見逃していた韓国映画「嘆きのピエタ」(キム・ギドグ監督)を朝一回だけ上映していたので、行ってきました。いや〜身も心も冷え冷えとしてくる地獄巡りを楽しませてもらいました。

下層階級の人達に高利で金を貸し、返済できないと見るや、屋上から突き落とす、或は機械に手を入れて切断して障害者の保険金で返済させるという極悪非道の若者のお話。これだけで、痛い!とお思いの方もおられと思いますが、直接的な残酷シーンはありませんので、ご安心を。でもギョ〜ンと唸る機械の音はゾクッとします。

その若者の前に、生まれてすぐ彼を捨てた母が出現するところから、とんでもない方向へ話は進んでいきます。淡々と仕事に励んでいた彼の心に、まさか本当に母親?いや嘘に決まっているという疑惑が、さざ波のごとくおしよせます。演じるイ・ジョンジンがその心理を見事に表現します。

「ピエタ」とは、十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱く、聖母マリア像のことであり、慈悲深き母の愛の象徴。そのピエタが「嘆いている」という意味が、最後で明らかになります。母親役を演じたチョ・ミンスも引き裂かれるような複雑な心の有り様を演じて、片時も目が離せませんでした。

そして、冷凍庫に入っているかの如く寒くて寒くて仕方ないのに、その一方で浄土へ誘われる様な至福も感じさせるエンディング。(このラストだけは絶対に言えない!)希望など皆無で、静かで、強烈で、魂を引っ掻くようでありながら、否応なく魅かれてしまう不思議な力を持った映画でした。

直木賞作家の桜庭一樹はこう書いています

『キム・ギドク氏の作品は、わたしの人生をより複雑にすることで、繰り返し救済してくれます。物語の最後に見えるあの微かな光を求めて、わたしはまた彼の映画を観てしまいます。」

「あの微かな光を求めて」という表現は、優れた映画、小説に必ず存在することだと思います。

 

★冬の一箱古本市は今日が最終日です。11日からは、ミニプレス「日々」のバックナンバー展が始ります。一緒に「アンティーク帯バッグ」「木工」「リース」など暮らしを彩る作品が並びます。お楽しみに!

 

Tagged with:
 

開催中の「一箱古本市」も今週末までになりました。昨日はちらつく雪の中、多くの方にご来店いただきありがとうございました。今回初出店の古書店「びすこ文庫」さんも神戸岡本から来てくれました。びすこ文庫さんは開店して4ヶ月経ち、色々イベントも展開されています。

今日は、私が客の立場なら買う!というものをご紹介します。先ずは、喜国雅彦の「本棚探偵の冒険」(2500円)。第二集が出た時に、思わず買った本の第一集です。これ、漫画家の作者が、悪い仲間に引きずり込まれて、古本にはまってしまい、いろんな本や人と出会う様子を綴った一冊です。アカデミックな古書本ではなく、よし!古書店に行こかいな、という気分にさせる店主にとっては好都合な本です。オマケの月報「本棚趣味」も付いています。

お酒、特にウィスキー愛好者には、おっ、という本がありました。ジャン・レイ「ウィスキー奇譚集」(850円)です。著者はベルギーの幻想文学の第一人者。ウィスキーにまつわる短篇怪談集とでも言いましょうか、チビチビやりながら酩酊気分で読み出すと、北欧の薄暗い霧に囲まれた街角を彷徨う感じがしてきます。

中野翠「小津ごのみ」(800円)も読んでおきたい一冊です。小津映画の本は沢山出版されていますが、著者の明確な視点が面白い。「お茶漬けの味」に出ていた佐分利信を「無骨なのに何か独特の性的魅力がある」との表現には、全くその通りと相づちを打ちました。巻末には、現在観ることの出来る小津映画のすべての解説もあり、レンタルする時に大いに参考になります。

もう一点、私の好きな小川洋子の「いつも彼らはどこかに」(900円)。すべて、動物を主人公にした、でもお涙頂戴の安易なものではない短編集です。「一本の木が倒れる。地面の揺れる音が森の奥に響き渡る。しかし、誰も褒めてくれない。ビーバーは黙々と労働を続ける」という文章で終わる「ビーバーの小枝」は、特に好きな一篇になりそうです。

出店者の方々、最終日まで残っていれば、私買いますのでご安心を。

 

Tagged with:
 

昨日の新聞に、こんな死亡記事が載っていました。「アメリカの俳優フィリップ・シーモア・ホフマン死去」。えぇえ〜??

