本作は、ウィーンの画家クリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」をめぐる実話を映画化したものです。1907年に描かれた名画で、日本でもファンが多いと思います。

この絵は、ナチスがオーストリアに侵攻した直後に掠奪されて、戦後はオーストリアで保管、展示されていました。しかし、作品の正統的な持ち主の女性が表れて返還を求めて裁判を起こし、国家を巻き込む裁判闘争が開始されます。その一部始終を映画化したのが「黄金のアデーレ」です。

原作を元に、練り上げられた脚本、的確にそのシーンの意味合いを把握して動くカメラワーク、映像の邪魔にならない音楽、しっかりとした演技の出来る俳優達が集まってできた、ケレンのない佳作です。きっちり構成された小説を読んだ後の爽快感がありました。

現代を生きる年老いたヒロインと、彼女の幼少の頃、愛する家族と暮らしたオーストリア時代を、交互に描くことで、ナチス侵略以後体験した悲惨な出来事が胸に迫ります。しかし演出はどこまでも抑制がきいていて、ヒステリックにならないので、安心して観ていられます。

裁判に挑んでゆくヒロインを演じたのは、ヘレン・ミレン。イギリスを代表する女優です。相手が誰であっても、言うべきことをはっきり述べる強さを持ち、ユーモアと皮肉、そしてセンスの良さも兼ね備えた女性を見事に演じています。今年70歳、エレガントで颯爽としていて、しかも威厳のある立ち振る舞いに魅了されました。

映画の中で、ウィーンにあるホロコースト記念碑が登場しますが、これが町のど真ん中にあるのです。この悲劇を絶対に忘れないという国のスタンスが見えてきます。ナチス侵攻で、彼らに同調して、ユダヤ人迫害に回ったオーストリアの人達も登場します。それもこれも含めて、戦争が人々の心深くにどれほどの傷を負わせたか、感情的な表現や、台詞回しを避けながら静かに描いていきます。だからこそ、ラストのヒロインの現在と過去の遭遇が感動的なのです。

ウィーンのモナ・リザと呼ばれ愛された、クリムトのこの作品は、アメリカに渡った後、化粧品メーカーのエスティ・ローダー・カンパニーズの社長ロナルド・ローターに売却され、現在ニューヨークの「ノイエ・ガレリエ」に展示されているということです。

 

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私にとって「仁義なき闘い」全5作は、これ以上の暴力を描いた映画はないという意味で、不動のベスト1でした。が、世の中にはあるんですね、もっと凄みのある作品が。

メキシコ=アメリカ映画「皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇」には、参りました。こんなドキュメントよく製作できたもんです。

「世界で最も危険な街」とされるメキシコのシウダー・フアレスは、100万人足らずの都市ですが、年間3000件を越す殺人事件があります。メキシコでは、起きた犯罪の数パーセントしか捜査されず、殆どは罪に問われること無く放置されているのが現状だそうです。国内で強大な力を持つ非合法の麻薬密輸カルテルが、警察組織や軍を買収し、捜査を妨害。組織に従わないものは次々と処刑されています。そんな無法地帯フアレスの日常を捉えたのがこの映画です。

直ぐ目の前の、非アメリカ合衆国の都市エルパソは、年間殺人件数が数件という極めて安全な街。カメラはその両極端を捉えます。

驚くべきは、麻薬カルテルは、“ナルコ・コリード”という、現在メキシコ国内だけでなくアメリカでも人気を集める音楽ジャンルで、英雄として讃えられているという現状です。彼らの武勇伝をCDにして販売すると、飛ぶように売れ、ライブハウスはお客でいっぱいになるという現状。殺人、拷問、誘拐、麻薬密輸と極めて暴力的な歌詞のオンパレードです。さらに、ステージ上では、バンドメンバーがアサルト・ライフルやバズーカ砲を持って登場する。そうすると、大盛り上がりになってしまう。日本で言えば、広域暴力団の不法な活動を舞台で賞賛して、かっこいい!と叫ぶという、あり得ないシチュエーションです。

映画は、この手合いの歌を歌うバンドのメンバーの日常や狂気じみたライブの模様と、全く未来のないシウダー・フアレスの街で、殺人事件の現場に向い、黙々と証拠品を集める一人の警察官の日々を、交互に描いていきます。地球の裏側では、暴力と狂気が堂々と歩いている場所があることに戦慄します。

しかし、この映画、単に現状を暴いた映画ではありません。たった一人、現場に向かう警察官の姿に、ほんの僅かながら、人間の正義を見出しているのです。

「この街にあるのは、死と暴力だけじゃない。愛もやさしさも気遣いもある。この仕事で私は街を救いたいんだ。」

この警官の台詞です。暴力の極みを描きながらも、そこに生きる人間の強靭な姿を見せてくれるこの映画は、今年観た洋画の、ベスト1です。

 

アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した作品が、これまで国内で上映されることは少なかったのですが、ドキュメンタリーへの注目度が上がり、観ることができる環境が整ってきました。

超高層ビルにワイヤーを掛けて、安全ロープなしで渡る男を描いた「マン・オン・ワイヤー」(08年)、地球の裏側で、一躍ヒーローになった歌手の数奇な運命を描く「シュガーマン奇跡に愛された男」(12年)、そして、様々な歌手のバックコーラスを勤める女性たちの生き様を描いた「バックコーラスの歌姫たち」(13年)など、どれも傑作です。(年始年末の下らない番組にヘキヘキされている方に、ぜひレンタルをオススメします)

そして、今年の受賞作品「ヴィヴイアン・マイヤーを探して」も、驚かされる作品でした。

ある時、一人の青年がオークションで未現像のフィルムの詰まった箱をゲットします。古いアメリカ市民達の、様々な表情を捉えた作品に魅入られた青年は、作品をネットで公開し始めます。それが凄まじい反響を呼び、あれよあれよという間に、世界各国で個展が開かれ、大盛況となります。(是非、日本でもして下さい)

撮影者の名はヴィヴィアン・マイヤー。すでに故人で、職業は元ナニー(乳母)でした。なんと15万枚以上の作品を残しながら、生前に一度も公表することはありませんでした。。
ナニーをする傍らで、なぜこれほど優れた写真が撮れたのか?なぜ誰にも作品を見せなかったのか?その疑問に取り憑かれた青年、本作の映画監督ジョン・マルーフは、彼女の生きた証しを求めて、国内だけでなく、フランスにまで足を延ばします。
生前の彼女を知っていた人達の口からは、「変人」「人付き合いを極端に避けていた」「部屋中に新聞を溜め込んでいた」等々と、ネガティブな印象を多く聴かされます
その一方、プロの写真家たちは、その技量、世界観を褒め称えます。良く出来た人間が、素晴らしい作品を作るとは限らないのですが、マイヤーの場合は極端でした。果たして、彼女は何のために写真を撮り続けていたのか、謎は深まります。
映画は、マイヤーの作品の魅力を追いかけるとともに、実は追いかけている監督自身の情熱を見せています。彼女が残したメモや、手紙、レシートの端切れまで丁寧に整理していく姿が映し出されますが、こういう熱意があって初めて、彼女の作品が世に出たのだと思います。好きなことに一心不乱に身を捧げると、こんな奇跡のような事もおきるんだ、ということをし示したドキュメントです。

 

センスのいい小説、映画、音楽ってありますね。

「センス」という言葉は、色んな意味を持っていますが、ここでは「粋な」というくらいにしておきます。例えば、フランス映画「ロシュフォールの恋人たち」、アメリカ映画「華麗なる賭け」、あるいは日本映画なら「黒い十人の女」とか、どこかのCMディレクターがパクリそうな粋な映画(実際、化粧品メーカーがパクってましたが)のことです。

先日、レンタルして観た「タイピスト」も、またそんな映画の一本でした。お話はいたって単純。舞台は50年代のパリで、田舎からタイピスト目指して出て来た若い女性が、上司の男性の特訓で、タイプ早打ち世界一になり、彼と恋に落ちるという、なんともハッピーな映画です。今どきこんな映画作って、と思われる方もあるかもしれませんが、何故かとても心地よいのです。鼻歌まじりでフ、フン、フンと観ていられて、食事をしながらちょっと楽しめる映画でした。音楽もまた、これしかないと言わんばかりのゴージャスでセンチメンタルなサウンド。

センスのいい映画は、タイトルバックから判ります。あの当時のファッション雑誌の色彩、デザインをそのまま映像にしたようなオープニングが、なかなかいい感じです。中身は特に凝った映像表現があるわけでもなく、はたまた社会の闇を見つめる深い視線があるわけでもないのですが、ただもうひたすら50年代のパリの街角、ファッション、雑貨、家具を、徹底的に再生しています。理屈抜きで映画に気持ちよくどっぷり浸かれるのは、細かいディテールにこだわっているから。

監督はレジス・ロワンサル。ジェーン・バーキンのドキュメンタリーを撮った人物とか。そりゃ、センスいいわな。

この感覚、このセンスにちょっと皮肉さを混ぜ合わせると、ジャック・タチ原案、ジャン=クロード・カリエール作、ピエール・エデックス絵の「ぼくの伯父さんの休暇」(リブロポート900円)の世界です。

「バカンス。大洋と雨、熱さと風、寄せては返す白い並、日々ののんびりした歩み、浜辺に打ち寄せる潮騒よりも単調な、不思議な生活。魅力に、風変わりな魅力に富んだ生活。忍耐の日々、忍び込む眠気」

などという台詞を、主人公はバカンス初日にブツブツ言ったりします。

 

映画館で見逃した「フォックス・キャッチヤー」のDVDを借りてきました。とんでもないストーリーです(実話!)

世界的な化学メーカー、アメリカの大富豪デュポン家の御曹司は、レスリング好きが高じて、才能ある選手を集めてオリンピックに出場、メダルを狙うというストーリー。まっ、ここまでならレスリングへの愛情溢れる経営者と、若きレスラーの心温まるイメージの画面が脳裏に浮かぶと思うのですが、なんとこの経営者、その集めたレスラーの一人を拳銃で殺してしまうのです。えっ?えっ!なんで?!という展開なのですが、その原因を探るサスペンス映画でもありません。

レスリングなんて下品極まりないと蔑む厳格な母親に育てられた御曹司は、友だちも家族もありません。背中に大きな孤独を背負ったまま大人になったような人物です。大きな屋敷の中で、ぽつんと座っている彼を見ていると、不幸という言葉しか出て来ません。彼は殆ど、いや全くといって良い程笑いません。笑顔のない人生。この男を演ずるのがコメディアン出身のスティーブ・カレル。恐るべき演技で圧倒されます。

金と権力だけで集めて来た若きレスラー達。自分の方に向いてくれているうちは、目をかけるのですが、一旦そっぽを向けた途端に豹変します。日曜日に訪ねたら、日曜は家族と過ごすからと彼を拒否したレスラーに対して、自分の言い分が通らないと、まるで駄々をこねている子どもみたいに殺人へと走ってしまうのです。

映画は、アメリカ社会の成功者の、その過去がどれ程悲しくて、辛いものだったかなどの説明は一切しません。冷え冷えとしたタッチで惨劇への道程を描きながら、観客にすべてを任せていきます。説明過多の映画が溢れ還るハリウッドにおいて、このスタイルで作りきったのはベネット・ミラー(写真左下)。処女作はトルーマン・カポーティが革新的小説「冷血」を書き上げるまでを追いかけた「カポーティ」。その次が、野球映画ながら、選手ではなく、球団のマネージャーを描く「マネーボール」。どの映画も実話をもとに作り上げられています。「カポーティ」もそうでしたが、この作品でも風景の切り取り方が巧みです。

観客に媚を売らず、観客の感性を信じて、映画を製作、資金を集め、大きな劇場でロードーショーしてしまう才覚は恐るべしです。注目すべき監督でしょう。

 

 

「こんなクソみたいな国のオリンピックなんか、どうでもいいよ。それより、人を殺しても良い法律作ってくれよ、頼むよ」

なんて、殺伐とした台詞の飛び出すのは、橋口亮輔監督の「恋人たち」のワンシーンです。個人的には、この映画、今年の日本映画最高の収穫だと言い切ります。

数年前に通り魔に妻を殺された労働者の男、無口な夫と姑の世話に明け暮れる女、そしてゲイの弁護士。この三人の、明るい明日の全く見えて来ない人生模様を丹念に描いてゆく映画です。前作「ぐるりのこと」でも徹底的にリアリズムに拘った作風は、今回も健在です。もう色気もなにもない、やるせない妻の夫とのセックスシーンもあります。(まぁ、見たくないけど……)

三人の、無機質に過ぎてゆく日常の冷え冷えとした暮らしを、巧みに組み合わせながら物語が進行します。全然何も起こらないのに、息を殺して画面を凝視してしまいました。私は、この主役の三人を演じている篠原篤、成嶋瞳子、池田良、という役者を知らないので、それがまたとてもリアルに感じました。劇的な何かを内包しないとはいえ、それでも三人に事件が起こります。その過程を描きながら、見事に人生を肯定していきます。

 

その人の悩みや苦労は、他人と相対化できないものです。なんだ、そんな悩みか、と他人に笑われても本人にとっては死ぬか生きるかという場合もあります。そういう悩みや苦しみは、ある程度生きていれば、誰にでもあるもの。でも、それを、ある日、ひょいと越えた瞬間、今までどうも思わなかった風景が輝くことがあります。

映画の三人にもそんな一瞬が訪れます。汚く濁った川が、高速道路の隙間から見える青空が、通勤途中の田舎の道が、薄汚い飲み屋街が、とても素敵に見えてきます。生きていたら、こんな一時もある、とでも言いたげなラスト。画面に広がる青空を見ると、それなりに真面目に生きて来た人なら、泣けてきます。

そして、この三人が、その状況を越えることができたのは、彼らが自分の言葉で、自分を語ったからこそなのです。ぐちゃぐちゃの日常を整理整頓して、一歩足を踏み出すために、きちんと言葉で自分と向き合うことを教えてくれる、至極全うな映画だと思いました。

でも、もう一回、見るかと誘われれば、まっぴらごめんですね。あの生き地獄のような日々の暗闇に、再び向き合うのは勘弁して欲しいです。是非、人はこうして救われるのだということを劇場で体験してみて下さい。

 

 

昭和30年代後半から40年代ぐらいに発売された、海外翻訳物文庫が何点か入荷しました。その殆どが、映画化された際の写真等を使用しているところがレアものです。

先ずは、ケッセルの「昼顔」(新潮文庫400円 翻訳は、堀口大学)。美しいカトリーヌ・ドヌーブの下着姿が表紙です。公開時のポスターもこれでした。同じく、ドヌーブ主演の、クロード・アネ原作の「うたかたの恋」(角川文庫800円レア!)。王女様姿のドヌーブと手を取り合っているのは、若き日のこれまた美しいオマー・シャリフ。

スキャンダラスな内容で、「O嬢の物語」と双璧をなすジャン・ド・ベルグの「イマージュ」(角川文庫500円)。こんなの映画化されていたんですね。当時、角川文庫は、マルキ・ド・サドや、アポリネールの背徳文学を片っ端から文庫化していたみたいです。

これって原作があったんだ!と驚いたのも数冊ありました。映画館で皆がすすり泣いた映画、ミシェル・バタイユ原作の「クリスマスツリー」(角川文庫300円)。お父さん役には、名優ウイリアム・ホールデン。ハリウッドお得意のメロドラマですが、原爆搭載中の飛行機が爆発して、死の灰を浴びた少年が死ぬという設定は特異です。

西部劇も2冊。一つは、ダスティン・ホフマン主演で、トーマス・パージャー原作の「小さな巨人」(角川文庫200円)。確か、フェイ・ダナウエイも登場するニューウエイブ系のウエスタンでしたが、盛り上がりに欠ける映画だったと記憶しています。表紙は、映画同様、ダスティン・ホフマンをコラージュしたものです。

もう一冊はジョン・ウェイン主演、ウイリアム・D・ジェニングス原作の「11人のカウボーイ」(角川文庫200円)。孫みたいな若者に西部流の生き方を教えるウェイン翁のホームドラマ。これ、表紙は映画のオリジナルポスターの流用みたいです。

注目は、ご存知C・ヘストン主演の、ルー・ウォーレス原作「ベン・ハー」(新潮文庫500円)です。表紙は、軍艦が燃えている絵柄ですが、カバーの見返りには、ちゃんと映画のシーンが並んでいます。

映画版とは無関係の表紙ですが、「チップス先生さようなら」のジェイムス・ヒルトン原作の「心の旅路」(700円)。映画は典型的なメロドラマでしたが、淀川長治さんの「日曜洋画劇場」で見たような気がします。「ハリウッド調メロドラマ」とはいえ、今どきの恋愛映画とは比較にならないような格調を持っていました。

どれも、かなり古い本なんで、ヤケや汚れのひどいものもありますが、並べておくだけで素敵な文庫です。

忘れるところでした。こんな古い文庫の中に、サンリオ文庫版、ウィリアム・バロウズ「ノヴァ急報」が混じっていました。初版、帯付きとなると3000円前後の価格がつきますが、それは見てのお楽しみ……….。

 

映画館で見逃した「博士と彼女のセオリー」をDVDで見ました。後味の良い、本当によく出来た映画です。

映画は、理論物理学者スティーブ・ホーキンスと元妻のジェーンとの出逢いと別れを描いているのですが、大げさな演出やら、センチメンタルに盛り上げる音楽を極力排除しているスタンスが、最初から徹底していて安心して見ることができます。

ホーキンスは、63年に「ブラックホールの特異点定理」を発表、74年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった人物です。映画では、彼の理論についての描写は、極めて簡潔に処理されていて、イージーにデジタル処理された映像で、わかったような、わからんような描き方にしていないのも好感が持てます。

そして、ケンブリッジ大学在学中に、「筋萎縮性側索的硬化症」という難病に犯され、体中の筋肉が麻痺してゆくという身体になりながら、研究を続けた学者です。在学中から、少しずつ身体の自由が奪われてゆく彼を演じたエディ・レッドメインは、細かいニュアンスで見事に演じていきます。

映画後半、彼と彼を献身的に支えた妻が、別れる決意をします。お互いベストを尽くしたねと再確認しながら、次のステップに最も相応しい生き方を選んでゆくというシーンの演出は見応えがありました。もちろん、大泣きして抱き合うなんて陳腐なシーンはありませんので、ご安心ください。

監督のジェームス・マーシュは、ワールド・トレード・センターのツインタワー間での綱渡りを敢行したを達成した、大道芸人の挑戦を、本人や関係者の証言や再現映像を交えて紹介するドキュメント「マン・オン・ザ・ワイヤー」を作った人で、巧みな映像編集で、退屈させませんでした。その才覚は、今度の映画のエンディングでも発揮されています。

本年度アカデミー賞では、「イミテーションゲーム」のベネディクト・カンバーバッチと主演男優賞レースを争ったみたいです。カンバーバッチがあまりにも素晴らしかったので、他の誰が主演男優賞獲るねん!と思っていましたが、エディ・レッドメインに軍配が上がったことを、映画を観て納得しました。

 

ハリウッドのスタジオシステムが、強固だった60年代から映画を作り出して、いつの間にやら「扱いにくい」監督のレッテルを貼られ、そんならハリウッドなんか相手にするか馬鹿野郎!と、背を向けて、孤高の監督として一生を終わった二人の映画監督のドキュメントが相次いで公開されます。

ロバート・アルトマンとサム・ペキンパー。

現在、公開中の「ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男」を観て来ました。タフな人ですね、本当に。TVドラマ「コンバット」で戦争神経症に陥った兵士を描いて、物議を醸し出し出て以来、幾度もスタジオプロデューサーと対立。ほされても、ほされても、自分の映画を作ってきました。朝鮮戦争時の野戦病院の、ナンセンスな日常を描いた「M★A★S★H」(70)でブレイクした後も、方々でぶつかります。

2006年にこの世を去るまで、数十本の映画を監督していますが、中にはトホホなものも沢山あります。コメディアン出身のロビン・ウィリアムスを、主演に初起用した「ポパイ」なんてその代表作。大失敗で、映画界から無視されるも、演劇の演出等で食いつなぎ、復活。ハリウッドを大いに皮肉った「ザ・プレイヤー」(92)、カート・ヴォネガットの短篇を組み合わせてアメリカそのもを描いた「ショートカット」(93)と90年代快進撃を続けます。

映画は、「アルトマンらしさって?」と彼の映画に出演した人達に問いかけながら、この巨人の一生を追いかけます。学生時代、「ナッシュビル」という映画には驚きました。バラバラに登場する多くの人物の群像劇を巧みに操りながら、70年代後半のアメリカ社会を丸ごと描いていきます。こんな作家性の高い作品を撮る人がいたことに感動したものです。

ところで、昨今の映画で、一つのシーンで多くの人物が同時に喋るシーンなんて当たり前ですが、これアルトマンが初めた演出らしく、その方法もまたスタジオで揉めました。一人が話している時は、他の出演者は話さないのが、当時のハリウッドの鉄則でした。それを壊したんですからね。

アルトマンらしさって何?と問われて、「くたばれハリウッド」と答えたのは「ダイハード」等のマッチョ活劇役者、ブルース・ウィリスです。おいおい、ハリウッドど真ん中のお前が言うか?案外、彼もそう思っているのかも。

日本が戦時中に中国に作った傀儡国家「満州国」について、読んでいると、この地に作られた満州映画協会、略して満映に関しては、謎が多く、関連本が出れば購入していました。

かつて、銀座に多くの文人が集まった伝説のバー「おそめ」。その店を立ち上げた元祗園の芸妓の数奇な一生を描いた傑作ノンフィクション「おそめ」(新潮文庫300円)の著者、石井妙子の新作「満映とわたし」(文藝春秋1200円)もまた力作でした。

この本では、女性編集者、岸富美子の生涯を追いかけます。女優原節子、李香蘭、そして岸はともに大正9年生まれ。サイレントから、トーキーへと進化してゆく映画界に飛びこみ、銀幕のスターとして華やかなスポットライトを浴びた二人。

一方、岸富美子は、地味ながら映画の生命線でもある仕事、当時珍しかった(当然、差別も激しかった時代)編集者として、動き出します。

日中戦争開戦で進撃を続けた日本陸軍は、満州国を建国し、日本の配下に治めました。そして、満州人の教育のための国策映画会社、満映を設立します。内田吐夢等、多くの映画人が集まり、岸もまた満映に参加します。

理事長甘粕正彦が君臨する巨大な映画会社で、現地の人間を使っての映画製作の日々は、それなりに充実していたみたいです。甘粕正彦や、この地でトップスターになった李香蘭の物語は、目にすることが多いです。

しかし、この本は、敗戦で満映が崩壊し、その後この会社で働いていた映画人がどんな運命を辿ったかを、岸の人生を中心に描いています。敗戦直後、責任も取らず逃げ出した日本の軍隊。甘粕も勝手に自害し、その後、軍人でもない映画人達が地獄にも等しい人生を歩んでいきます。岸も例外ではありません。無理矢理奥地へ連行され、荒涼たる地で待ち受ける重労働。餓えに苦しむ日々。

著者は、岸へのインタビューや彼女の手記をもとにその過酷な日々を炙り出していきます。戦争が人を破滅に追いやるという記録でもありますが、岸は困難を乗り越え(なんて簡単な言葉では表現できませんが)生き残り、中国映画草創期に、多くの映画制作を目指す若者に、技術を教えます。その末裔達が今日の中国映画の秀作を世に送り出しました。

そして昭和28年、岸はやっと祖国に戻ります。これで日本で映画の仕事が出来ると思ったのも束の間、共産主義者のレッテルを貼られてしまい、再び困難な道が始まります。その後、独立プロで映画人として生きる道を見つけます。

岸富美子95歳。壮絶な人生の証言録です。