一週間だけですが、「cinema cinema  cinema展」開催中です。当店でコレクションしたプレスシートをドキュメンタリー、音楽映画、アジア中近東映画の三つのカテゴリーに分けて、デザイン的に優れたものをパネルに張りつけて、飾ってみました。こうして改めて見てみると、ドキュメンタリー作品のシートって、どれもこれも、なんとか映画の魅力を伝えようとしていて、魅力的です。

ちょっと珍しいドキュメンタリー映画DVDも出ています。マーチン・スコセッシが案内する「私のイタリア映画旅行」(2DVD 3000円)、70年代アメリカンニューシネマを振り返る「アメリカンニューシネマー反逆と再生のハリウッド史」(1100円)、ドイツの生意気少年少女がストラビンスキーの「春の祭典」を踊るまでを捉えた傑作「ベルリンフィルと子供たち」(2DVD 3000円)などはレアな作品ですよ!

また、先日ブログでもご紹介しました、白川由美の入浴シーンが眩しい「地球防衛軍」(1200円)、河内桃子に一目惚れするゴジラが素敵な、昭和29年の第一作「ゴジラ」(ポスター付き1200円)、水野久美の唇にひたすら吸い込まれる(人によりますが)「マタンゴ」(1200円)等、東宝の女優さんで、エロティシズムの門をくぐった貴方(と私)のマストアイテムを並べています。

珍しいといえば、阪本順治監督初期の「トカレフ」の大型パンフがあります(500円)。筑紫哲也「わが大和武士を断固支持する」論、内田春菊「『トカレフ』が実はアベックに向いている理由」論、今野雄二と監督との対論、原田芳雄による映画製作者、荒戸源次郎論など、もう一冊の映画本に匹敵する内容です。主演の佐藤浩市も若いなぁ〜。貴重といえば、若き日の國村隼の写真。えっ、この人松田優作の遺作「ブラックレイン」に出ていたんですね。知りませんでした。

因みに阪本順治監督の新作「人類資金」観て来ました。力技でラストまで持って行く大作です。近いうちにブログにアップします。

と、ちょっと映画好きなら面白いものが沢山ありますのでお立ち寄りください。

★レティシア書房 cinema cinema  cinema展  11/19(火)〜24(日)

 

Tagged with:
 

今まで、二度ほど古書店でみかけて、欲しいな〜と切に思うものの,値段が高くて手が出せなかった本が転がり込んできました。リブロポート社発行「小津安次郎東京物語」(絶版)です。本の帯にこう書かれています。

小津の代表作「東京物語」の全シーンを1732枚の写真で再現し、監督使用台本(全採録)、創作ノート、スタッフ・キャスト資料なども併録して、名作の背後に流れる技法と思想を徹底的に解明した本邦初の映像研究書

作品のワンカット、ワンカットを台詞ごと全収録し、しかも古い映像なのに、見事に紙面に定着させています。笠智衆の顔の皺も、原節子の透き通るような肌も、杉村春子のちょっと生活に疲れた表情も手に取るようにわかります。だから何なんだ、と言われても答えようがありませんが……..。

台詞も丸暗記しているぐらい、浴びるほど観た作品ですが、その端正な映像美を、こうして紙面から読み取ることで、小津の無常観が迫ってきます。ラスト、妻に先立たれた周吉と、ご近所さんの会話

「一人になると急に日がなごうなりますわぃ……….」

「まったくなぁ……..お寂しいこってすなぁ。」

そこから、無言の10カットで描く人の世の寂寥感。ラストカットの真っ暗な画面が象徴的です。

若い頃、初めて観た印象は「家族のホームドラマね」でしたが、観る度に人は必ず死ぬのだということ、そして絶対に逃げられない孤独を背負っていることを想起させてくれる作品となりました。

新春には、「東京物語」を観て、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読むのが年頭の私の行事です。「死」への心の準備なんて、ちょっと言い過ぎですが、まあそんな作業です。

ところで、この本、6000円から10000円ぐらいで取引されています。ある古書店主さんは、売りたくないから高額の値段を付けているとのことでした。ウ〜ン、どうしようか。自分の蔵書にしてしまうか、店に出すか。初版、帯付きで、美本なんでさらに悩みますね。ネットではすぐに買えるんですが、なんせひょっこり飛び込んできた一冊なんで……..。

 

Tagged with:
 

1957年公開の東宝特撮映画「地球防衛軍」。54年生まれの私はロードーショー公開ではありませんが、物心ついた頃に見た作品です。円谷英二=本多猪四郎コンビの少年向け空想科学映画のはずでした。「でした」というのは、本筋とは無関係なワンシーンに釘付けになってしまったのです。

 

お話は、宇宙から異星人が攻めて来て、地球人が迎え撃つという単純なストーリーなのですが、突然にヒロインの入浴シーンが現れるのです。

富士山麓に現れた異星人が操る大型ロボット。町の人達が逃げまわっているのに、何故かヒロインは入浴中です。窓際に見えるロボットの顔(風呂場を覗きこむ痴漢みたいです)にハッとして、湯船から立ち上がる彼女。肩越しまで露出しているところから、湯船から出る足元までカメラは捉えます。外には、ロボットが暴れまわったために、断線して照明が消えて、ロウソクを持った主人公が、「早く出ていらっしゃい」とつぶやく。オイオイ、そんなのんびりでいいの???マーク続出です。演じていたのは白川由美さんです。

この本筋と全く無関係な、古いお風呂、ぽっちゃり系美人、ロウソクと揃えば、もうポルノチックな画面を想像してしまいます。そう思って、このコンビの作品を思い返すと。 「宇宙大戦争」(59)だったか「妖星ゴラス」(62)では、のっけから無意味に美女二人が下着姿になるしと、かなり無理なシチュエーションでお色気シーンが登場します。

殺伐たる?男子中学校に通っていた私には、入浴シーンは衝撃的でした。ストリップ小屋じゃあるまいし、少年向け空想映画にそれらしきシーンを見るなんて、驚き以外の何物でもありません。

しかしその一方、この映画では、原子力の恐怖を描いたり、地球人と宇宙人の結婚に初めて触れたりしますし、また、同コンビの「海底軍艦」(63)では、主人公に「日本はね、憲法で戦争を永久に放棄したんですよ」と言わせたりと作者側の明確なスタンスも見えてきます。同世代の安倍晋三ちゃんも、きっと少年時代、これらの映画観てるはずなのにね。

 

※11月19日(火)〜24(日)の一週間、当店の映画グッズのミニフェアを開催します。その時にこのDVD「地球防衛軍」は出品しますので入浴シーンに興味ある方はお買い求めください。(高くないです)

 

Tagged with:
 

あっ、これはきっといいと思わせる映画は出だしが、静かです。それが、役者出身の監督なら、尚更そうです。ロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッドの作品は、役者の演技を邪魔するな、と言わんばかりにそっと静かに始まります。

レッドフォード監督作品「ランナウェイ」を観て来ました。名女優スーザン・サランドン扮する主婦が、キッチンで洗い物をしているところから映画は始まりますが、カメラは微妙に動きながら、彼女に近づきます。平和な、何気ない朝。しかし、そこから一気に観客の心をグィと掴んで、快調に展開していきます。レッドフォードが「大統領の陰謀」以来、持ち続けて来たアメリカ合衆国への不信を色濃く反映させつつ、後味は悪くない、そしてサスペンス映画なのに、一発の銃弾も発射されず、車も激突しない。近頃のハリウッドでは珍しく、うるさい音楽、絶叫するだけの出演者も皆無。作り手の力量がわかります。ある程度、話の落ち着く先は見えてきますが、それでも見事に2時間でエンディング。ハリウッドから遠く離れ、自分の手で映画を作り続けてきたから出来ることなのでしょう。

イーストウッドが明言していましたが、映画は脚本だという真実をレッドフォードもよく理解しています。その展開に齟齬はないか、前のシーンと次のシーンの繋がりはどうかを慎重に見極めながら演出していきます。昨今、非力なのに、群像劇的展開で、スピーディにつなげるだけの強引な監督が多いですが、彼は本物です。自ら離れていったハリウッドの、かつての良き映画の気風みたいなものが身に付いて、技術力の確かさを感じました。

なんといっても役者の使い方が巧みです。映画好きなら、あっ〜あの役者か!と嬉しい再会です。こちらも若かった頃、ハツラツとしていた俳優達が、いい年の重ね方をしてきた、その道を思わず一緒に振り返ってしまいます。多分、彼のことを信用して、ジュリー・クリスティー等多くの役者が集まってくるんでしょうね。そう言えば、「大統領の陰謀」の共演者ダスティン・ホフマンも、初監督作品「カルテット」で、やはりマギー・スミスなどの名優たちを巧みに配置して、演出していました。ホフマンとレッドフォード、それぞれの年寄りの映画を観て、けっこう幸せな気分に浸りました。

金、金、金のハリウッドでも、やはり最後に信頼されるのは、こういう深い人間性と真摯に映画を作る人達なのですね。ロバート・レッドフォードのファンでよかった。

新聞を広げた時、「高倉健、文化勲章授章」の記事。

ひえぇぇぇぇぇ〜、な、なんで、今更、信じられへん、と否定的言葉が速射砲で、出てまいりました。そして、私にはこの俳優は「過去の人」だったことに気づきました。

前にこのブログにも書いた伝説の映画館「京一会館」。オールナイトで観た健さんの「唐獅子牡丹」シリーズは、学生運動盛んな頃で、京大の強面のお兄さん達が、健さんの「死んでもらうぜ」の台詞に「意義なし」、「そうだ!」と大合唱していた異様な雰囲気につられて、私も同じように声あげてました。(ライブ劇場みたいな雰囲気でした)

その後も追いかけて、健さんの居住まいの正しさと、所作の美しさに惚れ込みました。しかし、ある時、義理人情という規範だけを拠り所にして、お前は悪、お前は善なんて決めるのは、どうなんかなぁ〜と当然ながら疑問を持ちます。そんな時、深作欣二作品「解散式」で、渡辺文雄扮する親分が、こう言います。

「義理人情なんて親分が子分を好きに動かす道具じゃねえか」

ここで、健さんが体現してきた古風な任侠精神は全否定されます。そして、そんなもん、くだんねぇ!と飛び出して来た菅原文太が体現した欲望のままに生きる男の方が、高度成長時代になりふり構わず、突っ走る企業戦士の姿にも似て説得力がありました。文太はその後、上から目線のすべてを破壊していきます。それは、健さんにはマネ出来ませんでした。事実、健さんはいわゆる実録ヤクザ路線映画に、一本も出ていません。唯一それに近かった「神戸国際ギャング」(東映ではなく日活で、さらに「実録阿部定」を監督していた田中登という耽美派監督というのも異色)では、どうも居場所が悪く、共演の文太や、先日亡くなった夏八木勲たちのギラギラ感に押されまくっていました、

そんな健さんに、倉本聰は、もういいんじゃないと「冬の華」を書き、結果、見事に高倉健を「過去の人」として美しく送りだしました。

それ以降、私にとって健さんは、ただの人になり、魅力を感じることがなくなりました。個人的にわがままを言えば、「冬の華」のラストのように消えて、ある時代に燦然と輝やいた伝説の人でいて欲しかったですね。

店には、彼の本は置いていませんが、「神戸国際ギャング」や、在日朝鮮人差別を盛り込んだ「京阪神殺しの軍団」等、めったに評論されない作品ばかりを論じた松田修「映像の無頼たち」(劇書房1000円)があります。力のこもった、お薦めの一冊です。

Tagged with:
 

大学時代、辻邦生と福永武彦を愛する文学青年でした(と本人が錯覚しているだけですが)。清廉な文章に引っ張られて、片っ端から読んでいましたが、どこまで理解していたのやら?

福永の名作「廃市」(新潮社900円)を再読しました。こんな台詞が出て来ます。

「道楽が昂じれば死ぬ他にはすることもなくなりますよ」

多分、若い時には、この台詞の持つ意味合いが理解できなかった。道楽を突き詰めたわけでもありませんが、究極のところで、もういいやと思った瞬間、こうなるのかもわかりません。「廃市」は、運河が巡っている古びた町に、主人公の青年が来るところから始まります。彼は「何という古びた、しかし美しい町だったろう」と驚きつつ、「店はどれもひっそりして、そのたたずまひに古風な趣きを残していた」雰囲気を気に入る。そして、そこで出会った美しい姉妹の悲劇を見てしまいます。運河を流れる水の如く静かに物語は進行していきます。優れた文学作品を読む至福に浸れます。

ところが、先ほどの台詞が飛び出す辺りから、俄に小説はテンションを高めていきます。例えば、能「道成寺」や歌舞伎「船弁慶」で、殆ど動きのない踊りから(それは時には観客にとって睡魔との闘いでもありますが)、一気に緊張を高めてゆく踊り、興奮を高める囃子方の音楽の持つエクスタシーみたいなものです。

この小説は、83年に大林宣彦が、水の中に沈んで行く町の孤独を見事に画面に定着させました。因みに美人姉妹を演じたのは小林聡美と根岸季衣で、原作の架空の町を福岡県柳川市に置き換え全編ロケ撮影しています。あの映画の印象が強く、本を読んだ時も、映像にかなり引っ張られた記憶があります。

今、私が古典芸能に傾倒しているからでしょうか、再読した時には、横笛、大鼓、小鼓の伝統的な能の囃子方のおそろしく深い音が聞こえてきそうでした。

本にしろ、映画にしろ、音楽にしろ、再読、再見、再聴は年齢を重ねてゆく時に体験できる楽しみですね。

Tagged with:
 

ここ最近観た映画を振り返ると「クロワッサンで朝食を」とか「秋のソナタ」とか、「アンコール」とか「25年目の四重奏」とか深みのある秀作とはいえ、地味でした。まぁ。豆腐とサラダ、お味噌汁ばかりという感覚です。たまには、銀閣寺近くのラーメン屋で食べる豚丼&ラーメンのこってり、コレステロールたっぷり、お腹が脂肪で満腹になるような幸せを感じる映画観たい!と思っていたところでした。

ありました。ニール・ブロムカンプ監督「エリジウム」です。この監督の前作「第9地区」がとても面白いSF映画。南アフリカの貧民街に異星人が姿をみせ、人間社会から隔離差別されるという、そのまま南アフリカのアパルトヘイト政策にスライドする作品で、ラストは異星人の行く末に涙するという前代未聞の事態でした。(しかも、膨大な製作費を使わずに、アイデアで勝負した映画人的才能溢れていました)

監督の第二作がこれ。マット・ディモン、ジョディ・フォスターというトップクラスの役者を揃え、ハリウッドの巨大資本と技術を豊富に使い、「ターミネーター」第二作がそうであったように、結局面白味イマイチ的危険もありますが、この監督は見事クリヤー(ラストはややハリウッド資本主義の餌食?)しました。

話は、地球汚染が進んだ地球は貧民のスラム街と化し、富裕層は宇宙空間のコロニー「エリジウム」に住んでいて、そこにマット扮する下層労働者が乗り込んで行くという奇想天外なものです。「2001年宇宙への旅」、「ブレードランナー」、「ターミネイター」等の先行する作品へのオマージュを散りばめながら、あっという間にエンドです。おばかなハリウッドでも、役者をきちんと使えば大作も面白くなることを見せつけてくれます。

ラスト、大戦闘シーンかと思えば、これがマットと残忍強力な悪役とのどつき合いです。思わず、「ボディ!ボディ!」「そこアッパー」、「急所蹴ってまえ」と下品な野次飛ばしそうになりました。マット・ディモンは、多分今、どつき合いが一番様になる役者でしょう。それは、私が役者を評価する上では、とても大事なポイントです。

 

Tagged with:
 

WOWOWで放映される連続ドラマには、大掛かりなだけでつまらないハリウッド映画よりも、ずっと上質の作品があります。

例えば、群ようこ原作「パンとスープとネコ日和」は、小林聡美、もたいまさこ、加瀬亮等でドラマ化したものです。この面子といえば、荻上直子監督の作品「かもめ食堂」、「めがね」あたりをすぐに思いうかべますが、そう、あの世界です。

つまり、波乱万丈ドラマチックなストーリーから遠く離れて、ひたすら穏やかな時間が流れるドラマです。それはいわば、小津映画「お茶漬けの味」で、佐分利信が「これ、上手いね」と木暮実千代とお茶漬けを食べるシーンにながれる日常そのままを描いたドラマ。

だいたいのストーリーはといえば、編集者の女性が、突然亡くなった母の経営していた飲み屋を、サンドイッチとスープの店にして、再出発するというもの。下手くそな脚本家なら、店に来るお客の人生を絡めて、あーだ、こーだと御託をならべるところですが、そんなものは全く無し。店と、その周辺の街を散文詩的に描き、そこに生きてる人たちみんなを、肯定してくれる優しさが心地よい。私なども固唾を飲んで最終回まで観てしまった「半沢直樹」の対極にあるドラマでしょうか。

 

監督は松本佳奈。多摩美術大学グラフィックデザイン卒業後、CMの演出家としてスタートし、映画「めがね」(07)のメイキング映像などを手がけて、小林聡美主演「マザーウォーター」で映画監督デビューを果たしました。京都舞台の、この映画も「幸せな時間」はすぐ側にあるよ、という事を静かに見せてくれました。「パンとスープとネコ日和」にもそれは色濃く流れています。

小津映画を何度観ても飽きないように、このドラマも何度でも観たくなる作品です。

ところで、小林主演のこの手合いの”日常映画”で常に共演している(事務所が一緒だから?)もたいまさこが、群ようこと対談している本「解体新書』(新潮文庫200円)は抱腹絶倒です。

もたい「私、じじいって言われるんです」

群「えっ?……….じいさん」

で始まる対談です。対談のテーマは「からだについて」です。山田詠美との「男について」など、おっと、と思わせる対談もあります。

 

 

Tagged with:
 

これ、初の民間出身中国大使丹羽宇一郎と、元俳優・現農民の菅原文太との対談で、尖閣諸島問題を語る中で出て来た言葉です。

或は、

「中途半端に二流あたりにいるからダメなんで、いっそのこと五流か六流になってしまったほうが、さっぱりする。人間なんて動物より毛が三本多いだけでね。生き物と同じレベルと言うか、もう一度土に還るべきだよね。」

実態のない金に踊らされるのでなく、足下を見つめ直すこの大事さについて、イラストレーター黒田征太郎との対話から出て来た言葉です。

上記は、「ほとんど人力・菅原文太と免許皆伝の達人たち」(小学館1000円)からの抜粋。インタビューの相手には、ペシャワール会現地代表中村哲、元沖縄県知事太田昌秀、元通産省官僚古賀茂明、ジャーナリスト鳥越俊太郎、「震える牛」の小説家相場英雄、憲法学者樋口陽一等、豪腕、辛辣の17名が並んでいます。

俳優菅原文太の代表作は、「仁義なき闘い」と言われますが、間違いです。あれは悪人根性をデフォルメした金子信雄の代表作です。なんども繰り返し繰り返しレーザーディスクで鑑賞した私が言うのだから確かです。文太の代表作、それはNHK大河ドラマ「獅子の時代」(山田太一脚本)と声を大にして言いたい。大河ファンの女房に勧められ、高いDVDを購入して観ましたが傑作です。

幕末、新政府に対抗した会津藩士役で、明治政府に、あるいは富国強兵という日本国の大義名分に噛み付きます。徹底したリアリストで、最後の最後まで反権力の徒として生き抜く男の一生です。その生き方が、そのまま本のインタビューに表れています。太田昌秀との対話の冒頭で、文太がしばしば辺野古の監視小屋に行っていたことが登場しますが、「獅子の時代」の彼がダブりました。

骨のある17名が語る、これからの時代のあり方は、それぞれ1冊の本になるぐらい濃密なものです。そして、ずばり切り込んで行く文太の話し方が、問題の本質を浮かび上がらせていく面白い一冊です。やくざ映画で、「任侠精神」とか「仁義」とかお仕着せの権力に、くだらねぇーとドス片手に狂犬の如く暴れ回っていた役者が、こんな立ち位置に到達したのかの思うと、彼のファンで良かったとつくづく思います。

ヤクザから農民へです

 

Tagged with:
 

ブライアン・フェリーのCDがお客様のリクエストに応じて数枚入荷しました。

フェリーといえば、ロキシーミュージック。ロキシーといえば”More than This”で、ディスコ、カルチェラタンやアトランティスで、目と目を見つめ合って、手を絡ませていた貴方、甘い想い出が蘇りますなぁ〜。

彼の音楽は、とてもヨーロッパ的です。貴族趣味なくせにスケベ野郎で、エスタブリッシュメントでありながら、どっか崩れている、そんな雰囲気をまき散らすシンガーです。この感じ、新興国のアメリカの歌い手には出せません。よく知られている「煙草が目にしみる」という曲は、いろんな人がカバーしています。もちろん、アメリカの多くのシンガーも。でも、どうも感情過多というか、聞いていて、ハイ、お上手です、パチパチパチみたいな気分にさせられるんです。ところが、フェリーが唄うと、途端にちょっと退廃的で、醒めているのに、センチメンタルな歌になるのです。

この人の持っている雰囲気は、他に探してもいませんが、あえて言えば、私は奥田瑛二が持っているように思います。北方謙三原作の「棒の哀しみ」を日活ロマンポルノの第一人者柛代辰巳が監督した映画を観た時に、どうしようもないチンピラなのに、フェリー的なエレガントさが、ちょっと漂っていました。

さて、文学で彼の音楽に近い作品を探すとなると、そんなにヨーロッパ文学を読んでいない私には困難な作業ですが、M・デュラス「ヒロシマ、私の恋人」(筑摩書房700円)を思い浮かべます。

「ヒロシマである。(二人は、一緒にベッドの中で裸になっている)光はすでに移ろっている。情事のあとである。時間が経過している」

意識の流れを中心に展開する小説のような、散文のようなわけのわからんお話ですが、「おねがい、私を食べつくして、私の形を、醜くなるまで、変えてしまって」とすがる彼女に相応しい男はフェリーみたいな輩でしょう。この小説をベースに映画化された「二十四時間の情事」に出演していたのは、若き日の岡田英次。そう言えば、彼にもそんな雰囲気ありましたね。

Tagged with: