センスのいい小説、映画、音楽ってありますね。

「センス」という言葉は、色んな意味を持っていますが、ここでは「粋な」というくらいにしておきます。例えば、フランス映画「ロシュフォールの恋人たち」、アメリカ映画「華麗なる賭け」、あるいは日本映画なら「黒い十人の女」とか、どこかのCMディレクターがパクリそうな粋な映画(実際、化粧品メーカーがパクってましたが)のことです。

先日、レンタルして観た「タイピスト」も、またそんな映画の一本でした。お話はいたって単純。舞台は50年代のパリで、田舎からタイピスト目指して出て来た若い女性が、上司の男性の特訓で、タイプ早打ち世界一になり、彼と恋に落ちるという、なんともハッピーな映画です。今どきこんな映画作って、と思われる方もあるかもしれませんが、何故かとても心地よいのです。鼻歌まじりでフ、フン、フンと観ていられて、食事をしながらちょっと楽しめる映画でした。音楽もまた、これしかないと言わんばかりのゴージャスでセンチメンタルなサウンド。

センスのいい映画は、タイトルバックから判ります。あの当時のファッション雑誌の色彩、デザインをそのまま映像にしたようなオープニングが、なかなかいい感じです。中身は特に凝った映像表現があるわけでもなく、はたまた社会の闇を見つめる深い視線があるわけでもないのですが、ただもうひたすら50年代のパリの街角、ファッション、雑貨、家具を、徹底的に再生しています。理屈抜きで映画に気持ちよくどっぷり浸かれるのは、細かいディテールにこだわっているから。

監督はレジス・ロワンサル。ジェーン・バーキンのドキュメンタリーを撮った人物とか。そりゃ、センスいいわな。

この感覚、このセンスにちょっと皮肉さを混ぜ合わせると、ジャック・タチ原案、ジャン=クロード・カリエール作、ピエール・エデックス絵の「ぼくの伯父さんの休暇」(リブロポート900円)の世界です。

「バカンス。大洋と雨、熱さと風、寄せては返す白い並、日々ののんびりした歩み、浜辺に打ち寄せる潮騒よりも単調な、不思議な生活。魅力に、風変わりな魅力に富んだ生活。忍耐の日々、忍び込む眠気」

などという台詞を、主人公はバカンス初日にブツブツ言ったりします。

 

映画館で見逃した「フォックス・キャッチヤー」のDVDを借りてきました。とんでもないストーリーです(実話!)

世界的な化学メーカー、アメリカの大富豪デュポン家の御曹司は、レスリング好きが高じて、才能ある選手を集めてオリンピックに出場、メダルを狙うというストーリー。まっ、ここまでならレスリングへの愛情溢れる経営者と、若きレスラーの心温まるイメージの画面が脳裏に浮かぶと思うのですが、なんとこの経営者、その集めたレスラーの一人を拳銃で殺してしまうのです。えっ?えっ!なんで?!という展開なのですが、その原因を探るサスペンス映画でもありません。

レスリングなんて下品極まりないと蔑む厳格な母親に育てられた御曹司は、友だちも家族もありません。背中に大きな孤独を背負ったまま大人になったような人物です。大きな屋敷の中で、ぽつんと座っている彼を見ていると、不幸という言葉しか出て来ません。彼は殆ど、いや全くといって良い程笑いません。笑顔のない人生。この男を演ずるのがコメディアン出身のスティーブ・カレル。恐るべき演技で圧倒されます。

金と権力だけで集めて来た若きレスラー達。自分の方に向いてくれているうちは、目をかけるのですが、一旦そっぽを向けた途端に豹変します。日曜日に訪ねたら、日曜は家族と過ごすからと彼を拒否したレスラーに対して、自分の言い分が通らないと、まるで駄々をこねている子どもみたいに殺人へと走ってしまうのです。

映画は、アメリカ社会の成功者の、その過去がどれ程悲しくて、辛いものだったかなどの説明は一切しません。冷え冷えとしたタッチで惨劇への道程を描きながら、観客にすべてを任せていきます。説明過多の映画が溢れ還るハリウッドにおいて、このスタイルで作りきったのはベネット・ミラー(写真左下)。処女作はトルーマン・カポーティが革新的小説「冷血」を書き上げるまでを追いかけた「カポーティ」。その次が、野球映画ながら、選手ではなく、球団のマネージャーを描く「マネーボール」。どの映画も実話をもとに作り上げられています。「カポーティ」もそうでしたが、この作品でも風景の切り取り方が巧みです。

観客に媚を売らず、観客の感性を信じて、映画を製作、資金を集め、大きな劇場でロードーショーしてしまう才覚は恐るべしです。注目すべき監督でしょう。

 

 

「こんなクソみたいな国のオリンピックなんか、どうでもいいよ。それより、人を殺しても良い法律作ってくれよ、頼むよ」

なんて、殺伐とした台詞の飛び出すのは、橋口亮輔監督の「恋人たち」のワンシーンです。個人的には、この映画、今年の日本映画最高の収穫だと言い切ります。

数年前に通り魔に妻を殺された労働者の男、無口な夫と姑の世話に明け暮れる女、そしてゲイの弁護士。この三人の、明るい明日の全く見えて来ない人生模様を丹念に描いてゆく映画です。前作「ぐるりのこと」でも徹底的にリアリズムに拘った作風は、今回も健在です。もう色気もなにもない、やるせない妻の夫とのセックスシーンもあります。(まぁ、見たくないけど……)

三人の、無機質に過ぎてゆく日常の冷え冷えとした暮らしを、巧みに組み合わせながら物語が進行します。全然何も起こらないのに、息を殺して画面を凝視してしまいました。私は、この主役の三人を演じている篠原篤、成嶋瞳子、池田良、という役者を知らないので、それがまたとてもリアルに感じました。劇的な何かを内包しないとはいえ、それでも三人に事件が起こります。その過程を描きながら、見事に人生を肯定していきます。

 

その人の悩みや苦労は、他人と相対化できないものです。なんだ、そんな悩みか、と他人に笑われても本人にとっては死ぬか生きるかという場合もあります。そういう悩みや苦しみは、ある程度生きていれば、誰にでもあるもの。でも、それを、ある日、ひょいと越えた瞬間、今までどうも思わなかった風景が輝くことがあります。

映画の三人にもそんな一瞬が訪れます。汚く濁った川が、高速道路の隙間から見える青空が、通勤途中の田舎の道が、薄汚い飲み屋街が、とても素敵に見えてきます。生きていたら、こんな一時もある、とでも言いたげなラスト。画面に広がる青空を見ると、それなりに真面目に生きて来た人なら、泣けてきます。

そして、この三人が、その状況を越えることができたのは、彼らが自分の言葉で、自分を語ったからこそなのです。ぐちゃぐちゃの日常を整理整頓して、一歩足を踏み出すために、きちんと言葉で自分と向き合うことを教えてくれる、至極全うな映画だと思いました。

でも、もう一回、見るかと誘われれば、まっぴらごめんですね。あの生き地獄のような日々の暗闇に、再び向き合うのは勘弁して欲しいです。是非、人はこうして救われるのだということを劇場で体験してみて下さい。

 

 

昭和30年代後半から40年代ぐらいに発売された、海外翻訳物文庫が何点か入荷しました。その殆どが、映画化された際の写真等を使用しているところがレアものです。

先ずは、ケッセルの「昼顔」(新潮文庫400円 翻訳は、堀口大学)。美しいカトリーヌ・ドヌーブの下着姿が表紙です。公開時のポスターもこれでした。同じく、ドヌーブ主演の、クロード・アネ原作の「うたかたの恋」(角川文庫800円レア!)。王女様姿のドヌーブと手を取り合っているのは、若き日のこれまた美しいオマー・シャリフ。

スキャンダラスな内容で、「O嬢の物語」と双璧をなすジャン・ド・ベルグの「イマージュ」(角川文庫500円)。こんなの映画化されていたんですね。当時、角川文庫は、マルキ・ド・サドや、アポリネールの背徳文学を片っ端から文庫化していたみたいです。

これって原作があったんだ!と驚いたのも数冊ありました。映画館で皆がすすり泣いた映画、ミシェル・バタイユ原作の「クリスマスツリー」(角川文庫300円)。お父さん役には、名優ウイリアム・ホールデン。ハリウッドお得意のメロドラマですが、原爆搭載中の飛行機が爆発して、死の灰を浴びた少年が死ぬという設定は特異です。

西部劇も2冊。一つは、ダスティン・ホフマン主演で、トーマス・パージャー原作の「小さな巨人」(角川文庫200円)。確か、フェイ・ダナウエイも登場するニューウエイブ系のウエスタンでしたが、盛り上がりに欠ける映画だったと記憶しています。表紙は、映画同様、ダスティン・ホフマンをコラージュしたものです。

もう一冊はジョン・ウェイン主演、ウイリアム・D・ジェニングス原作の「11人のカウボーイ」(角川文庫200円)。孫みたいな若者に西部流の生き方を教えるウェイン翁のホームドラマ。これ、表紙は映画のオリジナルポスターの流用みたいです。

注目は、ご存知C・ヘストン主演の、ルー・ウォーレス原作「ベン・ハー」(新潮文庫500円)です。表紙は、軍艦が燃えている絵柄ですが、カバーの見返りには、ちゃんと映画のシーンが並んでいます。

映画版とは無関係の表紙ですが、「チップス先生さようなら」のジェイムス・ヒルトン原作の「心の旅路」(700円)。映画は典型的なメロドラマでしたが、淀川長治さんの「日曜洋画劇場」で見たような気がします。「ハリウッド調メロドラマ」とはいえ、今どきの恋愛映画とは比較にならないような格調を持っていました。

どれも、かなり古い本なんで、ヤケや汚れのひどいものもありますが、並べておくだけで素敵な文庫です。

忘れるところでした。こんな古い文庫の中に、サンリオ文庫版、ウィリアム・バロウズ「ノヴァ急報」が混じっていました。初版、帯付きとなると3000円前後の価格がつきますが、それは見てのお楽しみ……….。

 

映画館で見逃した「博士と彼女のセオリー」をDVDで見ました。後味の良い、本当によく出来た映画です。

映画は、理論物理学者スティーブ・ホーキンスと元妻のジェーンとの出逢いと別れを描いているのですが、大げさな演出やら、センチメンタルに盛り上げる音楽を極力排除しているスタンスが、最初から徹底していて安心して見ることができます。

ホーキンスは、63年に「ブラックホールの特異点定理」を発表、74年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった人物です。映画では、彼の理論についての描写は、極めて簡潔に処理されていて、イージーにデジタル処理された映像で、わかったような、わからんような描き方にしていないのも好感が持てます。

そして、ケンブリッジ大学在学中に、「筋萎縮性側索的硬化症」という難病に犯され、体中の筋肉が麻痺してゆくという身体になりながら、研究を続けた学者です。在学中から、少しずつ身体の自由が奪われてゆく彼を演じたエディ・レッドメインは、細かいニュアンスで見事に演じていきます。

映画後半、彼と彼を献身的に支えた妻が、別れる決意をします。お互いベストを尽くしたねと再確認しながら、次のステップに最も相応しい生き方を選んでゆくというシーンの演出は見応えがありました。もちろん、大泣きして抱き合うなんて陳腐なシーンはありませんので、ご安心ください。

監督のジェームス・マーシュは、ワールド・トレード・センターのツインタワー間での綱渡りを敢行したを達成した、大道芸人の挑戦を、本人や関係者の証言や再現映像を交えて紹介するドキュメント「マン・オン・ザ・ワイヤー」を作った人で、巧みな映像編集で、退屈させませんでした。その才覚は、今度の映画のエンディングでも発揮されています。

本年度アカデミー賞では、「イミテーションゲーム」のベネディクト・カンバーバッチと主演男優賞レースを争ったみたいです。カンバーバッチがあまりにも素晴らしかったので、他の誰が主演男優賞獲るねん!と思っていましたが、エディ・レッドメインに軍配が上がったことを、映画を観て納得しました。

 

ハリウッドのスタジオシステムが、強固だった60年代から映画を作り出して、いつの間にやら「扱いにくい」監督のレッテルを貼られ、そんならハリウッドなんか相手にするか馬鹿野郎!と、背を向けて、孤高の監督として一生を終わった二人の映画監督のドキュメントが相次いで公開されます。

ロバート・アルトマンとサム・ペキンパー。

現在、公開中の「ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男」を観て来ました。タフな人ですね、本当に。TVドラマ「コンバット」で戦争神経症に陥った兵士を描いて、物議を醸し出し出て以来、幾度もスタジオプロデューサーと対立。ほされても、ほされても、自分の映画を作ってきました。朝鮮戦争時の野戦病院の、ナンセンスな日常を描いた「M★A★S★H」(70)でブレイクした後も、方々でぶつかります。

2006年にこの世を去るまで、数十本の映画を監督していますが、中にはトホホなものも沢山あります。コメディアン出身のロビン・ウィリアムスを、主演に初起用した「ポパイ」なんてその代表作。大失敗で、映画界から無視されるも、演劇の演出等で食いつなぎ、復活。ハリウッドを大いに皮肉った「ザ・プレイヤー」(92)、カート・ヴォネガットの短篇を組み合わせてアメリカそのもを描いた「ショートカット」(93)と90年代快進撃を続けます。

映画は、「アルトマンらしさって?」と彼の映画に出演した人達に問いかけながら、この巨人の一生を追いかけます。学生時代、「ナッシュビル」という映画には驚きました。バラバラに登場する多くの人物の群像劇を巧みに操りながら、70年代後半のアメリカ社会を丸ごと描いていきます。こんな作家性の高い作品を撮る人がいたことに感動したものです。

ところで、昨今の映画で、一つのシーンで多くの人物が同時に喋るシーンなんて当たり前ですが、これアルトマンが初めた演出らしく、その方法もまたスタジオで揉めました。一人が話している時は、他の出演者は話さないのが、当時のハリウッドの鉄則でした。それを壊したんですからね。

アルトマンらしさって何?と問われて、「くたばれハリウッド」と答えたのは「ダイハード」等のマッチョ活劇役者、ブルース・ウィリスです。おいおい、ハリウッドど真ん中のお前が言うか?案外、彼もそう思っているのかも。

日本が戦時中に中国に作った傀儡国家「満州国」について、読んでいると、この地に作られた満州映画協会、略して満映に関しては、謎が多く、関連本が出れば購入していました。

かつて、銀座に多くの文人が集まった伝説のバー「おそめ」。その店を立ち上げた元祗園の芸妓の数奇な一生を描いた傑作ノンフィクション「おそめ」(新潮文庫300円)の著者、石井妙子の新作「満映とわたし」(文藝春秋1200円)もまた力作でした。

この本では、女性編集者、岸富美子の生涯を追いかけます。女優原節子、李香蘭、そして岸はともに大正9年生まれ。サイレントから、トーキーへと進化してゆく映画界に飛びこみ、銀幕のスターとして華やかなスポットライトを浴びた二人。

一方、岸富美子は、地味ながら映画の生命線でもある仕事、当時珍しかった(当然、差別も激しかった時代)編集者として、動き出します。

日中戦争開戦で進撃を続けた日本陸軍は、満州国を建国し、日本の配下に治めました。そして、満州人の教育のための国策映画会社、満映を設立します。内田吐夢等、多くの映画人が集まり、岸もまた満映に参加します。

理事長甘粕正彦が君臨する巨大な映画会社で、現地の人間を使っての映画製作の日々は、それなりに充実していたみたいです。甘粕正彦や、この地でトップスターになった李香蘭の物語は、目にすることが多いです。

しかし、この本は、敗戦で満映が崩壊し、その後この会社で働いていた映画人がどんな運命を辿ったかを、岸の人生を中心に描いています。敗戦直後、責任も取らず逃げ出した日本の軍隊。甘粕も勝手に自害し、その後、軍人でもない映画人達が地獄にも等しい人生を歩んでいきます。岸も例外ではありません。無理矢理奥地へ連行され、荒涼たる地で待ち受ける重労働。餓えに苦しむ日々。

著者は、岸へのインタビューや彼女の手記をもとにその過酷な日々を炙り出していきます。戦争が人を破滅に追いやるという記録でもありますが、岸は困難を乗り越え(なんて簡単な言葉では表現できませんが)生き残り、中国映画草創期に、多くの映画制作を目指す若者に、技術を教えます。その末裔達が今日の中国映画の秀作を世に送り出しました。

そして昭和28年、岸はやっと祖国に戻ります。これで日本で映画の仕事が出来ると思ったのも束の間、共産主義者のレッテルを貼られてしまい、再び困難な道が始まります。その後、独立プロで映画人として生きる道を見つけます。

岸富美子95歳。壮絶な人生の証言録です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしは子どもが嫌いだ!」という伊武雅人の歌がありましたが、正直なところ、どちらかというと私も子どもが苦手な方です。

しかしドキュメンタリー映画『みんなの学校』に登場する子供たちには魅了されました。子どもは実に可愛く、面白く、それを大人側が色眼鏡でみているのだということに気づくと、自分の度量の狭さにうなだれます。

大空小学校は、大阪の公立の学校です。ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害のある子も、感情をうまくコントロール出来ない子、ちょっと乱暴な子も、みんな一緒に同じ教室で学びます。社会に出たらみんな一緒に生きて行くのだから、色々な人とどうやって付き合って行けば良いかを、体験するのはとても大切なことです。分離教育の中で育って来たことを心から残念に思います。自分が「差別者」であることを、大人になってからどれほど思い知らされたことか・・・。同じ教室で、それぞれの能力に応じて精一杯やっていけばいいんだと、子どもの頃から学びたかった、とつくづく思いました。確かに授業を成立させたいだけなら、問題児がいると邪魔かもしれません。でも、そうやって同質のものだけが固まって成立する授業って何なんだろう、って、大空小学校の実践を見ていると考えてしまいます。

 

ものすごく大切なこと、例えば校長先生がいつもおっしゃっていた「自分がされて嫌なことは、人にしない、言わない。」この基本が、子供たちにちゃんと伝えることができているだろうか。(そう言えば、親にはこの言葉よく言われていたな〜って、今思い出しました。)そういうことを横に置いて、テストの結果で人の能力を測るだけって、なんか、大人の社会でも継続されていて、息苦しいことになっていそうな気がします。

 

この小学校では、何か問題が起きたら、他のクラスの先生や、管理作業員さんたち、さらに地域のボランティアの人達が、チームで動きます。学校のシズテムがよくわからないのですが、こういうやり方は、普通できていないのでしょうか。担任の先生もとても気が楽になると思うのですが。

 

問題がオープンになることで、先生もどこに軸足を置くべきかを常に問いかけ、解決して行ける事がこの学校を楽しくしているのですね。こんなに喜怒哀楽をあからさまに見せることを許したことが素晴らしい。希望を見出した気がします。

「みんなの学校」は京都シネマで昨日まで上映していました。見逃した方は、ぜひどこかで!(女房)

 

 

Tagged with:
 

台湾の候考賢(ホウ・シャオシェン)監督の「黒衣の刺客」を観て来ました。

中国唐時代の剣劇聞くと、血湧き肉踊る活劇を期待される向きもあるかもしれせん。予告編には、黒衣に身を包んだかっこいい女性剣士がスパッと相手の首を斬るシーンがありますが、アクション時代劇ではありません。(一応剣劇のシーンもありますが……)それを、期待すると奈落の底に突き落とされることになりますのでご注意ください。

ひたすら見つめる、ひたすら耳をそばだてる映画です。

何を? それは風の音です。2時間あまり、ひたすら凝視する作品ですね。ストーリーなんてわかりません。出演している妻夫木聡の役も、説明できません。それでも、面白い映画だったので、困ったものです。

候考賢(ホウ・シャオシェン)監督といえば、天皇の玉音放送で始まる「非情城市」が有名ですが、あの映画もひたすた見つめることを強いる作品でした。また浅野忠信を起用して、全編日本ロケで作り上げた「珈琲時光」は、電車の音と、主人公の古書店(素敵な店でした)の本を捲る音を聞くというものでした。

そしてこの映画では、最初から最後まで、画面を風が吹き抜けます。宮廷の室内に吹き込む風、夜の寝室に忍び込む風、揺れるロウソク。荒涼たる森に吹き荒れる風、その映像を音を楽しむ。

ワンカット、ワンカット細緻を極めた画面に耽溺していただければ、この映画は、貴方にとって素敵な作品になるでしょう。そうならなかった場合、残念ながら眠たい映画かもしれません。

エンディングで去ってゆくヒロインの向うに広がる朝霧にけむる山並みと、無国籍風の哀愁のある音楽に、涙しました。先日観た「合葬」のラストで聞こえてくる音楽と共に、今年聞いた映画音楽では忘れられない曲になりそうです。

 

 

 

 

Tagged with:
 

杉浦日向子原作の映画「合葬」(原作についてはブログで紹介済み)を観て来ました。なんと、館内は数名というガラガラの状態でしたが、佳作でした。

監督は京都生まれの小林達夫。1985年生まれですから、今年30歳。これが劇場公開第一作です。主要スタッフを観ると、とんでもない人選です。撮影の渡辺伸二(57歳)はTV、映画で引っ張りだこの松竹の第一線カメラマン。照明の高橋齋は、北野武の作品のうち、17作品で現場を仕切っていた人です。美術の馬場正男(88歳)にいたっては、なんと黒澤の「羅生門」から製作に参加していました。

つまりトップクラスの映画職人相手に、彼等からみたらキャリア的には若造の監督は、一歩も引かず、一コマ、一コマ、一流の技術を得て、見事な映像を作り上げました。それだけでも拍手ですが、こんなに端正で美しい時代劇を処女作で創り出すなんて、驚きです。

原作は、江戸幕末にテロリスト集団と断罪され滅ぼされた彰義隊に、それぞれの事情で入隊した三人の若者の青春と無惨な最後を描いています。映画も概ね、その通りに映像化していきますが、原作の持つ、繊細なタッチを画面に捉えるには、やはり実力派のスタッフは必要だったのです。ワンカット、ワンカットが、絵画のように美しく迫ってきます。圧巻はラスト近くの政府軍との合戦シーン。彰義隊が引き篭もる寺の池に群生する蓮を捉えたカメラが、遠くの方で聞こえる合戦の声に向かって移動していきます。そこへ、激しい雨が降ってきます。雨粒で揺れる蓮。これは、原作に書かれた雨脚の見事な映像化でした。

時代劇でありながら、派手な立ち回りは少なく、物量で見せる合戦シーンもありません。ひたすら時代に流されてゆく若者達の儚い生の一瞬を描くことに終始します。

ラストは、原作と全く違います。「ジョゼと虎と魚たち」で鮮烈デビューし、NHK連続ドラマ「カーネーション」で大いに楽しませてくれた脚本の渡辺あやは、原作ではそんなに比重の重くなかった人物を、ラストで生かせます。成る程、こんなエンディングもあるのかと、やはり感心しました。

音楽を担当しているのがASA-CHANGE&巡礼(右写真)という無国籍音楽を演奏するバンド。エンディングの曲に圧倒されました。ご詠歌、インド古典音楽、ガムラン、謡曲がブレンドされているのですが、見事なオリジナルな曲になっていて、映画の終わりに相応しい曲でした。今年の一曲と聞かれたら、これです。

あれだけ入りが悪いとすぐ終了するかもしれませんが、磨き上げられた美しさに満ちた映画として、お薦めします。

Tagged with: