今年のアカデミー賞主要部門を制覇した「アーティスト」を観た。お見事!の一言です。

映画がサイレントからトーキーへと移行する時代、その流れについて行けない役者が落ちぶれ、再度復活するまでのありふれたお話を、全編サイレント(音楽と少しの字幕のみ)で白黒スタンダード画面で作ってしまうという、まぁ〜大胆な作品です。3D映画全盛時代にこんな映画を作ってアメリカに売り込んだ(フランス映画です)プロデューサー、あんたは偉い!!

私たちはなぜ映画館にいるのか。それは想像力を広げ、映画と遊ぶためにいる、といっても過言ではない。この映画では、サイレント仕立てであるため、登場人物の台詞は大半が聞こえて来ない。でも、理解できるんです。きっと、こんな会話してるんだろうなと想像しながら観るのも楽しいもんです。映画への愛に溢れた映画らしい映画。そして、ラストシーンで初めて音が聴こえてきます。このラスト言いたいけど言えない、でも言いたい。あっ〜もどかしい!!で、今日はこんなCDをお薦めします。ネタバレになるかも。

 

 

Tagged with:
 

先日、春田太一「天才 勝新太郎」(文春新書)を買われたお客様が、「マスター、こらぁオモロい」と来られました。そんなに、勝新には興味なかったけど、「座頭市」見直そうとレンタルショップへ行かれたそうです。

先日、大阪の古本市で格安コーナーで、またこの本を見つけました。まぁ、失敗してもこの値段ならいいや、と思い帰りの阪急で読み出しました。ほんま、面白い。タイトル通り天才ですね、彼は。TV版「座頭市」には台本がなく、臨機応変に、現場で勝の頭の中にあるイメージがシナリオ化されていくという事実に先ずびっくり。TVで昼間再放送していたのを観ましたが、なるほどね、あのスピーディな展開はここから来ていたのか!しかも、勝は自ら編集までしていた。制作、主演、編集とほぼ独裁的立場で飽くなき作品の質を高めようとしていた。

勝が大映入社時、彼の前には市川雷蔵という大きな存在がおり、常に意識し、追いつき追い越そうとして挫折する。雷蔵が溝口健二、市川崑らの巨匠と素晴らしい仕事をしていたため、彼も挑戦するもどれも失敗。それでも、エキサイティングな映画目指して奮闘努力する姿は、小説を読む楽しさです。やがて、安部公房の「砂の女」で高い評価を得た勅使河原宏と組み、やはり安部公房原作の「燃え尽きた地図」に主演する。映画は失敗するも、映画制作者への欲望に火が付き、初監督作品「顔役」への道を一直線に進む。

濃い、とても濃いお話ですが、人生一直線、しゃにむに突っ走れ!で爽快です。阪急電車が烏丸駅に着くのが惜しい!!読み終わったら店に出します。300円です。最初に買われたお客様が、帰り際に「こんな本あったら。置いといて」と言われた。えっ、こんな本ってどんな本? ギラギラして、猪突猛進で、しかも爽やかな人なんていませんよ。

Tagged with:
 

「羊パレット」開催中の関係で、羊好きな方々が続々ご来店。小さな店がリュックを背負った人たちで混み合って、店主も女房もびっくり。

 

ほとんどが、京都府立文化博物館や嶋臺ギャラリーの帰り道。それゆえ古本より手つむぎの雑誌「スピナッツ」やフェルトのグッズの前でゆっくり過ごされる方が多いようです。

 

そんな中、扉を開けて「あ!『ひつじがすき』が置いてある!」と叫ばれた女性がいらっしゃいました。『ひつじがすき』というのは羊について書かれた美しい本のタイトル。可愛い子羊の写真が表紙になっていて、ちょうど、ガラスの羊展をしているコーナーに作品と一緒にディスプレイしていました。

 

好きな本があったので喜んでもらえたのかと思っていたら、なんと、著者ご本人。この本は、著者佐々倉さんの連れ合いさんの、すてきな羊の写真がいっぱいの、本当に丁寧な作りの本です。

ちなみに、この本には知り合いの「羊まるごと研究所」が載っています。

「羊パレット」を見にこられたついでに寄ってくださったのでした。

こちらも感激しましたが、ご本人も大喜びで、記念撮影となりました。

店をやっていればこその出会いです。(女房)

 

 

Tagged with:
 

 ドキュメンタリー作家であり、多くのノンフィクションを書いている森達也の「夜の映画学校」を読んだ。これは、2002年都内の映画館で行われた多くの映画監督との対談を収録したものだ。ベテランから、ドキュメンタリーの新人まで、彼らの作品を上映し、その後対談する。森達也自身、オーム真理教のドキュメント「A」『A2」を撮っており、鋭い質問を投げかけ、小気味良い応酬を繰り広げる。その中で、何人かの監督が自主制作の自分の作品に言及している。

 

 思い出しますなぁ、大学時代、自主制作映画のサークルにいました。当時の主流は8mm。ビデオと違って3分間でフィルムがなくなるという代物。しかも、同時録音すると、セリフも街のノイズも、カメラのガタガタという音もすべて録音され、再生すると何が何だかわからない。で、セリフはすべてアフレコ。出演者、といっても素人の学生。セリフなんて言えるわけがない。ひたすら、「1、2、3」と呪文の如く繰り返すのみ。それを、貧相な下宿の部屋で再生し、セリフを適当に合わせる。しかも、映写機の音が入らない様に、寒〜い冬の夜にテラスに出て、ガラス窓越しに部屋で再生される画面を見ながら録音、全員風邪をひきました。

 当時、大学はまだ学園紛争の最後で、先輩達は「性と政治の季節」の影響下にありました。製作に参加した映画が、近親相姦を描いて性の解放を目指す、というわけのわからん一本。兄が姉を犯すシーン、といってもホントにするわけにはいかない。先輩の車を借りて、後部座席に足だけ出して、スタッフが、車を押していかにも、車の中で……。蛇足ながら、カーセックスシーンという状況にスタッフが興奮加熱、車を揺すりすぎて、故障。宝塚の山奥から皆で押して帰りました。

 そして、アフレコで「おにい様、いけません」などと深夜に叫ぶ。他人が見たら変態ですね。さらに、上映時、このセックスシーンになると、本編とは別に映写機を三台同時に回し、イメージフィルムが流れる、という魑魅魍魎の作品。あげくに、上映では「日和見!」「自己批判!!」等々学生集会さながらの怒号のラッシュ。

私が監督した「善人づらした貴方へ」では、モデルガン持って中之島の地下街を走っているシーン撮っていたら、お巡りさんが走ってきた。おっ!!リアルなどとはしゃいで撮影していたら、取り囲まれた。誰かが通報したみたいでした、「拳銃持ったヤクザがいる!」と。交番でこっぴどく怒られました。しかし、そのリアルなシーンは賞賛されるだろうと臨んだ大学同士の上映会は、ぼろくその酷評。「独りよがり」、「マスターベーションみたいな映画作るな」等々。バイト代は無くなる、疲労はたまる、その上ボロクソに言われる、と映画作りはホント酷な作業です。(店主)

Tagged with:
 

 ぐっと、睨んだ顔で「この、ばかものが!!!」と一喝するのは映画「日本のいちばん長い日」(67年東宝)の島田正吾。高校の日本史の教科書なら「ポツダム宣言受諾」の一行で書いてある部分を、受諾までの数日間を、おそろしくドキュメンタリータッチながら、サスペンス映画として仕上げた作品で、島田は終戦決定を受け入れる近衛師団長を演じている。彼の所にポツダム宣言受諾を不服とする血気盛んな陸軍将校が、皇居を占領し、本土決戦を敢行する反乱の先頭に立って欲しいと要請にくる。そこで発せられるのが、この一言。

 

 もう一人、欲望渦巻く医学部付属病院の内情を描いた映画「白い巨塔」(66年大映)で加藤嘉が演じた難波大学大河内教授。医学部の教授選考で便宜を図ってもらうに賄賂のお金を持ってやってきた医師会の連中に、その金を投げ捨て、この無骨で、清廉潔白な老教授が「馬鹿者が、恥を知れ!」と一喝する。

 両者とも、超ドアップで、唾が飛んできそうな勢いで「ばか者」のセリフを発する。いや〜その怖い事。しかし、カメラはこの二人の人としての尊厳を捉える。その鋭い視線にさらされた時、役者のスクリーンでの演技であることを離れ、私自身がその場で、その時々の矮小な己の心持ちや、未熟な自分自身を木っ端みじんにされる錯覚に見舞われる。圧倒的に強力な存在に、罵倒されるサディステックな快感って、中途半端な慰めや癒しの下劣さに比べれものにならないほどに、良きものだ。

 そして、この二人の反面教師の存在として忘れてはならないのが、金子信雄が「仁義なき戦い」(73〜74年東映)シリーズで演じた山守親分。宮沢賢治の詩的に言えば、「東に、いい女いれば、お尻をなで回し、西に弱っている人いれば、徹底的に痛めつけ、南に甘い利権あれば、吸い付き、北に権力者いれば、猫なで声で近づく。」と人間の卑猥さを丸ごと抱えた人物。私は、この人の弱気を挫き、強気を助ける哲学に傾倒し、常々愛犬にも自分より小さき犬には高飛車に、大きな犬には平身低頭するように教育している。

 人は何処まで行っても、矮小で猥雑、卑劣な存在だ。少々お勉強して賢くなったり、お仕事して世間で一人前と言われても、根底は変わらない。山守親分はその事を教えてくれる。そしてその真実を忘れて、高慢になった時、師団長や教授は現れ出で、この馬鹿者と浴びせかけられる。だから、私は人様に高慢不遜な態度を取れないし、何がしかの社会的能力が劣っていても、所詮人間は愚劣なもんだと思っていれば気にもならない。

 いい教師を持てて誠に幸せものだ。(店主)

Tagged with:
 

 「エイリアン2」に続いて、またまたブログに、キャメロン監督の登場である。               89年異星人コンタクト映画「アビス」を発表する。SF海洋冒険映画としては、前半は100点、後半はー100点で、0点の映画。映画館で観た時は、一気にボルテージが上がった瞬間、真っ逆さまに奈落に落とされるという貴重な体験をした映画でもある。(その点、DVDで観る時はいいです。100点部分の最後で止めれば、100点のまま映画は終わり。)

 お話は、深海で正体不明の移動物体を追跡していたUS潜水艦が沈没。核弾頭を回収にきた軍人が、その深海に生息していた異星人に恐怖を抱き、核攻撃しようとするのを海底で作業していた石油発掘チームが防ぐというもので、脚本もキャメロンが書いている。で、ヒーローの石油発掘チームのリーダーの、離婚間際の女房が、この基地を作った技術者で映画のヒロイン。これが、もう嫌な女!!仕事も出来るし、度胸も抜群なのだが魅力0。今から、海底に潜るのに、ハイヒールにタイトスーツなどという都市型キャリアスタイルで登場するところから嫌み。鼻息は荒いし、言いたい事は怒鳴り散らすで、「やかましい!」と一喝したくなるのだが、これは当時のキャメロン夫人の映画プロデューサー、ゲイル・アン・ハードに対する夫のイメージだったのではないのか。つまり、これぐらいの馬力がないと、ハリウッドマッチョ社会で女性プロデューサーが生き抜くことなど不可能に近かったはず。          

 にしては、愛情のある描き方には見えない。内向的で、ぐじぐじ悩むキャメロン(と勝手に思うのだが)は、妻への愛情と尊敬と、あぁ〜こんな女と一緒にいたら窒息するという恐怖がごちゃ混ぜになり、いっそのこと、深海に葬ってやろうかと、何度も脚本を書き直した(と勝手に推測)。そのために、映画は迷走し、あげくにスピルバーグ作品「未知との遭遇」の愚劣なトレースに終止し、つまんないハッピーエンドを見せつけられる。

 しかし、後半一つだけ学んだことがある。核弾頭を回収すべく、特殊な潜水装置を装着して深海に降りてゆくヒーローが、その深海の恐怖で意識を失いかける。その時、基地にいたスタッフが、ヒロインに何か話して、意識を失わないようにとアドバイスする。字幕では「話して」、そして原語は”speak”。彼女は、深度は何、温度は何と情報を伝達する。側にいた女性スタッフがこう言う。「違う!話すのよ!」と。英語は”speak”ではなく”talk”。  なるほど、真実を告げたり、伝えなければならない真理を口にすることを”talk”と言うのか。この女性はヒロインにこう伝えたのだ、「虚飾を捨てて己の真実を話なさい。今がその時だ」と。しかし、この後がいかんのだ。あ〜やっぱり貴方を愛していました、私の大事な人と、今時の歌手でも赤面して歌えないようなフレーズを連発する。このハリウッド的ご都合主義に私の心はこの深海より冷えてしまった。

 金欲、性欲、権力欲の亡者が跋扈するジャングルのごときハリウッドを、そのしぶとさと強かさで生抜く女性を好きになるキャメロンの気持ちはとても理解できる。でもね、あんたにゃ荷が重いわ、ともし彼が私の友だったらそう忠告する。しかし、彼は懲りない。90年、新しい恋人キャスリン・ビグロー監督第二作「ハートブルー」に製作者とし参加し、彼女の映画製作に涙ぐましい献身をする。そして、後年彼女は、キャメロンを見事踏み台にして、「ハートロッカー」でアカデミー賞をごっそり頂く。(この当たりの事は以前のブログをご参考に)

その後、キャメロンは、この手合いの女性に懲りたのか、浮いた話は聞かない。しかし、近年の作品「タイタニック」や「アバター」がスケールの割には、物語としての迫力には欠けているのはどうしてなんだろう。やっぱり、彼には強い女性が必要なのか? 可哀想なキャメロンではある。(店主)

Tagged with:
 

 想田和弘監督の「Peaceピース」を観ました。この人のドキュメンタリーは、観察映画と言われているのですが、その通り、ただただ事実を観ていくだけの映画です。(第1作「選挙」も面白かった!)

 ドキュメンタリーといえども、普通は脚本と、サンプルの映像等を企画にあげないと予算がつきません。お金を出して作る以上それは当たり前。ナレーションも音楽も入れて、落としどころを作っていくものでしょう。想田監督はそれがイヤみたい。音楽なし。説明なし。予定調和一切なし。突然終わるし・・・。

 「Peaceピース」の主な登場人物は、障害者や老人にヘルパーを派遣するNPOを運営する夫婦で、想田監督の妻の両親だそうです。もう一人、義母がヘルパーに入っている91歳の独居の男性。この人は末期の肺がんなのですが、タバコが唯一の愉しみで、愛用しているのは「Peace」。平和を意味するタバコを吸いながら、彼は戦争の思い出を語ります。しかし、これもすべて偶然。観察を続けているうち、こういう日常に行き当たるって感じで、映画はどんどん進んでいくのです。

 一方、義父が餌をやっている猫たちの、庭先で繰り広げられる様子が、この映画の大きな魅力です。淡々と映される猫の生活と、独居老人の生活と、老夫婦の生活。お互いの距離を保ちながら、尊重し、生を全うすることの不思議な温かさを感じました。それぞれが、それぞれの暮しを、同じ空の下で過ごしているっていうのかな。あ!これが、もしかしたら「Peace」ってことか?! (女房)

☆「Peaceピース」はただ今京都シネマで上映中です。

☆ 写真は、大家さんちの庭の南天。平和な晩秋の一コマです。

Tagged with:
 

「エイリアン2」。監督はお馴染み「アバター」のジェイムス・キャメロン。その彼の妻が、同業の映画監督キャサリン・ビグロー。この女が超1級のくせ者だ(これ褒め言葉)。彼女は2008年「ハートロッカー」というイラクの最前線に駐留を続ける米軍爆弾処理班の危険で過酷な任務の姿を冷静に、愛国主義的なアメリカから離れた目線で、描いた作品を発表する。

映画も壮絶だが、まだまだ、男性社会のハリウッドの職人達(スタッフ)を統率して灼熱のイラクでロケーションを敢行。劣悪な自然環境、戦場が近いという恐怖、そして自分の技術に自信を持つ男達の従えての撮影は壮絶で過酷だったはず。翌年だんなの「アバター」と並んでアカデミー賞候補に選ばれ、夫の作品の前評判をこてんぱんに叩きのめし、受賞をかっさらう。その受賞シーンの彼女。でかい!筋肉質!なるほどな〜このパワーと知性があれば、稚拙な物語「アバター」如き赤子の手をひねるより簡単。

で、話は86年発表のだんなの「エイリアン2」。ヒロインの名はリプリー。また、彼女がとてつもなくタフで強い。エイリアン軍団にへなへなに萎んでゆく海兵隊兵士を統率し、うじゃうじゃ出てくるエイリアンと戦う。おそろしくカッコイイ!この姿、だんなから見た愛妻の、日夜アホバカなハリウッドの貸本の亡者と奮戦努力する姿を投影した、愛妻へのオマージュに近いものと私は読んだ。

しかし、ナイーブな感じのだんなは、この強い妻に耐えきれなくなり、そして憎しみが芽生えた、と私は推測する。で、リプリーがエイリアンにバリバリ食い殺されるラストにしてしまおう、と考えた。しかしながら、はいリプリーはエイリアンに食べられました。めでたし、めでたし、なんて映画はハリウッドの論理では許されないばかりか、観客にも背をむけられてしまう。で、ラストは、クィーンエイリアンとリプリーの宇宙船での壮絶な殴り合いの末エイリアンが船から放り出され、一件落着となる。この落ちてゆくエイリアン、いつか、この妻に放り出される監督自身のみじめな姿が投影されている。

と思っていたのだが、再度データを調べると、この二人が結婚したのはこの映画の数年後だったことが判明した。つまり私の推論は見事外れたことになる。しかし、この時の彼の女房は、ゲイル・アン・ハードという映画プロデューサー。ハリウッドでは数少ない女性映画製作者。やっぱ、タフな女性なんだろう、と考えると私の推論はあながち間違ってないように思える.。

 この映画のラストを観るたびに、俺はなんて女に惚れてしまったのかと、苦しみながら堕ちてゆくキャンロンがオーバーラップされ涙を禁じ得ない、つらいSF映画になってしまった。(店主)

 

Tagged with:
 

最初のお断りしておく。いかなる理由でも、戦争は認めないのが私のスタンス。しかし、敬礼の出てくる映画ー即ち戦争映画は大好きなのだ。日頃はマイナーな映画ばかり追っかけているのに、DVDコレクションはその手の戦争映画ばかりなのだ。

 スピルバーグ作品「プライベートライアン」。亡き上官への深い追悼を込めた敬礼シーン近くなるともうだめ。じわ〜っと涙が(もう10回近く観てますが、毎度…)  

 あるいは「眼下の敵」。国こそ違えプロとしの力量を認め合った二人の艦長が交わす敬礼。「カッコイイ」。おそらく、その手を上げた瞬間の静かな佇まいに、少年時代からの艦長という職業への憧れと羨望がよみがえる。

 「ファイナルカウントダウン」という作品があった。アメリカ海軍の空母がタイムスリップして、真珠湾攻撃に向う日本軍と衝突する荒唐無稽なお話。そのラストで空母離陸する戦闘機のパイロットが、コックピット内からチラット地上支援員に敬礼しながら飛び立つシーンがあり、このシーンみたさに何十回も観てしまい、ビデオテープはぼろぼろになってしまった。

 と、おばかな行為を未だに飽きもせず、繰り返しているのだが、一つ教えられた事がある。それは、明らかな意志、気持ちを込めた身体行動、例えばお辞儀の所作。少なくとも、お店に来て頂いたお客様には感謝の気持ちを込めた敬礼、じゃなくお辞儀を忘れてはいけないという事を艦長や兵士から学んだこと。けだし、映画とはすごい存在ではある。(店主)

Tagged with:
 

「レティシア」と聞いて、フランス映画を思い起こしたあなた、そうです。レティシアとはロベール・アンリコ監督の『冒険者たち』(1967年)のヒロインの名前です。この映画は男二人、女一人の三角関係を軸に、彼らが夢を追いかける甘く切ない青春映画です。

それまで、イケメンのアラン・ドロンの切り抜きを空き缶にためていた中学生は、この映画から男は顔とちゃう!と、リノ・ヴァンチェラの魅力にはまりました。私にとっては、現在に至るまで40年以上映画を見続けるきっかけになった作品です。目を閉じれば、テーマ音楽の口笛が聞こえてきます。

そして、そして、あの時のジョアンナ・シムカスの可愛かったこと。素敵なジョアンナ・シムカスが演じたレティシアという名前は、それから長い間忘れることはできませんでした。

ジョアンナ・シムカスは『冒険者たち』や『オー』など4〜5作品に出演した後、輝いている真っ最中に、黒人俳優シドニー・ポワティエと共演したのをきっかけに同棲。さっさとスクリーンから去りました。私が高校生くらいのことだったと記憶しております。

数年前、アカデミー賞の授賞式で、シドニー・ポワティエが名誉賞かなんかをとった時、スピーチで、「美しい妻と子供達に感謝する」と言うと、カメラがその妻ジョアンナ・シムカスを捉えました。わ、まだ二人は一緒やったん!と画面に向って叫んだものです。(女房)

Tagged with: