本年度アカデミー賞受賞作「スポットライト」を観てきました。

まだまだハリウッドにも、こんなにきちんとした映画作れる人いたんですね。秀作です。

カソリック教会の神父による児童虐待を暴いたボストンの新聞記者の活躍を描いています。新聞が巨悪を暴くという意味では、ワシントンポスト紙が、共和党政権による民主党本部盗聴事件を描いた「大統領の陰謀」があります。「スポットライト」も、最初はバラバラだった破片がピタリと合ってゆき、隠されていた真実が浮かび上がるという「大統領の陰謀」のやり方を踏襲しています。一人の神父の事件だと思っていた記者たちは、調査をしていく内に数多くの神父が関与しており、教会がもみ消している事実に驚愕します。日本で、優れた新聞記者映画「クライマーズ・ハイ」を監督した原田眞人は、「スポットライト」をこう評価しています

「ヘミングウェイの文体のように、気高くハードボイルドな調査報道のこころ。簡潔で力強い名作の誕生。マイケル・キートン、絶品。」

抑制のきいた演出と、マイケル・キートン以下、ちょっとしか登場しない弁護士に至るまで、リアルな人物像を創り出しています。大げさな演技など全くなく、きっちりした台詞回しで、緊張感が伝わります。原田監督は「ヘミングウェイ」の名前を出しましたが、ストイックという意味合いでは、まさにその通りで、本格的に組み立てられた骨太の小説を読み終わった気分です。

後半、証拠も揃い、さぁ載せるぞ!となったその時、あの9.11事件が勃発して、アメリカ市民は、無惨に崩れ落ちる貿易センタ−ビルの映像を前になすすべをなくします。民衆が、深い祈りへと向かう時に、教会の裏側を暴き出す記事を発表するという困難な状況下、描かれる記者達の葛藤が映画の最大の見せ場です。

そして、もう一つ。実は正義という御旗を掲げる記者の心の中にも、隠していた、厳しく批判されなければならない事実があり、それが最後に明かされていきます。その巧みな演出は、映画好きにはたまりません。多分、DVD化されたら、しつこく観ることになりそうです。

まともなアメリカ映画を観た、という充実感に包まれて映画館を後にしました。

 

 

 

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3.11当日、田中トシノリはロンドンにいました。それまで、人生について、生き方について全く考えたことのなかった青年は目覚めます。

広島県福山市出身で、映像作家を目指す彼は、大きく変化する時代のど真ん中で、映画製作を思い立ちます。

尾道の駅裏に、信恵勝彦というオジサンが経営する、古民家を利用した風変わりなCDショップ「れいこう堂」があります。その店長の日常を追いかけたドキュメンタリーを製作したのです。

はぁ〜??CD屋のドキュメンタリーと3.11がどう関係するんだ?その疑問に答えるような製作過程と彼の考えたことをまとめたものが、本になりました。

題して「スーパーローカルヒーロー」(歌島舎1620円)です。

この本によると、信恵さんのCDショップ実に奇妙な店です。商品のCDの間に、無農薬野菜が顔を出し、昼寝する猫に店番を任せ、店長は、イベント準備に、ある時は人助けに、または店の存続のためのアルバイトに出掛けてしまって、めったに会えないという不思議な空間です。ところが、地元では「ローカルヒーロー」として多くのミュージシャン、地元の人々、子ども達にリスペクトされ、愛されています。その姿を追っかけることで、著者曰く「今この瞬間をライブで燃やし尽くしている店長のひたむきさに、人が幸せに生きるとはどういうことか」への答えを見出せるかもしれない思いで、カメラを廻し始めます。

3.11以降、巨大な消費エネルギーで支えるこの国の経済は終りを迎えました。そんな事もわかろうとしない”お気楽”アベちゃんはさておき、この若者は、映画を撮ることで、私たちはどうあるべきかを模索しようと走り出しますが、そんなことに意味が在るのか悩み迷走します。そんな時に出会った詩人のアーサー・ビナードは、彼にこう伝えます

