ブライアン・フェリーのCDがお客様のリクエストに応じて数枚入荷しました。

フェリーといえば、ロキシーミュージック。ロキシーといえば”More than This”で、ディスコ、カルチェラタンやアトランティスで、目と目を見つめ合って、手を絡ませていた貴方、甘い想い出が蘇りますなぁ〜。

彼の音楽は、とてもヨーロッパ的です。貴族趣味なくせにスケベ野郎で、エスタブリッシュメントでありながら、どっか崩れている、そんな雰囲気をまき散らすシンガーです。この感じ、新興国のアメリカの歌い手には出せません。よく知られている「煙草が目にしみる」という曲は、いろんな人がカバーしています。もちろん、アメリカの多くのシンガーも。でも、どうも感情過多というか、聞いていて、ハイ、お上手です、パチパチパチみたいな気分にさせられるんです。ところが、フェリーが唄うと、途端にちょっと退廃的で、醒めているのに、センチメンタルな歌になるのです。

この人の持っている雰囲気は、他に探してもいませんが、あえて言えば、私は奥田瑛二が持っているように思います。北方謙三原作の「棒の哀しみ」を日活ロマンポルノの第一人者柛代辰巳が監督した映画を観た時に、どうしようもないチンピラなのに、フェリー的なエレガントさが、ちょっと漂っていました。

さて、文学で彼の音楽に近い作品を探すとなると、そんなにヨーロッパ文学を読んでいない私には困難な作業ですが、M・デュラス「ヒロシマ、私の恋人」(筑摩書房700円)を思い浮かべます。

「ヒロシマである。(二人は、一緒にベッドの中で裸になっている)光はすでに移ろっている。情事のあとである。時間が経過している」

意識の流れを中心に展開する小説のような、散文のようなわけのわからんお話ですが、「おねがい、私を食べつくして、私の形を、醜くなるまで、変えてしまって」とすがる彼女に相応しい男はフェリーみたいな輩でしょう。この小説をベースに映画化された「二十四時間の情事」に出演していたのは、若き日の岡田英次。そう言えば、彼にもそんな雰囲気ありましたね。

Tagged with:
 

「東京家族」、「カルテット」、「25年目の四重奏」、「アンコール」そして、先日観た「クロワッサンで朝食を」と、このところ私が行った映画は何故か、じっちゃん、バァちゃんの主演映画が多い。独り奮闘努力していたのは「007スカイフォール」のジェイムス・ボンドだけなのだが、この映画も後半は彼の上司Mが主役で、名女優ジュディ・ディンチが演じる老いたMの最期を見届けるはめになるという始末。

さて、ジャンヌ・モロー主演「クロワッサンで朝食を」は、彼女なくしては成り立たない作品です。お金持ちで、孤独な老女と家政婦の交流のストーリーなんて、新鮮味があるわけはありません。ひとえに老人役を演じる女優が奥深い人間の業を、その皺だらけの顔に出せるかどうかだけです。孤独、嫉妬、怒り、そして喜びを、大げさにでなく、ほんのちょっとした仕草に表現できうるかでしょう。

そして、映画は、見事にその点をクリヤーします。彼女は1928年生まれで今年85歳。ちょっとした動きや、台詞回しに祖国エストニアを捨てて、フランスで成功したフリーダという女性の決して幸せとはいえなかった人生を表現します。ジャンヌ・モローの映画で好きなのは、「死刑台のエレベーター」(57)、「黒衣の花嫁」(69)、「危険な関係」(59)です。この三作に共通しているのは、立ち姿、歩く姿の、一言でいえば「大人の美しさ」でした。もちろん、この映画では、そんな往年の姿を見ることはできません。しかし、カフェでウォッカを一口飲むシーンで、やはり「大人の美しさ」を見せてくれました。

青春時代、フランスの女優といえば、カトリーヌ・ドヌーブやジョアンナ・シムカスが身近な存在で、その点モローは遠くの人で、興味がありませんでした。けれど、少し大人になってから観た彼女の映画は、とても魅力的でした。ルイ・マルと組んだ「恋人たち」、「鬼火」等で見せる冷たい顔の下の複雑な人間の感情を読み取ることができました。大人にならないと、その魅力が迫ってこない女性です。ガキにはわからん、という事ですね。

映画館は非常に混んでいましたが、隣りで上映している「夏の終わり」はさらに混んでいました。原作は瀬戸内寂聴。ここにも老人力が………..

店には、渋いモローの珍しいCDがございます。映画の帰りにでもお寄り下さい。(フランス盤800円)

Tagged with:
 

イングマール・ベルイマンの後期の作品、「秋のソナタ」がニュープリントされ上映されていたので、観に行きました。スウエーデン出身のベルイマンの映画は難解なことで知られていますが、学生時代に見た、傑作と言われる「冬の光」なんて、多分一番よく寝られた映画です。どこで目が覚めても、礼拝堂で主人公の修道士がボソボソしゃべっているといましたっけ。画面は美しかったですが。

「秋のソナタ」はその点、舞台劇みたいで完璧に作られているので解りやすいのですが、この母と娘の底なしに深い関係には、男は敵いません。「娘の不幸せは母の幸せ」なんて台詞がポンポン飛び出すとんでもない映画です。

何十年かぶりに再会する、娘と母(演じるはイングリット・バーグマン)。一見幸せそうに見えていた二人ですが、憎しみ、深い孤独、嫉妬等の様々な感情が吹出し、お互いを責め合う。娘役を演じるベルイマン映画の常連リブ・ウルマンの母親の追い詰め方が凄まじい。もう殆ど、母親の顔に接するぐらいの近さで、幼少時代の自分の孤独と母の責任を問いつめる。よくも、まぁこんなシビアな映画作るもんですね。演出しているベルイマンが、まだまだやるぜぇ〜!!こんなもんで終わらんぞ!!と気合い十分にメガフォン振り回している姿が見えてきそうです。

73年に公開された「叫びとささやき」も美しいポスターに魅かれて観に行きましたが、凄まじい!勘弁してください!!というぐらいきびしい視線で女性を描いた映画でした。妥協のない映画とはこういう作品です。もちろん、「秋のソナタ」も最後、母と娘がその過去を乗り越えて、お互いを認め合うハッピーなエンドシーンは用意されていません。あのラストの受け取り方はそれぞれ違うでしょうが、私は背筋がゾォオ〜となりました。牧師の息子が、よくこんな映画を作るなぁ〜。でも、この映画好きですね。もっと突き詰めろ!と鞭打ちながら、女優を追い込み、結果二人が、その限界を超えるような演技合戦を見せてくれるのですから。観終わって、男で良かったと思いました。

蛇足ながら、バーグマンはこの映画の自分の演技に満足して、引退を表明し、その4年後にこの世を去りました。

Tagged with:
 

気に入った映画は、何度も、いや何十回も観ます。小津安二郎なんて、原節子の「あっ、ちょいと」という江戸前の言葉聞きたさに、繰り返し観てしまいます。(そのたびに新しい発見のある小津映画は不思議です)

よく、映画で英語のお勉強なんて本が出ていますが、逆でしょう。何度か観ているうちに、ある言葉や、文章がメモリーされてしまう。例えば”engage”という単語があります。「エンゲイジメントリング」の、「エンゲイジ」です。この単語は「交戦する」という意味があり、「スタートレック」で、カーク艦長がこの言葉を使い、大バトルへと出航します。高校時代、ワタクシへっらへらの身体でラグビーをやっていました。両チームがスクラムを組む時、審判が発する言葉が、これです。そうすると、くだんのリングには、これから戦いがはじまるぜ、という意味なのですね。

英語で、最も心地よく響く言葉は、”Well come home”。「アポロ13」ラストで、地獄の如き宇宙飛行から戻ってきた飛行士達に、地上の管制官が伝える言葉です。そして、第二次世界大戦の欧州戦線で熾烈な戦闘を繰り広げるパイロットの青春を描いた「メンフィスベル」で、主人公が「お国の仕事は終わった」という台詞の後に言う台詞が、”Cominng Home”でした。

たったの一単語で、私の映画の評価が変わった作品があります。それは「2011年宇宙の旅」。あの傑作「2001年」の続編として制作されたものの、酷評されたSF映画。ラスト、爆発する木星からクルーを脱出させるため、人工知能のコンピュータHALを搭載した宇宙船ディスカバリーは全エネルギーを使って、クルー達の宇宙船を遠方へと逃がします。もちろん、ディスカバリーはその役目を終えます。その時、発するHALの言葉が「フルスロットル」。機械とはいえ、意志を持つHALが、一度は裏切られた人間を助けるために、自らのすべてを断ち切る強さの込められた言葉でした。だから、スーパーに「全力噴射」なんて無粋な日本語入れないでね。

日本語で強いインパクトを与えたのは、豊川悦司が「新仁義なき戦い」で、わがご近所の裏寺通りで、まるで観客に投げつけるように放つのが

「どうせウンコの世の中じゃ」

 

 

こうやって私の中に、いろんな言葉や、文章が蓄積されていきます。

ミニプレス「シネマアピエ」最新号は、特集が「世界旅行」(735円)。どの文章も素敵で、ちょっと映画観たいなぁ〜という気分にさせてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

★次週6日(火)から「夏の一箱古本市」です。続々と荷物到着しています。今回は、かなりいい本があります。ご期待を!!

Tagged with:
 

年を取ると涙腺がゆるみます。若い頃、TVのドラマの愁嘆場で泣いている親を横目で見ながら「こんなベタな泣かせどころでまんまと泣くかな〜」などと鼻で笑っていたのですが、最近は老犬が佇んでいるだけで目頭が熱くなります。

思うに、これは別れを重ねて来たから。生きてる時間が延びれば、それだけ親しい人(人だけでなく犬や猫も)との別れの数が多くなり、涙の数も増えるというものです。

映画「アンコール!」は長年連れ添って来た妻を、ガンで失う老いた男の話。

妻は明るい社交的な性格で、末期ガンを患いながらも町の合唱クラブで歌っています。夫は、融通のきかない頑固者だが、妻を心から愛しています。合唱クラブの練習日は、車椅子を押して送り迎えをし、週に一度は、男友達と飲みながらカードをするのが楽しみ。妻との永久の別れが遠くないのも解っているけれど、その淋しさをどうすることもできない。一人息子との関係も、妻がいればこそやっと繋がっているという有様で、こんな老人を残していく妻の気持ちを思うだけで切なくなります。

無口で頑固な夫役は、テレンス・スタンプ。少し病的で美しかったあのテレンス・スタンプが、良い皺を刻んで、不器用な年寄りをがっちり演じます。禁煙が当たり前になっている今、煙草をすう姿が誠にかっこいい。テレンス・スタンプは「プリシラ」の海兵隊上がりのオカマ役も素敵だったけど、妻のために生きる無骨な老年男子はとってもチャーミングです。

一方、妻を演じるのはヴァネッサ・レッドグレーブ。こちらも若かりし頃の知的で、尖った美しい姿を知っているだけに感無量。夫と息子を心配しながら、自らの死と向き合う女性のきめ細かい演技に感動しました。

年を重ねたこの名優二人を見に行くだけでも価値あり。

この二人に絡む合唱団の音楽教師の描き方もよくて、なんていうか、映画に安定感があります。最後のテレンスの歌声に涙しました。一緒に年をとってきました。若い諸君、それもなかなか悪くはありませんよ。(女房)

★次週6日(火)から「夏の一箱古本市」です。続々と荷物到着しています。今回は、かなりいい本があります。ご期待を!!

 

Tagged with:
 

以前、雑誌でアメリカの都会派小説の特集をやっていて、読みました。作家は忘れましたが、冬のNYを舞台にしたミュージカル俳優の心の葛藤を描いた短篇でした。決して明るい話ではないのに、読んだ後、豊穣な気分にさせてくれました。

先日「25年目の弦楽四十奏」という映画を観た時に、同じような感じを得ました。長年にわたり人気のカルテットのリーダー的存在のチェリストは、自身がパーキンソン病であることを知り、引退を表明します。そこから、メンバー同士の秘めていた感情、恨みや怒りが徐々に表面に浮き出てきます。演奏会のシーンに始まり、同じ演奏会に戻る作り方といい、何気に挿入されるNYの冬景色といい、素敵な小説を読んでいる気分です。

チェリストを演じるは、クリストファー・ウォーケン。「グリニッジ・ビッレジの青春」、「ディアハンター」等、我が青春の日々に強烈な印象を与えた役者が、年齢を重ね、こんな役柄へ挑戦をして、相変わらずの鋭い視線に出会うと、一緒に年をとって来たなぁ〜と感慨深いものがあります。

メンバーの夫婦の亀裂、あるいは第一バイオリン奏者と、その夫婦の娘との関係等、これもそう明るくはないストーリーが進行していきますが、大げさにならず、むしろ地味に展開します。あっと驚くようなどんでん返しはありませんが、バラバラになりかけた四人の思いが、ラストでさり気なく(これがこの映画に最も優れた演出だと思います)見せます。

映画の後半、ステージで演奏されるベートーベンの「弦楽四重奏曲14番」の凄まじいエネルギー。しっかりと席に座っていないと吹き飛ばされんばかりの勢いです。ネタばれになるので詳しく語れませんが、ある事があって演奏会が中断、その後再開した時の最初のチェロの音の鬼気迫ること。ここは見逃してはいけません。

とても美味しいお酒を頂いた時のように、「ごちそうさま」と言いたい佳作でした。でも、劇場内ガラガラなんで早く終わるかも…..。

蛇足ながら、チェリストを描いた短篇小説「チェリスト」を含めたカズオ・イシグロの「夜想曲集」(早川書房700円)は音楽短篇が収録されています。

Tagged with:
 

今日は祇園祭宵山です。あの人ごみに向かうなんて、まっぴらごめんと思いつつ、なんとなくお囃子が聞こえてくるとムズムズしてきます。明日の鉾巡行は、店の前にでると、かなり先の方で鉾がビルの谷間からゆっくりと移動しているのが見えてきます。なんとなく不思議な光景です。

祇園祭で思い出すのは、58年制作、今井正監督の「夜の鼓」。原作は近松門左衛門で、お得意の姦通ものです。若き日の三国連太郎扮する武士と有馬稲子演じる美貌の妻。そして、その妻と関係を持つ京都から来た小鼓の師匠に森雅之という豪華メンバーです。映画はラスト、鉾巡行で賑わう京の街角で、寝取られた夫に惨殺される小鼓の師匠の断末魔の声と、コンコンチキチンの音で終わります。あの音色をこんな風に使うなんて、と驚かされました。

ところで、この映画はケレンに走らずに、丹念に語られていきます。実証主義的です。そういえば最近、題材が題材だけにケレンに走りそうなテーマの小説を、やはり丹念に描いてみせた作品に出会いました。小野不由美「残穢」(新潮社900円)です。

小野不由美は大谷大学仏教科卒、京都在住の作家です。1992年からスタートしたファンタジーの超大作「十二国記」を一時溺愛しました。(まだ完結していないはず?)血湧き肉踊るファンタジーの大きな物語。おそらく、「指輪物語」に匹敵すると思いますが、映画化は不可能でしょうね。

その彼女の「残穢」。

「家の中に誰かいるんです。着物を引きずる音が聞こえたり、音がしたりするんです」

という怪談話。もう、ハッタリかまして、読者を「キャー!」と言わせばイッチョ上がりですが、違うんですね、これが。

その物の怪が出るマンションの立っている土地と、そこに住んでいた多くの家族の歴史を遡ってゆくのです。戦後期、高度成長期、バブル期、その時代の波の中で土地と家族という生き物の浮き沈みを丹念に描いていきます。狂言回しの役で、京都在住の作家が物語を引っ張ります。第26回山本周五郎受賞作品に相応しい重厚な小説です。全500ページ。悪寒を感じながら、夜中にお読みください。畳の擦る物音が聞こえてきたら、貴方のお住まいの土地にも、あぁぁ………….。

Tagged with:
 

二度目の映画化になった「華麗なるギャッツビー」を観てきました。

最初の映画の主演は、まだ皺のない、ツルツルのお顔のロバート・レッドフォードでした。バルコニーに夜会服で立つシーンやら、愛するディジーのために、高級なシャツをこれでもかこれでもかと投げるシーンとか、多少は覚えていますが、いい映画だったかどうかは、忘れました。(写真は最初の映画のポスター)

S・フィツジェラルドの原作も当時読んだ記憶はあるのですが、ず〜っと好きだったディジーのために、ここまでするか??という疑問符だらけの小説だったとしか・・・。店には角川版の「華麗なるギャッツビー」(200円)在庫あります。

今回の映画は監督にバズ・ラーマン。「ロミオとジュリエット」をシェークスピアの台詞のまま現代に置き換えてロック、ポップスの名曲で一気に語り尽くすという芸当をみせ、「ムーラン・ルージュ」ではベルエポックの時代のパリを忠実に再現しながら、やはり昨今のヒット曲で、スピーディーにたたみ掛けた才人です。だから、期待十分。

いや〜面白かった。原作通り、第一次大戦後のバブルに湧くNY。そこに流れる曲は、ジャズではなく、ラップにハウス系ダンスビート。かったるそうな心理描写は、オールドカーが猛烈なスピードで疾走するシーンで描ききる荒技。ギャッツビー邸で行われるパーティシーンはもうF・フェリーニの映画に出て来そうな退廃感を漂わせます。

かと思えば、ラスト近く、ギャッツビーとディジー達がぶつかり合う室内シーンでは、舞台劇さながらの緊張感で押しまくります。主演のディカプリオの確かな演技力が素晴らしい。(レッドフォードは下手だった?)

フィツジェラルドを読まなくても、青年ギャッツビーの憧れと自信と挫折が見事に描かれているので見応えあります。古典でもなんでも、あっという間にカッコいい映像にしてやるぜ、と鼻高々なラーマン監督の手腕をお楽しみください。

蛇足ながら、ラーマンは2004年にはニコール・キッドマンを起用して、シヤネルのコマーシャルを製作。このCMは120秒という前代未聞の長さで、250人のエキストラと3000万ドル相当の宝石を使ったとか。観てみたいものです。

 

岩波ホール支配人だった高野悦子の本を読みました。「岩波ホールと<映画の仲間>」(岩波書店1400円)です。

1929年満州生まれ。父親は満州鉄道の技師。姉は岩波書店社長の岩波雄二郎の妻、淳子です。

東宝文芸部を経て、58年パリ高等映画学院監督コースに留学。紆余曲折の後、68年、岩波ホール創立と同時に総支配人に就任して、74年、名作映画上映運動「エキプ・ド・シネマ」を川喜かしこと主宰します。小さなホールの支配人からスタートし、欧米以外の国々の映画を買い付け、上映し、女性映画人を育て、支援した一生を綴った本です。

淡々とした文章で書かれてありますが、よくもまぁ過労で死ななかってですねぇ〜と感じる程の怒濤の人生です。たかが、映画を上映するだけのお話、と思われるかもしれませんが、海外を走り回り、煩雑な事務手続きをこなして、輸入して、販促活動で飛び回り、上映するまでがどれだけ困難なことか。しかも、大手映画会社の作品ではないだけに余計に大変です。

ここで紹介される映画のことなんて知らなくても、彼女が戦後の混乱に観たアメリカ映画「キューリー夫人」の影響を受けて自立し、映画製作に関わる女性達との連帯を深めてゆく、一人の人間の物語として読み応えあります。

『「すべての女性運動は平和運動をもって帰結する」というスウェーデンの女性思想家エレン・ケイの発言に、私は女性映画祭も平和運動なのだと、改めてその存在意義に気づいた。』

という言葉通り、2013年2月にこの世を去るまで、映画大国以外の作品を通して、「エキプ・ド・シネマ」運動の存在と映画の意義を世に知らしめるためにひたむきに突っ走った女性でした。

因みにここ2〜3年で私が観た、欧米以外のお薦めの映画です。

●「モンガに散る」2012年(台湾)ニウ・チェンザー

●「再会の食卓」2010年(台湾)ワン・チュアンアン

●「ブンミおじさんの森」2010年(タイ)アピチャートポン・ウィーラセータクン

●「蜜蜂」2010年(トルコ)セミフ・カプランオール

●「ベンダビリリ」2010年(コンゴ)ルノー・バレ&フローラン・ドラテュライ

 

Tagged with:
 

遅まきながら、アン・リー監督の「ライフ・オブ・パイ      トラと漂流した227日」をDVDで観ました。

インドで動物園を経営していた家族が、経営難から動物と一緒にアメリカへ。ところが、途中で嵐に出会い、船は沈没、生き残ったのは主人公のパイ少年と、獰猛なトラのリチャード・パーカー。(この名前については映画のHPの「シンクロニシティ」という項目に、興味深い記載があります)

「アバター」以来の壮大な映像美とか評価されていますが、いや、お見事!の一言につきます。原作は2001年に発表されたヤン・マーテルの「パイの物語」。CGやデジタルテクノロジーってこういう風に駆使する手段だったんですね。トラと200日あまり漂流する映画なんて、そう簡単には作れません。

しかし、この映画の真骨頂はCGではありません。ラスト20分の、救助された少年の語るストーリーです。未見の方のために詳しくは言いませんが、「物語」って何?というテーマが凝縮されています。同じようなテーマでは、ターセム・シン「希望の王国」、さらに古くはウェイン・ワン「スモーク」(原作はポール・オースター)でも提示されています。主人公の語る物語は真実なのか、虚構なのか。いや、物語における真実って何だろう?という、映画や小説の大きなテーマにまで関わってきます。そして、自分の物語を、それが本当であれ、嘘であれ、他人に伝えて、伝えられた側の頭の中で見事に映像化される面白さを伝えています。

この三本の映画、どれも主人公が第三者に語るという手法で進行します。もちろん、その第三者には観客自身が含まれています。あぁ〜巧い語り口だなぁと思うと、それだけで映画を観る楽しみが倍増します。上方落語の「ちょっと、こっちおはいり」という台詞からするすると落語の世界に入っていくとの似ています。そう言えばここに上げた映画すべて、オチも捻ってあって、上等の落語を堪能した気分です。

「ライフ・オブ・パイ」は、トラとの漂流記ですが、最初はここにオラウータン、シマウマ、ハイエナが同乗して、一人と四匹の命がボート上に存在します。そして、この「四」がラストに巧みに絡んできます。巧い演出でした。

Tagged with: