人に生きる希望を与える映画って、ブレット・ヘイリー監督・脚本の「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」みたいな作品のことだと思います。97分間、映画の中の父娘と共に人生を楽しんでください。

ニューヨークはブルックリンの海辺の小さな街レッドフックで、うだつの上がらないレコードショップを営む元ミュージシャンのフランクと、将来の夢のためにLAの医大を目指す娘サム。サムが幼少の時に、フランクの妻は事故で死亡したため、一人で娘を育ててきました。いい加減な感じでだらだらと、17年間レコードショップを経営してきましたが、赤字続きで遂に店を閉める決心をします。ある夜、サムが作っていた曲を見つけセッションを開始して、フランクは娘の音楽の才能に気づきます。映画のタイトルにもなっている”Hearts Beat Loud”という曲を、二人が完成させてゆく様が実にいいのです。疾走感溢れる音楽に身も心もうウキウキしてきます。

あまりの曲の良さに、フランクは勝手にSpotifyにアップロード。それが人気の曲を集た”New Indie Mix”にリストインされ、たくさんの人の耳に届くことになります。大喜びして、娘とバンドを組もうと動き出すフランクですが、サムにとって描く未来は医者であって、音楽家ではありません。映画は、二人のすれ違いを描きながら、レコード店を閉める日、たった一度だけのライブを行います。わずか3曲だけのライブですが、どの曲も素敵で映画館でステップしたくなりました。

店内でタバコを吸って、客から注意を受けるようなフランクでしたが、この一夜のライブで娘を送り出し、大切にしていた音楽から離れて新しい生き方を見つけていきます。それが、友人が経営するバーで働く事でした。ラスト、女友だちにお酒を出しながら音楽の話をするところで、カメラは、「良かったね」とでも言いたげに、ゆっくりと後退していきます。「いい加減な人生」が「好い加減な人生」になっていくんだというチャーミングな終わり方です。

私は過去3回、レコードショップを閉めた経験があります。二度目、三度目はチェーン店の閉鎖だったので、従業員の解雇という苦い思い出しかありません。
けれど、最初の10坪くらいの小さな店は、当時のロックファン、ジャズファン、ディスコのDJのたまり場で、営業最終日、店の仲間やお客様とレコードを鳴らして、ビールを飲み続けました。懐かしく、そして甘酸っぱい思い出です。この映画の中で、フランクとサムが乾杯をするシーンで、父がその瞬間「ロックンロール」と言って乾杯します。私の小さな店でも、同じことを言った青年がいました。彼は今どうしているんだろうと、映画館を出た時、ふと思いました。

日本を代表する女優京マチ子死去(95歳)のニュースが先月流れました。1924年大阪生まれ、大阪松竹少女歌劇団から大映に入り映画女優デビューします。後輩格の若尾文子、山本富士子と共に大映の看板女優として活躍しました。溝口健二「雨月物語」、黒澤明「羅生門」、衣笠貞之助「地獄門」等の作品が海外の映画祭で賞を獲得し、「グランプリ女優」と呼ばれた時代もありました。

北村匡平「美と破壊の女優今日マチ子」(筑摩選書/ 古書1000円)は、ヴァンプから醜女、シリアスな作品からコメディ作品まで、多彩な作品でマルチな魅力を発信し続けたこの女優を、単に作品批評に終わらずに、下記のように生涯を括って論じています。

「肉体派ヴァンプ女優の躍進」「国際派グランプリ女優へ」「真実の京マチ子ー銀幕を離れて」「躍動するパフォーマンス」「政治化する国民女優ー国境を越える恋愛メロドラマ」「変身する演技派女優ー顔の七変化」「闘う女ー看板女優の共演/競演」

当時の日本の女優にしては珍しく官能的な香りと肉体美を前面に出す女優でしたが、その長いキャリアの中で変化してゆく姿が書かれています。

50年代後半、それまで人気女優トップの座にいた彼女は、若尾文子と山本富士子にその座を渡します。そんな現実の世代交代の構図を、そのまま映画にしたような作品が立て続けに製作されました。その中の一本「夜の蝶」(DVD/中古800円)で、京は銀座の一流バーのマダムを演じ、そこへ進出しようとする祇園の元芸者(山本富士子)と夜の銀座で激しくぶつかります。トップの座にいる女優と次の座を狙う女優のバトルを象徴するかのように、ライバル意識むき出しの演技合戦が楽しめる一本で、江戸前言葉でポンポン突きつける京と、はんなりした京都弁でのらりくらりかわしてゆく山本に圧倒されて、私は続けて二度見てしまいました。

