音楽評論家荻原健太の「70年代シティポップクロニクル」(P・ヴァイン/古書1300円)は、70年代前半が、日本のポップスシーンに大きな地殻変動が起こった時期だったということを、アルバムを紹介しながら論じた貴重な一冊です。

はっぴいえんど、南佳孝、吉田美奈子、シュガーベイブ等々、日本のシテイミュージック創成期でした。そして著者は、73年「ひこうき雲」でシーンに登場した荒井由美を、「流麗な旋律、新鮮な転調、鮮やかな歌詞表現などすべてが驚きだった。」と当時を振り返っています。翌74年には、ユーミンは傑作「ミスリム」を発表し、日本のポップス・シーンは飛躍していきます。

さて、この本からは離れますが、70年代後半にデビューし、山下達郎と結婚した竹内まりやは、1987年「リクエスト」を発表しました。このアルバムに収録されている曲の半数は、当時のアイドルシンガーに提供された曲で、それを楽曲提供者がカバーした、いわゆるセルフカバーアルバムです。中森明菜で大ヒットした「駅」も収録されています。先日TVで、こ曲を巡る番組を偶然に目にしました。番組では、竹内のバージョンと中森のバージョンの差異を取り上げていました。

歌の内容は、かつて付き合っていた男性を車中で見かけた女性が、あの時代をメランコリックに思い出すというものです。竹内は、そんな時もあったよね、あの人を真剣に愛してたんだねと思い出しながらも、でも今は、違う人と新しい生活を始めていて、懐かしい心情で歌います。しかし、中森の方は、今でも思い出を引きずって未練たっぷりに歌い上げます。どちらがいいかは、聴かれる方の好みでしょう。

「ラッシュの人並にのまれて 消えてゆく 後ろ姿が やけに哀しく 心に残る 改札口を出る頃には 雨もやみかけた この頃に ありふれた夜がやって来る」

というラストの歌詞を二人の歌手が、それぞれの解釈で歌うと、違う世界が立ち現れて来るのです。このアルバム「リクエスト」(2000円)が発売30周年を記念してリマスターされて、ボーナストラック6曲を付けて再発されました。80年代青春を送ったあなたに、どんな風にあの頃が甦ってくるのか、是非聴いていただきたいと思いました。 

プロの歌手に向かって「程好い」などという、レッテルを貼られるのは嬉しくないことかもしれませんが、あまりにも上手すぎるシンガーも、ひたすら情感たっぷりに歌い上げるのも、静かな夜に聴くのには相応しくありませんね。赤ちゃんが気持ち良さそうに眠っているそばで、程好い加減で寄り添ってくれるシンガーこそ、この季節の友としたいものです。

NY出身のステイシー・ケントの2007年発表の”Breakfast on the Morning tram”(1800円)、訳すると「市外電車で朝食を」は、適度なスイング感と都会的センスに溢れたアルバムです。それまでスタンダードナンバーを歌ってきた彼女が、オリジナルナンバーに挑戦しています。その中の4曲の作詞は、ノーベル文学賞受賞でマスコミが大騒ぎした、日系作家のカズオ・イシグロ。元々、彼がステイシーのファンという縁で、作詞を担当したみたいです。因みにその内の「氷ホテル」は、柴田元幸翻訳「SWITCHvol.29/新訳ジャズ」(500円)に収録されていますので、イシグロファンはお見逃し無く。

次にご紹介するは、リー・ワイリーの”Night in Manhatan”(紙ジャケ仕様国内プレス1400円)です。ハロウィーンからクリスマスへと、喧噪の日々が続きますが、そんなざわついた街に背をむけて聴くなら、これです。古き良き時代のNYの香りが、そこかしこから漂うようなアルバムです。リー・ワイリーは、ベテランのジャズシンガー。「洒落すぎず、野暮にならず」に適度な上品さで歌ってくれるこのアルバムは、何度聴いても夢見心地です。暫く前に、ご近所の本屋さんの誠光社で安西水丸の個展があった時、このレコードがカウンター側に置かれてました。あ、ピッタリ!と店主のセンスの良さに拍手でした。

三人目は、日本人でボサノヴァを歌い続けている吉田慶子の「パレードのあとで/ナラ・レオンを歌う」(1600円)です。ボサノヴァのミューズと言われているナラのアルバムは、ブラジル音楽好きなら必ず持っているはず。60年代の軍事政権下のブラジルにあって、ナラは美しいボサノヴァを歌うことなく、暗い時代の母国に向き合ってきました。吉田は、そんな彼女の「強く、凛とした歌声、その生き方」に憧れてきました。ナラの没後20年の2009年に発表したアルバムでは、彼女へのリスペクトが一つ一つの言葉にあふれています。1998年、東北の小さなライブハウスで歌い始めて、今日までブラジル音楽一筋に来た吉田慶子。大好きなものを歌っているのよ私は、という自信と喜びに満ちたアルバムです。

すべて試聴OKです。

 

★臨時休業のお知らせ

11月6日(月)7日(火)連休いたします。

先日、アメリカンフットボールの選手達が、トランプ大統領の黒人差別主義的態度に抗議して国家斉唱をボイコット。それに対して、単細胞のトランプが、非国民呼ばわりするという新聞記事を見ました。アメリカにいた時、このスポーツの魅力に取り憑かれて、地元「サンフランシスコ49ズ」の応援に出かけたものでした。フットボールで敵陣地に突っ込む選手たちの大半は黒人です。トップスピードでディフェンスラインを突破する彼らはもう最高でした。しかし、この競技に熱狂しているのは大半が白人です。今回の抗議にも、会場からブーイングや、罵倒する声が飛び交ったとの事です。アメリカの音楽、映画、小説で青春時代を過ごし、わざわざ現地の空気を吸いにいった身にとって悲しい記事でした。

何ごとにも幼稚な国家になってしまったアメリカですが、実は音楽業界でも、レコードジャケットを巡っても熾烈な戦いがありました。

ジャズの帝王マイルス・ディビスは、1957年「マイルスアヘッド」を完成させます。そのアルバムジャケットには、彼の意図に反し黒人を使用せずに、ヨットの上で寛ぐ優雅な白人女性が使用されました。ここから、彼のレコード会社との戦いが始まります。

そして、61年名作「サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム」(CD1050円)で黒人を起用することができました。こちらを見つめる女性の姿にマイルスの、ついにやったぜ!という気持ちがこもっています。65年「ESP」を経て、67年「ソーサラー」では、ぐっと前を見つめる女性の横顔をジャケにしました。

“Black is Beautiful”を象徴するジャケットでした。

話は変わりますが、店の棚に「人間だって空を飛べる アメリカ黒人民話集」(福音館900円)があります。この本は、アメリカの黒人民話を、バージニア・ハミルトンという文学者が語り直したものを集めています。たいていの民族が持っている民話同様に、動物、魔法使い、お化けなどが登場しますが、他民族のものとはっきり違うのは、白人の奴隷として酷使されてきた人々の間で語り継がれてきたものだということす。迫害された民族の悲しみが漂っていますけれども、その半面ユーモアもあり、陽気な話が見受けられます。翻訳した金関寿夫は、この本からジャズを連想したとして、こう書いています。

「ジャズの持つ楽しい、軽快なリズムの底には、いつもあの黒人ブルースの、悲しいむせび泣きの声が、はっきり聞き取れるのです。」

マイルス・ディビスは、そんな感傷的な気分なんか捨て去り、常に新しい音楽を模索していました。黒人であることなんかどうでもいい、オレはマイルスだ!という姿が生涯カッコ良かった。

トランプ大統領は、抗議した選手をつまみ出せ!と怒鳴ったみたいですが、くそ野郎はお前だ!と、マイルスなら言うでしょう。

 

 

 

★吉田篤弘の新刊「京都で考えた」(1620円)が発売されます。

全国発売は10月20日ですが、京都地区先行販売が決まりました。また、ご予約された方には先着でサイン本をお渡しします。先行発売は10月12日(木)です

クラフトエヴイング商會の著書に「じつは、わたくしこういうものです」(1300円絶版)という、人を食ったような楽しい本があります。

その中に砂針音楽師という職業(もちろんフェイクです)が登場します。彼女は「世界でいちばん小さな音楽をつくる人であります。演奏される時間も短ければ、音量、楽器、楽譜……..何もかもが小さく扱うテーマまでも小さい。ささやかなもの、静かなもの、かけらのようなもの……..。聴こえるか、聴こえないかという程に小さな音で奏でられる」ような音楽を「針の穴のために音楽」と表現しています。