名優と呼ばれる人、演技の巧みな役者は沢山います。しかし、カメレオンの如く何にでも化けて、画面を攫っていき、なおかつ人の闇の深さを醸し出す人はそういません。始めに印象に残ったのが、ラストに蛙が画面一杯に降ってくる?奇妙きてれつな映画「ブギーナイト」でしたが、決定的に覚えたのは、アメリカ文学を代表する一人カポーティが、代表作「冷血」を書き上げるまでを描いた「カポーティ」でした。か細い、神経質な作家像を見事に演じきり、不気味な演技をしたかと思うと、「ダウト」ではメリル・ストリープ相手に、男色の疑いをかけられた牧師の複雑な内面を、その黒い牧師の服の上に滲み出すというウルトラC級の演技で、観客を圧倒させました。

しかし、その一方で、トム・クルーズの「ミッションインポシブル3」では、サディスティックな悪役でトムを圧倒する余裕を見せつけました。そんな大作に出たかと思うと、「脳内ニューヨーク」という説明しにくい不思議な映画に登場するというメジャーもインディーズの関係なく、どれも彼が際立つという怪優ぶりでした。

最近ではジョージ・クルーニー主演の政治サスペンス「スーパーチューズデイ」で、ぶよぶよのお腹を見せながら、汚い金にまみれた選挙参謀や、ブラピの野球映画「マネーボール」で、弱小野球チームの監督役やらで存在感を見せる一方で、初老のチェロリストを演じる「25年目の弦楽四重奏」では渋い演技を見せていました。

その人の顔を見ているだけでこちらがワクワクしてくる人間がいます。例えば、中村勘三郎を見たら、また歌舞伎を観に行こうとか、忌野清志郎を聴けば、ライブ聴きにいこうという気分にさせてくれる人達です。ホフマンの名前がポスターにあれば、やっぱりワクワク気分で映画館に駆けつける、そんな俳優でした。享年47歳。ご冥福をお祈りします。

Tagged with:
 

私が、死ぬ程好きなミュージカル映画が1本あります。ジャック・ドミー監督、ミシェル・ルグラン音楽のフランス映画「ロシュフォールの恋人たち」です。主演はカトリーヌ・ドヌーブと姉のフランソワーズ・ドルレアック。ゲストに「ウェストサイド」のジョージ・チャキリス、「雨に唄えば」のジーン・ケリー。私の中で、これがフランス的なるものを決定してしまった映画でした。死ぬ程退屈な同監督の「シェルブールの雨傘」とは比べ物になりません。お話は、すれ違いのメロドラマなのに、洒落ていて、エスプリ満載、スイング感に溢れていて、「軽妙洒脱」という言葉は、この映画のためにあるのだと思っています。

そのサントラCD(リマスター完全盤2枚組1900円)が入荷しました。もうオープニングから、心ウキウキ!にさせてくれます。華麗なストリングスの響き、小粋に跳ねるピアノ。そして、学生時代には鬱陶しいだけの言葉だったフランス語のスキップ感。開店前の掃除のBGMには欠かせません。映画を知らなくても、ジャズなんて聴かなくても、「踊らんかな」という気分一杯です。監督はルグランにこう要請したそうです。  

「楽しさが風のように吹き渡り、常に幸福感が漂う音楽」と。

ところで、TVプロデューサーだった高平哲郎が、林家三平、美空ひばり、松田優作、淀川長治、上月昇等20数名の思い出を一冊にまとめた「あなたの思い出」(晶文社1500円)があります。各人には、それぞれジャズのスタンダードナンバーの曲が割り当てられていてます。例えば、勝新太郎「煙が目にしみる」、たこ八郎「言い出しかねて」という具合です。ちょっとセンスのいい都会派小説を読んでいるような楽しさが溢れた「ノスタルジックエッセイ」です。イラストは和田誠。ドミー、ルグランコンビに負けないコラボですね。

大好きな役者、成田三樹夫に充てた曲は「茶色の小瓶」

「まっすぐに背筋を伸ばした男の前にはざる蕎麦と天麩羅と茶色の小瓶のビールがある」上手いなぁ〜いい出だしだなぁ〜、こっちも一杯飲もうかという気分になりますね。 

                                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Tagged with:
 

映画はモンタージュです。それは、こういう事です。1美味しそうなカレー 2よだれを垂らした男 3空のお皿 4満足顔で眠る男。これが、続けて撮影されると、私たちは、お腹が空いていた男が、美味しいカレーを食べて満腹になって横になっているのだなと理解します。

このモンタージュという技法で映画は成り立っています。音も色もなかった無声映画時代、頼るべきはこれだけでした。トーキーになり、カラーになり、ドルビーサウンドシステムに3D映画へと発展していった映画は、ともすればその基本的な、映画だけが持ちうる技術を忘れがちになりました。ところが、数年前から、原点へ回帰するような作品が出てきました。2012年アカデミー作品賞の「アーティスト」や、京都シネマで上映中の「ブランカニエベス」は、なんとホントに無声白黒映画でした。

「ブランカニエベス」は、1時間40分、音楽の伴奏だけの映画ですが、メチャ楽しい映画です!生まれると同時に母を失い、父と生き別れて、再会もつかのま、父は亡くなり、継母に殺されかける。そして闘牛士一座に加わった主人公が、女闘牛士として脚光を浴びるというストーリーですが、これが全く白雪姫です。ちゃんと七人の小人も出てきます。どんどん展開する波瀾万丈の物語、ここぞ!という時に鳴り響く音楽。え?これ無声映画だった?と途中で気づくぐらいです。もちろん白雪姫に欠かせない、悪女の継母に毒リンゴなどもちゃんとご用意。そして、ラストは、お〜〜〜こういう展開か!!と驚きました。

無声白黒映画ですが、映像的、音響的技術は最先端のものが駆使されています。複雑に動くカメラ、微妙な陰翳で画面を盛り上げる照明、そして様々なスタイルで、緊張感や、哀しさを盛り上げる音楽。劇中、蓄音機からレコードの音が聞こえてくるシーンがありますが、そこだけノイズ混じりのモノラルサウンド的効果が効いていて、細部まで緻密に構成されています。

3D映画並みのハイクォリティーの力量で、遥か昔のサイレント映画を蘇らせた作品であり、新しいサイレント映画の第一歩です。

昨日観た映画「ファイア・バイ・ルブタン」の台詞です。え、なんの映画?って、これはフランスのナイトショーのドキュメントです。オッパイいっぱい、お尻いっぱいのダンスのドキュメントなんですが、滅茶苦茶に面白いのです。

1951年巴里、シャンゼリゼ近くに設立されたナイトクラブ<クレイジーホース>。そのショーの舞台で、80日だけ上演された「ファイア」。世界トップクラスのシューズデザイナー、クリスチャン・ルブタンが演出がした舞台を映像化したものです。

完璧に鍛え抜かれたダンサー達の肉体美と、見事なステップ。奇才デヴィット・リンチが音楽を担当したナンバーでは、画面に出てくるのは、ルブタンの美しくも怪しい魅力の靴を履いたダンサー達のつま先だけです。加速してゆくサウンドに合わせて、つま先が踏む寸分の狂いのないステップに、目は釘付けになり、靴のまき散らすエロスの香りに絡めとられていきます。

そして、そこでのダンサーの台詞が「たかがメイク、されどメイク」でした。メイクをしようがしまいが、足だけの踊りで顔は無関係なのに、きちんとしていないと踊りにミスが出そうになる。足の先から頭のてっぺんまで装ってこそ、完璧なダンスを見せられるという、いやぁ、これぞプロの踊りです。彼女達の根性と体力と裸の前にひれ伏しました。

はるか昔のことですが、私も、いわゆるストリップ小屋通いをしたことがあります。あの小屋の猥雑なんだけれど、あっけらかんとした自由な雰囲気は、忘れられません。あれとは、全く違うショーですが、こうは言えます。

「おっぱいが一杯、おしりが一杯、自由が一杯」と。

 

 

Tagged with:
 

映画「アラビアのロレンス」の主演ピーター・オトゥール死去(81歳)の記事が新聞に載っていました。62年製作のこの映画は、大スクリーンに映し出される砂漠が圧倒的迫力で迫ってきました。観る前は、憂国思想にのめり込んだ男の壮大な叙事詩だと思っていたのですが、全然違いました。特に後半、ロレンスが自らの同性愛的嗜好とマゾヒズム的なるものにさらされて、混沌とした暴力世界で自己が引き裂かれていくのは、つらく悲しいものでした。

この複雑な人間ロレンスを演じたのが、ピーター・オトゥールでした。砂漠の神秘に魅かれて行く前半から、グロテスクに変貌し、深い孤独の内に砂漠から去るラストまで見事でした。写真のように、青い目の美しい人です。

特に印象に残るのは、ロレンスが捕まえられて、好色なトルコ軍将校の目の前で、裸にされて鞭打たれるシーンです。苦痛と、屈辱に身悶えする自分の無様さを一瞬の眼の演技で見せます。確か、彼は「将軍たちの夜」でも、同性愛の将軍を演じていて、印象に残っていました。オトゥールだけでなく、複雑な人間の暗い心理を演じると、イギリスの俳優さんは抜群に上手いです。マイケル・ケイン、ダーク・ボガード、若き日のローレンス・オリビエ等をすぐに思い浮かべます。

吉田健一の「英国に就て」(筑摩書房500円)を読むと、こんな文章に出会います

「英国人は紳士であるといふことをよく聞かされる。ところが、紳士といふこと自体が非常に暖味な観念であって、殆どどんな意味にでも使へるのであるから、英国人が紳士だというのは何のことか全然解らない。」

知性と教養に溢れ、気品のある振る舞いを何気なくするというのが紳士のイメージです。そして、英国の俳優たちはそういうキャラクターをきちんと演じてきましたが、一方、己の内部に巣食う精神的破綻を、仕立てのいいブラックスーツに隠して、何事もないかのようにエレガントに振る舞う時、さらに彼らの魅力は輝きを増してきます。

スーツの下からチラッと覗く、白いワイシャツとカフスボタンの美しさを見せるのが英国人俳優だと、私は思っています。

 

Tagged with:
 

是枝裕和監督作品「歩いても、歩いても」は、劇場公開された時に観ていましたが、先日BSの放映を再度観て、その作品の持つ深さに改めて感心しました。

亡き長男の墓参りに、お盆に帰ってきた次男と嫁と連れ子、姉とその夫、そして父と母の二日間を淡々と描きます。そこには家族の死が介在していて、一見しただけでは解らない、ちょっとしたズレ、孤独、嫉妬、そして垣間見せる狂気等を織り交ぜながら、それでも何事もなかったように、人生は続いて行くのです。数年後、亡くなった父と母の墓参りに訪れた次男夫婦の背後に広がる夏の青空は、人の世の切なさと、変わらぬ故郷の風景を対比させてみごとです。

食べることを丁寧に追いかけた作風は、小津映画を観ているような気分になります。お盆に作る母の手料理、思い出深いトウモロコシの天ぷら、スイカ割り、近所の寿司屋の出前、長男のお参りにきた青年が食べた水ようかんなど。小津の世界とはまた違う家族の話ですが、底に流れる、近いようで遠い家族の抱える思いは同じ様な気がします。

是枝監督はこの映画の原作(玄冬舎500円)も自ら書いています。その最後に書かれているのは、

「あぁ、あの時こうしていれば・・・・・と気づくのは、いつもその機会をすっかり逃して、取り返しがきかなくなってからだ。人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。それが父とそして母を失ったあとの僕の正直な実感だった。」

この二行程の文章を、是枝監督は映像で語っています。ぜひ、DVDでご覧下さい。

こういう家族の話になると、庄野潤三が描いてきた小説群を思いだします。

「ザボンの花」(みすず書房1400円)を読むと、やはり飯の炊き方をめぐっての会話が出てきます。彼の小説は、特に事件が起こるわけでもなく、東京郊外に住む家族の日々を描くことで、独特の詩情を生み出します。(だから、若い時にはとてもつまならない小説だと思いました)

「夏は、一年のお祭りのように思われる。万物がみな燃えたら、夏ばんざいと叫んでいる。ところが、夏はある日、突然、終わりに来てしまう。まるで、卓上のガラスの器が、何もないのに音を立てて割れてしまったように、夏はこわれてしまうのだ」

なんて文章に出会うと、今は涙ぐんでしまいそうです。

 

Tagged with:
 

今日は、映画監督小津安二郎の生誕110年、つまり誕生日です。戦後の作品は、何十回も観ているのに、いつ観ても不思議な映画です。

例えば、昭和24年発表の「晩春」は初っ端から凄いです。「晩春」のクレジットの下に「昭和24年完成」と書かれているのです。「完成」なんていう言葉の入ったものは観た事ありません。そして、映画が始って10分間・・・・え、これお茶の作法の映画だった?と勘違いするくらい延々と茶室のシーン。と、思えば突然、鎌倉に住むヒロインの父が原稿を書いているシーンに吹っ飛び、さらに、翌日東京へ向かう父と娘の乗る電車と車窓風景を延々捉えたかと思うと、東京の街中で、ばったり出会った親戚の叔父さんと小料理屋で差し向かうシーンへと飛んでいきます。

そして、ここからがまた凄いです。この叔父さんが、娘の家にお邪魔して飲みながらの会話が、

「海はこっちかい」「いや、あっちだ」

「「北はこっちかい」、「いやあっちだ」

「東京はこっちか」、「いや、向こうだ」なんですか、これ。映画の文法すっ飛ばして、もう小津だけの世界。

一人娘の結婚と残された父の孤独がテーマなのですが、映画は、音楽鑑賞、お能鑑賞、洒落たカフェ、紅茶、お酒と、生活の細部にわたり執拗に追いかけます。

映画監督の吉田喜重は、小津映画を「反戦映画だ」と評価しました。つまり、繰り返される日常、ささやかな楽しみが、ある日突然断ち切るのが戦争だ。だから、小津映画は変わらない日常の重さを執拗にひたすら描くのだと。この指摘は間違っていないと思います。

朝起きて、ご飯を食べ、仕事をして、一杯のお酒に酔う。その変わらぬ人の営みを奪う戦争を、小津は最も忌み嫌ったのかもしれません。

戦後すぐに撮影された、この映画には、美しく咲く花々や、大きな入道雲や、清々しい風、そして穏やかな鎌倉の海辺が何度か挿入されています。一発の爆弾で、この美しい風景は消滅してしまうということを視野に入れたカットなのかもわかりません。

 

Tagged with:
 

鈴木即文著「東映ゲリラ戦記」(筑摩書房1300円)今年一番の本、と言っておきましょう。

いやぁ〜面白かった、興奮しましたね。

前編「京都ポルノ戦線」、後編「帝都進行作戦」の二部構成ですが、全編エキサイティングです。当時、東映の封切りは二本立て興行でした、メインの作品(大抵はヤクザ映画です)に引っ付くB級映画に関わった人達の奮闘記です。

例えば、

「温泉みみず芸者」「女番長ブルース」「現代ポルノ伝 先天性淫婦」「徳川セックス禁止令 色情大名」「エロ将軍と21人の愛妾」等々、これ以上書くのは、止めておきますが。

短期間で仕上げなければならない脚本、コロコロ変わる本社からの命令、見つからない女優など、もう大混乱の現場を駆け抜けてゆく男たち、女たちの喧噪の日々。

例えば、「温泉みみず芸者」。これ、最初は「たこつぼ芸者」(なんのことやら)で撮影スタートしたのに、社長の「みみず」の方がええで!の一声で内容まで変更。「現代ポルノ伝 先天性淫婦」は、フランスからサンドラ・ジュリアンという女優を呼んで、日仏ポルノ合戦を繰り広げる。ヒットすれば、彼女を「徳川セックス禁止令 色情大名」という時代に引っ張り出し、ひたすら押しまくる。もうハチャメチャな日々です。「エロ将軍と21人の愛妾」なんて、「21人の愛妾」だけ決定で、脚本も全くなし。で、どうしたかと言えば、マーク・トゥエインの名作「王様と乞食」のストーリーをかっぱらってきて、シナリオにしてしまうという無茶苦茶強引ぶり。

映画なんか観てなくても(多分、このブログを読んで頂いている方々はご覧になっていませんよね)、御託並べずに、這いつくばっても映画を作り続ける現場の、熱気と狂気を十分に体験できます。

「エロ将軍と21人の愛妾」といえば、この映画には思い出があります。どこで観たのかは忘れましたが、その頃私は、なんかもう全く後ろ向きな日々を送っていました。ところが、ラストでお城の中をおっぱい丸だしの女優さんたちが、大勢で踊り狂う喧噪の絵巻物シーンを観た時、そんな気分など見事に吹っ飛びました。ポルノ映画に涙したのは後にも先にもこの映画だけでした。と、同時に、この大部屋女優さんたちの迫力に、どう転んでも男は女に敵わんわ〜と痛感させられた作品でした。この作品に出会わなければ、私の女性観は違っていたように思います。「男の東映」に、女性の強さを教えてもらいました。

蛇足ながら、この映画はDVD化されていますので、万が一、興味持たれた方はどーぞ。     

 

 

 

 

 

 

 

 

Tagged with: