本年度のアカデミー作品、監督、脚本、撮影と主立った賞を総なめした「バードマン」をやっと観ることができました。

かつて、荒唐無稽なヒーロー映画「バードマン」シリーズでスターの地位を築いた俳優のリーガンは、シリーズ終了後、人気は衰退、私生活もボロボロになっていました。しかし、再起をかけて自らシナリオを書いた、レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を舞台化し、再起をかけようとしていました・・・・という落ちぶれた役者の復活を描いたバックステージものなのですが、ファーストシーンはリーガンが楽屋で、明らかに地上から「浮いている」様を捉えたショットで始まります。なんだ、これ???オカルト映画か?

さらに、リーガンは念力があるみたいで、物を動かしたり、放り投げたりするのです。なんだ、なんだ、この映画?

ま、その辺りで、こんな映画ついていけないなぁ〜と思われる方もありかと思いますが、殆ど切れ目のないカメラーワークが、摩訶不思議な世界へと誘ってくれます。物語は、その殆どがリハーサル中の劇場内で進行しますが、カメラと一緒に、私たちも劇場内をさまよい歩きます。なんだか、リーガンの心の迷路に入った気分です。

さて、肝心の舞台の方は、これがまたトラブル続きです。代役として抜擢された俳優トムとの確執、父のアシスタントとして起用した娘とは溝が深まり、上手くいきません。さらには、かつてのバードマンまでが亡霊の如く表れ、リーガンを責めます。(この数分間だけが、ど派手なCGを駆使した画面になり、あっけにとられます)

おいおい、こんなんで舞台大丈夫?

もちろん大丈夫ではありませんでしたが、そんな事どうでもいいのです。

問題はラストシーンです。すれ違いだった娘の父へ向ける謎の微笑みで終わるのですが、えっ。どっちなの、えっえっ!?

こらぁ、エンドマーク出すんじゃない!!

??マーク一杯で劇場を後にすることになるのですが、不愉快では全くありません。面白い映画です。そして笑える映画です。監督はメキシコのアレハンドロ・G・イニャリトゥ。「 21グラム」、「バベル」とその奇才ぶりを発揮した作品を観てきましたが、さらその才能に磨きがかかりました。好みの映画作家です。

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イギリスで鉄の女と呼ばれたサッチャー政権下で、良きことと言えば、彼女の政策のために苦しんだ労働者を描いた映画が、ほぼすべて傑作だということかもしれません。

炭鉱労働者たちのブラスバンドと彼等を支える女たちを描いた「ブラス」、やはり炭鉱労働者の息子がバレリーナになる姿を描いた「リトル・ダンサー」、ついには職にありつけない男たちがストリッパーになって踊る「フル・モンティ」。

そして、先日観たばかりの「パレードへようこそ」もとても素敵な映画でした。

“ Thatcher Out”(くたばれ、サッチャー!みたいな意味でしょうか)という横断幕で始まるこの映画は、ストライキを支援する同性愛者の団体”LGSM”(炭坑夫支援レズビアン&ゲイ会)と、炭鉱の町で生きる人達との交流を描いています。

80年代初頭、まだ同性愛者は社会的には認められず、罵声を浴びせかけられる存在でした。そんな、彼等が支援をと申し出ても、マッチョばっかりの炭鉱労働者が受けるわけがありません。ところが、ちょっとした勘違いから、両者の交流が始まっていくのです。

鍵となったのは、この街の元気なおばちゃん達。偏見を脱ぎ捨てて友情を育んでいきます。多分、こういう、ひょいと一線を越えていく力は、男性よりも女性が持っているみたいです。どちらも男社会から差別をうけている存在だからだと思います。

映画は、両者の絆を描きながら、一方で同性愛者たちを蝕んでゆくAIDSにも触れています。若くして命を落とす者も出てきます。迷える若者に向かって「人生は短いよ」というゲイのリーダーの言葉が重たく響きます。辛い現実も描きながら、ラストは同性愛者たちの大パレードに参加する面々の眩しい笑顔で終わります。拍手したくなるエンディングで涙が止まりません。しかも、これ実話だったというから驚きです。

ところで、映画にはゲイ達が好んだ80年代ロックミュージックが、とても巧く使われています。このあたりの音楽は、私が輸入レコードとインディーズ音楽に溢れた店で働いていた頃のものです。ゲイっぽいお兄ちゃんに、ゴスロリ少女、メタル小僧に、パンク野郎の闊歩する店を約10年間やってました。その少し前、アメリカで1年間過ごした時、英語文化を教えてくれたのはレズビアンをカミングアウトした教師でした。この二つの体験が、私に色々な偏見をなくしてくれたのかもしれません。

男と男、女と女、男と女、誰が誰を愛そうが、どんな格好をしようが、国家がゴチャゴチャいう筋合いではないと思っています。

 

ところで、本日5月15日は京都三大祭りの一つ「葵祭」の日。午前10時半に京都御所を出発して下鴨神社、上賀茂神社へと雅びな行列が行きます。毎朝犬と散歩する御所へ、この暑い中、友人の娘が行列に出ていると言って、女房が久しぶりに見に行ってきたので、写真をアップしました。ホンマに暑い一日でした。

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若い時洋画を観に行くと、字幕「戸田奈津子」と必ずクレジットされていました。英語圏の映画=戸田奈津子と言っても過言ではありませんでした。彼女の「字幕の中に人生」(白水社700円)の中に、彼女が字幕を自分の仕事にするまでの事が描かれています。どうやって、仕事を掴むのか皆目分からなかった時代ですから、さて、どうすべきか・・・。

「唯一の手がかりは、映画の巻頭タイトルに出てくる翻訳者の名前だった。英米映画なら清水俊二、フランス映画なら秘田余四郎。映画を観るたびに見ていて。そのまま意識下に眠っていた名前が浮かび上がってきた」

そして、彼女は、全く面識のない清水の元に「字幕翻訳をしたい」という手紙を送ります。そして、ここから長い、長い字幕人生が始まります。

手紙を送られた清水俊二は、明治39年東京生まれ。その生涯で、携わった字幕作品は2000本という大御所です。

彼の「映画字幕五十年」(早川書房900円)は、単に映画界で活躍した人間の話に留まらず、戦前、戦後を通して英語文化と格闘した男の歴史を読んでゆくようなスリリングな自伝です。昭和3年、東京大学に初めて映画研究会を立ち上げてから、洋画配給会社の宣伝部へと進み、様々な世界で活躍する数多くの人達と親交をあたためていきます。

多彩な人々が登場する様は、まるで大河ドラマを観ている気分です。田中角栄が、自民党幹事長時代に、映画「慕情」の大ファンで、配給元が宣伝に使いたいと申し出たところ、よっしゃ、の一言で承諾し、帰り際に封筒を渡され、開けると1万札が入っていたという小ネタも満載で、読み応え十分です。

一方、ヨーロッパ映画の字幕を受け持っていた秘田余四郎をルポルタージュした「字幕の名工」(白水社1700円)も、作家高見順との親交をはじめ多くの人物が登場します。戦時中、陸軍に翻訳家として徴集され、波乱の人生がスタートします。そして昭和27年、フランス映画「天井桟敷の人々」に字幕を付けて、フランス映画の字幕家としての立場を確保します。

しかし、昭和30年代頃から、字幕ではなく日本語吹き替え版へと執着し始めます。劇場映画の衰退、そして字幕には不向きなTVが娯楽の第一線になるだろうとの読みがあったようです。

どの人物も日本史に名を残すような活躍をしたわけではありません。しかし、本当に自分が惚れ込んだものに、とことん付き合った幸せな生き方は羨ましく尊敬します。

 

 

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70年代初頭、植草甚一は「衝突と即興」というタイトルのジャズ評論集を出しました。ジャズは「衝突と即興」の音楽、と言う事を再認識させてくれた映画を観てきました。弱冠28歳のデイミアン・チャゼル監督作品「セッション」です。

ある有名ジャズスクールに入学したドラマー志望の学生と、鬼のようにしごきまくる教授の葛藤の日々を描いた映画です。まぁ、父親の星一徹に大リーグギブスを装着させられて、猛練習に明け暮れる「巨人の星」の星飛雄馬みたいな物語です。教授に扮したJ・K・シモンズの恐ろしい事、恐ろしい事。往復ビンタなんて当たり前。シンバルは投げつけるは、スティックを持つ手から血が吹出そうが、深夜まで叩き続けさせるという凄まじいレッスンです。

大体、こういう鬼教師の話って、最後は「先生やりました!」という涙の主人公と二人が抱き合って終わるというのが常道ですが、この映画は全く違います。驚愕のラスト10分!緊張感200%、終わった瞬間こちらもどっっと疲労しますが、ぜひ観てください。

ジャズという音楽が特にそうだと思うのですが、プレイヤー自身の思想、生き方がその演奏に顕著に出てきます。そのプレイヤー達が衝突して、譜面にある♫を飛び越して、自らの限界に挑み、プレイヤー同士のマッチアップが新たな音楽を産む、その瞬間に立ち会う体験をさせてくれます。この教授、良い台詞も言います。

「一番キケンな英語はgood jobだ。上出来だね、という言葉で褒めあう時何も生まれない。」

お互いが、まぁこんなもんだねと納得する時、新しい表現は出てこないものです。

しかし、このオヤジ、最後の演奏会で見せる笑顔と、口をついて出る言葉。こいつは鬼か、悪魔か!!

ラストは絶対に言えませんが、言葉にするとこんな感じです

「おんどりゃ、人をコケにするのもたいがいにせんかい!いてもうたるで!」

「ガキが何ぬかす、ボケが!返り討ちにして、南港に沈めたるど、あほんだら!」

「わりゃ、ズタズタにしてまうど、この死に損ないのジジイが」

上品なお客様の多いレティシア書房に、似つかわしくない言葉の応酬になりそうなので、止めておきますが、そんな大げんかを音楽で見せてくれる作品です。音の迫力を体験するなら、絶対に劇場で観てください。京都はTOHO二条にて上映中です。

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「夫に先立たれた妻の前に、男が登場するんですね。これが不思議なんですねぇ、いいですねぇ〜、上手いですねぇ〜」と「日曜洋画劇場」の淀川さんなら言いそうな、往年のウェルメイドなハリウッド映画の満足感が得られる映画に出会いました。

「フェイス・オブ・ラブ」、主演は、アネット・ベニングとエド・ハリスという演技派二人。最愛の夫が事故で急死した女の前に、ある日、夫にそっくりな男が現れる。そして、二人は恋に落ちる、というそれだけのお話。出演者は主役の二人と、あと数人だけ。ケレンもなければ、オーバーな映像表現など全くなく、淡々と進んでいきます。演技力のある役者が見せる「大人な」映画って、かつてのアメリカ映画には数多くありました。

さて、二人の恋の行方はお話できませんが、この映画は、なんだか素敵な短編小説を読んでいるような雰囲気なのです。例えばアーウィン・ショーみたいな、或は堀江敏幸みたいな人の出会いと別れを描く作家の優れた小品を読んだ後の豊かな気分が、ゆっくりと沸き上がってくるような映画とでも言えば、いいのでしょうか。

堀江の傑作短編集「雪沼とその周辺」(新潮文庫300円)の解説を池澤夏樹が書いていますが、こんな文章を見つけました。

「読者はこの小さな町の住人になって、みんなの生活をそっと見るのだ。住民ではなく天使かもしれない。町の人々の生活に干渉することはない天使。ただ見ているだけ、あるいは大事な局面に立ち会うだけの透明な存在。

今ここでぼくは生活と書いた。暮しでもいいし、人生でもいい。あるいはいきていくこと」

そう、観客は、老いも見えてきた男と女の人生をそっと見つめるのです。

蛇足ですが、映画の中で隣りに住む友人役で、先日亡くなったロビン・ウィリアムスが出演しています。ハチャメチャな役柄が目立つ役者でしたが、こういうシブイ脇役が出来る人でした。改めてその死をとても惜しく思います。

 

ロブ・マーシャル監督のブロードウェイミュージカル映画「イントゥ・ザ・ウッズ」を観てきました。

最新の音響システムを駆使した本映画は、絶対映画館で観てほしい作品です。マーシャルはミュージカル「シカゴ」をものの見事に映像化した実績があるので、今回も期待していましたが、いや、期待を上回りました。

映画が始まると、登場人物達が、それぞれ「イントゥ・ザ・ウッズ」と歌いだします。そして、カメラ自身も踊るように彼等の回りを回り、オーケストラが最高潮になった時、一気に村を越えて森へと近づく導入部で、もう安心できます。(導入部の下手くそな映画や小説の大半は、最後まで盛り上がらんもんです)

村のパン屋夫婦は、魔女の呪いのせいで子どもが授からないでいました。呪いをとくためには、ミルクのように白い牛、赤い頭巾、黄色い毛、金色の靴が必要だと魔女に言われ、それらを探すために森の中へと入っていきます。

そして、赤い頭巾を冠った女の子、金色の靴で舞踏会に出る女、牛を売るように命じられた男の子、城に幽閉されたお姫様に出会い、なんとかそれらを手に入れようとするのですが、もう大混乱に陥るというお話です。魔女が指定した四つの小物は、それぞれ「ジャックと豆の木」、「赤ずきん」、「ラプンツェル」、「シンデレラ」という童話を指し示しています。

森の中で、童話の主人公たちは、ドタバタを繰り広げますが、パン屋の主人が、「おい、物語が違う」なんて言うように、彼等が、本来のストーリーで持っていたキャラクターから逸脱していきます。そのプロセスが、魅力的な音楽に乗って、スピードにのってどんどんと進んでいきます。そして、ちょっと皮肉に満ちた終わり方を迎えます。エンドタイトルで、ヒロインが一言いますが、その一言が事態をここまでややこしくしたのかもしれません。

魔女を演じるは、押しも押されぬ大女優メリル・ストリープ。いやぁ、もう大貫禄の魔女で、堪能します。ゲストで、ジョニー・デップが赤ずきんを襲う狼男で登場するのはご愛嬌。

こんな映画を観た後は、シャルル・ペロー傑作童話集「眠れる森の美女」(出帆社/函入り初版2500円)を開いて、ギュスターヴ・ドレの挿画を眺めてみるなんてのは如何でしょうか。ドレは、いくつも森を描いていますが、何か潜んでいるような、何かか起こりそう雰囲気のある森は、この映画と一緒です。

と言っても、誰??かもしれません。アラン・チューリングは、第二次世界大戦の最中、ドイツ軍の開発した暗号通信機機「エニグマ」の解読を任された男で、映画「イミテーション・ゲーム」の主人公の天才的数学者です。歴史的には、この暗号解読のおかげでヨーロッパ戦線は早期に終結したと評価されています。

暗号解読のサスペンス映画かと思われた方、それは間違いです。さすがに、本年度アカデミー作品賞候補になっただけのことはあります。

映画は、チューリングの寄宿舎時代から、暗号解読にすべてを傾ける青年時代、そして国家に葬り去られる最後まで、カットバックを巧みに使いながら、見るものを画面に引きずりこんでいきます。もの凄い苦労の末、暗号解読に成功しながら、彼と彼の仲間を待ち受けていた苦悩の日々。そしてこの時代、キリスト教的倫理観一色の中で、同性愛者たちにいかなる仕打ちをされていたか等々、チューリングの生きた時代を丸ごと描いていきます。彼が恐るべき愛情をかけて作り出した解読機の名前を何故「クリストファー」と名付けたか?涙なくしては見てられません。2時間、身を乗り出してみてしまう見事な演出です。

主演は、TV「シャーロックホームズ」で、その演技力の高さを見せたベネディクト・カンバーバッチ。これで、アカデミー主演男優賞取れなかったなんて、取った役者の演技ってどんなん??と思ってしまいます。

真っ当な映画作りは、完成度の高い脚本と、それを解釈して表現する役者の力、華美な演出を排除して削いでいく演出が出来る監督が、絶対必要条件です。そしてもう一つ、「画調」も忘れてはなりません。その映画全体を支配し、陰翳の深いものにできるかどうかで映画の出来上がりは違います。「イミテーションゲーム」は、その点も見事でした。

ところで、チューリングが創り出した解読機クリストファーが、現代のコンピュータの原点になっていたなんて初めて知りました。映画館で極上の時間を過ごせるお薦めの作品です。

 

京都シネマで上映中の「おみおくりの作法」を観てきました。

オリジナルタイトルは”Still Life” このシンプルなタイトルの方が、作品を見事に表現しているのですが、邦題の方は、「おくりびと」からきているのかなんなのかイマイチです。

舞台は現代イギリス。引き取りてのない遺体の、身内を懸命に探し出し、誰も見つからない時は、葬儀も執り行う真面目な民生委員の日々を静かなタッチで描いた90分あまりの小品です。

この男、プライベートでも、仕事でも、ともかく几帳面を絵に書いた様な人物で、余分なものを削ぎきった生活は清々しくさえありますが、人生、何が楽しいの?と思ってしまいます。一分の狂いもなく進行する毎日でしたが、ある日、自分の住んでいるアパートの住人の遺体の身元引受先を探すところから、微妙に心境が変化していきます。

えぇ、そおんなぁ〜!!という展開に驚かされますが、映画的センス、あるいは小説読みのセンスのある方なら、あぁ〜ラストはこうだろうなと思い浮ばれるかもしれません。その推測はきっと正しい。しかし、そこからがこの映画の極上の素敵さの始まりです。涙腺の弱い人は、ハンカチでは保ちません。手ぬぐいをご用意下さい。もちろん、画面は相変わらず静謐感に満ちたままです。

オリジナルタイトルの”still life”は「静物」、もしくは「静物画」とでも翻訳するのが適当ですが、一枚の「静物画」の中に、生きることと、そして死ぬことの哀しみを閉じ込めた作品です。

主人公がラスト近くで”This is my job”という台詞を口にしますが、この言葉の重みがじわじわと胸に迫ってきます。監督は、ウベルト・パゾリーニ。サッチャー政権下の労働者たちが男性ストリッパーになる奇想天外な傑作「フルモンティ」の製作者の初監督作品。お見逃しなく!!

 

☆はちはちのパン販売のお知らせ  

2月27日(金曜日)西陣の「はちはち」のパン(セット600円)を販売いたします。

お楽しみに!

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ドキュメンタリー映画「白夜のタンゴ」を観てきました。

タンゴと言えば、アルゼンチンタンゴと誰しもお思いでしょうが、実はフィンランドだったという説があり、アルゼンチンタンゴの名手たちが、フィンランドに出向き、ほんとかよ?と各地を訪ね歩く姿を追いかけた80分程の小品ですが、心温まる音楽ドキュメントです。

確かに、この地にもタンゴ奏者がいて、ホールでは皆さん踊っておられます。もちろん、アルゼンチンみたいな熱狂はありませんが、とても楽しそうです。森と水の国フィンランドの広大で静かな風景にタンゴって不似合では?と思っていましたが、どうしてなかなか似合っています。多くの人の欲望渦まくアルゼンチンでも、こんなに人影が見えないファインランドでも、全く問題なしで聴けるのは、この音楽の持っている力強さと包容力の成せる技かもしれません。

ところで、映画に登場するタンゴを聴いていると、南米大陸の不思議な音楽の伝わり方に気づきました。アルゼンチンのご近所ブラジルではボサノバになり、ペルーに入るとフォークローレになり、北上してキューバに行くと、伝統音楽ソンになり、さらに北のメキシコにいくとマリアッチに変わる。もちろん、これらの音楽が形成された時期も経路もバラバラですが、それぞれのお国柄が聴こえてきそうです。一つの大陸でこんなにも様々な表現スタイルを持っているって面白い。

キューバでソンを演奏して30年のキャリアを誇るセプート・デ・ラ・トローバのサウンドを聴いていると、そのままタンゴのダンスが踊れそうなのですが、あ、これキューバだよねと思わせるものがあります。ちょっと太った女性がステップ踏みながら、フライパンで料理してそうなシーンが心に浮かぶ一方、演歌っぽい哀愁さえもあります。懐の深い音楽です(CD1400円)

さて、当ギャラリーではかくたみほさんのフィンランドの写真展を開催しておりますが、「白夜のタンゴ」にも作品そっくりの風景を見ることができます。映画を観に行かれたら、ぜひ写真も観に来て下さい。リクエストしていただければ、店にある映画サントラ「タンゴレッスン」(900円)を流しますよ。

前から興味のあった「インターステラー」を観ました。最近は、ハリウッドの大作を殆ど観ないのですが、監督が贔屓のクリストファー・ノートンなので出かけました。

アインシュタインの相対性理論、量子力学、五次元空間、そしてタイムパラドックスにワームホールと、さらに本棚の向うは、別世界への入り口というファンタジーのお約束事まで放り込んだ3時間。どれも未消化、突っ込みどころ満載にもかかわらず、素敵な映画でした。

SF大作にもかかわらず、静謐なのです。昨今の低能ハリウッドは、めったやたらとうるさい映画ばかりが目立ちます。宇宙は真空なんだから、音なんてない世界という事実をすっかり忘れています。その点、さすがクリストファー・ノートン監督でした。

この静かな映画を作るには、おそらく監督の脳裏には69年の「2001年宇宙への旅」、そして地球滅亡というテーマで言えば、同年公開された「猿の惑星」があったはずです。名作二本は超えられませんでしたが、超えようとチャレンジした映画では、最も優れた作品です。

ところで、その60年代ですが、ハリウッドは真面目に社会に向き合っていました。

62年、「キューバ危機」でアメリカとソビエトが緊張状態になった二年後、「博士の異常な愛情」「五月の七日間」「未知への飛行」と核時代の恐怖を描く傑作が一斉に公開されます。

「サウンド・オブ・ミュージック」や「マイ・フェア・レディ」といったハリウッドらしい大作も公開されている一方、方々で出版差止になったナバコフの小説「ロリータ」が62年に映画化され、世間に「ロリータコンプレックス」という言葉を普及させました。

そして決定的だったのは、67年公開の「俺たちに明日はない」でしょう。ハリウッドが描いてきたアメリカンドリームは一気に砕けちり、アメリカ人の孤独を描いた極めつけ68年公開の「泳ぐ人」、NYの得体のしれない恐怖を描く「ローズマリーの赤ちゃん」、69年に「真夜中のカーボーイ」が登場し、悲惨で、孤独なアメリカ人の内側を描き出して、70年代にバトンタッチしていきます。時代と共にその表現手法を広げた、映画に取っては幸せな時代でした。

芸術新聞社発行の「60年代アメリカ映画」(2000円)は、この10年間をその代表作と共に振返る労作です。この本片手にレンタルDVD探されてはいかがでしょうか。

蛇足ながら、私の60年代ベスト10は

「2001年宇宙への旅」「ブリット」「博士の異常な愛情」「サイコ」

「愛すれど心さびしく」「猿の惑星」「明日に向かって撃て」「質屋」

「泳ぐ人」「鳥」というところかな〜。