「聴こえるか、聴こえないかという程に小さな音で奏でられる」とは単にボリュームを絞って聴くだけの行為ではありません。ボリュームの如何に関わらず、ほんの少しだけ体に染み込んでくる音楽のことです。

オランダの女性シンガー、レイチェル・グールドがトランぺッターのチェット・ベイカーと組んだ”ALL BLUES”(2000円)は、そんな音楽です。歌われているのは、所謂スタンダードナンバーですが、あからさまにスィングせず、静かに静かにアルバムは進みます。チェット・ベイカーって、最も”汗臭くない”やる気があるんだか、ないんだかわからないミュージシャンなのですが、そこが良かったみたいです。あっ、ジャズが鳴ってたな、いつ終わったんだろうみたいに煙の如く消えてゆきます。

スウェーデンの名ソプラノ歌手アンネ・ソフィ・フォン・オーターが、イギリスの元パンク小僧で、今や温厚な中年ロッカー、エルビス・コステロと組んだ”Otter meets Costello”(1400円)は、透明な空気に満ちあふれたアルバムで、ロックでも、クラシックでもない、この二人だけが作りえた音楽です。J・レノン。トム・ウェイツ、バート・バカラック、そしてコステロ自身の曲が散りばめられていますが、穏やかに、じんわりと、少しずつ心の中に溶け込んできます。ボリュームに関係なく慎ましく流れるところが、二人の音楽家としての技術力の高さです。

今年観た映画で、ベスト3に入るであろう「メッセージ」にも使われていた、作曲家マックス・リヒターが、英国を代表する女性作家ヴァージニア・ウルフの生涯から着想を得た”Three Worlds Music from Woolf Works”(2200円)。クラシックでもなく、環境音楽でもなく、一時流行ったヒーリングと呼ばれた安易なイージーリスニング音楽とも違う不思議な音楽は、ジャケット通り、まるで波が打ち寄せては、引いてゆくように心に染み込んできます。アルバムはヴァージニア・ウルフの3つの作品『ダロウェイ夫人』『オーランドー』『波』からインスパイアされています。静かな海原に包まれたような安らぎに満ちた音楽です。

この三枚の音楽を聴いていると、どれも深い精神性と音楽への深い理解を内包していることがわかります。だからこそ、大きさに関わらずにリスナーの心に響いてくるのです。

もちろん、読書に最適なことは言うまでもありません。

アメリカの音楽の原点といえば、奴隷として連れて来られた黒人が持ち込んだブルースと、スコットランドから移住してきた人達が作り出したブルーグラス、そしてニューオーリンズの酒場で生まれたジャズということになるでしょう。

そうした原点というべき音楽へのリスペクトを、色濃く反映させているミュージシャンのサウンドを「ルーツミュージック」と呼び、個人的には最も好きなアメリカンミュージックです。そんな、ルーツミュージックを日本人として追い求めているのが吉村瞳です。

1984年愛知県に生まれた彼女は、14歳のときエレキギター、18歳でスライドギターを始め、22歳でヴォーカリストとなります。アコースティックギターによるボトルネック、ラップスティール、リゾネイト・ギター等の、それぞれ個性的な音色を持ったギターを使い分け、アメリカ南部サウンドに根ざした音楽、ネイティヴ・アメリカンの音楽に影響を受けたロックンロールを、ソウルフルに歌いあげています。えっ?日本人が歌ってるの?と驚かれるかもしれません。

手元に彼女のアルバム「Isn’t it time」(1700円)があります。そのサウンドから見えてくるのは、どこまでも広がる青空とハイウェイ、そしてテンガロンハットを冠った男たちが牛追いをしている情景でしょう。

お馴染み「アメイジンググレイス」の最初で聴くことができる彼女のギターのブルース感覚を楽しんでいただきたいものです。多くの人がこの名曲を歌っていますが、乾いた大地の臭いと、大地に吹く風が、身体を駆け抜けるバージョンはないと思います。この曲に続く”Can’t Find My Way Home”で聞こえてくる、オルガンとギターのアンサンブルにも、やはりアメリカのルーツを垣間見ます。

乾いた大地の大空を舞うコンドルが歌う音楽とでも言えばいいのでしょうか。こんな音楽には、やはりバーボンウィスキーがピッタリですね。アルバムを最後を飾るのは、「テネシーワルツ」。南部の薫りの濃いサウンドで幕を閉じます。

 

 

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」を店内で開催します。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!(14日は休み)

暑い日が続きますが、お立ちよりください。


 

 

先日、「虹色の小舟」(2700円)という自主制作のCDを出された日高由貴さんが来店されました。ほぼ全曲、自作の詞で歌われた、あるジャンルにカテゴライズされない、素敵な作品です。

ジャズのようでそうではない、語りかけるようなシンガー&ソングライターでもない、ましてやクラシックでもなければ、ソウルフルなものでもない。こういう音楽って、上手く出来上がればオリジナリティーの高い作品になるのですが、どっちつかずで、失敗することにもなりかねません。

日高さんは、ジャズをベースにしながら、その世界に捉われることなく、良質のポップスを目指したことが良かったと思います。編成は、彼女のボーカルにサックス、ギター、ピアノ、ドラムス、ベースという典型的なジャズ五重奏団。

昨今、CDショップに並ぶべっぴんさん女性ジャズボーカルアルバムの、大げさな感情表現と無理にスイングしようとするアルバムとは逆の仕上がりになっています。大事なことは小さくつぶやくと言った詩人がいましたが、そういう世界です。

日本語で歌われている「マングローブの森へ」はこんな歌詞です。

「月夜のかなたで だれかが泣いている ただひとり いまこの想いを あなたのところへ ほらそっと ひとしずく 虹色の小舟にのせて ひとひらの花びらに 涙をのせて 流れゆく水のおく いまあなたからだれかへと 虹色のかなしみの向こう側 みどりの森へ」

サックスとピアノが静かに月夜に照らされたマングローブの森へと誘います。

私の最も好きなナンバーは、7曲目の「Shenandoah」です。19世紀から歌われているアメリカ合衆国の古い民謡で、歌詞から「オー・シェナンドー」(Oh, Shenandoah)とも、「広大なミズーリ川を越えて」(Across the Wide Misouri)とも呼ばれています。バージニア州を流れる大きな河で、西部劇「シェナンドー河」他でも使用されていて、何度か耳にした曲です。故郷への哀愁を思い起こさせるのですが、彼女は饒舌にならず静かに歌っています。この曲ではクラリネットも演奏されています。(出だしのクラリネットの音には涙が出そうです)

ゆっくりと、何度も味わってもらいたい音楽が、ここにはあります。

★試聴大歓迎です。本選びにも良い効果があるかも…….。

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個性派書店として様々なメデイアに取り上げられている誠光社。私は、本を見に行く、買いに行くというよりも、毎回、新着のCDを聴いては、店主の堀部さんと音楽のお話するのを楽しみにしています。先日、お邪魔した時、一枚のCDを推薦してくれました。それがJOHN to PAULの”Croquis”(1620円)でした。

不思議にリラックスできる音楽が流れてきました。で、このJOHN to PAULですが、誠光社のHP解説にはこう出ていました。

広島の宅録ミュージシャン「ジョンとポール」(お一人です)のニューアルバム”CROQUIS”のディストリビューションをさせていただくことになりました。

現代音楽的アプローチを出発点に、コンセプチャルなアルバムを幾つか発表したのち、次第にポップミュージックに接近していった理論派。昨年リリースされた本作への序章とも言えるアルバム”MY NAME IS…”は、玄人好みのソングライティングに、ごく自然な譜割りの日本語詞を乗せた傑作でしたが、そのエッセンスをさらに突き詰めたのが28曲入りの本作です。

 

スマートフォンのボイスメモ等を利用した、クイックで肩の力の抜けた楽曲群を「スケッチ」に例えたアルバムタイトル通り、クロッキー帳のようなアートワークに。ブックレットには歌詞とスケッチ、本人による簡単な楽曲解説が添えられています。

ポップスの酸いも甘いも知り尽くしたマエストロによる、ユーモアと知性あふれる傑作アルバムを是非お聴き逃しなく!」

あっ、春だ……..。とこの音楽を聴きながらつぶやいてしまいました。冬の風が去り、春の風が、久しぶりって感じ頬を撫でた瞬間のムフフという音楽です。ほぼ彼の楽曲が占めるのですが、おなつかしや「ブンガワンガソロ」のカバーが入っています。泣けてくるほど美しい。全28曲、詰め込んでありますが、途中で止めようととは思わない、心地よい手づくりサウンドです。26曲目「イズミさんに会いにゆく」では、外を走る救急車のサイレンもBGMとして入っています。

堀部さんから、このCDなら卸しできるよとのお声があり、早速店で販売開始。店で、かけてたら、たまたま店におられた大阪の有名古書店主が、いいなぁ〜とお買い上げ。あの店でも今頃鳴っているのかな?

試聴もできますので、一度春の訪れを「聴いて」ください。クロッキー帳を模した特殊ジャケット、36Pブックレット仕様で、最後のページに登場するうたた寝中の猫のイラストが、この音楽のすべてを物語っています。店を締めて、昼寝したい誘惑と闘いながら、鳴らしています。

 

 

アイドルだと思っていた原田知世は、今や立派な女優さんになりました。彼女が、オールドファッションな曲を、オリジナル言語でカバーしたアルバム「カコ」(廃盤2200円)が入荷しました。

ジャケットに、まるで彼女の幼少の時かと思わせる写真が使われていますが、これ植田正治のお嬢さんの和子さんを撮った作品なのです。和子さんの愛称”カコ”をアルバムタイトルにしています。アルバムが発表されたのは1994年。自分の写真を使用しないで植田の作品を使った彼女のセンスに、アイドルから脱皮していく気持ちを感じました。

さらに、CDのインナースリーブの写真は植田正治が撮影しているのです。まさか、こんなところで植田の作品で出会うとは驚きです。彼は出身地の鳥取県境港市を拠点にして、いわゆる「植田調」の写真を撮り続けました。とりわけ、鳥取砂丘に人物を並べたポートレイトは、独特の、不思議な世界が立ち現れていました。彼の全貌を知りたくて鳥取にある「植田正治写真美術館」まで行き、素敵な時間を過ごしたことを思いだします。

さて、原田知世は、プロデュースに「ムーンライダーズ」の鈴木慶一を迎えて、62年、スキータ・ディビスのヒット曲「この世の果てまで」(あぁ〜あの曲と思いだす、あの曲です)、64年、イタリアの歌手ミーナが歌った「砂に消えた涙」、ご存ジョニ・ミッチェルの名曲「青春の光と影」等7曲を歌っています。裏ジャケのスタッフの名前のところに、”Language Master”というクレジットで三人の名前が入っています。英語、イタリア語、フランス語の歌詞をきっちり歌うために、発音をしっかり学び、発声したという気合いの表れです。これも、アイドル脱皮第一歩だったのかもしれません。

植田の撮った彼女のポートレイトは、きっと被写体と相性がいいのか不思議な浮遊感を醸し出しています。

 

ところで、京都は朝から雪。犬の散歩コース御所も雪景色でした。犬たちはもう大喜び。写真は「楽しいなぁ〜」会話する我が家のマロン(15歳)と後輩犬のラッキー(7歳)です。

 

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

東京、岐阜、神戸、大阪、滋賀、京都から20数店の女性店主がセレクトしたステキな本が、所狭しと並びます。ご来店お待ちしています。

 

 

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深さ16cm,縦横20数cmの立派な箱を開けると、400ページ程の豪華ブックレット。その製本と写真の上質な出来上がりにため息をつきながら、ブックレットを除けると、なんと紙ジャケ仕様のCDが78枚。ほぉ〜と見ているだけで、気分が良くなってきます。抱きしめたくなるような気分です。丁度、上質の製本を施された文学全集を持った感じに似ているかもしれません。

で、そのCDボックスですが、クラシックピアニスト、グレン・グールドが生涯にCDS Columbiaに吹きこんだアルバム全部を収めたものでタイトルは

“GLENN GOULD’S  Remasutered  The Complete Columbia Collection”です。

1955年、バッハ「ゴールドベルク変奏曲」を録音。発売されるや爆発的人気となり、57年から、ワールドワイドなツアーを敢行。「バッハの再来」と絶賛されました。しかし、演奏会の有り様に疑問を持ち、65年のシカゴでの公演を最後に、コンサートから退き、レコード録音とラジオ、TVの放送媒体のみを活動の場としました。

私はクラシック音楽への造詣がありませんので、専門的解説は出来ません。しかし、この人のピアノの音に一度取り憑かれると、抜け出すこができません。リリカルな音があれば、冷ややかで人を寄せ付けないサウンドが延々続く時もあります。文学的であるかと思えば、まるで電子工学の技術者の如く、全く隙のない世界を作り出すこともあります。

CDは、1955年のファーストレコーディングから、82年録音の「R・シュトラウス:ピアノ・ソナタ&5つのピアノ小品」までの78枚のCD、さらに彼自身の語りのCD3枚が網羅されています。値段は25000円。生涯楽しめるボックスです。

なお、44枚目のCDは、カート・ブォネガット原作の映画「スローターハウス5」に収録されたグールドの演奏を収録したものです。時空を吹っ飛ぶ複雑怪奇なファンタジーを、「明日に向かって撃て」や「スティング」のモダンな感覚のジョージ・ロイ・ヒルが映像化しました。TV放映された時、偶然見たのですが、面白い映画でした。さすがに、音楽までは覚えていませんでしたが……..。

酷暑の夏に聴くと、体中のエネルギーを吸い取られそうですが、これからの季節にはピッタリの音楽かもしれません。一年で、最もつまらない番組ばかりを放送する元日とか、終日グールドにつき合うなんて如何ですか。

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショーを予定しております。(要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)


 

 

 

 

某月某日、とあるCDショップのジャズボーカルコーナーにて、「お店のお薦め」を聴いていました。皆さん、それぞれに個性があって、表現力も豊かでした。あれも、これも欲しいと思い始めた矢先、美空ひばりのCDがセットされていました。それは、65年発表の「ひばりジャズを歌う」(日本コロンビア2000円)でした。あぁ〜あのレコードのCD化か〜と早速ヘッドホンを耳に当てました。

歌い出しを聴いた途端、今迄の歌手が、すべて吹っ飛びました。上手いとか、巧みとかそんなレベルではありません。日本の国民的大歌手で、波瀾万丈の生涯だったという事実を差し引いても、他を圧倒しています。それは、何故なんでしょう。

それは一重に「濃さ」だと思います。

だからと言って、問答無用に押し込んでくる濃さではないんですね、これが。サブタイトルに「ナット・キング・コールをしのんで」とあるように、彼の十八番が並んでいて、曲によっては、スマートに、スムーズに、あるいはしっとりと歌っているのですが、その一言一言に彼女の魂が宿っています。すべての人を取り込んでしまう大きさと強さを持っているのです。曲によっては、日本語で歌っているのですが、解説で竹中労がこう語っています。

「みごとに、コールの歌の魂を、私たちの国のことばに移しかえている。ひばりのハートは、あかるくて悲しいコールのフィ−リング(情感)に溶け込み、何の抵抗もなく、私たちを黒人ジャズの世界にさそうのである。」

日本語で、黒人ジャズの感性を歌いこむなんて前人未到ではないでしょうか。何がきても怖くないという自信。ジャケットのひばりの笑顔には、世界の歌を歌い込める喜びに満ちています。

ところで、平岡正明が「美空ひばり 歌は海を越えて」(毎日新聞900円)で、もう一人の国民的歌手、山口百恵との比較で面白い指摘をしています。

「ロックンロールを歌ってあれだけうまい百恵がジャズを一曲も歌っていないこと、ジャズを歌わせたら最高のひばりがロックンロールを一曲も歌っていないことだ」

この後、スリリングなひばり論が展開していきますので、興味のある方はどうぞ。