たった4ページの対談記事が、一人の人生を決定しました。

その記事とは「不思議あふれる極北から〜オーロラのメッセージ。」写真家星野道夫とオーロラ研究者赤祖父俊一の対談です。そして、記事を読んだ少女は、地球物理学をやりた〜い!と即決、学部のあった北大へと進み、アラスカにオーロラを見に出掛け、なんと星野道夫に会ってしまいます。

そんなエネルギッシュな女性、高橋真理子が、星と人をつなぐ場所としてプラネタリウムを選び、新しい活動を始める様を書いたのが「人ななぜ星を見上げるのか」(新日本出版社900円)です。

彼女は、ただ単に見るだけのプラネタリウムから、その場を使って、主体的に番組を作ったり、学びの場を企画することで、参加者が共感し、新しいコミュニケーションを作り出す場へと変容させる装置としてのプラネタリウムを考えていきます。

「プラネタリウムというメディアを特徴づける『ドーム空間・星空・暗闇・言葉・音楽。映像』という場の力を使って、人々のコミュニケーションの場、表現の場としていけるだろう、と思った」

しかし、前例のない、誰も考えたことのない概念ゆえに、実行には様々な困難が待ち受けていました。ましてや、そこが公共施設の場合は。それを一つ一つ解決して、さらに新しい企画を実行していく様子が語られていきます。その中には「目の見えない人にプラネタリウム」という、えっ?というものもありました。

「大事なことは星の並びを正確に伝えることではなく、星空の存在、さらにその奥にある宇宙の存在を知ってもらうこと。その点は言葉や音楽を通じてできる面は多々ある。」

その結果、弱視の女の子は「星って見えなくても感じられるんだ」と思ったそうです。もちろん、プラネタリウムが作り出す宇宙は贋物でしかありません。しかし、それを使う人間の力によって、人を救うこともあるのです。

彼女は次に「病院がプラネタリウム」というプロジェクトを開始します。対象となったのは、長期入院している子供たち、重度心身障害者の方達。「何故あの、ニセモノの星空に、人々は感動するのだろう」と著者も驚くぐらい、多くの人が食入るように天井を見つめます。

「いつも眺める病院の殺伐とした天井に、夜になれば星空がでてきてくれたら、どんなにいいだろう。いつか、そんな日がくることを目ざしながら『病院がプラネタリウム』に、心とカラダを傾けていきたい」結んでいます。

星野道夫と出会ったことが、こういう人生を歩ませたなんて、なんて素敵なことなのでしょう。

 細野晴臣選曲、監修によるCD「ETHNIC  SOUND  SELECTIONS」。それぞれに、「既視」「祖先」「律動」「恋歌」「哀歌」というタイトルが付いていて、そのタイトルに因んだ曲が、全世界から集められました。ブルガリア、イラク、トルコ、韓国、中国、パキスタン、タンザニア等々あらゆる国の曲が収録されています。さすが、細野晴臣です。

このCDの正しい(?)聴き方は、真面目にじっと聴かないことです。遠くの方から、ふわっと聴き取れるぐらいの感じで流してください。そうすると、それぞれの国の巷で流れている音楽が、周りの雑踏とほぼ良くミックスされて、自分が異国の中にポツンと立っている気分になれます。例えば、「恋歌」に収録されているビルマの「ザディアナー・サチャー・ウェイラー」などは、夏の暑い日に部屋の向こうから、かすかに聞えてくると、素敵な午睡が楽しめます。音楽なんて、あんまり聴かないなぁ〜という方にもお薦め。価格はワンコインランチより安い、1枚400円! 400円で世界一周です。

日常の暮しを見つめる優れた小品を書いている石田千が、日本各地を周り、その土地の唄と、そこに暮らす人々を紹介する「唄めぐり」(新潮社1400円)が入荷しました。この作家の「月と菓子パン」(晶文社650円)「屋上がえり」(筑摩書房700円)を読んで、ケレンのない、地味ながら優しい文章のファンになったのですが、「唄めぐり」の方は、エッセイというよりノンフィクションと言った方がいいかもしれません。

秋田県「秋田米とぎ唄」、香川県「こんぴら船」に始まり、福島県「あまちゃん音頭、新相生馬盆唄」まで全25曲。日本中を駆け巡ります。どの章も、歌詞が収められ、唄の生い立ちを調べ、唄を現地で聞いて、その土地で生きる人々とどう関わってきたのかが、著者らしい素敵な文章で綴られています。例えば、宮城県「大漁唄い込み」では、活気を取り戻した石巻港のせりの様子をこう締めくくっています

「声をはりあげていた競る港の人は、みな懐中に鼓舞する拳を握っている。目の前に、いのちをかけて働いてきた海がある。あおく冴える波にむかって、船がまた出ていった。まえは海、まえは海。大漁網を、唄で引っぱる。」その風景がすうっと現れてきます。

また「唄っこきいて、石っこながめて、雪っこでころんで、はっと汁の味っこ覚えて、うれしかった。そうして、お参りも無事すませた。あとは、お湯っこで、酒っこ」なんていう岩手県「げいび追分」の最後の文章に出会うと、なんだかこちらも、ぴょんぴょん飛びはねて、どぶんとお湯につかり、美味しいお酒にのどをならしているような気分になりました。

「強くならなくてはならない。強く。お尻を丸出しにして洗面器でおしっこできる広東の女のように。ぼろぼろになっても風にそよぐ南国の葉っぱのように。」

この力強い台詞は、稲葉眞弓の「半島へ」(講談社700円)に登場する女主人公の思いなのですが、艱難辛苦を乗り越えて怒濤の人生を乗り切る、というような小説ではありません。

タイトルの「半島」という言葉から、朝鮮半島のことを想像し、もしかしたら政治的な、或は北から南へと逃げて来た越境者の話かと思われるかもしれませんが、全くちがいます。場所は志摩半島のどこか。豊かな自然に囲まれたこの地に、東京から引っ越してきた女性の日々を描くのが、本作です。

ま、人生色々あって、東京を離れた彼女。身内からは、そんな所に家建ててどうするの、老後は?と猛反対されるのだが、「いざとなったら猫と一緒に、沼や森に住む女になる。野や山に暮らすことになっても、食べていくだけならなんとかなるだろう。」

そして「野で暮らすのだ。海に入るのだ。釣や罠作りを覚えて漁師と猟師の両方になるのだ。なんて贅沢な老後だろう」と、始めた一人生活の日々を、小説は丁寧に描いていきます。事件は全く起こりません。言葉のひとつひとつが、半島の豊さを伝えてくれます。

ある夜、ベランダでいつもの様に夜空を見上げていた彼女は不思議な体験をします。

「ぼうっと空を見上げていると、波動のようなものが体内をかすめていく。地球の自転の震えだろうか。体と空が一瞬にしてつながるような未知の感覚に襲われる。同時に人間が流れることなく、地につながっていることが、なぜか奇跡のように思えてくる。」

やがて、体が肉体を離れていく錯覚に捉われる。彼女はこれが無になるという感覚なのだと思う。

こんな経験、ありませんか。この星が持っている大きな力にゆらりゆらりと揺らされて、彼女は自分の人生を回復していきます。そして、大きな決断が…….。

ラストシーンを飾るのが、フランソワーズ・アルディの名曲「もう森へなんか行かない」です。こら、いかんわ、泣けてくる。こんな禁じ手、やらせ!と思いながらも、芳醇な小説を読んだ喜びを満喫しました。

この作家の最初のエッセイ集「少し湿った場所」(幻戯書房900円)を読んで、良い文章を書く人だなと思い、小説にトライしました。続けて読んでみたくなり、資料を調べていたら、女優鈴木いずみと、フリージャズサックス奏者阿部薫の凄まじい日々を描いた「エンドレスワルツ」の作者だったことが判明。あれ、読んだのにな…..そんなに心に残らなかったのに……。

 

毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

 

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「1995年3月、アイディタロット1800キロの犬ぞりレースに出場した僕は、最後の難関のトップコックヒルを無事クリアしようとしていた」

しかし、彼は油断していた。その後に起こる悲劇。猛吹雪の中で将来犬たちのリーダー格になる三才のペイデイが死んでしまう。因みに犬ぞりレースで犬を死亡させた場合、マッシャー(そりを引くリーダー)は厳しく責任を追求されます。

日本にいたペースで事を急ぎ、アラスカのペースに合わせなかった自分の過ちでパートナーの犬を死なしてしまった後悔。天国からペイデイが「あわてない、あわてない」と言ってくれている気がする。だから

「『あわてない あわてない』が今では僕たちの言葉になっている」

それから、数年後、1600キロを走破する最大の犬ぞりレース「ユーコン・クエスト」に参加する。人と犬が、限界に挑むレースです。

舟津圭三(文)&佐藤日出夫(写真)による「アラスカ犬ぞり物語」(七賢出版900円)は、アラスカに移住した著者と妻、そして彼らの最愛のパートナーの犬たちの日々を追いかけたノンフィクションです。ここには魅力的な写真が数多く収録されています。雪原を走る犬ぞりを捉えた作品ももちろん素敵ですが、秋の草原を疾走する姿に、私は引込まれました。人と犬と大自然がひとつになっているのです。
「ユーコン・クエスト」に関しては、このレースを完走した女性マッシャー、本多有香の「犬と走る」(集英社800円)という傑作が先行しています。2012年の「ユーコン・クエスト」を走破した本多有香は、本の最後を「今まで私に関わってくれた多くの犬たちのおかげで私はゴールすることができた。犬たちが私をここまで導いてくれた。」という文章で結んでいる。97年に走破した舟津圭三も、共に走った犬の名前を上げて、本を終わらせています。そして、著者と絶対の信頼と友情で結ばれた犬の写真を、そこかしこに配置しています。いい写真ばかりです。

次週9月6日より、動物保護団体「ARK/アニマルレフージュ関西」の写真展が始まります。グッズの販売もいたしますが、期間中の売上げは、すべてARKの活動援助のために寄付いたしますので、ぜひ見に来てください。

 

京都在住の装丁家、矢萩多聞さんの新刊が、ミシマ社の「コーヒーと一冊」シリーズとして出ました。タイトルは「たもんのインドだもん」(1080円)です。

インド暮らしの長い多聞さんが、何、それっ?と思いつつも、そういう生活もありか、と納得してしまうインドの人々の日常を書いたエッセイです。

すぐに、お前の家を見せてとズカズカ入ってくる話や、別に性的関係があるわけではなく、恰幅のいいおじさん同士や、女性たちが手をつないで闊歩している街中の光景とか、笑える話がリラックスした文章で語られていきます。

いいなぁ〜と思うのは、17歳の頃、はじめてインド人の友だちの家に泊った時のこと。お母さんの手料理がどんどん出て来て、矢萩さんは、どれから食べるのと訊いたところ、こんな答えが返ってきました。

「あなたのお皿はあなたの宇宙よ。順番なんてない。好きに混ぜ、食べなさい。人生を楽しみなさい。」

著者は「皿のなかの自由。なんて美しい言葉だろう。」と感動して、モリモリ食べるのですが、ホント美しい言葉ですね。

楽しい話、ひっくり返りそうになる話の中に、生きることの根本的姿勢にまつわる、著者の経験に出会います。それは、彼が町を歩いてた時、突然、看板が落ちてきたのです。幸いけがはなかったのですが、この国では、路肩にバスが横転していたり、いきなり車が炎上したりなどはよくある事らしい。そういう日常の中で、彼は「たまたまで生きている」ことを確信します。

「大きな事故も、小さなミスも、日々のささいな選択肢の末に、起こるべくして起きているような気がする。良いことも悪いこともごったまぜ。複雑にからまった縦横の糸と糸の間を、祈りながら、忘れながら、綱渡りのように歩くほかない。」

