文化人類学者奥野克己と漫画家MOSAのコラボ「マンガ人類学講義」(日本実業出版社/古書1300円)には「ボルネオの森の民には、なぜ感謝も反省も所有もないのか」と、めったやたらに長いサブタイトルが付いています。

奥野は2006年から約1年間、その後も何度もボルネオ島の熱帯雨林に住む狩猟民プナンの元を訪れて共に住み、共に狩猟に出かけました。共同執筆者のMOSAも、短期ではありますが、2019年に、ここを訪れています。その二人が組んで「民族誌マンガ」と命名したのが本書です。

これを読んで思ったこと。世界は広く、文化は深いという、当たり前のことの再確認でした。ボルネオのプナンの民にはモノを所有するという概念がありません。彼らの言葉には、「貸す」「借りる」という言葉がありません。だから、何かを貸しても感謝されないし、借りたものを無くしても反省しない。そう、サブタイトル通りなのです。では、欲張りなのか?と人類学者は考え、彼らの生活を見つめてゆくと、そこには深い意味が隠されていたのです。

彼らは人が死んだ時、遺品はすべて燃やして、死体は土葬し、速やかに離れる。儀式は一切ありません。死者を敬うことはないのか?やはり、ここにも彼らの死生観があるのです。

おかしかったのは、世界の民族の性に関しての調査、研究です。題して「セックスの人類学」。え?そんなんあり??と驚愕の物語がドンドン出てきます。それを未熟なというのか、ヘェ〜おおらかな考えね、と捉えるかは読者次第ですが、笑えます。

また、「アホ犬会議」という章では、「良い犬」と「アホ犬」に区別されることついてご当地の犬たちが論じる、犬好きには興味深いものも描かれています。「アホかわいい犬」を目指す犬が愛玩犬として生き延びるのかもしれません。

プナンの人々を描いたマンガを通して、私たちは生きること、働くこと、セックスのことなどを、もう一度見直してみることになる一冊です。