と言っても、誰??かもしれません。アラン・チューリングは、第二次世界大戦の最中、ドイツ軍の開発した暗号通信機機「エニグマ」の解読を任された男で、映画「イミテーション・ゲーム」の主人公の天才的数学者です。歴史的には、この暗号解読のおかげでヨーロッパ戦線は早期に終結したと評価されています。

暗号解読のサスペンス映画かと思われた方、それは間違いです。さすがに、本年度アカデミー作品賞候補になっただけのことはあります。

映画は、チューリングの寄宿舎時代から、暗号解読にすべてを傾ける青年時代、そして国家に葬り去られる最後まで、カットバックを巧みに使いながら、見るものを画面に引きずりこんでいきます。もの凄い苦労の末、暗号解読に成功しながら、彼と彼の仲間を待ち受けていた苦悩の日々。そしてこの時代、キリスト教的倫理観一色の中で、同性愛者たちにいかなる仕打ちをされていたか等々、チューリングの生きた時代を丸ごと描いていきます。彼が恐るべき愛情をかけて作り出した解読機の名前を何故「クリストファー」と名付けたか?涙なくしては見てられません。2時間、身を乗り出してみてしまう見事な演出です。

主演は、TV「シャーロックホームズ」で、その演技力の高さを見せたベネディクト・カンバーバッチ。これで、アカデミー主演男優賞取れなかったなんて、取った役者の演技ってどんなん??と思ってしまいます。

真っ当な映画作りは、完成度の高い脚本と、それを解釈して表現する役者の力、華美な演出を排除して削いでいく演出が出来る監督が、絶対必要条件です。そしてもう一つ、「画調」も忘れてはなりません。その映画全体を支配し、陰翳の深いものにできるかどうかで映画の出来上がりは違います。「イミテーションゲーム」は、その点も見事でした。

ところで、チューリングが創り出した解読機クリストファーが、現代のコンピュータの原点になっていたなんて初めて知りました。映画館で極上の時間を過ごせるお薦めの作品です。

 

京都シネマで上映中の「おみおくりの作法」を観てきました。

オリジナルタイトルは”Still Life” このシンプルなタイトルの方が、作品を見事に表現しているのですが、邦題の方は、「おくりびと」からきているのかなんなのかイマイチです。

舞台は現代イギリス。引き取りてのない遺体の、身内を懸命に探し出し、誰も見つからない時は、葬儀も執り行う真面目な民生委員の日々を静かなタッチで描いた90分あまりの小品です。

この男、プライベートでも、仕事でも、ともかく几帳面を絵に書いた様な人物で、余分なものを削ぎきった生活は清々しくさえありますが、人生、何が楽しいの?と思ってしまいます。一分の狂いもなく進行する毎日でしたが、ある日、自分の住んでいるアパートの住人の遺体の身元引受先を探すところから、微妙に心境が変化していきます。

えぇ、そおんなぁ〜!!という展開に驚かされますが、映画的センス、あるいは小説読みのセンスのある方なら、あぁ〜ラストはこうだろうなと思い浮ばれるかもしれません。その推測はきっと正しい。しかし、そこからがこの映画の極上の素敵さの始まりです。涙腺の弱い人は、ハンカチでは保ちません。手ぬぐいをご用意下さい。もちろん、画面は相変わらず静謐感に満ちたままです。

オリジナルタイトルの”still life”は「静物」、もしくは「静物画」とでも翻訳するのが適当ですが、一枚の「静物画」の中に、生きることと、そして死ぬことの哀しみを閉じ込めた作品です。

主人公がラスト近くで”This is my job”という台詞を口にしますが、この言葉の重みがじわじわと胸に迫ってきます。監督は、ウベルト・パゾリーニ。サッチャー政権下の労働者たちが男性ストリッパーになる奇想天外な傑作「フルモンティ」の製作者の初監督作品。お見逃しなく!!

 

☆はちはちのパン販売のお知らせ  

2月27日(金曜日)西陣の「はちはち」のパン(セット600円)を販売いたします。

お楽しみに!

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ドキュメンタリー映画「白夜のタンゴ」を観てきました。

タンゴと言えば、アルゼンチンタンゴと誰しもお思いでしょうが、実はフィンランドだったという説があり、アルゼンチンタンゴの名手たちが、フィンランドに出向き、ほんとかよ?と各地を訪ね歩く姿を追いかけた80分程の小品ですが、心温まる音楽ドキュメントです。

確かに、この地にもタンゴ奏者がいて、ホールでは皆さん踊っておられます。もちろん、アルゼンチンみたいな熱狂はありませんが、とても楽しそうです。森と水の国フィンランドの広大で静かな風景にタンゴって不似合では?と思っていましたが、どうしてなかなか似合っています。多くの人の欲望渦まくアルゼンチンでも、こんなに人影が見えないファインランドでも、全く問題なしで聴けるのは、この音楽の持っている力強さと包容力の成せる技かもしれません。

ところで、映画に登場するタンゴを聴いていると、南米大陸の不思議な音楽の伝わり方に気づきました。アルゼンチンのご近所ブラジルではボサノバになり、ペルーに入るとフォークローレになり、北上してキューバに行くと、伝統音楽ソンになり、さらに北のメキシコにいくとマリアッチに変わる。もちろん、これらの音楽が形成された時期も経路もバラバラですが、それぞれのお国柄が聴こえてきそうです。一つの大陸でこんなにも様々な表現スタイルを持っているって面白い。

キューバでソンを演奏して30年のキャリアを誇るセプート・デ・ラ・トローバのサウンドを聴いていると、そのままタンゴのダンスが踊れそうなのですが、あ、これキューバだよねと思わせるものがあります。ちょっと太った女性がステップ踏みながら、フライパンで料理してそうなシーンが心に浮かぶ一方、演歌っぽい哀愁さえもあります。懐の深い音楽です(CD1400円)

さて、当ギャラリーではかくたみほさんのフィンランドの写真展を開催しておりますが、「白夜のタンゴ」にも作品そっくりの風景を見ることができます。映画を観に行かれたら、ぜひ写真も観に来て下さい。リクエストしていただければ、店にある映画サントラ「タンゴレッスン」(900円)を流しますよ。

前から興味のあった「インターステラー」を観ました。最近は、ハリウッドの大作を殆ど観ないのですが、監督が贔屓のクリストファー・ノートンなので出かけました。

アインシュタインの相対性理論、量子力学、五次元空間、そしてタイムパラドックスにワームホールと、さらに本棚の向うは、別世界への入り口というファンタジーのお約束事まで放り込んだ3時間。どれも未消化、突っ込みどころ満載にもかかわらず、素敵な映画でした。

SF大作にもかかわらず、静謐なのです。昨今の低能ハリウッドは、めったやたらとうるさい映画ばかりが目立ちます。宇宙は真空なんだから、音なんてない世界という事実をすっかり忘れています。その点、さすがクリストファー・ノートン監督でした。

この静かな映画を作るには、おそらく監督の脳裏には69年の「2001年宇宙への旅」、そして地球滅亡というテーマで言えば、同年公開された「猿の惑星」があったはずです。名作二本は超えられませんでしたが、超えようとチャレンジした映画では、最も優れた作品です。

ところで、その60年代ですが、ハリウッドは真面目に社会に向き合っていました。

62年、「キューバ危機」でアメリカとソビエトが緊張状態になった二年後、「博士の異常な愛情」「五月の七日間」「未知への飛行」と核時代の恐怖を描く傑作が一斉に公開されます。

「サウンド・オブ・ミュージック」や「マイ・フェア・レディ」といったハリウッドらしい大作も公開されている一方、方々で出版差止になったナバコフの小説「ロリータ」が62年に映画化され、世間に「ロリータコンプレックス」という言葉を普及させました。

そして決定的だったのは、67年公開の「俺たちに明日はない」でしょう。ハリウッドが描いてきたアメリカンドリームは一気に砕けちり、アメリカ人の孤独を描いた極めつけ68年公開の「泳ぐ人」、NYの得体のしれない恐怖を描く「ローズマリーの赤ちゃん」、69年に「真夜中のカーボーイ」が登場し、悲惨で、孤独なアメリカ人の内側を描き出して、70年代にバトンタッチしていきます。時代と共にその表現手法を広げた、映画に取っては幸せな時代でした。

芸術新聞社発行の「60年代アメリカ映画」(2000円)は、この10年間をその代表作と共に振返る労作です。この本片手にレンタルDVD探されてはいかがでしょうか。

蛇足ながら、私の60年代ベスト10は

「2001年宇宙への旅」「ブリット」「博士の異常な愛情」「サイコ」

「愛すれど心さびしく」「猿の惑星」「明日に向かって撃て」「質屋」

「泳ぐ人」「鳥」というところかな〜。

 

 

