「ワンコイン古本フェア」いよいよ明日で最終日です。本日も、これは!という本をご紹介します。

海外文学好きな方に、シーグリッド・ヌーネス「友だち」(新潮社)はオススメです。最も信頼し心許した男友達が命を絶ち、喪失感を抱え込んでいた女性作家。そこに彼が飼っていた大きな老犬が転がり込んできました。飼い主を失った犬と、愛する人を失った女性の孤独がお互いを結びつけてゆく。と書くと、ドラマティックですが、アポロという名の犬以外の、主だった登場人物には名前すらなく、ひたすら「わたし」の脳裏によぎる様々な思いが日誌のように語られていきます。静かに言葉を紡ぐ作家と、それを受け止める老犬。「思索を促す小説」と江國香織が推薦の言葉を寄せている通りの長編小説です。

短編小説の名手アリス・マンローの「イラクサ」(新潮社)は、完成度の高い九つの短編が収録されています。「アリス・マンロー・カントリー」とまで呼ばれるようになったカナダの一地方を舞台にして、ある意味とても地味な短編を書き続けてきた彼女が幅広い読者を獲得できたのは、人間をその表層だけでなく、奥底まで描き出したことにあります。物語の巧みさに唸らされます。

「性悪猫」「しんきらり」などでお馴染みのやまだ紫は、2009年5月に亡くなりました。やまだが辿り着いた新境地とでも言えるのが、唯一の詩画集でもある「樹の上で猫がみている」(思潮社)でした。本書は、短い詩と、猫を中心としたイラストで構成されています。

「夕暮れの帰りを 外の足音に耳をそばだてて 猫が玄関で待っている 鍵をかけて出て行ったあと ずっと玄関で丸くなっていたのか 帰るのを察知して玄関へ来るのか じっと待つのは苦しいだろうに 猫は相変わらず待っている 人も何かを待っている 今日と同じ明日を 今日と違う明日を」

この「あした」という詩には、ふと顔を上げた猫が描かれています。人が生きるということの一瞬の輝きと影を見事に表現した作品集です。なお、この本について、つげ義春、佐野洋子らの書評を集めた小冊子が付いているのも在庫しています。こちらは1700円(絶版)です。

☆古本フェアは明日31日(日)まで!

ワンコイン古本市フェア三日目です。

全集の端本ですが、須賀敦子全集の第七巻「どんぐりのたわごと/日記」と第五巻「イタリアの詩人たち」(河出書房新社)。5000円以上した本ですが、価格だけでなく、内容が充実しているのでお買い得です。第七巻は、著者が日本の友人向けに作り続けたミニコミ誌「どんぐりのたわごと」と、後半には1971年の日記が収録されています。

第5巻にはウンベルト・サバの詩集をはじめ、彼女が生涯読みつづけた五人の詩人たちを巡るエッセイ、日本帰国後初の翻訳とされている「ミケランジェロの詩と手紙」など貴重な作品が収められています。須賀ファンなら、持っていてほしいですね。

「イタリアの詩人たち」で解説を担当しているのは池澤夏樹。彼の著書「母なる自然のおっぱい」(新潮社)と「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」(小学館)の2冊が出ています。「母なる自然のおっぱい」は1992年発行の本ですが、強靭で明晰、一貫した論理にあふれたネイチャー評論は、初めて読んだ時、強烈な印象を受けた一冊でした。もともとここに集められている文章は、新潮社が出していたネイチャー雑誌「Mother Nature’s」で読んでいたのですが、まとめて読むと迫力が違いました。池澤は、多くの科学系評論、エッセイを出していますが、初期の傑作です。

「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」は、題名どおり聖書ってどんな存在なの?という疑問を、宗教学者秋吉輝雄との対話から探り出す本です。「乙女のマリア」がなぜ「処女マリア」に変化していったのか、そもそもエデンの園って、本当に楽園だったのか等々、聖書の世界で聞いてみたかったことに応えてくれます。但し相手は宗教学者なので、聞いた事のない地名や人の名前がふんだんに出てきて、行きつ戻りつ読むところもありました。

