敗戦後の米軍占領下、軍関係者が1942年〜52年にかけて、日本を撮った私的な写真をまとめた本「戦後京都の『色』はアメリカにあった!」(新刊/小さ子社2420円)は、何度もページを繰って見てしまう興味深い写真集です。
「サイモンとガーファンクル」のポール・サイモンの「僕のコダクローム」という曲に、こんな歌詞があります。
「コダクローム それは僕たちに素敵な輝く色をもたらした/夏の鮮やかな緑も再現してくれる/世界中が晴れわたってって思わせてくれる」
ある年齢以上の方なら、「コダクローム」か!懐かしい、と思われるかもしれません。戦後の写真フィルムで、アメリカのコダック社が開発した「コダクローム」は、素晴らしく発色のいいいフィルムでした。占領下では日本人にはなかなか手が出ませんでしたが、アメリカ人たちはこのフィルムでバンバン写真を撮っていました。どれも鮮度が良く、くっきりと被写体を浮かび上がらせています。まさに「素敵な輝く色をもたらした」写真なのです。
1945年9月に占領軍が京都への進駐を開始しました。そして、京都の街並み、様々な店舗、祭りや行事、働く人々の姿、子供達の笑顔に向けて多くのアメリカ人がシャッターを切りました。えっ嘘でしょ!と思ったのが、二条城前に配備されたアメリカ軍用機の写真。どうやって、着陸したの??堀川通を滑走路にしたのか?傷痍軍人や、浮浪児が写っているいかにも敗戦直後のものもありますが、当時京都がどんな状態だったのかが、これらの写真から読み取れます。
これ本当に四条河原町?、藤井大丸ってこんなに低いビルだったの?と若い人は驚かれるかもしれません。西本願寺前を牛車がコトコト行くなんていう、今から想像もつかないのんびりした風景もあります。その一方で、祇園祭の鉾巡行場面などは、写っている人たちの服装が当時のものであるだけで、祭りの雰囲気は今の写真とあまり変わらない。それだけ、コダカラーは鮮やかですし、また京都の祭りも変わっていないということですね。
ちょうど、京都文化博物館で「続・戦後京都の『色』はアメリカにあった!」展が始まっています。(4月9日まで)作品展を見て、面白い!と思われたなら本書を開いてみてください。
アジアの食をメインにしたミニプレスを三点入荷しました。著者は増喜尊子さん。
最初にご紹介するのは「ASIAN FOOD TRAVEL」(2100円)です。2019 年に家族で1ヶ月アジアを旅行した時の食事を 綴った ZINE です。訪問した地域は 香港、ダナン、ハノイ、バンコク、コンケーン、バ ンガロール、上海です。 写真とイラストをバランスよく配置して、日本語と英語で、各地のお料理を紹介しています。決して高級な料理ではなく、庶民の食べるものばかりを集めて、見ているだけで楽しくなる本です。カバーの色違いで5種類用意されていますので、お好きなものを選んでください。因みに本書はグルマン 2021 料理本大賞、 デザイン部門世界1位受賞しました。
2番目は「 ASIAN LUNCH BOX」(2100円)です。これはパッケージが面白い!駅弁風の箱にお箸が付いています。開けると色違いの5種類の小冊子が入っています。青色 はシンガポール&タイ、 黄色 は上海&香港 、オレンジ はインド&ネパール、 緑色 は マレーシア&インドネシア、 ピンク はベトナム で、その地域の料理がイラストで描かれています。
著者は「アジアの料理が好きで、食べたい!と思うものをイ ンスタグラムで探したり、以前自分が撮影したもの からイラストにしました。インスタグラムではアジアのフードインスタグラマー達一人 一人に許可を得て描きました。彼らと小さな交流す ることで成り立った ZINE です。」と、語っています。
3冊目は「FOOD&DRINK HONG KONG」(2100円)です
