高校時代、私は映画研究部にいました。毎週、大阪にあった映画配給会社を回っては、最新映画のチラシと割引券を貰って、学内で配布していましたが、大阪中之島周辺に、海外の映画会社に交じって、日本の配給会社が二つありました。東宝東和と、日本ヘラルド映画。どちらも、ヨーロッパの匂いがする会社でした。ヨーロッパもアメリカも、遥か彼方の国だった時代、この会社を訪れる瞬間は、一足飛びにアメリカや、フランス、イタリアに行った気分になったものです。

そのヘラルド映画の作った映画チラシ、ポスターを元に、会社の全貌を捉えたビジュアルブック「日本ヘラルド映画の仕事」(PIEインターナショナル3456円)が入荷しました。ゴダールらのヌーベルバーグ一派の映画も、アラン・ドロン主演映画もこの会社が配給していました。ゴダールの「男と女のいる舗道」のポスターなんて今見ても、クールです。「さらば友よ」、「地下室のメロディー」等アラン・ドロン主演のフィルムノワールの作品がヘラルド映画配給で公開され、ガキだった私も痺れました。黒いスーツってこんな風に着るんだと、自分の顔のことは忘れて納得しました。

もちろん、アメリカや日本映画の配給も行っていて、映画の魅力を教えてくれた会社だといっても過言ではありません。チラシの宣伝文句も見事でした。

「海から来た男の潮の香り……..少年はその香りに憧れた 母はその香りに身をまかせた」

これ、三島由紀夫原作「午後の曳航」の日米合作映画のうたい文句です。この文句に惹かれて原作を読んだ日々を思いだします。

或は、「めくるめくる光の中で父を殺め…….王冠の下で母を抱いた…….白日がえぐりだした華麗なる残酷」の言葉通り、灼熱地獄を味わった「アポロンの地獄」も思いだしました。

ビジュアルにも、宣伝文句にも文学の香りが一杯でした。そして、「唇に愛の華咲きほころばせ、昼下がりの光にさえ肌を許す背徳のおまえー」なんて恥ずかしくて口にだせない言葉で大勝負して、多くの女性が大挙して映画館に殺到した「エマニュエル夫人」等々、当時の映画人のセンスとアイデアが満載の一冊です。

会社名の「ヘラルド」という言葉には「先駆者」という意味があります。その通り、この会社は時代を切り開く作品を紹介してきました。最たるものは、ベトナム戦争を丸ごと描き出した「地獄の黙示録」の日本公開でしょう。後半、錯綜する映画の哲学的展開は、一般には受けないという大方の予想を裏切って大成功に導いた、公開までの道程のドキュメントは映画ファン必読です。なおこの本の初版には、特典として、1970年東京有楽座で上映時に使用された70ミリ・プリント現物のフィルム2コマが付いています。「地獄の黙示録」フリークスなら、持っていなければいけませんぞ!

カレン・ジョイ・ファウラーの「ジェイン・オースティンの読書会」(白水社/絶版900円)を読む前に、映画化された作品を観ました。大味な映画ばっかりのハリウッド映画にしては、小粋で、ラストのハッピーエンディングも、思わず、そりゃ、良かったと拍手したくなる「お後がよろしいようで」的幕切れでした。

ジェイン・オースティンは1700年代後半から、1800年代初頭にかけて活躍したイギリスの小説家です。イギリスの田舎の中流社会を舞台にして、そこに生きる女性たちを生き方を描き続けました。主要作品は「分別と多感」、「高慢と偏見」、「エマ」、「マンスフィールド・パーク」、「ノーサンガー僧院」、「説得」です。

映画は、この主要6作品を世代も、生き方も異なる女性たち5人と、そこに巻き込まれた1人の男性が、皆で読書会をする様子を描いていきます。彼女の小説がポンポンと飛び出してきますが、読んでいなくても大丈夫。オースティンの人生を追っかける映画ではなく、あくまでも今を生きる彼女たちと男性の人間模様を追っかけるのがテーマだからです。離婚、失恋、破局などに遭遇しながら、オースティンの小説を読み語り合うことで、ちょっと前向きに生きていこうとする姿を、オ−バーな演出を押さえていて好感がもてます。

「私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンを持っている」

という書き出しで小説は始まります。登場人物の過去が出てきたりして、より陰翳の深い人物像が浮かび上がってきます。もちろん、オースティンの小説もふんだんに登場します。映画版の、ロビン・スウィコード監督は、その部分をカットして、ビビッドに今日を生きる彼女たちを、共感を持って描いていきます。監督は64歳の女性。きっと、伝統的なハリウッド映画を吸収し、新しいアメリカ映画、例えば「結婚しない女」「グリニッッジ・ビレッジの青春」「アリスの恋」等を青春時代に見ながら、自分のスタイルを作ったんじゃないかな、と同世代の私としては感じました。

もうひとつ、エンディングタイトルが素晴らしい。そのままメイキングになっています。音楽のセンスもお見事。映画の中で、こんな古書店も登場します。お見逃しなく。

お知らせ  「Wa! 京都を発掘する地元メディア」で、レティシア書房を取 り上げてもらいました。

 

 

 

話題の映画「ラ・ラ・ランド」観てきました。

アカデミー賞最優秀作品賞発表の場で、間違って受賞!と発表されるという前代未聞の珍事もありましたが、これは文句なく良く出来た、人を幸せにしてくれて、ルンルン気分で劇場を後にできる映画でした。

弱冠32歳のディミアン・チャゼル監督の、オリジナルストーリーのミュージカル映画。彼が愛したミュージカル映画へのオマージュを散りばめてあるのですが、特にフランスのジャック・ドミーの傑作「ロシュフォールの恋人たち」への愛着がバンバン伝わってきます。高速道路の上で、踊り出す群衆をスピーディーなカメラワークで見せるオープニングからして、もうロシュフォールの世界ですね。粋で、洒落ていて、音楽がチャーミングで、あっ、もうこの映画言うことなしみたいな気分で、ゆったりとシートに腰を落ち着けて、安心して観ていました。

50年代、アメリカのミュージカル黄金時代を支えたMGM映画の数多くの作品から、踊り、歌の名場面をピックアップした映画「ザッツ・エンタテイメント」は、私の大の気に入りで、非常時に持ち出すDVDの一本です。でも、当時のミュージカル映画って、本編を観ると、けっこう退屈なんですね。終始笑顔だらけの登場人物ばっかりの場面や、WASPのお金持ちのハッピー・アメリカン・ライフにはウンザリしてきます。(トランプ翁の理想的アメリカンってこんな感じ?)社会問題を持ち込んだ「ウエストサイドストーリー」さえも、私には大げさすぎでした。

しかし、チャゼル監督は、その辺り、バッチリ心得ています。展開がスピーディーです。ダンシングシーンもダラダラやらない。主演の二人の恋愛模様もベタベタやらない。だから、ミュージカルなんて退屈と思っている方も大丈夫です。そして、ラスト10分間が洒落てます。この二人は、やっぱハッピーエンドだよなと思っていたら、そこから始まる、ビター・スィートな人生のIfの物語。もし、あの時、ああだったら…….。でも悲しい涙のエンディングにしないところが監督の腕ですね。ヒロインを演じるエマ・ストーンの微笑みが、なんとも素敵です。

監督の前作「セッション」は、ジャズドラマーを目ざす青年の姿を直球一本勝負で描いたために、賛否両論でしたが、今回は変化球も巧みに投げながら、酔わせてくれます。ほれ、幸せな2時間やったやろ、と言いたげな監督の顔が浮かんできます。

★ところで、レティシア書房はおかげさまで丸5年を迎える事ができました。2012年3月6日、雨あがりの暖かな日、あの日の思いを忘れずに6年目に突入いたします。今後ともよろしくお願いいたします。(店長&女房)

虐げられた人達の世界を描いて、いつも背筋をシャキッとさせてくれる映画監督、イギリスのケン・ローチ。69年発表の「ケス」以降、できるかぎり観るようにしています。労働者階級の人々や、誰かさんの大嫌いな移民達の人生を描く映画を、数多く発表して高い評価を得ています。アル中男の出口のない人生を見つめた「マイネーム・イズ・ジョー」とか、ウイスキーテイスティングの才能をもつ貧しい青年が新しい生き方を見つける「天使の分け前」はお薦めです。間もなく新作「私はダニエル・ブレイク」が公開されるので、その前作「ジミー、野を駆ける伝説」を観てみました。

時代は、1932年のアイルランド。国を分断した内戦終結から10年。もと活動家で、アメリカに暮らしていた青年ジミーが生まれ故郷に戻ってきます。彼が、故郷で差別と弾圧を体験したあげくに、国外に退去され、NYで死去するまでを描いています。映画制作に確乎たる信念を持つローチ監督が正攻法で描いたドラマに、こちらものめり込んでいきます。

ローチの映画はたいてい、僅かの希望を残して終わります。この映画もしかり。国外退去で連行されるジミーを見つめる若者達のワンカットです。自由を弾圧するこの時代にハッピーエンドはあり得ません。しかし、青年達に僅かの希望を託しています。この世界の悲惨さを映像化するだけでなく、そこにあるかないかの希望を見つけようと苦闘する作家の姿こそ魅力的です。

明るい明日なんてほぼ絶望的なのに、そこに一筋の希望を、説得力のある描写力で示すのは、宮崎駿も同じです。「もののけ姫」ラストはその最たるものですね。原発事故を思わせる大破壊の後に、森に戻って来た妖精はたった一人。さて、豊かな森は元に戻るのか、もう戻らないのではないか…….。しかし、それでは我々の明日はどうなる?作家の混迷と悩みが導き出したのが、たった一人の妖精の帰還。ここに託すしかない、という宮崎の決意を読み取りました。

映画ではなく、漫画版の「風の谷のナウシカ」(徳間書店全7巻2500円)を読んでいると、権力闘争の凄まじさと惨たらしさ、永遠に続く地獄のような世界の中で、ナウシカという少女にすべてを託した宮崎の思いが伝わってきます。映画も傑作ですが、まだ原作を読んでいない方はこちらもぜひ。

 

 

最近の日本映画では、スケール、内容共に「シン・ゴジラ」に勝るものはないと確信していました。しかし、これを上回る評価を得た映画がありました。

こうの史代の全3巻に及ぶコミック「この世界の片隅に」を映画化した、同タイトルの映画化作品がそれです。戦時下の昭和19年に広島から呉に18歳で嫁いだ主人公すずの日常を描いたアニメ映画で、監督は片淵須直。

映画はほぼ原作通りの、平和で穏やかな毎日を送っていたすず一家が、日米戦争に巻き込まれてゆく姿を描いていきます。劇中、こんな台詞があります。

「誰もが笑って過ごせればいいのにねぇ〜」

静かにうつろいゆく四季を感じながら、すずとその一家は、ゆったりとした時間の流れの中で、笑みを絶やさずに暮らしていたのですが、戦争がすべてを奪っていきます。アニメならではの透明感のある色彩感覚を駆使して、戦時下の日常が描かれます。感情過多になった画面を見せなかったがために、逆に戦争で奪われた平和な日々の愛しさが胸に迫ります。

ラストシーンがまたすばらしい。なんとか生き延びたすず達は偶然出会った戦争孤児を育てます。エンドクレジットと共に、その子が大きくなってゆく姿が映し出されます。平和で楽しい一家の姿は、しかし、戦争さえなければ、この子は母親とも死別することはなかったはず。私は戦争を憎む、という製作者達の思いが静かに伝わってきます。

エンドクレジットがそこで終わるかと思いきや、名前がズラリと登場します。

映画の製作者はその制作費の一部をクラウドファンディングで調達することを企画しました。その求めに応じて投資した数多くの人達の名前が、最後に登場するのです。一人一人から、私たちも戦争を憎む!という声が聞えてきそうでした。

そうして完成した映画は、最初は小さな劇場で公開されていたのが、大劇場で拡大公開されるにまで至りました。戦争のことを分かっていないゴルフバカの(あの)二人とは違う、良識のある人が、まだまだこの国には沢山いたのです。因みに最初の公開館数は36館でしたが、本年2月時点で約300館。動員数150万人。お見逃しなく。

 

 

 

エストニア&フィンランド合作「こころに剣士を」を観ました。舞台は、第二次世界大戦後のエストニアです。エストニアは、ドイツ側として参戦。終戦後、ソビエト連邦の支配下に置かれ、時のスターリン政権は、ドイツ側で戦ったエストニア人狩りをやっていました。

エストニアの田舎町ハープサルに赴任してきた新人の体育教師は、実はソビエトの秘密警察に追われていて、姓名を偽っています。この田舎町で、なんとか生き延びようとしました。彼は教師でありながら、かつてはフェンシングの名選手でした。もう剣は持つまいと決心していたのですが、ひょんな事から子供たちに教えるはめになります。一方、この学校の校長は、彼の出生に疑問を持ち、調べ始めます。映画は大げさな描写は極力避けながら、警察に怯える教師と、次第にフェンシングに目覚める子供たちを淡々と描いていきます。フェンシングが、こんなに大きく取り扱われている作品って滅多にありません。

上達した子供たちは、レニングラードで行われる試合に出たいという思いが強くなります、しかし彼の立場に立てば、そんな大都会に行ったら、逮捕されるのは間違いありません。出場に尻込みする教師、剣を交えてみたい生徒達、迫り来る警察。

補欠になっていた女の子が最後に登場して活躍するという設定は、「がんばれベア−ズ」以来のスポーツもののパターンですが、しかし試合終了後、警察に連行される教師を見送るその女の子の、現実を見つめたきびしい視線には、大人が始めた戦争に子どもを巻き込むな!と言う強い意志が込められています。

ハープサルの町には、親のいない子どもたちが沢山います。みんな、父親を戦争に駆り出されて戻ってきていません。また、インテリジェンス溢れる祖父と生活していた生徒は、スターリン政権 の思想弾圧で逮捕されていきます。戦争に巻き込まれた子どもたちは、その悲惨な現実の前でどうしようもありません。

たとえ、どんな大義名分があろうとも、戦争の犠牲になるのは子どもたちです。その重たい事実をベースにして彼らが、一本の剣にすべてを託して、未来を切り開く姿を描いた作品として、心に残る映画でした。

 

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

東京、岐阜、神戸、大阪、滋賀、京都から20数店の女性店主がセレクトしたステキな本が、所狭しと並びます。ご来店お待ちしています。

 

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1900年代初頭、アメリカ文学界に登場したトーマス・ウルフは、四作の長編、その他に短篇、戯曲を発表し38年の生涯を閉じました。ウォール街の株大暴落直前の1929年に発表した「天使よ故郷を見よ」が大ヒットして、一躍文壇に躍り出ます。彼を売り出したのが、ヘミングウェイ、フィッツジェラルドらの作品を担当していた名編集者マックス・パーキンズでした。

マイケル・グランテージ監督作品「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」は、この編集者と作家との間の葛藤、そして友情を描いています。パーキンズを演じたのは、今やイギリスの演劇界を代表するコリン・ファ−ス。破滅型の作家を演じたのが、こちらも演技派で男前、年を重ねてますますステキなジュード・ロウ。そして作家の愛人にニコール・キッドマンと、お子様ランチばかり連発のハリウッドにあって、極めて”大人な”人達がガッチリ組んだ映画です。魅せます、三人とも!

映画は、あの当時のNYの街角、そしてパーキンズの勤務するチャールズ・プナーズ・サンズ社を見事に再現、三人の演技を盛り立てています。乱雑に書きなぐられたウルフの膨大な原稿は、タイピスト達が打ち直し、パーキンズの部屋に運びこまれ、彼が、赤鉛筆で原稿に「削除」と書き入れてゆくシーンの積み重ねは、スピーディで極めて映画的な処理です。

パーキンズは、編集部内をたらい回しされていたフィッツジェラルドの処女作「楽園の向こう側」を出版し、フィッツジェラルドを作家として世に送り出しています。その後も名作「グレート・ギャッツビー」など多くのフィッツジェラルド作品を担当しました。村上春樹訳の日本版で、今も人気の小説が、当時は重版の際の印税が2ドルそこそこだったというエピソードも映画で触れられていました。

生まれて来た子どもがすべて娘だったせいか、パーキンズは、子どものようなわがままさを持ったウルフを、編集者としての立場を超えて、どこか息子への愛情に満ちあふれた父親のように接します。冷静な編集者と、父親としての態度を使い分けるコリン・ファ−スは、お見事という他ありません。また、ウルフの愛人で、嫉妬と猜疑心に満ちたアリーンを演じるニコール・キッドマンも主演ではなく、どちらかと言えば損な脇役で、その演技力を存分に発揮していて魅力的です。

編集者が主役という地味な映画ですが、見終わった後、あぁ〜いい時間だったな、としみじみ思いました。字幕協力に柴田元幸の名前が入っていましたので、彼のファンも必見ですね。

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

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アレクサンドル・コット監督「草原の実験」(ソビエト映画)を劇場で観なかったことが残念でなりません。(ディスクとして手元にあるので、今後何度も観られるとはいうものの)

映画の中には、観るものに徹底的に画面に集中しろと強要する映画が存在します。座っただけで、笑わせ、泣かせ、興奮させる映画とは一線を画す作品で、「アート系映画」等という意味不明なレッテルを貼られたりしています。

「草原の実験」もそんな一群の一つなのかもしれません。しかし、決して難しい映画ではありません。ロシアの大草原の一軒家に住む父と娘の日常、そして娘の恋を描いたお話です。ただし、全く台詞がないのです。僅かな音楽と、後は自然の音だけです。

映画は冒頭のワンカットから、ひたすら美しく、監督が精密に練り上げた映像を見せます。これを見ろ!集中しろ!という監督の声が聞こえてきそうなぐらいで迫ってきます。正直言うと、え!こんな状態で90分?と思ったのですが、不思議に作中の人物に成り代わって、自分で台詞を考えているぐらいのめり込みました。

誰もいない草原に、なんでこんなデブでハゲの不細工なとっつあんと、萌え度100%の美少女がいるんや!突然登場する可愛い少年はどこに住んどんねん!と関西弁でつっこみたくなりますが、一切の説明はありません。しかし、面白いのです。ただただ、食入るように観入りました。映像の見せ方は北野武、あるいはタルコフスキー映画に近いかもしれません。

タイトルに「実験」という語が入っていますが、極めて重要な言葉であることが、後半分かってきます。彼らが住んでいるこの地域は、核爆弾の実験場にされていたのです。実際にソ連は原爆開発のため、人が住んでいる事を隠して、実験を行った事実がこの映画の根本にあります。

映画は、初恋の相手と結ばれた二人の目の前で核爆弾が炸裂、二人の家も吹っ飛んでしまいます。背筋がゾッとるする光景なのですが、さらにゾッとするのはその後の夜明けのシーンです。「日は上り、日は沈む」という宇宙の法則を引っくり返します。美しい草原で始まった映画はラスト、人類の作り出した悪魔で幕を閉じます。

ぜひ、世界中の指導者達に見て欲しい作品ですが、拝金主義の新米大統領に、軽佻浮薄な言葉ばかりの首相には、理解できないかもしれません。悲しいことです。

 

★2月8日(水)〜19日(日)レティシア書房恒例「女子の古本市」を開催いたします。

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先日、久しぶりにロマン・ポランスキー監督の「マクベス」を再見しました。

完成したのは1971年。ポランスキーの妻のシャロン・テートが、1969年LA自宅でパーティーの最中、チャールズ・マンソン率いるカルト教団に襲われ惨殺された事件の後に監督した作品だけに、血みどろで、陰鬱な「マクベス」でした。テートはポランスキーの子を身ごもっており、残されたポランスキーの深い悲しみは他人には理解できるものではありません。

ポランスキー版「マクベス」ですが、詳細な論評は山良君美の「セルロイド・ロマンティシズム」(文遊社1300円)をご覧下さい。

で、私がオヤッ?と思ったのはラストです。「マクベス」は王を殺して領主になった男が、王の元の家来達に追い詰めれてゆくのがストーリーです。大体、マクベスが王殺しに走ったのは、森に住む魔女の「あなたは王になる」という甘い囁きを真に受けたからです。その魔女の住まいが、映画ではラストに再び登場して、なんとそこに復讐を成し遂げた王の息子が佇んでいるもです。あたかも、魔女に自分の未来を占ってもらうかの様です。王位を巡って血と暴力は繰り返されることを予告するかの様なエンディングでした。

ラストは原作ってどうだったかと思い、何十年かぶりに再読したところ、そんなシーンはありませんでした。即ち、ポランスキーはマクベスの原作を借りて、人間は永遠に惨劇を繰り返すことを象徴的に描こうとしたのでしょう。

もう一作。ハーマン・メルビルの代表作「白鯨」の再映画化、ロン・ハワード監督作品「白鯨との闘い」は、公開された時、CGを多様したリメイクで、如何にも当世のハリウッドだなぁ〜と観に行かなかったのですが、完全に間違いでした。

これは、再映画化ではありません。なんと、小説の作者のハーマン・メルビルが登場して、白鯨に捕鯨船を木っ端微塵にさせられた乗組員の唯一の生き残りに当時の模様をインタビューし、その話を元にメルビルは白鯨を書いたということを映画にしているのです。

その乗組員の話、特に船をバラバラにされた後は悲惨の極みです。生き残るために衰弱した乗組員の肉を喰ったのですから。メルビルが「白鯨」を書いた切っ掛けが、この映画のような経験であったのかはわかりませんが、あの読みづらく長い原作を、こんな解釈で甦らせた監督の手腕はさすがです。

この映画もラストがお見事です。インタビューを終えて乗組員と別れる時に、大地を掘ったら油が出て来た、という話があるが信じるかと、メルビルが乗組員に訊いたところ、そんなことあるわけない、と答えます。捕鯨の時代が終り、石油の時代へと世界が変わる一瞬を捉えたシーンで、古色蒼然たる捕鯨の時代から、一気に現代へと引き戻されます。原作の「白鯨」とは、全く違う新たな世界を作りあげた傑作でした。やはり、映画を先入観で判断するのは良くないですね。

★2016年の営業を終了させていただきます。今年も大変お世話になりました。お越し頂いたすべてのお客様に感謝したします。また、ギャラリーで個展をして頂いた作家の皆様、本当にステキな作品をありがとうございました。

新年は1月5日(木)より通常営業いたします。来年もよろしくお願いします。(店長&女房)

 

「テイク・ファイブ」という有名なジャズの曲があります。確か、煙草のCMでも使われたいたので、広く知られていると思います。

この曲をパキスタンの音楽家が、インドの楽器シタールとパーカッション、バイオリンのアンサンブルで演奏して、それがyoutubeで公開され、あれよあれよという間に広まり、本場NYのジャズミュージシャンと共演を果たすまでを描いた映画「ソング・オブ・ラフォール」。これ、ミュージシャンのサクセスストーリーと思うと、違うんですね。

「ロリウッド」と呼ばれるパキスタン映画産業の中心都市、ラホール。しかし、70年代後半から、時の政権がイスラム原理主義を強化し、音楽活動が制限され、90年代に台頭し始めたタリバンによる歌舞音曲の破壊によって音楽の世界は衰退の一途を辿ります。

そんな中、一部の音楽家たちが伝統音楽の継承、再生のために立上がります。往年の音楽職人たちを集めて楽団「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」を結成し、シタールやタブラなどの古典楽器を用いて、ジャズに挑戦します。このままでは、パキスタンの長い伝統に培われた音楽は消えてします。その危機感が「テイク・ファイヴ」を全く新しい音楽として甦らせます。え?え?これがあの「テイク・ファイヴ?」と、最初は戸惑いましたが、びよろ〜ん、びよろ〜んと鳴り続けるシタールと、渋い音色のパーカッション、タブラのサウンドはなかなか気持ちいいのです。アジア的というか、哀愁溢れる異国情緒満載です。

映画は、直接的に今日のパキスタンの政治状況を描き出すことはしませんが、音楽が自由に演奏できないこの国の現状が見えてきます。NYのジャズミュージシャンに迎えられて、大劇場で本場のオーケストラと共演するのですが、俺たちのジャスをアジアの小国がやってるから、暖かく迎えてやろうみたいなアメリカ人の奢りも感じました。

しかし、NYの路上でゴミバケツを引っくり返して、パーッカションにして音楽を奏でるミュージシャンに、「俺たちと同じ貧しいミュージシャンだね」と彼らが拍手するところは素敵でした。

 

「全世界に知ってほしい。パキスタン人は芸術家でテロリストじゃないことを」

という台詞が染み入る映画でした。

監督はシャルミール・ウベード=チナーイ。パキスタン、カラチ生まれ。人権や女性問題を主題としたドキュメンタリーを多く手がけるドキュメンタリー監督、活動家。それらの短編ドキュメンタリーの数々は世界中の映画祭で賞を受けています。本作が初の長編ドキュメンタリー映画です。

 

 

 

★レティシア書房は12月29日〜2017年1月4日まで休業いたします。新年は1月5日から平常通り営業いたします。