映画館で見逃した「博士と彼女のセオリー」をDVDで見ました。後味の良い、本当によく出来た映画です。

映画は、理論物理学者スティーブ・ホーキンスと元妻のジェーンとの出逢いと別れを描いているのですが、大げさな演出やら、センチメンタルに盛り上げる音楽を極力排除しているスタンスが、最初から徹底していて安心して見ることができます。

ホーキンスは、63年に「ブラックホールの特異点定理」を発表、74年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった人物です。映画では、彼の理論についての描写は、極めて簡潔に処理されていて、イージーにデジタル処理された映像で、わかったような、わからんような描き方にしていないのも好感が持てます。

そして、ケンブリッジ大学在学中に、「筋萎縮性側索的硬化症」という難病に犯され、体中の筋肉が麻痺してゆくという身体になりながら、研究を続けた学者です。在学中から、少しずつ身体の自由が奪われてゆく彼を演じたエディ・レッドメインは、細かいニュアンスで見事に演じていきます。

映画後半、彼と彼を献身的に支えた妻が、別れる決意をします。お互いベストを尽くしたねと再確認しながら、次のステップに最も相応しい生き方を選んでゆくというシーンの演出は見応えがありました。もちろん、大泣きして抱き合うなんて陳腐なシーンはありませんので、ご安心ください。

監督のジェームス・マーシュは、ワールド・トレード・センターのツインタワー間での綱渡りを敢行したを達成した、大道芸人の挑戦を、本人や関係者の証言や再現映像を交えて紹介するドキュメント「マン・オン・ザ・ワイヤー」を作った人で、巧みな映像編集で、退屈させませんでした。その才覚は、今度の映画のエンディングでも発揮されています。

本年度アカデミー賞では、「イミテーションゲーム」のベネディクト・カンバーバッチと主演男優賞レースを争ったみたいです。カンバーバッチがあまりにも素晴らしかったので、他の誰が主演男優賞獲るねん!と思っていましたが、エディ・レッドメインに軍配が上がったことを、映画を観て納得しました。

 

ハリウッドのスタジオシステムが、強固だった60年代から映画を作り出して、いつの間にやら「扱いにくい」監督のレッテルを貼られ、そんならハリウッドなんか相手にするか馬鹿野郎!と、背を向けて、孤高の監督として一生を終わった二人の映画監督のドキュメントが相次いで公開されます。

ロバート・アルトマンとサム・ペキンパー。

現在、公開中の「ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男」を観て来ました。タフな人ですね、本当に。TVドラマ「コンバット」で戦争神経症に陥った兵士を描いて、物議を醸し出し出て以来、幾度もスタジオプロデューサーと対立。ほされても、ほされても、自分の映画を作ってきました。朝鮮戦争時の野戦病院の、ナンセンスな日常を描いた「M★A★S★H」(70)でブレイクした後も、方々でぶつかります。

2006年にこの世を去るまで、数十本の映画を監督していますが、中にはトホホなものも沢山あります。コメディアン出身のロビン・ウィリアムスを、主演に初起用した「ポパイ」なんてその代表作。大失敗で、映画界から無視されるも、演劇の演出等で食いつなぎ、復活。ハリウッドを大いに皮肉った「ザ・プレイヤー」(92)、カート・ヴォネガットの短篇を組み合わせてアメリカそのもを描いた「ショートカット」(93)と90年代快進撃を続けます。

映画は、「アルトマンらしさって?」と彼の映画に出演した人達に問いかけながら、この巨人の一生を追いかけます。学生時代、「ナッシュビル」という映画には驚きました。バラバラに登場する多くの人物の群像劇を巧みに操りながら、70年代後半のアメリカ社会を丸ごと描いていきます。こんな作家性の高い作品を撮る人がいたことに感動したものです。

ところで、昨今の映画で、一つのシーンで多くの人物が同時に喋るシーンなんて当たり前ですが、これアルトマンが初めた演出らしく、その方法もまたスタジオで揉めました。一人が話している時は、他の出演者は話さないのが、当時のハリウッドの鉄則でした。それを壊したんですからね。

アルトマンらしさって何?と問われて、「くたばれハリウッド」と答えたのは「ダイハード」等のマッチョ活劇役者、ブルース・ウィリスです。おいおい、ハリウッドど真ん中のお前が言うか?案外、彼もそう思っているのかも。

日本が戦時中に中国に作った傀儡国家「満州国」について、読んでいると、この地に作られた満州映画協会、略して満映に関しては、謎が多く、関連本が出れば購入していました。

かつて、銀座に多くの文人が集まった伝説のバー「おそめ」。その店を立ち上げた元祗園の芸妓の数奇な一生を描いた傑作ノンフィクション「おそめ」(新潮文庫300円)の著者、石井妙子の新作「満映とわたし」(文藝春秋1200円)もまた力作でした。

この本では、女性編集者、岸富美子の生涯を追いかけます。女優原節子、李香蘭、そして岸はともに大正9年生まれ。サイレントから、トーキーへと進化してゆく映画界に飛びこみ、銀幕のスターとして華やかなスポットライトを浴びた二人。

一方、岸富美子は、地味ながら映画の生命線でもある仕事、当時珍しかった(当然、差別も激しかった時代)編集者として、動き出します。

日中戦争開戦で進撃を続けた日本陸軍は、満州国を建国し、日本の配下に治めました。そして、満州人の教育のための国策映画会社、満映を設立します。内田吐夢等、多くの映画人が集まり、岸もまた満映に参加します。

理事長甘粕正彦が君臨する巨大な映画会社で、現地の人間を使っての映画製作の日々は、それなりに充実していたみたいです。甘粕正彦や、この地でトップスターになった李香蘭の物語は、目にすることが多いです。

しかし、この本は、敗戦で満映が崩壊し、その後この会社で働いていた映画人がどんな運命を辿ったかを、岸の人生を中心に描いています。敗戦直後、責任も取らず逃げ出した日本の軍隊。甘粕も勝手に自害し、その後、軍人でもない映画人達が地獄にも等しい人生を歩んでいきます。岸も例外ではありません。無理矢理奥地へ連行され、荒涼たる地で待ち受ける重労働。餓えに苦しむ日々。

著者は、岸へのインタビューや彼女の手記をもとにその過酷な日々を炙り出していきます。戦争が人を破滅に追いやるという記録でもありますが、岸は困難を乗り越え(なんて簡単な言葉では表現できませんが)生き残り、中国映画草創期に、多くの映画制作を目指す若者に、技術を教えます。その末裔達が今日の中国映画の秀作を世に送り出しました。

そして昭和28年、岸はやっと祖国に戻ります。これで日本で映画の仕事が出来ると思ったのも束の間、共産主義者のレッテルを貼られてしまい、再び困難な道が始まります。その後、独立プロで映画人として生きる道を見つけます。

岸富美子95歳。壮絶な人生の証言録です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしは子どもが嫌いだ!」という伊武雅人の歌がありましたが、正直なところ、どちらかというと私も子どもが苦手な方です。

しかしドキュメンタリー映画『みんなの学校』に登場する子供たちには魅了されました。子どもは実に可愛く、面白く、それを大人側が色眼鏡でみているのだということに気づくと、自分の度量の狭さにうなだれます。

大空小学校は、大阪の公立の学校です。ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害のある子も、感情をうまくコントロール出来ない子、ちょっと乱暴な子も、みんな一緒に同じ教室で学びます。社会に出たらみんな一緒に生きて行くのだから、色々な人とどうやって付き合って行けば良いかを、体験するのはとても大切なことです。分離教育の中で育って来たことを心から残念に思います。自分が「差別者」であることを、大人になってからどれほど思い知らされたことか・・・。同じ教室で、それぞれの能力に応じて精一杯やっていけばいいんだと、子どもの頃から学びたかった、とつくづく思いました。確かに授業を成立させたいだけなら、問題児がいると邪魔かもしれません。でも、そうやって同質のものだけが固まって成立する授業って何なんだろう、って、大空小学校の実践を見ていると考えてしまいます。

 

ものすごく大切なこと、例えば校長先生がいつもおっしゃっていた「自分がされて嫌なことは、人にしない、言わない。」この基本が、子供たちにちゃんと伝えることができているだろうか。(そう言えば、親にはこの言葉よく言われていたな〜って、今思い出しました。)そういうことを横に置いて、テストの結果で人の能力を測るだけって、なんか、大人の社会でも継続されていて、息苦しいことになっていそうな気がします。

 

この小学校では、何か問題が起きたら、他のクラスの先生や、管理作業員さんたち、さらに地域のボランティアの人達が、チームで動きます。学校のシズテムがよくわからないのですが、こういうやり方は、普通できていないのでしょうか。担任の先生もとても気が楽になると思うのですが。

 

問題がオープンになることで、先生もどこに軸足を置くべきかを常に問いかけ、解決して行ける事がこの学校を楽しくしているのですね。こんなに喜怒哀楽をあからさまに見せることを許したことが素晴らしい。希望を見出した気がします。

「みんなの学校」は京都シネマで昨日まで上映していました。見逃した方は、ぜひどこかで!(女房)

 

 

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台湾の候考賢(ホウ・シャオシェン)監督の「黒衣の刺客」を観て来ました。

中国唐時代の剣劇聞くと、血湧き肉踊る活劇を期待される向きもあるかもしれせん。予告編には、黒衣に身を包んだかっこいい女性剣士がスパッと相手の首を斬るシーンがありますが、アクション時代劇ではありません。(一応剣劇のシーンもありますが……)それを、期待すると奈落の底に突き落とされることになりますのでご注意ください。

ひたすら見つめる、ひたすら耳をそばだてる映画です。

何を? それは風の音です。2時間あまり、ひたすら凝視する作品ですね。ストーリーなんてわかりません。出演している妻夫木聡の役も、説明できません。それでも、面白い映画だったので、困ったものです。

候考賢(ホウ・シャオシェン)監督といえば、天皇の玉音放送で始まる「非情城市」が有名ですが、あの映画もひたすた見つめることを強いる作品でした。また浅野忠信を起用して、全編日本ロケで作り上げた「珈琲時光」は、電車の音と、主人公の古書店(素敵な店でした)の本を捲る音を聞くというものでした。

そしてこの映画では、最初から最後まで、画面を風が吹き抜けます。宮廷の室内に吹き込む風、夜の寝室に忍び込む風、揺れるロウソク。荒涼たる森に吹き荒れる風、その映像を音を楽しむ。

ワンカット、ワンカット細緻を極めた画面に耽溺していただければ、この映画は、貴方にとって素敵な作品になるでしょう。そうならなかった場合、残念ながら眠たい映画かもしれません。

エンディングで去ってゆくヒロインの向うに広がる朝霧にけむる山並みと、無国籍風の哀愁のある音楽に、涙しました。先日観た「合葬」のラストで聞こえてくる音楽と共に、今年聞いた映画音楽では忘れられない曲になりそうです。

 

 

 

 

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杉浦日向子原作の映画「合葬」(原作についてはブログで紹介済み)を観て来ました。なんと、館内は数名というガラガラの状態でしたが、佳作でした。

監督は京都生まれの小林達夫。1985年生まれですから、今年30歳。これが劇場公開第一作です。主要スタッフを観ると、とんでもない人選です。撮影の渡辺伸二(57歳)はTV、映画で引っ張りだこの松竹の第一線カメラマン。照明の高橋齋は、北野武の作品のうち、17作品で現場を仕切っていた人です。美術の馬場正男(88歳)にいたっては、なんと黒澤の「羅生門」から製作に参加していました。

つまりトップクラスの映画職人相手に、彼等からみたらキャリア的には若造の監督は、一歩も引かず、一コマ、一コマ、一流の技術を得て、見事な映像を作り上げました。それだけでも拍手ですが、こんなに端正で美しい時代劇を処女作で創り出すなんて、驚きです。

原作は、江戸幕末にテロリスト集団と断罪され滅ぼされた彰義隊に、それぞれの事情で入隊した三人の若者の青春と無惨な最後を描いています。映画も概ね、その通りに映像化していきますが、原作の持つ、繊細なタッチを画面に捉えるには、やはり実力派のスタッフは必要だったのです。ワンカット、ワンカットが、絵画のように美しく迫ってきます。圧巻はラスト近くの政府軍との合戦シーン。彰義隊が引き篭もる寺の池に群生する蓮を捉えたカメラが、遠くの方で聞こえる合戦の声に向かって移動していきます。そこへ、激しい雨が降ってきます。雨粒で揺れる蓮。これは、原作に書かれた雨脚の見事な映像化でした。

時代劇でありながら、派手な立ち回りは少なく、物量で見せる合戦シーンもありません。ひたすら時代に流されてゆく若者達の儚い生の一瞬を描くことに終始します。

ラストは、原作と全く違います。「ジョゼと虎と魚たち」で鮮烈デビューし、NHK連続ドラマ「カーネーション」で大いに楽しませてくれた脚本の渡辺あやは、原作ではそんなに比重の重くなかった人物を、ラストで生かせます。成る程、こんなエンディングもあるのかと、やはり感心しました。

音楽を担当しているのがASA-CHANGE&巡礼(右写真)という無国籍音楽を演奏するバンド。エンディングの曲に圧倒されました。ご詠歌、インド古典音楽、ガムラン、謡曲がブレンドされているのですが、見事なオリジナルな曲になっていて、映画の終わりに相応しい曲でした。今年の一曲と聞かれたら、これです。

あれだけ入りが悪いとすぐ終了するかもしれませんが、磨き上げられた美しさに満ちた映画として、お薦めします。

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「シーン5−22−1 本番」

助監督がカチンコでスタートの合図。録音が始まり、役者が動き出す。

これって、映画の撮影現場の様子ですが、なんとレティシア書房が映画撮影の現場になりました!

京都造形芸術大学映画学科の卒業制作で、当店内をワンカットだけ使いたいと申し出があり、二つ返事でOKしました。本日午前8時、先発の撮影クルーが到着。機材を下ろし始めました。照明用ライト、カメラ、録音マイクとプロの現場となんら変わりありません。もちろん、助監督はポケットにスケジュール表と台本、そしてカチンコを持ち、ハンドトーキーで方々に連絡するというお馴染みの撮影スタイルです。

準備は1時間程で終了。後は役者を待つばかりと、これまた映画ならではの待ちの時間。やがて、役者さんが到着、服を着替えて、いよいよ撮影開始。書架に置いてあった本を見つめ、持ってゆくというたったワンカットの撮影です。

「本番!」という助監督の声に、さすがにこちらも緊張しました。店内はシーンとなり撮影は開始されました。録音の方から余分な音を拾っていたので、撮り直しの指示が出て、再度本番。そして撮影は無事終了しました。準備も含めて2時間弱の撮影でしたが、こんな撮影現場に立ち会ったのは、自主制作で大森一樹が撮っていた「暗くなるまで待てない」以来でした。大学時代、自分で8ミリカメラ持って、中之島の地下道で失踪する男を撮影したこともありましたが、こういう現場って血が騒ぎます。

テキパキと指示を出す、女性スタッフ中心のクルーを後方から眺めていると、若い頃を思いだしたりして結構楽しかった。

ところで、この大学の映画学科長は映画監督の高橋伴明さん。「TATTOO<刺青>あり」(82)以来、好きな監督です。奥田瑛二主演の最新作「赤い玉、」が近日公開されます。男の老いと性を描く、彼にとって久々のエロス作品で、濃いなぁ〜とは思いますが、きっと観に行きますよ。良いご縁をありがとうございました。

 

 

2014年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したのは、スウェーデン出身のロイ・アンダーソンの「さよなら人類」。

この映画がなぁ〜、と多くの人が思うかもわかりません。ストーリーのある様な、ない様な、主人公がいる様な、いない様な映画ですから。(途中で席を立った方もおられました)

最初は、まごつき、退屈になったり、眠たくなったりしましたが、暫くして、おぉ〜!と、この監督のセンスに痺れました。お話は、冴えない営業のおっさん二人の失敗ばかりの日常を描いてるのですが、二人が売っているのは、パーティーなんかで使うドラキュラの歯とか、歯抜け親父のお面とか、もう時代遅れの全く売れないものばかりです。

一応、二人を主軸にして映画は進みますが、彼等が入ったカフェに、突然馬に乗ったナポレオンの如きスタイルの将軍が乱入し、ロシアに攻め込むと息巻くシュールなシーンが展開します。この時、カフェの向こう側を、配下の軍人達が戦闘服スタイルで馬に乗って、或は槍をもって延々行進していくリアルな姿が見えてきます。な、なんというお金の使い方や!本筋そこのけで、あっけに取られ画面に吸い込まれました。(ご丁寧以にも、この将軍は戦に破れて再度登場します)

モンティパイソンや、ジャックタチの「僕の伯父さん」シリーズと似通ったスタイルという批評家もいましたが、そうかもしれません。不連続なカットを拾い集めてきて、観客がパズルを完成させるような作品ではないでしょうか。(だから、しっかりしたお話に基づいて進行する映画を好む方には、お薦めしません)

監督は、CM製作で幅広く活躍し、その資金でストックホルムに巨大なスタジオを建設。この映画の全39シーンの中、野外撮影は一切行わず、CG全盛の時代にCGをほぼ使わず、スタジオに巨大なセットを組み、ミニチュアの建物やマットペイント(背景画)を多用、目を凝らしても気づかないほどのリアルな街並を再現し、そこに膨大なエキストラ、馬を登場させるなど、とんでもないアナログ巨編を完成させました。そう言う意味では極めて絵画的な作品で、アンダーソンの個展を美術館に見に行った、という感じでした。

ラストがいいんです。バス停で、バスを待つ人々。「今日は何曜日だっけ」とか声をかけたりして待ってます。と、鳩の鳴き声が聞こえてきます。バス停の後ろの自転車屋が開店します。再び鳩の声が静かに聴こえます。で、エンド!!!!!。

こののどかさ。泣けてきました。単純にいえば、どうあがいても「明日は来てしまう」という事なんですね。

 

 

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漫画家で、江戸文化の研究者でもある杉浦日向子の「合葬」を読み終わりました。雑誌「ガロ」に連載され、84年の日本漫画家協会賞・優秀賞を受賞した長編漫画です。

徳川幕府崩壊直後の慶応4年の江戸を舞台に、幕府解体に徹底抗戦して、新政府と最後まで戦った「彰義隊」に入隊した三人の若者の姿を描いていきます。熱狂的に徳川慶喜に忠誠を誓う若者、養子先を追い出されて、フラフラしていた若者、そしてその二人に絆されて、自身は彰義隊の存在意義を疑う若者の三人が、時代の荒波の中に翻弄されて、もがく様を描いた青春漫画とでも言えばいいのでしょうか。

明治政府によって、彰義隊は反政府勢力と断定され、テロリスト集団として追い詰められてゆきます。もちろんこの若者達の未来にも、明るい展望があるわけがありません。杉浦は、少し距離をおいた視線で、若者達の明日のない青春を描いていきます。作者は大げさな悲劇として扱うことを極力避けていきながら、なんでこんな青春選んだのかなぁ〜という若者達のつぶやきを描いていきます。なんだか、ゴダールや、マル、トリュフォ−なんかのヌーベルバーグ映画に登場すして右往左往する若者達みたいな印象さえあります。

「彰義隊」の視点から、いわば内乱でもある上野戦争を描いていきますが、戦争というものがいかに大義名分のないものかが理解できます。その渦中で命を落としてゆく若者達。彼等の無駄死の死屍累々で終わるのかと思ったのですが、そうじゃないんですね。このラスト、希望なのか、絶望なのか、それは読者の想像力にお任せですが、私は涙しました。生きてほしい、と声をかけたくなりました。

今店頭にあるのは2012年に小池書院から再発されたハードカバーです。(絶版1500円)

ところで、この漫画が劇映画になったみたいです。この秋公開予定ですが、脚本がNHK朝ドラの「カーネーション」を書いた渡辺あやというのが興味津々です。監督は、彼女の脚本で自主制作された「カントリーガール」の監督、小林達夫の初の劇場公開作品。あのラストシーンがどう演出されているか、ぜひ劇場で見たい映画です。 

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記録映画「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」(京都シネマ)を観てきました。

ブラジルに生まれ、ユージン・スミス賞をはじめ、多くの賞を受賞した世界的報道写真家。現在はブラジルで、破壊された自然の保全や復元活動に取り組む環境活動家としても知られている写真家セバスチャン・サルガドを、ヴィム・ベンダースが監督した映画です。

報道写真家として、世界中の戦争へ出向き、その悲惨な光景を撮り続けた写真家の作品は、時として目を背けたくなります。故郷を追われ、流浪の旅に出たアフリカの民。飢餓の恐怖に耐えながら、安住の地を求めて彷徨う。しかし、体力のない子供たちから死んでゆく。民族同士の衝突から起きる戦争が、どれ程人間を残酷な、醜い存在にしてしまうかを見せつけられます。

 

そんな辛い写真ばっかりで痛々しい映画なのかと思われますが、そうではありません。人間の存在をたった一枚の写真に切り取り、悲惨の遥か彼方にあるかもしれない希望へと私たちを導いていきます。彼が撮った作品の背景に見え隠れする大空の不思議な感覚は、そんな希望の道しるべかもしれません。

映画の後半は、ルワンダ内戦のあまりの惨状に、彼自身の心が病み、故郷ブラジルに戻ってからの活動をドキュメントしていきます。故郷の荒果てた大地に愕然とした彼は、妻レリアと共にその再生へと向います。

そして2004年にスタートするプロジェクト「GENESIS(ジェネシス)」では、地球上に残る未開の場所―ガラパゴス、アラスカ、サハラ砂漠、アマゾン熱帯雨林などに出向き、日々生と死が交錯する、地球の姿に立ち止まり、シャッターを押し続け、写真集として発表しました。。
かつての報道写真家としての作品とは、まるで違う作品に批判もありましたが、サルガド自身が言うように「GENESIS(ジェネシス)」とは地球への“ラブレター」。絶望の彼方から、希望への架け橋を自らが求め探す旅を続ける姿は胸を打ちます。打ち拉がれた魂を再生させるのは、この惑星の自然でしかないという真理に真摯に耳を傾けさせる作品でした。

 

 

★10月23日(金)19時30分

北海道釧路ヒッコリーウインドオーナー&ネイチャーガイドの安藤誠さんのネイチャートーク&スライドショー「安藤塾」 決定。要予約