「かもめ食堂」や「めがね」等、独特のリズムのある映画を作ってきた荻上直子監督の最新作「川っぺりムコリッタ」は、今年観た映画の中でも印象に残る作品でした。(Movix京都で上映中)

できれば映画館で観ていただきたい作品です。で、どんな映画?と問われれば、松山ケンイチ扮する前科者の山田が、ムロツヨシ扮する明るいのか暗いのかわからん不思議な男島田幸三と二人で、炊き立てのご飯にイカの塩辛を乗せて、食事するのを見守る映画です。え?そんな映画が面白いの??と言いたくなるかもしれませんが、これがメチャメチャいいんです。

山田が、出所後、北陸のイカの塩辛工場で働き出すところから始まります。そして社長に紹介された「ハイツ・ムコリッタ」という安アパートで暮らすことになります。風呂上がりに冷えたミルクを飲む、という唯一の楽しみを、初対面の隣人の島田に邪魔されます。厚かましくも「風呂貸してよ」と顔を出し、そこから不思議な付き合いがが始まります。

息子を連れて、いつも喪服を着ているお墓のセールスマンの溝口さんとか、一風変わった人が住んでいるアパートで、最初は頑なに閉じていた山田が少しずつ、少しずつ心を開いてゆきます。そのきっかけが、島田と食べる白ご飯なのです。殺風景な部屋で、男二人がご飯にイカの塩辛を乗せて、本当に美味しそうに食べるシーンが何度も登場します。人の幸せは食にある!という事を映画は語っているようです。「足るを知る」という言葉が、ふと浮かんできました。

この映画では、扇風機の回る音、川のせせらぎ、蝉の鳴き声、鳥のさえずり、にわか雨、あるいは風の音などが見事に捉えられています。いつもそばにあるそんな音が心地よく響いてくる時、生きている小さな幸せを感じるのかもしれません。ささやかだからこそ、映画館で観て欲しいのです。

ここに生きている人々は、みんなそれぞれ心に闇があり、傷を持っています。映画の中ではいちいち詳しく語りませんが、ワケありの人たちが、友達でもなく、家族でもない、でも孤独ではない関係でいる。「ハイツムコリッタ」は、そんな居心地の良い場所なのです。生と死が柔らかくつながっているような場所でもあります。

落語家の立川志の輔の推薦の言葉が、本作品の真髄を言い当てています。「心の老廃物が全部でて、あーあ、すっきりした!ご飯が食べたい!魂のデトックスにぴったりな映画」オススメです。

ペルーの先住民族アイマラ族の言葉による長編映画として話題となり、国内外で高い評価を受け、近年のペルー映画の最高作と評された「アンデスふたりぼっち」という映画を観ました。標高5000mを越える厳しい自然の中に、ポツンと建つ家に住む老夫婦が主人公で、この二人以外の人間は出てきません。

都会に出た息子が戻るのを待つ、妻パクシと夫ウィルカ。アイマラ人の伝統的生活を営み、二人はリャマと羊と暮らしていました。寒い夜を温めてくれるポンチョを織り、コカの葉を噛み、日々の糧を母なる大地のパチャママに祈るという生活です。

穏やかな気候のもとで、毛刈りをして、畑を耕す二人。まるで小津映画に登場するような老夫婦の、穏やかな日々を描いてゆくのだと思って、その牧歌的雰囲気を安心して観ていました。

しかし暫くして、この二人は何のためにここで生きているのだろう?という疑問が湧き上がってきました。こんな辺鄙な所に住む両親に、息子はとっくに愛想をつかしていて音信はありません。豊穣な土地があるわけでもなく、牧場をするには歳を取り過ぎています。物質的金銭的幸せも、精神的幸せもないここで、生きる意味って何だろう。私たちは幸せになるために生きているのに、二人にとって幸せとは何?映画は、「生きる」という本質的な意味を問い詰められているように思えました。

しかし、後半、そんな私の個人的な思いなんぞ木っ端微塵にしてしまう展開が待っていました。ある日、リャマを伴って村に買物に向かったウィルカが、途中で怪我をして動けなくなってしまいます。探しに来たパクシに救助されるのですが、身体へのダメージは大きく、その後の生活に支障をきたします。その上、飼っていた羊が全て狐に噛み殺される惨劇が起きます。ズタズタになった子羊を抱き上げて泣くパクシ。土の中に埋められる羊をカメラが真正面から捉えます。

肉がなくなり、コカの葉も在庫が無くなってしまいます。さらに、ロウソクの火が家に燃え移り全焼してしまいます。年老いた二人にはなすすべもありません。残った納屋で何とか暖をとるのですが、食べるものはありません。ウィルカも衰弱していきます。困ったパクシは、可愛がっっていたリャマを襲い、泣きながら何度もナイフを刺して、肉を取り出します。が、ウィルカは死んでしまいます。

もう、このあたりで席を立とうと思いましたが、そうはさせじという強い力が画面から送られてくるみたいに、座席に縛り付けられました。ラスト、一人雪山にむかうパクシ。姥捨山みたいなエンディング。90分ほどの映画でしたが、これほど重く、辛く、素晴らしい映画は滅多にないと思いました。

監督はオスカル・カタコラ。ペルーのプーノ県アコラ生まれ、アイマラ族出身。本作は史上初のアイマラ語映画でした。が、第二作撮影中に亡くなりました。享年34歳、本作が初の長編映画であり遺作になってしまいました。残念です。

 

 

 

原作は、独学で魚の研究者になったさかなクンの自叙伝的エッセイ「さかなクンの一魚一会」。それを、センスの良い作品を送り出し続けている沖田修一監督が映画化しました。南極越冬隊のコックを主人公にした「南極料理人」、林業に携わる人々を描いた「キツツキと雨」、自宅の庭の虫や花を描き続けた画家熊谷守一を山崎努が演じた「モリのいる場所」等、選ぶ舞台や登場人物がユニークすぎて、観る前からワクワクしてしまう監督です。

「さかなのこ」の主人公ミー坊は、もう魚のことしか頭にない高校生です。飽きることなく魚を観察し、お魚新聞を作っては学校に張り出し、毎日魚料理を食べるという、ユニークな生徒です。ミー坊は小さい時、近所では変人扱いされているギョギョおじさん(さかなクンが演じてます)と意気投合して、さらに魚のことしか頭にない人になりました。そして何より幸せなことに、魚に夢中になる子供を応援する母親が、側にいてくれるのです。

さかなクンを彷彿とさせるミー坊を演じているのは、NHK朝の連ドラ「あまちゃん」で国民的アイドルになった、のんです。

映画の冒頭に「男か女かどっちでもいい」というテロップが出ます。なので、彼女が学ランを着て、高校の不良仲間とやりあっても全く違和感はありません。ミー坊に絡んでくる不良仲間や、ペットショップの店長、幼な馴染のモモコも、ちょっとヘンな人たちではありますが、穏やかで憎めない人ばかりです。悪人が一人も出てこない、という極めてレアな映画かもしれません。だから、観ていて、本当に幸せな気分になってくるのです。のんの、飄々とした姿を見ていると、もう本当にどっちでもいい、取るに足らないことのように思えてきます。それよりも、好きなことを見つけ、それを貫き通す自由を映画を観ながら楽しんでほしい。

みんなと違う、普通じゃないことを気にせずに、好きなことを好きにやっていいんだよ、という監督の思いが嬉しい映画です。ラスト、防波堤を一気に走り抜けて、海へと飛びこむミー坊が素敵です。

さかなクンの現在の肩書は、東京海洋大学名誉教授、同大学客員教授。最初はあの喋り方や風体を馬鹿にする人がいたり、芸人と思われたりと、様々なことがあったのではないかと思います。普通に、進学して大学で研究を続け、学者への道を歩むというオーソドックスなやり方ではなく、全く独学でここまできました。「好きこそものの上手なれ」という諺を思い出しました。

☆レティシア書房・夏季休業のお知らせ  

勝手ながら9/11(日)〜15(木)休業いたします。よろしくお願いします。

 

 

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「新章パリ・オペラ座 特別なシーズンの始まり」(京都シネマにて上映中)は観客の鳴り響く「拍手」の音に、涙が溢れたドキュメンタリーでした。

2022年、バレエの殿堂パリ・オペラ座は、世界中の劇場がそうであったようにコロナ禍で閉鎖を余儀なくされます。映画はここから始まります。三ヶ月の自宅待機の後、同年6月15日にやっとレッスンが再開されます。

「1日休めば自分が気づき、2日休めば教師が気づく。3日休めば観客が気づく」という言葉がバレエ界にあります。多くの時間を割いて、そう人生の全てをかけて練習に明け暮れているダンサーにとって、満足に練習できなかった数ヶ月の後に始まった練習は大きな試練だったことでしょう。

けれども、また踊れる!という喜びに満ちたダンサー達の様々な表情をカメラが見事に捉えていきます。ぐんぐんと熱を帯びてゆくレッスン場。ヌレエフが振り付けた、極めて難易度の高い「ラ・バヤデール」の公演に向けて厳しいレッスンをこなしていきます。

しかし、再び感染拡大に伴い、開幕直前に公演中止という決定がなされ、たった一度だけ、無観客での舞台を配信するという形で上演されました。いつもならカーテンコールの際、ダンサー達は舞台から観客席に向かって深々と頭を下げて大きな拍手に包まれるのですが、無観客のため拍手は全くありません。およそ舞台に上がる表現者達にとって、観客の拍手こそがすべてのエネルギーの源なのです。それが全く聞こえない、終演後の空虚な舞台裏の空気感をカメラはじっと見つめます。

コロナが少し落ち着き、再び再開したパリ・オペラ座で上演されたのは「ロミオとジュエット」。ファンも待ちに待った舞台、もちろん満席です。ラストの万来の拍手。これほど素敵な拍手を見た、いや聴いた記憶はありません。拍手こそすべて。舞台を作るのは表現者と、そして観客なのだという真実を再認識させてくれました。コロナ禍が長引く今、舞台を愛するすべての人に捧げられた映画でした。

 

☆レティシア書房からのお知らせ

9月11日(日)〜15日(木)休業いたします。よろしくお願いいたします。


 

 

かつてナチスに加担した若者だった人々にインタビューした映画「ファイナルアカウント 第三帝国最後の証言」(京都シネマにて上映中)を見て、背筋がゾッとしました。それは、自分がいつでもその立場になり得るということを突きつけられたからです。

ヒトラー率いるドイツ第三帝国で行われたホロコースト。その現場を目撃した武装親衛隊のエリート士官、強制収用所の警備兵、ドイツ国防軍兵士、軍事施設職員、虐殺が実行された場所の近くに住んでいた人など、様々な人々が登場します。ホロコーストの被害者側のインタビューを中心に据えた記録映画はありますが、ドイツ人、あるいはオーストリア人など加害者側の証言だけで構成された作品は極めて珍しいと思います。

監督のルーク・ホランドは、祖父母がホロコーストの犠牲者であることを少年時代に知りました。そして、加害者に立つ人々が、どう戦後を生き延び、今どう思っているのかを、10年以上かけて丁寧にインタビューしてきました。

ヒトラーの時代への弁明、後悔、逡巡、などが彼らの口から語られます。インタビュアーでもある監督は、被害者側から加害者を追い詰めてゆくという方法ではなく、じっくりと彼らに接して、自然な発言を引き出してゆく手法がなかなかでした。

「人が焼ける匂いがしていた」「虐殺のことを口に出したりすると自分も殺される」そんな恐怖の中を生きて、何も言えなかった自分を責める人がいる一方で、今もヒトラーを支持している人もいました。エリート軍人として鍛えられて、カッコいい軍服を着て、戦争を生き抜いた人にとっては、ヒトラーの全てを否定することはそのまま自分の全人生を否定することになるのです。虐殺は認められないが、彼のやろうとした政治は間違いではない、と言わざるを得ないのも理解できます。

若き日の軍服姿の写真を誇らし気に見せる人、授けられた勲章を机の奥に大切に保管している人、エリート部隊は虐殺に関与していないときっぱり言い切る人。彼らの口調が激昂するでもなく、あまりにも自然な雰囲気なので、え?この人たち加害者の側にいたんだよね?ということを忘れてしまいそうになります。

上に立つリーダーが道を踏み外し狂いだしても真実がわからないまま、我々はいとも簡単に何度でも巻き込まれていくという恐怖を感じさせる映画でした。ルーク・ホランド監督は、映画公開直後の2020年6月に71歳で亡くなりました。

 

90分1カット。つまり映画が始まって、エンドマークが出るまでカメラは回り続け、画面が切れない。「ボイリングポイント/沸騰」(京都アップリンクにて上映中)は、クリスマス前の金曜日、最も忙しい日の人気高級レストランのとんでもない一夜を描いた映画です。ロンドンに実在するレストランで撮影をしました。

ブレディみかこさんが、この映画についてこんなことを語っています。

「この映画を見た翌日、英国でレストランに行った。『夕べ、あの映画を見たんです。』とウェイターに言うと、『あれはけっこう現実ですよ』とにやりと笑っていた。それぐらい英国では誰もが見た作品だ。あなたもきっとこれまでと同じ感覚ではレストランに座っていられなくなる。」

オーナーシェフのアンディは、妻子との別居騒動で疲労困憊。そんな時に限って、店へ衛生管理検査が入り、評価点を下げてしまう。それでも頑張って開店するのだが、予約過多のためスタッフはオーバーワークで、仲間同士でも一触即発状態。さらに、さらに、と怒涛のごとくトラブルが押し寄せてきます。レストランを動き回って怒鳴り散らしたり、なだめたりする姿を、カメラは延々と追いかけていきます。見ている方も、スピーディな展開にワクワクドキドキしながら、この店は今夜を乗り切れるのだろうか?と心配になります。

キャスターのピーターバラカンさんは「このレストランの一夜に我々の社会が抱える様々な問題が集約されています。」と語っていますが、イギリス社会の、例えば移民問題や差別問題などが顔を出します。レストランの裏側だけでなく、イギリス社会の隠れていた姿まで暴かれていきます。レストランの調理場だけが舞台なのに、もう破滅的に面白い!のです。

こういう展開の映画では、ラストでみんなが一致協力、なんとかピンチを切り抜け朝焼けの街を帰路につくみたいな作品になりがちなのですが、そうはなりません。で、ラスト。これは辛い!「アンディ!」の声とともに画面がフェイドアウト、さて、何が起こったのか?社会派エンタメ作品として超おすすめです。

☆7月27日(水)〜31日(日)「ワンコイン500円古本フェア」開催します。


 

この夏いちばん心ウキウキさせてくれた映画です!

「ロミオとジュリエット」「グレートギャッツビー」などの文芸作品を新感覚で映画化する一方で、「ムーラン・ルージュ」で音楽的センスの良さも披露したバズ・ラーマン監督だけに期待はしていましたが、もう期待以上でした。

アメリカポップス界の帝王とも言えるエルヴィス・プレスリーの生涯を描いた作品です。プレスリー かぁ〜オールドロックンロールの人だなぁ〜ぐらいの感覚しか私は持ち合わせていませんでした。大体、有名人の生涯を描いた映画って、子供時代から大人になって成功してゆくまでを順々に描いていきますし、それって退屈。でもでも、ご心配なく!監督はそんな野暮なことはしていません。

白人の貧しい家に生まれたエルヴィスは、黒人教会で行われていたミサに潜り込みます。そこでは、皆が大声で黒人霊歌を歌って、一種のトランス状態になっていました。その瞬間、彼は黒人音楽に脳天を打ち抜かれます。なんて、格好いい音楽なんだ!

そこから映画は一気に、場末のライブに出ている青年のエルヴィスに飛びます。そして、足腰を激しく振る独特のスタイルで歌い出します。その力強い美声とセクシーな姿に女の子たちが、熱狂するのも納得の主役オースティン・バトラーの演技です。そしてそこで、エルヴィスにとって最強で最悪の人物と出会います。生涯のマネージャーとなるトム・パーカーです。エルヴィスを世界的エンタテイナーに育て上げる一方で、酷使し、大金を巻き上げていたことがエルヴィスの死後明るみに出ました。演じるのはトム・ハンクス。そこまでやるか!という醜悪な悪役ぶりです。

エルヴィスは、ぐんぐんと人気が出る一方で、そのパフォーマンスが退廃的で黒人的だと指摘され、白人の保守層から糾弾され、妨害されます。エルヴィスの音楽の原点が黒人音楽にあったのだということを映画は見せてくれます。

オースティン・バトラーは、本物以上かもしれないと思うほどセクシーでクールなスタイルで歌い、踊ります。もう、彼を見ているだけで、心ウキウキですよ!この映画は、ぜひ劇場で見てほしいです。大画面で、いい音響装置を持っている劇場で見ないと損!!2時間半ほどの映画なのですが、監督のスピーディーな巧みな演出で疾走して、長さを感じることなく終わります。エルヴィスの人生と、彼が生きた時代のアメリカ社会の実態を描き、思っていたよりずっと厚みのある作品でした。

「時代が危険になってきたら、音楽に託せ」 搾取と差別の時代を生きたブルースシンガーが口にする言葉ですが、心に刻みたいです。

1991年、アフリカ東海岸の国ソマリアで内戦が勃発し、反乱軍が首都モガディシュを制圧。空港は封鎖され、通信網も遮断されます。映画「モガディシュ」は、そんな状況下、韓国大使とその一家が国外へ脱出する姿を描いています。悪戦苦闘する彼らのもとに、やはり大使館を構えていた北朝鮮の大使とその一行が駆け込んできて、共に脱出をせざるを得ないという、さらに大変な状況に陥ってしまいます。

事実を基に描かれているのですが、敵対していた両国のことゆえに、その顛末がなかなか公表されず、映画化に先立ちかなり入念なリサーチを行なったようですが、公開されるや否や、大ヒット。2021年の韓国映画No.1になりました。

敵対する両国の人間が、危機的状況の中でお互いに信頼感が生まれて、共に生きる道を探してゆく感動作なんだろうなぁ、などと推測された方、大間違いです!

最初はいがみ合っていて警戒していた彼らは、もちろん同じ民族なので、少しは距離を縮めていきます。しかし、北の人の南への、逆に南の人の北への不信感は、そう簡単になくなるものではありません。監督のリュ・スンワンは、そのあたりをかなりペシミスティックに描いています。

象徴的なシーンがありました。北朝鮮の人たちが韓国大使館に逃げ込んだ時、そこに韓国の子供達が遊んでいるキャラ人形がありました。北朝鮮のお母さんたちは、直ぐに自分の子供の目を塞ぐのです。あんな汚れたものは見てはいけない、と言わんばかりです。

イタリア大使館まで行けば、最後の救援機に乗れることを知った彼らは、反乱軍が支配する街中を車4台に乗って突破していきます。その時、北朝鮮大使が、韓国大使に向かって「ここには、いらない本はあるか?」と問いかけます。南の大使は「??」という顔つきです。

なんと、大使館にある本を片っ端から車に結びつけて銃撃から身を守る盾にします。さらに、木のドアの一部など使えるものを二重、三重に結びつけて、まるで戦車のように仕立てあげていきます。そして銃弾が飛び交う中を突破してゆく様を、もう笑ってしまうぐらい、これでもかこれでもかと見せてくれます。いや〜お見事。韓国アクションの真髄見たり!

そうして無事に空港へ到着し、最後にそれぞれのバスに乗り込む両国大使。握手でもするの?そんな野暮な演出はしません。分断された国家の人々の気持ちを一瞬の後ろ姿で見せます。今年見た映画(まだ上半期ですが)でベスト1のラストシーン。予想以上に面白い映画でした。

 

「万引家族」の是枝裕和が、韓国の役者とスタッフと共に韓国で撮影した「ベイビー・ブローカー」(京都シネマ他で上映中)は、とても優しい映画でした。酷暑が続く毎日ですが、ぜひ劇場に足を運んでいただきたい作品です。

クリーニング店を営みながら借金に追われるサンヒョンと、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンスは、土砂降りの雨の晩、若い女ソヨンが置いていった赤ん坊を連れ去ります。それが彼らの裏稼業、ベイビー・ブローカーなのです。翌日思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊が居ないことに気づき警察に通報しようとしたため、赤ちゃんを大切に育てる家族を見つけると言い訳しながら、二人はその場を取り繕います。しかし成り行きからソヨンも一緒に、養父母探しの旅に出ることになってしまいます。最初は口も聞かなかったソヨンでしたが、やがて二人と少しずつ心を通わせていきます。さらに児童施設の少年も加わり……。

これはロードームービーなんだということがすぐにわかってきます。旅をしていくうちにお互いを認め合い、いい関係を作ってゆくタイプの作品です。そのプロセスを、是枝監督はそれぞれの辛く苦しかった人生をはめ込みながら、彼らがひとつの「家族」になってゆく過程を描いていきます。その眼差しが実に優しい。そして、監督の意図を的確に把握してサンヒョンを演じた名優ソン・ガンホ(「パラサイト 半地下の家族」主演)が素晴らしい。こんな人に側にいて欲しいと思わせてくれます。

一方、ベイビー・ブローカーを検挙するため、ずっと二人を尾行している刑事スジンと後輩のイ刑事の張り込みシーンが何度も出てきます。そのスジンが、とても素敵な形でエンディングを飾ります。スジン役のぺ・ドゥナが、これまたとても上手い!

「万引家族」は傑作だと思いますが、個人的には繰り返し観たくなる作品ではありません。でも、この映画は何度お付き合いしてもいいよねと思いました。リアルに、厳しい今の世界を描きながら、希望があります。

ラストの余韻にずっと浸っていたい!

 

 

ブルース・チャトウィンは1940年イギリス生まれの作家ですが、変わった経歴を持っています。オークション業界最大手サザビーズで美術鑑定士を務め、コレクターとして成功を収めたのち、大学で考古学を学び、各地を歩き回りました。1978年「パタゴニア」で作家デビュー。その後、「ソングライン」「ウッツ男爵」と作品を発表しますが、89年HIVのため死去しました。49歳の人生でした。

クセのあるスタイルに熱烈なファンも多く、「パタゴニア」や「ソングライン」は入荷しても、すぐに売れていきます。そんなチャトウィンのドキュメンタリーを、ニュー・ジャーマン・シネマの中心的存在のヴェルナー・ヘルツォークが監督しました。個人的にこの人の映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」や「フィッツカラルド」が大好きだったので、大いに期待して映画館へ行きました。

チャトウィンは、幼い時に祖母の家にあったブロントザウルス(ジュラ紀後期に存在した草食恐竜)の毛皮を見つけたことをきっかけに、先史時代に興味を持ち、世界中を探索します。そして、自分の足で未知の国を旅して、歩いて、小説を書く、というスタイルを確立します。「パタゴニア」は南米を、その後アボリジニ神話に興味を持ったオーストラリアの辺境を、歩き始めます。HIVに感染していたことを知った彼は、死期を悟ったアボリジニが生を授かった土地へと回帰することを学びます。そして自らの死を、どういう風に迎え入れるかを探りながら、「ソングライン」を書き上げます。

荒涼たる風景を的確な描写で描いた「パタゴニア」は面白く読みましたが、「ソングライン」はどうにもよく理解できず、途中で放り投げた経験があったのですが、映画を観て、そういうことだったのか!と納得しました。

チャトウィンと親交があったヘルツォーク監督が、彼の足跡を辿るように旅をして、そこで彼が見たもの、聞いたものを映像化したものを見て、私たちもチャトウィンを追体験していくのです。チャトウィンが10代の頃に足繁く通ったイギリスの古代遺跡、妻と暮らしたウェールズ、そして南半球へとカメラは旅を続けます。

「ノマディズム/放浪」に魅了されていたチャトウィンの世界を、見事に映像化した映画だと思いました。「歩いて世界を見る」ということの深い意味を知るためにも映画館に「足を運んで」いただきたいです。

映画にも登場するニコラス・シェイクスピアによる分厚い伝記「ブルース・チャトウィン」(角川書店/新刊4950円)も入荷しました。