林の中を全力で走り抜ける兵士。聞こえてくるのは兵士の鼓動と風だけ。立ち止まった兵士に一発の銃弾。死ぬ前に見たのは風に揺れる木々。無駄死としか言いようのない若い兵士こそ、貧しいけれども、勤勉な、どこにでもいる夫婦の一人息子でした。

映画「ヒトラーヘの285枚の葉書」(京都シネマで上映中)は、ここから、平凡な市民である夫婦が自分たちの出来る手段で、息子の命を奪ったヒトラーへの抵抗を描いていきます。

二人は、「ヒトラーを信じるな」と書いた葉書を、市内の至る所に置いていきます。対フランス戦で勝利を納めて、ヨーロッパでもドイツ帝国の優位が確実になってきた時代のベルリンで、こんな葉書を撒き、政権批判を繰り広げるのは、極めて危険な行為です。ゲシュタポと警察の捜査網をかいくぐり、2年間で285枚ものヒトラーへの批判の葉書を書きました。

映画は、ヒッチコックばりのサスペンス映像を組み込みながら、ささやかな抵抗を続ける二人の日々の生活を凝視します。市民としての日々の生活をこなしながら、毎夜、筆跡を隠して葉書を書き、置いてゆく姿に、息子を無駄死にさせたヒトラー政権への、戦争への怒りと悲しみが浮き上がり、心に沁みます。妻を演じたのは、名優エマ・トンプソン。夫役は、ブレンダン・グリーソン。二人の完璧な演技力は、観るものの魂を揺さぶります。

そして、もう一人、捜査をするフランスの若い刑事。彼は、ゲシュタポへの不信と、この夫婦への親近感を持ちながらも、時の巨大な権力には逆らえず、夫婦を処刑台に送ります。その後悔と自己批判の果てに待ち受けていたのは、やはり悲劇でした。おそらく、実際の戦争、例えば、第二次世界大戦下の日本でも、これは間違っていると思っていても、憲兵やら特高がうろつく街中では、黙らざるを得なかった人々は決して少なくなかったのだろうと思います。

285枚の葉書のうち、ほとんどは市民が警察に届けました。しかし、十数枚だけが発見できませんでした。心ある人達が読み、信用できる人へと回したのでしょう。小さな希望は消えなかったということです。

映画の原作は、ドイツ人作家ハンス・ファラダがゲシュタポの記録文書を基に、わずか4週間で書き上げたと言われる「ベルリンに一人死す」です。実在したオットー&エリーゼのハンペル夫妻をモデルにしたこの小説は、1947年の初版発行から60年以上経た2009年に、初めて英訳され世界的なベストセラーとなりました。2014年、日本でもみすず書房から翻訳本が出版されました。

 

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」を店内で開催します。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!(14日は休み)

暑い日が続きますが、お立ちよりください。

★休業のお知らせ 8月7日(月)8日(火)は古本市の準備のため連休します。 

         8月21日(月)〜25日(金)は、夏期休業いたします。よろしくお願いします。


 

 

廣木隆一監督作品「彼女の人生は間違いじゃない」を観ました。

舞台は福島県いわき市。母を津波でさらわれ、稼業の農業が放射能汚染で出来なくなり、仮設住宅に住む父と娘が主役です。

娘は市役所に勤務する傍ら、週末は東京で風俗嬢をやっています。父は、保証金でパチンコ狂い。もう、のっけから辛い状況を見ることになります。廣木隆一監督の映画って、リアリステイックな描写が多く、しかも画面が静謐。出口の見えないこの二人の人生を凝視することになります。

何故、娘は東京で風俗嬢をやっているのかについての説明は、最後までありません。私たちは、彼女は何を目的に生きているのかという疑問を持ちながら、ドラマの進行を見つめるだけ。生き地獄と言えば、そういう世界かもしれません。

