ヒエロニムス・ボスと聞いて、あっ、あの気色悪い絵を描く画家かと思われる方もあるかもしれませんね。

人物像はおろか、生年月日すら不明。後年、ブリューゲルやダリ、マグリットなど多くの画家に影響を与えた謎の多い画家ですが、肖像画も残っていないそうです。緻密な描写で、天国と地獄を所狭しと描いた代表作『快楽の園』に着目し、奇想天外なボスの世界を、ドキュメンタリーにした映画「謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス」を観てきました。

「快楽の園」は、1490年から1510年の間のいずれかの時期に描かれたもので、スペインのプラド美術館に所蔵されています。

奇々怪々、グロテスクに満ちていながら(写真左上)魅力的な作品で、いつまでも魅入って佇んだり、その描写に思わず笑っている人や、あっけにとられている観客を映画は捉えています。作品を巡って美術史家、作家、哲学者、音楽家、アーティスト達がそれぞれに熱い思いを語っていきます。それにしてもです、映像で捉えられた「快楽の園」の細部をじっくりと見ていると不思議な感覚になってきます。

エロチックであったり、オカルト風であったり、スプラッタ風であったり、これはギャグか??と思わせたりと、様々な場面がぎっしり充満しています。ボスが、誰のために、何のためにこの作品を描いたのか、全く不明です。描かれている世界が天国なのか、或は地獄なのか、多くの論争を巻き起こしましたが、これもまた不明のまま。ただ、何でもありの世界をじっくりと見た人が皆、それぞれの物語を語りたくなってくるのです。

平凡なセンスを吹き飛ばすボスの作品に一度トライしてみて下さい。

映画「謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス」の優れているなと思ったところは、監督が選んだ音楽が完璧に画面にマッチしていることです。ジャック・ブレルのシャンソン。エルヴィス・コステロの「オベロン・アンド・ティタニア」。「快楽の園」の世界をそのもののようなラナ・デル・レイの唄う「Gods&Monsters」。カール・リヒターのオルガンで、「憐れみたまえ、わが神よ!」等々、クラシックから現代のロックまで、その選曲のセンスに脱帽しました。

今年のアカデミー作品賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」は、とても素敵で、なおかつ今のアメリカの状況を象徴するような傑作です。

監督のギレルモ・デル・トロに心より拍手します。彼は、幼い時に観た「アマゾンの大半魚人」のことが忘れられなくて、なんとか自分なりの半魚人ものを監督しようと資金集めに奔走します。が、「半魚人と人間の女性の恋物語?はぁ〜?何それ?」という反応ばかり。なんとか資金調達の目処がつきるかなと思うと、もっと美女を出せとか、実は半魚人がイケメンだった、とかに変更せよという注文がつく。ならば自腹切って、と製作に着手しました。

その結果、監督が夢みた世界が、誰にも邪魔されずに描かれました。舞台は1960年代、捕獲された半魚人が、とある軍事研究所に連れてこられて、研究対象にされます。ここで働く中年の掃除婦が、半魚人に恋をするという物語。若く美しい女性もいないし、男はいつか王子様に変身するわけでもありませんが、泣きたいほど美しいラブストーリーが出来上がりました。

黒人公民権運動が盛り上がってきた、60年代の時代設定が巧みです。当時のアメリカは白人優位で、白人以外は人として認められていません。カフェに来た黒人カップルが、出て行けといわれるシーンがその象徴です。半魚人に恋する女性は、口がきけない障害者です。彼女の友だちは、同じアパートに住むゲイの初老男性と、職場の同僚の黒人女性だけ。黒人と同じように、当時はゲイに対する差別も今とは比べものにならないくらいひどいものでした。

そんな社会のマイノリティー達が、やはり無理矢理自分の国から連れてこられた奴隷同然の半魚人を逃がそうとするのが、後半のサスペンスです。メキシコ生まれの監督の、かつてのハリウッド映画へのオマージュ溢れた演出には、涙してしまいます。

軍事研究所の暴力的な警備責任者は、半魚人を殴るわ、蹴るわ、果てはヒロインに迫り、声が出ないの知っていながら「お前のあえぎ声が聞きたい」などとほざく、パワハラ・セクハラの大バカ者です。そして、彼がいつも読んでいるのが”The Power of Positive Thinking” 。マクドナルド創設者の数奇な生涯を描いた「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」で主人公が愛読していたベストセラーです。「強いことが正しいことだ。勝つ事が正しいのだ」と説くこの本は、ほとんど本を読まないトランプ大統領の唯一の愛読書とか。おわかりですね。そう、映画はトランプ大統領の、マイノリティーへの嫌悪という今のアメリカを、暗に浮き上がらせるのです。しかし、反トランプを前面に押し出すことなく、ファンタジーとして実に美しい結末を用意しました。

美しく切ない恋物語に酔いつつ、やっぱり今のアメリカは危ないことを再認識しながら映画館を後にしました。

町田智浩の「映画と本の意外な関係」(集英社/古書400円)は、最近読んだ映画、書物に関する本の中では、最も刺激的な一冊でした。

この本の最初に、映画に映し出されたいくつかの本棚の紹介があります。昨年「ダンケルク」で話題になったクリストファー・ノーランのSF映画「インターステラー」は、重力論、量子力学果ては五次元論まで飛び出す、わかったような、わからないような、しかし何度観ても飽きない作品でした(10回は観たなぁ〜)。映画の冒頭、主人公の家の本棚の移動ショットがあるのですが、町田は、ここにある本をピックアップしていきます。時間を逆にたどってゆくマーティン・スミスの小説「時の矢」や、マデレイン・レングルの「五次元のぼうけん」をみつけ、これらの本がノーラン監督の映画の原型になったことを見逃しません。

さらに、ボルヘスの短篇集をみつけ、こう書いています。

「クーパー(映画の主人公)が迷い込んだ五次元空間は、マーフ(主人公の娘)の本棚が上下左右に連結されて無限に続く図書館のように見えます。まさにボルヘスが想像した『バベルの図書館』です。」

面白かったのは「007」シリーズの言葉をめぐる章です。2012年に公開された「スカイフォール」のタイトル”Sky Falls” はローマ時代の法格言「天堕つるとも、正義を成就せしめよ」から取られています。物語は、まさに天が堕ちるような事態が勃発して、窮地にたった007の上司Mを助けるべくロンドン市内を疾走するボンドに、Mのこんな言葉が囁かれます。

「我らの英雄的な心はひとつなのだ 時の流れと運命によって疲弊すれど 意志は今も強固だ 努力を惜しまず 探し求め 見つけ出し 決して挫けぬ意志は」

これ、1800年代に活躍した詩人テニスンの「ユリシーズ」という詩からの引用でした。大活劇のスパイ映画なのですが、方々に、こんな知的遊びが隠されていたなんて。

ご存知アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」の原作はパトリシア・ハイスミス。彼女は50年代に「よろこびの代償」というタイトルで女性同士の恋愛小説を発表しています。後年、彼女は自分が同性愛者だとカミングアウトしました。そして、この原作は2015年に「キャロル」というタイトルで映画化されました。ところが、彼女がカミングアウトするまでに、「太陽がいっぱい」における隠された同性愛を指摘していた人物が日本にいました。映画評論家、淀川長治です。

主人公トムが親友フィリップを殺すシーンを、淀川はこう解説したといいます。

「実はトムはフィリップに恋しており、自分のものにならない彼を殺して、同一化する物語だ。フィリップの胸に突き立てられるトムのナイフはペニスの象徴だ」

当時、作家の吉行淳之介など多くの人がそれは深読みすぎると批判しましたが、彼女の死後書かれた伝記から、「太陽がいっぱい」に流れていた同性愛的メタファーが証明されたのです。ここまで読み込む淀川の力量は恐ろしいほどです。

この本を読んで、紹介されている作品をご覧になってはいかがでしょうか。きっとスリリングな映画体験になりますよ。

★連休のお知らせ 勝手ながら19日(月)20日(火)連休いたします。よろしくお願いします。

ウォーターゲート事件を覚えておられますか。1972年、ニクソン政権による民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まったアメリカの政治スキャンダルです。この事件の二年後ニクソンは辞任に追い込まれました。事件を追いかけて大統領を追い詰めたのが、ワシントンポストの新聞記者たちで、後に、この新聞記者たちの手記を元に「大統領の陰謀」というタイトルで映画化されました。(何度観ても、噛めば噛むほどいいスルメみたいな傑作です)

映画に登場する、新聞記者たちに政府の情報を流していた人物がいました。名付けて「ディープ・スロート」。実は、これが当時のFBI副長官マーク・フェルトだったことが、本人の告白で世に知れました。映画「ザ・シークレット・マン」は、なぜフェルトが本来漏らしてはいけない情報をマスコミにリークしたのかを追いかけた作品です。

彼が、リークした理由は只一つ。独立組織であるFBIに政権が介入し、コントロールしようとしたからです。政府機関である組織のナンバー2の立場にいる人物が、苦渋の決断をしていく過程を丁寧に描いています。マーク・フェルトを演じるは、リーアム・ニーソン。この人のスーツ姿、しかも後ろ姿が、もうかっこいい。中年のおっさんの後ろ姿って、人生を表してこんなにかっこいいのかと思いました。(おっさんにもよるが)

映画は、フェルトが正義の人という色合いに染め上げていきません。彼自身、他の事件で不法な盗聴を指示していたのです。だから、ラストは彼が裁かれる所で終わり、さらにエンドクレジットでは、長年連れ添った妻の悲惨な最期が出てきます。

しかし、組織の独立だけを守ろうとした男の在り方は、どこぞの国のお役所とは大違いで、ため息しか出てきません。さらに、映画の中で、アメリカ合衆国憲法の話がチラリと出てきたりして、この国では憲法が生きていることを実感させられます。そう言えば、「大統領の陰謀」でも「守るべきはアメリカ合衆国憲法修正第一条。表現の自由。」というセリフが登場しました。

まぁ、憲法の修正 第二条には「人民の武装権」が規定されているのは困ったものなのですが……..。

フィンランドの名監督アキ・カウリスマキの新作映画「希望のかなた」を観てきました。

いい映画です。初めてカウリスマキ作品をご覧になる方は、上映開始後、ゆっくりと呼吸してください。小津安二郎映画をリスペクトする彼の映画は、派手なカメラワークもなければ、起承転結がはっきりとする作品でもありません。実は扱っているテーマは極めて現代的なのに、淡々と、ゆっくりと進行します。先ずは、観る側も呼吸を整え、ふわりふわりと進む映画のリズムに同調させてください。

舞台は現代のフィンランド。多くの難民が戦火を逃れて不法入国し、難民申請をします。映画の主人公の青年もその一人。空爆で一家皆殺しに合い、たった一人の妹とも生き別れの状態で、この国に逃れてきます。難民として受けいれてもらおうと当局に申請するのですが却下され、強制撤去されそうになります。それを救ったのは、とあるレストランのオーナーと従業員。このレストラン自体は、やる気があるのか、ないのか、わからない状況なのですが、彼らは、この青年を救おうとするのです。

と、書くと感動のストーリーみたいですが、そうではありません。彼らも自分たちができることを、淡々と煙草ふかせながら、やっていくだけ。そうして、映画の中程で、ふと、ほんまにこいつらええ奴やなぁ〜、ええなぁ〜とほっこりしている自分に気づきます。レストランの連中だけでなく、知り合いの長距離トラックの運ちゃんなんかも、とんでもない事をして、青年を助けます。へへ、朝飯前よ、と煙草を一服する辺りで、正義漢ぶらないし、全く大げさでないし、いいなぁ〜こんな連中、と拍手したくなってきます。

増加する一方の難民問題をテーマにすると、どう取り組んでも暗く、辛い内容になりがちです。それを、こんなコメディーセンス溢れるやり方で撮るなんて、やはりカウリスマキは才人ですね。困っている人を助ける、その大切なことだけをゴチャゴチャ言わずに作り上げた映画です。

そして、もう一つ。出て来るフィンランドのミュージシャンがカッコいい。トム・ウエイツばりの酔いどれ詩人風のTuomari Nurmioの「音楽か死か」という曲は、最高にいかしたブルースロックでした。

 

今年、正月一番に観た映画は、「猫が教えてくれたこと」(トルコ映画/京都シネマにて上映中)です。昨今の猫ブームのせいなのでしょうか、なんと満員で、立ち見の盛況ぶり。しかし、この映画、可愛らしい猫が登場するだけの映画ではありません。

トルコの古都イスタンブール。ここに住む猫たちは、街の中で日々の食料や安心な寝床を得ることできています。そして、心に傷を負った人にとっては生きがいとなったり、お店の人と適当に距離を取って仲良く付き合ったりと、様々なスタイルで生きています。

地面スレスレのカメラが、猫の目線で古都の姿を捉えていきます。7匹の猫と、それぞれに関わっている男たち、女たちのインタビューを交えながら、日常を追いかけます。猫と暮らす彼らは、そんなに裕福な生活を送ってはいませんが、どこにも暗さがないのです。いや、現実には大変なことが続出し、それぞれに苦しいのかもしれません。しかし、猫と共にいる時間だけは、穏やかに流れています。なんか日々の暮らしの小さな幸せを見つけ方が上手なのです。

猫でも犬でも、動物と暮す最大のメリットは何かと言えば、欲がなくなることではないでしょうか。おいしいものを食べたいとか、気持ちよく過ごしたいとかの欲求はありますが、分不相応な贅沢への欲は少なくなると思います。まぁ、一緒に生きてりゃ、いいかみたいになってくるのですね。もちろん、すべての飼い主がそうとは言えませんし、とんでもないお金をつぎ込んで、ペットを飾り立てている方もおられますが。

ところで、この映画に登場する人達は、ペットととして家の中に囲い込むことなく、共に、この街に生きる仲間として猫と暮らしています。「日々是好日」あるがままに、身の丈にあった日々を生きていければ、それは素晴らしいものだ、とこの街の猫たちは教えているのかもしれません。

 

★当店ギャラリーで現在開催中の「ネコヅメのよる」展(1月21日まで開催)で販売中のカレンダー「Charity Calendar2018」はあと数冊で完売です。また、著者の町田尚子さんの”ご当地サイン入り”絵本も十数冊で終了です。お早めにどうぞ。

 

再度、アガサ・クリスティーの「オリエント急行殺人事件」が映画化されました。物語も、ラストの謎ときも知らない人はいないくらい有名な小説なので、今更と思われるかもしれませんが、やはり面白いのです、これが。

新作は、英国演劇界の重鎮で、映画監督でもあるケネス・プラナーが監督主演し、名探偵ポワロを演じています。前回の映画化(1974年)同様に、オールスターキャストです。まあ忠臣蔵みたいなもんですね。舞台が列車内だけに限定されるので、ちゃんと演技の出来る役者が起用されてますからその演技を楽しむことができます。可哀想にズタズタに刺し殺されるジョニー・デップも、いかにも悪い道を歩いてきたという凄味のある悪役を演じています。

74年の映画では、辛い人生を背負った人達がやむなく犯罪に走り、最後にポワロの計らいで救われるという幸せな幕切れでした。登場人物みんなの笑顔を見て、こちらも幸せな気分で劇場を後にした記憶が甦ります。

今回、監督のプラナーは捻った展開を見せます。もちろん、誰が殺したかがメインに物語は進行しますが、それ以上にポワロという人物の心に奥に入り込み、彼の不安や焦燥感を炙り出していきます。ミケランジェロの絵画「最後の晩餐」の人物配置と同じような感じで、容疑者たちを並べるというケレン味たっぷりの演出で、ポワロが屈折した思いを訴える辺りは、さすがシェイクスピア役者と感心いたしました。

ラストも笑顔はありません。ポワロは雪の降り積もる淋しい駅に一人下車し、迎えの車に乗る後ろ姿で終ります。決して、事件解決で良かった、という雰囲気ではありません。白と黒しかないという彼の信じる正義と、灰色の結末のまま終ってしまった虚しさが描かれているようなエンディングでした。

映画にする以上、今までにないポワロを創造してやるというケネス・プラナーの気合い十分の映画でした。

今年も30本程の映画を映画館で観ることができました。私の今年のベストは、こんな感じです。

「メッセージ」、「ブレードランナー2049」、「ベストセラーズ」、「怪物はささやく」、「パターソン」、「ラ・ラ・ランド」、「シーモア先生の人生相談」、「ドリーム」、「女神の見えざる手」そして「彼女の人生は正しい」(邦画)の10本です。「メッセージ」はDVD買って何度も見ています。

●レティシア書房のお知らせ●

 年始年末 12月29日(金)〜1月4日(木)休業いたします。

 

ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ監督・主演作品「オン・ザ・ミルキーロード」を観ました。

映画でも小説でも、作家の独特の文体、リズムがあります。見始めて、或は読み始めて、暫くの間は、作家のリズムにこちらがチューニングする時間です。その間に、この作家は合わないなぁ〜と感じたり、いいねぇ、この監督は!と画面に釘付けになったりします。で、クストリッツァのリズムですが、最初の40分程、私にはどうにも波長が合いませんでした。

国籍不明の国同士、戦争中のお話です。砲弾飛び交う中、ロバに乗ってミルクを配達する男が主人公です。これ戦争映画?…..ではありません。男の周囲にはロバ、鷹、さらには大きなヘビが集まってきます。え?ファンタジー映画?…..ではありません。戦争中だと言うのに、村人たちは、飲めや歌えやの大宴会。延々続くバルカンサウンド。ミュージカル?…..ではありません。

もう、わけわからん状態で進行していきます。ところが、1時間を過ぎたころからでしょうか。不思議に気分が良いのです。シュールな展開に、こちらの判断能力などほぼ壊滅状態。破天荒な世界に巻き込まれてしまいました。主人公と新婚ほやほやの花嫁は、追いかけてくる兵士から逃げ回るのですが、この逃避行たるや、サスペンスも笑いもファンタジーも満載で、楽しいこと。

そうして、ラストに至って、映画が訴えたかったことが見事に映像になっています。花嫁を失くした男は、その後、荒野の険しい山を、大きな石ころを担いでひたすら登っていきます。何故か?それがラストシーンで分かります。

映画では地雷と火炎放射器を、愚かしい戦争のシンボルとして描いています。その愚かしいシンボルに黙々と立ち向かう主人公の姿を見せながら、カメラはぐんぐんと空を登っていきます。映画最初の違和感など吹っ飛び、こみ上げて来る涙で一杯の幕切れでした。エミール・クストリッツァ。只者ではありません。

 

 

 

 

映画館で観たい映画ってありますよね。

古くは「アラビアのロレンス」「2001年宇宙の旅」「地獄の黙示録」「未知との遭遇」そして「スターウォーズ」と、大スクリーンで、響き渡る音響の中に身を置いてスクリーンを凝視することで、その映画のスゴさを理解できる映画。

「ブレードランナー」の続編として製作された「ブレードランナー2049」もそんな一本でした。映画が始まってすぐに広がる未来のLAの都市の姿など、小さい画面で観たら、その迫力なんてさっぱりわかりませんね。

先ず、この映画、言葉で書かれたシナリオの世界を、よくもまぁ、ここまで映像化したもんだと驚きました。最先端のCG技術を駆使しながら、意匠デザイナー、セットデザイナー、美術監督、色彩コーディネーター等々多くのプロが作り上げた2049年のLAの姿を堪能してください。

そして、CGは凄いが中身からっぽの大作が多い中、深い物語性をきちんと備えていました。前作「ブレードランナー」は、反乱した人造人間(レプリカント)を追いかける捜査官を描いた単純なストーリーでした。今回も、そんな感じの話ですが、ゆっくりしたリズム(上映時間は2時間半を超えます)で、進行していきます。自身もレプリカントの捜査官Kが、人間に反旗を起こした旧型レプリカントを追い詰めてゆく過程で、自分の頭の中にある記憶を巡って疑問を持ち始めます。私とは何者なのかという問いかけが、とんでもない方向へと向かっていきます。圧倒的な映像美に幻惑さらされながら、私たちもKと共に長い旅をすることになります。

監督は、個人的に今年のベスト3に入る「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴ。「メッセージ」の時も、複雑なストーリーを単純に割り切らずに、不可解な部分を残しながら演出していました。

「ブレードランナー」の下敷きになっている日本のアニメ「甲殻機動隊」は、人間の躰に機械を埋め込んだ人物が主人公です。つまり、生物だった人間が、無生物へと転化してゆく世界を描いています。しかし、「ブレードランナー2049」は、その逆です。人造人間であるはずのレプリカントが子供を生むという、無生物だったはずの存在が生物として存在しうるのかへと向かいます。どちらにしても人間って何?というテーマを内包していることは間違いないですね。

様々な解釈が成り立つ映画です。テクノロジーに満ちた世界を描きながら、雪とか木とか虫が、何らかの意味合いを持って迫ってくる不思議な作品でもあります。もう一回見ておきたい(大画面で)と思いました。

 

 

 

 

 

ロビイストというのは、政治家に様々な陳情をして法案を通させるのが主な仕事です。アメリカのロビイストで、トップクラスの実力を持った女性を主人公にした映画「女神の見えざる手」は、面白さ抜群の映画でした。これは、観なけりゃ損です。

ヒロインのスローン(オリジナルタイトルは「ミス・スローン」です)は、事務所の社長に、銃擁護派団体代表という大物クライアントを紹介されます。銃規制法案を通さないために、法案に前向きな女性たちを取り込んで欲しいという依頼です。このクライアントが、トランプ大統領なみにマッチョで、どこか女性をバカにしています。こういうおっさんって、アメリカにも我が国にも一杯います。

彼が言うには、例えば銃を恐れる母親から銃で大切な子供を守る母親へ、というようなイメージチェンジなどで女性たちを取り込み、規制反対に向けて欲しいと、陳腐丸出しのキャッチコピーの数々を提示するので、スローンはあきれて大笑い。彼の提案を一蹴します。それどころか、大きな権力を持つ「銃擁護団体」に対抗心を剥き出しに、「銃規制は必要だ」と言い放ち、逆に規制法案賛成派のNPO団体の要請を受け、部下を引き連れて会社を辞めます。

映画は、ここからあの手この手で、大きな勢力にぶつかってゆく彼女の闘いを描いていきます。相手の出方を読み、その一歩先をゆく冷徹な彼女をジェシカ・チャステインが颯爽と演じます。この映画が並の作品になっていないのは、彼女を、銃犯罪の犠牲者だったとか、正義の人にしていないこと。最後に明かされる彼女の陳述は圧巻です。

味方が傷つくような事も、使えるものはすべて使って勝利に向かって邁進するのですが、罠にハマり、公聴会で査問を受け万事休すかと思った瞬間、稀に見る大逆転劇が待っているのです。いや、お見事でした。結末は言えないのですが、しゃべりたい!!誰かと一緒に観たら、あのシーンは、こんな意味があったんだとか、きっと話が弾む映画です。

羨ましいなぁ〜と思う事がひとつあります。ウォータゲート事件を扱った「大統領の陰謀」以降、政治を扱ったアメリカ映画には、必ず合衆国憲法が登場します。「大統領の陰謀」では修正第1条「言論の自由」、そして今回は修正第2条「人民の武装」を巡っての意見が飛び交います。我が国の映画やドラマで憲法の中身がフツウに登場するなんて希有なことです。憲法が根付いている国なんですね。

 

 

 

★臨時休業のお知らせ

11月6日(月)7日(火)連休いたします