今日は朝から雨模様です。

こんな日の開店前の音楽は、山下達郎ですね。甘く、切なく、それでいて明るく生きようよ、と肩をポンとたたくようなサウンドが最適。「高気圧ガール」を聞けば、気分は沖縄だし、「さよなら夏の日」を聞けば、この季節にはまり少しセンチメンタルな気分、そして、国民的愛唱歌「クリスマス・イブ」はもはやクリスマスです。アメリカンポップスの良き時代のエッセンスをたっぷり染み込ませた曲は、何度聴いても飽きません。ドラムの連打で始まる「アトムの時代」は、ガラス窓を拭くのにしっかりマッチしてしまいます。

「いつでも 百万馬力で みるみる 力がみなぎる だからね さみしくないんだ 僕らはアトムの子供さ」

なんて、フレーズが流れてくると、アトム世代の涙腺全開。(写真のベスト16曲入りCDは700円です)

そして、達郎を聴いていると、2013年に亡くなった翻訳家、小説家の常盤新平の本が読みたくなってきました。特に、翻訳の勉強にいそしむ大学院時代の自身を描いた自伝的小説「遠いアメリカ」(講談社600円)を棚から引っ張り出しました。

「こんな日は、英語で言うと、ザ・ファースト・デイ・オブ・サマーだろうか、と重吉は思う。夏の初日、というのはおかしいか、じゃあ、夏の第一日。並木のプラタナスの、手のひらに似た葉っぱの緑が一週間前よりもさらに濃くなった気がする」

なんて出だしは、達郎歌う都市生活者のメランコリックな気分にシンクロしていきそうです。この小説には、ある時代、アメリカンカルチャーに、そしてそれを追っかけた東京都市文化に憧れた、ワタシにもアナタにも心地よく響いてくる固有名詞が溢れています。「風の歌を聴け」が登場するまで、そんな憧憬を過度に助長させた作品でした。

 

Tagged with:
 

大学時代、辻邦生と福永武彦を愛する文学青年でした(と本人が錯覚しているだけですが)。清廉な文章に引っ張られて、片っ端から読んでいましたが、どこまで理解していたのやら?

福永の名作「廃市」(新潮社900円)を再読しました。こんな台詞が出て来ます。

「道楽が昂じれば死ぬ他にはすることもなくなりますよ」

多分、若い時には、この台詞の持つ意味合いが理解できなかった。道楽を突き詰めたわけでもありませんが、究極のところで、もういいやと思った瞬間、こうなるのかもわかりません。「廃市」は、運河が巡っている古びた町に、主人公の青年が来るところから始まります。彼は「何という古びた、しかし美しい町だったろう」と驚きつつ、「店はどれもひっそりして、そのたたずまひに古風な趣きを残していた」雰囲気を気に入る。そして、そこで出会った美しい姉妹の悲劇を見てしまいます。運河を流れる水の如く静かに物語は進行していきます。優れた文学作品を読む至福に浸れます。

ところが、先ほどの台詞が飛び出す辺りから、俄に小説はテンションを高めていきます。例えば、能「道成寺」や歌舞伎「船弁慶」で、殆ど動きのない踊りから(それは時には観客にとって睡魔との闘いでもありますが)、一気に緊張を高めてゆく踊り、興奮を高める囃子方の音楽の持つエクスタシーみたいなものです。

この小説は、83年に大林宣彦が、水の中に沈んで行く町の孤独を見事に画面に定着させました。因みに美人姉妹を演じたのは小林聡美と根岸季衣で、原作の架空の町を福岡県柳川市に置き換え全編ロケ撮影しています。あの映画の印象が強く、本を読んだ時も、映像にかなり引っ張られた記憶があります。

今、私が古典芸能に傾倒しているからでしょうか、再読した時には、横笛、大鼓、小鼓の伝統的な能の囃子方のおそろしく深い音が聞こえてきそうでした。

本にしろ、映画にしろ、音楽にしろ、再読、再見、再聴は年齢を重ねてゆく時に体験できる楽しみですね。

Tagged with:
 

71年「第三回中津川フォークジャンボリー」のサブステージで歌っていた吉田拓郎のステージは異常な緊張と、悪魔的トランス状態に陥り、理性的なる段階を超えてしまいます。そして、諸説ありますが小室等の「メインステージに乱入」号令で、聴衆が一気になだれ込み、騒乱の場と化します。そして、この時期を境に日本のポップスはフォーク、ロック、シティミュージックなどの分裂と混乱の中から全く新しい音楽を作っていきます。

そのムーブメントの中心にいた一人は2009年に亡くなった加藤和彦です。抜群の音楽センスで新しい時代を迎えた音楽業界に旋風を巻き起こしていきます。彼の功績を羅列すれば、きりがありません。例えば、慶応大学学生だった、たけうちまりやがシングル「戻っておいで・私の時間」で78年デビューします。これは加藤和彦の作品です。その前年加藤は、自分の人生に決定的影響を与えた女性作詞家安井かずみと結婚します。

彼女は65年伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」でレコード大賞作詞賞を受賞。以降、小柳ルミ子の「わたしの城下町」ヒット曲を出しました。二人の結婚は優雅で、おしゃれなカップルとして注目されました。70年初頭から彼女はエッセイを書き始め、数十冊にもなる著書を残しています。レティシア書房でも人気の作家ですが、数冊程まとめて入ってきました。ベネッセから出版された「おしゃれ泥棒」(500円)、「贅沢に美しく大人の女」(500円)、近代ナリコ編集によるアンソロジー「たとえば好き、たとえば嫌い」(900円)とどれも、この人のセンスの良さが光ります。そして、加藤和彦との共著による「ワーキングカップル事情」(新潮文庫500円)カバーは、加藤のアルバムデザインで有名な金子國義です。彼女はこう書いています

「主婦として手を抜いてもよろしいですが、いい女であることには決して手を抜かないことがコツです。仕事を持つ女の絶対条件は、人間的可愛らしさとセクシーさなのですから。」

この本が出たのは1984年。30年程前のことです。

Tagged with:
 

プロデューサーのお仕事って大変そう。特に、大きなお金が動く映画プロデューサーなどは、胃の痛い日々がでしょう。

しかし往年のデヴィッド・リーンの「アラビアのロレンス」「ドクトルジバコ」の製作者サム・スピーゲルとか、戦後派スターのバート・ランカスターや、カーク・ダグラスが俳優兼製作者として、野心的な作品を作ってきた事実を見ても、良き製作者というのは、傑作誕生の必須条件でしょう。日本なら宮崎駿監督の盟友、鈴木敏夫氏の存在はよく知られています。

さて、今回は音楽プロデューサーの話。アメリカのカントリーシンガーの大御所に、エミリオ・ハリスがいます。大概の音楽は聴きますが、カントリーは、どうも肌に合わないので敬遠してきました。しかし、彼女の”WRECKING BALL”のアルバムを聴いて、仰天いたしました。(輸入盤1100円)

プロデュースは、ダニエル・ラノワ。CDショップで、この人の名前があると安心して買えます。初めて彼の名前を知ったのは、映画「スリング・ブレイド」(96)という小品ながら厳しいアメリカの現実を見つめた作品でした。地味なサウンドですが、耳に残る音楽でした。その後、彼が多くのトップクラスのミュージシャンのプロデュースをしながら、自分のアルバムを製作していることを知り集めました。

音作りは極めてシンプル、というかスカスカです。もちろん多くの楽器を使用して多重構造にはなっているのですが、何故かザワザワしないのです。常に静寂が支配しているという感じです。

比喩的な表現になりますが、清流に飛び込んで、川の中から水面を見ているような清涼感と透明感に満ちた世界を作りあげます。そして哀愁を感じさせながら幕を下ろします。ハンバーガーや、コーラの匂いプンプンのアメリカ的サウンドではなく、静かな日本の田園に育ったようなサウンドです。カントリー100%のエミリオですが、その声は生かしつつも、カントリーからさらに広がります。

ダニエル・ラノワに坂本冬美とか五木ひろしのアルバム制作させたいな〜。

蛇足ながら、彼自身のアルバムはすべて売り切れています。(人気あるんですね)また探します。昨年には、みすず書房から自伝も発売されていたのには驚きました。(まだゲットしていません)

Tagged with:
 

ブライアン・フェリーのCDがお客様のリクエストに応じて数枚入荷しました。

フェリーといえば、ロキシーミュージック。ロキシーといえば”More than This”で、ディスコ、カルチェラタンやアトランティスで、目と目を見つめ合って、手を絡ませていた貴方、甘い想い出が蘇りますなぁ〜。

彼の音楽は、とてもヨーロッパ的です。貴族趣味なくせにスケベ野郎で、エスタブリッシュメントでありながら、どっか崩れている、そんな雰囲気をまき散らすシンガーです。この感じ、新興国のアメリカの歌い手には出せません。よく知られている「煙草が目にしみる」という曲は、いろんな人がカバーしています。もちろん、アメリカの多くのシンガーも。でも、どうも感情過多というか、聞いていて、ハイ、お上手です、パチパチパチみたいな気分にさせられるんです。ところが、フェリーが唄うと、途端にちょっと退廃的で、醒めているのに、センチメンタルな歌になるのです。

この人の持っている雰囲気は、他に探してもいませんが、あえて言えば、私は奥田瑛二が持っているように思います。北方謙三原作の「棒の哀しみ」を日活ロマンポルノの第一人者柛代辰巳が監督した映画を観た時に、どうしようもないチンピラなのに、フェリー的なエレガントさが、ちょっと漂っていました。

さて、文学で彼の音楽に近い作品を探すとなると、そんなにヨーロッパ文学を読んでいない私には困難な作業ですが、M・デュラス「ヒロシマ、私の恋人」(筑摩書房700円)を思い浮かべます。

「ヒロシマである。(二人は、一緒にベッドの中で裸になっている)光はすでに移ろっている。情事のあとである。時間が経過している」

意識の流れを中心に展開する小説のような、散文のようなわけのわからんお話ですが、「おねがい、私を食べつくして、私の形を、醜くなるまで、変えてしまって」とすがる彼女に相応しい男はフェリーみたいな輩でしょう。この小説をベースに映画化された「二十四時間の情事」に出演していたのは、若き日の岡田英次。そう言えば、彼にもそんな雰囲気ありましたね。

Tagged with:
 

故中村とうようが編集長をしていた「ミュージックマガジン」は、ロック小僧にとって教科書みたいな存在でした。パンク、ニューウェイブ、ラップ、レゲエそしてワールドミュージックまで、この雑誌には大変お世話になりました。最近は、さすがに買わなくなりましたが、先日、新刊書店で最新号を見た時、思わず足が止まりました。

特集「音楽からみた『あまちゃん』」です。NHKの朝ドラ「あまちゃん」がなんと特集です!!思わず、えっ〜〜〜〜と叫びそうになりました。「あまちゃん」見てますよね。特集の中で、篠原章さんがこんなこと書かれています。

「ロックを聴く人間にとって、NHKを熱心に見ること自体許されぬ行為だと思っていた。そして、湿っぽそうなストーリーの朝ドラを見るなんて、ロックにツバする行為だと信じきっていた。要するにNHKも朝ドラも気に入らなかったのである」

わかりますね、この気持ち。まぁ、私も似たり寄ったりでした。でも、彼は「ゲゲゲの女房」辺りから熱心に見出して、「カーネーション」、「梅ちゃん先生」と深みにハマっていかれたみたいですが、それも私とだいたい同じです。

「あまちゃん」は「音楽ドラマ」だ、だからとても面白い。というのが彼の論ですが、確かににそうです。キョンキョン、薬師丸ひろこという80年代アイドルを使って、アイドル文化史を描く宮藤官九郎の脚本は完璧です。アチコチに小さな音楽ネタを散らばらしながら展開してゆく、アイドル物語としての楽しさと、震災以降のヒロインの故郷の荒廃と復活への、それこそ「湿っぽそうな」展開を拒否する成熟した脚本の見事さで、これ程朝の15分が楽しいことはありません。

音楽を担当しているのは大友良英。福島出身のフリージャズ、ノイズミュージックの第一人者です。坂本龍一とのデュオを聴いたことがありますが、ギター一本から醸し出されるノイズサウンドが脳内をぐちゃぐちゃにしてくれて、気持ちいいものでした、その一方、中村八大、いずみたく、クレイジーキャッッツら昭和ポップの黄金時代を築いた音楽家のファンでもあり、そのオマージュが見事にドラマに反映されています。ミュージックマガジンでは、このサントラ盤について、詳細な解説がされているので興味ある方はどうぞ。

さて、「あまちゃん」も今月限り。エンディングはどうなるのか、様々な憶測が飛び交っています。キョンキョン、薬師丸そして松田聖子(出演の噂聞いたけど)のアイドル三人で「地元へ帰ろう」を唄ってほしいところですが、どうでしょうか。

 

 

Tagged with:
 