多くの人に読まれている「気まぐれ美術館」の著者、洲之内徹の美術エッセイ集「絵のなかの散歩」(新潮社)も、美術ファン必読の一冊です。当店でも人気の画家、松本竣介について「彼は絵かきとしての生涯の初めから終わりまで都会を描き続けた画家である。都会というもの以外にはひとつもモチーフを持たなかった、と言ってもいい。」と書いています。

そして「東京を東京らしくなく、東京から東京らしさを抜き去って、一種の抽象的な都会風景にしてしまうことで、結果的には無性格が性格であるような東京の街を奇妙に巧く捉えている。」と分析しています。松本の作品を見るたびに、思いだす言葉です。

今回、須賀敦子、池澤夏樹、洲之内徹の著作5冊を紹介しましたが、明確で凛とした日本語を堪能できると思います。

☆古本フェアは31日(日)まで!

 

 

昨日より始まった「ワンコイン(500円)古本フェア」は、初日雨にも関わらず多くの方にお越しいただきました。

「世界の夢の本屋さん」(X-Knowledge)は、30cm×22cmの大きさで厚さが3cmもある本に、世界中の素敵な本屋さんがぎっしりと詰まっています。歴史を感じる店、最先端の建築デザインを導入した店、クラシカルな趣きのある店など。写真だけでなく、そこで働く店長やスタッフへのインタビューもあり仕事への熱い思いが語られています。本屋好きのための豪華な一冊です。ちなみに発売時の定価は3800円(税別)です。

書評家の岡崎武志は沢山の本を出していますが、「上京する文学」(新日本出版社)は特にオススメの一冊です。「私は1990年に大阪から東京へ出てきた『上京者』である。」という著者が、東京へと向かった多くの文学者の足跡を調べて、その思いを書いています。漱石、啄木の古典派から、寺山修司そして村上春樹までと幅が広く、その中に向田邦子が登場するのですが、彼女って東京育ちだと思っていました。ところが、50年代に杉並区久我山に落ち着くまでに、何度も住居が移り変わっています。「久我山の家は生まれてから十二番目。地方への転居と上京を繰り返す二十年だった」と著者は書いています。

亡くなった後も人気のある、イラストレーターで作家の安西水丸の本も一冊あります。「ちいさな城下町」(文藝春秋)は、旅好きの安西が各地の城下町を巡り、その印象をイラストと文章で描いた素敵な本です。

「城址に立つと『兵どもが夢の跡』とでもいうのか、ふしぎなロマンに包まれる。なまじっか復元された天守閣などないほうがいい。わずかな石垣から漂う、敗者の美学のようなものがたまらない」そんな城下町愛溢れる素敵な旅エッセイです。

旅といえば、つげ義春の「貧困旅行記」(晶文社)も持っていたい一冊。自分のファンが九州にいて、彼女と一緒になるつもりで列車に乗る、しかし、つげは彼女と一度も会ったことがなく、数度手紙のやり取りをしただけ。

「とにかく結婚してしまえば、それが私を九州に拘束する理由になると考えたのだった。そしてマンガをやめ、適当な職業をみつけ。遠い九州でひっそり暮らそうと考えた。」そして、有り金抱えて列車に乗るのだが………。漂泊の旅の記録のような本です。つげ式旅行術の真髄をお楽しみください。なお、つげの本では「隣の女」と「必殺するめ固め」が函付きで出ています。ひと昔前は、価格の高い古書でした。

☆古本フェアは31日(日)まで!

本日よりギャラリーコーナーで「ワンコイン500円古本フェア」を開いています。(31日まで)

現在第一線で活躍している作家の本も、たくさん出しています。6月にブログで紹介した吉田篤弘「天使も怪物も眠る」(中央公論新社)は、2095年を舞台にしたSF のようなファンタジーのような長編小説です。また、最近「あみ子」が映画化されて、高い評価を得ている今村夏子の「父と私の桜尾通り商店街」(角川書店)。短編を六つ収録したものですが、最後に掲載されている本のタイトル作品がいいです。不思議な感触を残す作品が多い今村ですが、これはストレートな父と娘の物語です。オススメ!

笙野頼子「会いに行って 静琉藤娘紀行」(講談社)は、私小説作家、藤枝静男の深淵に迫ってゆく物語です。私の印象では藤枝は私小説家として地味な存在でした。「作中、我が文学の師、師匠の生涯と彼の『私小説』について、迫ってゆく予定である」と、著者が帯に書いていますが、かなり変化球的なアプローチです。著者のファンが店のお客様におられて、本書を熱く語られていたのが印象的でした。

少し前の作品ですが、直木賞受賞作品の門井慶喜「銀河鉄道の父」(講談社)は、ユニークな賢治論でした。これは賢治の父親と本人の確執、宮沢家の家族の物語としてお読みください。今まであまりいい印象で書かれていなかった父親像を、ひっくり返した長編でした。

音楽好きなら必読の本や、500円ならお得、などなど色々揃えてみました。村上春樹が小澤征爾と音楽について語り合った「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮社)は、クラシック音楽にも造詣が深い春樹が、インタビューという形でとことんクラシック音楽について聞き出しています。「しかし 話を聞けば聞くほど、オーケストラを指揮するのって簡単じゃないですね。一人で小説を書いている方が遥かに楽そうだ(笑)」

もう一冊春樹がらみで、彼が翻訳したビル・クロウ「さよならバードランド」(新潮社)は、1950年代のニューヨークで活躍したジャズベーシスト、ビル・クロウの自伝的な交流録です。こういう本を翻訳すると春樹は天才的な巧さを発揮します。ジャズ全盛時代のNYの雰囲気、風景がふわっと立ち上がってくる傑作だと思います。なお、装丁挿画は和田誠。こちらもお楽しみください。

もう一冊、マイク・ラモスキー「ジャズ喫茶論」(筑摩書房)は、日本独特の音楽空間ジャズ喫茶を、日本文化研究者の著者が論じたもので、本書のために多くのジャズ喫茶を回って、書き上げました。いわゆるジャズ喫茶オタク的な情報の羅列は外して、ジャズに興味のない人でも、戦後の文化を辿る本として成り立っているところがユニークな出来上がりです。(と、書いているうちに売切れました。スミマセン)

夏の読書の一冊を探しにお越しください。

 

 

 

京都駅ビル内の美術館「えき」でやっている鋤田正義写真展「BOWIE KYOTO SUKITA」に行ってきました。ご承知のように、デヴィッド・ボウイはイギリスのロックシンガーで、2016年69歳でこの世を去りました。生涯に渡って新しいサウンドと新しいファッションを追求した人でした。そんな彼を追い続けてきたカメラマンが鋤田正義です。1972年、グラムロック界の雄T-REXを撮影にロンドンに行った時、ボウイと知り合いになり、73年のツアーに同行しました。そして77年の傑作アルバム「ヒーローズ」のジャケ写真を撮影しています。

ボウイは京都が好きで、来日した時には長期間京都に滞在していて、今回の写真展でもボウイが京都にいた時の作品が並んでいました。阪急河原町駅で、電車をバックに撮っているものや、商店街でおっちゃんと談笑しながら買い物をしているものなど、過激でアグレッシブな音楽活動を続けたボウイとは別の、穏やかな顔を見ることができます。

個人的に「ヒーローズ」はベスト1だと思っています。このアルバムに収められた「ヒーローズ」を、西ドイツでライブ演奏した時、スピーカーを東ドイツの方に向けたため多くの東ドイツの若者が境界線に集まり、その後の東西ドイツの壁崩壊のきっかけになりました。そのジャケ写真も飾ってありました。(当店にはアナログレコードあります。2000円)美しさと気高さがこれほどまでに揃った作品はないと思います。

