1973年、全世界で9000万人の目をくぎ付けにしたテニスの試合がありました。(日本でもダイジェスト放送があったみたいです)女子テニスの世界チャンピオンのビリー・ジーン・キングと、元男子チャンピオンのボビー・リッグスが対戦する試合です。なんで女子と男子が試合を?

70年代、あらゆる場面での男女平等を求める運動が全米で起こっていました。プロテニスの世界でも女子の優勝賞金が男子の1/8でした。不平等に抗議して、ビリー・ジーンは、仲間と共に“女子テニス協会”を立ち上げ、自分たちでスポンサーを探し出して、女子テニス界の待遇改善を図ろうとします。

一方、いかにも紳士然した業界の大御所たちは、あくまで男性優位を譲りません。そんな対決の姿勢に金儲けを企んだのが、元世界チャンピオンのボビー・リッグスでした。俗物のボビーの挑戦にビリー・ジーンは、当初は無視するのですが、一方的な男性優位主義を押し付けてくる男たちに、もうそういう時代ではないのだということを知らしめるためにも、彼女はこの挑戦を受けます。

彼女には、優しい夫がいましたが、実はレズビアンでした。当時は、今では考えられないほど同性愛に対するバッシングが凄まじかったのです。この試合は、単に男女の力の差をみせるゲームを超えて、政治や社会、学校や家庭における女と男の関係までも変えてゆく様相を呈していきます。そのプロセスを描いたのが「バトル・オブ・セクシーズ」です。

ビリー・ジーン役には、大ヒット作『ラ・ラ・ランド』で見事オスカーに輝いたエマ・ストーン。実際のビリー・ジーン・キングのように、前をしっかり見据えた優しく強い女性を好演しています。ボビー・リッグスには、『フォックスキャッチャー』でオスカーにノミネートされたスティーブ・カレル。俗物度満点の“全女性の敵”を、いやらしく、時には哀愁を漂わせて可愛く、たっぷり演じきります。

心に残ったのは、ビリーの試合のユニフォームをデザインするテッドという男性です。彼もまた同性愛者で、おそらく仕事の場面などでも、差別や迫害を受けているはずです。そんなことは少しも顔に出さず、彼女を見守り、ラスト、世紀の試合を終えた彼女を祝福し、これからは自分らしく正直に生きることができる時代が、きっとやってくるよと微笑みます。男も女もありのままに生きてゆくことができる未来が来ることを、暗示させるエンディングでした。演じたのはアラン・カミング。ゲイカップルが、育児放棄された少年を育てる「チョコレートドーナッツ」で、ゲイのミュージシャンを演じていました。優しさと深い人間性が、ひとつひとつの表情に滲み出ていて、素敵でした。

 

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。

 

 

山田宏一と言えば、フランス映画を中心にしたヨーロッパ映画の批評で著名な評論家です。著書も多く、当店にある「山田宏一のフランス映画誌」(ワイズ出版/古書1800円)は、600ページにも及ぶ、監督別のフランス映画紹介の傑作です。

そんな山田が「NOUVELLE VAGUE/ヌーヴェル・ヴァーグ」(平凡社/古書2100円)という写真集を2013年に出していました。なかなか面白い写真集です。

「私はもちろんプロの写真家ではなく、ましてやアマチュアの写真家ですらありません。1960年代、フランス滞在中にヌーヴェル・ヴァーグの映画人と知り合い、活気にみちた映画的環境に誘われ魅せられて、初めて写真を撮ったのです」と序文で書いていますが、ジャン・ルック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ジャック・ドゥミーら、新しい感覚の映画人たちが製作する、現場の熱い雰囲気が伝わってきます。山田がプロのカメラマンではなく、熱心な映画青年だったために、あ、これ映画的!というセンスでシャッターを押しています。ゴダール映画に出ていたアンナ・カリーナを控え目に撮った写真には、山田の彼女への愛情が感じられます。

おお〜、これは!!と感激したのが、ドゥミーが「ロシュフォールの恋人たち」を製作している現場の写真の数々です。出番のなかった主演のフランソワーズ・ドルレアック&カトリーヌ・ドヌーブ姉妹が、普段着で撮影現場に来ているところ(写真右)なんてレアです。普段着でもやっぱり美人姉妹です。当時24歳だったフランソワーズ・ドルレアックが現場に現れた写真(写真左)は、若いのに大人の風格を漂わせた彼女を見事に掴まえています。残念ながら、その1年後事故で亡くなってしまうのですが……..。

その次に登場するのは、「トリュフォーの思春期」の現場です。子供が大好きだった監督のトリュフォーが素人の子供たちを大勢使って、ほぼ即興で取り上げた映画です。子供たちに囲まれたトリュフォーの幸せそうな表情が素敵です。映画の撮影現場にはとても見えないくらい、生き生きとした表情の子供のキラキラした一瞬を捉えていて、素人カメラマンとは言えない出来映えですね。フランス映画ファンには見逃せない写真集です。

 

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催

★★ネイチャーガイド安藤誠氏の「安藤塾」は10月27日(土)に決まりました。参加ご希望の方は電話、メールにてご連  絡下さい

 

 

今週は映画館で、二本の映画を観ました。一本目が、昨日このブログに書いた「万引き家族」、そして今日ご紹介するのは「焼肉ドラゴン」です。どちらも、家族の姿を通して時代を描いた素晴らしい映画でした。

「焼肉ドラゴン」の舞台は、昭和40年代の大阪。伊丹飛行場の傍に在日朝鮮の人々が住んでいます。そこにある焼肉店「焼肉ドラゴン」の家族が主役です。高度経済成長に浮かれている時代の片隅へと映画は誘います。

この店は亭主・龍吉と妻・英順がやりくりしています。二人には静花、梨花、美花の三姉妹と一人息子・時生がいます。場末の焼肉店には、騒がしい客が出入りしていて、次女の梨花が、飲んべえの哲男と婚約するところから物語は始まります。

TV「寺内貫太郎一家」なみに、騒がしく、喧嘩も、笑いも絶えない店ですが、戦争に無理矢理徴兵され、故郷を追われ、その上に左腕をなくした龍吉、小さい時にある事件で足に傷を負った静花、学校で虐められている時生、梨花と静花の葛藤、美花の恋愛などそれぞれに抱えている問題が明らかになって来ます。さらに、この地域は不法占拠だと国から立ち退きが迫られます。在日朝鮮人の置かれた辛い現実がしっかり描かれています。

そんな中でも、龍吉は“たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる”と、いつもの口癖で空を見上げます。本音をとことんぶつけ合う家族。我が儘で、情けなくて、哀しくて、優しい、マァうるさい毎日です。でも、みんな一生懸命です。飛び交う言葉のひとつ、ひとつに生きる力が漲っています。

昭和45年。大阪万博が開かれました。夢と希望の未来を祝福するかのように開催された万博。月の石みたさに何時間もアメリカ館に並んだことを思い出しますが、この家族達も出掛けていきます。しかし、その一方で、一家離散の始まりの時でもありました。彼らは悩みながら自分に正直に、それぞれの道を探し出して別れていきます。もう、永遠に会えないかもわからない。でも、龍吉はいつもの口癖を言いながら、妻を大八車に乗せて、長年親しんできたこの地を去ってゆきます。龍吉を演じたキム・サンホ、妻を演じたイ・ジュウンの大きさ、優しさを見ているだけで、この映画は価値があります。もう、人生、どんとこいですよ。

作家の小川洋子は「互いの痛みを互いの痛みで癒し合うしかない家族。彼らがいとおしい。ひたすらに生きている、というただそれだけの理由で。」とこの映画について書いています。「ひたすら生きている」という言葉が胸にせまる傑作です。

関西人でもないのに、大阪弁で罵り合っていた大泉洋、真木よう子、井上真央、桜庭ななみ等、役者が揃い、泣きながらとても楽しませてもらいました。

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)

店内にて開催(月曜定休日)

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TVの情報番組で、有料のお台場花火大会の事を報道していました。なななんと、数万円の席もあり、ディナーを楽しみながら花火を見るというイベントです。ほぼ満席のように見えた会場には、それなりにリッチな若者や家族が一杯でした。日本の今の富裕層の一端がこれだとすると、是枝監督最新作「万引き家族」の主人公たちは、その真逆の貧困層の人達です。格差社会を象徴する物語です。

高層マンションに囲まれたような狭い土地に住む一家。祖母の年金と細々とアルバイトしながら生活する長女とその夫、性風俗店で働く次女、そして長女の子ども。長女の夫とその息子は、見事なコンビネーションで万引きを日々やっています。映画はそのシーンから始まります。「仕事」の帰り道、二人はDVを受けてアパートの廊下に放っておかれている女の子を、家に連れて帰ってきます。

清潔とは言いがたい、散らかし放題の狭い家に、さらに一人増えたことで、最初は不協和音が生じるのですが、やがて家族の一員として受け入れられます。身代金とか要求してないから、これは誘拐ではないという理屈で、表面上は、それなりに楽しい一家の生活はつづいていくのですが、この家族には、全員に秘密がありました。夏の海辺の一日、端から見ていると平和な一家団欒にしか見えない。ところが、祖母が急死したことから、影が覆い被さってきます。皆を支えて来た祖母にもあった秘密。それぞれに抱えて来た秘密が、家族を壊していきます。私たちが思い描く家族という概念が根底から崩れていきます。

居心地のいい映画ではありません。しかし、圧倒的なリアリティーで迫ってくる役者と、細部までリアリズムを追求した監督の演出、そして、ゴミ屋敷一歩手前の彼らの住まいを、見事に作り上げた美術スタッフの実力が、家族の有り様を問いかけてきます。

詩人の谷川俊太郎は映画のHPでこう表現しています。

「ヒトは身を寄せ合う、世間から外れても、法に触れても、いのちの自然に逆らわず、GDPなどどこ吹く風で。」

世間一般の家族という言葉から遠く離れていても、だからどうなんだと、太々しささえ漂ってきます。もちろん、彼らが幸せになるような結末ではありません。簡単には答えが出せない、と言っていると思いました。突っ放したような、それでいて愛しさの余韻の残るエンディングです。

カンヌ映画祭で大賞を受賞しただけの力のある映画です。

 

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)店内にて開催(月曜定休日)

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大学生の頃だったと思います。一本の不思議な映画を観ました。「泳ぐ人」(1969年)という作品です。バート・ランカスター演じる主人公は、アッパーミドル階級らしい人物です。

ある夏の日、彼は友人宅のプールで泳いだ時に、このあたりの自宅にプールを所有している友人たちの家に次々寄って、一泳ぎしながら、自宅に帰ろうと思いつきます。あちこちでそれなりの歓待を受けたり、柔らかい太陽の元で行われているカクテル・パーティで一杯御馳走になったりと、アッパークラスの余裕の休日を過ごして、自宅に戻ってきます。映画の中では、終始主人公は、スイムパンツ一丁の姿。家に戻れば、綺麗な奥様と、美しい娘たちが出迎えるのだろう、と想像したりしますが、実はそうではありません。プールを渡り歩くうちに、なんとなく不穏な空気は漂ってきてはいたのですが、家には鍵がかかっており、妻も娘もいません。静まりかえった家の中、彼のノックの音だけが響きます。そこヘ雨。素肌に降りそそぐ雨。泣き崩れる男、そこで、映画は終わります。なんと、暗い、でも強烈な印象を残す映画でした。

柴田元幸編集による雑誌「MONKEY」(古書/800円)が、短篇小説の名手、ジョン・チーヴァーの作品を村上春樹訳で読ませる特集号を出しました。その中に、今ご紹介した「泳ぐ人」が入っていました。映画はほぼ、原作に忠実でした。原作のラストはこうです。

「家には鍵がかかっていた。馬鹿な料理人なりメイドなりが、間違えて鍵をかけてしまったのだろうと彼は思った。でも、やがて、もうしばらくメイドも料理人も雇っていなかったことを思い出した。彼は叫び、ドアをどんどん叩き、肩を打ちつけてドアを開けようとした。それから窓の中を覗き込み、家のなかがからっぽであることを知った。」

村上春樹によると、ジョン・チーヴァーは、「中産階級、郊外、東海岸、特にニューヨークの北のほうのコミュニティーのあり方をずっと書いている。」のです。この号には、数編、チーヴァーの短編が掲載されていますが、確かに描き出される世界は、その通りです。

とある夫婦が購入した大きなラジオから、日々不思議な声が聞えてくる「巨大なラジオ」にも、「泳ぐ人」にも、リアルに描かれた日常生活のその先に、リアリズムを逸脱して、深くて暗い闇がこちらを伺っているところが、チーヴァーの魅力かもしれません。

「泳ぐ人」はDVD化されています。原作を読んでから、是非一度ご鑑賞を。ぞっとするような孤独感が、押し寄せてきます。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

先日、 DVDで「20センチュリー・ウーマン」を観ました。三世代にわたる女性の人生に焦点をあてた良い映画でした。三人の中で、写真家を目指す若い女性アビーを演じたグレタ・カーウィグが、初めて監督した映画「レディ・バード」。各映画祭で、高く評価され、アカデミー賞レースでも監督賞受賞になるかと話題になっていました。

アメリカ西海岸の、ちょっと田舎の都市に住む高校生の娘とその母親の物語です。何の刺激もない町から出て、NYの大学へ行こうとしている娘と、その娘のために、細かいことまで指導する母。お互い、口喧嘩が絶えません。映画は、二人の毎日の些細な事柄を丁寧に描き出して、等身大の二人の女性の日々を追いかけていきます。好きになった男の子が、実はゲイだったとか、父親が職を失い、鬱になっていくとか様々な事は起こります。でも、殊更に大げさに取り上げて、強引に感動を呼び起こすような愚かな演出をカーウィグ監督は選択しませんでした。

誰の日常にもある、瑣末な、または納得しがたい事柄をなんとか乗り越えて、ほんの少しだけ前に進むことが、生きるってことだと励ましてくれるような映画です。自分の住んでいる町を出たいという娘の気持ちも、地元の大学に入って、着実に歩んでほしいと思う母親の気持ちも、よくよく理解できます。越えられない溝を残したまま、娘はついにNYへと旅立ちます。しかし、その一方で、彼女は母の愛情の深さ、人生の悩みに気づき始めます。映画はさり気なく終りますが、そこが素敵です。人が身近な人の深い気持ちを理解するのは、こんなものなのです。

娘を演じたシアーシャ・ローナン、母親役のローリー・メトカーフを見ていると元気になること間違いありません。気持ちが下向きになった時、不安に押しつぶされそうになった時、この映画は、きっとどこかで支えてくれるような気がします。

 

 

ウェス・アンダーソン監督の新作「犬ヶ島を観ました。膨大な人力と時間のかかるストップ・モーションアニメです。

静止している物体を、1コマ毎に少しずつ動かしてカメラで撮影し、あたかも連続して動いているかのように見せる技術で、通称「コマ撮り」と呼ばれる技法で作られています。まだアニメ技術の進んでいなかった時代のやり方で、CG全盛期の昨今、長編で作ろうなどという輩はおりません。

しかし、アンダーソン監督は2011年、ロアルド・ダールの児童文学「父さんバンザイ」を原作とした「ファンタスティックMr.FOX」で、ストップ・モーションアニメに挑戦しています。総勢670人のスタッフを従えて、なんと4年がかりで完成させました。これだけでも拍手喝采ですが、なんといっても中身が面白い。

舞台は近未来の日本のメガ崎市。ここではドッグ病が蔓延し、人間への感染を恐れた市長が、すべての犬を“犬ヶ島”に追放すると宣言します。怒りと悲しみと空腹の中、さまよっていた島の犬たちの前にある時、一人の少年が小型飛行機で島に降り立ちます。少年を守っていた犬スポッツを捜しに来たのです。この少年アタリと、個性的な5匹の犬たちの友情と冒険を描く物語です。廃棄された原発、ゴミだらけの島、そして極端な情報統制の政治状況など、今の日本の姿も巧みに捉えています。

これをCG技術で映画化していたら、これほど面白くなかったのではないかと思います。一コマ、一コマ動かしながら撮影された犬たちの毛並み、表情が、リアルを通り越した不思議な空気を作り上げています。黒澤映画へのオマージュ、宮崎アニメへの憧憬、浮世絵や歌舞伎などの日本のクラシックな文化への、愛情とリスペクトなどがいっぱい盛り込まれています。しかし、それが単なる引用や、オタク的ネタだけに陥らず、細部にまで徹底的に拘りぬいた作りによって、全く新しい映像世界が出来上がりました。

もし、ディズニーがこの物語を映画化すると、家族皆で泣ける愛犬と少年の感動作品という映画になってしまいそうです。しかし、アンダーソンの映画にはそんな部分は全くありません。感動なんてどこふく風。この映画は、今どき膨大な時間と資金を使って、アニメ初期の技法で面白い物語を作るという、途方もない夢を実現させた作り手たちの、映画への愛を傍受する作品だと思います。ベルリン映画祭で監督賞を受賞したのも、きっと「良くやった!」という欧州の映画人たちの気持ちなのです。是非、不思議な「犬ヶ島」の世界をお楽しみください。

 

 

 

ダニエル・デイ=ルイス主演の「ファントムスレッド」は、一言で言っちゃえば、女なんていつでもコントロールできて、自分の邪魔にならない存在だと思い、そうして生きてきた我がままな男が、女にじわりじわりと支配されてゆくという物語です。

こういうお話は、例えば「美女と野獣」で勇敢な女の子が、頑な野獣の心を変えて行ったように、あるいは、「マイ・フェア・レディ」で、実験材料のように扱われていた女性が教授の心をつかんでしまうなど、手を変え品を変えて、映画化されてきました。

ところが、一風変わった映画を撮り続けてきたポール・トーマス=アンダーソンの手にかかると、新鮮な驚きに満ちた作品に生まれ変わりました。

舞台は1950年代のロンドン。多くの大金持ちの顧客を持つ、天才的な仕立て屋レイノルズは、田舎のレストランでウェイトレスのアルマに出会います。一目惚れした彼は、デートの後、彼女を自宅へと連れて来ます。彼女の方も、もうこれは結ばれると思っていたはず。ところが、彼は、早速試作中のドレスを着せて採寸を取りはじめます。え?なに?これ??容姿が気に入っただけかい。

アルマは戸惑いながらも、彼のオフィスで住み込みで働き出します。レイノルズの、女性への対応は極めて冷淡。やれ彼女の珈琲の飲み方がどうとか、パンにバターをつける音がうるさいとか、朝から仕事の邪魔だと言ってしまう男です。

映画は、レイノルズの横に寄り添って、仕事や生活全てを仕切る姉を含めて、三人の関係を濃密に描いていきます。

レイノルズを愛するアルマは、徐々に彼の中における自分の地位をあげて、レイノルズを自分の支配下に置こうと画策していきます。どんなことがあっても自分流を通していた彼が、アルマが一人で踊りにゆくと、途端に右往左往するというように、ペースを乱されてしまいます。冷静に、自分の計画を進めるアルマが、やがて映画をリードしていきます。でも、エキセントリックな、或は暴力的なシーンなんか全くありません。終始美しい画面はそのままで、監督の手腕が冴え渡っています。

そしてラストは、レイノルズの幸せそうな表情で幕を降ろします。使い古されたはずのストーリーですが、ずば抜けた演技力を持つ魅力的な役者三人と、モダンなセンス溢れる監督の腕で、見応えのある作品に仕上がりました。お腹いっぱいになりました。

 

 

80歳の鋤田正義さんが、カメラぶら下げて、飄々と街を歩いているのを見たら、写真好きなおじいちゃんだ……ときっと思われるでしょう。

鋤田正義、カメラマン。只者ではありません。70年代、彼の写したロックバンドTーレックスのマーク・ボランの、白黒ポートレイトが大旋風を巻き起こし、多くのギター小僧に愛されました。その後、デビッド・ボウイと親交を深め、彼を被写体とした優れた作品を発表し、YMO、忌野清志郎などのジャケット写真を撮影してきました。今まさに旬の、是枝裕和映画のスチール写真なども手掛けてきた人物です。

鋤田のドキュメンタリー映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」には、多くの人物が登場します、YMO時代に親交を結んだ坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣。デザイナーの山本寛斎、ポール・スミス。スタイリストの高橋靖子、俳優の永瀬正敏、リリー・フランキー、映画監督のジム・ジャームッシュ、コピーライターの糸井重里たちなどが、それぞれに彼へのリスペクトをこめて語ります。

ニューヨークやロンドンを、ゆっくりした足取りで歩く鋤田が映し出されますが、多くの大物アーティストを撮影してきた気負いや、大御所ぶったところが全くありません。被写体になった人物、ボウイはもちろん、YMOの三人しかり、みんな彼との間に、強い信頼関係が築かれています。細野晴臣は、他のカメラマンに撮影されると、まるで武士が刀で切り込んでくるような恐怖があるが、鋤田にはないと表現していました。相手の懐にすっと入り込んで、安心させるような力があるみたいです。上から目線でしゃべらず、威張りもせす、真っ直ぐに相手を信頼し、好奇心一杯で新しいことに飛び込んでゆく、彼の人間力の魅力を映画は浮き彫りにしていきます。

糸井重里が、鋤田を「とても柔らかい人」だと語っていました。さすが、コピーライター!見事な表現です。「柔らかい人」って、とても魅力的ですね。でも、なかなかそうはできません。特に、年齢を重ねてきて自分の世界観を確立すると尚更です。

ロックスターを撮影してきたカメラマンのドキュメントと言うよりは、深い表現力を持った、一人の男性のしなやかな心の在り方を学ぶ映画として、オススメです。

店頭にある忌野清志郎の「メンフィス」 (CD900円)のカバーフォトも鋤田作品でした。

映画館で見逃したアトム・エゴヤン監督作品「手紙は憶えている」をDVDで見ました。

認知症が進行し介護施設で暮らしている、90歳のゼブという名前の老人が主人公です。数ヶ月前に愛妻のルースが死んだ事さえ、忘れてしまう日々を送っています。

彼は、アウシュビッツ収容所に収監、生き残ったという過去を持っていますが、偶然にも同じ収容所で生き残ったマックスと、この介護施設で再会していました。ある日、ゼヴはマックスから、自分たちの家族を虐殺したナチスが生き残って、名前を変えてアメリカに住んでいるという情報の手紙を託されます。同じ名前の人物は、3人にまで絞り込まれていました。体の不自由なマックスに、復讐を頼まれた彼は、最後の力を振り絞るようにして、仇を探して3人の元へと向います。列車を、車を、バスを使ってカナダ、アメリカを旅する、一種のロードムービーになっていきます。

候補の一人目は、病院で瀕死の状態でした。しかし、彼は実はアウシュビッツ収容所に入れられていた同性愛者でした。愕然とするゼヴですが、二人目に向います。

二人目の男はナチスでしたが、アウシュビッツとは関係なく、既に死亡していました。警察官をしている息子が一人残っていましたが、この息子、実はナチの信奉者で、ゼヴがユダヤ人であることを知ると、侮蔑的な言葉を投げつけ、愛犬をけしかけ、険悪な状況になってしまいます。そしてゼヴは、誤ってその警察官を射殺する最悪の事態を引き起こします。ポツンと佇むちっぽけな家で、一人酒を煽る孤独な男が、ナチ信奉者だったという状況はゾッとします。

暗澹たる気持ちのまま、三人目の男を訪ねます。娘と孫に囲まれて平和に暮らしている老人。これがまさに、その人物だったことがわかるのですが、ここで、とんでもない展開が待っていました。家族を殺したと詰め寄るゼヴに、その老人は恐ろしい真実を伝えます。そこから後のことは、ぜひDVDでご覧下さい。最後には、ゼヴに手紙を託したマックスの正体も描かれますが、マックスが実はナチスだったか…..などいう単純な結末ではないです、念のため。

見終わった後、置いてけぼりにさせられた感覚が残ります。これって、サスペンス映画だったん?それともアウシュビッツの悲劇を描いたもの? もちろんそのどちらでもありますが、ここではゼヴの認知症が大きく関わってきます。

ゼヴを演じるのは、今年89歳のクリストファー・プラマー。マックス役は、TV「スパイ大作戦」でお馴染み、マーティン・ランドー。昨年89歳で亡くなりました。二人の老優が見せる、癒される事のない過去の苦痛、そして老いの悲しみ、切なさが見所です。

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

よろしくお願いします。