とある老人ホームで行われている虐待、窃盗の証拠を探すために、一人のスパイがその老人ホームに送り込まれました。スパイの御年83歳。多分、映画に登場した最高齢のスパイでしょう。「京都シネマ」にて上映中のチリ映画「83歳のやさしいスパイ」は、探偵事務所の募集に応募して合格したセルヒオが、ホームに潜入し、携帯電話の使い方も不慣れなのに、眼鏡型の隠しカメラなんかも使ったりして、大真面目に仕事をしていきます。

驚いたことに、これ、ドラマではなくドキュメンタリーなんです。つまり、探偵事務所に雇われた素人のおじいさんが潜入する、その様子をカメラに収めているのです。ホーム側には、もちろんあらかじめ記録映画を撮りますという了解を取っているとは思いますが、果たして入居者のご老人たちは、どこまで理解していたのでしょうね。

とにかくセルヒオは、このホームの入居者たちと暮らし始めるのですが、映画は、彼が老婦人たちと仲良くなってゆく様子を、様々な角度から撮影してゆきます。妻を亡くして間もないセルヒオは、とても優しい人で、ユーモアがあり、知性も兼ね備えているので、女性たちにモテます。

まるでハートウォーミングなドラマを観ているようで、上手い作り方です。監督はマイテ・アルベルディという若い女性。長編ドキュメンタリー作品で評価の高い監督みたいです。

入居者の笑顔、寂しげな表情、遠くを見つめる虚ろな横顔などを収めながら、一方でセルヒオという老人の人間性に迫っていきます。黒柳徹子が「老人ホームの映画の多い中で、ユニークさは、特別!」というコメントを寄せています。

映画館では、後部の座席に女房と並んで座ったのですが、前方を見ると、髪の毛の白い方ばかりがズラリ。そちらの景色もなかなか壮観でした。

 

映画館に足を運ぶとき、この辺りまで描いてくればいいなぁ〜と思いながら席に着き、まずまず期待通りだと、うん良かったという感想になります。

しかしたまに、こちらの意に反して、え?ここまで描くの?こっちへ行くの?みたいな映画に出会い、未知の世界へと誘い入れてくれると、傑作だった!と言ったりします。

カナダ映画「やすらぎの森」はまさに、そんな傑作の一本でした。世のしがらみを捨てた男たちが、誰も人がやって来ない森の奥の湖畔で、最後の人生を愛犬と暮らす日々を送っています。こう書くと、余裕ある人の引退後のアウトドアライフが頭に浮かんできますね。

誰もいない湖で、素っ裸で泳ぎ、愛犬と戯れ、畑を耕しているシーンはありますが、この作品、美しい情景描写で終わる映画ではありません。

男たちは三人。映画が始まってすぐに一人は亡くなります。残った二人の老人は、それまでと同じ生活を繰り返しています。ある日、そこへ、闖入者が現れます。少女時代に不当な措置で精神病院に入れられて、60年以上も外界と隔絶した生活を送ってきたジェルトルードです。

最初は、男たちと打ち解けなかった彼女ですが、この自然環境が彼女に力を与えていきます。そして、男の一人チャーリーと少しづつ近づいていきます。そして、お互いを認め合い夜を共にします。80歳を過ぎた老人二人の営みを、繊細に、優しく、誠実に撮っているのです。これには、感動しました。BGMは森で鳴く鳥の声と、ストーブで弾ける木の音だけです。

こんなシーン、男性監督には無理だと思っていたら、やはり監督は女性でした。1970年生まれのルイーズ・アツシャンボー監督は、丁寧に、丁寧にこの二人を撮ってゆくのです。

その一方で、老後を自由に生きている男たちが、自らの死について、自分で決着をつけようとしていることがわかってきます。三人とも青酸カリの瓶を持っていて、今日は死ぬにもってこいの日だと決めたら、その瓶の中身を飲むのです。チャーリーと最後まで一緒だったトムも、もう自分の体がこの冬は越せないと判断し、この世を去る決心をします。チャーリーと二人で穴を掘り、そこに入り、薬を飲みます。愛犬がどうなるか、ちょっと辛いシーンが待っています。

ジェルトルードを演じたアンドレ・ラシャペルは、1931年生まれのカナダを代表する女優。本作で引退するということで、70年近くに渡るキャリアに幕を閉じました。80歳を過ぎて、老いた自分の裸体を見せるなんて、簡単にできることではないと思います。よほど、この役柄が気に入ったのでしょう。その後、癌のため2019年11月に亡くなりました。享年88歳でした。

歌手の加藤登紀子は、「生と死の境界線を超えるテーマなのに、対話が詩のように美しい。」と表現しています。そうなのです、ほんとに詩のような映画なのです。心に響いてきます。劇中、トムが歌うレーナード・コーエンの名曲「バード・オン・ファイア」で、涙が溢れました。

 

 

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東京国際映画祭を始めとして、多くの映画祭で絶賛された映画「メランコリック」。劇場で見逃したものをDVDでやっと観ることが出来ました。監督、脚本、編集の田中征爾の才能に、もう拍手、拍手です。長編第1作で、東京国際映画祭監督賞受賞ですからね。

ストーリーだけ聞くと、血だらけスプラッタムービーみたいですが、そんなことはありません。

東大卒業後、アルバイトばっかりして、うだつの上がらない生活をしている和彦という青年が主人公です。たまたま行った銭湯で、アルバイト募集のチラシを見た和彦は、その銭湯で働くことを決めます。ある夜、銭湯は終わった時刻なのに、店内の照明が付いているのを見て不審に思った和彦は、とんでもない現場を目撃してしまいます。風呂場で、殺人が行われ、死体をボイラーに放り込んでいるのです。そして同僚は、実はヤクザに雇われた殺し屋だったのです。

そんな風呂屋のサイドビジネスになんとなく参加した和彦は、それから巻き込まれていくのですが、驚くべきことに映画のラストは大ハッピーエンドなんです。信じられます?

やばい事をやっているのに、どうしたことか登場人物全てが、極端なまでに淡白で危機感もなく、粛々とやっている感じ。むしろ脱力感があります。和彦の家族も、これまた飄々としていて、食事シーンなんか小津映画みたいな雰囲気です。

脇役として多くの作品に出ている村田雄浩が「いつの間にか登場人物に心を奪われている。最後には登場人物のその後が気になってしょうがなかった」と絶賛の文章を寄せています。和彦、和彦の恋人、同僚の殺し屋、風呂屋の親父、和彦の両親が、どうなってゆくのか私も心配してしまいます。こういう映画はどう考えても、最後は血みどろの悲惨な幕切れが待っているものですが、幸せ感いっぱいのエンディングなのです。それにしても風呂屋で飲むビールって美味しそう!

見終わってわかったのですが、映画が語っていたのは幸福って何だという事です。奇想天外な物語から、青春映画の眩しさを作り出した監督には脱帽しました。

本作品は、監督と二人の男性の三人のチームで製作され、クラウドファンディングで資金が集められて出来上がりました。なんとかして面白い映画作るぞぉ〜という熱意が作り上げた賜物ですね。ホント面白いし、めちゃ笑ってしまいました。オススメです。

 

昨日より公開の始まったドキュメンタリー映画「アメリカンユートピア」(京都シネマ)。音楽は人を幸福にするものなのだということを、久々に感じることのできたドキュメンタリーでした。

70年代のアメリカロックシーン、斬新な音楽性で一世を風靡したトーキングヘッズのリーダーのデビッド・バーンが、2018年に発表したアルバム「アメリカン・ユートピア」を元に、2019年にブロードウェイでショーがスタートしました。そのショーを、アメリカの差別問題を映画にしてきたスパイク・リーが監督しました。

圧倒的な舞台パフォーマンス!ハイレベルなマーチングバンドが舞台狭しと踊り、多種多様な打楽器が乱舞します。デビッド・バーン以下、パフォーマーは、パーカッション、キーボード、ギターを担いで踊るのです。全員グレーのスーツで素足。ギター、キーボードには配線がなく、全員が舞台を自由自在に動き回るのです。

デビッド・バーンは、世界中の民族音楽の持っている力強さを吸収し、自分の音楽をよりワールドワイドなものにする手腕を持っています。坂本龍一と組んだ映画「ラストエンペラー」で、見事オスカーを受賞しましたが、あの時も中国のトラッドなサウンドを取り込んでいました。

静かに展開していた舞台にパーカショニストが登場し、パワフルな音が響き渡たった瞬間、踊り出してしまいそうになります。日本的な音もあって、村祭りでトランス状態になって踊っている感覚になってきます。

血沸き肉踊る音楽が続きます。その音に包まれているときに感じる高揚感、あぁ〜音楽ってこんなに幸せにしてくれるんだ!! なんども目頭が熱くなってきました。踊りたいのに映画館では踊れない。あぁ、もったいないと思いながら、一曲終わるごとに拍手はしていました。混迷と不安の中を生きる私たちの意識を揺さぶり、その彼方にある喜びの世界に放り投げてくれます。

天国に召される時(あ、地獄行きか)に、こんな音楽を聴けたら、楽しい人生だったよねと思えることでしょう。

この熱狂に、皆さん酔って欲しいと思います。もう一回観に行くぞ!!

 

 

モロッコの山奥で暮らすアマジグ族の姉妹ハディージャとファーティマを見つめたドキュメンタリー映画「ハウス・イン・ザ・フィールズ」(京都アップリンクにて上映中)を観ました。

アトラス山脈の雄大な自然のもとで暮らすアマジグ族。伝統を重視して、その大自然の恩恵を受けて暮らし、数百年もの間、ほとんど変化のない生活を送っています。そこに暮らす姉妹。妹のハディージャは、頭脳明晰で学校でも優秀な成績で、将来弁護士を目指しています。しかし、姉のファーティマは学校を辞めて結婚することが決まります。ファーティマは19歳。もちろん、結婚相手のことを何も知りません。「結婚するのが怖い、けれど義務だから。」

この地ではまだ、自分で将来を決めることも出来ない状況が起こりうるのです。映画は、この地の美しい自然を描きつつ、大好きな姉とやがて離れ離れになってしまう妹の不安と寂しさを丁寧に捉えていきます。

ドキュメンタリー映画として、村の四季折々と、シンプルな生活の姿を記録しながら、その一方で、女性として自由を束縛されている姿を描いていきます。

圧巻は、ラストの結婚の祝いの儀式でした。夜のとばりの中、打楽器の音と村人たちの地を這うような声が大空に響き渡り、圧倒的リズムの繰り返しに段々とこちらも感情が高ぶってきます。

しかし、そんな宴の最中でも、笑顔ひとつ見せない花嫁ファーティマ。宴の終焉、顔をおおい隠すような布を被せられて馬に乗って出ていきます。夜が明け、姉が出て行った道を見つめるハディージャの後ろ姿を捉え、去った後もその場をしばらく見つめるカメラ。そこで映画は終わります。

監督をしたのはタラ・ハディト。映画監督だけでなく、写真家としても活躍しています。新国立競技場の斬新なデザインで、日本でも話題になった建築家のザハ・ハディトは叔母になるそうです。

ドキュメンタリー映画「ブックセラーズ」を観ました。世界最大規模と言われるNYブックフェアを裏側から覗き、古書業界では名前を知られたディラー、書店主、コレクターなどへのインタビューを通して、奥深い古書の世界を案内してくれる90分間です。

史上最高額で競り落とされたダ・ヴィンチや、ボルヘスの手稿、「不思議の国のアリス」のオリジナル原稿など、とんでもない稀少本もチラリと登場してきます。

ちょっと、フィルム止めて!と思った瞬間がありました。マンモスの標本付きの探検記やら、18世紀後半の化石の魚類の研究書をコレクションするデイブ・バーグマンの書架に、メルヴィルの「白鯨」がチラリと見えたような気がするのですが、もしかして限定特装版なのか、ゆっくり観たかったですね。

この古書の世界も、ご多聞にもれず男性が大半を占めていたのですが、女性のコレクターの中の一人、キャロライン・シンメルは、重要とされている女性作家の膨大なコレクションを持っています。また、1925年にNYに開店した「アーゴシー書店」を営む三姉妹は、NYの書店の変遷を語っていきます。この書店も登場しますが、ぜひ訪れてみたい雰囲気がありました。

映画の進行役とも言える作家、映画評論家のフラン・レボウイッツ(写真左)の辛口評論も面白く、ラストエンドロールの後、「私ね、D・ボウイが必ず返すからと言って借りていった本を、結局返さなかったわ。」とサラリと言い切りますので、ここまで席をお立ちにならないように。

映画のHPには、多くの方がコメントを寄せていますが、書店「title」の辻山店主や、先日当ブログで紹介した「BOOKNERD」の早坂大輔オーナーが文章を寄せています。私のイチオシ「夢見る帝国図書館」(古書1550円)を書いた中島京子が「ニューヨークに旅行して古本屋めぐりをしている幸福感を味わえる、本への愛に満ちた映画!」と紹介しますが、その通りです。

蛇足ながら、フラン・レボウイッツはマーティン・スコセッシの新作ドキュメンタリ「都市を歩くように フラン・レボウイッツの視点」でも辛口のユーモアと皮肉で大人気だとか。これも観てみたいものです。