戦後、映画監督の小津安二郎は、家族の幸せと、その家族の一員が亡くなったり、嫁いだりして抜けた後に訪れる孤独を描いてきました。

一方、小説家庄野潤三は、その幸せな家族の最も美しい瞬間を静止画を捉えるように、描いてきました。岡崎武志編集による「親子の時間」(夏葉社2592円)に収められている短篇には、まるで小津映画のワンカットを見ているような作品ばかりです。一番最後に収録された日記「山の上に想いあり」は、上流社会に属する家庭という設定ではありますが、もう消滅してしまった美しい日本の家族の姿が収めらています。

そして、もう一人、家族に拘る映画作家がいます。石井裕也監督です。「川の底からこんにちわ」(2010)、「あぜ道ダンディ」(2011)、「舟を編む」(2013)、そして最新作「ぼくたちの家族」(2014)に至るまで、ひたすら家族を描いてきました。

「ぼくの家族」は、脳腫瘍で倒れた母親と、取り残された父親と二人の息子の姿を描いた作品です。ま、この手合いの話になると、小説にしろ映画にしろ、妙に感動させようと作為的な描写が目立ちます。しかし、この作品は、そんなことは一切しません。登場人物のそれぞれの日常風景を切り取りながら、淡々と進行します。泣かせにしないところが、この監督の真骨頂でしょう。

普通、映画はオープニングでタイトルが出ますが、本作は一番最後に出ます。バブル期を象徴するような大きな家を建てた父と母。その一方、長男は引きこもりになり、父は借金を重ね、母はサラ金で買物を続け、家族はバラバラになっています。しかし、母が倒れて、男たちはジタバタすることで、ほんのちょっとだけ家族の枠組みを取り戻します。この「ほんのちょっと」が大事ですね。主演の妻夫木聡が、ラストまるで、これが「ぼくたちの家族」と笑みをこぼすところで映画は終ります。そして、タイトルです。

小津安二郎が、庄野潤三が、石井裕也が描く家族は、テーマも表現方法みな違います。しかし、一つ共通しているのは、静謐な事です。その事が、偽物ではない家族の物語を見せてくれる大事なポイントなのかもしれません。

素敵なドキュメンタリー映画を見ることが出来ました。

昨年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した作品「バックコーラスの歌姫たち」です。オリジナルタイトルは”20 feet from stardom”

日本語に翻訳すれば「スターの背後6メートル」。これは、ロック、ポップスの大物達の後ろで歌うバックコーラスの黒人女性達のポジションを象徴したタイトルです。

聖歌隊、教会音楽で育ってきた彼女たちの声量は、ど迫力で、こんな上手い人達の前で誰が歌うのか??と思ってしまいます。ジョージ・ハリスンが主催した「バングラデシュコンサート」で彼は自作の「ワーワー」を歌いますが、はっきり言ってライブでのジョージは下手です。しかし。そのバックコラースが見事に曲に命を吹き込み盛り上げていきます。(逆を言えば、彼女達の才能を知っていたジョージの音楽家としてのセンスの良さが分かりますが)

彼女達がいなければ、ロック、ポップスの世界はいかに面白くなかったかということを実証する作品である一方、60年代から今日まで、バックコーラスの女性達が不当な扱いを受けてきた事実が浮き彫りになります。それはそのまま、アメリカの黒人差別の歴史です。

そして、実力十分な彼女たちがソロシンガーとして独り立ちした時、つまりスターの後方のポジションから、センターへと出ててきた瞬間から、待ち受けている厳しい現実。消費され、押しつぶされてゆく人生が映し出されます。

この映画に登場する歌姫たちは、その闘いを乗り越えて生き残った女性達です。だから、彼女達の表情は素敵です。一時は家政婦までしていた、今年73才のダーレン・ラブが歌う「リーン・オン・ミー」は、熾烈な音楽業界に翻弄されつつも、逞しく復活してきた女性の人生が凝縮されています

ロックやポップスなんて知らない人でも、魅入ってしまう作品です。レンタル屋でチェックして下さい。

アメリカ航空宇宙局が、着々と有人宇宙船による火星着陸計画を進めているみたいです。先日は、その新型宇宙船のテスト飛行をやっていました。そのうちに、火星から宇宙飛行士が地球に挨拶を送ってくるかもしれません。しかし、それホンマ〜??と思わせる映画に1978年に出会いました。

「カプリコン1」(ピーター・ハイアムズ監督)です。

火星へ出発間際、突如三人の宇宙飛行士は宇宙船から連れ出され、沙漠のど真ん中の格納庫に隔離されてしまいます。そして、宇宙飛行計画の責任者から、機体の一部に不具合があった、しかし、この計画を中止すると、大統領が予算を削減して、火星行きは断念せざるを得なくなる。だから、偽装飛行と火星に見立てたセットで火星に到着した演技をして、計画が成功したかの如く振る舞うように強要される。

そんなアホな話と思われるかもしれませんが、有無を言わさず、ラストまで引っ張ります。昨今のド下手丸出しのハリウッドと違って、この時代のアメリカ映画は、世界をリードしていただけの映画作りの上手さを堪能できます。

この映画の製作は70年代後半。当然CGなんてものはありません。でも、制作スタッフは、リアルにリアルに、これは嘘ではありませんよ、というスタンスで話を組み立てていきます。前半のSF的展開から、後半の冒険活劇の王道的展開へとシフトしてゆく演出も見事です。

最後には、ヘリコプターとおんぼろプロペラ機の空中戦が用意されていますが、このパイロットに扮するのが、「刑事コジャック」のテリー・サバラスです。今、改めて観てみると、このキャラは、宮崎駿のアニメ「紅の豚」の主人公ポルコ・ロッソそっくり(コジャックの吹き替えもポルコの声も森山周一郎)。宮崎も、この映画を観て、ポルコをイメージしたのかもしれません。

ところで、当初、アメリカ航空宇宙局はこの映画に協力的でしたが、内容を知って断ったらしいです。まぁ、そりゃそうですね。「カプリコン1」はレンタルショップで借りられます。お正月休みには、格好の映画です。

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アイルランド人、レニー・アブラハムソン監督の映画「フランク」を観てきました。なんと、まぁ調子はずれな、でも愛すべき作品でした。巨大な張りぼてのマスクを被り、人前では絶対に素顔を見せない、正体不明のカリスマ・ミュージシャン、フランク。その彼と、どう聴いても面白くないバンドの珍道中を描きます。

風変わりなバンドのアルバム制作のため、辺鄙な田舎で合宿する姿がネットにアップされてアメリカのロックバンドフェスに招待されたものの、とんでもない結末を迎える話なんですが、先ず盛り上がりません。練習風景もヘンテコだし、ほんとにバンドとして大丈夫????って感じです。この写真からも、その変さ加減はみていただけるでしょう。でも、ラストのラストで、あっ!純愛映画だったんだことがわかります。最後に流れる、「リリーマルレーン」ばりの物悲しい歌と主人公の後ろ姿が涙を誘います。

時たま、こういうへんてこなイギリス映画に出会います。

ゾンビ映画にはちょいとウルサい私ですが、観て頂きたいのが、エドガー・ライト作品「ショーン・オブ・デッド」(レンタル店にあります)です。ゾンビ映画ながら、もう全編お笑いです。お約束の、ゾンビが人間の内蔵を引きちぎって、モリモリ食べるシーンもありますが、変なセンスと、この手合いの映画にありがちな恐怖感盛り上げ度が、なんと0という、調子はずれの作品です。

一番、笑ったのは、ゾンビ相手に、LPレコードを割って投げつけるシーン。イギリスのバンドのものは割るな、アメリカのバンドだから割れ、それ初版だから割るなと、目の前のゾンビ無視してレコード話をするところでした。

で、この監督、数年前に「ホット・ファズ」という、滅茶苦茶に弾丸が飛びまくるのに誰も死なないという、これまた大笑いの映画を作っていました。年末、年始の下らないTV観るなら。この二本を借りて、初笑いをお薦めします。

妙に元気になるというか、フットワークを軽くしてくれる「癒し系(?)」の作品ですよ。

私には、何人かの恩師がいます。と言っても、勝手に私がそう思っているだけで、ご本人とは何の交流もありません。その恩師の宮澤賢治、星野道夫からは、人は他者の命を喰らうことでしか生きていけない存在であることを教えてもらいました。

そして、先日死去が報じられた俳優、菅原文太からは「騙されるな!」という事を教えてもらいました。若き日、「仁義なき闘い」を頂点とする実録映画をそれこそ浴びる程観てきました。如何なる体制にも組せずに、己の力で荒野を突き進む男は、高度経済成長からバブルへと向かうこの国に蔓延していた「明るい未来」「豊かな国」という与えられたイメージを、そんなもん嘘っぱちだ!とスクリーンの向うから叫んでいるように聞こえてきました。その声は、もう数十年の間、私の頭の中で響き続けています。マスコミの作り出す虚像あるいは幻想には騙されまい、美談にも、醜悪なゴシップにも加担しない。その事を教えてくれたのは彼でした。

代表作のように言われる「仁義なき闘い」ですが、あれは人間の卑しさと惨めさを笑い飛ばす集団劇で、彼は狂言回しでしかありません。役者の魅力なら天皇制批判にまで踏み込んだ「県警対組織暴力」や、実在した鉄砲玉を描いた「山口組外伝 九州進行作戦」の方が魅力的です。でもベスト1となれば、盟友、千葉真一監督作品「リメインズ美しき勇者たち」で演じたマタギの頭領でしょう。吹雪の中、熊を待ち続ける初老の狩人の顔に刻み込まれた皺が魅力的でした。

しかし、後年の反原発、集団的自衛権への反対、そして安全な農業への拘りに見られるような理不尽な要求を押し付ける国家への反発という、彼の本質的な資質を如実に見せてくれたのはNHK大河ドラマ「獅子の時代」で演じた幕末の会津藩の武士(山田太一脚本)でした。

大河ドラマなんて全く興味なかった私に、大河ファンだった女房からDVDの購入を勧められて、一年分のドラマを見ました。これぞ、菅原文太の人間像が見事に描かれた作品です。富国強兵に突き進む明治新政に徹底的に反対していく姿は、俳優引退後の活発な現政権への異議申し立てへとつながっていきます。

今、店頭には、彼の本としては鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、大田昌秀(元沖縄県知事)、相場英雄(作家)、中村哲(医師)等々、第一線で活躍する人達と、これからのあるべき日本と日本人について語った「ほとんど人力」(小学館1000円)があります。この本でも、やはり「国に騙されるな!」という叫びは健在です。

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この誘惑にのったらやばい。この一線を超えたら、破滅すると頭では理解していても、人間って突き進むんですね。その事を実証する、とてつもなく面白い本に出会いました。

毎度、お馴染みの東映映画の本ですが、これ、映画公開後、主人公のモデルとなった現役のやくざ組長が、なんと映画と同じシチュエーションで実際に殺害されてしまうという事件に発展した顛末を追いかけたノンフィクションです。伊藤彰彦著「映画の奈落」(国書刊行会1700円)で、映画の脚本を担当した高田宏治が、奈落への道を歩んだ主役です。

問題の映画は1977年公開の「北陸代理戦争」。福井を舞台にした実録ものです。高田は、県下で現在進行中の抗争に興味を持ち、これだと確信するものを感じました。親分殺しという架空の話に、ほんまに親分を殺してしまおうとする極道が目前に登場したのです。そりゃ、食いつきますよね。

ヤクザ映画なんて見た事ない人には、想像できないかもしれませんが、高田の前には超えなければならないスケールの大きな男がいました。同じ脚本家の笠原和夫です。(この人物については「昭和の劇」3000円がお薦めです)実際のやくざに取材をして、「仁義なき闘い」でひとつの時代を作った第一線の人物です。

同じ東映で釜の飯を食っている先輩、後輩の関係の中で、この男を超えない限り前には進めない、その思いが、高田を徐々に現実の社会的規範から逸脱させます。親分を殺すと豪語する極道に徹底的に寄り添い、取材を重ねていき、ヒートアップする脚本。しかし、それが頭に血が登った敵対勢力に火をつけてしまいます。そして、映画に出てくる喫茶店で、実際にお茶を飲んでいたその親分は弾丸を撃ち込まれて、死亡します。

これは、一本の映画製作のドキュメントですが、異様な創作力にからめとられて、踏み越えては行けない一線をこしてしまった男のドキュメントでもあります。

大体、この作品は制作開始から呪われていました。主役の菅原文太の降板、共演の渡瀬恒彦が、撮影中にジープで転倒、大けがで降板、さらに高橋洋子が高熱でダウンし、悲惨な状況で撮影に立ち会わされます。そして、福井県警のロケ許可がおりず、点々とロケ地変更を余儀なくされると、ご難続きでやっと公開。しかし福井県では映画が抗争に火をつけるとの理由で上映禁止。さらにはマスコミ、映画評論家からもバッシングの嵐と、黙殺されます。

表現者の暴走と言ってしまえば、それまでですが、けだし表現するという事の怖さを突きつけられます。映画に興味ない人でも十分に楽しめるスリリングな一冊です。

蛇足ながら、東映のエース監督の深作欣二は、この作品を最後にヤクザ映画を撮らなくなり、東映は「女衒」等の一本立て女性映画へと大きく路線変更していきます。

私は、映画館で観ましたが、寒々とした、荒野を彷徨う気分で一杯で、併映の梅宮辰夫と北欧女優とのポルノ作品に癒された?ことを思いだしました。

 

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