話題のホラー映画「クワイエット・プレイス」を観てきました。ホラーというジャンルを越えて美的センス溢れる素敵な映画でした。

監督、脚本、製作はジョン・クラシンスキー。クラシンスキー監督の妻で俳優のエミリー・ブランドが主演、監督自身がその夫を演じ、他の共演者と言えば子供たち三人、これでほぼすべてです。場所はアメリカの片田舎のみ。もう、これは低予算映画と言っていいでしょう。

映画は、異星人が地球を襲い、ほぼ全滅の状態らしいところから始まります。この異星人はどうやら視力がほぼ無く、音にのみ反応します。大きい音がすると人でも動物でも襲って殺します。だから、この一家は手話で会話します。監督は、彼らの音のない生活を丁寧に描いていきます。魚はフライパンで焼くのではなく、蒸し焼き。また、フォークとお皿も音が出るというので、葉っぱに包んで食べます。

クラシンスキー監督、考えましたね。エイリアンやらプレデターなど、先行する異星人のキャラには負けてしまう。なら、映像ではなく音で怖がらせ、映画を作ってしまおうと。従ってこの映画の主役は、音です。川や滝の音、風の音、そしてそっと歩く人間の足音。(皆さん素足です)釘を踏みつけて、イタァ〜!と大声出したいのに、ぐっと堪える妻の表情などお見事な演出が続きます。フィルムに寄り添うサウンドトラックさえ、静かに流れていて全然ドラマチックではありません。金がなくても、ハリウッドのプロデューサー連中を振り向かせたる!という気合い十分です。この家族、元々会話が不十分ではなく、普通に話せることが分かるのですが、その時の滝の音の巧みな使い方などの小ワザもバッチリ決まります。

さて、この一家に、新しい子どもが誕生します。え!子どもが泣いたらどうするの?ここは言えません。子どもが生まれてくるあたりから、お母さん、俄然強くなります。「エイリアン2」「ターミネイター」などのヒロインを思い出しました。ただ、異星人が登場すると、キャラの造形では勝ち目がないと思っているのかどうか、演出のテンションが下がります。実際、この異星人、よくあるタイプで、ああまたこれかという感じなのです。お母さんと新生児がこれと対峙するとき、流れ込んできた水の音の演出がここでも見事ですが、異星人の印象は薄い。

しかし、ラストシーンはかっこいい!やはり低予算ながら大ヒットした「ターミネイター」の第一作のラストを思い出してください。未来の戦士を身ごもったヒロインが、黒のレイバンサングラスにバンダナ、そして大型拳銃に強そうな犬を連れて、暗雲立ちこめる未来に挑戦する気合い十分の姿を見せてくれましたよね。「クワイエット・プレイス」には、あのラストへのリスペクトが込められてます。こういう時にドンピシャの関西弁は、「このガキ、いてもぉたるで!」やはりこれでしょう。

90分の上映の間、手にした珈琲をこぼしかけたシーンが三回ほどありました。監督の頭の良さと、ラストの母娘の気合いに拍手喝采で映画館を出ました。お薦めです。

★ 勝手ながら10月22日(月)23日(火)連休いたします。

 

 

イスラエル映画「運命は踊る」(サミュエル・マオズ監督作品)を観て来ました。予告編で、国境警備所のゲートを一匹のラクダが、ゆっくりと通過するシーンを見て、これは面白いかも、と思ったのです。

高名な建築家が住むマンションに、イスラエル軍の兵士がやってきてこう伝えます。「あなたのご子息は戦死されました」と。悲嘆にくれる父と母、親戚の面々。母は悲しみのあまり倒れてしまいます。葬儀の準備が始まったその時、戦死の報告を言った兵士が再度訪れ、「あれは間違いでした。同姓同名の人物と間違えました」。こんな間違いなんて言語道断。烈火の如く怒りだした父親は、すぐに息子を戻せと兵士に詰め寄ります。

ここで、序章は終わります。場面変わって、予告編にも登場した国境警備所。と言っても、戦争の陰など全くない場所です、時々、ラクダがやってくるか、車に乗った一般市民が通過するぐらいのノンビリした警備所です。ボロボロの警備車両に、だんだん傾くオンボロ兵舎、不味そうな缶詰だけの粗末な食事。何も起こらない場所で、24時間交代の警備勤務をこなしている、その中の一人が、戦死と間違えられた兵士です。誰と、何のための戦争かもわからないまま、敵の影すら見えない警備所の生活は、生きる意欲も失せ、まるで生きる屍の如き毎日です。それでも、彼らはそれなりに暮らしていました。監督は悲惨な状況をことさらクローズアップでせずに、静謐な雰囲気で書彼らの毎日を淡々と描いていきます。しかし、ある日、彼らはとんでもない事件を引き起こします。この事件前後の描き方は極めてスタイリッシュです。何が起こったかは映画館でご覧ください。

そして、映画は、再び父と母が住んでいたマンションに戻ります。でも、何だか状況が変化しています。灯の消えたマンション。酒びたりの母。所在なげな父。何が起こったのでしょうか?息子は帰ってきたのでしょうか?この夫婦はどうなってしまったのか、うっすらと予想はできますが、衝撃的な答えが最後に用意されています。運命とは、こんなに残酷なものなのか。この夫婦の悲しみと苦しみ、人生のやるせなさの向こうに、少し見えてくる希望。ラスト、切ないピアノの旋律に合わせて、映画のオリジナルタイトル「フォックストロット」というステップの踊りを繰り広げる二人に涙しました。

母国イスラエルの保守派政治家からは、国の資金を使ってこんな映画を作るとは、と攻撃されたみたいですが、イスラエルのアカデミー賞的存在のオルフィー賞8部門獲得し、本家のアカデミー外国映画賞にもノミネートされました。予告編の面白さはホンモノでした!

 

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と、書くといかにも難しいテーマです。しかし、そこを巧みに映像化して、彼らの国から遥か彼方に住む日本人にも、内容を理解させてくれたレバノン映画「判決、ふたつの希望」(ジアド・ドゥエイリ監督作品)はお薦めです。

レバノンで自動車修理工をしているトニーは、ささいな事で住宅補修の現場監督ヤーセルと喧嘩を起こし、罵り合うちに民族差別用語を口にし、ヤーセルに殴られます。謝れ、謝らん、とお互いエスカレートし、裁判沙汰になっていきます。

トニーはレバノン人で、愛国的キリスト教徒。一方のヤーセルは戦火を避けてレバノンに逃れた難民です。最初は二人の喧嘩を仲裁する裁判が、やがて政治色を帯び、裁判所に詰めかけたレバノン人とパレスチナ難民が対立する騒ぎにまで進展してしまいます。怒りっぽく、猪突猛進なトニーに対して、なんとか戦争から逃れてこの国で細々と暮らしているヤーセルには、悲しさが付きまといます。だから、暴力を加えたヤーセルにシンパシーが湧くようになります。しかし、後半トニーの秘密に迫るあたりから、映画は、どちらが加害者でどちらが被害者なんだ、と観客に迫ります。法廷シーンが中心となりますが、サスペンスの重ね方が見事で、画面から目を離せません。

トランプのアメリカ第一主義にしろ、ヨーロッパ各地で起こる難民排斥の動きにしろ、我が国のヘイト・スピーチにしろ、「俺たちが正義だ、お前達は悪だ」と一方的に決めつけ、排除しようとする動きに、おい、ちょっと待て、ほんまにそうか?と問いかけてきます。

ラストは100%めでたしで終るわけではありません。しかし、ほんの僅かな希望を残します。現実はあまりにも苛烈だ、しかし映画には希望を残しておきたい、という監督の思いが伝わりました。感動的です、あの微笑みは。

ところで、裁判が政治的になって収拾がつかなくなった時、レバノンの大統領が登場し、二人に和解するよう説得します。その時、トニーが言うセリフが凄い!「お前は公僕だろ。オレの権利を回復しろ!!」(写真右。左側から大統領、トニー、ヤーセル)

一般人が国の最高権力者に向かって、公僕やったら、人民のために仕事せんかい!と詰め寄るんですからね。安倍さんにも、トランプさんにも是非見て頂きたいものです。

 

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売上げはARKに寄付いたします。よろしくお願いします。

カレンダーの犬や猫たちついては、撮影者の児玉さんのブログに上がっています。

 

 

これは、今の日本ではそう簡単に作れない映画です。母国の歴史的汚点を、一部のコアな映画ファンに向けてではなく、一般の人達に見てもらえる映画なんて、誰も作らないし見たくないのかもしれません。

チャン・ジュナン監督作品「1987ある闘いの真実」は、1987年1月に起こった学生運動家の朴鍾哲拷問致死事件から、その後の民主化闘争を真正面から描いた映画です。本国では2017年12月に公開され、多くの観客動員をしました。

当時、韓国は全斗煥大統領軍事政権の圧政のもと一般民衆は苦しんでいました。民主化を求めるデモが学生を中心に激化した最中、ソウル大学の学生が警察の取り調べ中に水責め拷問で死亡します。原因は共産主義撲滅に燃える治安本部のパク所長(キム・ユンソク)にあるのですが、この所長がこうまで共産主義を嫌悪する理由も観客は知ることになります。

もみ消しを画策する所長達の前に、無頼派で権力に屈しない検事やら、恫喝なんてなんのその、猪突猛進する新聞記者など、社会派サスペンス小説や映画には定番のキャラが登場します。映画は、彼らがぐいぐい引っ張ってゆくリアリズムドラマになるのかと思いきや、後半の話は、美形男子大学生と彼に憧れる女子大生の2人が引き継いでいきます。

えっ?なに、その展開?と私はちょっと混乱しました。今の韓国映画の実力なら、もっと切れ味鋭い映像表現も出来たはずです。ラストシーンには、ちょっとなぁ〜と思ってしまいました。しかし、よくよく考えてみると、これはワザとじゃないか、誰にでも感情移入しやすく、自分たちの国の根幹に潜む悪の存在をはっきりと浮き彫りにするために、こういう演出をしたんじゃないかと思えてきました。ドキュメンタリータッチで始動し、多彩な人物が登場するドラマチックな群像劇へと発展し、若い男女の悲しい青春ドラマで幕を閉じるなんて、この監督の力技ですね。

1987年と言えば、日本はバブル経済の真っ最中。高級車、高価なブランド品、贅沢な食事に狂っていた時代です。俵万智の「サラダ記念日」がベストセラーになっていました。また安田海上火災がゴッホの「ひまわり」を高額で落札した事を皮切りに外国の有名絵画の購入ブームが巻き起こった時代でもあります

金の亡者になっていた我が国のお隣で、こいつは怪しいと見なされるや否や捕まり拷問を受け、デモを行えば催涙弾が飛びかっていました。そんな暗黒の時代を、数十年経った今、もう一度見直そうとする映画を作った映画人がいて、やはり見ておこうと思う人が数多くいたのです。拷問シーンにも目を逸らさず、自分たちの国の恥部を知っておこうと劇場に向かいました。つくづく韓国の人って、強靭だなと思いました。

慰安婦問題は解決済みなんて言ってる政治家の皆様、もしこの問題を真正面から捉えた映画が公開されたらどうします?軟弱な皆さん、韓国の人たちの強靭な精神に木っ端みじんにされますよ。

 

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠氏の「ネイチャートーク」が決定しました。

10月27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)

 

 

 

 

2017年度ベルリン映画祭金熊賞を受賞したイルディコー・エニェディ監督作品「心と体と」(京都シネマにて上映中)は不思議な、でも奥深い映画でした。この映画の描写に三つの優れた点があります。

1. 野性の鹿の撮影が見事。

2.屠殺現場のリアルな毎日が描かれている。

3.人間は浴槽で手首を切って自殺をはかっても、そう簡単には死ねない。

はぁ〜?どんな映画なんや、それは?と頭を傾げたくなるでしょうが、実は、究極の“Boy meets Girl”映画です。

ブダペスト郊外の食肉処理場。代理職員として働くマーリアはコミュニケーションが苦手で職場になじめない女性です。彼女の上司のエンドレは何かと彼女を気にかけるのですが、上手くコミュニケーションが取れません。しかし、ひょんな事からマーリアとエンドレが同じ夢を共有していたことが明らかになります。。その夢はなんと、二人は野性の鹿として出会い、共に行動していたのです。

映画は、無味乾燥とした日常の合間に、その夢に出て来る鹿のショットを挟みこみながら進行していきます。奇妙な一致に驚き、二人は、夢の話をきっかけに急接近していきます。マーリアは戸惑いながらもエンドレに強く惹かれていきますが、彼からのアプローチにうまく応えられず二人はすれ違ってしまう。夢の中では仲の良い鹿のカップルなのですが、現実世界ではなかなか、一筋縄には進みません。

男と女が惹かれ合ってゆくプロセスを、静謐な室内風景と、躍動感溢れた鹿の動きに象徴させながら描き出しています。こんな二人の恋模様の結末がどうなるのか….。ラストショットはお見事!でした。

★当店ロングセラー「気になる京都」第4巻販売開始しました。今回の特集はカフェのモーニング特集です。(950円)

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1973年、全世界で9000万人の目をくぎ付けにしたテニスの試合がありました。(日本でもダイジェスト放送があったみたいです)女子テニスの世界チャンピオンのビリー・ジーン・キングと、元男子チャンピオンのボビー・リッグスが対戦する試合です。なんで女子と男子が試合を?

70年代、あらゆる場面での男女平等を求める運動が全米で起こっていました。プロテニスの世界でも女子の優勝賞金が男子の1/8でした。不平等に抗議して、ビリー・ジーンは、仲間と共に“女子テニス協会”を立ち上げ、自分たちでスポンサーを探し出して、女子テニス界の待遇改善を図ろうとします。

一方、いかにも紳士然した業界の大御所たちは、あくまで男性優位を譲りません。そんな対決の姿勢に金儲けを企んだのが、元世界チャンピオンのボビー・リッグスでした。俗物のボビーの挑戦にビリー・ジーンは、当初は無視するのですが、一方的な男性優位主義を押し付けてくる男たちに、もうそういう時代ではないのだということを知らしめるためにも、彼女はこの挑戦を受けます。

彼女には、優しい夫がいましたが、実はレズビアンでした。当時は、今では考えられないほど同性愛に対するバッシングが凄まじかったのです。この試合は、単に男女の力の差をみせるゲームを超えて、政治や社会、学校や家庭における女と男の関係までも変えてゆく様相を呈していきます。そのプロセスを描いたのが「バトル・オブ・セクシーズ」です。

ビリー・ジーン役には、大ヒット作『ラ・ラ・ランド』で見事オスカーに輝いたエマ・ストーン。実際のビリー・ジーン・キングのように、前をしっかり見据えた優しく強い女性を好演しています。ボビー・リッグスには、『フォックスキャッチャー』でオスカーにノミネートされたスティーブ・カレル。俗物度満点の“全女性の敵”を、いやらしく、時には哀愁を漂わせて可愛く、たっぷり演じきります。

心に残ったのは、ビリーの試合のユニフォームをデザインするテッドという男性です。彼もまた同性愛者で、おそらく仕事の場面などでも、差別や迫害を受けているはずです。そんなことは少しも顔に出さず、彼女を見守り、ラスト、世紀の試合を終えた彼女を祝福し、これからは自分らしく正直に生きることができる時代が、きっとやってくるよと微笑みます。男も女もありのままに生きてゆくことができる未来が来ることを、暗示させるエンディングでした。演じたのはアラン・カミング。ゲイカップルが、育児放棄された少年を育てる「チョコレートドーナッツ」で、ゲイのミュージシャンを演じていました。優しさと深い人間性が、ひとつひとつの表情に滲み出ていて、素敵でした。

 

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。

 

 

山田宏一と言えば、フランス映画を中心にしたヨーロッパ映画の批評で著名な評論家です。著書も多く、当店にある「山田宏一のフランス映画誌」(ワイズ出版/古書1800円)は、600ページにも及ぶ、監督別のフランス映画紹介の傑作です。

そんな山田が「NOUVELLE VAGUE/ヌーヴェル・ヴァーグ」(平凡社/古書2100円)という写真集を2013年に出していました。なかなか面白い写真集です。

「私はもちろんプロの写真家ではなく、ましてやアマチュアの写真家ですらありません。1960年代、フランス滞在中にヌーヴェル・ヴァーグの映画人と知り合い、活気にみちた映画的環境に誘われ魅せられて、初めて写真を撮ったのです」と序文で書いていますが、ジャン・ルック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ジャック・ドゥミーら、新しい感覚の映画人たちが製作する、現場の熱い雰囲気が伝わってきます。山田がプロのカメラマンではなく、熱心な映画青年だったために、あ、これ映画的!というセンスでシャッターを押しています。ゴダール映画に出ていたアンナ・カリーナを控え目に撮った写真には、山田の彼女への愛情が感じられます。

おお〜、これは!!と感激したのが、ドゥミーが「ロシュフォールの恋人たち」を製作している現場の写真の数々です。出番のなかった主演のフランソワーズ・ドルレアック&カトリーヌ・ドヌーブ姉妹が、普段着で撮影現場に来ているところ(写真右)なんてレアです。普段着でもやっぱり美人姉妹です。当時24歳だったフランソワーズ・ドルレアックが現場に現れた写真(写真左)は、若いのに大人の風格を漂わせた彼女を見事に掴まえています。残念ながら、その1年後事故で亡くなってしまうのですが……..。

