40代、50代の皆様!!甘酸っぱい想い出満載の映画雑誌「ロードショー」創刊号が入荷してきました。

戦前からあった映画雑誌「スクリーン」に対抗して、昭和47年に集英社が発行を始めた映画雑誌です。表紙はカトリーヌ・ドヌーブ。特別付録にオードリー・ヘップバーンの特大ポスター。表紙をめくると、お父さんも、お母さんも真面目な高校生だった時に涙した「小さな恋のメロディー」の三人。そして、当時一世を風靡したアラン・ドロンのハンサムなお顔と豪華絢爛な内容です。

映画がスターで持っていた時代を象徴した雑誌ですが、加藤和彦が映画評論を書いていたり、当時のトップ女優たちのファッションセンスを、ムッシュかまやつが批評していたりと、貴重な記事も発見できます。しかし、最も驚いたのは、巻末に映画のヒット曲が、ギターコード入りで譜面が採録されているところです。みんな、お小遣いを貯めて買ったガットギターで弾いていたんでしょうね。2500円。(相場よりはかなりお安くしています)

もう一点、映画本として面白い文庫が入りました。片岡義男が書いた「彼女が演じた役」(中公文庫400円)です。これは、サブタイトルに「原節子の戦後主演作を見て考える」とあるように、一時代を作った彼女の映画を通して戦後を見つめる一冊です。第一部は、小津映画以外の彼女を取り上げています。昭和29年「安城家の舞踏会」は、戦前からの貴族制度の崩壊を描く映画ですが、彼女は今や死語になりつつある「令嬢」を演じていて、いわゆる令嬢のイメージから逸脱してゆく強さを見せます。著者はこう結びます。

「単なる美や女らしさなどでなく、強い意志、つまりくっきりと確立された自我として、日本の人たちは原節子のなかに見ていた、と僕は思う。彼女の姿や笑顔を、日本の人達はそのようなものとして解釈し、受け止めた。」

小津映画に登場する彼女にも、一瞬ですが恐ろしい程のいらつきや、孤独、恐れを感じる時があります。それが出来る女優さんだったのですね。

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これは、映画「ゼロ・グラビティ」で、ヒロインが吐き捨てるように言う台詞です。この映画を観たら「そうだ、そうだ、誰が宇宙なんかに行ってやるもんか」という気分になります。

映画の主役は宇宙と地球。助演にヒロイン役のサンドラ・ブロックで、どうでもいい役に、大スターのジョージ・クルーニーという稀な作品です。全95分、ほとんどヒロインの一人芝居。酸素もない、重力もない宇宙と、その一方、遥か彼方に美しく輝く地球が見えているという実験映画みたいです。前半は、胃と腸がひっくり返り、心臓が圧迫されて、呼吸困難になり映画館から逃げたくなりますが、それは見事な映像美です。宇宙に放り出されたヒロインが足をバタバタしても、そこに何もない、ただ暗黒の空間があるだけというのはかなりの恐怖です。

しかし、この監督、やるなぁ〜と思わせるのは後半です。ヒロインが誰も助けにこない宇宙空間で、息が出来ない!と絶叫して死ぬようなエンディングだと、観客は救われませんが、優れた宇宙映画には、必ず観客の心を解き放つシーンがあります。「アポロ13号」で、死にかけた宇宙船に照明が戻る瞬間、「2010」で、宇宙船ディスカバーが、全力噴射する瞬間等に我々は希望を持ち、助けられます。お金を頂戴した観客を寒々とした気分で劇場から出すことはしません。「ゼロ・グラビティ」にもちゃんとそういうシーンは用意されています。

そして、もうひとつ、この映画のテーマが、ちゃんと大地に足をつけましょうね、という至極真っ当な事だったことも忘れてはなりません。ラストが、象徴的。例えて言えば、亡霊やら、地獄の亡者が暴れる能の舞台で、演目が終わって寒々とした気分の観客に日常に戻ってもらうために「祝言」という短い謡があるのと似ています。で、この映画もホッとした気分で家路につくことができます。映画の作り方ちゃんと勉強してこいよ!と言いたくなる様な素人監督が多いハリウッドの中では、映画を知っている人です。

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WOWWOWで放映していた三谷幸喜脚本・監督の「大空港2013」には、十分に笑わせてもらいました。この作品、ワンカット、ワンシーンで90分撮り上げている実験映画です。ワンカット、ワンシーン。つまり、カメラが回り出したら、一回も止まらずにラストまで行くという、スタッフにもキャストにも失敗できないプレッシャーがかかる作品です。

飛行場の待合室を舞台に、地上客室乗務員と、ある家族のドタバタを一気に見せます。役者が実にうまくて、(竹内結子・香川照之など)「ワンカット、ワンシーンですよ」なんてわざわざ言わなくても、楽しめます。

なぜ、こんな実験映画を作るのか。それは、その場で登場人物と一緒に右往左往するスリルが味わえるからです。かつて、ヒッチコックが、一室で起こる殺人の謎解きを描く「ロープ」という映画で挑戦しました。近年では、ロシアのエルミタージュ美術館を舞台にしたA・ソクーロフ作品「エルミタージュ幻想」が、90分ワンカット、ワンシーンでした。(これは疲れました)

「ワンカット、ワンシーン」で、脳裏を過るのは宮沢賢治です。彼がこんな映画的手法を知っていたわけはないと思いますが、読んでいると、これって、ワンカット、ワンシーンだよな、と思ってしまうような作品に出くわします。「注文の多い料理店」などは、ワナにはまった人間達が、奥へ奥へと向かう様をこの手法で描いていますし、「やまなし」も水中から見上げる蟹の視線が途切れる事なく描かれています。また、長編詩「小岩井農場」は、主人公が駅を降りてから、どんどん牧場を歩く様子を心象風景を織り込みながら、最後まで読者を引っぱり回します。(だから、この詩の通読は、やはり疲れます)

写真の詩集は、ソノシート付きで北大路欣也が「雨ニモマケズ」を朗読しています。(角川書店800円)

作り手の力量が問われますが、またこんな手法で作ったものは、きっと観てしまいそうです。

 

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スイスのバレエコンクールで、日本人高校生がグランプリを受賞したというニュースを観ました。彼は、お父さんと空手道場に行く途中、バレエを見てはまったという話でした。あれ?これって映画「リトル・ダンサー」と一緒じゃないか!と女房と話をしていたら、今週、BSで放映してくれました。偶然か、それとも件の受賞祝いか、ともかく好きな映画なので、またしっかり観てしまいました。

鉄の女サッチャー政権下、圧政に苦しむ労働者の悲惨な実体を横軸に、労働争議に明け暮れる炭坑労働者家庭の次男と、バレエとの出会いを縦軸にして、少年と父親の愛情を描いていきます。父親に言われて、渋々ボクシングをやらされている少年が、バレエに魅了されていく辺りの描き方も細やかで、バレエ教師や少し認知症の祖母、労働組合で頑張っている兄、優しかった亡き母との関係も丁寧に描かれます。ラストシーンは極めて映画的表現で感動的で見事です。そして観た後、温かな気持ちにさせてくれる作品です。

何故か強権的なサッチャー政権をバックグラウンドにしたイギリス映画には、面白いものがあります。失業して男性ストリッパーになる「フル・モンティ」や、明日の仕事もままならない地方都市のブラスバンドを描く「ブラス」も、実情はかなりシビアなのにもかかかわらず、可笑しくて、やはり、後味がいいのです。(もちろん、現実を直視した悲惨な作品もありますが)

多分、この三本に共通しているのは、サッチャーが鬼婆で、労働者を苦しめ、重税を課して、俺たちの人生が辛いなんてことは百も承知、だからどうなのさ、みたいな開き直りと、それでも前を向いて顔を上げて生きる姿勢だと思います。それ故、エンドマークの後、いい映画だったね、と、じーんと切ないながらも幸せな気分で劇場を後にすることができるのでしょう。

「長距離走者の孤独」で日本でも人気のあったアラン・シリトーは、どれもどんよりした曇り空の下、灰色の街並みで孤独な人生を生き抜く主人公の話が多い作家ですが、そんな社会に抗う男たち、女たちが登場します。短編集「屑屋の娘」や「グスマン帰れ」(どちらも700円)はその代表作品でしょう。個人的には、「長距離走者の孤独」よりも、労働者たちの日常と暮らしを見つめたこれらの作品の方が好きです。

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見逃していた韓国映画「嘆きのピエタ」(キム・ギドグ監督)を朝一回だけ上映していたので、行ってきました。いや〜身も心も冷え冷えとしてくる地獄巡りを楽しませてもらいました。

下層階級の人達に高利で金を貸し、返済できないと見るや、屋上から突き落とす、或は機械に手を入れて切断して障害者の保険金で返済させるという極悪非道の若者のお話。これだけで、痛い!とお思いの方もおられと思いますが、直接的な残酷シーンはありませんので、ご安心を。でもギョ〜ンと唸る機械の音はゾクッとします。

その若者の前に、生まれてすぐ彼を捨てた母が出現するところから、とんでもない方向へ話は進んでいきます。淡々と仕事に励んでいた彼の心に、まさか本当に母親?いや嘘に決まっているという疑惑が、さざ波のごとくおしよせます。演じるイ・ジョンジンがその心理を見事に表現します。

「ピエタ」とは、十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱く、聖母マリア像のことであり、慈悲深き母の愛の象徴。そのピエタが「嘆いている」という意味が、最後で明らかになります。母親役を演じたチョ・ミンスも引き裂かれるような複雑な心の有り様を演じて、片時も目が離せませんでした。

そして、冷凍庫に入っているかの如く寒くて寒くて仕方ないのに、その一方で浄土へ誘われる様な至福も感じさせるエンディング。(このラストだけは絶対に言えない!)希望など皆無で、静かで、強烈で、魂を引っ掻くようでありながら、否応なく魅かれてしまう不思議な力を持った映画でした。

直木賞作家の桜庭一樹はこう書いています

『キム・ギドク氏の作品は、わたしの人生をより複雑にすることで、繰り返し救済してくれます。物語の最後に見えるあの微かな光を求めて、わたしはまた彼の映画を観てしまいます。」

「あの微かな光を求めて」という表現は、優れた映画、小説に必ず存在することだと思います。

 

★冬の一箱古本市は今日が最終日です。11日からは、ミニプレス「日々」のバックナンバー展が始ります。一緒に「アンティーク帯バッグ」「木工」「リース」など暮らしを彩る作品が並びます。お楽しみに!

 

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開催中の「一箱古本市」も今週末までになりました。昨日はちらつく雪の中、多くの方にご来店いただきありがとうございました。今回初出店の古書店「びすこ文庫」さんも神戸岡本から来てくれました。びすこ文庫さんは開店して4ヶ月経ち、色々イベントも展開されています。

今日は、私が客の立場なら買う!というものをご紹介します。先ずは、喜国雅彦の「本棚探偵の冒険」(2500円)。第二集が出た時に、思わず買った本の第一集です。これ、漫画家の作者が、悪い仲間に引きずり込まれて、古本にはまってしまい、いろんな本や人と出会う様子を綴った一冊です。アカデミックな古書本ではなく、よし!古書店に行こかいな、という気分にさせる店主にとっては好都合な本です。オマケの月報「本棚趣味」も付いています。

お酒、特にウィスキー愛好者には、おっ、という本がありました。ジャン・レイ「ウィスキー奇譚集」(850円)です。著者はベルギーの幻想文学の第一人者。ウィスキーにまつわる短篇怪談集とでも言いましょうか、チビチビやりながら酩酊気分で読み出すと、北欧の薄暗い霧に囲まれた街角を彷徨う感じがしてきます。

中野翠「小津ごのみ」(800円)も読んでおきたい一冊です。小津映画の本は沢山出版されていますが、著者の明確な視点が面白い。「お茶漬けの味」に出ていた佐分利信を「無骨なのに何か独特の性的魅力がある」との表現には、全くその通りと相づちを打ちました。巻末には、現在観ることの出来る小津映画のすべての解説もあり、レンタルする時に大いに参考になります。

もう一点、私の好きな小川洋子の「いつも彼らはどこかに」(900円)。すべて、動物を主人公にした、でもお涙頂戴の安易なものではない短編集です。「一本の木が倒れる。地面の揺れる音が森の奥に響き渡る。しかし、誰も褒めてくれない。ビーバーは黙々と労働を続ける」という文章で終わる「ビーバーの小枝」は、特に好きな一篇になりそうです。

出店者の方々、最終日まで残っていれば、私買いますのでご安心を。

 

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昨日の新聞に、こんな死亡記事が載っていました。「アメリカの俳優フィリップ・シーモア・ホフマン死去」。えぇえ〜??

名優と呼ばれる人、演技の巧みな役者は沢山います。しかし、カメレオンの如く何にでも化けて、画面を攫っていき、なおかつ人の闇の深さを醸し出す人はそういません。始めに印象に残ったのが、ラストに蛙が画面一杯に降ってくる?奇妙きてれつな映画「ブギーナイト」でしたが、決定的に覚えたのは、アメリカ文学を代表する一人カポーティが、代表作「冷血」を書き上げるまでを描いた「カポーティ」でした。か細い、神経質な作家像を見事に演じきり、不気味な演技をしたかと思うと、「ダウト」ではメリル・ストリープ相手に、男色の疑いをかけられた牧師の複雑な内面を、その黒い牧師の服の上に滲み出すというウルトラC級の演技で、観客を圧倒させました。

しかし、その一方で、トム・クルーズの「ミッションインポシブル3」では、サディスティックな悪役でトムを圧倒する余裕を見せつけました。そんな大作に出たかと思うと、「脳内ニューヨーク」という説明しにくい不思議な映画に登場するというメジャーもインディーズの関係なく、どれも彼が際立つという怪優ぶりでした。

最近ではジョージ・クルーニー主演の政治サスペンス「スーパーチューズデイ」で、ぶよぶよのお腹を見せながら、汚い金にまみれた選挙参謀や、ブラピの野球映画「マネーボール」で、弱小野球チームの監督役やらで存在感を見せる一方で、初老のチェロリストを演じる「25年目の弦楽四重奏」では渋い演技を見せていました。

その人の顔を見ているだけでこちらがワクワクしてくる人間がいます。例えば、中村勘三郎を見たら、また歌舞伎を観に行こうとか、忌野清志郎を聴けば、ライブ聴きにいこうという気分にさせてくれる人達です。ホフマンの名前がポスターにあれば、やっぱりワクワク気分で映画館に駆けつける、そんな俳優でした。享年47歳。ご冥福をお祈りします。

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私が、死ぬ程好きなミュージカル映画が1本あります。ジャック・ドミー監督、ミシェル・ルグラン音楽のフランス映画「ロシュフォールの恋人たち」です。主演はカトリーヌ・ドヌーブと姉のフランソワーズ・ドルレアック。ゲストに「ウェストサイド」のジョージ・チャキリス、「雨に唄えば」のジーン・ケリー。私の中で、これがフランス的なるものを決定してしまった映画でした。死ぬ程退屈な同監督の「シェルブールの雨傘」とは比べ物になりません。お話は、すれ違いのメロドラマなのに、洒落ていて、エスプリ満載、スイング感に溢れていて、「軽妙洒脱」という言葉は、この映画のためにあるのだと思っています。

そのサントラCD(リマスター完全盤2枚組1900円)が入荷しました。もうオープニングから、心ウキウキ!にさせてくれます。華麗なストリングスの響き、小粋に跳ねるピアノ。そして、学生時代には鬱陶しいだけの言葉だったフランス語のスキップ感。開店前の掃除のBGMには欠かせません。映画を知らなくても、ジャズなんて聴かなくても、「踊らんかな」という気分一杯です。監督はルグランにこう要請したそうです。  

「楽しさが風のように吹き渡り、常に幸福感が漂う音楽」と。

ところで、TVプロデューサーだった高平哲郎が、林家三平、美空ひばり、松田優作、淀川長治、上月昇等20数名の思い出を一冊にまとめた「あなたの思い出」(晶文社1500円)があります。各人には、それぞれジャズのスタンダードナンバーの曲が割り当てられていてます。例えば、勝新太郎「煙が目にしみる」、たこ八郎「言い出しかねて」という具合です。ちょっとセンスのいい都会派小説を読んでいるような楽しさが溢れた「ノスタルジックエッセイ」です。イラストは和田誠。ドミー、ルグランコンビに負けないコラボですね。

大好きな役者、成田三樹夫に充てた曲は「茶色の小瓶」

「まっすぐに背筋を伸ばした男の前にはざる蕎麦と天麩羅と茶色の小瓶のビールがある」上手いなぁ〜いい出だしだなぁ〜、こっちも一杯飲もうかという気分になりますね。 

                                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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映画はモンタージュです。それは、こういう事です。1美味しそうなカレー 2よだれを垂らした男 3空のお皿 4満足顔で眠る男。これが、続けて撮影されると、私たちは、お腹が空いていた男が、美味しいカレーを食べて満腹になって横になっているのだなと理解します。

このモンタージュという技法で映画は成り立っています。音も色もなかった無声映画時代、頼るべきはこれだけでした。トーキーになり、カラーになり、ドルビーサウンドシステムに3D映画へと発展していった映画は、ともすればその基本的な、映画だけが持ちうる技術を忘れがちになりました。ところが、数年前から、原点へ回帰するような作品が出てきました。2012年アカデミー作品賞の「アーティスト」や、京都シネマで上映中の「ブランカニエベス」は、なんとホントに無声白黒映画でした。

「ブランカニエベス」は、1時間40分、音楽の伴奏だけの映画ですが、メチャ楽しい映画です!生まれると同時に母を失い、父と生き別れて、再会もつかのま、父は亡くなり、継母に殺されかける。そして闘牛士一座に加わった主人公が、女闘牛士として脚光を浴びるというストーリーですが、これが全く白雪姫です。ちゃんと七人の小人も出てきます。どんどん展開する波瀾万丈の物語、ここぞ!という時に鳴り響く音楽。え?これ無声映画だった?と途中で気づくぐらいです。もちろん白雪姫に欠かせない、悪女の継母に毒リンゴなどもちゃんとご用意。そして、ラストは、お〜〜〜こういう展開か!!と驚きました。

無声白黒映画ですが、映像的、音響的技術は最先端のものが駆使されています。複雑に動くカメラ、微妙な陰翳で画面を盛り上げる照明、そして様々なスタイルで、緊張感や、哀しさを盛り上げる音楽。劇中、蓄音機からレコードの音が聞こえてくるシーンがありますが、そこだけノイズ混じりのモノラルサウンド的効果が効いていて、細部まで緻密に構成されています。

3D映画並みのハイクォリティーの力量で、遥か昔のサイレント映画を蘇らせた作品であり、新しいサイレント映画の第一歩です。

昨日観た映画「ファイア・バイ・ルブタン」の台詞です。え、なんの映画?って、これはフランスのナイトショーのドキュメントです。オッパイいっぱい、お尻いっぱいのダンスのドキュメントなんですが、滅茶苦茶に面白いのです。

1951年巴里、シャンゼリゼ近くに設立されたナイトクラブ<クレイジーホース>。そのショーの舞台で、80日だけ上演された「ファイア」。世界トップクラスのシューズデザイナー、クリスチャン・ルブタンが演出がした舞台を映像化したものです。

完璧に鍛え抜かれたダンサー達の肉体美と、見事なステップ。奇才デヴィット・リンチが音楽を担当したナンバーでは、画面に出てくるのは、ルブタンの美しくも怪しい魅力の靴を履いたダンサー達のつま先だけです。加速してゆくサウンドに合わせて、つま先が踏む寸分の狂いのないステップに、目は釘付けになり、靴のまき散らすエロスの香りに絡めとられていきます。

そして、そこでのダンサーの台詞が「たかがメイク、されどメイク」でした。メイクをしようがしまいが、足だけの踊りで顔は無関係なのに、きちんとしていないと踊りにミスが出そうになる。足の先から頭のてっぺんまで装ってこそ、完璧なダンスを見せられるという、いやぁ、これぞプロの踊りです。彼女達の根性と体力と裸の前にひれ伏しました。

はるか昔のことですが、私も、いわゆるストリップ小屋通いをしたことがあります。あの小屋の猥雑なんだけれど、あっけらかんとした自由な雰囲気は、忘れられません。あれとは、全く違うショーですが、こうは言えます。

「おっぱいが一杯、おしりが一杯、自由が一杯」と。

 

 

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