タイトルと雰囲気だけで、メキシコ映画、カルロス・レイガダス監督「闇の後の光」(京都みなみ会館にて上映中)を観てきました。カンヌ映画祭で物議を醸し出した作品です。で、感想ですが、会話風にするとこんな感じです

「どんな、話?」「家族の話だけれど、説明できるもんじゃありません。バラバラなんで、誰が誰やら・・・。」

「映像が幻想的とか、クールな感じなの?」「いや、『あれ』が登場する所は幻想的だが、後はもうリアリズムに徹して、しかも長回しでカメラは動かない」

「役者が上手いの?」「もう上手いんだか、下手なんだか」

「過剰な性描写でもあるの?」「いや〜肥満中年男女のサウナ乱交はあるけど、どうだか」

「音楽がいいとか?」「音楽はなしに近いね」

「見所はどこ?」「わからん。私は雷の音と、犬の泣き声とおっちゃんの太い腹と萎えた下半身だと思う」

「なに、それ。じゃ、つまんない映画?」

「それが、一時も目を離せない映画で、なんか体中縛られているみたいな」

 

「じゃ、推薦映画?」「いや、しませんが、観た感想はぜひ聞きたいですね。」

ネットではボロクソ言っている人もいますが、そう簡単なもんじゃないと思います。

カルロス・レイガダス監督は、元弁護士という変わり種。映画学校入学時に提出した短篇映画の完成度があまりにも高いので、入学を拒否され、独学で映画製作を学び、長編発表当初からカンヌ映画祭では高い評価を受けた人物です。

この映画、独りよがりだと言えばそうだけれども、圧倒的に迫ってくる何かがあり、不気味な映画でもあります。なんか、映像の断片が心の奥に残りそうな気がします。

少なくとも、観客を見くびって、低レベルなお話しか映像化できないハリウッド映画に金払うくらいなら、こちらの複雑な構造を持つ映画を読み解く方が、知的スリリングに富んでいることは間違いありません。

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辺境を描かせるとピカイチという監督がいます。デビット・リーンは、「インドへの道」でインドを、ベルナルド・ベルトルッチは「シェリタリングスカイ」で、北アフリカの沙漠を、そして宮崎駿は「もののけ姫」で東北の山奥を魅力的に描き出しました。

黒澤明にも、私的には黒澤映画ベスト3に入る映画があります。それは、ロシア映画界の全面バックアップで撮影した「デルス・ウザーラ」です。

1923年にロシア人探検家ウラディミール・アルセーニエフによるシベリア探検記録[「デルス・ウザーラ」が出版されました。映画公開時に、長谷川四郎訳で 平凡社東洋文庫から刊行されました。東洋文庫を常備している書店が少なかったので、読んではいませんが、映画の方は恐らく黒澤の自然観がベースになっていると思います。

ロシア軍の探検隊の道先案内人となった少数民族出身で、シベリアの荒野を歩き抜いたデルスは、隊長に、

 太陽を指差して「あれ、一番大事な方」、月を指差して「あれ、二番目に大事な方」と言います。

そして、「水風火、とても怖い」(この部分、正確だったかどうか??)と。

 

 太陽と月を指差すシーンでは画面左に昇ってきた月、画面右には沈む太陽を捉えており、私たちが宇宙と共に生きているという今日的テーマをすでに70年代に描いています。

自然と対話しながら奥地へと進み、一行の前に現れた虎に対して、デルスが「森へ帰れ」と話すというシーンは象徴的です。命の輝きを見せてくれたかと思うと、命を奪うという大自然の様々な姿に、釘付けになりました。ダイナミックな黒澤らしい演出ですが、どちらかと言えば、ドラマを観ているというよりは、デルスと共に密林を歩んでいるドキュメンタリーみたいな作品です。

先日TVで「もののけ姫」を再度観ました。描く世界は全く違いますが、デルスもサンも人間社会に背を向けて森へ戻ります。また。デルスの雰囲気は、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」に登場する猟師を彷彿とさせます。今回そのDVD版の「デルス・ウザーラ」(本編+製作ドキュメント付き+ブックレット)を入荷しました。風の音、鳥のさえずり、川の流れる音、焚火のはぜる音にまで神経をとがらせた黒澤の映画作りを楽しめます。(定価6000円/販売価格2500円)

 

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注目株の映画監督の一人、ウエス・アンダーソン監督の「グランド・ブタベスト・ホテル」を観てきました。評価の高かった前作「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」は、オフビートな喜劇で、面白いと思いましたが、のめり込む程ではありませんでした。

しかし、この新作は心底気に入りました。ヨーロッパ小国のホテルで展開するサスペンス調のコメディーですが、全編ノンストップで突っ走ります。映画が始まって暫くは、舞台となるホテルの美術の素晴らしさに見ほれていました。そしていよいよ、事件が発生して主人公が殺人犯として投獄される辺りから、映画のテンションが上がります。音楽の使い方も見事。ストーリーを盛り立て、観客の期待を膨らませるという意味で、映画音楽の王道です。

映画に巻き込まれていくうち、この雰囲気ってサイレント映画に似ている、と思いました。サイレントは台詞がありません。だから、役者の動きだけで映像を繋いでいきます。そのリズムだけが生命線です。この映画にはそれがあります。ラスト近くのソリとスキーの追っかけあいは、まるでバスター・キートン映画です。

この監督、よほど役者に好かれているのか、主演のレイフ・ファインズを筆頭に玄人好みの方がズラリ登場します。それも、チョイ役で。達者な演技で、しっかり脇を固められた映画は、奥行きがあり、安心して観ていられます。これだけの役者をコントロールして、こんな楽しい映画を作るアンダーソン監督は、才人です。

映画好きには、お薦めですが、ぜひエンドロールまで見てください!最後まで楽しませてくれまっせ!

 

高校時代にシェイクスピアの代表作をほぼ読破した!(別にエラそうに言うことではありませんが)彼の戯曲って、まるで2時間のサスペンス劇場ですね。追い詰められ行く主人公に、鋭い言葉の武器が突き刺さって行くサスペンスは特にそうです。しんきくさくて、「おまえら、何ゴチャゴチャ、云うとんねん」と、本を放り出した「ロミオとジュリエット」以外は、彼の戯曲を堪能しました。今、店には松岡和子訳の「シェイクスピア全集1ハムレット」(ちくま文庫300円)しか在庫がありませんが、揃えていきます。

で、私のお気に入りは「マクベス」ですね。1604年の「オセロ」、翌年の「リア王」に続いて発表された悲劇ですが、魔女の囁きを真に取ってしまって、血なまぐさい惨劇へと突っ走る王が主人公です。1957年、黒澤明が舞台を日本の戦国に移して映画化したのが「蜘蛛巣城」です。私にとっては、黒澤のベスト3に入る作品です。勇猛果敢な武将の心の隙間につけ込む悪魔の囁きというモチーフを見事に映像化していました。ラスト、主人公が無数に飛んでくる弓でズタズタにされるシーンは語り種になっています。

もし初めてDVDでご覧になるなら、主人公が濃い霧の中で彷徨うシーンが延々続きますが、早送りボタンを押さないよう耐えて下さい。自分を失ってゆく主人公の象徴であり、すぐにふらつく人間の本性を表現しているのですから。

 

そして71年、今度はポーランドのロマン・ポランスキーが映画化します。これは、もう血みどろのマクベスでした。映画公開の二年前、ポランスキーは、妻のシャロン・テートをカルト教団指導者チャールズ・マンソンに惨殺されました。その影響でしょうか、東映ヤクザ映画以上に血なまぐさい「マクベス」になりました。こちらも、腕が吹っ飛び、ドヴァーッ!と血が吹き出すシーンで早送りボタンを押さないように。やはり、これも、無様に崩れ落ちて行く主人公の一部であり、このカオスの極みこそ人間だということの映像化ですから。

ところで、この「マクベス」のサントラ(1300円)を入荷しました。牧歌的なところと、神秘的なところと、魔術的なところが見事にブレンドされた音楽です。現代音楽のような、イギリスの民族音楽のような、アバンギャバルド音楽のような奇妙なテイストに満ちた音楽です。担当しているのはサード・イヤー・バンド。(知っている人はかなりの音楽通です)

人は狂って行くのが当たり前という諦念が根底にあるような音楽が、魅力的?です

 

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「ゴジラ」が今年、アメリカで復活するそうです。予告編では面白そうですが、前回素人以下の馬鹿野郎監督がリメイクした作品では、ゴジラへのリスペクト皆無の大駄作だったので、油断大敵です。

で、とりあえず復活を祝して、ゴジラがらみの本を集めてみました。

先ずはクレヨンハウス発行の「わが子からはじまる原子力と原発きほんのき」(300円)です。ゴジラは、ビキニ諸島の原爆実験で永住の地を追われて、全身に放射能を浴びて登場しました。言わば、人類の負の遺産を背負っています。だから、原発の本は外せません。

お次は、このゴジラ生みの親、円谷英二を知らなければなりません。明治34年に生まれ、大正14年、前衛映画「狂った一頁」の撮影に参加し、本格的に映画界に入りました。その後、特撮監督として地位を確立し、多くのゴジラ映画や怪獣映画、SF映画の製作を任されます。そして、映画からTVヘと活動の場を拡大して、ご存知ウルトラマンを送り出します。そのカツドウヤ人生を、多くの写真で紹介した「円谷英二」(小学館3000円)は、円谷特撮で大人になった方には、必需品ですね。今みたいなCG技術のない時代、知恵を絞って新しい映像を作り出した物作りの現場の熱気が伝わってきます。ご子息の円谷一さんが自ら編集されていて、父親の背中を追いかけた本としても魅力的です。思わず、笑ってしまいそうな写真も沢山あって、お父様への愛情が伝わってきます。

さて、円谷プロが送り出した大ヒットTVドラマ「ウルトラマン」シリーズの脚本を書いた金城哲夫のことをご存知でしょうか。沖縄出身の脚本家で、そのストーリーの節々に、悲惨だった沖縄戦の傷口が垣間見えています。本人がどこまで、沖縄戦のこと、アメリカに支配され続けた事を意図してシナリオに反映していたか、確実なことは言えませんが、山田輝子著「ウルトラマンを創った男」(朝日文庫300円)を読むと、彼の辿った数奇な人生が甦ります。69年円谷プロ退社後、沖縄に戻ります、しかし、76年、泥酔して、自宅の階段から滑り落ち、死去。享年37歳でした。

 

 

 

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映画「チョコレートドーナツ」(京都シネマにて上映中)観てきました。この映画のオリジナルタイトルは”Any Day Now”。へぇ〜ボブ・ディランの名曲”I Shall Be Released”のサビの部分の歌詞だと思っていたら、なんと、この映画のテーマに深く関わっていました。

ディランはこう歌います。

“Any Day Now,Any Day Now I Shall Be Released”

初めて、この歌を聴いたのは大学の時でした。”I Shall Be Released”は受け身の文章です。何から解放されるのか、歌はそれを語っていません。古いアメリカ社会への反抗なら、”I will get a freedom”みたいな確固たる意志が歌詞に反映されるはずです。それが、意味不明瞭な受身の文章……..? わからないまま、数十年は過ぎました。

映画は70年代、ゲイカップルが育児放棄されたダウン症の子どもを引き取る話です。当時、まだ同性愛は市民権を得ていませんでした。当然、彼等も、自分たちの素性が世間にばれてしまい、不当な差別に晒されます。そして、子どもの親権を巡って裁判になります。腕のいい黒人弁護士と共に、裁判を戦い抜き、迫害をはね除けハッピーエンドに!

残念ながら、そうはなりません。

今なら、彼等は法的に権利を保障され、一応は差別されることはありません。しかし、当時は違います。彼等は社会の落ちこぼれであり、唾棄すべき存在でした。そんな中でも、このカップルのように、多くの同性愛者や、差別された多くの人達が、小さな声を上げました。そしてそれが大きなうねりとなって、今日に至ったのです。

ゲイバーで歌い踊っていた主人公が、その声の素晴らしさを認められて大きなステージに立ちます。その彼が、最後に歌うのが、この”Any Day Now,Any Day Now I Shall Be Released”でした。

小さな声でもいつか願いは叶えられるかもしれない、いや無理かもしれない、でも、暗闇の向うにかすかな、かすかな光はあるかもしれない。

「いつの日か、いつかはわからないいつの日か、すべての苦しみから解き放たれるだろう」

そういう意味だったんですね、この歌は。

70年代、私がアメリカの大学で教わった女性教師は、同性愛者であることをカミングアウトしていました。住んでいたカリフォルニア州は同性愛については全米でも比較的寛容な地域でしたが、女性の同性愛となると好奇の視線にさらされていたはずです。もしかしたら、彼女も、この歌を口ずさんでいたかもしれません。

 

映画を観る時に、音響(音楽ではありません)に気をつかうようになったのは何時からだったでしょうか。私の場合は、ヒッチコックの「鳥」(63)でしょうね。オープニングタイトル、画面を横切る鳥達を捉えて、その後ろで響く羽音。きっと、鳥の苦手な人が観たら、ゾクゾクと寒気がするでしょう。本当の羽音なのか、合成音かはわかりませんが、ザザザッという不気味な音は見事です。

音響技術は、SF映画で飛躍的発展を遂げてきました。しかし、何の音もしない宇宙空間を包括的に捉えたキューブリックの「2001年宇宙への旅」における、深淵な空間を表現したのには驚かされました。沈黙がどこまでも続く音づくりって極めて困難な作業だったでしょう。

音楽の概念を360度引っくり返したジョン・ケージを解説したポール・グリフィスの「ジョン・ケージの音楽」(青土社1200円)で、ケージはこんな事を言っています。

「自分の音楽でも他人の音楽でも構わないのですが、その時私たちが本当に静かにしていて全員が耳をすましている状態があれば、そうしたこと自体が音楽であってくれたらいいと思うのです。」

これは、生活空間を取り巻く音が、プロが創作した音と同等の価値を持つことを言ってるのではないでしょか。しかし、今、街頭で静かに耳を傾けると、無意味な音楽、騒音、いら立つ大声という音の暴力で逃げ出しそうです。町から「音楽」が消えてしまっています。

オーバーレベル気味の音響と過剰な音楽ばかりの昨今の映画(最近では、無理矢理これに涙腺がゆるむ下品な歌まで付いてますが)や、TVの大群の前に晒される時、極めてシンプルな音で、物語を表現する作品に出会うと、ホッとしますね。特に、カーチェイスシーンに、大音響のエンジン音と同じぐらいの出力の音楽をぶつける輩には、マックィーン主演の「ブリット」を教科書として欲しいと思います。100数分間のシーンで、音楽なし、役者の音声なし、ひたすら最大出力で回転するエンジン音だけです。何事も過剰にならぬ事が肝要だとおもいます。

 

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ウッディ・アレン最新作「ブルージャスミン」を観ました。今年79歳になるアレンですが、こんな辛辣な映画を作るんですね。拍手ものです。

NYの超セレブだった女性が、夫が実はペテン師で全財産没収されたために一文無しになって、シスコにいる妹の元に身を寄せるところから映画は始まります。もはや、かつての買物やパーティーに明け暮れたセレブの日々はとっくに終わっているのに、その甘い生活が忘れられない彼女。下町のスーパーで働く妹や、瓶ビールをがぶ飲みする妹の男友だちを、冷たい視線で見下します。

下町であろうが、貧乏であろうが彼らは自分の力で生活している人達。それに比べて、唯一彼女のアイデンティティを証明できるのは、後生大事に持っているヨーロッパの高級ブランドのハンドバッグのみ。映画は、彼女の分身みたいなバッグを小道具として利用しながら、アメリカのハイソサエティーで踊らされた女と男の化けの皮を剥がしていきます。

その話術の巧みなこと!主演は、昨年度の映画賞総なめにしたイギリスを代表する美人女優のケイト・ブランシェット。グッチのサイン入り旅行バッグを、運転手に運ばせて登場する最初は、スキの無いセレブマダムですが、もうラストはスッピン、ノーメイクのボロボロ。ここまで、やるか、爺さんは。

前作「ミッドナイト・イン・パリ」は、極上の落語を聞いたような、「上手い!」と気分良くさせる作品でしたが、これはもう痛すぎて、逆に笑ってしまいました。ディレクターチェアに座って、シニカルに、映画を作り続けるあの小男のニタリとする顔が見えてきそうです。次回作も出来上がって待機中とか。増々お元気です。

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吸血鬼なら、この本というのが入荷しました。種村季弘編集による「ドラキュラ・ドラキュラ」(薔薇十字社・初版2800円)です。編者いわく

「数年前薔薇十字社から『吸血鬼幻想』と題するエッセイを公けにして以来、私は折りがあれば、血の糸につながれた真珠のように純白な吸血鬼の歯牙にも譬えられるような吸血鬼小説のミニチュアール・アンソロジーを編んでみようと考えていた。」

その本がこれです。15人の作家の短篇が収録されています。なんせ、編者が異端文学、魔術や錬金術、果ては神秘思想の研究者だけあって、選ばれている作品は彼の審美眼に叶ったものばかりがセレクトされています。その中に、空想科学小説の第一人者、ジュールヌ・ベルヌの作品が入っていました。ベルヌは、ほぼ全部、小学校の時に全集で読み、「海底二万哩」は。数回も愛読した作家でしたが、吸血鬼が登場する話は記憶にありません。読んでみると、長編「カルパチアの城」の一部を採録したものでした。しかも、ここには吸血鬼が血を吸うシーンなんてありません。何故ここに?

「メスメリスム(催眠術)は古来吸血鬼伝説の不可欠の要素である。また吸血鬼信仰の本場カルパチア地方に取材した一事からしても、作者が吸血鬼小説のユニークな変種を作ろうとしている意図は疑いを容れない」

と収録した理由を明らかにしています。催眠術が古来吸血鬼伝説には不可欠というのが、正しいのかどうかは浅学の私に解りませんが、種村季弘らしいセレクトですね。

性的エクスタシーと、背徳と、反キリスト的立場が混じりあって、深い闇の中で苦悩する彼には、独特の美が立ち上ってきて、それは魅力的な存在です。まぁ中には、ロマン・ポランスキーの映画「吸血鬼」の主人公みたいに、処女ではない女の血を吸ったために、のたうち回るという諧謔に満ちた人物もいますが、この本をきっかけに、ヨーロッパ幻想文学の一翼を担う吸血鬼文学の魅力に踏み込むのも面白いかも。

店内には、本家本元のブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(創元推理文庫600円)もあります。全500ページにも及ぶ大長編。後半、ペンシルバニアから、血を求めてロンドンに出てくるのですが、霧深い夜のロンドンって、まさに絶好の舞台です。ドイツの奇才ヴェルナー・ヘルツウォーク監督の「ノスフェラトゥ」は、最もこの原作に近い美意識で作られた傑作だと思いますが、主演のイザベラ・アジャーニがもう綺麗で、ドラキュラじゃなくても噛みつきたくなりますよ、きっと。

 

 

 

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お父さんが、「通学の途中、象には気をつけるんだよ」と言葉をかける。そして、少年は小さな妹を連れて、サバンナが広がる大草原を越えて片道2時間を歩いて学校に向かいます。すくっと立ち上がり、草原にいる象の集団を確認する少年の顔は、とても11歳には見えません。大人でもこんなに力強く、思慮深い顔の人はなかなか見当たりません。

 

これはドキュメンタリー映画「世界の涯の通学路」の巻頭の

シーンです。ケニアの少年は片道15キロを2時間かかって、そして、次に登場するアルゼンチンの少年とその妹は、片道18キロを馬に乗って1時間30分かけて学校に向かいます。石だらけの大地を巧みに馬を操りながらの通学です。

一番時間のかかるのはモロッコの少女です。なんと片道22キロを、4時間歩いて、学校に向かいます。誰もいない山道を仲良しの同級生の少女と一緒に歩き続けます。誘拐されて、人身売買されないのかと思いますね。少女は、鞄に鶏を一匹入れています。その、目的が×××だっだのには驚きです。そして、足に障害があって、歩く事が出来ないインドの少年は、兄弟にポンコツの車椅子を押してもらいながら、1時間かかって学校に向かいます。映画は、彼らの通学する姿をひたすら追いかけます。

「人間って何も持たずに生まれて、何も持たずに死んで行くんだよね」とは、このインドの少年の台詞です。

彼らは、何も難行苦行して何かを得たいがために、修行のために歩いているのではありません。ただ、学校に行くために歩いているだけです。とんでもない荒涼たる大自然のど真ん中を。携帯電話はもちろん持っていません。何か緊急の事が生じた時には、きちんと対処できるだけの知識を身につけています。私なら道に迷い、のたれ死に間違いなしです。大地が、大空が、吹き付ける強風が彼らの根源的な人間の強さを大きくしているのかもしれません。

ドキュメンタリー映画ですが、何だか、危機また危機を乗り越えて、敵中を突破してゆくサスペンス映画みたいな興奮と面白さを感じるのは、監督が膨大なフィルムを回して、その中からベストを編集していったからではないでしょうか。親達の愛情の深さ、細やかさに胸が熱くなり、子供達の兄弟姉妹、友人に対する深い信頼に感動します。
見応えのある、きっと今年の私のベスト3に入る作品です。(京都シネマで上映中です)

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