ビン・リュー監督「行き止まりの世界に生まれて」(uplink京都で公開中)は、今年観たドキュメンタリー映画の中でベスト3に入れたい傑作です。9月9日のブログで「mid90sミッドナインティーズ」という映画を紹介しましたが、あの映画のドキュメンタリー版的な作品です。

カメラは、先ず、街の中をスケボーで爽快に滑ってゆく3人の若者たちを捉えます。そのスピード感にこちらも気分良くなってきます。しかし、ここから語られる彼らの人生は、タイトル通り「行き止まりの世界」です。「アメリカで最も惨めな町」と言われているイリノイ州ロックフォード。キアー、ザック、ビンの3人は、幼い頃から、貧困と家庭内暴力に晒されて生きてきました。過酷な現実から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいます。スケートだけが彼らにとって唯一の居場所、スケート仲間が一つの家族。
けれど、大人になるにつれ、いつも一緒だった彼らも少しずつ違う道へ進んでいきます。
ようやく見つけた低賃金の仕事を始めたキアー、恋人との間に子供が生まれて父親になったザック、そして映画監督の道を歩み始めるビン(本作の監督です)。ビンのカメラは、自分自身を含めて一見明るく見える3人の、悲惨な過去や葛藤をあらわにしていきます。今まで問えなかった母親の事情と親子の確執が、監督として対話することで、緊迫した場面となっています。
希望が見えない環境、大人になる苦しみ、根深い親子の溝。ビンが撮りためた12年間のスケートビデオを巧みに編集して、この場所に生きる若者のリアルな青春が描かれています。
ロックフォードは、いわゆるラストベルトで、鉄鋼や石炭や自動車などの産業が衰退し、アメリカの繁栄から取り残された街です。街には生気がありません。静まりかえっています。「トランプのアメリカ」のリアルな姿です。
それでも、彼らの笑顔を見ていると未来は変えられるのかもしれないと思えます。事実、ラストでは3人のそれぞれのほんのちょっと明るい未来が紹介されます。でも、それが続くのかと問われたら、なんとも答えようがありません。
エンディングは、オープニングと同じように街中を疾走する彼らを追いかけてゆくシーンです。それぞれに不安と痛みを抱えながらも、前に進む彼らを応援せずにはいられない、そんな作品です。
アカデミー賞、エミー賞Wノミネート、サンダンス映画祭をはじめ数多くの賞を総なめ、オバマ前大統領もも絶賛した映画です。オススメ!

1973年「アメリカングラフティ」という映画が封切られました。高校卒業の一夜の大騒ぎを描いた青春映画なのですが、ラスト、その高校生の一人の現在を伝えるテロップが流れます。「ベトナム戦争に出征して行方不明になった」と。

明るい未来が待っているはずが、ベトナム戦争で暗転してしまいます。それと同じような、いやもっと悲惨かもしれない10代の若者の姿を描いたのが「mid90sミッドナインティーズ」です。

舞台は1990年代のL.A。兄の突発的な暴力に恐れ、シングルマザーの母にも反発している十三歳のスティービーは、サーフボードショップにたむろする少年グループの仲間に入ります。大人への反抗的態度、酒やタバコの不良的な雰囲気にスティービーは憧れます。そしてリーダー格のレイのスケボーのテクニックを見て、スケボーに夢中になっていきます。彼にはそこだけが輝いていて、彼らといる時だけ生きている実感を味わえるのです。

けれど、この少年たちもそれぞれに深い事情を抱え込んでいます。映画は4人の少年グループとスティービーの、出口のない青春を描いていきます。90年代半ばに十三歳だったジョナ・ヒル監督は、16ミリフィルムを駆使して、あの時代の空気を巧みに作り上げていきます。

監督は暴力を振るう兄にも、心の中に傷を抱え込んでいて、決して弟が嫌悪だけの存在ではないことも描いています。交通事故を起こして入院したスティービーの元へ来た兄が、黙ってジュースを渡すシーンは、兄弟のお互いの感情が交差してゆく優れた場面です。

2001年、同時多発テロが起こり、その後アメリカの権力者は、狂ったように戦争にのめり込んでいきます。そして、また多くの若者が戦場に駆り出されます。お金もない、学歴もない、この映画に登場する少年たちも、やむなく戦場に行ったかもしれません。映画は彼らの未来に関しては一言もいいませんが、観終わった後、彼らの前にどんな人生が待ち受けているのかを考えると辛いです。それがこの大国のリアルな姿なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オフィシャル・シークレット」は文句なしに面白い映画でした。

