「オズの魔法使い」というミュージカル映画は誰もがご存知のはず。主演のジュディ・ガーランドは、1940年〜50年代のハリウッドを代表する、アメリカで一番といっていいほど有名なミュージカル俳優でした。

 

しかし、晩年は悲惨で、アルコールと薬物の中毒、神経症の悪化が彼女を苦しめていました。何度目かの離婚で、二人の子供の親権争いも抱えていました。60年代後半、起死回生のコンサートをロンドンで行い、喝采を浴びます。しかし、滞在先のホテルで睡眠薬の過剰摂取で死亡。まだ47才の若さでした。

映画「ジュディ」は、そのロンドン公演の彼女の人生最後の輝きを描いています。アメリカでは、もう忘れられた存在であった彼女は、ロンドンにある大きなバーの舞台に立ちます。呂律の回らないぐらい酒を飲んでいても、舞台に立ち、スポットライトを浴びると見事な歌いっぷりで観衆を沸かせます。これで、往年の輝きを取り戻せるかと思ったのもつかの間、遅刻をした挙句、べろんべろんで舞台に出て、観客から酒ビンを投げつけられ、罵声を浴びてしまいます。

さらに映画の中で何度も挿入される、子役だった頃の過酷な仕事の思い出が、今もなお彼女を苦しめます。当時のハリウッドでは、児童虐待といっていい仕打ちがまかり通っていたようです。

けれども、公演を打ち切られた最後の最後に、一瞬の輝きを取り戻し、名曲「虹のかなたに」を歌いあげます。ジュディを演じたレネー・ゼルウィガーは、本作品でアカデミー主演女優賞を獲得。お見事でした。

映画から60年代当時、英国では同性愛は犯罪だったことを知りました。彼女の熱烈なファンが、前の公演の時は、服役中で行けなかったとジュディに告げるシーンがありました。彼とパートナーが、最後の舞台で感極まって歌えなくなった舞台のジュディを助けるところは、感動的です。実際、ジュディは早くから同性愛に対して理解があったのは事実です。今も「レインボウ・フラッグ」が同性愛解放運動のシンボルとして使われますが、これは「オズの魔法使い」で「彼女が「虹の彼方に」を歌ったことに由来してるそうです。

ところで、DVDには特典として主演のレネー・ゼルウィガーのインタビューが収録されていました。「今、望んでいるものは?」という質問に、彼女はにっこり微笑んで、「平和」と答えました。こんな質問には、俳優としてのキャリアアップなどを述べる人が多いと思うのですが、気負った雰囲気もなく素直に出てきた言葉に、素敵な人だなぁと思いました。

休日はすっかり巣ごもり生活ですが、こんな時こそ見逃した映画を楽しんでいます。

 

「グリコ・森永事件」は、1984年3月にグリコ社長を誘拐、身代金を要求した事件を発端に、同社に対して脅迫や放火を起こした事件です。その後、森永やハウス食品など、大手食品企業を脅迫。現金の引き渡しには次々と指定場所を変更して捜査陣を撹乱し、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れませんでした。さらに同年、小売店に青酸入りの菓子を置き、全国に不安が広がりました。結局、犯人は逮捕されずに、事件は時効を迎えました。

この事件を元にしたのが、塩田武士「罪の声」(講談社文庫/古書300円)で、当ブログで8月に紹介しています。2016年の「週刊文春」ミステリーベスト10第1位、山田風太郎賞受賞、本屋大賞第3位と高い評価を得て、私も面白い!の一言に尽きると書いていました。

多くの人物が登場し、時代をまたがって進む長編小説だったので、2時間そこそこの映画では筋を追いかけているだけで、面白くないだろうと、映画の方は公開されても見向きもしませんでした。

ところが、見に行かれた方の「良かった!」という声もあり、脚本を担当した野木亜希子が切れ者だという噂も聞いて、ちょっと見てみようと思い立ちました。

いや〜パーフェクトな出来、私の中では今年の日本映画のベスト1でした。噂通りに野木の脚本が申し分ない出来で、多くの登場人物を見事に捌き、ストーリーを追いかけるだけの事件ものにしていないのです。

新聞記者の阿久津(小栗旬)と、家族の犯罪に悩む仕立て屋の曽根(星野源)が、事件の核心に迫って行く様を地道に描きながら、登場人物全ての人生の悲しみを語っていきます。主演二人の人気俳優以外は、割合地味な実力派の役者を揃え、リアルに徹しているところも巧みでした。

最初は阿久津の接近に距離を置いていた曽根が、徐々に関係を深めて行く辺りの描き方は、よくアメリカ映画のモチーフになっている、男二人もののロードムービーのような演出がされていて大いに楽しめました。

ミステリーだけに詳しくストーリーを語れないのですが、ラストを締める宇崎竜童、梶芽衣子の芝居で、あぁ〜、ここは泣くだろうなと思っていると、やはり劇場全体もそんな感じになっていましたね。

若いあなたがこの映画を見たら、よく出来た話ね、で終わるかもしれません。しかし、真面目に生きて、それなりに苦しいこと、悲しいことを経験して歳を重ねてきた方が見たら、宇崎や梶の顔に刻まれた皺のアップにも泣けてくるかもしれません。犯罪映画とはいえ、彼らの皺一本一本に染み込んだ悲しみが心にしみます。

でも、私が最も泣けたのは、きっとそんなラストシーンだろうと予測していた通りの展開で、エンディングに見せた小栗旬の笑顔でした。この笑顔に会いに、もう一度劇場に出かけようかな〜。

舞台の一つが京都なので、地元人には、あ〜!あんなところでロケしていたのか!と見つけるのも楽しい。オススメです。

 

以前このブログで同監督の「さよなら人類」をご紹介しました。その時、「この映画がなぁ〜、と多くの人が思うかもわかりません。ストーリーのある様な、ない様な、主人公がいる様な、いない様な映画ですから。(途中で席を立った方もおられました)」と書きました。初めて観たアンダーソン作品の第一印象ですが、結局、なんて素敵な映画だったんだ!と、いい気持ちで帰宅しました。

新作「ホモ・サピエンスの涙」も、やはりストーリーはなく、しかも登場人物も関連がない。時代も年代も異なる人々が織りなす、悲劇ような喜劇のようなお話の数々でした。構図、色彩、美術に至るまで徹底して監督がこだわった全33シーンが、それぞれワンカットで作り上げられています。観ているうちに、ちょっと眠たくなって、うつらうつらしてるとなんだかとても気分良くなってくるのです。あぁ〜、ずっとこのまま観ていたい、っていう感覚。

以前TVで、能楽師の方が「本当にいい舞台は、観客を眠たくさせる。でも完全に寝てしまうのではなく、起きているのか、寝ているのかわからない状態で、幻想のかなたの物語に入りこませる」と、いうようなことを話されていたことを思い出しました。

俳優で映画監督でもある斎藤工は、アンダーソン監督を「静止画に挑んだ映像作家だ」とコメントしています。極めて絵画的な画面を凝視していくうちに登場人物に同化していき、一瞬の人生の切なさ、苦さ、愛おしさみたいなものを受けとるのです。映画を観るというより、監督が作り上げた静謐な空間を一緒に漂う体験をする、といったらいいでしょうか。

ラスト、だだ広い草原を走る道でエンストした車から降りてきたおっちゃん。なすすべもなく、周りを見渡し、車の中を覗き込む。聞こえてくるのは風の音と鳥の声だけ。大変な状態なのに笑えてきて、人生ってこんなもんだなぁ〜ホヨヨン〜と、またちょっと幸せな気分で劇場を後にしました。ぜひ映画館で観てください。

 

 

沖田修一監督作品「おらおらでひとりいぐも」(京都シネマにて上映中)は、老いも若きも観てほしい映画です。一人暮らしのおばあちゃんの映画ですと言ってしまうと、なんだか暗そうなんて思うかもしれませんが、大丈夫。笑えます。でも、老人を茶化しているわけでもなく、しっかりと見つめています。

1964年東京オリンピックの年。東北生まれの桃子さんは、お見合い結婚を投げ捨て、東京へと向かいます。そこで見染めた男性と結ばれ、子供も二人授かりました。それから55年。夫に先立たれ、子供とも疎遠になり、外出するのは病院と図書館で本を借りる時ぐらい。ひとりで暮らす家は、いつも静かでした。

突然、3人の男が現れます。実は彼らは桃子さんの心の声が人の形となって現れたのです。ワイワイガヤガヤと雑談したり、家の中で踊ったりと、何かと騒がしいのですが、実際には見えない人たちなので当然なのですがふっと消えたりします。そうしてまた、静かな空間で、いつもの生活に戻ります。

映画は、この3人との交流と、桃子さんが回想する若い時の自分の姿を交互に織り交ぜながら、老いた彼女に寄り添います。「老い」と「孤独」というテーマを沖田監督は、大胆で、そして軽妙洒脱に仕上げていきます。

前作「モリのいる場所」でも、老人画家、熊谷守一を描いた沖田監督は、とんでもなくユニークな手法で、私たちが否応もなく向き合う孤独と老いを見つめ、それでも一人で自由に生きてゆくんだという心意気を描きました。映画後半、森を散歩する桃子さんが、まるで森と会話するように、ゆっくりと歩みながら、ひとりで生きてゆく心持ちを高めているところは感動的です。

桃子さんを演じた田中裕子が絶品でした。

1973年8月、ストックホルムで発生した「銀行強盗人質立てこもり事件」における人質解放後の捜査で、人質が警察に銃を向けるなど犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明しました。また、解放後も人質が犯人をかばい、警察に非協力的な証言を行ったこともありました。本来ならばありえないような人質と犯人が親密になる状況を「ストックホルム症候群」と呼ぶようになり、その後もハイジャック事件などで、見られるようになりました。

この言葉の語源となった立てこもり事件を映画化したのが、「ストックホルム・ケース」(京都シネマにて上映中)です。犯罪映画というものの、正統派のサスペンスものではありません。いや、笑ってしまうような作り方です。

アメリカ人丸出しの格好で銀行に押し入ったラースは、行員3人を人質にして、犯罪仲間の釈放と逃亡資金を要求します。逃亡用の車を手配する時に、「マックィーンの『ブリット』で彼が乗っていた車を用意しろ」とかいう辺りから、もうメチャクチャです。やがて、事態は膠着して、長期戦に突入していきます。最初は恐怖だけだった女性行員のビアンカとの間に不思議な共感が生まれていきます。

怖いのか、不真面目なのかわからん強盗を演じるイーサン・ホークの演技が面白いです。B・ディランの「明日は遠く」をハモリながら強盗に押し入り、突入した警官を抑え込むや否や、お前も歌え!と脅迫、歌わすという無茶ぶりですが、本当のところ悪人ではないのかもしれません。

後半は、金庫室に閉じ込められた犯人と人質との会話が主になっていきます。そして、あろうことか、ラースとビアンカは結ばれてしまうのです。映画の最初に「事実を元にした物語」というクレジットが出ますが、さすがにこれはフィクションではないかしら。

ラスト、当然ラースたちは逮捕されてしまいます。一方のビアンカは、浜辺で子供と遊ぶ夫を虚ろな視線で見つめています。愛する家族のもとに戻れて幸せなはずなのに、なぜかそうとは見えない表情で幕。彼女が何を思っているのか、映画は何も語ることなく終わります。ヨーロッパ映画らしいエンディングです。

 

★四条河原町にある書店「京都メリーゴーランド」で、昨日より「ミシマ社のヒミツ展」が始まりました。当店でされた時とは一味も二味も違う展覧会です。

 

 

 

富山県のローカルテレビ局「チューリップテレビ」が、自民党市会議員の政務活動費使用で不正があったことをすっぱ抜きました。その一部始終を記録した「はりぼて」(京都シネマにて上映中)を観てきました。

開催していない市政報告会の領収書、勝手に数字を書き込んだ領収書などが、どんどん出てきます。当初の言い訳を、記者にグイグイ追及された議員たちが、いともあっさりと、トランプみたいにゴネまくることなく、「申し訳ありませんでした」と謝罪会見を開き、辞職してゆくのです。尊大な態度で記者に接していた議員も、次のシーンでは頭を下げているのですから、ほんま、笑ってしまいます。

市議会のビルに集まってくるカラスたちの鳴き声が、所々に入ります。どう聞いても「アホウ、アホウ」と鳴いているよう。頭を下げる議員、アホウと鳴くカラスが交互に登場します。情けない。

最初に、偽の領収書を突きつけられた議員は、”富山市議会のドン”と言われた人物で、ちょうど議会で議員給与の値上げ法案を提出して根回しの結果議決されたところでした。しかし、疑惑発覚後議員辞職に追い込まれ、その後半年の間に14人の議員が続々と辞職していきます。

さらに、この失態を追及していた議員もセクハラ容疑で告訴されるという、開いた口が塞がらない状況です。

「仁義なき闘い」で金子信雄が演じた小悪人の醜悪さに大笑いしましたが、あれ以上です。きっと、伊丹十三が生きていたら、この事件をベースに面白い劇映画を作っていただろうなぁ〜と思いました。

しかしこれはお話の出来事ではなく本当のことなので、笑っていてはいけない状況です。が、あまりの愚かさに、映画館内もため息と失笑しかありません。2020年には、全国一厳しい条例を制定したものの、不正が発覚しても辞職しないで居座る議員の状況も描かれています。

さらにこの議会、女性が全くいない。おっさんばっか。こりゃダメだ。出直し選挙で少しは増えたみたいですが、まだまだです。地方議会だけでなく、国政でも変わりません。選ぶ者の責任が突きつけられます。笑って、笑って、ゾッとさせられる、エンタメ作品になっていました。ぜひご覧ください。

 

 

黒沢清の最新作「スパイの妻」(ベネチア国際映画祭監督賞)を観ました。演出、撮影、照明、役者の演技等どれを取っても素晴らしい。映画好きならご存知のように、黒沢監督は独特のセンスで、ホラーやサスペンス映画を作ってきました。寒々しい映画館で観た「Cure」なんて、怖くて怖くて震えました。

彼にとって初めての歴史ものとなった本作は、まるでオペラみたいに堂々とした展開で、太平洋戦争下の日本で、軍の秘密を知ってしまったある夫婦の運命が描かれていきます。

1940年代の神戸。優作は貿易商を営み、妻の聡子と西洋風の自由な生活を謳歌しています。ところが仕事で満州国へいったとき、優作はそこで日本軍の秘密を目撃してしまいます。それは、関東軍の細菌部隊による人体実験でした。その事実を世界に公表しようとする優作と、そのことを夫から知らされた聡子に憲兵隊が迫ってきます。

東出昌大が、従来の黒沢映画によく登場する突発的な暴力を振る舞う憲兵隊隊長を好演しています。一方、聡子は当初、夫の行為を愚行と非難するのですが、やがて、自らの思いで夫の行為を助けようとします。豹変するあたりの聡子を、蒼井優が完璧に演じ切ります。蒼井優無くして、この映画は成り立たないと思います。

後半は二人の脱出劇と情愛を巧みに絡めて、緊張感を持ったまま観客をラストへと導いていきます。サスペンスとメロドラマを縦糸に、陰影深い映像を横糸に上質の織物のようなクラシカルな演出で、あぁ〜いい映画を見せてもらったという100%の満足感をもたらしてくれます。

強圧的で暴力的な戦時中の権力と、それに抗う個人の正義という図式は、そのまま今の状況を映し出していきます。そういう意味では、黒澤らしい「ゾッとする」作品でもあります。

なお、監督の本として「映画のこわい話黒沢清対談集」(青土社/2100円)、「映画はおそろしい」(青土社1600円)の二冊を、店に置いています。

 

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「金沢美術館」「すみだ北斎美術館」など、多くの建築を手がけてきた建築家妹島和世が、大阪芸術大学アートサイエンス学科の新校舎建築に携わった数年間をドキュメントした映画「「建築と時間と妹島和世」を観ました。この建築家に特に興味があったわけではなかったのですが、監督をしたのが写真家のホンマタカシでした。写真家中平卓馬を追いかけたドキュメンタリー映画「きわめてよいふうけい」の撮影を担当したことはありますが、映画監督は初めての作品。ちょっと興味が湧いたので映画館へと向かいました。

建築家の脳内にあった抽象的な概念が、有機的な建物へ、具体的なモノとして仕上がってゆくまでを、現場の定点観測を巧みに入れながら、60分少々で描いていきます。

舞台となったのは、大阪芸術大学アートサイエンス学科の新校舎(2018年11月完成)です。妹島の頭にあったのは、「公園のような建物」でした。周囲の緑豊かな風景という特性を生かし建物を構想していました。直線でデザインされた建物ではなく、緩やかにカーブする曲線を取り入れた建物で、森の中の丘みたいな印象です。

ホンマは、その様子を低速度撮影という手法で、完成まで撮影していきます。コマ撮りアニメのような感じで、徐々に形を表す建物と周囲の風景を捉えています。花が咲くまでを高速で撮った映像を見たことがあると思いますが、まさにアレです。

妹島が、何度も建築模型を作り、現地に足を運んでは修正を加えてゆく様は、一人の建築家の脳内の抽象と具象を行きつ戻りしているようで興味深い。完成した新校舎は、なだらかな曲線で周囲に溶け込み、校舎の中に光が差し込み、穏やかな風が流れ込んできます。この校舎にあるベンチに座り込んでぼっ〜としていたら、いい時間が過ごせそうです。

建物を作ったというよりは、素敵な景観を生み出したように見えますが、それはこのプロジェクトにとって成功だった、と言えるかもしれません。ホンマ自身は、こういった作品をいくつも製作したいそうですが、機会があれば観てみたいと思いました。

ホンマの著書「たのしい写真 よい子のための写真教室」(平凡社/古書1100円)は、気楽に読める写真論でおすすめです。

 

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大学時代、ジャズ喫茶に入り浸っていました。京都、大阪はもとより、東京まで行ったりしました。大学の方は、映画館かジャズ喫茶に行かない”ひま”な時に出かける場所でした。当時のジャズ喫茶は、誰も皆、それぞれに腕を組んでひたすら大音響で流れてくるジャズに向かい合っていました。私語厳禁。店によっては、めくる時に音がするので新聞を読むのも禁止でした。

その頃から、岩手県一関市にあるジャズ喫茶「ベイシー」は有名でした。実際に行った人に聞いてみると、あそこは世界が違う!という言葉が返ってきたことを覚えています。

「ベイシー」と、ここを切り盛りする亭主菅原正二に焦点を当てたドキュメント「JAZZ KISSA BASIE  Swiftyの譚詩」(京都アップリンクで上映中)を見てきました。マニアックな音響論議やレコード話に終始するような映画なら嫌だなぁ〜と思っていたのですが、これが全く違うのです。

真摯に音楽に向き合ってきた男と、彼を支持する多くのミュージシャンたちが、音楽とは、あるいは音とは何かを語っていました。

矢野顕子はコメントでこう書いています。「自分の道を懸命に歩むもの同士は魅き合う。ジャズであり、オーディオであり。でもやはり人間なのだ、坂田明が言うように。音は人なり。」

この店の持っているレコードと、それを鳴らす音響システムはもちろん目を見張るものです。でもモノじゃないんですね。ここに集まってくる人なんです。自分たちの音楽を模索し続けるミュージシャン、新しい試みを迎え入れる店の常連たちが共に作り上げた音楽共同体がここにはあります。

それを見守る菅原正二。「ジャズ喫茶がしぶとく生き残っているのは、ジャズという音楽がしぶといからだよね」と映画で語っていましたが、そうだと思います。70年代から80年代、本場アメリカではジャズが下火になり、多くのミュージシャンが日本やヨーロッパに出稼ぎに出ていました。しかし、その後盛り返し今や多くの愛好家が育っています。

もの静かに語るオーナーの言葉には、この店を守り続けてきた矜持、ジャズを愛する思いがあふれています。だからこそ、ここで新人時代映画の撮影をした女優鈴木京香など、ジャズとは違う分野の人もオーナーの人柄に惹かれて多く登場するのです。

ラスト近く、サングラスをしていたオーナーがそれを外して、愛用のカメラを向けるところがあります。ちょっと助平たらしい顔が、チャーミングで魅力的。店のスタッフは、ほぼ女性でした。

日本独自のジャズ文化については、マイク・モラスキーが「ジャズ喫茶論』(筑摩書房/古書2100円)、「戦後日本のジャズ文化」(青土社/古書1950円)で、詳しく論じています。興味のある方はお読みください。

 

 

 

 

 

 

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込)。今年のテーマは日本映画です。なお、カレンダーの売り上げの一部は動物愛護活動の寄付になります。

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チリのパブロ・ラライン監督作品「エマ、愛の罠」のヒロイン、エマはとんでもない人物です。さて、応援できるか、反発して劇場を出るか………。

のっけから凄いシーン。街の信号機がメラメラと燃えてしまいます。カメラが引くと、火炎放射器を持った女性が立っています。それがエマです。彼女は、若手ダンサーとして活躍していたのですが、とあることから職を失い、さらに、夫で振付師のガストンとの関係も冷えていきます。

さて、ここからです。エマは相談にのってくれた女性弁護士ラケルを誘惑し、彼女の夫のアニバルとも関係を持ちます。かと思えば、別居中のガストンを挑発し始めます。濃厚なセックスシーンが登場します。挙句に、エマは妊娠して子供を産みます。彼女の家には、ラケル、アニバル、ガストが、所在無げに集まります。父親は誰?もう、わやくちゃです…..。エマの、一見無自覚にも見える行動について映画は何の説明もしません。もちろん原因があるのですが。何度か登場する火炎放射器シーンも唐突です。

ヒロイン、エマを演じるマリアーナ・ディ・ジローラモがカッコいい。ミステリアスで中性的なルックス、大胆な行動力、揺るぎない意志、狙った獲物に一直線に突っ込む獰猛さ、をすべて兼ね備えています。

ラストは、ガソリンスタンドでガソリンを補充しているエマの姿で終わります。おい、おい、まだやるか!

でも、私はこうなのというエマの自信と行動力を見ていると、これもありかと納得してしまいます。その生き方には反社会的とか、反倫理的とかいうレッテルを貼ることもできるのですが、そんなもん、この火炎放射器で焼いてやるわ!というエマの声が聞こえてきそうです。

80年代後半にアメリカ合衆国のヒップホップの影響を受けてプエルトリコ人が生み出した音楽「レゲトン」。そのエネルギッシュなサウンドにのって踊るエマだけでも見て欲しい映画でした。

映画の中で、背中にドラムとシンバルを背負って、リズムを刻みながら踊る大道芸人が登場するのですが、やってみたいな、と思いました。

 

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ARK(アニマルレフュージ関西)の2021年度カレンダーを入荷しました。

・大きいサイズは1000円(撮影は児玉小枝さん)・卓上サイズは800円(ARKスタッフ撮影)

売り上げは全てARKに寄付します。ぜひ店頭で手に取ってください。