 

 

手元に光文社古典新訳文庫で出たジロドゥの演劇「オンディーヌ」(古書400円)があります。漁師の養女オンディーヌは、騎士ヨハンと出会い、お互い強く惹かれ恋に落ち、ついに城で暮らし始めます。しかし、彼女は実は人間ではなく水の精だったという物語です。

このモチーフは古くはギリシャ神話まで辿ることができるそうです。アンデルセンはお伽話「人魚姫」を書き上げ、チャイコフスキーやドビュッシーはこの物語をベースに楽曲を作り上げました。ドイツロマン派のフリードリヒ・フケーが発表した小説「水の精 ウンディーネ」は、現代でも読み継がれています。わが国でも手塚治虫や、山岸涼子が漫画化し、三島由紀夫の自伝的小説「仮面の告白」にも登場しているのです。

この物語を、現代ベルリンの街に置き換え「愛する男に裏切られたとき、その男を殺して、水に還らなければならない」という宿命を負った女の物語として再生させたクリスティアン・ペッツォルト監督作品「水を抱く女」(京都アップリングにて上映中)を観ました。

映画は、まずは視覚に訴えるアートです。その点で、この映画はかなり優れています。と言っても、ケレンやCG満載だったり、滅多やたらとカメラが動き回るような過剰な映像のオンパレードではなく、ヒロインの横顔にすっとシンプルなタイトルが出るところから、端正な映像が最後まで続きます。私はこれに酔いしれました。

ベルリンの都市開発を研究する歴史家ウンディーネ。彼女は小さなアパートで一人暮らしをしながら、博物館でガイドとして働いています。恋人のヨハネスと別れて、辛い日々を送っていたウンディーネの前に潜水作業員のクリストフが現れます。惹かれ合う二人だったのですが、クリストフはウンディーネに違和感を覚え始めます。一方のウンディーネは、自分を裏切った恋人を殺し、水の世界へと戻っていかねばならない宿命に身を投じます。

この映画、ラストシーンが好きです。この終わり方!アンハッピーエンドとかハッピーエンドとかでは括れない静かな幕切れです。

水の世界に生きる彼女が、永遠の別れにクリストフに渡したものは? 泣けました!

「人を騙して面白いですか」と部下に問われて、「滅茶苦茶面白いです」と上司である主人公の速水がウキウキ顔で断定する。映画「騙し絵の牙」は、本好きの人はもちろん、書店員必見!です。

出版社内で勃発したお家騒動。文芸大手出版社の社長が亡くなり、次期社長の座を争って、営業畑と文芸畑で権力闘争が起こります。営業畑の専務が担ぎ出したのが、社内でも変わり者の編集者の速水でした。速水は、専務の無理難題をこなしながら、文芸畑の専務を追いおとすように画策していきます。しかし、速水の本当の狙いは、専務の追い落としではありませんでした。魑魅魍魎跋扈する社内の人間関係を手玉に取りながら、とんでもない方へと会社を導いてゆくのです。そら、人を騙すのは面白いはずや!

現在の出版の状況をきちんと描いているので、業界内部のことが理解できます。でも、本好きの人に見て欲しいと思ったのは、そこではありません。

速水の部下の女性編集者高野は、速水と共に行動しながら社内の権力闘争に加担することなく、あるべき出版の姿を考えていたのです。

実は彼女の実家は町の本屋なのですが、ご多聞にもれず本が売れなくなり閉店を決意します。その本屋を、退社した彼女が引き継ぎ、なんと彼女が目をかけていた作家の新作を自ら出版して、自分のところで販売してゆくのです。

本屋が出版部門を持つ。これ、最近増えてきました。京都の誠光社、名古屋のオン・リーディング、盛岡のBOOKNARDなど、個性的な書店が活発に本を出しています。そして旧来の流通ルートにのせずに、信頼のおける本屋に卸しています。ミニプレス、一人出版社と共に新しい出版の流れの一つです。

映画はそういう新しい流れが、出版の、本屋の、未来を作るかもしれないという希望で幕を閉じます。そこを本屋通いの好きな方々に見て欲しいと思いました。

原作は塩田武士。以前ブログでも「罪の声」を紹介しました。映画もよく出来ていて、こちらについても書きました。「騙し絵の牙」の原作もぜひ読んでみたいです。なおプレスシートによると、作家は原作を書く段階で速水の役を、大泉洋と決めていたとのこと。どうりで、ドンピシャはまっていました。

 

 

韓国映画「藁にもすがる獣たち」(アップリング京都にて上映中)は、「他人の金をとったらあかん」という当たり前の教訓を思い知らせてくれる傑作です。曽根圭介の犯罪小説が原作ですが、それを韓国最強のスタッフ&キャストで映画化しました。

事業に失敗したジュマンは、ある日勤務先の公衆浴場のロッカーに忘れてあったブランドもののバッグを開けます。そこには、大金が入っていました。欲しい!と思ったものの良心にしたがって、そのまま保管室に置いて帰ります。

ここから映画は、なぜここに大金があったかを描くために、過去へと戻っていきます。いわゆるリワインドムービーの形式ですね。本作が劇場映画デヴューのキム・ヨンフンは、スピードとユーモアをミックスしながら観客を引き込んでいきます。この大金には、それこそ「藁にもすがる」思いで金を工面しなければならない男たち、女たちが群がっていたのです。しかも全員、やばいことをやっていて表沙汰にが出来ない事情があるのです。この男たち女たちの過去を、並列に描きながら映画は現在へと戻ってきます。いやぁ〜上手い!

一旦はこの大金に手をつけなかったジュマンですが、やはり手を出してしまいます。そこに襲いかかってくる男たち、女たち。挙句に家を焼かれ、金も取り上げられてしまいます。焼け落ちる家を見つめるジュマンに向かって、母親が「嘆くな!朝鮮戦争の時は毎日こうだった」と励ますシーンがなんとも可笑しいのです。

さて、いよいよクライマックス。韓国映画お得意の血みどろ殺戮シーンで、関係者が「そして誰もいなくなった」状態になって終わりかと思えば、そうではないのです。

あのバッグを持った人物が足早に歩いてゆくのです。これ、オープニングと同じカットで進行します。え?誰やこれ? ここはもちろん言えませんが、いやぁ〜、もう座布団10枚あげたい。

こんな面白くて素敵な映画なのに、館内は閑散としてました。実に勿体無い!!

 

本年度アカデミー賞作品賞候補の有力作品、「ミナリ」と「ノマドランド」を続けて見ました。前者は、1980年代に農業で成功することを夢見て、アーカンソー州に移住した韓国系一家の生活を描いています。後者は、働いていた企業の倒産で居場所を失い、キャンピングカーに生活道具一式詰め込んで、国内を放浪する女性を描いています。

アメリカ映画が最も輝いていたと思う70年代、80年代には、多くのロードムービーやアメリカの田舎の生活を描く作品が登場しました。ベトナム戦争、格差、人種差別、同性愛など様々なテーマが色濃く出ていて、見応えのある作品が多かったと思います。それに比較すると、この二本の作品の描く世界は少し甘いと感じました。

しかしだからと言って、作品の価値が下がるものではありません。「ミナリ」で描かれるアメリカ西部の大自然、「ノマドランド」ではまた異なった色合いを見せるアメリカの大地の姿は、彼らが置かれている厳しい現状とは、全く違う天国のような景色で、心に染み入ります。

「ミナリ」の夫婦は、元々は西海岸で生活していましたが生活は安定せず、新天地を求めて西部の田舎町にやってきました。アジア人への差別は登場しませんが、おそらく過酷な体験をし、そこから抜けて何もない土地を耕し、農作物を作ることでアメリカンドリームを得ようとしたのです。今なお、アジア人への差別や暴力があるこの国の80年代の姿だと思います。

一方の「ノマドランド」、一人ぼっちで放浪する女性は各地に点在する放浪の民と知り合い、放浪生活の知恵を学んでいきます。彼らを狙い撃ちする暴走族や、暴力集団が数多くいると思いますが、ここでは全く登場しません。しかし、経済格差で数多くのアメリカ人が、こんな不安定な生活を余儀なくされているはずです。もちろん、現在の日本にも車の中で寝起きしている人たちは沢山います。

「ノマドランド」を監督したのは中国系監督クロエ・ジャオ。まるで西部劇に登場するカウボーイが美しい自然の中を旅してゆく姿のように、ヒロインを撮っていきます。

荒廃し、混沌としてゆくアメリカ。特に、マイノリティーや社会からの脱落者への差別は、想像以上に深刻なはずです。そんな時代に、いやだからこそ、こんなにも美しく胸に染み込む映画が、同時に二本も登場しました。主人公たちの心の闇や悲しみは、表立って描かれてはいません。しかし、画面の奥にはそういうものが存在していることを確実に伝えている映画です。