映画がどういう風に収束してゆくのかと不安に覚えながらも、目を離すことはできません。このまま、震災と原発で人生を狂わされた家族の物語だけでは、見る価値があるのかと思われるのですが、廣木隆一は、見事なエンディングを用意しています。もちろん、それは、明日からはがんばります、なんていう安物のTVドラマみたいなものではありません。父親、娘にそれぞれ起こる出来事を通して、僅かですが一歩前に向います。ラスト、娘は小さな犬を家に迎えます。この犬が、これからも希望になるのかはわかりません。けれども、ここからしか人生は始まらないのです。

映画の最初で、いやいや寝室から起き出した娘が、ラスト、朝食のために米を研ぐ姿をカメラが追いかけます。でも、そこには最初のイヤイヤ感はありません。私たちは、少しほっとして席を立つことになります。

震災の後、多くの表現者がそれぞれの思いを作品として発表してきました。文学、音楽、映画、舞台と様々なジヤンルで、語られました。私にとっては、園子温監督作品「ヒミズ」と「希望の国」は、忘れがたい優れた作品でした。震災の悲惨さや、原発の恐ろしさだけを描いただけでは説得力がありません。表現者の思想が深く問われるのだと思います。この作品も、そんな一本でした。

「撮りたかったのは、現在の日常です。何かが欠落したまま、決して満たされることのない日々の暮らしを撮影することで福島だけでなく、今の日本が抱えている矛盾を描きたいと思いました。」

と監督は語っています。娘を演じた瀧内公美、父親を演じた光石研、風俗嬢のマネージャーを演じた高良健吾、生まれ故郷の町で、もがきながら生きる男を演じた柄本時生達の優れた演技力で、監督の意図を見事に映像化した映画です。

 

 

6月28日のブログで、マイケル・D・ヴィットの絵本「レッドタートル」の事を書きましたが、スタジオジブリで映画化されたDVDを購入してやっと見ることができました。全編、台詞、音楽なしの実験的なつくり方で、心に残る良い作品でした。

海で遭難した男が、南海の孤島に辿り着きます。孤独な生活から逃れようと何度も脱出を試みるのですが失敗。そうしているうちに、彼に恋したウミガメの化身の女性と暮らしはじめ、男は幸せを得て、子どもを育てます。やがて成長した子どもは、島を出て、大きな世界へ旅だってゆき、男は年をとります。男の最期を看取った女性はウミガメに戻る、というストーリー。

スタジオジブリ初の、海外共同制作映画として公開され、フランスのカンヌ国際映画祭では、作家性の高い作品に与えられる「ある視点」部門特別賞を受賞しました。でも、決して小難しい映画ではありません。余計な欲望をはぎ取った究極の状況で生きること、死ぬことの意味を描いています。秀逸なのはラストシーンです。年老いて亡くなってゆく男を見つめる女性。満点の星の下で、彼は一生を終えますが、翌朝、ウミガメに戻った女性はゆっくりと島を去っていきます。聞こえるのは波の音だけ。静かな、静かな幕切れです。

私たちの人生は、この惑星の大きな何かに見守られているのかもしれないという想いに涙せずにはいられません。

マイケルが、「レッドタートル」以前に作った傑作短編アニメ「岸辺のふたり」の絵本(くもん出版/絶版950円)が入荷しました。幼い娘を置いてボートに乗り込み、戻ってくることの無かった父。その面影を求めて岸辺に通い続ける娘。やがて、娘は大きくなり、伴侶を得て、子どもを育て、老いてゆく。そして、ある日、彼女は、あの日戻ってこなかった父と再会する。ここでも、死ぬ事と生きることは一体であることが描かれています。

娘をおいて、水平線の彼方に向かう父をシルエットで描いたカットや、眩しい青春時代を送りながらも、父のことがふと頭をかすめる彼女の背後に、影を落とす林を描いたカットに、マイケルの人間の生と死への思いが込められています。ラスト、再会した二人の横に広がる影の長さに、読む者はそれぞれ、いろんな想いを重ねるかもしれません。

「レッドタートル」のDVDは、おそらくレンタルショップで見つかると思いますが、気に入ったら買われることをお薦めします。この先、多くの死に立ち会わざるを得ない時、きっと支えてくれることでしょう。

 

アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」は63歳のセールスマン、ウィリィ・ローマンとその家族の物語です。自立出来ない息子や、過去の幻影にさいなまれつつ慨嘆するローマンは、誇りを持っていた仕事まで失い、最後には自ら死を選ぶ、という悲惨なお話です。 

その舞台を演じる役者夫婦の身の上に起こった出来事を、舞台進行に絡ませて描くという、斬新な構成のアスガー・ファルハディ監督のイラン映画「セールスマン」は、じっくりと見せてくれるサスペンス風映画でした。

夫の留守中に、引っ越して間もない新居で、妻が侵入者に襲われてしまいます。外傷はそんなに深くはなかったのですが、執拗に犯人を探し出そうとする夫と、表沙汰にしたくない妻の感情が少しづつずれていきます。心通わず、すれ違う夫婦。しかし一方で、舞台の稽古は、どんどん進行していきます。やがて犯人を見つけた夫がとった行動は…..。

ゆっくりと理性をかき乱されていく夫婦を中心にして、映画は破局へと向かいます。まるで舞台劇のように、廃墟と化した、かつて夫婦が住んでいたアパートで、この夫婦と、犯人とその家族が一同に会します。様々な感情、怒りや不安、悔恨が渦巻まく圧巻の場面。

人間の複雑な感情のせめぎ合いを、2時間でじっくりと描いたこの作品は、ヨーロッパでは高い評価を得ました。そして、米アカデミー賞外国語映画作品賞を受賞したのですが、トランプ大統領のイスラム系人間への入国拒否令に反撥して、スタッフは授賞式をボイコットしました。トランプ大統領は、多種多様な人種が集まる映画界を、敵に回してしまったのです。

見終わって、元気になる映画でもなければ、清々しい気持ちになる映画でもありません。しかし、ラスト、舞台のメーキャップを黙々と続ける二人の虚ろな表情を見ていると、人に寄り添うべき時にそうできなかった、人間の複雑な感情の重さを思い知らされました。

「サラリーマン」は京都シネマにて上映中です。

 

スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫の「ジブリの文学」(岩波書店1400円)は、著者の文学体験や、映画製作者としての人生が満喫できる一冊ですが、その中に、作家と縦横無尽にトークする企画があります。登場するのは、朝井リョウ、中村文則、又吉直樹等の話題の作家ばかりです。その一人として、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットというアニメ作家と池澤夏樹が著者と語り合う企画がありました。マイケルは、スタジオジブリ制作の長編アニメ「レッド・タートル」を監督した人物です。

著者はマイケルの絵を気に入り、絵本にならないかと思案し、ファンだった池澤に構成と文章を頼みました。その絵本が出来上がるまでを三人が楽しそうに語りあいます。映画は全く台詞のない作品で、そのままでは絵本にならないので、池澤が、登場人物達が過ごす「島」がこの男と女について語るという構成を思いつきます。マイケル監督は、映画では「沈黙の美しさ、そういったものを表現したかったんです」と発言しています。池澤は、監督のその思いを見事に絵本にしました。

「レッドタートル」(岩波書店1400円)は、切なく、美しい物語です。無人島に辿り着いた男が、島に育てられ、海の彼方からやって来た女性(ウミガメの化身)と共に暮らし、子供が生まれます。その子供は大きくなった時、文明世界を見たいと島を離れます。やがて、年老いた男は島で亡くなり、女はウミガメに戻って海にかえります。ラストの島の台詞です。

「女は伴侶を看取った後、ウミガメの姿に戻って、海に帰っていった。

残された私はまた無人島、ただため息をつくしかなかった。」

著者が惚れ込んだ絵は、宮崎駿曰く、日本のアニメの影響を全く受けていないオリジナルなもので、極めて美しいものです。海の深いブルーが目に焼き付きます。女がウミガメに戻って大海原に戻ってゆくラストショットに込められた、生きることへの切なさをたった一枚の絵と、短い文章で表現しています。優れた表現者同士のコラボレーションを見せてもらいました。

マイケルは絵本としては、傑作「岸辺のふたり」を出しています。あぁ〜、あの本かと思われた方もおられるかもしれません。

残念なことに、私はこの映画を見ていません。しかし、既にDVD化されている!これは即買い!とワンクリック。楽しみです。

 

 

 

 

 

 

イギリスの作家、パトリック・ネスの原作「怪物はささやく」は、所謂ヤングアダルト向けの小説ですが、大人が読んでも感動します。

その小説を映画化した「怪物はささやく」は、一言で言って、人を幸せにしてくれる映画でした。観た後、ゆっくりと満ち足りた気分にさせてくれる映画でした。今年は「メッセージ」、「シーモア先生の人生相談」そして「怪物はささやく」など、幸運なことにそんな映画にたくさん出会えました。

少年が大人への一歩を踏み出し、様々なことを知るという、文章にしてしまうと実にシンプルなお話ですが、美しい映像と、主人公の少年を演じたルイス・マクドゥーガルの見事な演技力と、適切なCG技術が重なり合って、上質のファンタジー映画となりました。

両親が離婚し、死期の迫っている病気の母親と暮らし、母の看病をするためにやってくるのは少年にとって苦手な祖母。学校へ行けば虐められ、殴られる毎日。そんなコナー少年は毎夜おなじ時刻にうなされます。そこへ、大木に手足のついた怪物が現われて、今から三つの話をする、その後で、お前は自分の話を語るのだと迫るのです。

怪物はおとぎ話の形をとりながら、人は単純な存在ではないこと、人生は複雑だということを語ります。その物語を聞きながら、コナーは、様々なことを体験していきます。母との別れ、虐めた少年への激しい暴力、祖母の部屋を滅茶苦茶に破壊してしまうなど、辛くて痛い世界の終わりのような悪夢のようなことばかり。

そして最後にコナーは、自分の胸に深くしまい込んだ真実の気持ちを怪物に語り始めます。人間は誰でも、複雑に絡んだ様々の感情を持っている、単純じゃない。善とか悪とか白黒はっきりつくものではないのです。母の回復を願いながら、母の死を予想している過酷な状況にピリオドを打ちたい自分を認め、愛している母にすがりつく。つまづきながら、傷つきながら、一歩前へ進むことができた少年の姿に、熱いものがこみ上げてきます。

ラストが素敵です。自分を見失い、彷徨っていたかにみえて、実は多くの人の愛情に守られていたんだという事に気づいたコナーが微笑むのです。

ベタな話かもしれませんが、ベタなところにこそ人生の真実は宿るのです。

 

ソール・ライターという写真家をご存知だろうか。

1923年ペンシルバニア生まれ。少年時代にカメラを手にした彼は、23才の時にNYに移り、写真を撮り始めます。その後、英国版ヴォーグ、ELLE等のファッションカメラマンとして活動します。「ソール・ライターのすべて」(青幻舎2700円)は、写真家ライターの魅力をぎゅっと濃縮した一冊です。

60年代から80年代のアメリカ映画、とりわけ舞台がNYなら、作品の内容に関わらず観に行っていた時期がありました。スクリーンに映し出される街並みの魅力的だったことを、今でも記憶しています。映画監督シドニー・ポラックは「雨に濡れた」街並みを撮らせれば、誰にも負けないショットを演出した人ですが、ソール・ライターの雨のNYにも、そんな雰囲気が充満しています。哀愁と孤独が適度にミックスされた作品を見ていると、そこに写っている人物の人生を想像させてくれます。

作品集の後半に、自分の部屋で寛いだり、或は着替えをする女性のヌードが数多く収められています。部屋に射し込む光線を巧みに捉えながら、女性の柔らかな肌を浮かび上がらせ、この街で生き抜く女たちの悲しみ、人生への迷いや覚悟までも、感じさせる作家の力量は凄いとおもいました。

ライターが多感な時代を過ごした1950年代のNYロウアー・イーストサイド地区は、カウンターカルチャーが花開いて、NYアートシーンの中心でした。ライターは、この地で多くの作家、アーティストと交流しました。

しかし、「それが彼の写真にはほとんど影響を与えていないように思える。」と柴田元幸は語っています。そして、21世紀に入ってから街を撮った写真を見ても、被写体の選び方、その奥行き、大胆な構図などに全く変化がないにも関わらず、「時代遅れという印象はまったくない。保守でも、前衛でもない、『ライター流』と言うしかない姿勢が一貫しているのである。」と柴田は言います。(この本の中に「うしろからあなたの左耳をくすぐる写真」というタイトルで収録)

2012年、トーマス・リーチはライターをテーマとした長編ドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』を製作・監督しました。残念ながら京都での上映は終了してしまいました。この写真集でその魅力を味わっていただければと思います。

 

2013年11月26日、ニューヨークで死去。

ドキュメンタリー映画「ウィーナー懲りない男の選挙ウォーズ」を観ました。アメリカの選挙選を描いたドキュメントなんですが、下手なドラマより面白く、笑えます。

主人公アンソニー・ウイーナーは、2011年当時、人気抜群の民主党議員でした。鋭いスピーチ、行動力、そしてヒラリー・クリントンの懐刀だった政治手腕に優れた美貌の妻と、すべてが揃っていました。オバマに続く次世代の民主党ホープとして注目されていましたが、ブリーフ姿の下半身写真をTwitterに投稿してしまい、それが公になってしまいます。彼には、女性と性的なメッセージや画像を送り合う〝セクスティング〟という性癖があったことが暴露、非難集中で議員辞職に追い込まれました。

しかし、この男めげません。数年後、今度はNY市長選挙に立候補!鋭いスピーチ連発するわ、路上パフォーマンスはやりまくるわ、「夫を信じます」という愛妻の言葉でおしどり夫婦を演出するわで、支持率急上昇。今度こそ、と思った瞬間、またやってしまうんですね、この男。偽名を使って、若い女性に性的な写真やら、テレフォンセックスやらを繰り返したことが暴露。もう万事休す。クールな街NY を無様な男が走り回る姿は、もう笑うしかありません。

この映画、自分のオバカな性癖で、自滅していった男の姿をメインに描いていますが、様々なアメリカの姿も画面に取り込んでいます。例えば、シモネタばかりを追いかけるメディアが、段々と市政の本筋からズレてゆく姿。視聴者に解りやすい事、喜びそうな事のみを追いかけて形成される世論って実に危険です。これはアメリカだけの問題ではなく、我が国も一緒ですね。

もう一つ、この映画は、オバカな男に付いている女性たちを見事に浮き彫りにします。妻のフーマは、ヒラリーの側近中の側近として世界中を飛び回っただけあって、冷静に事態を見つめていました。なんと、ヒラリーは、自分の大統領選挙出馬へのイメージ低下を避けるため、夫を取るか、自分を取るかを迫ったらしいです。そして、ウィーナーの選挙スタッフにいる多くの女性たち。危機回避に、こちらもやはり冷静に取り組んでゆく様が描かれています。

映画は、ウィーナーを描くとみせて、実はだらしないことなんて、とっくに知ってるわ、とでも言いたげな女性たちの仕事ぶりを描いた作品とも見えてきます。アホな男性上司に辟易している方々、必見です。

監督は二人。お一人はエリース・スタインバーグという女性。やっぱりね。

 

京都シネマで上映中の「人生タクシー」を観ました。

「人生タクシー」なんてタイトルから、車窓から窺い知る人生模様を描いた作品だなんて思うと、大間違い。もしかしたら退屈するかもしれませんが、この監督の映画人生を少しでもご存知なら、頭の中がひっくり返る映画です。

監督のジャファル・パナヒは、過去に監督した作品でイラン社会の実像を描き、国際的には評価されていますが、イラン国内では上映を禁止されています。逮捕された経験もあり、数十日間拘留されています。その時は、自身が拘置所内ハンストを実行し、そして世界中の映画作家達の尽力もあって、保釈されました。しかし、裁判所は映画製作・脚本執筆・海外旅行・インタビューを20年間禁じ、違反すれば6年間の懲役を科される可能性もある、という判決を言い渡します。

そこで、撮ったのがこの映画。タクシー運転手に扮した監督自身と乗り込んでくる奇妙な人たちのやり取りを描いたドッキリカメラみたいなドキュメンタリーなのですが、どうも乗って来る人たちは素人ではありません。役者ですね、これは。だから、ドキュメンタリーに見せかけた劇映画です。お上に、これ映画じゃないもんね、と言い張るつもりなのかも。

延々、この乗客達との会話を、助手席に設置されたカメラが追いかけるだけの映画です。私も何度か、ウトウトしかけましたが、退屈はしませんでした。

後半、姪っ子が乗ってきます。彼女は学校で短編映画を撮りなさいという課題を与えられ、車内でもカメラを回します。とある横町で、ゴミを漁る少年が、路上に落ちていた財布を盗んでいるところを撮影します。学校は、「現実を撮りなさい」しかし、「醜い現実はだめです」と表現に制限しています。で、彼女は少年がお財布を持ち主に返すところを撮って美談の現実を撮るべく、少年に指示します。しかし、少年は去っていきます。映画上映できない!と彼女は罵声を浴びせます。

偽の現実を撮ろうとする彼女のカメラのファインダーを、タクシーのカメラが撮り続けるという不思議なシーンです。お上好みのフェイクな現実を撮る、リアルな現実。一見、活気のある街並みなのですが、自由のない国。

翻って、キナ臭い法律ばっかり作って、国民の目に蓋をして、でも言う通りしていれば、幸せな一生間違い無しと迫る我が国のお上。反対を表明した途端締め付けてくる国も、また似たり寄ったりの国家なのかもしれません。さて、そんな情けないこの国に、ジャファル・パナヒみたいな気骨ある表現者が現れるのでしょうか?

蛇足ながら、、この映画はイランでは上映禁止。映像を収めたUSBを箱に入れて国外の持ち出し、支援者の努力で作品として公開されました。穏やかそうな表情で運転する、このおっさん只者ではありません。

 

京都シネマで朝、一回上映の名画リレー(京都シネマ会員は500円!)作品「アイ・イン・ザ・スカイ世界一安全な戦場」を観てきました。ポリティカルサスペンスの傑作で、一秒も画面から目を離せない映画です。現代の戦争の一断面を、サスペンスいっぱいに描いただけの映画かというと、そうではないところが妙味です。

舞台は現代のナイロビ。その上空6000mを飛ぶ無人偵察機ドローンの「空からの目」が、テロリストの動向を探っています。凶悪なテロリストたちが、大規模な自爆テロを実行しようとしていることをつきとめ、その隠れ家をドローン搭載のミサイルを使用して爆撃しようと英国、アメリカの軍人たちは動きます。ところが、そのテロリストのアジト前で、近くに住む少女がパンを売っている。この少女を犠牲にして、爆撃を敢行するのか否かを巡り、軍部と政治家の熾烈な駆け引きが始まります。

即時爆撃を主張するイギリス軍のキャサリン大佐と、少女を巻き込むことに逡巡して、英米政治家が、法的責任を巡ってタライ回しを始めます。この辺りのやり取りを、映画は極めて冷静に描いていきます。大義なき戦争を始めておいて、少女1人の命の重さも今更ないだろうと思うのですが、その矛盾を抱えたまま映画はどんどん進みます。

この軍人も政治家も、戦場から遠く離れた場所で、ドローンから映し出される映像だけを見て判断しています。「世界一安全な戦場」というサブタイトルそのままです。私たち観客も、この映像を凝視しながら、無意味な戦争への参加を余儀なくされます。

椅子に坐って、空調の完備された空間にいる軍人、政治家たちの中で、実際にドローン搭載ミサイルの引き金を引くアメリカの軍人が悲惨です。目の前に広がる惨劇を目にした彼が、おそらく精神に変調をきたし、普通の人生から逸脱してゆくことを予感させる様な表情でスクリーンから消えていきます。もちろん、この少女にも未来はありません。

殺戮の実感を伴わない現代の戦争の、ゾッとする姿を垣間みたような作品でした。