panpanyaが描く世界はとても不思議です。登場する人物たちは、今日マチ子のコミックの主人公たちの様に、透明で全く厚みのない造形なのですが、背景になる町の様子は、徹底的に描きこんであります。新作「模型の町」(白泉社/新刊1070円)も、その世界に変化はありません。

表題の「模型の町」4部作は、同級生が自由研究で自分たちが住む町のジオラマをつくりあげたのを見て、主人公の少女が町を巡るもの。模型は、牛乳パックで家を、マッチ箱で自販機を、ティッシュの箱で団地を、それぞれ見立ててできています。この「町」が主人公のコミックといっても差し支えありません。何か事件が起こるわけでもなく、模型と、実際の町を比較するだけのお話なのですが、なぜか面白い。

この作家、ひょっとして町歩きオタクか?特徴のないどこにでもある町の情景を、全く新しい視点で描き出してくれます。近所の通りでも歩いてみようか、という気分にさせてくれます。

ほかに「ここはどこでしょうの旅」シリーズというのも、何作か収録されています。こちらは女の子と白い犬が、全く知らない町にひょっこりと現れて、ここはどこだ?何ていう町?ということを調べて、やはり町を彷徨うのです。

panpanyaの作品は、熱心な愛読者になるか、全く読まないかはっきりと分かれると思います。私は、最初から好きでした。「蟹に誘われて」「枕魚」「魚社会」とかタイトルだけでも??な作品など、のめり込みました。

シュールで、幻想的で、なのに何だか妙にリアルな世界。異次元の世界に迷い込んだ感じをぜひ楽しんでいただきたいものです。

 

「システムに封じ込められた人間の創造性の解放を促す」をテーマにした「新百姓」(2200円)が創刊されました。「効率性や規模の拡大を最優先に追求する経済のあり方、人間一人ひとりが、それに従順であるように求められる巨大な社会システム。そういったものに疑問を持ち、新しい生き方を探求している人たちの、問いと実践の物語を紹介する雑誌です」と趣意書には書かれています。

なんか難しそうと思われましたか? 実際に紙面をめくったらそんな感じは全くありません。要は、グローバル経済の恩恵やら、AIとコンピュータネットワークが作り出す明るい未来などを、簡単に信じ込まずに、ちょっと見方を変えて世界を見てみようよ、というのです。そうすると、私たちが、何か巨大なシステムに操られ、思考停止の状態になっていることが見えてきます。実際に、写真をふんだんに使った構成は、読みやすく、文字もびっしりと埋め込まれているわけではありません。

創刊号には、霊長類研究者の山極寿一さんへのインタビューが掲載されています。本誌発行者の女性に、「あんな忙しい先生へのインタビューよく出来たね」と言ったら、駄目元で申し込んだらすんなりOKが出たそうです。霊長類学の権威であり、京大総長を勤めた方、ということで最初は緊張していたそうですが、「手土産の焼酎を渡すと会話はとたんにテンポを上げる。それは僕らの想像以上に、山極先生から『僕らの考え』が語られる喜びに満ちた時間となっていった。」と、このインタビューがとてもいい雰囲気だったことが伺えます。

この中で、先生は「技術に人が奉仕するんではなくて、技術が人に奉仕するっていう、そういうシステムを作らないといけない。 もっと端的に言えば、今は人間の社会が経済に奉仕している時代だよね。逆なんですよ。社会というものがあって、それをさらに豊かにするために経済っていうものがあるべきだったのに、今は逆になっちゃったんです。」と語っています。

このインタビューを読むだけでも価値ありですが、最後に、「そもそも、なんで『新百姓』をつくろうと思ったの?」という発行人と編集長を交えた対談が載っています。これが、なるほどね、と納得の対談です。これからの編集に期待大です。

 

「荒地の家族」(新潮社/新刊1870円)は、震災から10年余りたった今も、この地でささやかな造園業を営む中年男、祐治の物語です。最新の第168回芥川賞を受賞しました。著者は、仙台在住の現役の書店員で、2017年「蛇沼」で第49回の新潮新人賞を受賞し、その後も執筆活動を続けてこられました。

2021年4月発売の文芸雑誌「新潮」に著者の「象の皮膚」という作品が掲載されました。たまたま書店でこの雑誌を手に取った時に、著者の文章を目にしました。その硬質な文体が私好みだったので、店頭でしばらく読んでいましたが、買うこともなく店を後にした記憶があります。その硬質な文体は今も健在で、何の未来も見出せない男の魂の、彷徨を描き出しています。

「災厄に見舞われたのは、祐治が造園業のひとり親方として船出した途端だった。そしてその災厄から二年後、妻の晴海をインフルエンザによる高熱で亡くした。晴海は心労で弱っていて、最期はひとり息子の啓太を残して脆く逝った。祐治は生活の立て直しに必死だった時期で、事態に心が追いつかず、晴海が肉体を残して魂だけ海に攫われたような思いだった。」

その後彼は再婚するのですが、妻が流産をして、二人の関係は修復できる限界を超えてしまいます。彼女は家を飛び出し、離婚。先妻との間にできたひとり息子と、祐治の実家で母との3人暮らしを続けています。肉体労働の辛さに、中年男の体は悲鳴をあげ始めるのですが、これ以外にできることはなく、生活に追われていきます。震災に端を発する喪失を抱えながらも、肉体を酷使して生きていくしかない男の姿を冷徹に見つめていきます。この地に生きていかねばならないリアルな心情が迫ってきます。

「道路ができる。橋ができる。建物が建つ。人が生活する。それらが一度ひっくり返されたら元通りになどなりようがなかった。やがてまた必ず足下が揺れて傾く時がくる。海が膨張して押し寄せてくる。この土地に組み込まれるようにしてある天災がたとえ起こらなかったとしても、時間は一方向にのみ流れ、一見停止しているように見える光景も絶え間なく興亡を繰り返し、めまぐるしく動き続けている。人が住み、出ていく。生まれ、死んでいく」

では、どうすればいいのか。どんな風に明日を見つめて生きていけばよいのか。祐治の痛みは癒されてゆくのか…….。

「海と陸の間で生き残った俺は幸運か。祐治は死んだ者らに取り囲まれる瞬間があった。責めるでもない。追い立てるわけでもない。死者が手に手を取り合って自分を見ているようで、呼吸もままならない。」

もう、彼らの元に行くしかないのか。しかし、物語はそんな簡単に幕を降ろしません。ほんの、ほんのわずかの希望をラスト一行に託すというウルトラC級の技で終わります。母親の最後の言葉に、読むものも救われたような気がします。

先日の京都新聞朝刊で著者は「受賞者は後の生き方や作品を問われる」と述べていました。受賞の重みを背負った著者の次回作に期待します。

 

ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」は、誰もが知ってる曲です。”Blowin’In The Wind”を、この本の著者鴻巣友季子はそのまま「風に吹かれて」と訳しています。戦争の悲惨さを象徴的に歌ったこの曲では、「何発弾が飛べば 爆撃をこの先、禁じられるのか? 友よ、答えは風に吹かれている 答えは風に吹かれている」と人間にとっての戦争をペシミスティックに捉えています。

それを美術家の横尾忠則は「全てが焼き尽くされるまでに マイフレンド、答えなんかほっておけ 答えは風の吹くままに」と訳するのです。「答えなんかほっておけ」って凄いですね。

本書「翻訳、一期一会」(左右社/古書1300円)は、翻訳家である鴻巣友季子が、横尾忠則や作家の多和田葉子、ミュージシャンのダイヤモンド・ユカイ、翻訳家の斉藤真理子たちと、一つにの作品の一部を翻訳しながら、物語の奥に秘められたものを論じ合うスタイルの本です。

一言でいって、極めて知的なスリリングさに満ちた本です。翻訳の実践にこだわった本書について、著者は「翻訳という営為にはその方の生き方が確実に投影されるからです。訳文と原文を見ながらお話しするのは、ある意味、その方の密やかな日記やアルバムを覗かせてもらうようなところがあります」と書いています。翻訳を担当した人たちの、言葉への思いが如実に表れています。

横尾忠則のニューヨーク時代のサイケデリック体験談が、その後の作家生活に影響を与えた話はとりわけ面白いものでした。多和田葉子との対談はさらに凝った内容です。素材に上がっているのは「枕草子」、「おくの細道」で、多和田はドイツ語で訳されたものを日本語に、鴻巣は英語版を日本語に訳し直したものをお互いに論じつつ、翻訳のあり方を探っていきます。有名な一句「閑かさや岩にしみ入蝉の声」も英語版、ドイツ語版が収録されています。

ダイヤモンド・ユカイは、イーグルスの名曲「ホテルカリフォルニア」に挑みます。メランコリックで、ロマンチックで、センチメンタルな響きを持つこの曲。実は、とんでもない悲観的で、救われない中身なのです。そのことは以前に知りましたが、ここで再度詳しく解説してもらうとなるほどなぁ、と納得です。ロック産業は衰退し、明るい未来が閉ざされた場所の象徴が、ホテルカリフォルニアという架空の場所なのです。かつて、友人の結婚式で入場シーンで、何度かこの曲が流れてきたことがりましたが、詳しい解説を読んだら不向きな曲ですね。もちろん名曲であることは間違いありませんが…….。

と、こんな具合に翻訳の面白さや、奥深さがわかる一方で、言葉の存在について改めて考えさせてくれる本なのです。語学の授業がイヤだったという苦い思いのある方も、ぜひ一度お読みください。

 

先週は真っ白な雪景色の京都でしたが、ギャラリーは、あたたかな春色の草木染めのマフラーやコースター、裂織りのブックカバーなどの作品がお目見えです。春よこい!

「草木の色と水の彩」というのは、小浦方信子さんと高橋邦子さん親娘によるユニット。小浦方さんは50年以上にわたり草木染と織物を続けてこられたベテラン作家です。子どもの頃に見た、曽祖母が作った裂き織りのコタツ掛けの美しさが織物を作る原点だとおっしゃっています。一方の高橋さんは、お母さんの織ったものに囲まれて暮らしてきて、大人になってあらためて草木染めや裂き織り、手織の布の魅力を感じるようになったということです。ずーっとむかしから、人々は身の回りのものを自分で紡いできました。現代は何でも買える時代ですし、その便利さはもはや手放せません。けれどこうして、親から子へと繋いできた丁寧な手織りの仕事を見せていただくと、ほっこりあたたかな気持ちになってきます。

小浦方さんは、日本の綿でマフラーを作りたい!という思いから、和綿を育て収穫して糸を紡ぐ、ということもされています。「畑から作った日本の綿のマフラー」と題して、春から夏にぴったりのシャキッとした手触りの爽やかなマフラーが並んでいます。桜で染めたベージュは、ほんのり香るような優しい色合いですし、キリッとした藍色と桜のベージュで織られたチェックのストールは、これからの季節に活躍しそうです。(コットンマフラー・8000円〜35000円 シルクストール・8000円〜55000円)

他に、コースター(600円)、テーブルセンター(10000円)、ブックカバー(1500円〜)などの小物や、糸を紡ぐための綿とスピンドルのセット(3000円)、まだまだ寒い時期に嬉しい軽いウールのマフラー(小・3000円 大・8000円)などがあります。ウールの小さなサイズのものは、普段家の中でも首に巻くと暖かくて肌触りもよく重宝すると思います。なお、高橋さんの素敵なイラストのポストカード(100円)、手作りのパラパラ絵本(1000円)や小冊子も出ています。

京都御所の梅も可愛い花をつけています。春が待ち遠しい季節、一足早い装いを探しにお越しくださいませ。(女房)

「『春風を待つ』 草木の色と水の彩〜季節のマフラーと染織小物」展は2月1日(水)〜12日(日)13:00〜19:00(最終日は18:00まで)月火定休日

 

早川茉莉は、筑摩書房から「玉子ふわふわ」「なんたってドーナッツ」という食に関するアンソロジーを出しています。その第三作として「スプーンはスープの夢をみる」(筑摩書房/新刊1980円)が発行されました。「極上美味の61編」とサブタイトルにあるように、61人の作家や料理人がスープについて語っています。

「スープがあれば、きっと大丈夫」「魔女のスープ」「思い出のスープ」「スープを煮込む日」「スープ出来たて、あつあつ!」と5章に分かれています。島崎藤村、三島由紀夫、宇野千代、森茉莉、武田百合子らの日本を代表する作家から、村上春樹、江國香織、岸本佐知子、高山なおみ、宮下奈都らの第一線の作家の作品が収録されています。さらに、ボードレール、レーモン・オリヴェ、ルイス・キャロルなど海外まで範囲を広げてセレクトされています。

「なんたってドーナッツ」という素敵な一冊を、私はランダムに読んでいました。好きな作家から入り、「え?この人がドーナッツのことを書いているの?」を見つけると次へ次へと大いに楽しみました。そして今回も同じやり方で読んでいきました。

星野道夫→伊丹十三→長田弘→牧野伊三夫→茨木のり子→荒井由実→岸本佐知子→中谷宇吉郎→古川緑波と、こんな感じで。

エッセイだけではなく、例えば、茨木のり子は「茨木のり子の献立帖」から、わかめスープや野菜スープのレシピが抜粋されています。レシピの最後に一言「アトピー皮膚炎、糖尿、脳障害、がんにきく」と書かれています。また、荒井由実は「チャイニーズスープ」という彼女の歌の歌詞が載っているだけです。

編者は、あとがきでこんな風に書いています。

「この本のそれぞれの章扉を開いて、冒頭の詩や詞に触れ、立ち止まって深呼吸するように、そのパワーを心とからだに取り込み、そこからさまざまななスープの旅をしていただけたら、と思う。読み終えて、キッチンに向かい、スープを作るもよし、味わうもよし、思い出のスープを求めて出かけるもよし、それぞれのスープの旅を始めてくだされば、とてもとても嬉しい。」

何度もお腹のへってくる一冊でした。

 

 

10年ぐらい前に出た高野和明著「ジェノサイド」には衝撃を受けました。イラクで戦うアメリカ人傭兵と、日本で薬学を専攻する大学院生が主人公で、人類滅亡の危機に立ち向かうという冒険活劇でした。この作家の久しぶりの長編小説が「踏切の幽霊」(文藝春秋/古書900円)です。

「1994年の晩秋、箱根湯本駅の長いホームを、運転士の沢木秀男が歩いていた。」から物語は始まります。沢木は箱根と新宿を結ぶ私鉄に勤務しています。都会の片隅にある踏切で撮影された一枚の心霊写真。この踏切では、列車の非常停止が相次いでいました。物語冒頭に登場する沢木の運転する電車も、踏切に人影を見つけて急停車します。

一方、雑誌記者の松田は、読者からの投稿写真を手掛かりに心霊ネタの取材に乗り出します。当初は乗り気全くなしの状態で取材に入るのですが、調査を進めるうちに暴力団、大物政治家、翻弄される女たちの姿が浮かび上がってきます。ゴーストストーリーで出発したのに、途中からリアルな物語へと変わっていきます。

幽霊となって踏切を渡ろうとする女性の身元を調べようと奔走する松田。しかし、その女性については全く情報が得られないのです。かろうじて「いつも陰気な作り笑いを浮かべ、金のために体を売っていた性悪女」という、彼女を知っていた人たちの証言だけ。

「誰も彼女の素性を知らない。出身地はおろか、本名すら知る者はいない。身元不明のまま死んでいった女は、肉体を持ってこの世に存在していた時でさえ、実態のない幽霊のような生き方をしていたのだ。」

やがて、女性の生い立ちがわかってきます。そこには父親の性的虐待が大きく関与していました。もうこのあたりから物語は、2時間サスペンスドラマ的世界から離れて、彼女の悲しい一生へと向かっていきます。松田は、ようやく見つけた女性の母親の悲惨極まりない話を聞いたあと、母親の人生に思いを馳せます。

「あの人は、これからどうやって生きてゆくのだろう。孤愁と懐旧の狭間で老いてゆく他に、何ができるというのだろう?」

著者は性的虐待という重いテーマを選びました。その重さは読者にも伝わり、残ったまま幕を閉じます。なぜ彼女が幽霊になってでも踏切を渡ろうとしたのを知るラストは、その切なさに涙がこぼれそうでした。

岩手県大槌町。東日本大震災発災時、町庁舎に残っていた町職員幹部ら数十人は、津波接近の報を受けて屋上に避難しようとしたものの、約20人が屋上に上がったところで津波が到達。町長と数十人の職員は間に合わず、庁舎を襲った津波に呑み込まれて、そのまま消息が途絶えました。

この地に生まれ育った菊池由貴子は、震災の後、たった一人で、大槌町のことだけを伝える新聞「大槌新聞」の発行をスタートさせます。発行開始から、幕を降ろすまでの10年間を振り返ったのが「私は『ひとり新聞社』」(亜紀書房/新刊1980円)です。

震災前、彼女は様々な病気に苦しめられ、ICUで二度の心肺停止に追い込まれます。なんとか危機を脱したあと、結婚と離婚を経験します。

「離婚後は夢だった獣医のかわりにになるような仕事を見つけられず、自分の存在意義を見出すこともできないまま、ただ毎日を暮らしていました。津波が来たのは、そんな頃でした。」そのときそこに居た人の津波の描写に言葉が出ません。当然ながら町は大混乱し、正確な情報が伝わらず、住民は途方にくれます。

「大槌町の情報は、町民みずからが書くべきだと思いました。町民目線で書けるのは、そこで暮らす町民しかいません。まちづくりを住民みんなで考えるためには情報が必要です。町の情報は、まずは住民が知るべきで、みんなで共有されるべきです。」

「いつか大槌の新聞を作りたい」と決心し、ここから彼女の新聞作りが始まります。新聞編集ソフトと格闘し、慣れないインタビューをこなします。そして2012年6月30日、これからの町づくりを住民とともに学ぶ新聞が創刊されます。役所が出す公報のような上から目線ではなく、住民たちの日常目線で紙面は作られていきます。

そんなある日、京都新聞社元社長の斎藤修氏から、この新聞が読みたいという手紙が届きます。氏は、活字の大きさや「です・ます調」の文章、大半がまちづくりの情報であることに、これが新聞?と驚いたそうですが、「『これでこそ大槌の新聞だ』と思い直した」のだそうです。

町はやがて復興への道を歩み始めます。しかし、震災後の苦労を共にした町長が選挙で交代し、新しい町長に変わったところから、予期しなかった方向へと進んでいきます。後半は、新しい町長の運営方針がコロコロ変化したり、疑惑が浮上したりして暗雲が立ち込めてゆく様を時系列に追いかけたノンフィクションになっています。おそらくこういう問題は、震災後、方々の村や町で起きていたと思います。

彼女は新聞を続ける理由を三つあげています。それは、「復興情報の発信」「地域課題の取り上げ」「大槌は絶対にいい町になることを言い続けること」です。最初は郷土愛なんてなかったはずなのに、いつの間にか郷土を思う気持ちに押されて、復興の最前線を見つめた一人の女性の姿が印象に残ります。政治家もマスコミも、まるで震災のことは終わったかのような態度ですが、まだ何も終わっちゃいないという事実を教えてくれる本でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パーフェクト・ドライバー」は、カッコいい!強い!と言うしかないヒロインの映画でした。主演は、数年前に大ヒットした韓国映画「パラサイト半地下の家族」に家族の一員として出ていたパク・ソダム。

車両整備や販売を手がける小さな会社に勤めるウナ(パク・ソダム)は、指定の場所へ時間通りに、人でも物でも運ぶ「特送」ドライバーです。大金を隠した金庫の鍵を、父親から託された少年ソウォンを車に乗せたことから、闇の組織に追いかけ回され、車をとっかえひっかえしながら、逃げ回る破目に。

見せ場はもちろん、カーチェイス。映画冒頭の30分は、これ以上のカーチェイスシーンはない程のスリルです。アクセルを踏み込んだ時のウナの表情が、カッコいい。アメリカ映画だと、派手な衝突やら大爆発など、これでもかこれでもかと物量で迫ってくるのですが、こちらは狭い路地や駐車場などを舞台に、切れ味最高のカーアクションを見せてくれます。さらに、追っ手から逃げるために、咄嗟にウナが繰り出すサバイバル技術を随所で見せてくれます。

あ!これはあの映画のパクリだ、というシーンが沢山出てきます。少年との絆の話は、名作「グロリア」や、少女と暗殺者の逃避行を扱った「レオン」を彷彿とさせます。悪徳警官やら国家の情報機関が登場するお話も、定石通りです。どんどんパクって、結果的に魅力的なオリジナルを作ってゆくという韓国映画人の心意気に、拍手!

いかにも強い女という印象からほど遠いようなパク・ソダムが、ハンドルを握った途端に見せるクールビューティな姿を見逃さないでください。

あっという間の1時間50分です。

 

 

当店のお客様が、学生時代に馴染んだ海外文学をドンと放出されました。本日より29日(日)まで5日間のフェアですが、面白い本が沢山あります。

発売された途端に注目されたルシア・ベルリンの短編集「掃除婦のための手引書」(講談社900円)。1936年アラスカ生まれのルシアは不遇の作家でした。2004年に亡くなりましたが、生前はほとんど評価されませんでした。しかし、死後十数年たって”再発見”されます。

日本で初の翻訳を担当した岸本佐知子は「このむきだしの言葉、魂から直接つかみとってきたような言葉を、とにかく読んで揺さぶられてください。」と書いています。夜明けに、震える足で、酒を買いに出かけるシングルマザーを描いた「どうにもならない」は、辛い物語ですが心の奥底に響いてきます。

以前にブログで紹介したアメリカ社会の底辺を生きる人々の声をすくい上げたリン・ディンの「アメリカ死にかけ物語』(河出書房新社700円)も今回出ていますので、あわせてお読みください。

昨今の海外文学の紹介では新潮社「クレストブックス」シリーズは外せません。25歳でデビューしたテア・オブレヒト「タイガーズ・ワイフ」(新潮社700円)、人生の多面的な表情を巧みに掴み取る名手、現代イギリス文学の名匠イアン・マキューアン「土曜日」(新潮社900円)。長編小説の醍醐味ってこういう作家の本ですね。彼のブッカー賞受賞作「アムステルダム」を読み終わった時には豊かな気分になりました。

他に、ロシア系作家クセニヤ・メルニク「五月の雪」(新潮社500円)、岸本佐知子翻訳・ミランダ・ジュライ「最初の悪い男」(新潮社500円)などが出ています。

確か2000年だったと思いますが、みずす書房が「サン=テグジュべり・コレクション」全7巻を出しました。その装丁のスマートさに惹かれて、「夜間飛行」(みすず書房500円)を買った記憶があります。このシリーズからは「南方郵便機」(みすず書房500円)も出ています。文庫を買うなら絶対こちらがおすすめです。

村上春樹翻訳本では、グレイス・ベリーの短編集「その日の後刻に」(文藝春秋500円)、柴田元幸、川本三郎らと参加した「and Other Storiesとっておきのアメリカ小説12編」(文藝春秋300円)があります。後者は、アメリカ映画ファンなら読んで欲しい。映画化された作品ではありませんが、アメリカ映画の匂いが立ち上ってきます。

今回の目玉として、柴田元幸が編集した海外文学雑誌「MONKEY」(Switch)のバックナンバーがずらり登場。川上未映子が村上春樹にインタヴューする「WINTER 2015」は買いですよ!価格はすべて500円という特価。

最後にもう一冊ご紹介。梨木香歩翻訳・クレア・キップス「ある小さなスズメの記録」(文藝春秋500円)はとてもいい本です。ハードカバー、函入りのこの版をお勧めします。読んだ後は、ぜひ部屋に飾ってください。挿画は酒井駒子です。

とにかく安く出ています!お早めにどうぞ。