南アフリカ出身の監督ギャヴィン・フッドは、前作「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」では、ユニークな視点で、戦争映画を作り出しました。ドローン攻撃によって持ち上がる道徳的問題、倫理的問題、法律的問題をサスペンス風味豊かに描いた傑作でした。

本作「「オフィシャル・シークレット」」の舞台は2003年イラク開戦前夜です。イギリス諜報機関GCHQに勤務するキャサリンは、アメリカの諜報機関NSAから送られてきた極秘メールに愕然とします。それは、国連安全保障理事会に属する複数の国家へのスパイ活動の指示書でした。そのままにすることができなかったキャサリンは、知人の活動家を通して「オブザーバー」紙に、情報をリークする決心をします。映画はここから、キャサリンの行動と彼女が巻き込まれる裁判を描いていきます。実話なので、当然当時のブレア首相や、ブッシュ大統領の映像がバンバン挿入されています。エンディングには主人公本人も登場します。

大義なき戦争に遮二無二突っ込んでゆくブッシュ政権と、その神輿に乗ってしまったブレア政権。誠意のかけらもない大国のエゴに、たった一人でたちむかう女性という構図は極めて映画的ですが、ギャヴィン・フッドの演出術は冴えに冴えています。サスペンス映画の王道を進みます。誰が見ても、当時のポリティカル状況が容易に理解できる作品に仕上がっています。

こういうリアルな政治映画を作ろうとした監督に、それなら金を出してやると名乗り出たプロデューサー、そして作品を拍手で迎えた観客。このこと自体が映画界にとって幸せなことだと思います。

仕事を途中で放り出して、第一線から逃げ出したように見える首相の数々の大ウソを、いつの日か、登場人物みんな実名で映画化できる日を期待しています。

 

 

毎年8月15日の敗戦記念日には、原民喜の「夏の花」を読みます。原爆で命を奪われた妻の墓参りに行くところから物語が始まります。原爆投下の日、「私は廁にいたため一命を拾った。」ここから広島の地獄絵が書かれていきます。この本と共に、岡本喜八監督の映画「日本の一番長い日」を観たりします。ポツダム宣言受諾から玉音放送までの間に、権力者の中で何が起こったのかをリアルに描いた傑作です。最近リメイクされてましたが、重厚感ではオリジナルに敵いませんでした。

さて、今年は少し違う本と映画に出会いました。映画は、堀川弘通監督「軍閥」(1970)です。海軍と陸軍の権力闘争で、日本が戦争の深みにはまってゆく様が描かれています。印象に残ったのは、一人の特攻隊員と、毎日新聞社の記者との会話です。出撃したものの敵艦を見失い帰ってきて、再び特攻命令を待つという立場の彼が、やってきた新聞記者を激しく詰ります。メディアが戦争を賛美し、東條英機を祭り上げたのだと。記者が、負けていることを国民に知らせて早く終結させるべきだというのに対して「勝てる戦争なら、やってもいいのか」と詰め寄るのです。この問いかけは衝撃的でした。勝とうが、負けようが戦争の全否定を特攻隊員が口にするのですから。

今回読んだ本は、濱田研吾著「俳優と戦争と活字と」(ちくま文庫/古書700円)です。これは労作です!よくこれだけの資料を集めたものです。著者は、京都造形芸術大学を卒業して、映画、放送、鉄道など多彩なジャンルで執筆活動をしています。

「昭和に活躍した俳優が好きで、そうした人たちが書いたり、語ったものを高校時代から蒐めてきた。映画・演劇・放送関係の本や雑誌、俳優が書いた(語った)本、プログラムや広告の類いまでいろいろである。」おそらくそれらの膨大な資料(巻末に参考・引用文献の一覧が載ってますが、おそろしい量です)から、俳優たちが戦争について、疎開について、原爆について、そして玉音放送について語ったものを拾い上げたのが本書です。

多くの演劇人、俳優たちが、自分たちが経験した戦争を語っています。最初に紹介した「日本の一番長い日」のパンフレットで、8月15日に何をしていたのいか、その時の気分はどうだったのかを出演俳優たちに問うアンケートの回答が載っています。

例えば、当時八歳だった加山雄三は「小学校二年生の時だった。家に憲兵がいて、あの放送をきいて泣いていたのを覚えている」と回答しています。笠智衆は41歳。「玉音にタダ涙。カンカンでりの青空が空しかった」と答えています。

悲惨な戦闘を繰り広げた中国戦線、大陸からの引き揚げ、シベリア抑留など多くの俳優たちが経験した戦争の姿が迫ってくる一冊です。

 

