京都シネマで朝、一回上映の名画リレー(京都シネマ会員は500円!)作品「アイ・イン・ザ・スカイ世界一安全な戦場」を観てきました。ポリティカルサスペンスの傑作で、一秒も画面から目を離せない映画です。現代の戦争の一断面を、サスペンスいっぱいに描いただけの映画かというと、そうではないところが妙味です。

舞台は現代のナイロビ。その上空6000mを飛ぶ無人偵察機ドローンの「空からの目」が、テロリストの動向を探っています。凶悪なテロリストたちが、大規模な自爆テロを実行しようとしていることをつきとめ、その隠れ家をドローン搭載のミサイルを使用して爆撃しようと英国、アメリカの軍人たちは動きます。ところが、そのテロリストのアジト前で、近くに住む少女がパンを売っている。この少女を犠牲にして、爆撃を敢行するのか否かを巡り、軍部と政治家の熾烈な駆け引きが始まります。

即時爆撃を主張するイギリス軍のキャサリン大佐と、少女を巻き込むことに逡巡して、英米政治家が、法的責任を巡ってタライ回しを始めます。この辺りのやり取りを、映画は極めて冷静に描いていきます。大義なき戦争を始めておいて、少女1人の命の重さも今更ないだろうと思うのですが、その矛盾を抱えたまま映画はどんどん進みます。

この軍人も政治家も、戦場から遠く離れた場所で、ドローンから映し出される映像だけを見て判断しています。「世界一安全な戦場」というサブタイトルそのままです。私たち観客も、この映像を凝視しながら、無意味な戦争への参加を余儀なくされます。

椅子に坐って、空調の完備された空間にいる軍人、政治家たちの中で、実際にドローン搭載ミサイルの引き金を引くアメリカの軍人が悲惨です。目の前に広がる惨劇を目にした彼が、おそらく精神に変調をきたし、普通の人生から逸脱してゆくことを予感させる様な表情でスクリーンから消えていきます。もちろん、この少女にも未来はありません。

殺戮の実感を伴わない現代の戦争の、ゾッとする姿を垣間みたような作品でした。

 

サスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコックの個人的ベスト3は、「北北西に進路と取れ」、「鳥」そして「サイコ」ですね。「鳥」も「サイコ」もほらほら、出るぞ〜キャー!コワイ〜的な映画なのですが、そこへゆくまでの描写で、ヒロインを付けねらうスケベ根性丸出しのカメラ演出が傑出しています。

例えば「鳥」でヒロインが、ちょいと気になる男の家をふいに訪ねるシーン。金髪がフワリフワリと揺れる後ろ姿を執拗に追いかけます。そのカメラの動きが、妙に卑猥です。「サイコ」は、もうのっけから、安っぽいホテルで情事に耽った後の二人を覗き見するようにカメラが室内をなめ回します。主演のアンソニー・パーキンスが、自分が経営するモーテルに泊ったヒロインの下着姿を壁の穴から、やはり覗き見するシーンも、これまたドキドキするいやらしさです。

スティーブン・レベロ著「アルフレッド・ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ」(百夜書房/初版1300円)は、世にいうサイコスリラーの原点になった「サイコ」が公開に至るまでを詳細に追っかけたノンフィクションです。そして、これはそのまま、ハリウッドの映画資本家に映画監督が、いかに知恵を駆使して、自分の映画を作り上げるかという苦闘の物語でもあります。

この映画で話題となった、風呂場で女性が刃物で惨殺されるシーンについての記述を読むと、いかにこのシーンに心血を注いでいたのかが理解できます。僅か45秒の殺人シーンですが、全世界が凍り付いたのも当然です。

このシーンを巡って、映倫がやれ乳首が見えただの、乳房が見えただのと難癖をつけて撮り直しを迫っています。しかし、当時のスタッフは「ヒッチコックは裸を見せるのではなく、裸を匂わせたがっていました。」とこの本で証言しています。結局ヒッチコックはのらりくらりの映倫の追求をかわして、そのまま使用しました。本には、風呂場のシーンも含めて多くのシーンが収録されていますので、それを見ながらお読みください。

ヒッチコックの映画は、その後の多くの作品に影響を与えていきます。「JAWS」は「鳥」の、「ローズマリーの赤ちゃん」は「サイコ」の影響下にあることは明らかです。映画だけでなく、日頃何気なく見ているTVのサスペンスものも、お手本は彼の映画です。まだ、「サイコ」未見の方は、是非見て下さい。そうすれば、あ、これ「サイコ」のパクリだ!と思わず口にでる場面に出会うはずです。

俳優イーサン・ホークが、監督した「シーモアさんと、大人のための人生相談」(京都シネマにて5日まで)は、良いドキュメンタリー映画です。

シーモアさんって?

シーモア・バーンスタイン、1927年生まれのピアニストです。ピアニストとして世界的名声を得た50代半ばで引退し、89歳の現在までNYのマンションで一人暮らしをしながら、ピアノ教師として多くの生徒に教えています。シーモアさんが「人生とは」などと、延々しゃべる野暮な映画ではありませんので、ご心配なく。

マンションのピアノに向かうシーモアさん、いいなぁ〜この部屋。豪華ではないのですが、きちんと片付けられた家財道具、間接照明で浮かび上がる壁に掛けられたアート。コンパクトで清潔そうな台所。優しく、深く人の心にはいってくるピアノの音は、こんな部屋での暮らしが醸し出しているんだ。静かな夜空、ゆっくりと波が満ち欠けする海辺が与えるような、リラクゼーションと同じものかもしれません。

監督のイーサン・ホークは、人生の折り返し点に立ち、役者として、クリエイーターとして、ハリウッドで生きることに行き詰まりを感じ、悶々としていたそうです。彼がシーモアさんに出会い、いかに生きるかを知り、シーモアさんの素晴らしさを多くの人に知ってほしいという思いで映画を制作しました。魑魅魍魎が跋扈するアメリカ映画界にいながら、真面目で誠実な彼の姿勢が伝わってきます。

真剣に一つのことを極めようとしている人の言葉と、シーモアさんが紡ぎ出すゆったりとしたピアノの一つ、一つの音を味わってもらいたいものです。音楽と共に生きる、こんなにも豊かな世界があるのだと。

「夜空の星座が普遍的秩序を目で確認できる証拠ならば、音楽は普遍的秩序を耳で確認できる証拠と言える。音楽を通じて、我々も星のように永遠の存在になれる。音楽は悩み多き世に調和しつつ、語りかける。孤独や不満をかき消しながら。音楽は心の奥にある普遍的真理、つまり感情や思考の底にある真理に気づかせてくれる手段なのだ。」

と文章にすると堅苦しいのですが、シーモアさんは、ゆっくりとした口調で微笑みながら語りかけてくれます。

圧巻はラスト、35年ぶりに開かれた小ホールでのコンサート。ピアノの向こうにはNYの街並みが見える所で、シューマンの「幻想曲」を弾くところでしょう。(6月に発売されるDVDには、そのフルバージョンが収録されているとか)心が解放される瞬間です。クラシックをあまり聴かない人も大丈夫。ひたすらシーモアさんの滋味豊かなピアノの世界を楽しんで下さい。

エンディングの彼の台詞が素晴らしい!!漫画家のさそうあきらが「あんな言葉を残して僕は死にたい」には100%同感です。GW、映画を見に行く予定のある方にはラインナップに入れて欲しい一本です。

 

★勝手ながら、5/8(月)、9(火)連休いたします。

 

京都シネマで上映中の「マン・ダウン」という映画を観てきました。

アフガニスタンに派遣された、海兵隊の兵士の帰国後が描かれているのですが、彼のホームタウンが廃墟と化して、愛する子どもと妻が行方不明。彼らを探す物語かと思ったら、全く違っていました。実験精神溢れる映画でした。

物語が多重に進行していきます。廃墟に立つ兵士のシーン、海兵隊に入り戦地へ赴くシーン、戦地での上官の彼に対する査問シーン、そして、パトロールに出かけた先で起こった彼が体験したシーンが、ほぼ同時に進行していきます。各シーンの画調を、巧みに変化させているところが監督の技です。

兵士には、小学校低学年の子どもと妻がいます。二人を残して、派遣された戦地でゲリラに襲われます。その時、銃撃してきた所を目がけて、滅茶苦茶に銃弾を放ちます。敵が隠れていたと思われる毛布を取り上げたら、なんとそこには、小さな子どもと母親が、血だらけで死んでいました。この事件と、さらに現場で死亡した親友の隠された過去を知ったことで、恐怖体験が彼の心に深い傷を与え、PTSDという精神疾患にかかってしまいます。

そして、帰国、しかし、何故か故郷は廃墟、人っ子一人いません。何故?という疑問などお構いなしに映画は進みます。

今まで、戦争で受けたPTSDに苦しむ兵士の姿は、多くの映画で描かれてきました。その殆どは、役者の身体表現で伝えられてきました。しかし、「マン・ダウン」は違います。この廃墟は、主人公の脳に植え付けられた世界なのです。現実の彼の故郷では、市民が普通に暮らしているのに、彼には、そこが終末を迎えたゴーストタウンにしか映りません。そして、ここで彼がやることは、行方不明の彼の息子(実際には息子は普通に日常生活を送っています)を探し出すことなのでした。

息子が、誘拐されて囚われの身となっていると思いこんだ彼は、助け出そうと激しい銃撃戦を展開します。しかし、それは息子を無理矢理連れ出そうとしている男の妻が、恐怖におののいて警察に連絡したからです。主人公にとっては、愛する子どものための闘いなのですが、実際は警察相手に撃ち合いをするという、凶暴な男でしかないのです。当然、ラストが幸せにクローズするわけないのはお分かりでしょう。

観客はPTSDに苛まれる世界を、彼と共に生きることを余儀なくされるという手法で、戦争の傷跡を追体験することになります。映画自体にやや強引さもありますが、前代未聞の表現方法です。

そして、ラスト、こんなテロップが流れます。

「戦地から帰還した兵士の5人に1人がPTSDに悩み、20万人以上がホームレスとなり、11人に1人が自殺未遂をしている」

戦争とは、かくも自国民を傷つけるということを「最強の空母を派遣した!」とか「潜水艦もいるぞ!」とか自慢げな大統領も、ミサイル撃つぞ!と息巻く主席も、一体ご存知なのだろうかと思ってしまいます。

映画館には、たった4人しかいませんでいたが、勿体ない、こんな映画があったなんて!(28日まで上映されています。)

 

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ミア・ハンセン=ラブ監督、イザベル・ユベール主演の「未来よ、こんにちわ」は、のっけから驚かされるフランス映画でした。

ユベール演じる高校の哲学教師が学校に行くと、学生がストライキ中。フランスの労働政策への不満をぶつける学生達の間をすり抜けて先生が登校します。でも、学校側が学生たちを弾圧するでもなく、ましてや警察なんてどこにもいません。そんな事もありますね、みたいな感じで授業開始。とても、今の我が国では考えられません。

または、この教師の娘が父親と会話するシーン。喋りにくそうにしている娘にむかって、父親が「妊娠か?」と問いかけます。そうではない、と答える娘に「じゃあ何だ?」。娘は「お父さん、浮気しているでしょう。その女性かお母さんかどちらか選択して」とズバリ斬り込みます。

映画は、そんな事こんな事おかまいなく、テンポ良く進行していきます。哲学教師どうしの熟年離婚になってしまった女性は、夫の告白に唖然としながらも、淡々とした雰囲気で生活を続けます。別れ話を持ち出した後、夫が贈った花束を、何よこれ!と捨てるシーンにだけ、感情が爆発しますが。

老いて、少し認知症のある母親と主人公の確執だけでも、一本映画になりそうな展開なのですが、これまた、淡々と描いていきます。そういうことも、こういう事もあるのよね、と時の流れを受け入れて生きる一人の女性を描いていきます。ラストもフランス映画的なエンディング。出会いがあり、別れが来て、今日が終わり、明日が始まる、私の人生にも、アナタの人生にも。だから、頑張りましょうなんて野暮なことも言いません。名曲が彩りをそえてエンドマーク。

突き放すわけでもなく、べったり寄り添うわけでもなく、人が生きるのは、こんなもんよ、目の前の一つ一つを、その時々に、自分の頭で考え選んでいく。おひとりさまは自然な事、でも愛しい私だけの人生、をスケッチ風に描いた映画です。

社会学者の上野千鶴子は、この映画をこう評価していました。「ひとりの孤独と充実を内に、初老の女が草原に立ち尽くす風景は心に刻まれる」と。

 

監督のミア・ハンセン=ラブは81年パリ生まれ。両親共哲学の先生だったとか。多分に自伝的要素も入っているかもしれません。

★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。

売れ行き急上昇中(といっても小さな店ですんで、そんなに冊数は多くない)の2冊、つばた英子、しゅういちご夫婦の「ときをためる暮し」「ふたりからひとり」(どちらも自然食品通信社1944円)が、「人生フルーツ」というタイトルでドキュメンタリー映画として今月末に京都シネマで公開されます。この本については、以前に店長日誌にて取り上げましたが、「暮らす」ということの理念が平易な文章で語られている、どの世代にもお薦めできる中身です。

一方、帯広発のミニプレス「スロウ」最新号(905円)にも、つばたさん夫妻と同じように、日々の暮しを丁寧に紡いで生きる歓びを見出している宮本さん夫妻が紹介されています。

札幌で暮らしていたご夫婦が、子供たちの独立を切っ掛けに、田舎暮らしを考え始めたのが2003年。それから試行錯誤の後、なんとログハウスを自分で建ててしまったのです。そして、畑をやりながら、二人で質素だけれども、豊かな暮しを楽しんでおられます。面白かったのは、付箋がベタベタと貼付けられた図鑑類の写真です。ご主人曰く、引っ越してきた時は、山菜の名前も、キノコの種類も、ましてや野鳥の名前なんかも全く知らなかったとか。この記事を書いた記者はこう想像しています。

「すっかりボロボロになった何冊もの図鑑にはたくさんの付箋が貼られていて、いろいろな書き込みがされていた。動植物の名前をひとつづつ知ることも、大きな楽しみになっていることだろう。」と。

スマホ、ネットではなく、紙に図鑑というところが嬉しいですね。鳥の図鑑には、その鳥が庭に訪れた日時が書かれていて、使い込まれた図鑑の写真には親しみを感じました。

創刊50号を迎える「スロウ」は内容盛り沢山で、すべて紹介したいぐらいですが、興味深い記事をご紹介します。それは、「たねたね交換会」です。

野菜の産地は気にするものの、それらの種の産地は気にしないでいいのか、という疑問から始まった交換会は、種の物々交換の場であるばかりでなく、食に対する価値観を分かち合う場所になっています。ルーツを探れば海外からの輸入種であったり、農薬付けだったりする事もあるとか。本来、百姓という言葉には「百の仕事ができる」という意味があり、農家は種取りができて当たり前でした。しかし、今は種苗会社がその仕事をしていて、農家は外されています。だからこそ、種から選び、自分たち育てたいものを作ることで、本当に安全なもの、本当に美味しいものが出来上がる。そんな価値観を持った人達が情報を共有し、より広いネットワークを形成することを目的にしています。

「スロウ」は北海道発信の情報誌ですが、しっかりと暮らしを見つめた本で、誰が読んでも納得がいくと思います。

 

★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。

今年81歳になるイギリスの至宝ケン・ローチ監督の新作です。

1969年発表の「ケス」以来、ひたすら母国の下層階級の人達の姿を描いてきた監督は、前作「ジミー、野を駆ける伝説」で引退を表明していました。しかし、一向に改善されないイギリスの労働者救済システムの前に苦しい生活を強いられる人々の姿を見て、再度メガフォンを取りました。

ローチの作品は辛く、悲惨な世界です。しかし、99.9%絶望的であったとしても、僅かの希望を残してくれます。だから、安心して観ていられます。悲しい気分のまま映画館を出るような作品ばかり作っていたら、きっとこんなに世界的に認められることはありません。

この映画の主人公は、心臓に病気を抱えたベテランの大工。失業保険や、生活保護を受給するために役所を回りますが、硬直したお役所のシステムに阻まれてしまいます。この辺りの細かい描写は、イギリスの現実を映し出しているのでしょう。とてもリアルです。彼は、ある時、ロンドンから引っ越してきた二人の子持ちのシングルマザーと出会います。彼女もなかなか仕事が見つかりません。空腹に堪え兼ねて、食料配給所で、突如缶詰を開けて調理もしていない中身に食らいつくシーンは胸が痛くなりました。そこまで追い込まれている人達が少なからず存在しているのです。リアリストのローチならではのシーンです。

物語は、大工と、この家族の交流を軸に進んでいきます。もちろん、ステキでハッピーなエンディングなんて、期待できません。けれども、ここから映画は現実を超えて、人間の尊厳へと向かっていきます。オリジナルタイトル「I,DANIEL BLAKE」」は、格差社会の成れの果ての無慈悲な現実が、人としての尊厳を奪い取ることへの抗議と怒りです。そして、それでも人間への愛しさを表現した形で終わらせるラストは、感動的です。自分が困っているのに、さらに困っている人の手助けをする主人公の姿が、リアルに迫ってくるなんて映画なんてめったにありません。

★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。

高校時代、私は映画研究部にいました。毎週、大阪にあった映画配給会社を回っては、最新映画のチラシと割引券を貰って、学内で配布していましたが、大阪中之島周辺に、海外の映画会社に交じって、日本の配給会社が二つありました。東宝東和と、日本ヘラルド映画。どちらも、ヨーロッパの匂いがする会社でした。ヨーロッパもアメリカも、遥か彼方の国だった時代、この会社を訪れる瞬間は、一足飛びにアメリカや、フランス、イタリアに行った気分になったものです。

そのヘラルド映画の作った映画チラシ、ポスターを元に、会社の全貌を捉えたビジュアルブック「日本ヘラルド映画の仕事」(PIEインターナショナル3456円)が入荷しました。ゴダールらのヌーベルバーグ一派の映画も、アラン・ドロン主演映画もこの会社が配給していました。ゴダールの「男と女のいる舗道」のポスターなんて今見ても、クールです。「さらば友よ」、「地下室のメロディー」等アラン・ドロン主演のフィルムノワールの作品がヘラルド映画配給で公開され、ガキだった私も痺れました。黒いスーツってこんな風に着るんだと、自分の顔のことは忘れて納得しました。

もちろん、アメリカや日本映画の配給も行っていて、映画の魅力を教えてくれた会社だといっても過言ではありません。チラシの宣伝文句も見事でした。

「海から来た男の潮の香り……..少年はその香りに憧れた 母はその香りに身をまかせた」

これ、三島由紀夫原作「午後の曳航」の日米合作映画のうたい文句です。この文句に惹かれて原作を読んだ日々を思いだします。

或は、「めくるめくる光の中で父を殺め…….王冠の下で母を抱いた…….白日がえぐりだした華麗なる残酷」の言葉通り、灼熱地獄を味わった「アポロンの地獄」も思いだしました。

ビジュアルにも、宣伝文句にも文学の香りが一杯でした。そして、「唇に愛の華咲きほころばせ、昼下がりの光にさえ肌を許す背徳のおまえー」なんて恥ずかしくて口にだせない言葉で大勝負して、多くの女性が大挙して映画館に殺到した「エマニュエル夫人」等々、当時の映画人のセンスとアイデアが満載の一冊です。

会社名の「ヘラルド」という言葉には「先駆者」という意味があります。その通り、この会社は時代を切り開く作品を紹介してきました。最たるものは、ベトナム戦争を丸ごと描き出した「地獄の黙示録」の日本公開でしょう。後半、錯綜する映画の哲学的展開は、一般には受けないという大方の予想を裏切って大成功に導いた、公開までの道程のドキュメントは映画ファン必読です。なおこの本の初版には、特典として、1970年東京有楽座で上映時に使用された70ミリ・プリント現物のフィルム2コマが付いています。「地獄の黙示録」フリークスなら、持っていなければいけませんぞ!

カレン・ジョイ・ファウラーの「ジェイン・オースティンの読書会」(白水社/絶版900円)を読む前に、映画化された作品を観ました。大味な映画ばっかりのハリウッド映画にしては、小粋で、ラストのハッピーエンディングも、思わず、そりゃ、良かったと拍手したくなる「お後がよろしいようで」的幕切れでした。

ジェイン・オースティンは1700年代後半から、1800年代初頭にかけて活躍したイギリスの小説家です。イギリスの田舎の中流社会を舞台にして、そこに生きる女性たちを生き方を描き続けました。主要作品は「分別と多感」、「高慢と偏見」、「エマ」、「マンスフィールド・パーク」、「ノーサンガー僧院」、「説得」です。

映画は、この主要6作品を世代も、生き方も異なる女性たち5人と、そこに巻き込まれた1人の男性が、皆で読書会をする様子を描いていきます。彼女の小説がポンポンと飛び出してきますが、読んでいなくても大丈夫。オースティンの人生を追っかける映画ではなく、あくまでも今を生きる彼女たちと男性の人間模様を追っかけるのがテーマだからです。離婚、失恋、破局などに遭遇しながら、オースティンの小説を読み語り合うことで、ちょっと前向きに生きていこうとする姿を、オ−バーな演出を押さえていて好感がもてます。

「私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンを持っている」

という書き出しで小説は始まります。登場人物の過去が出てきたりして、より陰翳の深い人物像が浮かび上がってきます。もちろん、オースティンの小説もふんだんに登場します。映画版の、ロビン・スウィコード監督は、その部分をカットして、ビビッドに今日を生きる彼女たちを、共感を持って描いていきます。監督は64歳の女性。きっと、伝統的なハリウッド映画を吸収し、新しいアメリカ映画、例えば「結婚しない女」「グリニッッジ・ビレッジの青春」「アリスの恋」等を青春時代に見ながら、自分のスタイルを作ったんじゃないかな、と同世代の私としては感じました。

もうひとつ、エンディングタイトルが素晴らしい。そのままメイキングになっています。音楽のセンスもお見事。映画の中で、こんな古書店も登場します。お見逃しなく。

お知らせ  「Wa! 京都を発掘する地元メディア」で、レティシア書房を取 り上げてもらいました。

 

 

 

話題の映画「ラ・ラ・ランド」観てきました。

アカデミー賞最優秀作品賞発表の場で、間違って受賞!と発表されるという前代未聞の珍事もありましたが、これは文句なく良く出来た、人を幸せにしてくれて、ルンルン気分で劇場を後にできる映画でした。

弱冠32歳のディミアン・チャゼル監督の、オリジナルストーリーのミュージカル映画。彼が愛したミュージカル映画へのオマージュを散りばめてあるのですが、特にフランスのジャック・ドミーの傑作「ロシュフォールの恋人たち」への愛着がバンバン伝わってきます。高速道路の上で、踊り出す群衆をスピーディーなカメラワークで見せるオープニングからして、もうロシュフォールの世界ですね。粋で、洒落ていて、音楽がチャーミングで、あっ、もうこの映画言うことなしみたいな気分で、ゆったりとシートに腰を落ち着けて、安心して観ていました。

50年代、アメリカのミュージカル黄金時代を支えたMGM映画の数多くの作品から、踊り、歌の名場面をピックアップした映画「ザッツ・エンタテイメント」は、私の大の気に入りで、非常時に持ち出すDVDの一本です。でも、当時のミュージカル映画って、本編を観ると、けっこう退屈なんですね。終始笑顔だらけの登場人物ばっかりの場面や、WASPのお金持ちのハッピー・アメリカン・ライフにはウンザリしてきます。(トランプ翁の理想的アメリカンってこんな感じ?)社会問題を持ち込んだ「ウエストサイドストーリー」さえも、私には大げさすぎでした。

しかし、チャゼル監督は、その辺り、バッチリ心得ています。展開がスピーディーです。ダンシングシーンもダラダラやらない。主演の二人の恋愛模様もベタベタやらない。だから、ミュージカルなんて退屈と思っている方も大丈夫です。そして、ラスト10分間が洒落てます。この二人は、やっぱハッピーエンドだよなと思っていたら、そこから始まる、ビター・スィートな人生のIfの物語。もし、あの時、ああだったら…….。でも悲しい涙のエンディングにしないところが監督の腕ですね。ヒロインを演じるエマ・ストーンの微笑みが、なんとも素敵です。

監督の前作「セッション」は、ジャズドラマーを目ざす青年の姿を直球一本勝負で描いたために、賛否両論でしたが、今回は変化球も巧みに投げながら、酔わせてくれます。ほれ、幸せな2時間やったやろ、と言いたげな監督の顔が浮かんできます。

★ところで、レティシア書房はおかげさまで丸5年を迎える事ができました。2012年3月6日、雨あがりの暖かな日、あの日の思いを忘れずに6年目に突入いたします。今後ともよろしくお願いいたします。(店長&女房)