「知らせを受けて夫が駆けつけた時には、すでに息はなかった。安置室の外では、小さな娘が、靴を片方なくしたと言って泣いていた。」

岩城けい「サウンド・ポスト」(筑摩書房/古書1300円)は、こんなショッキンングな描写で始まります。舞台はオーストラリア。主人公の崇は、友人が経営するレストランのシェフです。妻を亡くした崇には、メグという名の娘がいました。物語は、母を亡くした娘が音楽に目覚め、バイオリンを習い、その道を一直線に進んでゆく姿を、父親の目を通して描いていきます。

この本に若い時に出会っていたら、特に感想を持たずに終わったかもしれません。しかし初老となってきた今日の時点で読むと、味わい深い小説を読んだ!という気分でページを閉じました。英語がよくわからない父親と、フランス語もできるのに日本語はさっぱりの娘が、異国で紡ぎ出す言葉と音楽の物語です。

「五線譜に引っかかって離れない音符も、その曲が生まれたときのことをちゃんと覚えているの。記号も音楽用語も、正確に思い出すためにあるの。メグ、楽譜に書かれていることには、ひとつひとつに意味があります。無駄な音、無駄なしるし、無駄な言葉はひとつもありません。それをどう弾くかは、あなたの心が決める。音楽は心で奏でるものなの」

と、ルーシー先生から音楽について教えられるメグは、日に日に上達していきます。父親の崇も、バイオリンは一音でそれを弾く人間がどんなやつかバレてしまう、と囁く友人の瑛二の言葉を聞いて、メグがその日をどう過ごしたか、その日をどう生きたかがわかるような感触を得ます。

岩城けいの小説は今回初めて読みましたが、登場人物たちのキャラが巧みに描かれていて、これをぜひ渋い役者で映画化して欲しいなぁ〜、と思いながら読んでいました。後半に登場するセルゲイ先生など、レッスンは極めて厳しいのに、時たま見せる優しさとチャーミングさが行間から立ち上ってきます。

そして崇の友人の瑛二は「肩の力を抜いて楽しめとかよく言うけど、肩の力を抜いてのんべんだらりとしているやつに、バッハが、チャイコフスキーが弾けるか?リストがショパンが?譜面見りゃわかるだろ、頭の血管ブチ切れそうになりながら、あいつらが必死こいて、一音一音、自分の血で書いたってことぐらい」と言い放つ好人物として、とてもよく描かれています。

やがて思春期を迎えた娘にオタオタする父親の姿の描写も抑制があって、無理やりドラマチックにしようとしていません。一時、楽器から離れていたメグが、セルゲイ先生の猛練習に耐えて、コンテストに出場し優秀な成績を残します。奨学金を得て、母の母国であるフランスに音楽留学に旅立っていきます。

「トーチャン、音楽って言葉なんだ!」

なんと素敵な言葉でしょう。全く見ず知らずの人々の心に語りかけ、豊かな情感を呼び起こす。優れた文学にも同じ作用があるように、音楽もまたそうなのです。

ラスト、ちょっぴり寂しいシーンが用意されていますが、これもまた人生。

 

 

この夏いちばん心ウキウキさせてくれた映画です!

「ロミオとジュリエット」「グレートギャッツビー」などの文芸作品を新感覚で映画化する一方で、「ムーラン・ルージュ」で音楽的センスの良さも披露したバズ・ラーマン監督だけに期待はしていましたが、もう期待以上でした。

アメリカポップス界の帝王とも言えるエルヴィス・プレスリーの生涯を描いた作品です。プレスリー かぁ〜オールドロックンロールの人だなぁ〜ぐらいの感覚しか私は持ち合わせていませんでした。大体、有名人の生涯を描いた映画って、子供時代から大人になって成功してゆくまでを順々に描いていきますし、それって退屈。でもでも、ご心配なく!監督はそんな野暮なことはしていません。

白人の貧しい家に生まれたエルヴィスは、黒人教会で行われていたミサに潜り込みます。そこでは、皆が大声で黒人霊歌を歌って、一種のトランス状態になっていました。その瞬間、彼は黒人音楽に脳天を打ち抜かれます。なんて、格好いい音楽なんだ!

そこから映画は一気に、場末のライブに出ている青年のエルヴィスに飛びます。そして、足腰を激しく振る独特のスタイルで歌い出します。その力強い美声とセクシーな姿に女の子たちが、熱狂するのも納得の主役オースティン・バトラーの演技です。そしてそこで、エルヴィスにとって最強で最悪の人物と出会います。生涯のマネージャーとなるトム・パーカーです。エルヴィスを世界的エンタテイナーに育て上げる一方で、酷使し、大金を巻き上げていたことがエルヴィスの死後明るみに出ました。演じるのはトム・ハンクス。そこまでやるか!という醜悪な悪役ぶりです。

エルヴィスは、ぐんぐんと人気が出る一方で、そのパフォーマンスが退廃的で黒人的だと指摘され、白人の保守層から糾弾され、妨害されます。エルヴィスの音楽の原点が黒人音楽にあったのだということを映画は見せてくれます。

オースティン・バトラーは、本物以上かもしれないと思うほどセクシーでクールなスタイルで歌い、踊ります。もう、彼を見ているだけで、心ウキウキですよ!この映画は、ぜひ劇場で見てほしいです。大画面で、いい音響装置を持っている劇場で見ないと損!!2時間半ほどの映画なのですが、監督のスピーディーな巧みな演出で疾走して、長さを感じることなく終わります。エルヴィスの人生と、彼が生きた時代のアメリカ社会の実態を描き、思っていたよりずっと厚みのある作品でした。

「時代が危険になってきたら、音楽に託せ」 搾取と差別の時代を生きたブルースシンガーが口にする言葉ですが、心に刻みたいです。

「美術館えきKYOTO」(京都伊勢丹内)で開催中の、「平間至 写真展」に行ってきました。平間至は、TOWERレコードのコンセプトを表現した「NO LIFE NO MUSIC」のポスターで知っていました。ポップス中心のレコード会社に、石川さゆりを被写体にしたポスターを見たときには驚きました。しかも、これがカッコいい!

今回の写真展、前半はミュージシャンの作品が並んでいます。旬の、あるいは円熟期を迎えたミュージシャンの姿が輝いています。安室奈美恵の迫力ある姿や、ポップシーン最前線に飛び出したスピードの勢いのある視線に足を止めました。その一方で、和田アキ子のブルージィな横顔や、実力派の貫禄をにおわせる忌野清志郎など、写真が”ロック”していました。傘を手元に置いて、こちらを見つめる細野晴臣は絶品。

展覧会は、「すべては音楽のおかげ」「光景」「田中泯<場踊り>より」、そして「平間写真館 TOKYO 」に分かれています。

中でも「平間写真館 TOKYO 」が、とても楽しい。2015年に開いた写真館では、多くの家族が訪れて撮影しています。子供達、親子、夫婦、成人式を迎えた女性の姿など家族の時々を捉えた写真は、もう、見ているだけで笑顔になれます。平間の祖父は写真館を営んでいました。かつてどの町にもあった写真館は、多くの家族の特別な日や、幸せな瞬間をカメラに収めてきたはず。その精神を引き継ぎ、平間はこの時代に写真館を復活させて、多くの人々の幸福な時間をフィルムに焼き付けています。

「僕にとって、写真を撮るという行為はひとつのライブ。被写体が撮られていることを意識しなくなった瞬間、自発的で生き生きとした写真が生まれる」という言葉通り、屈託のない生き生きした表情に取り囲まれます。その熱気に当てられて、見ている私たちもウキウキしてくるのかもしれません。

彼の作品を集めた「ITARU HIRAMA 平間至1990−2022」(TWO VIRGINS/新刊2200円)を入荷しました。ほぼ展覧会通りに作品が並んでいます。ホント、かっこいいですよ。

 

 

久々に音楽の紹介です。取り上げるのはリアノン・ギデンズRhiannon Giddensのアルバム"Freedom Highway”(2017)です。タイトル通り、アメリカのマイノリティーたちの侵された自由の権利が色濃く出た作品です。

ノースカロライナ生まれで、名門オバーリン音楽院でオペラの学位を取った才女です。その後、キャロライナ・チョコレート・ドロップスのメンバーとして、4弦バンジョーとフィドルを弾きながら歌っていました。ご承知のように、バンジョーはアフリカ起源の楽器で、アメリカに連れてこられた奴隷が、故郷の楽器に似せて作ったものがアメリカでバンジョーとして使われてきました。

そんなバックグラウンドを持った彼女のソロアルバムは、アメリカの根深い黒人差別がテーマになっています。アルバムタイトル曲"Freedom Highway”は、1965年キング牧師の先導でアラバマ州で行われた歴史的デモ行進にインスピレーションを受けたステイプルシンガーズが歌った曲です。

歌詞の中にタラハチー川が登場します。1955年、白人女性に口笛を吹いたという理由だけで殺害され、この川に捨てられた黒人少年エメットの事件を歌ったものです。また、4曲目”Birmingham Sunday” は、63年、アラバマ州バーミンガムの教会が白人至上主義者によって爆破、聖歌隊の子供が犠牲になった事件をモチーフにした曲で、とてもいい曲です。鎮魂の歌です。

曲だけでなく、マイノリティ系のアメリカ人ミュージシャンを登用し、独特の音楽世界を創り上げています。

私は、このCDジャッケットの写真のリアノンの視線に惹かれて買いました。右斜め上の方向をきりっと見据えています。その先に何があるのか知りたいと思い、仕入れたのですが見事当たりました。

奴隷売買について表現した冒頭の曲では、「魂までは奪えない」と力強く歌っています。

“You can take my body,You can take my bones,You can take my blood but not my soul”

 

 

 

 

 

2020年10月、日本の誇る作曲家筒美京平が80年の生涯を閉じました。普段音楽を聞かない人でも、この人の曲に接したことのない人はいないと思います。いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」などカラオケで歌った方も多いのでは。シングル総売上7560万枚!前人未到の記録です。その中には「サザエさん」の主題曲も入っています。

筒美とも交流のあった音楽家、近田春夫が迫る「筒美京平大ヒットメーカーの秘密」(文春新書/古書600円)は、この作曲家の大きさを再認識するにはピッタリの一冊です。

本書はエディターの下井草秀が、1966年から2020年までの筒美の活躍を近田と語り合うという構成を取っていて、とても読みやすい。

尾崎紀世彦「また逢う日まで」は、グループ・サウンズ全盛期にいたズーニーブーがリリースした「ひとりの悲しみ」の歌詞(作曲は筒美)を書き直して大ヒットしたなんて知りませんでした。

筒美の快進撃は、昭和四十六年にデヴューした南沙織の「17歳」と、その翌年の郷ひろみ「男の子女の子」からスタートし、やがて、アイドル歌謡曲の王者へと登りつめていきます。

「京平さんの楽曲は、基本的にゼロから生まれるものではなく、何かにインスパイアされるところから始まることが多い。70年代の外国の楽曲には、換骨奪胎して歌謡曲に置き換えたくなるような魅力的な作品がいっぱいあったんだよ。」

と近田が語るように、筒美は多くの外国の曲を学び、取り込んでいきます。そして70年代に勃興してきたニュー・ミュージックやフォークを見ながら、「木綿のハンカチーフ」のような新しい楽曲を作り出します。桑名正博「セクシャルバイオレットNo1」というロック寄りの曲まで作曲しているのです。

本書後半に、興味深い対談が三つ掲載されています。一つ目は筒美の実弟で音楽プロデューサーの渡部忠孝と。次はブルーコメッツの「ブルーシャドウ」やザ・タイガースの「モナリザの微笑み」の作詞家で、「ブルーライト・ヨコハマ」で筒美と組んだ橋本淳。そして、「真夏の出来事」の大ヒットで知られる歌手平山みき。いや〜どれも現場を知る人の対談だけに、とても面白い!あの当時の音楽業界の雰囲気が伝わってきます。

実弟の渡部忠孝との対談で、興味ある話がありました。渡辺家で二人がまだ幼かった頃の話です。

「僕(忠孝)が歌舞伎好きだったのに対して、兄は宝塚が好きでした。歌舞伎に行くのは祖母と一緒で、宝塚に行くのは母と一緒。兄は宝塚となると目を輝かせながら舞台を見つめてましたね。やっぱり、歌舞伎と違って宝塚は西洋の音楽を使ってるからかな。」

こんな本を読んでいると、筒美サウンドをまた聴きたくなってきます!

⭐️本の紹介をZOOMにてさせたいただく「フライデーブックナイト」。次回は9月17日(金)です。

⭐️北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。

10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約

 

 

 

この写真は、ジャズアルバム”WE INSIST!”のジャケです。カフェのカウンターに座ってこちらを振り返る黒人三人。ちょっと迷惑そうな顔の白人のウェイターを後方に配しています。レコーディングされたのは1960年8月末。同年の2月に、北カロライナ州グリーンズボロで起こった黒人学生の座り込み運動など、黒人差別への抵抗運動の盛り上がりを受けて、アルバムのリーダー、マックス・ローチ(ドラムス)は公民権運動に関わっていた詩人/歌手のオスカー・ブラウンJrの詩を取り上げて、白人による人種差別に抵抗したこのレコードを録音しました。

推測ですが、ジャケットに写っているカフェは、白人専用の店舗で、そこに黒人がどかっと座ったものだから、ウェイターが至極迷惑そうな顔をしているのではないか。中身も過激で、寝る前に聴くジャズには適しませんが、私の大好きな一枚です。今、店にあるのはアナログ盤(1000円)で、ライナーノートは植草甚一が書いています。

黒人音楽家たちが受けた差別や偏見については、5月にブログで紹介した「歌と映像で読み解くブラック・ライブズ・マター」(1400円)をお読みください。また、本書でも大きく取り上げられているビリー・ホリディについては、油井正一&大橋巨泉訳による「奇妙な果実」(晶文社/古書1300円)もあります。今月末から、ビリー・ホリディのドキュメンタリー映画「ビリー」も上映されるようです。

もう一冊、ブラックミュージックの本を取り上げます。ピーター・バラカン著「新版 魂(ソウル)のゆくえ」(ARTES/新刊1980円)。ここでは、ソウルミュージックの今日までの歩みを、448曲のプレイリストを加えて紹介しています。

 

「これは専門家のための本でもなく、ソウルの教科書でもありません。ソウルミュージックとともに何かがなくなった、と僕自身はこの頃ずっと感じていて、その何かは一体どんなものか、その正体をちょっと考えてみたい、そう思ってこの本を書きました。」

最初に出たのは30年前。それが新版として蘇りました。バラカンの本は、どれもおススメです。

 

門間雄介著「細野晴臣と彼らの時代」(文藝春秋/古書1800円)は、日本を代表する音楽家細野晴臣の評伝です。(500ページ/読み応えあります。)

「白金台にあるクワイエット・ロッジを訪ね、評伝を書かせてくださいと細野晴臣さんにお願いしたのは2012年9月のことだ。」と著者は後書きで書いています。それから8年の歳月が経過して、やっと世に出ました。

「細野晴臣はまだ何者でもなかった。 1968年。 全共闘の運動が全国に広がり、グループ・サウンズのブームがピークを迎え、やがて終息していったこの年、細野は立教大学に通うひとりの学生だった」というところから、彼の物語が始まります。

幼少の時から音楽が好きで、小学校6年のときTV西部劇「ローハイド」のシングルを買ってもらい、熱心に聞いていた少年時代。

音楽好き少年は、やがてギターを手に取り、のめり込んでいきます。のちに大学時代の友人の紹介で大瀧詠一に出会い、日本語でロックを歌うことに挑戦した「はっぴーえんど」を結成し、解散したのちは「 YMO」を坂本龍一たちと立ち上げ、瞬く間に日本中に彼らのエレキトリックサウンドが響き渡ることになったのです。YMO後も、歌謡曲の世界に近づいたり、ワールドミュージックを吸収したりしながら、ソロアルバムを発表し続け、今日に至っています。そのプロセスを著者は綿密に追いかけ、細野の心理状態を克明に描いていきます。メンバーとの確執、音楽ビジネスへの疑問、失望。そして宗教への逃避…….。

面白い話を一つ。「はっぴーえんど」のギタリスト鈴木茂は、当時を振り返ってこう言っています。

「ロックバンドはお酒を飲んで、羽目を外してというイメージがあるかもしれないけど、ぼくたちはそういうのがなかったからね。四人ともお酒を飲めないから、移動中はお茶とおまんじゅうで、細野さんはずっと落語の謎かけをしていた。」

コロナが発生する以前ですが、NHKで「はっぴーえんど」を特集する番組がありました。その時すでに、細野は「オリンピックなんてやることないよ」と言っていました。おぉ〜NHKで言ってくれたなぁ〜と感心した記憶があります。

でも、なぜ彼がそんなことを言ったのか、答えを本書で見つけました。前の東京オリンピックの時に、彼が愛していた都電が都市整備の名の下に、廃止されていったのです。

「オリンピックを境に街が消えていった」と彼は言います。その記憶が残っているからこそ、今回のオリンピックにも反対の意見を、あんなにも早く表明していたのでしょう。

最後に細野の父方の祖父、官僚だった細野正文の話を紹介しておきます。1912年ロシア留学を終えた彼は、タイタニック号に乗り込み、あの大事故に遭遇しまが、無事生還します。しかし国内で、女性や子供を差し置き、自分だけ生還したのは武士道にもとる、との批判が巻き起こりついに役職を解かれてしまうのです。正文の名誉が回復されたのは1997年でした。

細野は、著者のインタビューにいつも軽快に答え、取材は笑いが絶えなかったと言います。音楽的魅力だけではなく、人間的な魅力が、はっぴーえんど、キャラメル・ママ〜ティン・パン・アレー、YMOなどの活動に乗り出す際に、この人のもとに多くの人が集ったと言うことがよくわかるのです。彼とともに時代を歩いた人々を記録した貴重な一冊です。

 

 

確か、中学三年の修学旅行の時、食堂だったかに、ジュークボックスがありました。ふと見るとフランシス・レイの「白い恋人たち」があるではありませんか!みんなで聴いた記憶があります。

「白い恋人たち」は1968年のフランスグルノーブルで行われた冬季オリンピックのドキュメンタリー映画です。監督のクロード・ルルーシュは、それまでのスポーツドキュメントの常識を覆すような作り方をしました。観客のアップ、負けた選手の表情、スタッフなどの関係者の仕事ぶりをノーナレーションで追いかけ、その背後に流麗で、躍動感あふれるフランシス・レイの音楽が流れるのです。映画のヒット以上に、この主題曲が大ヒット。当時中学生だった私もシングル盤を買って、擦り切れるほど聴きました。ロマンチックでリリカルな音楽は、フランスへの憧れを増幅させました。珍しくサントラ盤CDが入荷しました。フランシス・レイの魅力全開の美しいサウンドを楽しむことができます。(中古/900円)

ちなみに映画オープニングで「これは公式映画ではなく、たまたまグルノーブルに居た映画人が、13日間の感動的な日々を、見たままに描いた作品である」という字幕が出ますが、もちろん公式記録映画です。国が映画表現に対して、包容力があったことの証明ですね。やるやらないで大揉めの東京オリンピックですが、公式記録映画を作るのなら、センスのいい人を集め、お上がごちゃごちゃ言わない体制下でやってほしいものです。(中止が当然とは思っていますが)

このコンビの傑作「男と女」のサントラ(中古/1400円)も入荷しています。あのダヴァ

ダヴァダヴァで始まるロマンチックなサウンドは、今聴いても楽しいですね。

もう一枚ご紹介します。映画「タクシードライバー」に出演していたシビル・シェパード。美しい女性でしたね。彼女が唯一リリースしていたアルバム”mad about the boy”(LP/輸入盤2000円)を入荷しました。ボサノヴァ、ジャズを中心にした曲が並んでいます。でも、これは中身もいいけど、ジャケ買いの一枚でしょう。モノトーンで表現されたシビルの表情が素敵です。(レアな一枚ですよ)

 

 

 

 

 

昨日より公開の始まったドキュメンタリー映画「アメリカンユートピア」(京都シネマ)。音楽は人を幸福にするものなのだということを、久々に感じることのできたドキュメンタリーでした。

70年代のアメリカロックシーン、斬新な音楽性で一世を風靡したトーキングヘッズのリーダーのデビッド・バーンが、2018年に発表したアルバム「アメリカン・ユートピア」を元に、2019年にブロードウェイでショーがスタートしました。そのショーを、アメリカの差別問題を映画にしてきたスパイク・リーが監督しました。

圧倒的な舞台パフォーマンス!ハイレベルなマーチングバンドが舞台狭しと踊り、多種多様な打楽器が乱舞します。デビッド・バーン以下、パフォーマーは、パーカッション、キーボード、ギターを担いで踊るのです。全員グレーのスーツで素足。ギター、キーボードには配線がなく、全員が舞台を自由自在に動き回るのです。

デビッド・バーンは、世界中の民族音楽の持っている力強さを吸収し、自分の音楽をよりワールドワイドなものにする手腕を持っています。坂本龍一と組んだ映画「ラストエンペラー」で、見事オスカーを受賞しましたが、あの時も中国のトラッドなサウンドを取り込んでいました。

静かに展開していた舞台にパーカショニストが登場し、パワフルな音が響き渡たった瞬間、踊り出してしまいそうになります。日本的な音もあって、村祭りでトランス状態になって踊っている感覚になってきます。

血沸き肉踊る音楽が続きます。その音に包まれているときに感じる高揚感、あぁ〜音楽ってこんなに幸せにしてくれるんだ!! なんども目頭が熱くなってきました。踊りたいのに映画館では踊れない。あぁ、もったいないと思いながら、一曲終わるごとに拍手はしていました。混迷と不安の中を生きる私たちの意識を揺さぶり、その彼方にある喜びの世界に放り投げてくれます。

天国に召される時(あ、地獄行きか)に、こんな音楽を聴けたら、楽しい人生だったよねと思えることでしょう。

この熱狂に、皆さん酔って欲しいと思います。もう一回観に行くぞ!!

 

 

コイケ龍一「アフリカノオト」(河出書房/古書1000円)は、引っ込み思案で、将来何を目的に生きていけばいいか皆目見当がつかず悶々としていた青年が、ある日、太鼓の音に惹かれ、単身アフリカに太鼓を学びにゆく自伝的ノンフィクションです。

太鼓の音に魅力を感じていた時、著者はテレビで東アフリカの音楽家フクウェ・ザウォセさんの番組に出会います。

「世界には、あんなにのびのび音楽をやっている人もいるんだ。その生活のすべてが、のんきで、楽しそうで、自由だった。」

そして、無謀にも一人でアフリカへと旅立つのです。しかし、アフリカへの幻影は儚くも崩れ去ります。アフリカ =マサイ族の勇者というイメージがありますが、彼らとて生活があります。世界中の人々がマサイの生活を見ようと会いにきます。そこに、貨幣経済が忍び込み、マサイの中にお金が入ってきます。著者曰く「自国に帰って、『マサイに会った』と自慢する為だけに会いに来るのだ」というのが現状です。

しかし、少しづつアフリカの風土に人々に順応し、そして自分のことを深く掘り下げていきます。

スワヒリ語で、「カマ・ムング・アキペンダ」という言葉があります。これ、別れ際に発する言葉なのですが、その意味は「もし神様が望んだらまた会おう」ということです。「この、のうてんきな考え方が、彼らをのんびり守っているような気がする」と著者は書いています。日本とは真逆のその生き方の中で、太鼓を習い、貧しい暮らしをする家族と共にご飯を食べ、アフリカとは何かということを考えていきます。

これは自分探し、あるいは、自分磨きの旅とは違い、全く知らない文化と風土の中で、世界を知ってゆく旅なのです。マラリアにかかって死ぬ一歩手前になったり、金を巻き上げられたりと散々な目に会いながらも、太鼓を学び、叩き、旅を続けていきます。これこそ旅だなと思いました。

現在は、帰国して岡山で暮らし、「薪でご飯を炊いたり、お米を作ったり、カリンバを作ったり、畑仕事をしたりしながら演奏活動を続けている」のだそうです。そして、このほんのラストにはこう書かれています

「 ザウォセさんが大事にしてきた『暮らしが音楽を生み出す』という生活を軸に、僕も暮しの中から音楽を奏でていたいと思う。」