女優オリヴィア・ワイルド初監督作品「ブックスマート」(MOVIX京都で上映中)は、アメリカの二人の女子高校生が主人公の、文句なしに楽しい映画です。

ひたすら勉強して一流大学入学が決まったモリーとエイミー。遊んでばかりいた連中とは、私たちは違うもんね、と見下していたのですが、ヘラヘラしていた同級生も実は、それぞれ一流校に入ったことを知り、勉強ばかりしてバカみたいと思った二人は、最後に思いっきり羽目を外そうと、卒業パーティーに突入します。

なんだ、女子高校生の学園モノか、とバカにしたら素敵な映画を見逃しますよ。この映画は学園モノの王道の”ボーイ・ミーツ・ガール”ではありません。最後まで、二人の高校生の友情のお話です。二人の会話が、もう刺激的、刺激的です。下半身ネタやら、言いたいことをバンバン言い合います。そして、卒業を前に、エイミーは自分が同性愛者だとカミングアウトします。際どい会話、本音トークが炸裂します。

でも、ただワイワイやってるだけではありません。パーティーでお互いの魅力に惹かれて、エイミーと抱き合ったホープという女の子が、卒業式の後、エイミーの家にやってきます。

ホープが「私はバックパック背負って半年ほど旅に出る」と言うと、エイミーは「私は一年間アフリカに行ってくる」と答えます。じゃあ、またねと別れる二人。世界での自分の立ち位置を見定めて、社会へと飛び出してゆく二人の笑顔が素敵です。

アフリカへと旅立つエイミーを見送るモリー。ちょっとセンチな気分になっているのですが、お互いの夢を認め合い、最後までやっぱり弾ける笑顔に、オリヴィア・ワイルドのセンスが光ります。魅力的な女子たちが、これからの世界を引っ張っていってくれる予感がします。昨日紹介した「女の答えはピッチにある」同様「どんとこい、人生」的な元気を与えてくれます。(写真は監督です)

因みに、「ブックスマート」は、試験に合格したり有名大学を卒業することでスマートとみなされる人達のことらしい。皮肉として、実践に乏しい人という意味もあるとか。

イギリス郊外の閑静な住宅地。玄関で草花の世話をしている高齢の女性が、主人公ジョーンです。ある日、ドアを激しくノックする音がして、開けると、警察がスパイ容疑で逮捕するというのです。

どこにでもいそうなおばあちゃんが、突然のスパイ容疑?映画「ジョーンの秘密」の幕開けは、いきなり不穏な空気が漂います。

そして物語は、ジョーンがケンブリッジ大学で物理学を専攻していた1938年へと戻ります。そこで彼女は、友人に誘われた共産主義者たちの会でレオという男性に一目惚れをして恋におちます。

時代は、第二次世界大戦のまっただ中。大国は新しい兵器である原爆の開発に突っ走っています。1941年、ジョーンの勤務する核開発研究所もやはり、原爆研究に邁進しています。優秀な学生だった彼女は、ここで実力を発揮し、上司である教授の助手として研究の核心部分に触れていきます。やがて、アメリカによるヒロシマへの原爆投下。

その爆発の一瞬を映像で見たジョーンは、予想以上の破壊力に驚き、恐れます。自分たちの作ろうとしていたのは、とんでもない怪物だったのです。「ヒロシマ…..」と呟く彼女の顔にはこんなものを未来に残すのかという不安が満ちていました。

映画は、現在のジョーンと、若き日の彼女を交互に見せていきます。原爆の恐怖に慄いた彼女が選んだ行動は、平和のために核を抑止力として使うことでした。そのためにアメリカに敵対するソ連に情報を流すという、研究員としてはやってはならない行為でした。大国はいつの時代も、若い才能を政治に利用して使い捨てにすることを厭わないのです。違法行為とわかっていても、たった一人の女性が、考えた末取り得る数少ない正義の行動だったのかもしれません。仕事の上で、男性と同等に扱われることがなかった時代背景も取り入れながら、原爆に関わったために、大きく人生行路を変えていかざるを得なかった女性の一生。名優ジュディ・デンチと、彼女の若き日を演じたソフィー・クックソンの二人の演技が素晴らしく、映画全体もオーソドックスで端正な演出で貫かれています。傑作です。

 

 