「香港の食文化を子供や大人に紹介する絵本 ZINEです。 シンガポールのライター Wee Ling が文章を書き、私 がイラストとデザインを担当しました。Wee Ling は 過去に香港に数年住んだことがあり、その時の思い 出の料理や私が香港人の夫と香港で食べた料理など を選んでいます。変わりゆく香港の記憶に留めたい 料理たちです。」
日々、変化してゆく香港の食文化を、香港に馴染深いライターとともに作りました。文書は英語ですが、日本語版別紙が付いています。”CLAYPOTRICE”、これ「土鍋ご飯」ですが、「スモーキーな土鍋ご飯は香港の冬の名物の一つ。みんな土鍋の底についたサクサクのお焦げが大好きです」とのこと。ウマそうです。
☆4月5日から当店で小幡明「わたしのたいわん」と題した個展を開催します。小幡さんの台湾に思いを馳せて制作した絵画や、台湾にまつわるリトルプレス、雑貨などを展示販売します。 (4月5日から16日まで)
本を愛する人の著作って、もう無限大にありますが、これはそんな中でも傑出した一冊でした。樹木医という職業の人がいますが、樹木を愛し病いの樹木を診察し、丁寧に回復させてゆく仕事に似た感触でした。
著者のジェヨンは、アメリカの大学図書館附属の「書籍保存研究室」で働きながら書籍修繕のノウハウを学習し、2018年、ソウル市内に「ジェヨン書籍修繕」作業室をオープンしました。「書籍修繕という仕事」(原書房/新刊2200円)は、電子書籍プラットフォームに連載されていたエッセー21本と新たに書き下ろされた9本をまとめたものです。
「書籍修繕家は技術者だ。同時に観察者であり、収集家でもある。わたしは本に刻まれた時間の痕跡を、思い出の濃度を、破損の形態を丁寧に観察し、収集する。本を修繕するというのは、その本が生きてきた生の物語に耳を傾け、それを尊重することだ。」
と、著者はプロローグで自分の仕事を説明しています。彼女の元へ持ち込まれたボロボロの本、かなり破損が激しい本の修繕前の状態と、修繕後の状態の写真が収録されています。それを見ながら、文章を読んでゆくことになります。
「子どものころの友だちがまた戻ってきたみたいです」
これは、それまでミスなく修繕を終わらせれば良しと思っていた彼女の仕事の姿勢を変えた、依頼者の言葉です。もう戻ってこないと思われた本が、美しくなって持ち主のところに戻ってきた時の気持ちです。この言葉は、「書籍修繕家というマイナーな仕事を続けるなかで時に疲れたとき、今なお、心の中に色とりどりの花火を打ち上げてくれる。」と書いています。
持ち込まれる本は様々です。え!こんな本も修繕するの?と思うようなものもあります。中には60cm✖️60cm、37kg、という一人では持てないような巨大なものもあります。それらの書物を、オリジナルに沿った形で復元するか、あるいは装いも新たに修繕するか、依頼主と相談しながら、丁寧に根気よく慎重に作業を続けて、刻まれた記憶や思い出を守る様は、目の前で一流の職人さんの手仕事を見ているような感覚になります。
「読み終わったら何の未練もなく捨てられる本もあるけれど、さまざまな理由で修繕までしてもらいながら持ち主のそばでずっと大切にしてもらえる本もある。そういう本は『伴侶本』と呼ぶことも可能ではないだろうか?そんなふうに愛情を注がれた本ならば、伴侶動物と飼い主が似ているように、本と持ち主も書籍修繕によって互いに似ていくこともあるのではないだろうか?」
こういう仕事に携わっている人ならではの意見でしょう。枯れ木に命を吹き込む植物の医者のごとく、彼女は壊れた本に再び生命を吹き込み、本をこよなく愛する人なのです。
シンプルなクレジットに続いて、カメラはクラシックな建物の中に入り込み、様々な角度から映画館内部を撮っていきます。静謐な画面が続いて、きっと良い映画だという予感が高まってきます。このオープニングから映画館がすでに廃業していて、かつてここで働いていた人が登場するのかなと思ったら、全く見当違いでした。
1980年代初頭のイギリスの静かな海辺の町マーゲイト。ヒラリーは、地元の映画館エンパイア劇場で働いています。サッチャー政権下の英国は、厳しい不況と社会不安の中にありました。そんな折、新しく映画館で働くことになった黒人青年スティーヴンは、あからさまな黒人差別がまだまだまかり通る中、知的で明るい性格で、映画館のスタッフに馴染んでいきます。やがて、ヒラリーはスティーヴンを愛するようになっていきます。建築家になる夢を諦めているスティーヴンと、心の病を持つヒラリーは、ささやかな希望を見出していきます。しかし、黒人を排斥しようとする暴動や、映画館の支配人とヒラリーの関係など、そう簡単に幸福を手にすることはできません。
では、二人は不幸せに終わるのか、というとそうではない。これからもキツイことは起こるかもしれないが、前を向いて歩ける僅かな光を見せて映画は終わるのです。映画館が人生に寄り添い、生きてゆく希望を与える。そういう意味ではエンパイア劇場自体が、もう一つの主役かもしれません。
「生命が宿る幻影だ」
これは、エンパイア劇場の堅物の映写技師が、ポツリとスティーヴンに言うセリフです。映画の魅力を語るに相応しい言葉だと思います。こちらの方がシビアでビタースイートですが、もう一つの「ニューシネマ・パラダイス」と呼びたい、いい映画でした。
京都の一人出版社「灯光舎」が出していた「本のともしび」シリーズの第五弾は内田百閒です。寺田寅彦&中谷宇吉郎、田畑修一郎、中島敦、堀辰雄と、渋い昭和文学を紹介してきました。そのラストが内田百閒というのも頷けます。
本書には7編の作品が収められています。最初に登場するのが「漱石先生臨終記」で、師と仰ぐ夏目漱石の臨終の様子だけでなく、かつて岡山駅を通過する列車に乗っていた漱石の顔を一目見ようとしたことや、内田が初めて漱石に会った時の印象などがユーモアたっぷりに描かれています。
本書の撰者「古書善行堂」店主の山本さんは、「私にとって、百閒の一番の魅力はその文章だったので、百閒の書いたものであれば何を読んでも楽しめる。」と「あとがき」に書かれていますが、私も同意見です。
「長春香」にこんな文書があります。
「焼野原の中に、見当をつけて、長野の家の焼跡に起った。暑い日が眞上から、かんかん照りつけて、汗が両頬をたらたらと流れた。目がくらむ様な気がして、辺りがぼやけてきた時、焼けた灰の上に、瑕もつかずに突っ起っている一輪插を見つけて、家に持ち帰って以来、もう十一年過ぎたのである。その時は花瓶の底の上の上薬の塗ってないところは真黒焦げで、胴を握ると、手の平が熱い程、天日に焼かれたのか、火事の灰に蒸されたのか知らないが、あつくて、小石川雑司ヶ谷の家に帰っても、まだ温かった。私は、薄暗くなりかけた自分の机の上にその花瓶をおき、暖かい胴を撫でて、涙が止まらなかった。」
1923年9月1日関東を襲った大地震の数日後、長野というかつての教え子の家の焼け跡から一輪插を持ち帰り、その後も大切にしていた著者の気持ちがよく出た文章です。
一方、「昇天」という作品は、まるで夢の中をふらふらと歩いているみたいな作品で、バックグラウンドとなる風景や自然が極めて幻想的で美しく描かれています。その一方で登場する人物はリアリティ溢れるタッチで描かれていて、読者に強く迫ってきます。この作品の魅力に引き込まれたら、名作「冥土」をお勧めいたします。
山本さんは、あまり百閒を読んだことのない人にも魅力を解ってもらえれば、という思いで選書をしたと書かれています。百閒の美しさ、幻想的感覚、妖しい魅力、そしてとぼけた様なユーモアが楽しめる一冊です。
毎週欠かさず観ているTV番組に「いぃ、移住」(NHK・Eテレ毎週木曜)があります。都会から地方へ移住して、新しい生活を始めた人たちをドキュメントする番組です。先日、滋賀県長浜市の、女性だけで立ち上げたミニプレスを発行するイカハッチンプロダクションが出演していました。
企画・編集を行うイカハッチンプロダクションの出した雑誌「サバイブユートピア」。1号は2年ほど前に発行されていて、当店でも完売しました。第2号(1100円)の特集は、ズバリ「嫁」です。結婚後、それぞれの事情で長浜にやってきた嫁たちの座談会「サバイブな嫁たちの座談会」が巻頭を飾ります。本音で語っていて面白いです。さらに、イカハッチンプロダクションのメンバーによる「母達の井戸端会議十人十色なお産のハナシ」へと続きます。
「移住者」は辞典によれば「よその土地に移り住む人」と定義されています。では、嫁もまた移住者のはずですが、「●●のお嫁さん」であって、「移住者」とは認識されていないのだといいます。「お嫁さんという言葉は『よその土地に移り住む人』という意味よりも、『女が生まれた家から夫となる人の家にゆくこと』という意味の方が大きいのかもしれない」と、埼玉県出身のイカハッチン、ほりえさんが答えています。
長浜市の山間、渓流沿いにひっそりと古民家が立ち並ぶ大見は、三十人ほどが住んでいるいわゆる限界集落です。そこへ東京から引っ越してきたイカハッチンメンバーの一人船崎さんが、文章と写真を担当した「限界集落ラプソディー」というエッセイも載っています。
また、仏像に魅せられた「観音ガール」對馬さんによる「かわそ信仰」の考察は興味深い。「かわそ」さんというのは「川で濯ぐ」「川のすそ、しりにある」に由来し、男女とも腰下の病に効くとされていますが、特に女性は、子を産むことへの強いプレッシャーに悩み、自分を責めたりしたのでしょう、信仰を寄せたのは女性が多かったそうです。さらに、ヨガ講師MUTUMIさん(イカハッチンメンバー)による出産を控えた人のためのマタニティヨガ、小さな出版社が惚れ込むちいさな古い私設図書館にまつわるお話など、魅力溢れる内容です。
日々思っていることや疑問が、まさに井戸端会議のノリで語られているところが素敵です。最後のページに、イカハッチンプロダクションのメンバーの写真入りのプロフィールが掲載されています。経歴も仕事も出身地も趣味も様々だからこそ、それぞれに滋賀の暮らしに楽しみを見つけ深堀りしています。ちなみに表紙の写真は、イカハッチンメンバー八人の個性あふれる白い割烹着姿で気合いが入ってます。
第46回すばる文学賞受賞作品です。(集英社/新刊1590円)
ある日「ルームシェアっていうの、やらない?」と、聞かれた38歳のOL平井。誘ったのは、3Dプリンターで亡くなった愛犬のフィギュアを作って飼い主に届ける41歳の菅沼。元々、あるアイドルの追いかけで知り合った二人は、コロナが猛威を振るう中、一緒に暮らし始めます。それは心地よい暮らしの始まりでしたが……。
著者はその心地よさを、ほんのちょとしたなんでもない日常の細部の描写から描いていきます。「トイレットペーパーが残機1です」などという会話にもユーモアがにじみ出ています。
しかし、平井の心の中には、「これまでの人生で、わたしは男性に一度も恋愛感情を抱いたことがない。 大学生と社会人三年目の頃に、交際を経験したことはある。どちらも、相手のことが全然嫌いではなかったのに、『嫌いではない』を超えられなかった」という気持ちが同居しています。
一方の菅沼は両親の泥沼離婚を経験していて、結婚を「負ける可能性の極めて高いギャンブル」と決めていて、自分の結婚は眼中にありません。そんな二人が同居を開始する。平井は、それを結婚、出産や未来のことを諦めることになると感じていました。
物語は二人の生活を中心にして、卵子を凍結している平井の心情の変化を描いていきます。「本当に一人の人間を産んで育てたいのか、それがどれぐらいの重さなのかわかっているとも思えない。でも、その考えはわたしの頭にこびりついた。わたしの、産みたさは、一体どこから来るのだろう。」
平井は、時々死んだふりをします。
「わたしは死んでいる。だから、この世で起こっているすべてのことから無関係だ。死んだ犬たちのことを考えた。飼い主に溺愛されて、死んだ犬たち。まやかしの身体をフィギュアとして現世に残し、あの世では魂の尻尾を振りながら駆け回る。わたしの魂も、犬たちと一緒になってはしゃぎまわる。」
現世でわたしの魂は空っぽなのだという平井に、著者は、いやあなたの実人生は充実しているんだなどと強引な転換を持ち込むのではなく、空っぽそのものを肯定してゆくように仕向けていきます。
「がらんどう」という言葉は、平井の言う「空っぽの人生」を象徴しているようです。しかし、世間の価値観やら、常識にとらわれることなく、だから何のさ、と自らを受け入れてゆく。結婚、出産、家族等々、どの形にもはまらないけれど、それが私だと彼女が認めること。そこにこの小説最大の魅力があります。
1945年九州生まれの作家村田喜代子を読んだのは、実はこれが初めてでした。「耳の叔母」(書肆侃々房/新刊1870円)は、1987年から2006年にかけて文学雑誌に掲載された短編八つをまとめたものです。ズバリ、内容も、作品の展開も、文体も面白かった。
「雷蔵の闇」。これは、映画館に隣接している映画の看板描き屋さんの仕事場にあるトイレの話です。
「便所は土間の奥にあった。ドアを開けると中からツーンと干草に似た匂いがした。汲取り便所だがめったに使う人間がいないので、長いあいだに溜まった糞尿は古く、枯れているのだった。しゃがんで用を足していると、ぼそぼそと便所の壁のむこうから雷蔵の声が響いてきた。コンクリートの壁一枚を隔てて、場内から漏れてくるようなのだ。」
この映画館に入り浸っている中学生の「私」が見た便所。作者あとがきで、「初期の私の発想の源泉はトイレが多かった。恐れと闇と懐かしさがあの暗い穴の中には潜んでいる。」と書かれています。生まれた時から明るく清潔なトイレで用を足す世代には想像できないかもしれませんが、昔のトイレには「恐れと闇と懐かしさ」が確実に存在していました。また、映画館の巨大な看板絵も消滅してしまいましたが、スターの顔の部分部分が散らばっている仕事場は、奇妙で幻想的な場所であったはずで、そのあたりの描写は実際にその風景を知らない人にも、ググッと迫ってきます。
もう一つ、作者にとってイメージの源泉になっているのが、ケーブルカーだったそうです。「北九州は八幡の街を抱くように聳える皿倉山に、そのひしゃげた形の山電車が運行していた。学校の教室の窓から見ると、とろとろとろと寒暖計の水銀柱が伸びるように、子どもたちの眼を盗むようにして上り下りしている。」と、あとがきにあります。
本短編集の巻頭も、芥川賞を受賞した「鍋の中」直後に書かれたという「鋼索電車」です。
「ケーブルカーがひしゃげているおかげで、わたしの年中春霞のかかったような頭の中では、一種の混乱が起こるのだった。地軸の混乱、角度の混乱である。ケーブルカーを平坦な地面に置いたら、内部の座席はいったいどんなようすになるのだろう。床はどうなるか、壁はどうなるか、窓はどうなるか。」
16歳の「私」の疑問を中心にしながら、止むに止まれぬ事情で離れ離れになる姉弟の悲しみに、ケーブルカーの動きを組み込ませて物語はラストへと向かっていきます。
それぞれに短編小説の面白さを堪能できます。タイトルになっている「耳の叔母」の、奇妙でおどろおどろしい世界もオススメですが、63歳から71歳の助産婦が勤める「花蔭助産院」は、ベテランのおばあさん助産婦の姿を描いて、ソフトフォーカスのかかったカメラで撮影したポートレイトみたいな雰囲気がありました。大きな枝ぶりの桜の下で、新しい白衣を着た彼女たちが写真に収まるラストシーンは、まるで映画のようでした。
流石にご当地九州の出版社、書肆侃々房が出しただけのことがあります!
人類学者として活躍中で、ミシマ社からも「うしろめたさの人類学」や「くらしのアナキズム」を出している松村圭一郎の新刊「小さき者たちの」(ミシマ社/1980円)は、ちょっとそれまでの本とは毛色の違う一冊です。
「本書では、私が生まれ育った九州・熊本でふつうの人びとが経験してきた歴史を掘り下げようとした。とくに私が地元でありながら目を背けてきた水俣に関するテキストを中心に読みこみ、自分がどんな土地で生をうけたのか、学ぼうとした。そこには日本という近代国家が民の暮らしに何をもたらしたのか、はっきりと刻まれていた。」と、「はじめに」で書いています。
ここには、悲惨な水俣病の姿を記録したもの、チッソとの訴訟に関わった者の心情をつづったものなどの生々しい文章が数多く登場します。ただ誤解のないように言っておきますが、本書は、水俣病事件を再現したものではありません。国家や企業に蹂躙され、生活を破壊された、著者のいうところの”小さき者”の声を吸い上げて、真摯に耳を傾け、自分自身のこと、この国のことを考えた本なのです。
「問題の本質は、認定や補償ではない。世界に生かされて生きている。命がさまざまな命とつながって生きている。それを身近に感じられる世界が壊され、命のつながりが断ち切られた。水俣の漁民や被害者たちの『闘い』は、この尊い命のつらなる世界に一緒に生きていこうという、あらゆる者たちへの呼びかけだったのだ。」
著者は、水俣病の対策に取り組んでききた原田正純医師の著書「水俣が映す世界」の中から、「水俣病の原因のうち、有機水銀は小なる原因であり、チッソが流したことは中なる原因であるが、大なる原因ではない。水俣病事件発生のもっとも根本的な、大なる原因は『人を人とも思わない状況』いいかえれば人間疎外、人権無視、差別といった言葉でいいあらわされる状況の存在である。」という文章を取り上げています。
『人を人とも思わない状況』、これはグローバル経済という美名のもと、世界中で起こっていることです。平気で人を切り捨ててゆくことは、この国の派遣労働者や介護の現場で、日常茶飯に起こっていることです。だからといって行動を起こせ、などということは一言も本書には書かれていません。美しい言葉や甘い誘惑で擦り寄ってくる権力者たちに騙されないようにするために、過去を振り返って、見直す重要性を説いている本だと思います。
水俣出身の作家石牟礼道子著「椿の海の記」から抜粋した、「銭というものは信用で這入ってくるもんで、人の躰を絞ってとるもんじゃなか。必ず人の躰で銭とるな。」という言葉が、心に残ります。人を過労死においやってまで利益を上げる企業が蔓延る世の中への痛烈な批判です。
東日本大震災の翌年2012年、3月6日にレティシア書房は開店しました。おかげさまで11年、なんとかやってまいりました。改めて御礼申し上げます。
12年目に入って最初のギャラリーは、山中さおりさんのペーパークイリング展です。山中さんはなんと開店の年から毎年、この小さな本屋のギャラリーで個展をしてくださっていて、今回で12回目になります。写真上の「花言葉を思う」は最新作。
展覧会の度に「ペーパークイリング」の説明をしているのですが、この紙工芸はもともと中世期にイギリスで生まれたもので、聖書を製本した際にできた細長い紙の切れ端を、鳥の羽根(quill:クィール)でクルクル巻いて宗教画や宗教道具に装飾したのが始まり。現代では、世界中でアート、ホビーとして楽しまれています。(現在は鳥の羽根の代わりの用具を使います。)
11年前、初めて「ペーパークイリング」を見たとき、気の遠くなるような作業の積み重ねに驚きました。そして、山中さんが技術力をつけてどんどん上手くなっていく姿を見てきました。振り返れば、初心者の域を出ない時期に最初の個展をして下さいましたが、その時の勢いのある可愛い作品を思い出します。次の年には写実的な花を作ることに挑戦したり、美しい色使いが命の「ペーパークイリング」の魅力を封じ込めて白一色で雪をイメージした作品を壁いっぱいに並べたり(第9回個展)と、意欲的な展覧会を続けて来られました。昨年の「私的クイリング植物図鑑」は、その集大成だったと思います。彼女の几帳面な仕事と、文学少女のまま大人になったような詩的なところが相まって、独自の路線を開拓されたなと思ったものでした。2〜3㎜の紙を巻いて作り上げる美しい花や果物。一体何十万個のパーツをクルクル巻いてきたことでしょう。
今回は、これまでの個展で発表した代表的な作品を並べています。各個展のメインを飾ったいわば4番バッターばかり。これらの作品は入札制で購入できます。もし買いたい作品があれば、値段をつけて申し込んでください。一番高値をつけていただいた方に作家からご連絡いたします。よろしくお願いいたします。
ミニフレーム(700円〜)、ウッドピンチ(300円〜)やキーホルダー(1000円〜)などのグッズ、アクセサリーなどは、もちろんすぐにお持ち帰りいただけます。人気のグリーティングカード(1200円〜)もたくさん出揃いました。ペーパークイリングを作るためのキット(1300円〜)もあります。ゆっくり手に取ってごらんください。
作り続けてきた作品を一堂に並べることで一区切りをつけて、山中さおりの紙の世界がまた新たなフェーズに入っていくことを期待しています。(女房)
☆「山中さおりクイリング10年間」は3月8日(水)〜19日(日) 月火定休 13:00〜19:00