人生は綱渡りだ!多分、日本ではなかなか納得できない考えかもしれません。

著者が晶文社の「就職しないで生きるには」シリーズの一冊として出した「偶然の装丁家」 も近日中に再入荷いたします。併せてお読み下さい。

「何気なく机の上を見ると、真っ黒な紙が何枚か置いてあり、その横に原稿用紙と万年筆があった。この時、吸い寄せられるように、机に近づいた。真っ黒な紙は原稿用紙の裏紙で下書きを推敲したあとであった。鬼気迫るものがあった。」

これは、立原正秋が治療のため入院していた病室に、著者高橋一清が訪れた時のワンカットです。高橋は、昭和文学史を代表する司馬遼太郎、松本清張、遠藤周作、中上健次、辻邦生達に寄り添った編集者。文藝春秋入社後、多くの作家のデビューに立ち会った高橋が思い起こす数々のエピソードを綴ったのが「編集者魂」(集英社文庫350円)です。

偉大な文学者の側面を知る本としての価値もさることながら、明晰な文章で読ませる、作家を巡る短編小説の如き趣きのある一冊です。中でも立原を巡るエピソードは、素敵です。

立原亡き後、遺品として渡されたネクタイ。著者は、自分が担当した作家が、芥川賞、直木賞を受賞した作家の授賞式につけることを決めていました。それは、天国の立原に見ていてくださいという意味を込めていました。しかし、一度だけ違う日につけました。それは、

「立原潮(長男)さんが夷に開いていた『懐石 立原』を初めて訪れた日である。『これに見覚えがありますか?」と尋ねたら、潮さんは深く頷いて、顔を上げずに調理場へと消えた」

その情景がありありと浮かぶ幕切れです。

大学時代愛読した辻邦生の項では、「先人の文章では、横光利一を筆写して、感覚的な内容をいかに文章化するかを学んだとうかがった。志賀直哉は中学生の頃に書き写し、詩的完璧さと清澄さにおいて日本の散文の最高のものとして、謙虚に学ぼうとした」と、辻の言葉が書かれています。

成る程、その膨大な研鑽と努力が、みずみずしい感性と豊かな想像力に支えられた壮大な物語が出来上がったのですね。

ところで、文藝春秋には、もう一人、深い情感を湛えた文章を書く編集者がいました。湯川豊。最近では「星野道夫 風の行方を追って」を出版しています。(もちろん、発売と同時に購入、ゆっくりと読んでいます)。渓流に溢れる生命の輝きを描写した「夜明けの森、夕暮の谷」(マガジンハウス/絶版1100円)は、その代表作だとおもいます。

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ドイツ文学者で、名エッセイストの池内紀の「戦争よりも本がいい」(講談社2000円)が入荷しました。

「偏愛的人間」、「異能、奇才、名人、達人」、「旅と民俗」、「人生のデザイン」等全九章に分けて、様々な本が手短かに紹介され、そして著者の思いが的確に書き込んである大著(約400ページ)です。

章の中に「戦争よりも本がいい」があり、12冊の本が紹介されています。その中の一編「甘党のお守り」は、松崎寛雄「饅頭博物誌」という1973年に発行されたもので、これ、「饅頭の生成、ひろがり、変化、饅頭文化の諸相、詩歌、演芸、小咄などにみる饅頭」を解説したものです。池内は最後にこのようにしめくくります。

「この民間の饅頭博士は召集を受け、戦場を飢餓を体験した。身にしみて戦争の時代を知っている。非常時になると、なぜかまっ先に甘味が姿を消していくものである。津々浦々、多彩な饅頭と対面できるのは、二つとない平和の証し。」

或は、明治40年生まれの伊藤芳夫著「サボテン百科」の中で、何故か戦争直前になると、サボテンが流行ると指摘されています。日露戦争前、大正初期、第一次大戦前、そして昭和10年代、国中がキナ臭くなってきた時に、自発的流行があったという。ここでも、池内は、著者伊藤を「こころならずも軍国主義の時代にいき合わせた。過酷な条件にあって生きのびるすべてをこころえたサボテンに、ことのほか愛着を覚えたのではあるまいか。」と思いやっています。

このボリュームたっぷりの書評集を、ぱっと開いたページから読み始めることをお薦めします。池内の文章が、素晴らしく、かなり前に書かれた本の事でも、興味深くへぇ〜と熱中して読んでしまいます。

池内のエッセイなら、ほかに、「なじみの店」(みすず書房500円)や、世紀末ウィーンで、辛辣な言葉で、時代に喧嘩を売り続けたカール・クラウスが出版していた「炬火」を中心に描いた「闇にひとつ炬火あり」(筑摩書房1000円)も面白いです。

 

★レティシア書房 夏の一箱古本市のお知らせ 

8月9日(火)〜8月20日(土)20数店が今年も店内に出店します!


比較的最近出版された本を、けっこうお安く販売しております。

先ずは、片岡義男「ぼうやはこうして作家になる」(水魚書房200円)。これ、3歳の子供が大きくなって作家になったという片岡の一代記です。この人が育ってきた時代、文化が書き込まれていて、読み応えがあります。初めて知りましたが、彼は、一時サラリーマンしてたんですね。装幀は和田誠です。

もう一点、片岡作品で、「ミッキーは谷中で六時三十分」(講談社300円)。こちらは東京の街を舞台にした短篇小説です。雑誌「群像」に連載されたもので、「吉祥寺ではコーヒーは飲まない」を読んだ記憶があります。さすが、都会派小説をリードしてきた作家です。巧みな言葉使いで、大都会の片隅の袋小路に誘い込んでくれます。

今年出た、永江朗「51歳からの読書術」(六曜社500円)。
「ほんとうの読書は中年を過ぎてから」というサブタイトルからわかるように、中年の方の読書指南です。と言っても、堅苦しい読書論ではなく、自分の年齢で死んだ作家の本を読むとか、おじさんになると、なぜ時代小説が好きになるのかといったもので、成る程と思わせます。電子書籍は中年の味方という指摘は、そうそうと納得です。

もう一点、蔵書家の間で人気だった西牟田靖「本で床は抜けるのか」(本の雑誌社700円)も入荷しました。当店で人気のエッセイスト内澤旬子が、身の置き場もない程の本だらけの生活から抜け出た話とか、本に押しつぶされそうな方には必読の一冊です。

そして、今回の目玉は、これです。デブィット・ボードウェル著「小津安二郎 映画の詩学」(青土社2000円)。定価で9000円前後で、古書で5000円前後の大著です。600ページにわたり、小津的映像の分析を試みています。もうほとんど学術書ですが、小津の作品のDVDを観つつ、精読し、細部に至るまで検証してゆく、なんて日々を送れたら幸せですね。

そのほか、山田稔「特別な一日」(編集工房ノア800円)、阿川弘之「鮨、そのほか」(新潮社800円)、吉本隆明「食べもの探訪記」(光芒社200円)、竹岡凖之助「古塔の街」(幻戯書房500円)等もあります。

あの本、買うのをうっかりしてたわ!って方は、ぜひ。今後も入荷予定ですので、ご紹介していきます。

 

 

日本のハードボイルド小説の創始者とも言える結城昌治(1927〜66年)は、「ゴメスの名はゴメス」等、スパイ物を一時、読み漁った作家でした。しかし、一方、「軍旗はためく下で」で、日本軍部の裏側を描き出した作家でもあります。

彼の「終着駅」(中央公論社/初版700円)という本が入荷しました。昭和58年に文芸誌「海」に掲載されたものをまとめたもので、終戦直後の暗い世相と闇市に浮かび上がる猥雑さが奇妙に入り交じった都市空間で生きる男の連作小説です。どぶにはまって死んだ「ウニ三」という奇妙な名前の男をめぐって小説は始まります。復員したものの、未来に何の当てもなく、覚醒剤ヒロポン、米や芋から作った密造酒カストリに身体を蝕まれつつも生きてゆく男たちの悲愁が綴られています。クールな描写とストイックな文体は、やはりハードボイルド小説を生み出した作家の持ち味ですね。

なお、この本には栞が付いていますが、そこに「終戦直後の俗語から」という一覧が描かれているのが興味深いですね。

さて、もう一点、三木卓の「路地」(講談社 /初版900円)をご紹介します。こちらも、文芸誌「群像」に連載されていたものをまとめた「鎌倉」を改題し、加筆訂正したものです。「鎌倉」というタイトルからお分かりのように、舞台は鎌倉です。

「うつむいた姿勢のまま『草迷宮』の初版本に新しいグラシン紙を巻く、という作業をつづけていた。」という文書で始まる「古書肆文芳洞」は古書店が舞台の小説です。空襲を受けなかった鎌倉の町で、妻の残した遺産でひっそりと古書店を営む西内。古い古書店に忍び込んでいる孤独が顔を出すこともある日常に、飛び込んで来た女性。えっ〜、古書店で起こるかよ!こんなこと、と激怒するも、最後にちょっとやさしく、暖かい風が吹き込んでくる心地にさせられる作家の腕前に堪能しました。舞台が、古都鎌倉のせいかもしれません。

60年代から詩人として作品を発表、その後、小説も手掛けるようになった三木は94年に心筋梗塞で生死の境を彷徨ったあと、鎌倉に移住。97年に児童文学「イヌのヒロシ」(理論社700円)で路傍の石文学賞し、同年にこの小説で谷崎潤一郎賞受賞を受け、その後も鎌倉を拠点に活躍しました。

なお、この本の装幀は杉浦日向子によるものです。

 

 

世界的文豪川端康成を「エロ親爺」呼ばわりするなど、不届き千万のお叱りを受けそうなブログで失礼します。

川端の本は、学生時代に「雪国」「伊豆の踊り子」を読み初めましたが、退屈なので放棄。大人になってから「古都」に挑戦しましたが、響いて来ませんでした。

印象が変わったのは、60年代半ばに篠田正浩が、川端の原作を映画化した「美しさと哀しみと」を見た時でした。同性愛の女性二人(八千草薫と加賀まりこが絶品でした!)が男の家庭を滅茶苦茶にするという「濃い」お話に、ヘェ〜川端さんって、こんな小説書くんだとびっくりしました。

「たちの悪いいたづらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。」

で、はじまる「眠れる美女」(新潮社/初版1300円)は、不能になった老人が、秘密めいた場所で、意識がなく眠らされた裸の若い娘の傍らで一夜を過ごすというお話ですが、デカダンスとエロスの深い縁を彷徨う世界にぐっと引込まれてしまいました。老人の究極の恍惚を、ここまで描く作家の奥を覗いてみたいと思い、他にも手を出しました。

「みづうみ」(新潮社/初版1800円)になると、さらに加速します。気に入った美しい女を見かけると、その後を追ってしまう奇行癖のある男(ストーカーですね)が、少女の美しい黒い目の中の「みづうみ」を裸で泳ぎたいと願うという、もうわけのわからん妄想の世界へと突入していきます。主人公は元高校の教師。教え子を付け回すは、肉体関係を結ぶは、ハチャメチャです。そして、犬を散歩させている可憐な15歳の少女に血道をあげ、「みづうみ」で裸で泳ぎたい欲望に捉われていきます。

ストーリーだけ書いていると、エロ小説みたいですが、研ぎ澄まされた美意識が生み出す文章に導かれて、人間という奇々怪々な、複雑な姿を見せられます。それが快感になってくるから、不思議ですね。

なお、こちらの小説は吉田喜重監督が、岡田茉莉子主演「女のみづうみ」というタイトルで映画化されたみたいです。松竹ヌーベルバーグ派の篠田、吉田と揃って川端作品を映画化しているんですね。

もう一点、舞踏の世界を巡って展開する川端エロスが楽しめる「舞姫の恋」(毎日新聞社600円)も入荷しました。