大島新監督のドキュメンタリー「なぜ君は総理大臣になれないのか」(京都シネマにて上映中)は、日本の政治風土を丸裸にするような傑作映画でした。

若手国会議員の小川淳也氏。2019年の国会で不正会計疑惑を質す姿が注目を集めた政治家です。映画は17年にわたって彼を追いかけました。

2003年、小川は32歳で民主党から衆議院選挙に初出馬するも、落選。05年の衆議院選挙において比例復活で初当選。09年に民主党が政権を奪取。気高い政治思想を持っていた小川ですが、党利党益に貢献しないと出世の目のない政治の世界で、しかも敗者復活の比例当選を繰り返していたことから発言権も弱く、党内では力をつけることができませんでした。

17年の総選挙で、希望の党に合流した前原誠司の側近であった彼は翻弄されます。希望の党の小池百合子代表に対する不信感から無所属での出馬も考えるのですが、悩んだ末に希望の党から出馬し、地元ではまたも落選。再び比例で復活したものの、今度は希望の党が解体してしまい、国民民主党へ。前原や、地元の先輩である玉木雄一郎への仁義に絡め取られながらも、一生懸命に選挙運動を続ける彼をカメラは追いかけます。

 

希望の党に鞍替えして選挙運動に出たばかりに、街の中では、裏切り者!という罵声が飛んでくる。そんな中、妻や娘もタスキをかけ、地元商店街を走り回るという典型的な日本の政治風景も、そのままカメラは捉えていきます。理想を追求しながらも、もがき、溺れ、なんとか這い上がろうとする若き政治家の姿。

「こんな選挙やってていいのかな。」

これは、小川の選挙のスタッフである同級生の言葉です。選挙カーから大きな声で連呼し、狭い道路に車を止めて演説を行ったりする運動への疑問。一族郎党を担ぎ出しての電話攻勢や、手紙の配布。小池氏への不信がありながら、希望の党員に甘んじている自分を見つめ、なぜ、無所属で出馬しなかったのかという後悔。

これは、一人の政治家の選挙の顛末ではなく、国を憂い、このままではいけないという熱い思いに突き動かされて、彼の父の言葉を借りれば「猿芝居」の横行する政治の世界で、あがく青年の映画です。

小泉今日子が「この映画がフィクションならば『主演男優も脇も固める役者たちも脚本も編集も最高!続編に期待したい。』となるのだが、これは一人の人間を追ったドキュメンタリー。自分の人生、生きかたを改めて考える時間になった。」と推薦の言葉を贈っていますが、それは小川が真摯に政治へ向かい、思いが、つまり彼の哲学がそこにあったから人の心が動くのだと思います。

 

★8月17日(月)〜20日(木)まで休業いたします

話題の日本映画「アルプススタンドのはしの方」を観ました。「笑点」の大喜利風に言えば、座布団10枚!と声を掛けたくなるセンス。

夏の高校野球予選。地元公立高校と、優勝候補校の一戦の応援に駆り出され、いやいややって来た高校生4人。アルプススタンドの端っこでグタグタと話しをしている中、グランドで試合は進行していきます。けれども、映画には一切、野球のシーンがありません。必死で応援する応援団とブラスバンドの掛け声とアナウンス、そして、カーン、コーンと時折聞こえてくる打撃音だけが試合の進行を教えてくれます。

元々、この映画の原作になっているのは、東播磨高等学校が全国高等学校演劇大会で最優秀賞を獲得した戯曲です。

この四人、落ちこぼれでも、不良でもありません。まぁ、いたって普通の、どちらかと言えば真面目な男子高校生と女子高校生です。演劇部に所属する二人の女子高校生、元野球部の男子高校生、エースピッチャーに恋心を抱く優等生の会話が続きます。何かと言えば、「しょうがない」を連発して下向きな彼らが、試合経過とともに、ちょっと上を向くという、よくある青春映画です。でも、野球のグラウンドを見せずに、野球の経過と共に、変化してゆく四人の様を描いた映画の作り方に拍手です。監督は城定秀夫。なんとポルノ映画や、Vシネマ(レンタル屋にあるアクション映画)を多数作ってきました。少ない予算、セットなしのロケ撮影という過酷な制作条件に対応してきた人だからこそ、こんな自由な映画ができたのかもしれません。

 

「『怒りの葡萄』は10代必読の書です」

とは、映画に登場する図書館司書のセリフです。ジョン・スタインベックが1930年代に発表した長編小説「怒りの葡萄」は、土地を追われる農民と資本家の軋轢を描いた物語です。「パブリック図書館の奇跡」で、この一節を良い場面で使っています。とてもウェルメイドな作品で、社会体制批判を織り込みながら、成る程と納得させるエンタメ映画に仕上がっています。監督・脚本・主演はエミリオ・エステベス。「地獄の黙示録」などで有名な俳優マーティン・シーンの長男。「プラトーン」に出ていた俳優チャーリー・シーンは弟という映画一家の役者で、監督です。

舞台はオハイオ州シンシナティの公共図書館。実直な図書館員スチュアート(エミリオ・エステベス)が、常連のホームレスから「今夜は帰らない。ここを占拠する」と告げられます。大寒波で路上凍死者が続出しているのに、市の緊急シェルターが満杯で、行き場がないから、ここに泊まることを決めたというのです。70人余りのホームレスが図書館の一部を占拠。彼らの苦境を察したスチュアートでしたが、事態はそれでは収まらず、政治的なイメージアップをもくろむ市長候補の検察官の主張や、センセーショナルなメディア報道によって、スチュアート自身が危険な”容疑者”に仕立てられてしまい、機動隊が出動し、スチュアートとホームレスたちは追いつめらていきます。

「俺は本で救われた。だから、ここで働いている」とスチュワートは語ります。かつて、彼はアルコールと薬で体も心も蝕まれ、犯罪を起こし、路上生活も経験していました。そんな彼が、本を読むことで、荒れた生活から抜け出すことができたのです。

さて「怒りの葡萄」ですが、事件の中継をしていたマスコミにスチュワートがコメントを求められた時に、小説の中の台詞を語ります。ここにいるホームレス達も、小説の中の農夫達も、政府や資本家から搾取され、放り出された人たちです。だからこそ、この台詞には説得力があるのです。

占拠が長引き、警察は突入することを決めます。今回だけは反抗すると宣言したスチュワートやホームレスは、大胆な行動(これは映画を見てのお楽しみ)に出ます。上手い!ラスト。監督の才能に感服しました。非暴力、非抵抗ながら彼らの意志を鮮明にしたエンディングには拍手拍手でした。

「ここは公共図書館だ。民主主義最後の砦だ」

と、スチュワートが警察に向かって言います。アメリカでは公共図書館とは権力から表現の自由を守り、弱者の側に立つ、そういう存在なのだということを知ると、羨ましくなりました。

花田菜々子(書店員/ブックストア・エイド基金運営事務局メンバー)さんは、映画のHPでこうコメントしています。

「書店員も図書館員も慈善事業じゃない。でもいつでも弱者の側にいたいと思う。たくさんの本が私に、弱く生きる人々の美しさを教えてくれたからだ。」素敵なコメントです。

 

 

 

 

ヨーロッパで大人気だった舞台を映画化したドイツ映画「お名前はアドルフ」(京都シネマにて上映中)がとても面白い!!

舞台は現代のドイツの大都市ボン。哲学者で大学教授のステファンと教師のエリザベスの夫婦は、ある夜、実業家の弟トーマスと恋人、夫婦の幼馴染みで音楽家のレネを招いてディナーをすることになっていました。それは、きっと知的な会話に満ちた愉快な夜になるはずでした。

しかし、出産間近の恋人を持つトーマスが、生まれてくる子供の名前を「アドルフ」にすると発表したことからその場の雰囲気はガラリと変化していきます。アドルフ・ヒトラーと同じ名前を子供につけるとは気は確かなのかと、ステファンも、エリザベスも、レネも猛反対。まぁ、当然の反応ですね。ところが、論争はここから意外な方向へ展開して、家族の秘密が暴露されていき、スノッブでインテリ階級の、その顔の下に隠れている部分が露出してきます。とうとう、レネの恋が明るみに出た途端、もう収拾がつかない状態になってしまいます。トーマスとエリザベスの速射砲のような掛け合いは大爆笑もんです。ともかく5人の俳優たちが巧い。

それまで甲斐甲斐しく料理を運び、おもてなしをしていたエリザベスが最後に爆発。おいおい、どうなってゆくんだこの家族、という展開なのですが、ご心配なく。なんと、ハッピーエンドです。

ステファンとエリザベスが住む住居のデザインが素敵です。食堂には絵画や写真が飾られ、高級なオーディオセットに、ズラリ並ぶレコード。居間にはピアノがあり、モダンなデザインの応接セットが並んでいます。キッチンも整理されていて、仕事をしながら家事をこなすエリザベスの日常が垣間見えます。カメラは、それぞれの部屋を巧みに移動しながら、この5人の口論をみせていきます。90分ノンストップで突っ走るコメディ。あなたの脳みそを揺さぶる傑作だと思います。

エリザベスの爆発には、そうだ、そうだと思われる女性も多いはず。