展示会に会わせて、音楽をセレクトしています。

と言っても、そんなにコレクションがあるわけではありません。だから、1枚か2枚を選んで何回もかけています。例えば、上村さんの野生のドールシープの写真展の時は、ネィティブアメリカンの血が混じっているリタ・クーリッジのサウンドが、廣田さんの個展の時は、矢野顕子のサウンドが展示会を盛り上げてくれました。

そして、今回展示している斎藤さんのアフリカの素描展に、ピッタリ音楽を見つけてきました。先ずは、マリ出身のミュージシャン、アリ・ファルカ・トゥーレとライ・クーダが組んだ「トーキング・ティンバクトゥー」。アリのサウンドのルーツはアメリカのブルースですが、乾いた大地を吹き抜ける、ちょっと冷たい風を肌で感じさせてくれる豊穣なアフリカンサウンドが、展示されている作品にマッチしています。アフリカの早朝って、こんな感じの透明感があるんだろうと思わせてくれるサウンドプロデュースもお見事です。(CD900円)

もう一枚、渡辺貞夫の「MY DEAR LIFE」。早くから、アフリカのサウンドを取り入れていたナベサダ1990年のアルバム。正当的ジャズサウンドから、よりメロディアスで、ポップな音へと舵を切った時代の作品です。疾走するチータや、ゆっくりと移動する犀の姿が浮かんできます。このアルバムには、ある世代には郷愁を呼ぶ曲が入っています。それは、FM大阪で、毎週土曜日深夜放送されていた「ブラバスサウンドトリップ」で使用されていた「マイ・ディア・ライフ」です。曲の雰囲気は、真冬の昼下がりにコートの襟を立てて歩くみたいなイメージなんですが、このアルバムでは見事アフリカの風土にとけ込んでいます。このアルバムをかけた時、リズムをとりながら作品を見ておられたお客様を発見しました。(CD900円)

こうして、作品をバックアップできる音楽があれば、もっと楽しんでいただけると思っています。ちなみに、アート関係の書架の上に飾ってあるLPジャケットも展示会に合わせています。(まぁ、店主の密やかな愉しみですね)

 

 

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クラシックピアノのグレン・グールド(1932〜1982)のCD特集です。

私はあんまりクラシックは聴きません。でも、この変わり者グールドだけは、しつこく聴いています。

何故、変わり者か。先ず、演奏会というのは無意味であると断定し、64年のコンサート以降、一切のコンサートを行わず、ひたすら録音に拘った事。(当然、聴衆の前にも姿を見せなくなる)自分のスタイル、楽曲に対する解釈への信念は頑強で、そのために指揮者と衝突することが多々あったこと。そして、禁欲的に演奏するのが当然だったバッハの曲を、もう甘美で、快楽的に演奏したこと。等々、逸話には事欠きません。

グールドといえば、バッハを演奏したものが有名ですし、完成度も極めて高い作品です。しかし、モーツアルトのピアノソナタ集を、私は愛聴しています。

「ソナタ第11番」。子猫が抜き足差し足で、近寄ってくる感じに第一楽章から始まり、一つ間違えば、歌謡曲まがいの哀愁をおびた、これでもくらえ!みたいに、メロディアスな展開をしていき、その装飾過多なモーツアルトの音に遊んじゃえ!とばかりにグールドは喜々として弾いていきます。そして、第三楽章はお馴染み「トルコ行進曲」です。やはり、出だしは子猫の抜き足差し足風です。そして、行進曲というよりは、エレガントな舞踊を見ているような世界へと入っていきます。

今回、グールドのCDを十数枚用意しました。お値段も800円からです。

読書のお供にお聴きになるのもいいですね。この人の美しく、幻想的な音楽は読書の時間をさらに良質のものにをします。グールド自身、文学愛好家で、特にトーマス・マン、夏目漱石を愛読していたみたいです。漱石の「草枕」は、あるラジそしてオ番組で、小説の一部を朗読をしていたぐらいですし、死ぬ間際、枕元には、書き込みだらけの「草枕」が置いてあったそうです。また、カート・ブォネガットの奇妙な小説「スローターハウス5」の映画化に際しては、サントラの作成に参加しています。

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鈴木茂「バンドワゴン」のCDは一家に一枚

日本のポップス史上、その良さ理解できずば、万死に値するバンド「はっぴえんど」のギタリスト鈴木茂のアルバムです。すべてのギター小僧の憧れにして、見事なポップセンスとセンチメンタル。松本隆作詞の「微熱少年」のこんなフレーズ

俄か雨降る午後に 体温計挟み、天井の木目 ゆらゆらと溶け出した 窓のガラスを叩く 野球帽の少年の ビー玉を石で砕いては空にまき散らす ほらね 嘘じゃないだろう 路面電車は浮かんでゆくよ 銀河へと

どうです、この屁のようなふわ〜っとした歌。蓄膿症気味の鈴木のボーカルとかっこいいギターがからんで絶品です。松本とのコンビで「砂の女」、「八月の匂い」とか映画的タイトルの名曲もずらり。このアルバムなくして、日本のポップスはあり得ない。薬物不法所持でパクられたままでいいのか、鈴木!

もう一人、今更ですが山下達郎。

「なめらかな白い砂は 溜め息の照り返し しなやかな南風は 舞い上がる長い髪」で始まる「高気圧ガール」は、もう何百回と聴いてますが、一気に青空に飛び立てる気分にさせてくれる。どうして、こんな素晴らしい曲だできるんだろうと、いつも考えてしまいます。

私はメッセージソングがお呼びじゃない人です。真面目に歌って欲しくないですね。(人としては皆さん真摯な人ですが)軽佻浮薄でどうでもいいような歌を楽しそうに、そして絶妙のアレンジで聴かせてくれて、ウキウキさせてくれたら、それで良し。

 

ところで、以前ユーミンのカラオケCDの事をアップした時、こんなご指摘をいただいた。

荒井由実のカラオケディスクについて、手元の資料の情報をお伝えしておきます。

はっぴいえんど コンプリート (木村ユタカ監修 シンコーミュージック刊) 所収
キャラメルママ~ティン・パン・アレー参加作品レヴュー(選・文 ヒロ宗和、木村ユタカ)より

「油断も隙もありゃしない。アルファがリリースした安易なベストCDかと思いきや、これがとんでもないお宝だった。ディスク3が、まるごとキャラメルママ~ティン・パン・アレーのバッキング・トラック集(ただしコーラスは入っている)。しかも、オリジナルとはバージョンが違う。たとえば[2]などは1分近く演奏が長いし、[3]は12弦ギターが入らずピアノで始まるテイク。[4]にもマンドリンが入っていないなど、違いを挙げたらキリがないくらいだ。どの段階で流出したオケかわからないが、これはまさにティン・パン・アレーのアルバムそのもの。(後略)」

また、「やさしさに包まれたなら」のシングルバージョンについては別の資料に次のような記述があります。

地球音楽ライブラリー 松任谷 由実 (雲母社監修 TOKYO FM出版刊)

「カントリー風のリズミカルなギターがメインの『MISSLIM』収録のものとは別バージョン。こちらはテンポがやや遅めで、ピアノの夢見るようなイントロから徐々にバンドが加わり、後半はストリングスも入ってかなり豪華なサウンドになる。80年の”不二家ソフトエクレア”のCMで使われたのはこのシングル・バージョン。」ブログをお読み下さり、こんなメールをいただけるなんて、ありがたいことです。

 

 

 

 

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レティシア書房初ライブ4月22日18時からありました。

古本屋でライブ?

 

はい、京都メリーゴーランド店のスズキ店長によるウクレレ演奏です。

この方の澄んだ歌声とウクレレの音色が、とっても素敵なんです。

 

多くのお客さんで店がいっぱいになったらどうしょう?とか、

大きな音でご近所迷惑になったらどうしょう?とか

だいたいこの小さな店でどうやってすんの?とか

考えなくはなかったのですが、あれこれ思い悩むより、この空間でウクレレ聞いてみたい!!の方が先立ちました。

 

当日は雨。yossanの絵本原画展最終日だったので、お友達などを含めて約10名の観客を前に、スズキさんの歌声はやさしく店内に響きました。

yossanの友人の一人がギターを作る職人さんで、この日手製のウクレレを2本持って来てくださったいました。

スズキさんにお願いして、その真新しいウクレレも弾いてもらいました。

一つ一つ音色が違い、初めての聞き比べになりました。製作者にとっても演奏者にとっても、それは初体験で、お互い新鮮な出会いを楽しんでいました。

 

小さくても店という空間を手にするというのは、こんな面白いことを共有できるのだと、ちょっとウキウキしました。

 

それにしても雨の夜にアコースティックな音色の心地よかったこと。みなさん、いい夢みられたんじゃないでしょうか。(女房)

 

 

 

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エリック・ドルフィーで、私は歌舞伎、そして能に目覚めた? はぁ〜ですよね

ドルフィーは、30代でヨーロッパツァーで亡くなったジャズマンだ。馬のいななきに似ていると言われたバリトンサックス、恐ろしく鋭いアルトサックス、そして尺八の音色に似たフルートと多彩なスタイルを持っていた。若い頃から聴いていましたが、ものすごく好きなミュージシャンではなかった。ジャズ喫茶の薄暗い空間で、フルパワーで聴くのに適した音楽だった。

ところが、歌舞伎そして能楽を観るようになってから、ドルフィーはフェイバリットミュージシャンになった。ジャズと古典芸能。全く無関係なジャンルなのだが、考えてみると似ている点がある。ジャズの曲は、おおむねが昔のミュージカルの曲で、単純で美しいメロディを持っている。多くのミュージシャンが、メロディを大切にしながら、より自由な曲へと飛翔させんと悪戦苦闘してきた。原曲から、いかに自由になるか。もちろんドルフィーも、人一倍その事に拘った。テーマの演奏から、ソロになった時、音をすべて解放して、高みへと一気に上がろうとする。しかし、いっぽう原曲のシンプルな美しさが引き戻そうとする。引き戻す力と引き上がろうとする力がぶつかり、せめぎあう。その一つ一つの音に込められた緊張感を聞き込むことが、彼の音楽を聴く魅力だ。

いっぽう、歌舞伎、能楽。もう、こちらはすべて完璧なまでに出来上がった所作通りに演じ、演奏することが絶対の世界だ。逸脱は許されない。では、所作通りやれば、それで感動につながるか、と言えばそういうものでもない。型に押し込めようとする力と、型から自由になり、新しい表現を目指す力が、やはりせめぎあう。ドルフィーは決められた音符の進行を破壊し、新たな表現を模索し続けた。古典芸能の演者は、型を徹底的に己の身体に記憶させることで、型から離れ、やはり新たな表現を求めた。

能「道成寺」を観た時、あの緊張感に縛られた二時間、舞台でドルフィーが狂おしい程に演奏している姿が消えることはなかった。

 

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川本三郎の、バーズの、妻夫木のそれぞれの「マイ・バック・ページ」

映画評論家として信頼している川本三郎さんの、ノンフィクション「マイバックページ」に始めて出会ったのは86年雑誌「Switch」での連載だ。衝撃だった。自分自身の忌まわしい過去を振り返えるつらい作業。川本さんがかつて朝日ジャーナール記者だった時代に、自衛隊基地に乱入した過激派の活動家と接触し、その結果、警察の取り調べを受け、朝日新聞社を退社せざるを得なくなるまでを綴った苦い記録だ。(河出書房新社版1988年発行1400円)

激しく揺れ動く時代に自分を見失いそうな時に、彼を助けたのはCCR、ストーンズ。そして本のタイトルにもなった曲を作ったボブ・ディランらのロックだった。時代にロックが反抗し、また寄り添った幸せな時代でもあった。

 

 

そして、昨年映画化される。監督は、やはり信頼している山下敦弘。出演は妻夫木 聡×松山ケンイチ。原作の持ち味は十分に生かしながら映画独自の解釈をする。ラストシーンで妻夫木が大号泣する。もう素晴らしい泣き顔だ。妻夫木は上手い役者だが、彼のベストパフォーマンス。何故、彼が号泣するのかの説明はしません。DVD借りて観てください。男の泣くシーンで、こちらも泣いてしまいそうになる。

 

もうひとつ、この曲について。ボブ・ディランの名曲であることは事実だが、カヴァーしたウエストコースト系バンド、ザ・バーズが素晴らしい。朝の犬の散歩の時、ipodで聴く。多分、世界で最も切ない歌声だろう。桜の満開の下で、この曲が脳みそにしみ込んでくると、もう何もいらないという気分にさせてくれる。(この曲の入ったCD昨日までありましたが、残念売れました)

いろんな意味で、「マイ・バック・ページ」という言葉は今も影響を与える言葉だ。

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先日、小鼓の先生が出演される能「道成寺」を見に行った。能の舞台を一言で言ってしまえば、眠たくて、重々しくて、退屈で、しかしそれ以上にスタイリッシュで、過剰に興奮させる芸能だ。で、能の舞台の中でも、最高峰と言われる「道成寺」。いやぁ〜怖かった、逃げ出したくなりました。

 舞台中程、先生の小鼓と、舞い手(シテと呼びます)が、延々40分ぐらい二人だけの舞台が進行する。小鼓が一つ打つ。すると、シテが一つの所作を行う。そして、静寂。二人とも何の動きもない。そしてしばらくすると、一つの音、一つの所作、そして静寂が延々続く。

はたと気づく、私は汗をかいているのだ。舞台の二人はこの時にしか表現できない最高の音、動きを、おのれの精神的、肉体的限界を超えて出そうとしている。お互いを挑発し、殺気が舞台にみなぎる。まぁ、高度な「どつき合い」にお付き合いしているようなもんですね。その果てしない緊張の渦の中で、私の精神が反応し、快楽に体が喜ぶ。これこそ音楽ではないか!

  そんな経験を以前にもしたことがある。ジャズトランペッター、マイルス・ディビスの演奏を聴いた時だ。1969年アルバム”Bitches Brew”発表後、彼は、それまでの大人な正統派ジャズをあっさり捨てて、猥雑で欲望ギラギラなブラックミュージックに接近する。常に変化する事を原理原則にした彼のサウンドはサイケデリックな過激性をまとう。お上品なジャズリスナーや、耳の悪い評論家からはボイコットされてしまう(今でも)。

 

 私は史上最高にかっこいいと思う。死ぬまで、変化し続けることを己に課したミュージシャンって、彼ぐらいだ。その彼のライブでの”First Track”を聴く。号砲一発、マイルスのトランペットが炸裂する。その時、持ちうるすべての才能を突っ込んで彼は疾走する。この殺気。この時、この場所でしか出せない音。溢れ出るサウンドの大洪水に体が反応し、恍惚へと誘う。

能とマイルスに、何の接点もあるわけがないが、聴きやすい音楽ではないということでは一致する。音楽を聴くという事は、聴きやすい音を楽しむだけではない。時に過剰で、激しく響く音楽に見を委ね、それに自分は反応し、喜べるかどうかを確認するこだと思う。

あんまり、耳に心地よい音楽ばっかだと、ほら口当たりのいい言説を、耳元で囁くあの人、この人の餌食になるかも。だから、ipodには過激な音楽を入れて、散歩時には、音楽は気合いだ!と愛犬には伝えているのだが、ほのぼの生きることを原理原則にしている彼女には全く伝わらない様子ではある。(店主)

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若い頃、バンドを組んでいだ。私はドラム。ドラムを始めたのは高校時代−女子高生にもてそう、と思ったからだ。さて、そのバンド。どういうわけか、私は「暴走する」ドラマーだった。つまり、きちっとリズムをキープしないドラム。自ずと曲が終わらなくなり、テープ切れみたいに突然終了。そして、バンドもあえなく解散。

それから、20数年。また打楽器を始めた。ドラム? 驚くなかれ、小鼓ですぞ、小鼓。能楽で囃子方を努める楽器です。素敵な先生(先生のブログも面白い)についてもう二年になる。今年初めには、発表会もどきにも出してもらった。いやぁ〜面白い!!

お謡が始まり、所定の場所で、小鼓を構える。小鼓の音色はそんなに種類が多いものではない。この楽器は、2枚の馬皮と、桜の木をくりぬいた胴を、調緒(しらべお)と呼ばれる麻紐で緩く組んである。左手で持って右肩の上に構え、右手で打つ。調緒を緩めたり締めたりすることで数種類の音色を打ち分けることが出来る。モノトーンな音、しかし恐ろしく奥深い。両手の動きと絞り出す様ような掛け声が、能の空間を作り上げる。

私が、何の違和感を持たず、小鼓そして能の世界に馴染めたのは、1人のミュージシャンに強く影響を受けている。その名は、エリック・ドルフィー。若くしてこの世を去ったジャズサックスの巨人だ。彼のバスクラリネットから繰り出される過剰なまでの音色。疾走するアルトサックス、そして極めて日本的なフルートの囁き。彼の音楽は決して聴きやすいものではない。むしろアナーキーで、過激だ。しかし、その理想の音を求める姿は、まさに求道者の姿だった。その姿に、小鼓の、能のストイックな求道者的な世界はぴたりと重なった。だから、違和感も難しさも感じなかった。

さて、明日も「いよ〜」ポン(小鼓の音色です)で行ってみよう。(店主)


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