おかげでこの映画で共演している船越英二が、トレンチコートのよく似合うヨーロッパの香りがする俳優であることも確認しました。

戦後日本を代表する俳優の一人でありながら、いわゆる日本的な美しさとは異質なものを持っていた彼女でしたが、日米合作映画「八月十五夜の茶屋」がアメリカで公開された時、ニューヨークの新聞にこんな記事が載りました。

「京マチ子は日本で一番美しい足を持っている女優で、日本のマリリン・モンローである」

 

★イベントのお知らせ

「世界ひとめぐり旅路録」展開催中の小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)

 

 

 

イラン出身の監督アスガー・ファリハディの新作「誰もがそれを知っている」を観ました。「別離」「セールスマンの死」と傑作続きの監督で、今回はハリウッドのトップスターのペネロペ・クルスを迎えてのメジャー映画です。しかし英米の資本が入ろうと、この監督は自分の映画に仕上げています。

物語は、アルゼンチンに暮らすラウラ(P・クルス)が、妹の結婚式のため故郷スペインに帰省し、ワイン業を営む幼なじみのパコや家族との再会から始まります。結婚式の後に催されたパーティーのさなか、ラウラの娘イレーネが失踪してしまいます。必死に探すのですが、手掛かりすらありません。まもなく巨額の身代金を要求するメッセージが届き、ラウラは不安と絶望で、焦燥します。結婚式に来ていなかったラウラの夫もアルゼンチンから駆けつけるのですが、疑心暗鬼に陥った家族の間で、長年隠されていた秘密がじわりじわりと露わになっていきます。なぜ犯人は10歳の弟ではなく16歳にもなる娘のイレーネを誘拐したのか。

と、こう書くと誘拐された娘の救出劇のようですが、映画はそこに重心を置かなくなるというか、どうでも良くなってくるのです。娘の誘拐で炙り出された過去が、登場人物の心理に深い影響を与える様子をじっくりと描いていきます。ダイアローグを積み重ねたえも言われないスリリングな展開が、この映画の醍醐味です。善悪だけでは割り切れない現実。きっと家族は、あるいは世界は、そんなものに満ち溢れていることを見せてくれます。事件は一応解決するのですが、彼らの肩には、重たいものがズシンと残ったままです。

映画が始まって数十分間、幸せ一杯の家族の姿が、これでもかこれでもかとキラキラと眩しいくらいに描かれ、後半になって、過去の因果が主人公たちに覆いかぶさって来る辺りからの演出は、ファリハディ監督の真骨頂でしょう。幸せそうだったラウラが、憔悴しきった表情に様変わりしてゆくペネロペ・クルスの演技が見事でした。

作家池澤夏樹は「若い恋の果実がずっと後になって中年を襲う。 巧妙なプロット、達者な役者、見事な映像。 映画って、こういうものだ。」と映画の公式HPにコメントを寄せています。

ちなみにファリハディ監督は、「セールスマンの死」でアカデミー外国映画賞を受賞した時、トランプのシリア難民の受け入れ拒否と、イラクやイランなどの中東7カ国からの入国一時禁止の大統領令に署名したことに抗議して、式には参加しませんでした。

「RBG」(京都シネマにて上映中)を観ました。

RBGって何の事?これ、人の名前です。正式な名前はルース・ベイダー・ギンズバーグ、通称RBGです。1933年生まれの彼女は、現役のアメリカ合衆国最高裁判所判事です。1972年、コロンビア大学ロースクールの女性初の常勤教員になったあたりから、自由人権協会で法廷闘争を数多く手がけ、性差別と戦う法律家として全国的な名声を博するようになります

若き日の彼女が弁護士へと進む道のり、彼女を生涯支えて来た夫との出会いを絡めながら、法律家として目指しているものを追いかけるドキュメンタリー映画です。あらゆる性差別に反対し、裁判で争い、女性の権利を一歩ずつ進めてゆく姿が、インタビューや、当時の裁判での音声、彼女の近くにいた人々の証言をもとに描かれていきます。

彼女の母親の教育が立派だったいうことがよくわかります。母親の教えは二つ。一つは自立すること、当時は女性は結婚して家庭に入るのが幸せとされていたにも関わらず。そしてもう一つは怒りで相手を論破しないことでした。彼女自身、怒りの言動は、自らをおとしめるとインタビューに答えています。彼女の話し方は常に控えめで、冷静で、生真面目です。

RBGは、あらゆる職場や、社会で起こって来た性差別に異議を唱え、是正して来ました。映画にも出て来ますが、入学者を男子に限定していたバージニア州立軍事学校の規定を違憲とする判決 (1996年)を行なっています。マッチョばかりの軍人養成学校であっても、資質に問題がなければ、性別に関わらず入学を認めさせる判決で、今では多くの女性が在籍しています。

守るべきは合衆国憲法。男女、人種の平等の理念に生きているRBGの魅力たっぷりの映画です。高校生相手に合衆国憲法修正第14条の男女の平等を語るところは感動的です。

意見の違う右派の判事でも、仕事を離れたところでは友人として付き合えるユーモアのある冷静なRBGが、「詐欺師」と強く非難した(後に謝罪しています)のがトランプ大統領でした。彼女を怒らせてしまった稀有な人物です。チャーミングな淑女ながら、眼光鋭い85歳。とても、素敵な映画でした。

 

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6月5日(水)より「世界ひとめぐり旅路録」展をされる小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)


 

 

 

 

どの世界にも、ワン・アンド・オンリー、もう二度と出てこないだろう人物がいますよね。野球なら長嶋、歌手なら美空ひばり、俳優なら高倉健。ジャズの世界でいえば、デューク・エリントン、マイルス・ディビス、そしてビル・エヴァンスです。そのエヴァンスの生涯を描いたドキュメンタリー「ビル・エヴァンス- タイム・リメンバード」(京都シネマ)を観てきました。

元来ジャズはダンス音楽であり、踊りながら綺麗なお姉ちゃんを引っ掛ける手段でした。ご機嫌な気分にさせて、ホテルにしけこむというようなスケベ根性一杯の音楽でした。しかし、映画を見ればわかりますが、彼の演奏姿勢は特異です。猫背でピアノに向かい、ひたすら鍵盤だけを見つめるその姿からは、どうぞ私のことはお構いなく感がいっぱいです。

その音楽は、極めて美しく、ジャズとかクラシックとかいうようなジャンルを超えて、胸に突き刺さってきます。ストイックな音楽は、時にはのめり込んだリスナーの心を貫くような狂気に変貌することがあります。レコード店に勤務していた頃、ソロピアノアルバム「アローン」を買った女性が、夜中に聴くと死にたくなると言ったことを今でも覚えています。

映画は、54年の生涯を追いかけるのですが、この人が自分の死を意識したのはいつ頃なのかということを考えました。ヘロイン中毒から脱出し、最愛の人と結婚するも、女グセの悪さから彼女が地下鉄に飛び込んで自殺した後なのか。再婚して子供もでき後半の人生を始めたものの、またクスリに手を出してしまい、妻と子供に去られた時なのか。或いは、愛する兄が拳銃自殺した後なのか。定かではありませんが、映画の後半に登場する彼の横顔には明らかに死神が取り付いています。しかし、自らが作り出した結晶のように美しい音楽は捨てませんでした。病魔に蝕まれた中で録音された”The Paris Concert “(中古CD/1000円)は、ツアーのピークを録音したものです。

エヴァンスといえば”Waltz for Debby”というアルバム(中古CD/1350円)を推薦する人はほとんどですが、私ならミッシェル・ルグランがオーケストラアレンジと指揮で参加した”From Left to Right”(中古CD/1600円)を推します。

ゴージャスさ、ロマンティシズム、美しいものへの憧憬が詰まった音楽がここにあります。

映画館に行かれる方は、満席で立見が出ていますので、早めにチケットを買い求められることをおすすめします。

 

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6月5日(水)より「世界ひとめぐり旅路録」展をされる小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)

 

いつも曇天で、肌寒い雰囲気が漂うこの牧場をカメラが捉え、映画「ゴッズ・オウン・カントリー」は始まります。厳格な父親と家を支える祖母、一人息子ジョニー。イギリスヨークシャー地方で牛と羊の牧場を細々と経営する一家が、この映画の主人公です。

息子の母親は、始終難しい顔をしている夫に耐えきれず、この地を去っています。病気で倒れた父親に、常に命令されながら、牧場の全ての仕事をこなしているジョニーに、喜びは見受けられません。仕事が終われば町へ行って酒を飲み続け、毎朝吐くという日々の繰り返しです。楽しみも未来もない毎日。同性愛者の彼は、酒場で引っ掛けた男と束の間の欲望に耽るのですが、その表情は少しも晴れません。

映画は、有無を言わさぬ力強さでそんなジョニーの毎日を描いていきます。ある日、病気の父親に代わって、季節労働者としてルーマニア出身の青年ゲオルゲがやってきます。羊を山にあげ放牧し、一緒にボロボロの山小屋で寝泊まりする二人。ごつごつした岩山、青空が全くないほど、雲が幾重にも大空を覆い、冷たい風が吹き抜けていくきます。

ジョニーは、この青年も同じ同性愛者だと見抜き、二人の男は野外で抱き合います。閉塞感、孤独が漂う中、最初は、ゲオルゲに差別感情を抱いていたジョニーでしたが、ゲオルゲの遠くを見つめる雰囲気や、ふと見せる優しさや、牧畜の仕事に対する真摯な姿勢に、少しづつ魅せられていきます。羊の扱い方も見事で、観ているこちらもこの青年に惹かれていきます。

「美しいけれど寂しい」とは、ゲオルゲが言ったヨークシャーの風景を表現する言葉ですが、それはそのままジョニーの心境につながっていきます。楽にならない暮らし、一向に距離の縮まらない父親との関係、将来への不安で苛立ちながらも、ジョニーはゲオルゲの登場で、少しづつ変化していきます。一度はゲオルゲと別れたジョニーですが、彼と共にやり直す覚悟を決めて、彼の元へ向かいます。画面後方に広がる空は、何と青空です。この空がとても美しい。泥まみれ、クソまみれ、精液まみれの中から、掴み取った幸せの予感が溢れるラストシーンが印象的です。

多くの映画祭で絶賛されたことも納得できる傑作です。

 

 

 

 

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ここに、一人の牧師がいます。名前はトラー。NY郊外の古くからある教会が、任地です。彼の父親は、従軍牧師として戦地に赴き、そこで牧師として働き、同じようにトラーも戦地に向かい、彼の息子も戦地(おそらくイラク)に送りました。しかし、息子は半年で戦死。息子の死というトラウマに悩まされる彼の元を、妻は去っていき、悲しみと後悔から逃げきれないトラーは酒に走り、血尿に怯えて暮らしています。そんな牧師が、他人を救えますか?

という、とんでもなく辛いシチュエーションから、映画「魂のゆくえ」は始まりました。監督は、ポール・シュレイダー。名作「タクシー・ドライバー」の脚本家です。

さて、トラーの元に、信者の女性が夫の様子がおかしいと相談に来ます。彼は夫に会い、話を聞きます。夫は地球の環境問題を思い悩むあまり、妻の出産に反対しているのです。今後も話をしましょうと、トラーは別れたのですが、これが最後の話し合いになってしまい、さらに、夫の部屋から自爆用の爆弾スーツを発見してしまいます。そんな折、自分の従事する教会が、実は環境汚染をしている企業からの資金援助を受けていることを知ります。こんな風に話は進行していくので、どう転んでも、良かったねというエンディングはありえません。

映画は、トラーの心の葛藤、追い詰められてゆく様を描き出し、わびしいNY郊外の風景が心に染みます。自爆用スーツを着た彼が、鏡の前でポーズを決めるシーンは、「タクシードライバー」で主人公が、ホルスターを着用して、拳銃を撃つ真似をするシーンの凶暴さを思い出しました。トラーを演ずるのは、イーサン・ホーク。彼のベストの演技でしょう。

宗教者の心の闇と孤独を描く映画と言うことで、あんまり関係ないかもなぁと思っていたのですが、深く心に突き刺さってくるものがありました。自傷行為の果てのような、血みどろのラスト。トラーは、あれで本当に救われたのでしょうか。

 

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。(4月29日は定休日)

 5月6日(月)〜8日(水)は連休いたします。

 

レバノンの首都ベイルート。シリアと同じく長い内戦(75年-90年)を経験したこの都市は、美しい街並みで多くの観光客を魅了していますが、一方で、建設ブームに沸く海岸沿いは、超高層ビルの乱開発が進んでいます。内戦で家を奪われた多くのシリア人が、これらの建設現場の劣悪な環境で労働を強いられている状況をドキュメントしたのが、ジアード・クルス−ム監督の「セメントの記憶」です。

のっけから、超高層ビルを俯瞰で捉えたシーンが登場して、「2001年宇宙への旅」に登場するモノリスじゃないの??と思ってしまいました。かなり凝ったカメラワークと構図で、なんだかドキュメンタリーというより、アート作品を観ている気分。それも、SF映画的な世界が展開してゆくのです。ラストには、「2001年」で宇宙飛行士が体験する異次元トリップと同じようなシーンが用意されています。

だからと言って、この映画が上滑りに、今のベイルートで働く労働者を描いているのではありません。まず、驚かされるのは、彼らは建築中のビルの地下に寝泊まりしているのです。しかも、「夜七時以降のシリア人労働者の外出禁止」というベイルートの方針で、穴蔵みたいな場所で、黙々と食事をし、携帯を弄り、TVを漫然と見つめ、朝になると、地下室の階段を上がり、そびえ立つビルの現場へと向かいます。祖国を亡命した若き元シリア兵のジアード・クルスーム監督は、大げさな表現に走らずに、静かに彼らを見つめていきます。ふと気がつくと、美しいフォルムを誇る高層ビルが、シリア人労働者の自由と生活を押さえつける禍々しい存在に見えてくるのです。

そして映画後半で、彼らが体験した地獄に私たちは付き合うことになります。焼け野原同然の市街で発砲する戦車。爆撃で倒れたビルの中から聞こえてくる子供の泣き声。断末魔の猫の表情。それでも、監督は感情的になることなく冷静に、いや冷酷に見つめていきます。だからこそ、怖い。

喪失と悲しみの記憶を、高度に完成された映像で描き切った、稀にみるドキュメンタリー映画です。世界各国で多くの賞を受賞をしたのもわかります。

「海外で働くすべての労働者に捧ぐ」というテロップが最後に流れます。シリア人の受難は、彼らだけのものではなく全世界共通のものだという、監督のメッセージです。

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。(4月29日は定休日)

 5月6日(月)〜8日(水)は連休いたします

イザベル・コイシェ監督「マイ・ブックショップ」は、本好き、本屋好き、書店業に従事している者ならば、観てほしい映画です。

舞台は1959年、イギリス東部の小さな海辺の町。戦争未亡人のフローレンスは、夫との夢だった書店をこの地に開くことを決意し、放置されていた古い家を買取り、店を開きます。しかし、地元の金持ちで、慈善団体活動をしているガマート夫人は、この場所に芸術センターを建てるとしていて、いい顔をしない。本屋作りに走り出すフローレンスと、それを阻止しようとするガマート夫人の画策。

古い家に、書架が入り、本が並んで、本屋に命が吹き込まれてゆく様子が描かれていきます。そして、小学校に通うクリスティーンのお手伝いでオープンします。この少女がまた、読書が嫌いで、算数と地理が好きな不思議な子なのですが、ラストでとても重要な役柄になりますので、注意して観てくださいね。

町には、古い邸宅に引きこもる読書好きの孤独な老人ブランディッシュがいます。彼の佇まい、ファッション、気骨は、初老に入ろうとする者にとってお手本なので、御同輩の皆様、ここもしっかりとご覧いただきたいのですが、彼は、早速面白そうな本を送ってくれと注文を出します。フローレンスが選んだのがユニーク。レイ・ブラッドベリのSFの古典「華氏451度」でした。ブランディッシュは、この作家が気に入り、次から次へと読破していきます。書店員として、これほどの幸せはありません。さらに彼女は、悩んだ末に、当時スキャンダルな内容で話題になっていたナバコフの「ロリータ」を、これは売るべき本だと250冊仕入れて、店頭にズラリと並べます。私は持っていたコーヒーカップを落としそうになりました。いや、こんな決断なかなか出来ませんよ。売りたい本を、覚悟して売るという本屋の原点です。

 

順調に見えた書店経営も、イケズなガマート夫人の、巧妙な政治的画策で廃業に追い込まれていきます。この作品、ラストのラストに至るまで、大げさな描写を一切廃して、書店と町の住人を見つめていきます。だから、追い出される場面も極めて静かです。荷物をまとめて船に乗った彼女を見送るのは、クリスティーンのみ。読書嫌いの彼女の腕には、フローレンスがこれだけは読んでね、と渡したリチャード・ヒューズの「ジャマイカの烈風」が抱かれています。あなたの本への想いは受け取ったというクリスティーンの瞳を見るだけで、泣けます。

映画の公式サイトのコメント欄を見ていると、川本三郎や上野千鶴子らの著名人に混じって、書店員、店主のコメントが載っていました。HMVBooksの店長を務める花田菜々子さんが「ラスト最高、私が彼女でもそうする。書店員の執念は凄まじいのだ。なめてかからない方がいい」と。「書店員の執念」という言葉は、どうかなとは思いますが、気持ちはよくわかります。旧態依然とした業界の疲弊、未来の見えない新刊書店の現状で仕事をする書店員に、クリスティーンの瞳が気合を入れたのかもしれません。

しかし、映画はここで終わりではないのです。ここから、後は劇場で。本を、本屋を愛している貴方なら、溢れ出る涙に遭遇することになります。名作です。

2003年、アメリカはイラクが大量破壊兵器を保持、テロ組織を支援しているという理由で、軍事介入に踏み切りました。当時、大手マスメディアも、政府発表を鵜呑みにして軍事介入を後押ししました。

2001年の同時多発テロ事件以降、アメリカはイスラム憎しの感情に凝り固まっていました。時の大統領ブッシュや側近たちは、イラク悪人論の前提で情報を操作し、国民世論を誘導しようとしていました。 NYタイムスやWポストも、まんまとその罠にはまってしまったのです。

しかし、政府の主張する大量破壊兵器保持の情報は嘘だと見抜き、この軍事介入の不当さを訴えた新聞社が一社だけありました。ナイト・リッダーというアメリカ各地の地方誌を傘下に持つ小さな新聞社です。この新聞社の記者が、米政府の嘘と情報操作を迫ってゆく姿を描いたのが「記者たち衝撃と畏怖の真実」(京都シネマにて上映中)です。

監督はロブ・ライナー。「スタンド・バイ・ミー」「恋人たちの予感」等、多くの佳作を発表してきました。そのせいか、わかりやすい社会派エンタメ映画に仕上がっています。

手堅くまとめた娯楽映画とはいえ、説得力があるのは、エンディングに登場する数字です。この戦争での犠牲者の数、使った費用など、莫大な数字が出た最後に「発見された大量破壊兵器0」という数字に、国民を欺き、国費を無駄使いし、多くの若者を死に追いやった政府への監督の苛立ちがはっきりと表れていました。

ナイト・リッダー社は、大手メディアが政府広報の垂れ流し機関に成り下がっても、自分たちだけは「イラクに派遣される兵士の母親の味方でいたい」という立場を貫き通しました。

トランプ大統領が、自分を批判するニュースや新聞社をフェイクだと言い立てる現状では、こんな愚かな戦争を再び起こしかねないかもしれません。そういう意味では、優れた「反トランプ映画」なのです。そして、胡散臭い奴らが跋扈して、妙な世論を作ろうとしている我が国の危険をも示唆しています。

作家の江國香織は、こんなコメントを書いていました。

「疑う知性が必要なのは、記者たちに限ったことではない、という警鐘のような映画。ロブ・ライナーはほんとうに誠実な才人だと思う。」