「文学や音楽や芸術だけでは世の中を変えることはできない。だけど、文学や音楽や芸術なしに世の中を変えることはできないと思う」

この本を読み進めてゆくと、多いに笑わせ、泣かせてくれた鹿子裕文「へろへろ」に似ているなぁと思いました。やる事は違っても、自分たちの居るべき場所を自分たちで確保していくという姿勢は同じです。その悪戦苦闘がなぜか軽やかです。

 

自分の生き方を信じ、間違っていたら批判は受け入れる、なんて若者の姿を応援したくなります。本の中に、「映画無料視聴券」(!)が付いていますので、本を読みながら映像も観ていただきたいものです。なお、10月24日(土)、25日(日)の二日間ですが、京都シネマでの上映が決定しています。公式ホームページにて、予告編をご覧下さい

映画「人生は小説よりも奇なり」(ダサい邦題!)を観て来ましたが、優れたアメリカ短篇小説を読んだ芳醇な香りのある映画でした。お薦めです。

同性愛結婚が認められたNYで、30年以上一緒に暮らしてきたベンとジョージが、念願かなって友人に祝福されて結婚します。ところがその直後、ジョージはゲイであることを理由に、音楽教師の職を解雇されてしまい、長年住み慣れた居心地のいいアパートメントを手放す羽目に陥ります。

二人は、離れて暮らすことになり、そこから映画は、初老の男の人生の哀愁を切りとっていきます。これ、ゲイのカップルのお話ですが、長年連れ添そい、人生の最期のカーブを曲がった夫婦の物語として観ても、切ない思いに涙してしまいますね。二人の会話と、彼らを取り巻く人達のささいな出来事を、誇張もせずにじっくりと描いてゆくのですが、O・ヘンリー、B・ショー、あるいはP・オースターあたりの名手たちの短篇を読んでゆく感覚に似ています。

監督は、自身ゲイであることを公言しているアイラ・サックス。会話の間に挿入される、ちょっとしたNYの風景がステキです。ネタバレになってしまいますので、すべて話せませんが、ベンとジョージが久々に飲み、別れる時、画面の背景に広がるレストラン、その手前にある地下鉄の入口。それが何を意味するかは、映画が終わって心の中にジワリと広がります。

そして、もう一つ。ゲイのおじさんを、うっとおしいなぁ〜と思いつつも、惹かれてゆく少年が涙にくれるラスト近くのショット。大げさでもなし、何気ない場面ですが、監督の優しい視線に包まれています。

主役のベンを演じるのはジョン・リスゴー。我々の世代にはお馴染みで、嫌味な役やら、憎たらしい悪役なども数多く演じて来た名優が、包容力を湛え、素敵な白髪頭になり、老いてゆく男の哀切を十分に演じています。ジョージ役のアルフレッド・モリーナの、奥行きのある演技も素敵でした。

オリジナルタイトルは”Love is Strange”・・・これがどうしてこんなダサいタイトルになるんですかね?ポスターに書かれている

「されど我らが愛しき日々」の方が、映画の内容を掴んでいるように思えます。

蛇足ながら、劇中、主人公が描く絵画は、監督自身のパートナーの画家ボリス・トレノの作品が使われているのだそうです。

京都シネマにて上映中の「ドリームホーム」を観ていると、ここに登場するアメリカ人たちが、あのトランプ氏を応援するんだろうな、と気がしてきました。

映画は、住宅ローンを払えなくなり、銀行の差押え物件にされてしまうブルーワーカーの人々と、差し押さえる不動産屋を軸に展開していきます。離婚して、子どもと母親と三人で生活をしていた主人公は、建築業界の不況で職をなくし、家を差し押えられます。しかし、ひょんなきっかけで、彼は差し押さえた側の独裁者的不動産屋社長の元で働くことになります。搾取されていた人間が、搾取する側に回った時、どうなるかは想像がつきます。

罵声を浴びながら、自分の友人でさえも、その家から追い出す日々。手元には大金が集まり、豪邸を手に入れるのですが………..。

映画の中で、社長がこんな台詞を口にします。

「アメリカは勝利者の、勝利者による、勝利者のための国だ」

1%の勝利者と99%の敗者。政府も、銀行も、裁判所もすべて勝利者の御用機関になっていることに敗者

たちは怒りを限り無い怒りを持っています。多分、それは映画だけでなく、現在のアメリカの状況がそうなのでしょう。そこに、巧みにトランプ氏は食いついたのでしょう。日本では考えられない彼の人気ですが、ヒステリックに怒りとばす口調に敗者たちは心酔している、というのが現状なのではないでしょうか。彼なら、金持ちの味方ばかりする政府をぶちのめしてくれる、その希望が高い支持率になっているのかもしれません。

映画は、果てしなき欲望の泥沼と、個人のモラリティーが交錯するサスペンス。脚本はイラン出身のアミール・ナデリ、監督はやはり両親がイランからの移民のラミン・バラーニ、という外様だからこそ描ける世界かもしれません。蛇足ながら、主人公を演じた(上の写真)アンドリュー・ガーフィールドは、現在製作されている遠藤周作の「沈黙」のアメリカ版の主演に抜擢されたそうです。

 

 

 

「円山町瀬戸際日記」(鳥羽書店1700円)。著者は内藤篤。職業は弁護士。この人、弁護士業の傍らで、自分で映画館を立ち上げ、館主として東西奔走し始めたのです。本の帯が面白い。

「とるものもとりあえず駆けつけねばならぬー2006年1月の開館ほどなくして、観客総数6名という不入りに驚愕した蓮實重彦氏より、緊急アッピールの檄文がとんだ。あの日からー山あり谷あり、祝10周年」

弁護士業界に馴染めない著者は、エンタメ業界に近いポジションで業務を続けていましたが、映画や音楽が大好きな性分が高じて、なんと映画館をオープンさせてしまったのです。その名は「シネマヴェーラ渋谷」。2006年から15年まで、その孤軍奮闘の日々を綴った日記です。上映特集を決めて、配給元との交渉、宣伝チラシの制作、上映中のイベント、トークショーの依頼等々、もう毎日戦闘モード100%です。そして開場するも、不入りの日々。しかし、この人はめげない。前向きで楽しんでいる。それが、日記から立上がってきます。「山口百恵特集」、「岸田森特集」と趣向を凝らした上映をドンドン実行していきます。いや、この映画館ぜひ行ってみたくなります。

もう一冊。野村誠「音楽の未来を作曲する」(晶文社1300円)、こちらも帯がすべてを物語っています

「音楽をめぐる冒険談だけど、照らされるのは僕らの生きざまですー西村佳哲推薦」

推薦の「西村佳哲」という名前だけで、興味持たれる方も多いと思います。著者の野村さんは京大理学部卒業の現代音楽の作曲家、演奏家です。生きた音楽を創り出すというテーマで、お年寄りとの共同作曲を老人ホームで、また、動物の鳴き声との共演を動物園で、あるいは火の音楽会というイベントをキャンプ場でと、従来の枠組みをぶっ壊すような音楽会のつるべ撃ちです。表紙の写真は銭湯の音楽会というところですね。

そして3.11。

震災の後も積極的関わって行く途上で、原発反対の立場の彼は気づきます。反対ばかりの人の向こうには、賛成ばかりの世界もある。そして、こう考えます。

「賛成、反対と二極化した対立をしている場合じゃない。放射能と共存を強いられている現状。この国で生きていくために、対立してる場合ではない。」様々な対立や衝突が醸し出す醜い不協和音。それを美しく響かせるための作曲ーそれが著者の究極の目的です。

映画好き、音楽好きには面白く読めるのは当たり前ですが、この二冊は、「私」というちっぽけな存在が、「世界」とどう交わり、進むべき道を探求するのかという、いわば人生指南(古い言葉ですな)書です。

一応、贔屓の監督、クエンティン・ジェローム・タランティーノ(一応と付いているのは、あまりにも下らない作品もあるので….)の新作「ヘイトフルエイト」を観ました。

おっ〜、タランティーノが舞台劇をやるのか!!という滑り出しです。

舞台は西部開拓の時代。猛烈な嵐が吹き荒れる冬、疾走する一台の馬車に、乗り込むは女悪党と捕まえた首つり執行人(まぁ、賞金稼ぎ)です。間近に迫った嵐を避けるため、ひたすら避難場所のロッジに向います。その馬車の前に立ち塞がる黒人の賞金稼ぎ。(ジョン・フォードの「駅馬車」でジョン・ウェイン登場シーンのパクリ)。さらに、そこへ乗り込む新人保安官。カメラは、駅馬車の中で繰り広げられる悪党共の会話を執拗に追いかけます。観客も一緒に乗って、どこか危険な香りのする世界へ入っていく気分です。

さて、ロッジに着いた一行の前に、カウボーイ、英国紳士気取りの処刑執行人、南軍の老将軍、等々、何やら如何わしい連中が登場します。この辺りでタランティーノお得意の血だらけぐちゃぐちゃの撃ち合いが始まるかと思いきや、なんと一幕ものの舞台を見ているように、猜疑心だらけの会話を延々続けます。これ、退屈する人もいるでしょうが、私は面白かった。微妙なスピードで移動するカメラ、巧みな台詞回し、そしてブラックユーモア。タランティーノが演出の上手い人であることを証明しています。

そして、雪に閉ざされたロッジで事件は起こります。シチュエーションとしては「オリエント急行殺人事件」の焼き直しです。ヒッチコック風演出で、コーヒーに毒を入れる人物。盛り上がるモリコーネの音楽。

ここからが、いよいよお約束のシーンの連続です。毒入りコーヒーを飲んだ奴が吐き出す、大量の血が幕開けのファンファーレです。男性自身を撃抜かれて、血だらけでのたうち回る賞金稼ぎに、鉈で腕を切り落とされる首つり執行人、丸腰で、後から銃弾の雨を浴びる悪党達。血しぶき讃歌とでも言いたくなる、もう、アハハと笑うしかない修羅場の連続。

徹底的にアナログに拘り、CGを使わないタランティーノらしい映画でした。この映作品で彼は、映画という表現手段でしか出来ないことをしています。「音」の効果的使用です。馬車の中で聞こえる、馬や、軋む馬車の音。ロッジでラストまで響き渡る嵐の音。案外、主役はこの「音」なのかもしれません。是非、劇場で体感して下さい。

映画「マネーショート」を劇場で観ました。世界経済に襲いかかった、リーマンショックに揺れるアメリカで、これぞ千載一遇のチャンスとみて、ウォール街を出し抜こうとした男たちの危ない賭けを実話に基づいて描いています。

「空売り」という株式の売買がストーリーの主軸になって進行します。そこに特殊な住宅ローン「サブプライムローン」が絡んできて、経済、株式用語が速射砲のごとく降り注いできます。なんせ株も、経済も無知な私には、チンプンカンプン。ないものを売って、儲けるなんて想像が出来ないお話です。

飛び交う専門用語が理解できれば、もっとスリリングに観られたことでしょうが、登場人物の一人が、ひょいとこちらを向いて観客に語り出したり、ここ一番解説が必要となれば、ストーリーと無関係な人々が登場して、その難しい言葉をかみ砕くという斬新な演出もやって、観客を飽きさせずに2時間引っぱります。いつのまにか、この欲望一杯の男たちを、もっとやれ!と応援してしまっています。

お金に狂っていくってこういう事なのですね。崩壊してしまったリーマンショック本社内部が登場しますが、荒んだ風景はまるで戦場跡。携帯電話とPCをにらみ、刻々と変化してゆく数字に一喜一憂する姿は滑稽ですらあります。一人だけ、ええかっこしているブラッド・ピッド以外は完璧な配役で、演技者には拍手!え?何言うたん?というこちらの???マークを、無視して強引にエンディングへと向います。

いやぁ〜、お見事、お見事!面白い!しかし、これ人にどう薦めていいのかわかりません。DVDになったら、再度、再々度見直してみますね。

 

 

 

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本来なら、女子の古本市の本のご紹介ですが、急きょ変更して、映画「オデッセイ」の感想です。

これは、面白い!是非とも、大劇場で観ていただきたい!! 時間もお金も惜しくありませんぞ!!

火星探検チームの一人が、激しい嵐で傷を負い、死んでしまったものとされて、なんと火星に一人残されるというSF映画です。さて、どうやってサバイバルしていくか、を丹念に描いていく、とても人間臭いドラマです。何と言っても、主人公がめげません。前向き極まりない設定です。

「火星よ、植物学者をなめるなよ」

これ、置いてけぼりにされた後の彼の台詞です。主人公が宇宙飛行士でもなければ、天文学者でもなく、植物学者という設定がミソですね。基地内に畑を作り、ジャガイモを植え、クルーの残していった廃棄物を肥やしにして、火星初の完全有機栽培のジャガイモを育てるのです。さらに、畑には欠かせない水も科学的に作っていきます。通信が出来ないなら、と、かつて火星に打ち込まれた衛生を掘り起こし、原始的手段で地球と交信を始めます。一つ問題を解決したら、次の問題に黙々と取り組んでいく姿が感動的です。それに、この男は一度も「愛する人のために生き抜くぞ」なんて陳腐な台詞を発しません。獲れたジャガイモを口にしながら、次になすべきことを考えていくのみ。クールなところが、この映画の魅力です。

あり得ない状況設定ですが、監督のリドリー・スコットは、100%人生、ハッピーエンドで何が悪い!と思ったのでしょうか、迷う事なくハッピーエンディングに突っ走る姿勢には、もう拍手ですね。彼のかつてのSF作品「ブレードランナー」、「エイリアン」は、暗く、世紀末的雰囲気満載の作品ですが、こんな明るいSFを作るようになったんですな。

この映画で使われている音楽の、底抜けの明るさも見事です。火星探査チームの女性船長が70年代ディスコサウンドのマニアで、基地に残っていた音楽もすべてディスコサウンド。ところが、残された男がディスコ嫌い。その耳元で鳴り響くドナ・サマーの「ホットスタッフ」。その意味と、火星で悪戦苦闘する彼のギャップに大笑いします。そして、最後に鳴り響くのは、これまたディスコで大ヒット、グロリア・ゲイナー「恋のサバイバル」。彼の生き残りを、恋の生き残りに引っ掛けてあるところなど、座布団一枚あげます。ステップ軽く、映画館を出ました。

もう一つ言うと、この映画はSFXを多用していますが、SFXを「見せる」のでが目的ではなく、映画のために「使っている」ところが巧みです。宇宙船のセットデザインも見逃せません。

もう一度観に行こうかなぁ〜

小説にしても、映画にしても、歌舞伎、落語、漫才、能、文楽等の日本の芸能を上手く取り込んだ作品って少ないように思います。

いわゆる芸道ものノンフィクションには、読み応えのあるものが多いのですが、少し柔らかめというのを探すと、中々見つかりません。小林信彦の「天才伝説横山やすし」は、そのラインのドンピシャの作品ですが、ノンフィクション。松井今朝子が、江戸歌舞伎の世界を描いた「仲蔵狂乱」が印象に残る程度です。

映画になると、さらに思いだせませんが、一本だけ強烈な印象を残した作品がありました。川島雄三監督、若尾文子主演の「しとやかな獣」です。

私は、何故かこの作品を3回見ています。大学生の時に映画館で、アメリカの大学の映画学科のアーカイブの上映会で(単細胞なアメリカの兄ちゃんに分かるのかと??でしたが、大喝采でした)、そしてTVです。

この映画はというと、もう滅茶苦茶とんでもない作品です。一家四人のお話ですが、息子は会社の金を横領し、娘は流行作家の妾になって、大金をゲットしている。こんなシチュエーションはよくあるのですが、なんと両親は、子供たちのお金で裕福な生活をしていて、なんの罪悪感もないのが凄いです。父親に至っては、親友が自衛隊員に避妊具を売る会社を立ち上げて投資するのでと無心する始末です。

この手のドラマって、最後はヒステリックな悲劇に終わるのが常なのですが、誰も逮捕されず「平穏無事」で「裕福」な生活は続きます。もう笑ってしまいますよ。

映画は、この家族に住むアパート以外は映しません。まるで、舞台劇みたいに部屋の中だけで進行します。そして、ドラマをもり立てるのが、能の音楽です。アパートの一室を捉えたオープニングから、音楽は能の調べで始まります。そして、何度も能の調べが場面を盛り上げます。さらに、出演者が能の役者の様に、すり足で舞台を歩く所作で、室内を歩き回ります(カメラはアップでその所作を捉えます)。

通常、能舞台では、物語を舞い終わったシテ方は、正面を向いて、まるで何もなかったような無表情な能面姿にもどります。映画も、この一家の母親を演じていた山岡久乃の、そんな表情のアップでエンド。まるで、このアパートを能仕立てにして、金をめぐるドラマを作ったみたいです。

3回目に観た時に、何度か能舞台を鑑賞したことがあったので、この構成に気づきました。もちろん、能のことなんか知らなくても、十分楽しめる作品です。騙されたと思ってレンタル屋で借りて下さい。1962年にこんなハイブロウな映画を作っていたことに驚かされます。

こんな映像作品には、もうお目にかかることもないと思っていた矢先、先日から始まったNHKドラマ「ちかえもん」(木曜8時)を見ました。人形浄瑠璃作家、近松門左衛門がスランプに陥り、悪戦苦闘する姿をコメディ調で描いています。彼が傑作「曾根崎心中」を書くまでをウソのような、ホンマのようなお話。

川島雄三が能を巧みにアレンジした如く、浄瑠璃の世界を上手に取り込み、遠い存在だった近松門左衛門を、ぐっと手前に引き寄せてくれそうです。さすが、朝ドラ「ちりとてちん」で、落語を描いてみせた藤本有紀の脚本です。近松を演じるは松尾スズキというのも見逃せません。

 

本作は、ウィーンの画家クリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」をめぐる実話を映画化したものです。1907年に描かれた名画で、日本でもファンが多いと思います。

この絵は、ナチスがオーストリアに侵攻した直後に掠奪されて、戦後はオーストリアで保管、展示されていました。しかし、作品の正統的な持ち主の女性が表れて返還を求めて裁判を起こし、国家を巻き込む裁判闘争が開始されます。その一部始終を映画化したのが「黄金のアデーレ」です。

原作を元に、練り上げられた脚本、的確にそのシーンの意味合いを把握して動くカメラワーク、映像の邪魔にならない音楽、しっかりとした演技の出来る俳優達が集まってできた、ケレンのない佳作です。きっちり構成された小説を読んだ後の爽快感がありました。

現代を生きる年老いたヒロインと、彼女の幼少の頃、愛する家族と暮らしたオーストリア時代を、交互に描くことで、ナチス侵略以後体験した悲惨な出来事が胸に迫ります。しかし演出はどこまでも抑制がきいていて、ヒステリックにならないので、安心して観ていられます。

裁判に挑んでゆくヒロインを演じたのは、ヘレン・ミレン。イギリスを代表する女優です。相手が誰であっても、言うべきことをはっきり述べる強さを持ち、ユーモアと皮肉、そしてセンスの良さも兼ね備えた女性を見事に演じています。今年70歳、エレガントで颯爽としていて、しかも威厳のある立ち振る舞いに魅了されました。

映画の中で、ウィーンにあるホロコースト記念碑が登場しますが、これが町のど真ん中にあるのです。この悲劇を絶対に忘れないという国のスタンスが見えてきます。ナチス侵攻で、彼らに同調して、ユダヤ人迫害に回ったオーストリアの人達も登場します。それもこれも含めて、戦争が人々の心深くにどれほどの傷を負わせたか、感情的な表現や、台詞回しを避けながら静かに描いていきます。だからこそ、ラストのヒロインの現在と過去の遭遇が感動的なのです。

ウィーンのモナ・リザと呼ばれ愛された、クリムトのこの作品は、アメリカに渡った後、化粧品メーカーのエスティ・ローダー・カンパニーズの社長ロナルド・ローターに売却され、現在ニューヨークの「ノイエ・ガレリエ」に展示されているということです。

 

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