O「あなたの音楽の聴き方がとても深かったということなんです。僕からみると、あなたの場合は(レコードをたくさん集めてはいるけれど)いわゆるマニア的な聴き方じゃないんですね」

M「僕は暇だし、だいたい家にいるから、ありがたいことに朝から晩まで音楽を聴くことができるんです。ただ集めるだけじゃなくて。」

Mは村上春樹。春樹さんが暇だしってことはないと思いますが、彼は作家になる前はジャズ喫茶のオヤジで、レコードのコレクターでした。もちろん、膨大な量のコレクションですが、そのコレクションの前で自慢気なポーズを取ることはありませんでした。音楽に関するエッセイで、私は彼を最も信頼しています。読んだ後、何度、そのアルバム聴いてみたくなったことか。ジャズなんて知らなくても、ジャズを聴いて楽しい気分になったようにさせる和田誠とのコラボ傑作「Portrait in Jazz」(新潮社1100円)が書けたのは、一重に「音楽が人をどこまでも心地よくさせてくれるもの」ということを熟知し、そして「聴く」ことの無上の楽しさが染み付いているからでしょう。

さて、対談のお相手のOは、小沢征爾さんです。「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番」をめぐって、二人のやりとりを読んでいると、ちょっと ベートーヴェン聴いてみようか、とやはりそんな気にさせてくれます。小澤さんは対談で、忘れていた昔の思い出が、どんどんと湧き出てきたと書いています。音楽への深い造詣と愛情がマエストロの心を動かしたんでしょうね。クラシックは、門外漢の私ですが、どこまでも楽しく、ゾクゾクさせてくれる一冊です。ホント、春樹さんの音楽を聴いてきた膨大な量は凄いです。

二人の対談を収めた本は「小沢征爾さんと音楽について話をする」(新潮社1100円)です。新刊で出た時から読みたかったのですが、やっと安い価格で見つけました。

Tagged with:
 

西陣でお茶屋遊びをして、お金を払えなくなったわけではありません。西陣出身の現役ホステスシンガーのリリースしたアルバムの話です。彼女の名前は「なかの綾」。で、アルバムタイトルは「へたなうそ」。中条きよしのアルバムか?みたいなムード演歌の匂い満々のタイトルですが、いやいやしっかりした内容のアルバムです。

彼女は、西陣の織屋の娘として85年に生まれました。京都市少年合唱団に在籍して音楽の基礎を学び、佐渡裕、ウィーン少年合唱団との共演を経験して、その後祇園のジャズクラブで歌い出します。このアルバムに入っている曲は、「ラブ・イズ・オーバー」、「私はピアノ」、「つぐない」、「ホテル」、「すずめの涙」、「誰より好きなのに」、「恋におちて」、等々と「これ私、歌えるわ!」系の曲がズラリ。

こういうよく知られた曲を歌う時に大事なのは、どういうコンセプトで歌うかというアルバムデザインです。そこをきちんと考えておかないと、単に「歌の上手い人」のカラオケになってしまいます。で、このアルバムのそれは、ちょっとおせっかいな慰め。CDの帯に「幸せな女性は決して聴かないでください」とあり、まぁ、そんな感じです。

そして、もう一つ。小林旭全盛時代の日活アクション映画に登場するベタなキャバレーシーンの持つゴージャスなムードへの憧憬です。全体として、ラテン系でアレンジされていますが、二谷英明と浅岡ルリ子がジルバを踊り、その後ろで小林旭がピアノを弾いているような、これはもう日活映画の1シーンを思い出します。私は石原裕次郎の日活アクションの魅力はイマイチわかりませんが、小林旭主演の、歌謡曲をそのまま映画にしたようなムードだけの作品は大好きでした。だから、このCDも大好きです。

しかし、どの曲もいいですね〜。4曲目「ホテル」の作詞なかにし礼、作曲浜圭介のコンビが作る楽曲などは本当にお見事です。私のお薦めは「すずめの涙」。桂銀淑のヒットナンバーですが、こちらの太々しい歌い方は、また違った魅力です。(1300円)

Tagged with:
 

「暗い女の部屋でマヌケな肌をさらし おぼえ始めの味でうなじを真っ赤に染めて 世慣れたウソもつけない頃は 色気の中で我を忘れてた 中途半端な義理で親父のために学び 他人(ひと)の顔色だけを窺い拍手をあびて 泣かない事を誓った日々は 無邪気に笑う事も忘れてた」

これ、私小説の一部ではありません。桑田佳祐のソロアルバム「孤独の太陽」(800円)に収録されている「真夜中のダンディ」の最初の歌詞です。タイトルからして文学的ですが、、よくまぁこんな内省的な歌ばかり収録したものです。

西村賢太の小説「小銭をかぞえる」(600円)で、同棲している女性と金を巡る緊張感が不気味に増幅されて、こんなラストを迎えます

「扉の向こうでは、女が堰を切ったような甲高い欷泣を上げ始めていた。それが何がなし、奸婦の哄笑めいた響きをもて、私の耳朶深くに不安な染み込みかたをしてくるのである」

男の暴力性と自虐的な性格の歪みがジワリでてくるお話です。似てませんか、桑田の歌詞と。

歌はさらにこう続きます

「友は政治と酒におぼれて声を枯らし 俺はしがらみ抱いてあこぎな搾取の中に 生まれたことを口惜(くや)んだ時にゃ 背広の中に金銭(かね)があふれてた 愛と平和を歌う世代がくれたものは 身を守るのと知らぬそぶりと悪魔の魂 隣の空は灰色なのに 幸せならば顔をそむけてる」

鬱屈し、自虐的な歪みの中で不気味な笑をうかべる男の顔が浮かびます。そして、

「夢も希望も現在(いま)は格子の窓の外に 長い旅路の果てに魅惑の明日は来ない 可愛い妻は身ごもりながら 可憐な過去をきっと憂いてる」と妻の不幸を冷ややかに見つめ、こう終わります。

「降り注ぐ太陽が 嗚呼 影を呼ぶ 愛しさを知るほどに 嗚呼 老いてゆく またひとつ消えたのは 嗚呼 愛だった」

加山雄三〜ワイルドワンズ〜サザン・オールスターズが脈々と演奏してきた、明るい哀愁感一杯の湘南サウンドとは似ても似つかない内向きに深く沈んで行く歌。これが、桑田が抱えている私小説的な資質なのか、これもまた演出された表現なのかはわかりませんが、西村の突き刺さってくる痛みにみちた小説を思い起こさせるところが、優れた表現者の証拠ですね。

●「一箱古本市」は日曜日までです。次週19(月)〜22(木)まではお休みいたします。23日(金)からは「暮らしがちょこっと楽しくなる本&雑貨」のフェア開催です。

Tagged with:
 

明治29年、日清戦争が終わった年、フレデリック・H・ホーンが横浜に着きました。ホーンは機械工具の輸入を手がけ、明治30年、我が国に初めて蠟管蓄音機を輸入。その十年後、日本初のレコードメーカー日米蓄音機製造(株)を設立し、日本の音楽ビジネスがスタートします。しかし、このホーンという人物、謎だらけで、いつ日本を離れたのか、帰国後はどうしていたのか全く不明の人物です。

飯塚恒雄「カナリア戦史〜日本のポップス100年の戦い」(愛育社1300円)は、ホーンの活躍した明治時代からスタートして、大正時代、芸術座公演トルストイの「復活」の中で、松井須磨子が歌った「カチューシャの歌」がレコード化され、全国的にヒットした時代を経て、野口雨情、西条八十、古賀政男そして服部良一達の戦前ジャズの熱狂、そして日米開戦の暗い時代までを一気に描いていきます。時代とともに歩んだ流行歌の歴史とでも言うのでしょうか、読み応えがあります。

後半、私たちの世代にとっては、お馴染みのフォーククルセイダーズの「帰ってきたヨッパライ」へと話が続きます。昭和42年フォーククルセイダーズは自主制作アルバム「ハレンチ」を発表。その中に「帰って来たヨッパライ」という摩訶不思議な曲が収録されていました。この曲をヒットさせたのはラジオ関西の電話リクエスト番組(略して「電リク」と言ってました)。貴方も私も、必死になって深夜、ラジオに齧りついた時代です。やがて、勢いは関西フォークという大きなムーブメントを産み、それがその後の、現代に続くニューミュージックへと繋がっていきます。

で、この本は最後は美空ひばりの死で終わります。成る程、ポップス、ジャズ、演歌すべて丸ごと飲み込んで音楽産業を駆け抜けたのは彼女であることは間違いありません。総括としては相応しい終わり方です。

蛇足ながら資料として、「美空ひばり葬儀参列者座席表」が収められています。こんな席順だっだのか、と興味深い座席表です。

 

 

 

 

Tagged with: