とある小冊子の、映画特集号の原稿を依頼されて小栗康平処女作品「泥の河」を再見しました。(正確には映画館で一度。宮本輝の原作を読んでビデオで一度、今回で三度目)

昭和30年代の大阪の河口で、労働者相手の食堂の子供信雄と、河口に流れ着いた船上生活者一家の交流を描いた映画です。小栗は最近では、画家藤田嗣治の巴里時代を描いた「FOUJITA 」がロードショー公開されましたが、81年白黒スタンダードサイズで発表したのが、「泥の河」です。小さい時、ランニングシャツに半ズボンで遊んだ方、TVを持っている友だち家に行って、真剣に相撲や漫画を見ていた方には必見の映画です。

「スタンド・バイ・ミー」みたいな明るいノスタルジーに満ちた作品ではなく、人生の悲惨をリアルに描きながら、二人の少年の切ない別れを描きます。原作の宮本輝は「川三部作」として「泥の河」、「蛍川」、「道頓堀川」を発表しています。(ちくま文庫300円)

「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでゆく。」という文章で始まる原作にほぼ沿った形で映画は進行していきます。

この船上生活を余儀なくされている一家の母親は、船で売春をして生計を立てています。信雄は、その母親が客の男に抱かれているところを目撃してしまいます。

「闇の底に母親の顔があった。青い斑状の焔に覆われた人間の背中が、その母親の上で波打っていた。虚ろな対岸の灯りが、光と影の縞模様を部屋中に張りまぐらせている。信雄は目を凝らして、母親の顔を見つめた。糸のような細い目が、まばたきもせず信雄を見つめかえしていた。」

緻密な文章を映画はどう表現しているか。出来る事なら、「泥の河」は原作と映画を両方味わっていただきたい作品です。白黒映画黄金時代の、高度な映画表現技術を身に付けた小栗監督の、一コマ一コマの隅々まで行き渡った表現を鑑賞し、一方、言葉でしか言い表せない表現を味わうなんて、贅沢ではありませんか。

 

小栗は、90年に島尾敏雄の「死の棘」も映画化しています。松坂慶子がノーメイクで出演したことでも話題になった映画です。500数ページにもなる小説の”重さ”にたじろいでしまい、映画を先に見てしまいましたが、再挑戦してみてもいいかなと思います。

店頭には「小栗康平コレクション1 泥の河」(駒草出帆2500円)があります。本作DVDと一緒に監督の詳細なインタビューが付いています。

 

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マリー・カスティユ・マンシオン・シャール監督の「奇跡の教室 受け継ぐものたちへ」(京都シネマ)を観てきました。

フランスのベテラン女性教師が、落ちこぼれ生徒達を全国歴史コンクールに出場させて、栄冠を得るというお話ですが、熱血先生が落ちこぼれ生徒を救う手合いの学校もの感動ストーリーではありません。

先生が、コンクール出場のために選んだテーマは、先の大戦で起こったナチスドイツによる大虐殺、そしてアウシュビッツ収容所です。もちろん、勉強なんてまっぴらの生徒達が、最初から熱心に勉強するわけがありません。映画は、少し距離を置きながら、ドキュメンタリーのように、生徒の日常、授業の風景を散文的に描いていきます。

映画の中で、実在のアウシュビッツ収容所の生き残りの老人が、生徒達にその地獄の日々を、極めて理性的に語るシーンがあります。腕には、収容所で焼き付けられた番号が残っています。今まで持っていた、彼の名前も生い立ちもはぎ取られて生きる日々の始まりです。

この映画に登場する生徒達は髪型、服装、話し方など、極めて個性的です。そんな彼らが、その人の持つ個性をはぎ取り、番号だけの人生を生きさせられた老人の言葉を受けて、考えることを開始します。戦争って何?その時フランス人は何を考えていたのか?なんで人は虐殺が出来るのか?等々。そして、それぞれのアプローチでこの問題に取り組み、発表していきます。それぞれの思いで、深く考える、そこから個性が表れてくることが分かります。(写真右は撮影中の監督−手前の女性です)

映画は、高校生がアウシュビッツと向き合い、どう変化したかを描いていきますが、その一方で、自分たちで考え、まとめ、それを表現するという作業から、一人一人の持ち味が出来上がってくるまでを描いたように思えます。ラスト、彼らは、収容所で死んでいった人達への追悼を込めて、色とりどりの風船に、亡くなった人の名前をひとつずつつけて、青空に放ちます。彼らの新たな旅立ちを象徴するような素敵な幕切れでした。

本作は、アハメッド・ドゥラメという当時18歳だった少年が、シャール監督へ送った一通のメールから映画化の道が始まりました。生徒の一人マリック役を務めた21歳のドゥラメは、自身の高校一年生のときの体験を元に監督と共に脚本に参加しています。正に、落ちこぼれだった生徒が、アウシュビッツに向き合うことで、人生を見つめなおし、自分の道を見つけるまでを描いたドキュメントでもあったわけです。

ところで、彼が目ざしているのが映画監督。いつか、アハメッド・ドゥラメ監督作品が観られる日がくるかもしれません。(写真はマリック役のアハメッド・ドゥラメと先生役のアリアンヌ・アスカリッド)

 

クリント・イーストウッド監督「ハドソン川の奇跡」見てまいりました。お見事の一言につきる映画です。ごちそうさまでした!

まだ記憶に新しいNY で起きた飛行機事故。離陸直後に、鳥がエンジンに突っ込み、操縦不能になった旅客機を、機長がハドソン川に着水させ、乗員乗客全て無事救助された、あの実話が題材です。

あぁ〜パニック映画によくある感動ものか、という予想は裏切られます。こういう映画に必ず登場するのが、美人スッチーと不倫に悩む機長とか、会社が傾いて生きる意欲を失くしたビジネスマンとか、再起をかけるアスリートとか、その夫に付いてゆく健気な妻とか、重い病ですぐに病院に入院しなければ死んでしまう少女とか、とか……..。

しかし、そういった人達のストーリーは、全くなし。機長が着水を決定、実行に移すまでの208秒をひたすら検証して、91分の映像に描いています。この機長がマスコミで英雄扱いを受けたり、反対に査問委員会で彼の決断が間違いだ、と糾弾される姿を中心にして、まるでドキュメンタリー映画のように事故を再現していきます。主演のトム・ハンクスも、イーストウッドの演出意図を十分に汲み取って、淡々と全うに仕事を続ける男を演じています。

昨今のおバカなハリウッドなら、エピソード一杯詰め込んで、CGいっぱいはめこんで、ついでに大層なテーマソングを歌い上げ、無理矢理”泣かせる”大味な映画に仕上げるのでしょうが、アメリカ映画の良心が身に染み込んでいるイーストウッドは、もちろんそんな事はしません。無駄なものすべて除いて、ストイックに映像を組み立ててゆく映画手法に引込まれました。ラストの副操縦士のユーモア溢れる切り返しなんて、「お後がよろしいようで」と、拍手と共に幕が下りる感じ。

「映画作家」ではなく「映画職人」として、まだまだやるで、という心意気を見せてくれる作品でした。

 

 

 

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショー 「極北 カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」(7時より)を予定しております(要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)

 

1990年に自死した北海道出身の作家、佐藤泰志が、最近再評価され、認知されているのは、作品が映画化されて、優れた作品になっているからに違いありません。

2010年「海炭市叙景」が公開され、劇場で観た深い感動が忘れられず、原作に手を出したのは私だけではないはず。88年から連載の始まった原作を熊切和嘉監督が、資金を集めて函館で撮影しました。

「待った。ただひたすら兄の下山を待ち続けた。まるでそれが、わたしの人生の唯一の目的のように。今となっては、そう、いうべきだろう。」で始まる原作の一文は、映画ではエンディングに持ってきているのですが、人々の希望と絶望を北国の冷たい風に託して描ききりました。もうすぐ定年を迎える路面電車運転手、家庭に問題を抱えるプラネタリウム職員等の、男たちの人生の悲哀が見事でした。

続いて、2011年、「そこのみにて光輝く」が呉美穂監督によって映画化されました。私は、これについては原作もまだ読んでなくて、映画も観てないので、なんとも言えません。

そして、今公開中で期待の映画、山下敦弘監督の「オーバーフェンス」。もちろん、観に行きます!佐藤最後の芥川賞候補作品で、作家に挫折しかけた時代に、通っていた職業訓練 学校の体験を元にした作品の映画化です。レビューは、後日このブログに載せる予定です。

さて、佐藤のデビュ−作「移動動物園」は、私の好きな作品で、暑い日々、幼稚園やらデパートの屋上に出張しては、小動物を見せる小さな会社を舞台にした小説です。登場人物は三人の男と女。うだる様な暑さの中、ひたすら動物の世話に明け暮れる姿を描いていて、読んでいると咽喉の渇きが襲ってきます。そして、虚無感がじわじわと浸透してくる気分の悪い小説なのですが、逃れられないんですよね、この世界から。

ぜひ、映画も原作も観て欲しい、希有な作家です。蛇足ながら、この三人の映画監督、皆さん大阪芸術大学出身です。

文庫版「移動動物園」「海炭市叙景」は各400円、「そこのみにて光輝く」は500円にて販売しております。

 

 

 

 

 

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショー 「極北 カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」(7時より)を予定しております

  (要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)

「避難….。生活を根こそぎ持って行く言葉だ。簡単に使って欲しくない」

これ、総理大臣の言葉です。と言っても、もちろんあのアベちゃんではありません。映画「シン・ゴジラ」に登場する総理大臣です。

「シン・ゴジラ」は傑作です。捻った怪獣映画です。いや、「会議映画」とでも称すべき内容です。

ゴジラ東京湾に出現!さぁ、慌てふためく政府に官僚。会議につぐ会議。次々と発足する委員会。映画は、丁寧すぎる程、それらの会議を追いかけていきます。まるで、首相官邸と各省庁をジェットコースターに乗って回っている気になりますが、それが面白いのが不思議です(逆に子供には全然つまんないかも)。省庁間の根回しに、駆け引き。決まらない政府の方針。「会議は踊る」です。

一匹の怪獣の出現に政策執行能力なしの状態に陥る、そんな複雑な政治管理システムの中で、私たちは生きていることを映画はリアルに描きだしていきます。怪獣ではなく大地震、原発事故等でも状況は同じさ、と放射能を撒き散らしながらゴジラは首都を蹂躙していきます。徐々に都内が汚染されていく描写は、福島の事故を経験した私たちにとって絵空事には見えません。

さて、進化するゴジラに恐れをなした国連やら大国は、日本に核攻撃してしまえという決定をします。そう、これは日本への三度目の核攻撃の恐怖まで描き出します。もちろん、そんな攻撃の引き金を弾くことなく終わるのですが、しかし、引き金に手をかけたままというのがゾッとします。

もう一つ、この映画の見所は、東京の殲滅する姿が徹底的に描かれていることです。ゴジラも凄まじいのですが、迎え撃つ方も、山手線列車に爆弾搭載して突っ込む、超高層ビル群をミサイルで破壊してゴジラを下敷きにする、などまるで地獄絵です。もちろん特撮技術の進化ということもあるでしょうが、「エヴァンゲリオン」を世に送り出した、庵野秀明監督の美意識とオタク度が見事に作品に投影されています。

ラスト、ぶっ壊した東京駅に屹立するゴジラの姿は語り継がれると思います。

 

 

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香港生まれ、アメリカ育ちのウェイン・ワンは、好きな映画監督の一人です。

アメリカを代表する作家ポール・オースターと組んだ「スモーク」、「ブルー・イン・ザ・フェイス」は傑作だと思います。そして、彼が2007年に監督した「千年の祈り」は、アメリカで生活している娘のもとに、中国から父親が訪ねてくるお話で、父と娘の相克、生きる環境の相違などが浮き彫りにされたいい作品でした。

 

その原作を書いたイーユン・リーの短篇集「千年の祈り」(新潮社クレストブックス700円)を読みました。北京生まれ、北京大学卒業後、アイオワ大学で免疫学の研究者から転向した異色の作家です。2005年デビュー作の本作で、優れた短篇小説に贈られるフランク・オコナー賞の第一回目の受賞者になりました。(因みに、二回目の受賞者は村上春樹です)

離婚した娘を案じて、父親が未知の国アメリカにやって来る。しかし、娘は歓迎するどころか、父の過去を持ち出して、きびしく責め立てる。沈黙を続ける父。冷たい関係が続きます。その父が仲良くなるのが、公園に来るイラン人の老婦人。孤独な背中が見えてくる切なく、辛い小説です。

本作は10の短篇が収録されていますが、障害のある娘と老夫婦の日常を見つめた「黄昏」もまた、「千年の祈り」に匹敵する出来映えです。決して明るい未来や、安定した生活があるわけではない二人とその娘。堀江敏幸は、この作家が描き出す人物の境遇を「みな『ひとり』である。孤独を望んだのではなく、自分ではどうしようもない大きな外の力によってそうあるほかなかった人々」と書いています。

しかし、彼女の作品は、そういう永々の孤独の中にいる人達の境遇を描いただけかというとそうではなく、孤独の隙間からふっとこぼれ落ちる優しさが、少しだけ冷えきった感情を溶かしてゆくところが真骨頂です。

「黄昏」のラストの静謐なシーンは、静かに眠る娘、それを見つめる母と娘の髪をなでる父。すっーと部屋を出るカメラ、そしてエンドクレジット・・・・きっとウェイン・ワンなら、そんな映画に仕立てることでしょう。

★レティシア書房 夏の一箱古本市のお知らせ 

8月9日(火)〜8月20日(土)20数店が今年も店内に出店します!

★夏休みのお知らせ
8月21(日)〜25(木)

映画好きなら、ダルトン・トランボの名前はご存知でしょう。50年代アメリカで吹き荒れた、いわゆる「赤狩り」で映画界で仕事が出来なくなった脚本家です。

ヒステリックなまでの共産主義排斥運動は、ハリウッドがコミュニストに支配されているという妄想から、多くの映画人を血祭りに上げてしまいました。トランボも収監されてしまいました。出所後も脚本家としての仕事は全くなく、偽名でB級映画の脚本を書いて、家族を養っていました。その時代に書いたのが、誰でもが知っている「ローマの休日」で、アカデミー脚本賞を受賞してしまいます。もちろん、本人は授賞式には出られません。

映画「トランボ」は、当時のニュースフィルム、映画を随所に織り込みながら、トランボが生きた時代を描いています。マスヒステリーの如くハリウッドを襲った「赤狩り」に翻弄されながら、信念を曲げず、希望を捨てずに生きた脚本家と家族の日々が、誇張した演出を排して、淡々と綴られます。父親を理像的な人間として、その背中を追いかけた長女は、今どんな生き方をしているのか知りたくなってきました。

皆が時代に巻き込まれたのですから、査問委員会にかけられ、裏切ってしまい、仲間の名前を公表した俳優を、一方的に悪者みたいな描き方はしていません。映画出演の話は全くなくなり、生活に困窮したら人は変わるよね、でも苦い後悔は心に突き刺さったままだよね、と。

ロバート・レッドフォード主演の「追憶」(73年)、ロバート・デ・ニーロ主演の「真実の瞬間」 (91年)を経由して、ハリウッドはやっと自らの恥を描くところまで来ました。おバカで空疎な大作ばかりのハリウッドに、こんな滋味に満ちた映画を作る人々がいるということが嬉しい。主演のブライアン・クランストンはじめ、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレンと巧者ぞろい。見応え満点です。

トランボは、第二次世界大戦勃発の1939年、負傷兵をテーマとした小説「ジョニーは銃を取った」を出版しました。。大戦中のアメリカでは反戦文学とみなされて、戦争支持派から度重なる脅迫を受けました。戦後、この小説は復刊されますが、朝鮮戦争時に再度絶版となり、休戦後復刊、という具合に、戦争のたびに絶版・復刊を繰り返すこの作品を、トランボはベトナム戦争最中の71年に、自ら監督として製作しました。「ジョニーは戦場に行った」というタイトルで公開。浪人中だった私は予備校を抜け出して観に行き、あまりの辛さに、途中で館内から出て休憩したことを鮮明に覚えています。

今話題の金髪デブの金満大頭領候補が、権力を握ったら、イスラムに味方する映画なんて公開禁止、同性愛映画なんて燃やしちまえ!などと言い兼ねませんね。そういうことにならない為にも、今一度、アメリカのレッドパージの検証は大切だと思いました。

 

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女優ジュディー・フォスター監督作品「マネーモンスター」を観て来ました。「ちゃんとした」アメリカ映画でした。

「ちゃんとした」を説明します。

昔から、アメリカ映画は一定のエンターテイメントとしての水準を保ちながら、その時々のアメリカという国家の負の姿を、様々なアプローチで見せてくれました。例えば、軍部のクーデターを描いた「5月の7日間」(64)、ベトナム戦争に突入した政治の密談をえぐり出した「合衆国最後の日」(77)、ニクソン政権の盗聴事件を暴き出した「大統領の陰謀」(76)等々。それらの骨のある作品を良い俳優が演じて、しっかり楽しませてくれるのが「ちゃんとした」アメリカ映画でした。

ジュディー・フォスターはベトナム後遺症の男を描く「タクシードライバー」(76)で強烈な印象を与えた女優だけあって、その時代のアメリカ映画の呼吸を熟知しているのだと思います。観ていて、とてもなつかしい、そしてワクワク気分になりました。

舞台は、おちゃらけな投資TV番組です。軽いノリの司会者(ジョージ・クルーニーがなかなか良いです)が、視聴者を煽って、この株を買え、ここに投資しろと誘導するような番組です。そこへ、突然銃を持った男が乱入、彼を人質に取り、俺はこの番組で大損したんだ、と叫びながら司会者の身体に爆弾を巻き付けます。

映画は、ここから司会者と番組ディレクター、そして犯人の三人の芝居で進んでいきます。サスペンスの盛り上げ方、簡潔な映像の切り替え等、ジュディーの演出は冴えています。

一方、この国のリアルな姿を次々と見せていくことも忘れません。かつてのアメリカ映画で多くの事を学ばせてもらった私には、映画の作りが心地良かったです。

とても面白かったシーンがあります。犯人のガールフレンドが現場に来て、説得を頼まれます。大体、こういう時は、「バカな事やめて」と涙ながらに訴えるのですが、なんと彼女は、彼を徹底的に罵倒し始めます。その小気味好さに拍手ですね。

映画の宣伝のために来日したジュディーが、インディーズなら多くいるけど、ハリウッドでは女性監督は稀だという現状を話していました。日本では若手女性監督がどんどん出て来ていますが、ハリウッドは、まだ旧態依然としているのでしょうか?

原作は読んだ。ピエール瀧主演でNHKがTVドラマ化した作品も観た。筋も、結末も知っているのに、横山秀夫原作「64」の映画をトータル4時間、一気に観ました。映画は前編と後編に分けて公開されています。なので、この日は朝一番にとりあえず前編だけをみようと出掛けたのですが、そのまま後編をみないわけにはいかなくなりました。

横山の小説の多くがTV化、映画化されていますが、役者の魅力を熟知し、大勢の登場人物を巧みに交通整理し、小細工をせず、一気呵成に大団円まで持って行ける監督なら、第一級の作品を作れます。その好例が「クライマーズ・ハイ」でした。群馬県山中に墜落したジャンボ機の大事故を追いかける新聞記者の激闘の日々を見事に映像化していました。

「64」は、たった数日間だけの昭和最後の年、元号が平成に変わる直前に起こった少女誘拐殺人事件を縦軸に、警察内部の権力闘争を横軸に、捜査一課から、広報部に移動した刑事の苦闘を描いていきます。多彩な登場人物に、それぞれ主演級の役者を配して、演技合戦でドラマの緊張感を高めていきます。よくもまぁ、ここまで役者を揃えたものだ!と先ず感心します。椎名桔平なんて、嫌味な刑事部長役で、僅か数分だけの出演ですからね。

小説なら「昭和が終り、平成の世が始まる」の一文で済むところを、映画は、天皇崩御から平成という年号に変わったことを報道するTVニュースの断片を挟み込み、当時の町の世相や、背景を構築し、丹念に描き込んでいきます。このお金の掛け方、これぞ映画です。

制作会社にTBSというTV会社が絡んでいることから、そう遠くない時期にTVで公開されることでしょう。しかし、TVでは鑑賞できないものもあります。

それは、登場人物の(言い換えれば俳優の)「皺」です。新聞記者との報道を巡る交渉で疲労する広報官の皺、権力闘争で破れていく警察官僚や、刑事たちの皺、そして、少女誘拐事件に巻き込まれた人々の抱えた深い闇と孤独を象徴するかのような皺と、それぞれの皺の深さを見つめる映画でもあります。

ぜひ、映画館で鑑賞していただきたい作品です。特に雨宮という重要な役を演じる永瀬正敏の見事な表情作りは見逃せません。

監督は瀬々敬久。知らなかったのですが、京大卒業後、ポルノ映画から出発した方でした。「人妻ワイセツ暴行」やら「痴漢電車巨乳がいっぱい」等々、ポルノ映画界を渡り歩きながら、一般映画にも進出。数年前、なんと4時間20分に及ぶ大作「ヘブンズ・ストーリー」を公開して、ベルリン映画祭で高く評価されています。また、新しい才能に出会えた一編でした。

 

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日本人ファッションモデルとして、初めてパリコレに出た山口小夜子(1949年ー2007年)のドキュメント映画「氷の花火」を観ました。

「遺品に深呼吸させよう」という台詞で映画は幕を開けます。

山口の死後、大事に保存されていた品々。生前、彼女が着ていた服やアクセサリーを、スタッフが並べていく作業を、この台詞にこめているのです。

71年、モデルとしてデビューし、高田賢三や山本寛斎のショーで頭角を表し、72年パリコレクションに初めてアジア系モデルとして起用され、ヨーロッパで大人気となります。翌年、資生堂の専属モデルとなり、その後、同社のCMに登場。あの頃は、資生堂=山口小夜子というイメージでした。

身長はヨーロッパのモデルに較べれば低いのですが、舞台に登場するや堂々たる風格が漂っています。山本寛斎は、彼女との関係を「ミューズだった」と語りました。日本人として誰も挑戦したことのないパリコレでスポットを浴び、トップモデルとして君臨するという前人未到のことを成し遂げました。しかしそこからさらに、山口小夜子は表現者としての自分の技術を磨いていきます。

ダンスパフォーマンスの世界に挑み、様々な表現力を身につけていきます。20年程前、京都の舞台で、勅使河原三郎とのコラボレーションを観たことがあります。真っ黒な服装で舞台を歩く彼女の神秘性は、忘れられません。

50代を越えてから、また新しい表現への興味が広がっていきます。

クラブカルチャーへの接近、若手ミュージシャン、DJとのコラボ等々。この感性の柔らかさ、は凄い!しかし、2007年、58歳の若さで、ふっとこの世から消えます。彼女の遺品の中には、安部公房、川端康成、寺山修司などの本、ゴダール等ヌーベルバーグ派の映画ビデオが沢山ありました。常に新しい刺激を取り込むことを怠ることなく、自らを高める姿は、ストイックでさえあります。

映画の本題からは逸脱しますが、彼女をリスペクトする若手写真家、デザイナー達が最後に登場します。彼らのその中性的佇まいと、男臭さが皆無の清潔感が、とても心地よく感じられました。こういう人達が、政治や経済に分野にどんどん出てくれば、この国は、もうちょっとマシになりそうなんですが…….。

★「氷の花火」は6月3日まで京都シネマにて上映中です

 

◉レティシア書房休業のお知らせ  勝手ながら6月6日(月)7日(火)休業いたします。