「漢字や言葉遣いの間違いだけではない。年号を勘違いする、三輪車の構造をでたらめに説明する。東西南北が入り乱れる、カワウソの肉球の数を間違える、季節はずれの花を咲かせる…….。私はありとあらゆる間違いを犯す。けれど校閲者は『こんなことも知らないのか』とあきれた気配は微塵も見せない。どの赤字にも、どの『?』マークにも、『ここ、もう一度考え直されたらいかがでしょうか」とささやくような謙虚さがこめられている。時には三輪車の図解や地図やカワウソの写真のコピーが、そっと添えられている。」

これは、小川洋子が「とにかく散歩しましょう」で校閲者の仕事について語った文章です

牟田都子、1977年生まれ。図書館員を経て出版社の校閲部に勤務。2018年独立して、書籍、雑誌の校正に携わる。彼女が自分の仕事について綴ったのが「文にあたる」(新刊/亜紀書房1760円)です。え!そんな細かいことまで、膨大な資料を調べ上げてチェックするの!?と驚き、ひっくり返った一冊でした。

「校正」と「校閲」の違いは?ネットで調べると、「校正」は、誤字脱字や英語のスペルミス、文章の構成や内容に矛盾があるかどうかを検証し、修正する仕事です。一方、校閲は、文章に書いてある内容の事実誤認を防ぐために資料を確認したり、無許可の引用や差別を助長する表現の有無をチェックし修正します。

著者は校正者として、日々多くの原稿に向かい合っています。その作業の中で感じたことを短いエッセイ風に書き連ねてあるので読みやすい。さらに、それぞれの章の最初に、内容を象徴するような、作家や校正者の言葉が載っているので、理解のヘルプになります。

冒頭の小川洋子の文章は、「疑う力」という題の出だしです。例えば「パンダの尻尾は白いんですよ」という文章にぶつかった途端、本当?と思うや否や、資料を調べ、図書館に出向き調べるのです。そして、「調べた結果とゲラが異なっていたら、なるべく複数の、信頼できそうな資料を選び、典拠として提示しながら、いま一度ご確認いただけませんか、と編集者と著者に注意を促す、そこまでが校正の『調べる』です。」と書かれています。

一人の構成者として、言葉との向き合い方、仕事に対する意識、そして自分が送り出す書物への深い想いが詰まった本です。

最後の章「天職を探す」に載っている影山知明の文章が心に残りました。

「興味深いのはこの天職という言葉の英訳だ。この言葉、英語ではcallingという。つまり『呼ばれる』もの。英語圏ではキリスト教的な背景もこの言葉にはあるわけだが、それでもこの表現にはピンとくる。天職とは、自らつかみ取るものではなく、呼ばれるものだというのだ。」(『続・ゆっくり、いそげ 植物が育つように、いのちの形をした経済・社会をつくる』より)

蛇足ながら、牟田都子は、ライター、翻訳家を生業とする女性二人との共著「あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記」(亜紀書房)もあります。