先日、 DVDで「20センチュリー・ウーマン」を観ました。三世代にわたる女性の人生に焦点をあてた良い映画でした。三人の中で、写真家を目指す若い女性アビーを演じたグレタ・カーウィグが、初めて監督した映画「レディ・バード」。各映画祭で、高く評価され、アカデミー賞レースでも監督賞受賞になるかと話題になっていました。

アメリカ西海岸の、ちょっと田舎の都市に住む高校生の娘とその母親の物語です。何の刺激もない町から出て、NYの大学へ行こうとしている娘と、その娘のために、細かいことまで指導する母。お互い、口喧嘩が絶えません。映画は、二人の毎日の些細な事柄を丁寧に描き出して、等身大の二人の女性の日々を追いかけていきます。好きになった男の子が、実はゲイだったとか、父親が職を失い、鬱になっていくとか様々な事は起こります。でも、殊更に大げさに取り上げて、強引に感動を呼び起こすような愚かな演出をカーウィグ監督は選択しませんでした。

誰の日常にもある、瑣末な、または納得しがたい事柄をなんとか乗り越えて、ほんの少しだけ前に進むことが、生きるってことだと励ましてくれるような映画です。自分の住んでいる町を出たいという娘の気持ちも、地元の大学に入って、着実に歩んでほしいと思う母親の気持ちも、よくよく理解できます。越えられない溝を残したまま、娘はついにNYへと旅立ちます。しかし、その一方で、彼女は母の愛情の深さ、人生の悩みに気づき始めます。映画はさり気なく終りますが、そこが素敵です。人が身近な人の深い気持ちを理解するのは、こんなものなのです。

娘を演じたシアーシャ・ローナン、母親役のローリー・メトカーフを見ていると元気になること間違いありません。気持ちが下向きになった時、不安に押しつぶされそうになった時、この映画は、きっとどこかで支えてくれるような気がします。

 

 

ウェス・アンダーソン監督の新作「犬ヶ島を観ました。膨大な人力と時間のかかるストップ・モーションアニメです。

静止している物体を、1コマ毎に少しずつ動かしてカメラで撮影し、あたかも連続して動いているかのように見せる技術で、通称「コマ撮り」と呼ばれる技法で作られています。まだアニメ技術の進んでいなかった時代のやり方で、CG全盛期の昨今、長編で作ろうなどという輩はおりません。

しかし、アンダーソン監督は2011年、ロアルド・ダールの児童文学「父さんバンザイ」を原作とした「ファンタスティックMr.FOX」で、ストップ・モーションアニメに挑戦しています。総勢670人のスタッフを従えて、なんと4年がかりで完成させました。これだけでも拍手喝采ですが、なんといっても中身が面白い。

舞台は近未来の日本のメガ崎市。ここではドッグ病が蔓延し、人間への感染を恐れた市長が、すべての犬を“犬ヶ島”に追放すると宣言します。怒りと悲しみと空腹の中、さまよっていた島の犬たちの前にある時、一人の少年が小型飛行機で島に降り立ちます。少年を守っていた犬スポッツを捜しに来たのです。この少年アタリと、個性的な5匹の犬たちの友情と冒険を描く物語です。廃棄された原発、ゴミだらけの島、そして極端な情報統制の政治状況など、今の日本の姿も巧みに捉えています。

これをCG技術で映画化していたら、これほど面白くなかったのではないかと思います。一コマ、一コマ動かしながら撮影された犬たちの毛並み、表情が、リアルを通り越した不思議な空気を作り上げています。黒澤映画へのオマージュ、宮崎アニメへの憧憬、浮世絵や歌舞伎などの日本のクラシックな文化への、愛情とリスペクトなどがいっぱい盛り込まれています。しかし、それが単なる引用や、オタク的ネタだけに陥らず、細部にまで徹底的に拘りぬいた作りによって、全く新しい映像世界が出来上がりました。

もし、ディズニーがこの物語を映画化すると、家族皆で泣ける愛犬と少年の感動作品という映画になってしまいそうです。しかし、アンダーソンの映画にはそんな部分は全くありません。感動なんてどこふく風。この映画は、今どき膨大な時間と資金を使って、アニメ初期の技法で面白い物語を作るという、途方もない夢を実現させた作り手たちの、映画への愛を傍受する作品だと思います。ベルリン映画祭で監督賞を受賞したのも、きっと「良くやった!」という欧州の映画人たちの気持ちなのです。是非、不思議な「犬ヶ島」の世界をお楽しみください。

 

 

 

ダニエル・デイ=ルイス主演の「ファントムスレッド」は、一言で言っちゃえば、女なんていつでもコントロールできて、自分の邪魔にならない存在だと思い、そうして生きてきた我がままな男が、女にじわりじわりと支配されてゆくという物語です。

こういうお話は、例えば「美女と野獣」で勇敢な女の子が、頑な野獣の心を変えて行ったように、あるいは、「マイ・フェア・レディ」で、実験材料のように扱われていた女性が教授の心をつかんでしまうなど、手を変え品を変えて、映画化されてきました。

ところが、一風変わった映画を撮り続けてきたポール・トーマス=アンダーソンの手にかかると、新鮮な驚きに満ちた作品に生まれ変わりました。

舞台は1950年代のロンドン。多くの大金持ちの顧客を持つ、天才的な仕立て屋レイノルズは、田舎のレストランでウェイトレスのアルマに出会います。一目惚れした彼は、デートの後、彼女を自宅へと連れて来ます。彼女の方も、もうこれは結ばれると思っていたはず。ところが、彼は、早速試作中のドレスを着せて採寸を取りはじめます。え?なに?これ??容姿が気に入っただけかい。

アルマは戸惑いながらも、彼のオフィスで住み込みで働き出します。レイノルズの、女性への対応は極めて冷淡。やれ彼女の珈琲の飲み方がどうとか、パンにバターをつける音がうるさいとか、朝から仕事の邪魔だと言ってしまう男です。

映画は、レイノルズの横に寄り添って、仕事や生活全てを仕切る姉を含めて、三人の関係を濃密に描いていきます。

レイノルズを愛するアルマは、徐々に彼の中における自分の地位をあげて、レイノルズを自分の支配下に置こうと画策していきます。どんなことがあっても自分流を通していた彼が、アルマが一人で踊りにゆくと、途端に右往左往するというように、ペースを乱されてしまいます。冷静に、自分の計画を進めるアルマが、やがて映画をリードしていきます。でも、エキセントリックな、或は暴力的なシーンなんか全くありません。終始美しい画面はそのままで、監督の手腕が冴え渡っています。

そしてラストは、レイノルズの幸せそうな表情で幕を降ろします。使い古されたはずのストーリーですが、ずば抜けた演技力を持つ魅力的な役者三人と、モダンなセンス溢れる監督の腕で、見応えのある作品に仕上がりました。お腹いっぱいになりました。

 

 

80歳の鋤田正義さんが、カメラぶら下げて、飄々と街を歩いているのを見たら、写真好きなおじいちゃんだ……ときっと思われるでしょう。

鋤田正義、カメラマン。只者ではありません。70年代、彼の写したロックバンドTーレックスのマーク・ボランの、白黒ポートレイトが大旋風を巻き起こし、多くのギター小僧に愛されました。その後、デビッド・ボウイと親交を深め、彼を被写体とした優れた作品を発表し、YMO、忌野清志郎などのジャケット写真を撮影してきました。今まさに旬の、是枝裕和映画のスチール写真なども手掛けてきた人物です。

鋤田のドキュメンタリー映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」には、多くの人物が登場します、YMO時代に親交を結んだ坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣。デザイナーの山本寛斎、ポール・スミス。スタイリストの高橋靖子、俳優の永瀬正敏、リリー・フランキー、映画監督のジム・ジャームッシュ、コピーライターの糸井重里たちなどが、それぞれに彼へのリスペクトをこめて語ります。

ニューヨークやロンドンを、ゆっくりした足取りで歩く鋤田が映し出されますが、多くの大物アーティストを撮影してきた気負いや、大御所ぶったところが全くありません。被写体になった人物、ボウイはもちろん、YMOの三人しかり、みんな彼との間に、強い信頼関係が築かれています。細野晴臣は、他のカメラマンに撮影されると、まるで武士が刀で切り込んでくるような恐怖があるが、鋤田にはないと表現していました。相手の懐にすっと入り込んで、安心させるような力があるみたいです。上から目線でしゃべらず、威張りもせす、真っ直ぐに相手を信頼し、好奇心一杯で新しいことに飛び込んでゆく、彼の人間力の魅力を映画は浮き彫りにしていきます。

糸井重里が、鋤田を「とても柔らかい人」だと語っていました。さすが、コピーライター!見事な表現です。「柔らかい人」って、とても魅力的ですね。でも、なかなかそうはできません。特に、年齢を重ねてきて自分の世界観を確立すると尚更です。

ロックスターを撮影してきたカメラマンのドキュメントと言うよりは、深い表現力を持った、一人の男性のしなやかな心の在り方を学ぶ映画として、オススメです。

店頭にある忌野清志郎の「メンフィス」 (CD900円)のカバーフォトも鋤田作品でした。

映画館で見逃したアトム・エゴヤン監督作品「手紙は憶えている」をDVDで見ました。

認知症が進行し介護施設で暮らしている、90歳のゼブという名前の老人が主人公です。数ヶ月前に愛妻のルースが死んだ事さえ、忘れてしまう日々を送っています。

彼は、アウシュビッツ収容所に収監、生き残ったという過去を持っていますが、偶然にも同じ収容所で生き残ったマックスと、この介護施設で再会していました。ある日、ゼヴはマックスから、自分たちの家族を虐殺したナチスが生き残って、名前を変えてアメリカに住んでいるという情報の手紙を託されます。同じ名前の人物は、3人にまで絞り込まれていました。体の不自由なマックスに、復讐を頼まれた彼は、最後の力を振り絞るようにして、仇を探して3人の元へと向います。列車を、車を、バスを使ってカナダ、アメリカを旅する、一種のロードムービーになっていきます。

候補の一人目は、病院で瀕死の状態でした。しかし、彼は実はアウシュビッツ収容所に入れられていた同性愛者でした。愕然とするゼヴですが、二人目に向います。

二人目の男はナチスでしたが、アウシュビッツとは関係なく、既に死亡していました。警察官をしている息子が一人残っていましたが、この息子、実はナチの信奉者で、ゼヴがユダヤ人であることを知ると、侮蔑的な言葉を投げつけ、愛犬をけしかけ、険悪な状況になってしまいます。そしてゼヴは、誤ってその警察官を射殺する最悪の事態を引き起こします。ポツンと佇むちっぽけな家で、一人酒を煽る孤独な男が、ナチ信奉者だったという状況はゾッとします。

暗澹たる気持ちのまま、三人目の男を訪ねます。娘と孫に囲まれて平和に暮らしている老人。これがまさに、その人物だったことがわかるのですが、ここで、とんでもない展開が待っていました。家族を殺したと詰め寄るゼヴに、その老人は恐ろしい真実を伝えます。そこから後のことは、ぜひDVDでご覧下さい。最後には、ゼヴに手紙を託したマックスの正体も描かれますが、マックスが実はナチスだったか…..などいう単純な結末ではないです、念のため。

見終わった後、置いてけぼりにさせられた感覚が残ります。これって、サスペンス映画だったん?それともアウシュビッツの悲劇を描いたもの? もちろんそのどちらでもありますが、ここではゼヴの認知症が大きく関わってきます。

ゼヴを演じるのは、今年89歳のクリストファー・プラマー。マックス役は、TV「スパイ大作戦」でお馴染み、マーティン・ランドー。昨年89歳で亡くなりました。二人の老優が見せる、癒される事のない過去の苦痛、そして老いの悲しみ、切なさが見所です。

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

よろしくお願いします。

1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていました。国防総省はベトナム戦争についての調査を行い、その結果を膨大な量の機密文書を作成していました。その一部が、ニューヨーク・タイムズに掲載され、国民の注目するところとなりました。一方、ライバル紙のワシントン・ポストはその文書を入手することができずにいました。

スピルバーグ監督作品「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」は、遅れをとったポスト紙が文書を入手し、ニクソン政権の発行妨害に屈することなく、戦争の真実を世の中に公開するまでを描いています。

気鋭の編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)の活躍を描く一方、ワシントン・ポスト社長で史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(演じるはメリル・ストリープ)の、報道するか否かギリギリの判断に重点を置いています。

当時、ポスト紙は経営に行き詰まっていて、運営資金獲得のため自社株の株式市場への公開を目指していました。しかし、政権に楯突く様な記事を掲載すれば、裁判沙汰になる危険もあり、そんな企業に投資家が資金を出すことには消極的な状況になりかねません。

何としてもこの文書の掲載を進めたいという編集主幹のベンとは裏腹に、経営者として会社を危険に晒すことを恐れるキャサリンの2人は、真っ向からぶつかることになります。まくしたてるベンと、落ち着いてさばいてゆくキャサリンの演技合戦は、名優二人の見せ場。

映画の最初で、キャサリンが銀行家たちとのミーティングに向かうシーンがあります。居並ぶ銀行の男たち。まだまだ、女性がビジネスの最前線にいることが珍しかった時代。彼らはどんな目でこの女性を見ていたのでしょうか。紳士づらした顔の下には冷淡さと、差別意識があったはずです。

ベンの妻が、キャサリンは想像もできないぐらい辛い立場にいて、謂れのない差別や侮蔑の嵐の中にいることを見抜いています。そして、夫に「この決断を下すのは彼女の財産や人生そのものの新聞社を賭けることになる。とても勇気ある決断だ。でもあなたには失うものは何もないはず」と指摘します。映画は一新聞社の報道にかける執念を描きながら、実はキャサリンという女性の勇気と決断を浮かび上がせていきます。

後で知ったのですが、この映画には製作者、脚本家その他スタッフに大勢の女性が関わっています。だからこその視点で描かれたのですね。

★ご予約開始

今月下旬、吉田篤弘の新刊「神様のいる街」が夏葉社より発売されます。「神様のいる街」とは神保町と神戸。筆者が通った本屋さんや、カフェが登場します。ご予約先着5名様に限り、サイン入を予定しています 。また、本作には幻の処女作「ホテルトロールメモ」(30p)も収録されています。

 

マウゴシュカ・シュモフスカ監督によるポーランドの映画「君はひとりじゃない」は、第65回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で上映され、銀熊賞を獲得。グディニャ映画祭で金獅子賞、第29回ヨーロッパ映画祭で観客賞を獲得しています。

妻に先立たれた中年男。残されたのは、意思疎通のできていない一人娘。母の亡き後、精神のバランスを崩し、父とはほぼ断絶状態になっています。そんな彼女に寄り添う、セラピストの女性には、実は霊を呼び寄せる力が備わっています。

と、ここまで書けば、そのセラピストが母の霊を呼び、それを機に、父と娘との歪な関係に終わりがくるという結末を予想されますよね。いや、私も半分そう思っていました。映画はそんな風に進んでゆくのですから……

メタボ体型である検察官の父(古谷一行に似てる)は、仕事や食事を機械的にこなすだけの味気ない日々を繰り返しています。ウォッカしかない冷蔵庫がその象徴です。一方、娘は摂食障害を患って痩せこけています。生きる喜びも実感も欠落した日常描写の一方で、心霊描写を随所に絡ませていきます。家族の絆が切れて、ひとりぼっちで生きてゆく二人の姿を見ているのは辛いものです。

にしても、亡くなった母の霊を呼ぶことだけで、この二人の絆が戻るなんてことあるの?と思いながらドラマを見守りました。ラスト、このセラピストが自宅にやって来て、三人が手をつないで母の霊を呼び寄せる儀式が始まります。やっぱ、そういう映画なのだ、と思った瞬間、こ、こんなラストありか?!こんなに滑稽で人間臭い結末ありか!!と仰天しました。

そうだよな、人間には体温があるんだ、だから暖かいんだ、という当たり前の事がこれ程感動するなんて!!古谷一行、じゃない、この中年男のくしゃくしゃ顔に、父ちゃん良かったな、あんまりウォッカばっかり飲んだらあかんで、と声をかけたくなりました。

この女性監督、やるなぁ〜。暖かい涙で一杯でした。

1988年「タイムマシンにお願い」で漫画家デビューした杉本亜未。SFから時代劇まで幅広い作品を送り出してきた彼女が、映画大好きいっぱいの本「CINEMA TAMASHII! 」(ミニプレス/1200円)を出しました。

一言でいえば、笑えます!!

さすが漫画家だけあって、取り上げられた映画のキャラクターを魅力的に描いています。「『コリアンジウム』熱いストーリーに燃え、いい男のオンパレードに萌える、あふれる映画愛を描いたイラストを一堂に」という見出しで、韓国映画から始まります。

私も最近観ましたが、血だらけ、オカルトどろどろ、後味が最高に悪いのに傑作だった(?)映画「哭声/コクソン」に登場する不気味度世界一の國村凖のフンドシ姿のイラストは、お見事。「ふんどし ふんどし一丁で山の中にいるんですよ」てっいうキャプションも最高です。

昨年劇場で観たゾンビ映画「新感染ファイナルエクスプレス」の紹介では「釜山行き、KTXにゾンビウィルス患者が乗って、アッというまにお客様がゾンビに!ワクワクする展開でテンポ良く進みゾンビも元気で良くて楽しかった」と、大喜び。

イラストや文章で、ちょっと観てみようかという気にさせてくれます。かなり好みが偏っているので、そういう気にならない人もいるでしょうが、真面目な映画評論ではなく、映画好き女子が、キャー!ワー!ムフフと、泣いたり、驚いたり、うっとりしたりして映画を楽しんでいるのを一緒に体感できます。

もう一冊、”笑える”映画本をご紹介。

繁華街で因縁を付けられた著者が、逃げるように飛び込んだ映画館で、上映されていたのはスプラッタ映画『悪魔にいけにえ』。「その怖さに(同時に”痛さ”に)驚き、冒頭の30分くらい、女の人が犯人のフックに引っかけられるシーンでもう我慢できず。『うわーっ』と叫びながら立ち上がって、映画館を出てきてしまったのである」

これ、音楽家細野晴臣「映画を聴きましょう」(キネマ旬報社/古書1400円)の一節です。日本の音楽シーンをリードしてきた細野の、映画音楽を中心にした本だけに、マニアックな情報満載かと思いきや、案外オーソドックスな内容。音楽家を描いた映画のベスト1が「五つの銅貨」(59年)、2位が「グレンミラー物語」というのですから。

ところで、映画館から逃げだした彼は、その後どうしたか。

「その怖さに負けた自分がくやしかった。それがきっかけで、ホラー映画から逃げずに、むしろ積極的に観に行くようになったのである。」とか。偉いなぁ〜。

 

★4月9日(月)10日(火)連休いたします。

4月11日(水)から、京都の出版社ミシマ社の展覧会『ミシマ社と京都の本屋さん』を開催します。

 京都の本屋さんマップをレティシア書房の壁に作り、刊行した書籍や制作資料も展示します。お楽しみに!

 

 

ヒエロニムス・ボスと聞いて、あっ、あの気色悪い絵を描く画家かと思われる方もあるかもしれませんね。

人物像はおろか、生年月日すら不明。後年、ブリューゲルやダリ、マグリットなど多くの画家に影響を与えた謎の多い画家ですが、肖像画も残っていないそうです。緻密な描写で、天国と地獄を所狭しと描いた代表作『快楽の園』に着目し、奇想天外なボスの世界を、ドキュメンタリーにした映画「謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス」を観てきました。

「快楽の園」は、1490年から1510年の間のいずれかの時期に描かれたもので、スペインのプラド美術館に所蔵されています。

奇々怪々、グロテスクに満ちていながら(写真左上)魅力的な作品で、いつまでも魅入って佇んだり、その描写に思わず笑っている人や、あっけにとられている観客を映画は捉えています。作品を巡って美術史家、作家、哲学者、音楽家、アーティスト達がそれぞれに熱い思いを語っていきます。それにしてもです、映像で捉えられた「快楽の園」の細部をじっくりと見ていると不思議な感覚になってきます。

エロチックであったり、オカルト風であったり、スプラッタ風であったり、これはギャグか??と思わせたりと、様々な場面がぎっしり充満しています。ボスが、誰のために、何のためにこの作品を描いたのか、全く不明です。描かれている世界が天国なのか、或は地獄なのか、多くの論争を巻き起こしましたが、これもまた不明のまま。ただ、何でもありの世界をじっくりと見た人が皆、それぞれの物語を語りたくなってくるのです。

平凡なセンスを吹き飛ばすボスの作品に一度トライしてみて下さい。

映画「謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス」の優れているなと思ったところは、監督が選んだ音楽が完璧に画面にマッチしていることです。ジャック・ブレルのシャンソン。エルヴィス・コステロの「オベロン・アンド・ティタニア」。「快楽の園」の世界をそのもののようなラナ・デル・レイの唄う「Gods&Monsters」。カール・リヒターのオルガンで、「憐れみたまえ、わが神よ!」等々、クラシックから現代のロックまで、その選曲のセンスに脱帽しました。

今年のアカデミー作品賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」は、とても素敵で、なおかつ今のアメリカの状況を象徴するような傑作です。

監督のギレルモ・デル・トロに心より拍手します。彼は、幼い時に観た「アマゾンの大半魚人」のことが忘れられなくて、なんとか自分なりの半魚人ものを監督しようと資金集めに奔走します。が、「半魚人と人間の女性の恋物語?はぁ〜?何それ?」という反応ばかり。なんとか資金調達の目処がつきるかなと思うと、もっと美女を出せとか、実は半魚人がイケメンだった、とかに変更せよという注文がつく。ならば自腹切って、と製作に着手しました。

その結果、監督が夢みた世界が、誰にも邪魔されずに描かれました。舞台は1960年代、捕獲された半魚人が、とある軍事研究所に連れてこられて、研究対象にされます。ここで働く中年の掃除婦が、半魚人に恋をするという物語。若く美しい女性もいないし、男はいつか王子様に変身するわけでもありませんが、泣きたいほど美しいラブストーリーが出来上がりました。

黒人公民権運動が盛り上がってきた、60年代の時代設定が巧みです。当時のアメリカは白人優位で、白人以外は人として認められていません。カフェに来た黒人カップルが、出て行けといわれるシーンがその象徴です。半魚人に恋する女性は、口がきけない障害者です。彼女の友だちは、同じアパートに住むゲイの初老男性と、職場の同僚の黒人女性だけ。黒人と同じように、当時はゲイに対する差別も今とは比べものにならないくらいひどいものでした。

そんな社会のマイノリティー達が、やはり無理矢理自分の国から連れてこられた奴隷同然の半魚人を逃がそうとするのが、後半のサスペンスです。メキシコ生まれの監督の、かつてのハリウッド映画へのオマージュ溢れた演出には、涙してしまいます。

軍事研究所の暴力的な警備責任者は、半魚人を殴るわ、蹴るわ、果てはヒロインに迫り、声が出ないの知っていながら「お前のあえぎ声が聞きたい」などとほざく、パワハラ・セクハラの大バカ者です。そして、彼がいつも読んでいるのが”The Power of Positive Thinking” 。マクドナルド創設者の数奇な生涯を描いた「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」で主人公が愛読していたベストセラーです。「強いことが正しいことだ。勝つ事が正しいのだ」と説くこの本は、ほとんど本を読まないトランプ大統領の唯一の愛読書とか。おわかりですね。そう、映画はトランプ大統領の、マイノリティーへの嫌悪という今のアメリカを、暗に浮き上がらせるのです。しかし、反トランプを前面に押し出すことなく、ファンタジーとして実に美しい結末を用意しました。

美しく切ない恋物語に酔いつつ、やっぱり今のアメリカは危ないことを再認識しながら映画館を後にしました。