その次に登場するのは、「トリュフォーの思春期」の現場です。子供が大好きだった監督のトリュフォーが素人の子供たちを大勢使って、ほぼ即興で取り上げた映画です。子供たちに囲まれたトリュフォーの幸せそうな表情が素敵です。映画の撮影現場にはとても見えないくらい、生き生きとした表情の子供のキラキラした一瞬を捉えていて、素人カメラマンとは言えない出来映えですね。フランス映画ファンには見逃せない写真集です。

 

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催

★★ネイチャーガイド安藤誠氏の「安藤塾」は10月27日(土)に決まりました。参加ご希望の方は電話、メールにてご連  絡下さい

 

 

今週は映画館で、二本の映画を観ました。一本目が、昨日このブログに書いた「万引き家族」、そして今日ご紹介するのは「焼肉ドラゴン」です。どちらも、家族の姿を通して時代を描いた素晴らしい映画でした。

「焼肉ドラゴン」の舞台は、昭和40年代の大阪。伊丹飛行場の傍に在日朝鮮の人々が住んでいます。そこにある焼肉店「焼肉ドラゴン」の家族が主役です。高度経済成長に浮かれている時代の片隅へと映画は誘います。

この店は亭主・龍吉と妻・英順がやりくりしています。二人には静花、梨花、美花の三姉妹と一人息子・時生がいます。場末の焼肉店には、騒がしい客が出入りしていて、次女の梨花が、飲んべえの哲男と婚約するところから物語は始まります。

TV「寺内貫太郎一家」なみに、騒がしく、喧嘩も、笑いも絶えない店ですが、戦争に無理矢理徴兵され、故郷を追われ、その上に左腕をなくした龍吉、小さい時にある事件で足に傷を負った静花、学校で虐められている時生、梨花と静花の葛藤、美花の恋愛などそれぞれに抱えている問題が明らかになって来ます。さらに、この地域は不法占拠だと国から立ち退きが迫られます。在日朝鮮人の置かれた辛い現実がしっかり描かれています。

そんな中でも、龍吉は“たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる”と、いつもの口癖で空を見上げます。本音をとことんぶつけ合う家族。我が儘で、情けなくて、哀しくて、優しい、マァうるさい毎日です。でも、みんな一生懸命です。飛び交う言葉のひとつ、ひとつに生きる力が漲っています。

昭和45年。大阪万博が開かれました。夢と希望の未来を祝福するかのように開催された万博。月の石みたさに何時間もアメリカ館に並んだことを思い出しますが、この家族達も出掛けていきます。しかし、その一方で、一家離散の始まりの時でもありました。彼らは悩みながら自分に正直に、それぞれの道を探し出して別れていきます。もう、永遠に会えないかもわからない。でも、龍吉はいつもの口癖を言いながら、妻を大八車に乗せて、長年親しんできたこの地を去ってゆきます。龍吉を演じたキム・サンホ、妻を演じたイ・ジュウンの大きさ、優しさを見ているだけで、この映画は価値があります。もう、人生、どんとこいですよ。

作家の小川洋子は「互いの痛みを互いの痛みで癒し合うしかない家族。彼らがいとおしい。ひたすらに生きている、というただそれだけの理由で。」とこの映画について書いています。「ひたすら生きている」という言葉が胸にせまる傑作です。

関西人でもないのに、大阪弁で罵り合っていた大泉洋、真木よう子、井上真央、桜庭ななみ等、役者が揃い、泣きながらとても楽しませてもらいました。

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)

店内にて開催(月曜定休日)

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TVの情報番組で、有料のお台場花火大会の事を報道していました。なななんと、数万円の席もあり、ディナーを楽しみながら花火を見るというイベントです。ほぼ満席のように見えた会場には、それなりにリッチな若者や家族が一杯でした。日本の今の富裕層の一端がこれだとすると、是枝監督最新作「万引き家族」の主人公たちは、その真逆の貧困層の人達です。格差社会を象徴する物語です。

高層マンションに囲まれたような狭い土地に住む一家。祖母の年金と細々とアルバイトしながら生活する長女とその夫、性風俗店で働く次女、そして長女の子ども。長女の夫とその息子は、見事なコンビネーションで万引きを日々やっています。映画はそのシーンから始まります。「仕事」の帰り道、二人はDVを受けてアパートの廊下に放っておかれている女の子を、家に連れて帰ってきます。

清潔とは言いがたい、散らかし放題の狭い家に、さらに一人増えたことで、最初は不協和音が生じるのですが、やがて家族の一員として受け入れられます。身代金とか要求してないから、これは誘拐ではないという理屈で、表面上は、それなりに楽しい一家の生活はつづいていくのですが、この家族には、全員に秘密がありました。夏の海辺の一日、端から見ていると平和な一家団欒にしか見えない。ところが、祖母が急死したことから、影が覆い被さってきます。皆を支えて来た祖母にもあった秘密。それぞれに抱えて来た秘密が、家族を壊していきます。私たちが思い描く家族という概念が根底から崩れていきます。

居心地のいい映画ではありません。しかし、圧倒的なリアリティーで迫ってくる役者と、細部までリアリズムを追求した監督の演出、そして、ゴミ屋敷一歩手前の彼らの住まいを、見事に作り上げた美術スタッフの実力が、家族の有り様を問いかけてきます。

詩人の谷川俊太郎は映画のHPでこう表現しています。

「ヒトは身を寄せ合う、世間から外れても、法に触れても、いのちの自然に逆らわず、GDPなどどこ吹く風で。」

世間一般の家族という言葉から遠く離れていても、だからどうなんだと、太々しささえ漂ってきます。もちろん、彼らが幸せになるような結末ではありません。簡単には答えが出せない、と言っていると思いました。突っ放したような、それでいて愛しさの余韻の残るエンディングです。

カンヌ映画祭で大賞を受賞しただけの力のある映画です。

 

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)店内にて開催(月曜定休日)

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大学生の頃だったと思います。一本の不思議な映画を観ました。「泳ぐ人」(1969年)という作品です。バート・ランカスター演じる主人公は、アッパーミドル階級らしい人物です。

ある夏の日、彼は友人宅のプールで泳いだ時に、このあたりの自宅にプールを所有している友人たちの家に次々寄って、一泳ぎしながら、自宅に帰ろうと思いつきます。あちこちでそれなりの歓待を受けたり、柔らかい太陽の元で行われているカクテル・パーティで一杯御馳走になったりと、アッパークラスの余裕の休日を過ごして、自宅に戻ってきます。映画の中では、終始主人公は、スイムパンツ一丁の姿。家に戻れば、綺麗な奥様と、美しい娘たちが出迎えるのだろう、と想像したりしますが、実はそうではありません。プールを渡り歩くうちに、なんとなく不穏な空気は漂ってきてはいたのですが、家には鍵がかかっており、妻も娘もいません。静まりかえった家の中、彼のノックの音だけが響きます。そこヘ雨。素肌に降りそそぐ雨。泣き崩れる男、そこで、映画は終わります。なんと、暗い、でも強烈な印象を残す映画でした。

柴田元幸編集による雑誌「MONKEY」(古書/800円)が、短篇小説の名手、ジョン・チーヴァーの作品を村上春樹訳で読ませる特集号を出しました。その中に、今ご紹介した「泳ぐ人」が入っていました。映画はほぼ、原作に忠実でした。原作のラストはこうです。

「家には鍵がかかっていた。馬鹿な料理人なりメイドなりが、間違えて鍵をかけてしまったのだろうと彼は思った。でも、やがて、もうしばらくメイドも料理人も雇っていなかったことを思い出した。彼は叫び、ドアをどんどん叩き、肩を打ちつけてドアを開けようとした。それから窓の中を覗き込み、家のなかがからっぽであることを知った。」

村上春樹によると、ジョン・チーヴァーは、「中産階級、郊外、東海岸、特にニューヨークの北のほうのコミュニティーのあり方をずっと書いている。」のです。この号には、数編、チーヴァーの短編が掲載されていますが、確かに描き出される世界は、その通りです。

とある夫婦が購入した大きなラジオから、日々不思議な声が聞えてくる「巨大なラジオ」にも、「泳ぐ人」にも、リアルに描かれた日常生活のその先に、リアリズムを逸脱して、深くて暗い闇がこちらを伺っているところが、チーヴァーの魅力かもしれません。

「泳ぐ人」はDVD化されています。原作を読んでから、是非一度ご鑑賞を。ぞっとするような孤独感が、押し寄せてきます。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)