先日、東京で行われている新作ゲーム展示会の事を報道していました。そこでヘッドギアを装着して、その人だけが見ることができるゲームを紹介しているのを見て、ついに、追いついたか、あの世界に、と思いました。押井守の映画作品「アバロン」です。

「アバロン」は、ヘッドギアを装着して行われる戦闘ゲームに大半の国民がはまり込んで、高得点を狙うあまり、多くの人間が廃人と化す状況の国(ロケはチェコで行われています)に生きる、孤高の女戦士を描く映画です。一旦リアルに撮影された映像をすべて、デジタル処理し直すという手法で再構成された映像は、そのバーチャルな世界と、彼らが生きている世界を独特の質感で描き出します。戦闘シーンで市街を移動する戦車を見ると、かつて自由を求めて蜂起したチェコの人々の前に侵攻してきた「プラハの春」事変のロシア軍を彷彿とさせます。

さて、ヒロインの女戦士は、そのバーチャルな戦闘世界で、さらに高得点を(このゲームは国の管理下に置かれ、ポイントに応じてお金が支払われます)得ようと前人未到の世界へと突入していきます。そして、以前から噂されていたプログラミングされていない究極の世界(バグと言い換えることもできます)へのキップをゲットします。その到達した世界で、彼女が最初に目にするのは「ようこそ、リアルワールド」というサインです。ギアを外し、外に出ると、なんと彼女が毎日生活している町、しかもいつもは曇天の町が、眩しい太陽の光に包まれた穏やかな町に変貌しています。そこで、彼女はかつての仲間に出会い、対決するはめになります。彼女の発射した銃弾は、彼の身体を貫通。死の間際彼は、「現象面に騙されるな」という謎めいた言葉を残して、息を引き取ります。ここは、リアルワールド。本来なら死体が残るはずなのに、その男を構成していた個々の情報に分解され消滅してしまい映画は終わります。不親切な映画ですが、色々と考えさせられるます。「ヴァーチャル」の究極が「リアル」というアイロニー。

ヴァーチャルな世界とリアルワールドを区別しているのは何なのか?

最初のヘッドギアの話ですが、このギアで一時ヴァーチャルな世界で遊んだプレイヤーが、こちらに戻ってきた時、もしその脳の奥深くに残像が残っていて、勝手に増殖しだしたらと思うとぞっとしますね。ヴァーチャルは、所詮ヴァーチャルなどと言えない程、リアルに近づいて来たこの時代。人はますますあやふやな境界線を歩くことになります。リアルな世界では「経験」という情報の蓄積で自己を形成し、ヴァーチャルな世界では、「疑似体験」というモードの蓄積で己を形成してゆくのでしょうか。

ひょっとして、いつもの犬との散歩は誰かにプロムラグされた疑似体験モードなのかも?

 

 

 

 

Tagged with:
 

「ロボジー」は最後を少々下げながら、引っ張って発音するのがベスト、って何のことかわかりませんよね?

映画「ロボジー」。ご存知ですか?電機メーカーの窓際社員が、ひょんな事から二足歩行ロボットの制作を命じられて、完成できずに思いついたのがロボットの中に人間を入れて、その場をしのいでしまおうというとんでもないアイデア。で、その中に入るのが、何処にでも居る73才の老人。つまり、「ロボット」と「ジジィ」を引っ付けたのが「ロボジー」です。だから、ジーをジィと、爺のように発音するのがベスト。(どうでも好い事ですが)

監督は「ウォータ・ボーイズ」の矢口史靖。主演は、ロカビリー時代からの大歌手ミッキー・カーチス(映画では五十嵐信次郎という名前でクレジットされています)。一回だけの約束だったロボットの代理の際、「おてもやん」に合わせて踊ったりして(写真がそれ)、あれよあれよと言う間に人気が出てマスコミも殺到。三人組は収集のつかない立場に追い込まれます。で、おじいさんは、再度ロボットの中に。さて、どうなるか?映画は後半で、あ、こういう結末になりそうと推測できます。まぁ、現実的にみれば、誰か気づくだろうがぁ〜と思いますが、しかし、ラストは驚かされ、笑わせてくれます。上手い!座布団一枚ですよ。これ以上は言えませんのでレンタルショップで借りて楽しんで下さい。

制作はフジテレビ。どうしようもなくつまらない「踊る大走査線」に比べれば、コメディの楽しさを堪能させてくれる作品です。そして、エンディングで流れるはSTYXの名曲「Mr.ロボット」。歌うは、五十嵐信二郎とシルバー人材派遣センター(笑)歌にのって流れる、エンドロールのアニメは「ピンクパンサー」シリーズのアニメを彷彿させる楽しさに溢れています。

Tagged with:
 

ここ2週間で映画館で2本、レンタルで2本の映画を観ました。すべて、心地いい作品ばかりでした。

映画館で観た二本は、「屋根裏部屋のマリアたち」、「最強のふたり」。どちらもフランス映画。人はどうしたら幸せになれるか、ということを淡々と描いた映画でした。映画が言っていることは単純です。「新しい人と遭遇すること」、それが幸せに直結するということです。前者では、金持ちの実業家が、屋根裏部屋に住まいするスペイン人のお手伝いさんと交流するにつれて、ブルジョワな生活から離れてゆく。後者は、全身麻痺状態の資産家が、下層階級の、過去に色々あった黒人とつき合うことで、日々の生活に光を取り戻してゆく。

DVDで観たのは、日本映画「南極料理人」と、アメリカ映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という理解不可能なタイトルの映画。前者は、「みんなで食べるって楽しいよね」というありきたりの真実を言うために、南極の基地で働く男たちの、三食をひたすら描きます。ラストも見事ですが、役者は大変だったでしょう。もう、食べるだけのシーンの連続ですから。お腹の減ってくる映画です。

一方、後者は「9・11」に巻き込まれて、父親を亡くした少年の心の振幅を描いた作品です。本好きにはたまらない映画「めぐりあう時間たち」、「愛を読む人」の監督スティーブン・ダルトリー作品です。少年は父親を亡くした悲しみから、解放されるのかということを描いた作品です。きっちりした脚本と、完璧な演技指導で作品を作り上げるこの人にしては、映像重視の映画作りも魅力です。

泣け、笑え、怖がれという如きの強圧的、独裁的な単細胞映画が席巻している今日、こういう作品に出会えるのは、幸せ以外なにものでもありません。いい映画って、向こうから近づいてくものです。その時にキャッチできるかどうかは、その人の心持ちですけれど。

Tagged with:
 

最近、レンタルショップで借りた二本の映画が、奇妙なテイストで面白かったです。

一本目は、ロマン・ポランスキー監督の「おとなのけんか」。上映時間70分強。マンションの一室のみが舞台。登場するは二組の夫婦、ジュディー・フォスター、ケイト・ウインスレットがそれぞれの妻に扮しています。お話は子どもの喧嘩の後始末の話し合いにやって来た加害者の夫婦と被害者の夫婦の会話劇。子どもの話のはずが、もう支離滅裂、暴走につぐ暴走。キッチンドランカーのケイトなんて、この短い上映時間の中で、何度も吐きまくります。まぁ、四人とも芸達者なんで、シニカルな笑いに浸らせてくれます。元々は、舞台劇とか。でも、エンディングの処理は、映画オリジナルでしょう。お見事、ポランスキー(拍手)です。

もう一本は沖田修一監督の「キツツキと雨」。役所広司、小栗旬、山崎努、そして高良健吾と、ずらり並んだ豪華男優陣の出演の映画は、日本でゾンビ映画を作ろうとしている気の弱い映画監督と、ロケ地にいた木こりの、友情みたいな、愛情みたいな、ものを描いた映画です。映画自体はトリュフォー作品「アメリカの夜」の日本版ですが、もっとファンタジーな世界が展開します。しかし、映像はものすごく細かい所まで、リアルに拘っていて、そのバランス感覚がお見事。監督は79年生まれで、日大映像学科出身。こんな、ひねったお笑いができるなんて。きっと、一般受けはしないとは思いますが、映画好きには気になります。調べてみると堺雅人主演の「南極料理人」の人でした。こっちも借りて来ようかな〜。400円で、十分に楽しませてくれました。

ところで、小栗扮する映画監督の次回作は「JAWS 」日本版。このゾンビ映画にしろ、鮫映画にしろ、きっと面白くなさそうです。

 

Tagged with:
 

高倉健さんの新作「あなたへ」が話題みたいですね。舞台挨拶なんか見ていると、今の俳優にはない存在感があって、他を寄せ付けない雰囲気がありました。でも、映画は観に行きません。

もちろん、「死んでもらうぜ。」の決め台詞の「唐獅子暮牡丹」シリーズ時代には、お世話になりました、でも、私には、倉本聰が脚本を書いた「冬の華」で、見事、ヤクザ映画とそのイメージを背負っていた健さんを愛情を込めて葬り去った時に、お別れをしました。

健さんの映画は、一本も所有していません。菅原文太の「仁義なき戦い」(深作欣二作品)シリーズは、すべて所有して、何十回と観ています。何故でしょう?

「仁義なき」=暴力映画と捉えられていますが、そうではありません。観て頂くとわかりますが。文太さん以下、皆さん真面目です。不義理はせず、筋の通らない事には、なんとか筋が通る方法を模索し、冠婚葬祭には必ず出席し、恩を仇で返すようなことをせず、揉め事があらば、対話を重ねるという、裏社会にいながら、余程昨今の政治家、官僚より汗をかいてます。しかし、見事それを、片っ端からぶち壊してゆく山守と打本の二人の卑屈で猥雑な親分。真面目にやろうとしている人間と、平気で踏みつぶして行く人間。その対比が、面白い人間ドラマです。昨今、平気で人の道を踏みつぶす御仁が多いので、山守さんだらけで笑えない状況ではありますが。

男らしい男というイメージで神格化され続けている健さんが、哀れに思ってしまいます。(好きですけど)それよりも、「この、腐れ外道が!」と咆哮しつつも、なんとか筋道のたつ方向を模索し続けた文太さんの「真っ当な」生き方がいいですね、裏社会ですが。だから、健さんの映画は観に行きません、これからも。

 

Tagged with:
 

映画監督デヴィット・フィンチャーは、金の亡者の跋扈する没落ハリウッドの少なくなった作家性に満ちた人だ。

映画デヴューは「エイリアン3」。ヒット作の三作目でありながら、最もアート性の高かった作品。(興行的には大失敗。主演のシガニー・ウイバーと険悪な関係になり、このエイリアン野郎と罵倒される)男たちだけの囚人の惑星に不時着したヒロイン、リプリー達のおぞましい顛末。暗い。そして、さらに暗い。

そして、キリスト教の「七つの大罪」をモチーフにした連続猟奇殺人事件をベースにした「セブン」。これまた、暗く、おぞましい。湿気の充満するする部屋、雨、水。じとじと。暗い。

その後、「ベンジャミンバトン」、「ソーシャルネットワーク」でまともな映画?も作った後に、挑戦したのが、スウェーデンの作家、ステーィブ・ラーソンの大ヒット推理小説「ミレニアム」シリーズ第一作「ドラゴンタトゥーの女」。フィンチャー的アートのお遊び一杯の面白い映画でした。

彼の映画の一番の楽しさはクレジットです。彼のクレジット集があれば絶対買います。この映画のクレジットも懲り過ぎで、ここまでやるか。さすがMTV出身だけあって映像のまとめ方は見事。どっかの現代美術館で特集してほしいものです。映画は、これまたおぞましい連続猟期殺人のお話。で、後半重要なモチーフになる一軒の家のデザインに懲りまくります。最先端の建築デザインのリビングルーム。しかし、人の温もりに全くない、無機質な部屋。その無機質感を、見事にアートにまで昇華していきます。そいう言えば、「エイリアン3」も無機質感の冷え冷えとした感じが、もう美しかった映画でした。あ〜オシャレな部屋なんて、うっとりしているとカーターナイフの刃がすーっと肌をすべってゆく恐怖にさらされます。

でも、この作家は絶対に、その辺の二流のオカルト映画作家と違って、血しぶきは飛びません。恐怖という概念を美しく見せることが、お好きなようです。「エイリアン3」、「セブン」そして「ドラゴンタトゥーの女」三本連続でご覧になることをお薦めします。蒸し暑い夏なんて、一気にぶ吹っ飛び、心身硬直、天国への道まっしぐらです。

Tagged with:
 

自伝、評伝問わず、映画、演劇の一時代を生き抜いた人の本はスリリングです。

大阪の古書市で、昭和52年に出版された芦田伸介著「ほろにがき日々」(750円函入り)を見つけました。一時、日中戦争の時代を生きた人々のことに興味があり、図書館で片っ端から、その手の本を読んでいました。この時代の事に興味を持ったのは、日活映画「戦争と人間全3部」でした。(蛇足ながら、敗戦記念日が近づくと毎年観ています)この映画で、芦田伸介は、満州で軍閥と結託する日本の新興財閥の中心人物を演じています。で、この本を読むと、本当にこの人は満州にいたことが分かりました。成る程なぁ〜、あの冷徹な人間像のリアルさは本物だったんだ。

やはり、同じ時代。日本人でありながら、中国人女優として銀幕デヴューした李香欄こと山口淑子の数奇な一生を描いた「李香欄私の半生」(新潮社500円)も、下手くそな映画やドラマ以上に面白い一冊です。1920年、満州生まれ。満州映画協会に李香欄としてスカウトされ、「うたう中国人女優」として一世を風靡するも、敗戦でキャンプ収容。その後、彫刻家イサム・ノグチと結婚そして、離婚。その後外交官と再婚し、ワイドショーの司会を経て人気を掴み、そのまま議員の道を驀進。と、もう疾風怒濤の人生でした。

やはり、まぁ凄まじい人生ですね、と言いたくなる高峰秀子の上下巻「わたしの渡世日記」(朝日新聞社1500円)とか、佐野眞一がぐいぐい迫る「怪優伝ー三国連太郎」(講談社1300円)、或は不世出の喜劇役者三木のり平の「のり平のパーッといきましょう」(800円)とか並べだしたらきりがありません。

しかし、渋い悪役やらせたら天下一品だった成田三樹夫が自分の作った俳句を集めた「成田三樹夫遺稿集 鯨の目」(無明舎出版3000円)は、このジャンルの本としては異色です。文学青年であり、読書家であった彼の俳句250句程を集めた貴重な一冊です。やくざ映画で、眼光鋭い暴力団幹部を演じていた彼の俳句はこんな感じです。

風吹いて空わっとかをを出し        寒月やのぞめば老歯するる音

そして、こんな句を残して天国へと旅立ちました。

身の傷みひと息づつの夜長かな

Tagged with:
 

今日は映画1000円デー。で、狙っていた映画、「崖っぷちの男」を観る。

アホバカ映画ばかりと思っていたアメリカにも、こんな映画作る輩がいたんですね。

一番アメリカ映画が輝いていた頃、シドニー・ルメットの「狼たちの午後」、J・フランケンハイマーの「ブラックサンデー」、ウィリアム・フリードキンの「フレンチコネクション」、そしてドン・シーゲルの「ダーティー・ハリー」等の傑作映画の舞台が持っていた「街の臭い」が見事に表現されています。この映画は舞台がニューヨーク。クレジットタイトルも吹っ飛ばして、いきなりNYの街角をカメラが捉えます。(因みに、エンドタイトルも実にクールな出来具合)

高層ホテルの窓から外に出て、今まさに飛び降り自殺しようとする男。実は、この男は脱走犯。自分の無実を証明するためにうった大博打。それ以上は言えません。特に、ラスト、見事に観客も騙されます。あいつは、やっぱりな〜。こいつは、ルーティーン通りね。でも、えっ〜、彼は×××だったの!です。とにかく、リズムがいい。脚本がいい。脚本が良くてもリズムの悪い映画は、大抵つまらないものです。主人公の過去をべたべた描かない。くだらない色恋沙汰をかませない。めったやたらと銃弾戦をやらない、そしてCGを使わない。だから、上映時間も2時間かからない。そして、観客にあれこれ考えさせない、もうスカッとさわやかです。ちらっと、リーマンショック以後のブルーカラーの憤懣も出ていて、TVのドキュメンタリーみたいと思っていたら、監督は本当にドキュメンタリー出身で、劇映画はこれが第一作だとか。これから、ハリウッドの資本家に喰いものにされんことを期待します。写真はそのワンシーンです。高所恐怖症の方には、あまりお薦めしません。

Tagged with:
 

国旗みたいに洗濯物を掲げて愛国心向上を目指すわけではありません。

昨年夏、我が家の解体と建築のため、東福寺のA教授のお宅に居候していました。居候を始めたのは8月後半の、まだ猛暑が続いている日でした。仮住まいスタートの翌日の朝でした。A教授宅では、洗濯物を野外に、しかもかなり高い高さにある物干に掲げることが出来ることがわかりました。洗濯物を竿に通し、せぇの〜で、まるで空中に放り出すように掲げると、その後ろから夏の太陽光線がキラキラと降り注ぐというメルヘンチックな光景を楽しむことができるのです。風になびく白いタオル。宮崎アニメ「となりのトトロ」や、小津安二郎の「東京物語」にも出てきますね。

風にたなびく物体を、高く掲げるという行為は、人をして高揚させるのかもしれません。古いハリウッド映画「硫黄島の砂」では、最後に激戦の地の山頂に、皆さん良くご存知のアメリカ国旗がたなびくシーンが登場します。まぁ、これはハリウッド的な愛国精神高揚の典型ですが、数年前にC・イーストウッドが監督した「父親たちの星条旗」を観ると、戦費獲得のためのデモンストレーションに利用され、その現場にいた兵士達は、国の宣伝道具として散々引っぱり回され、戦後悲惨な人生を余儀なくされたことが描かれていました。

アイルランド出身のロックバンドU2は、初期のライブで、「ブラディ・サンデー」を歌う時に真っ赤な旗を高く掲げていました。これは北アイルランドで起きた英国軍による虐殺事件「血の日曜日事件」への抗議の意味合いを持っていました。

映画「ラストエンペラー」では、中国共産党による中国統一後、喜びに狂喜し、絶対的に毛沢東を崇拝する若き近衛兵達が、出来たばかりの真っ赤な国旗を振りかざして、町中を行進します。ファナスティックでありながら、どっかで陶酔してしまいそうな危ないシーンでした。

ま、妙なものを振りかざすぐらいなら、洗濯物を高く掲げて、今日も一日好天で、平和ですねぇ〜と空を見上げていたいものです。

 

Tagged with:
 

「ル・アーブルの靴磨き」、「星への旅人」、「キリマンジャロの雪」この三本の映画に共通するのは?

正解は、主人公がすべて、初老の親父が、そしてその妻が主役の映画です。当然、映画館の観客層の年齢層もシネコンの映画館に比べて、一気に上がる。先日観た「キリマンジャロの雪」なんて、平日、朝一番の上映で、ほぼ満席で、映画に登場する一組の中年夫婦と同じぐらいの年齢層。みんな、ヒマか?

「ル・アーブルの靴磨き」は、ひたすら、不法滞在の少年を国外に逃がす夫婦の話。「星への旅人」は、ひたすら、志半ばで死んだ息子が歩いていたスペインの巡礼の道を歩く親父の話。「キリマンジャロの雪」は、ひたすら、身寄りのなくなった子供をどう救うかで行動する夫婦の話。キーワードは、はい「ひたすら」です。特に、「星への旅人」なんて、CG無くば、映画にあらずのアメリカ映画界で、よくも制作した!!とそれだけで拍手ものの、主人公がひたすら歩くだけの映画です。演じるは、「地獄の黙示録」でアフガニスタンの奥地で地獄を経験したマーティン・シーン。そうか、あの地獄から帰ってきて、年老い、今度は亡くした息子の歩いた道を、己を見つめるために歩くのか、と思うと感無量でした。

フランス映画「キリマンジャロの雪」は、解雇された組合委員長とその妻が、子供達から送られたアフリカ旅行のチケットを強盗に取られてしまう。しかし、その犯人が元同僚の後輩。しかも彼は幼い弟二人を養っていた。映画はこの夫婦の取った行動と巻き込まれる家族、友人の心理を描いていきます。登場するこの夫婦も、子供達も、友人達も、そして犯人の青年すらも、その言動に間違いはなく、皆正しい。誰かの正義に偏ることなく、監督は一歩ひいて、いかにもフランス映画らしい「人生ってこんなもんね、ハン」的態度で見つめるので、甘いドラマにならず、安心して観ていられる作品です。

「ひたすら」と言うべきか、「愚直」と言うべきか。これぞ、我ら中高年が誇るべきものではないのか!と思わせる作品が三本も、しかも立て続きに観てしまうなんて、偶然とはいえ驚くべきことですね。そして、もう一つ魅力的なのは、みんな笑い顔がチャーミングなこと。おっさん、おばはんの難しい顔なんて、百害あって一利なしです。アラーキーの写真集「恋する老人たち」(筑摩書房1300円)に登場するお年寄り、特に最後のページに登場するおばあさんの笑顔を忘れたくはないですね。

 

 

Tagged with: