間のお話。大阪の花柳界、宗右衛門町の情景が綴られていますが、はんなりした、品のいい、まるで桂米朝の様な上方落語を聴いている心地です。

あるいは、大晦日の情景を綴った、

「宗右衛門町の大晦日の夜は静かに、時折元旦の芸者をかけに行く十二、三のおちょぼが、目をつり上るほど髪を引きつけめて小さな島田に結い、木綿の着物にめりんすの赤い帯をたてにきりっとしめて、寒そうに両袖を胸に抱いて小きざみに歩いて行く」など。

基本的に、彼女の文章は、静けさに支配されているみたいです。その感覚が、読者を安心させ、リラックスさせ、まだ、穏やかだった時代へと誘ってくれるのです。

「打ちましょ、よいよい、も一つせ、よよいのよい」なんて、上方独特の手締めの言葉もほっとさせてくれます。なお、装幀に使われている裂は、ご本人の着物と後書きに書かれていて驚きました。

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岡山から電車で数時間、中国山地の中程にある勝山で営業する「パン屋タルマーリー」店主、渡辺格さんの「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(講談社900円)は刺激的な一冊です。「経営理念は利潤を出さない」なんて堂々と書いてある本なんか、ビジネス書の書き手からみたら白々しく思うでしょうね。

店主はこう書います。

「看板メニューは『和食パン』。古民家に棲みつく天然の菌でつくる『酒種』を使って醗酵させる。お値段は350円という高価格。週に3日は休み、毎年一ヶ月の長期休暇をとる。店の経営理念は『利潤』を出さないこと。(略)パンづくりの相棒である『菌』たちの声に耳を澄ましていたら、気がつけば、不思議なパン屋になっていた」

こんな文章読むと、どうせ金持ちのぼんぼんが自然食に目覚めて、作ったお店じゃないの、と思われるかもしれませんが、いや全く違います。しゃにむに経済成長に突っ走る総理にこそ、お読みいただきたい本です。

店主の生い立ち、パン屋を始めるまでの修行時代、千葉で開店した店を、岡山に移した意味等が、丁寧に、簡潔に書かれています。そしてこの店を立ち上げるまで彼を導いたのは、なんとマルクスです。「資本論」を読破して、ここに至ったのでした。成る程、「資本論」ってこういう事なんだ、とほんの少し理解できました。

「『利潤』を出さないということは、誰からも搾取をしない、誰も傷つけないということ。従業員からも、生産者からも、自然からも、買い手からも搾取をしない。そのために必要なおカネを必要なところに必要なだけ正しく使う。そして、「商品」を「正しく高く」売る。この搾取なき経営のかたちこそ、おカネが増殖しない『腐る経済』をつくっていくのだ」

従来の価値観を引っくり返すことが革命だとしたら、このパン屋さんはそれを起こしたのかもしれません。

どうも、私小説というのは肌にあわないみたいで、いつも最後まで読む事ができません。ちまちまとした身の周りの事に終始するお話は、いくら文章が美しくても気が滅入ってきます。上林暁の、いわゆる病室ものも、その魅力を理解できませんでした。ところが、陰鬱で悲惨なお話も、ここまで書いてあると笑ってしまいます。いや、笑える状態ではないんですが、面白く読めました。それは、「藤澤清造短編集」(新潮文庫400円)です。

藤澤清造。1889年生まれ、1922年、長編小説「根津権現裏」を発表して注目されるも、32年公園のベンチで凍死しているところを発見されます。貧困と悲惨の一生だったようです。その短篇を、現代の私小説の第一人者、西村賢太が編集しました。病に苦しむ貧困の男(自画像か)を描いた「一夜」はこんな感じです

「患部は痛みはずっと鎮っていたものの、でもまだ、槍の穂先でもなかに折れのこっているように、ちょっと足を曲げようとしても、直ぐそれが響いて、また突きささってくるように痛みだすのだ。そして、今度は、肩先がぞくぞくと冷えるのが苦になってきた。全身は全身で、つかっていた水の中からでも這いあがってきたようになっていて、いまにも腐って、潰れていきそうなのだ」

と気が滅入りそうな文章ですが、何故か、ページをめくってしまいます。11の短篇と戯曲が収録されていて、リアリズムに徹すればするほど、冴え渡った空間が出現してきます。「犬の出産」には、「それは薄さむく、物哀れな夜だった」と、その薄ら寒い情景を通り越して、透明感に満ちた世界が現れます。編集者の西村賢太の「小銭をかぞえる」も、寒々とした世界を描いていますが、このどうしようもない人という物理的存在を超えると、こんな境地に到達するのかもしれません。

蛇足ながら、「小銭をかぞえる」の中で、主人公が古書店巡りをしていると、上林の「文学開眼」に「藤澤清造の死」という短文を見つける件があります。上林はこう表現しています

「藤澤の死には、人生から取り残され、追い詰められ、生きる力を失った人の自然死のやうな果敢なさがある」

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中国清王朝最後の皇帝、溥儀を描いたイタリア映画、ベルナルド・ベルドリッチの「ラストエンペラー」は、繰り返し観ている作品です。

映画は、紫禁城から一歩も出る事の出来ない皇帝の孤独と、後年日本軍にいいように利用されて、傀儡国家の皇帝に担がれる悲劇を描いていきます。この映画のベースになっているのが、R.F.ョンストン著「紫禁城の黄昏」(岩波文庫300円)です。

ジョンストンは、若き日の皇帝の家庭教師として1919年3月、紫禁城に登城した時の印象をこう書いています。

「この門を通過したことによって、私はたんに共和国から王朝の世界へ移っただけではない。二十世紀の新しい中国から、ローマ建国よりさらに古い時代から続いている中国へと足をふみいれたのである」

ジョンストンの手記は、この門をくぐったその日から、役目を終えてイギリスに帰国するまでの紫禁城の内側を克明に記録していきます。そして中国共産党の協力のもと、世界初の紫禁城での数週間に渡るロケを敢行した映画は、王朝のすべてを映し出していました。

皇帝は、それまでの王朝の在り方に疑問を持ち、王朝改革に乗り出していきます。20年代後半、16歳の若さで、「これまで彼の日常生活を規定してきた慣習と形式的手続きのいくつかを、廃止することに成功した」とジョンソンは書いています。すべての生活をがんじがらめに拘束してきた、旧来の皇帝の在り方への改革です。しかし、それでも彼は門の外に出ることは許されませんでした。もう、殆ど軟禁状態です。

やっとこさ外に出られたものの、日本軍部に操られ満州国皇帝に祭り上げられ、この国の崩壊と共に、中国共産党の囚われの身となり、激しい自己批判に晒されるという数奇な人生でした。

この本は、ヨーロッパ人として初めて巨大な紫禁城に入ったジョンストンが、溥儀との別れの日までを冷静な文章で綴っていて、一級の史料として価値の高い一冊です。

映画では、ジョンストン役をピーター・オトゥールが演じていますが、「アラビアのロレンス」といい、この作品といい、異国に佇む姿が妙に様になる俳優でした。

昨年の4月に3号が出されて以来、お久しぶりの4号ですが、相変わらず濃い内容です。4号(500円)は特集が二つ組まれています。

一つ目の特集は「音楽と、本」です。音楽の本の紹介ではなく、音楽をテーマにした本、或は音楽を感じる本について、海外文学好きの書店員と編集長の対談で、のっけからリチャード・パワーズの「われらが歌う時」(絶版)です。この作家のみすず書房から出た「舞踏会へ向かう三人の農夫」はタイトルと表紙に魅かれて読みましたが、こんな本文庫で出てたんですね。やがて、エリック・マコーマックで大いに盛り上がりますが、この作家は読んだことがないので、興味津々でした。さらに「目で聴く短編小説群V.A」と題して、音楽アルバム風に全12曲(編)紹介されています。執筆者が幻想文学や、SF小説偏りなんで、読んだ本がなかったのですが、どの解説も滅法面白いかったです。紹介されているナボコフの「音楽」を読んでみたいです。

そして、二つ目の特集は「どうぶつ大好き」という動物が登場する本の特集です。このジャンルの本は、「吾輩は猫である」を筆頭に、無数にありますが、見事なセレクションです。早川文庫「幻想と怪奇2」に収録されている、人間がコオロギに包囲される「こおろぎ」は、P・ハイスミスの「鳥」の系列だと思いますが、読んでみたい作品です。また、藤枝静男「田紳有楽」は最強にマニアックなタニシ小説?とか。さらに、「銀の匙」で有名な中勘助には、イエスが処刑された時代に生きた鳩を描いた「鳩の話」なんて小説があるとか。あれも読みたい、これも読みたいという気分になりました。

個人的には、音楽を感じる本というのは、宮沢賢治の詩であり特に「春と修羅」に収録されている、「原体剣舞漣」です。『dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah」で始まる所からリズムに溢れています。、動物ものではマンガですが、和田慎二の「クマさんの四季」(絶版)。黒狼の格好良さはピカイチでした。

☆「本のある部屋」は4号と3号は、在庫あります。1号、2号は出版元にも在庫ありません

 

 

神戸の大学で哲学を教えていた内田先生の本を初めて読んだのは、「寝ながら学べる構造主義」でした。いや、もう抱腹絶倒の哲学入門書でした。フランス現代思想の、特にレブィナスの研究者ですが、難解極まる構造主義の大御所を一刀両断する手腕は、お見事でした。その後、専門の本以外にも多くの本を書かれていて、面白そうなものは読んできました。

タイトルで買ってしまったのが、「健全な肉体に狂気は宿る」(角川新書300円)と「態度が悪くてすみません」(角川新書300円)、そして「ひとりで生きられないのも芸のうち」(文春文庫400円)」です。まだ、新刊書店に勤務していた頃です。毎日毎日「自分探し」だとか「癒し」だとか、「自分を高める」とかいうタイトルの本を見ては、気分悪くなり、吐き気を催す日々でしたが、内田先生の本は、よく効く胃薬みたいのものでした。書店の人文担当者に、「自分探し」の本置くなら、内田先生の本だ!と強引に割り込んだものです。

もちろん、研究者の書く本ですから。そうへらへらと笑って読み飛ばせる本ではないのですが、論理的に構築された文章を、頭に入れて行く作業の快感を体験できます。ちょっと、頭が疲れてたなぁ〜と思うと、けっこう面白い文章に出くわします。

例えば、精神科医師の「春日武彦」との対論を納めた「健全な肉体に狂気は宿る」の中で、「端っこにいれば、いつでも逃げ出せる」という章では、

「日本社会の組織というのは身内に対してすごく甘いですからね。甘い汁はちゃんと吸わせていただいて、組織がバラけそうになったら『三十六計逃げるが勝ち』と逃げる」とか。

いいですね。内田先生は、音楽や映画にも造詣が深くて、「態度が悪くてすみません」では「大瀧詠一の系譜学」と称して、彼の音楽理論が構造主義系譜学の方法の基づいている、と何やら難しい言葉を使って説明していますが、成る程と唸らせます。

内田先生は、古典芸能もお好きで、ご自身もお謡いをされています。そして観世流家元の観世清和さんとの対話を収録した「能はこんなに面白い」(小学館900円)も出版されています。これは、古典芸能に興味のある方なら、お薦めです。

内田先生の本は、文庫棚コーナーの上にまとめて設置しています。

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集英社主催の第27回小説すばる新人賞(集英社主催)を受賞された中村理聖さんは、当店のお客様でした。いつもいろんな作家の本を読まれていて、お話をすると小説を書かれていることを知りました。

一度読ませて下さいとお願いしたところ、原稿を見せていただき、僭越ながら私の個人的意見を添えてお返ししました。小説のタイトルは「砂漠の青がとける夜」。京都が舞台の話で、二人の女性とちょっと不思議な中学生と小学校の先生が絡む素敵なお話です。いずれ、単行本化されると思いますので、ぜひお読み下さい。書店のお客様から、文学賞受賞者が出るなんて本屋冥利につきますね。

因みに同賞受賞者には、花村萬月、篠田節子、村山由佳、熊谷達也、萩原浩、三崎亜記等、現在第一線で活躍中の作家がおられます。

国内には数多くの文学賞がありますが、ただ「受賞」という言葉につられて読んだ中には、へぇ〜!と感服したものは沢山あります。芥川賞作品「乙女の告密告」(新潮文庫250円)は、やはり京都出身の赤染晶子さんが描く、「アンネの日記」の新解釈小説。舞台は京都の外国語系大学で、京都弁で進行します。

或いは、小山田浩子さんの「穴」(新潮社800円)。

「向かった先に視線を向けると、黒い獣が歩いていた。」夫の田舎に移り住んだ妻は、目の前に出現した黒い獣をみて、とんでもない世界に落ちていきます。なんだかカフカばりの不条理小説世界ですが、迷路を引きずり回される楽しさに満ちた小説です。

2013年芥川賞受賞作品、姫野カオルコさんの「昭和の犬」は、最近読んだ長編では一番の面白さでした。別に事件が起こるのではありません。昭和30年代の滋賀県の片田舎で少女時代を送った女性の一代記なのですが、いつも身近にいた犬を象徴的に描きながら、昭和から平成への移り変わりを描いていきます。

1937年に発行された絵本「たべるトンちゃん」って、当時評価されたんでしょうか?

トンちゃんとは豚のことです。トンちゃんと女の子の会話をメインに、今どきのデザイン画ばりにデフォルメされた絵が点在している四コマの不思議な本です。著者は1897年生まれの初山滋。(中身の一部を載せましたので、その奇妙さの一部を理解していただけるかも)。発行当時、戦前の昭和は、暗黒の時代へと向かう前兆期でしたが、一方で、妙に明るい時代でもありました。

別冊の後書きで息子さんが、お父さんのことをこう書いています。

「まわりの人たちが、どうしたこうしたなんていうことは、どうでもいい、というマイペース。それを、個性的、ひとりよがり、ヘソまがり、だといって、まわりの人にホめられ、ケナされたって、これまたそんなこたァどうでもいい、という人でした」

帯にもありますが、シュールで、可愛くて、どこか変な絵本です。この本はもちろんオリジナルではありません。復刻です。しかし、この本に愛着を持つ人達が、オリジナルに近い色合いで、箔押し、箱入り仕様でコツコツとつくり上げた一冊です。

最後は「たべる とんちゃんは トンカツや に かはれて ゆき たべられる とんちゃん になりました。おしまひ ビィ」という悲しい文章で終わるのですが、可笑しくてどこまでもホンワカ気分のまま、ページを閉じた後も、不思議な気持ちが残ります。中身は綺麗で2000円です。

 

 

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伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」を担当した編集者、草森紳一は恐ろしい程の本の収集家でした。崩れ落ちそうな本の山の間で生活している写真を見た事がありますが、約3万冊程らしいです。彼が、集めた資料等を駆使して江戸時代を包括するデザイン論の大著が、昭和47年京都の出版社より出版した「江戸のデザイン」(初版6000円)です。江戸時代のあらゆる文化を網羅して、この時代を見事に浮き上がらせていきます。彼はデザインをこう定義しています

「デザインとは、人間の営為であり、生きることの慰めである。慰めであるから、恣意的なものだが、その恣意をいったん封印しなければ『かたち』となってこの世に生起してこないのであり、おそらく私が江戸時代のデザインに、一貫してエロチックなものを感じ続けることができたのは、この慰めをうるために、慰めの恣意を封印する決断を見たからであろう」

百科事典並みの重量級の書物ですが、彼の代表作です。

こんな大作ではありませんが、評論家四方田犬彦との対論集「アトムと寅さん」(河出書房新社950円)は知的スリルに富んだ一冊です。この本で俎上に上がっているのは、戦後の日本的ユートピアを代表するような「鉄腕アトム」と「男はつらいよ」です。私たちにとってアトムは、寅さんはいかなる存在だったのかを、溢れ出る知識と感性で読み解いていきます。漫画史であり、映画史であり、そしてその背後に隠れる戦後日本の精神史にまで話は及んでいきます。

北朝鮮の金日成や金正日が「男はつらいよ」の熱狂的ファンであり、繰り返し見ていたことや、一時、合作の話まで持ち上がっていたなんて、この本を読むまで知りませんでした。

 

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