ボウイは読書好きで、ジョン・オコーネル著「デヴィッド・ボウイの人生を変えた100冊」(亜紀書房/新刊2420円)という一冊があります。小さい時から、数多くの本を読み込んできた彼は、自分の音楽作りに役立ててきました。本書は、少なからず彼の人生に影響を与えた書物に、著者が解説を加えていったものです。

フィッツジェラルド「グレート・ギャッツビー」、ケルアック「オン・ザ・ロード」、オーウェル「1984年」、エリオット「荒地」、ホメロス「イリアス」、カポーティー「冷血」などが並んでいます。

各作品の解説に加えてその本にあったボウイの曲が紹介され、さらに、紹介された本を読んで気に入ったら、次に読む本まで書かれています。ここまでくると立派な文学案内ですね。

スパークの「ミスブロディの青春」とか、ブレインの「年上の女」とか、私は先に映画で観ていたのですが、こんな渋い本をボウイは好きだったんだと思うと、ボウイをもっとライブで聴きたかった。

 

 

 

ジェーン・グドールは、動物行動学、特に野生のチンパンジーの研究・保護において世界屈指の研究者です。「ゴンベの森」と名付けられたチンパンジーのサンクチユアリは有名で、星野道夫が訪問して「アフリカ旅日記」として出版されています。

グドールは1934年生まれですから、88歳。今も研究に、講演に世界を飛び回っています。今回ご紹介するのは「希望の教室」(海と月社/新刊1760円)です。

本を開くと「わたしたちは、暗い時代の真っ只中にいます」というグドールの言葉で始まります。しかし彼女は続けて、わたしたちの未来には「希望」があると断言するのです。

「生まれも育ちもニューヨークで懐疑的なわたしは正直なところ希望など信じていなかった」というのが彼女へのインタビューをする、本書のもう一人の主人公である作家のダクラス・エイブラムスです。

「むなしい希望は人を誤った方向へ導く詐欺師さながらで、そんなものはいただきたくないと思っていた。」とかなり辛辣な態度ですが、長期にわたるインタビューの結果、彼はひとこと言います。「完敗です」と。

「希望は、人間が生き抜くための特性で、それがなければ死んでしまうものなのよ」という彼女の言説がどうして作られたのか、エイブラムスは、辛く悲しい体験を何度も繰り返し、国家や政治の分厚い壁に跳ね返されてきた彼女の過去へと遡っていきます。エイブラムスの執拗な問いかけに、動揺することなく、シェイクスピアの言葉を引用したりしながら、なんと一年半にわたる対談が続いたのでした。

素敵なのは、そんな過去を大げさでもなく、自説を力説するでもないグドールの表現です、時には優雅に、時には歯切れよく、論理的に、変幻自在にと聴くものを魅了していきます。

アフリカの森、信頼を得てお互いを認め合ったチンパンジーとの生活。虐殺されたり、食肉として売り飛ばされるチンパンジーを、なんとかしたいと思いつづけた力。それが彼女を支えているのです。地球温暖化や自然破壊、戦争にパンデミックなど、見たくない聞きたくない言葉が踊っている危機的な世界で、未来は輝いているとすっぱり言い切る彼女の言葉は、とても力強いし、同時にとても優しい。厭世的だったエイブラムスが、徐々に見方を変えて、彼女に近づいてゆく自分を素直に表現していきます。そして、読む者も同じように魅了されていきます。

地球の現状を憂うエイブラムスが「我々がすでに追わせてしまった傷を全て療すことは、本当にできるのでしょうか?」と尋ねたとき、グドールは「療さなくちゃいけないのよ」ときっぱり答えた後にこう続けます。

「だから、もうすでに始めているのだし、自然も人間が動き出すのを待っている。自然には並外れた回復力がある。それに忘れないで、自然は人間よりもはるかに優れた判断力を持っているわ」

最後にエイブラムスは、希望についてこんな風に語っています。

「希望とはソーシャルギフティング、つまり他者への親切な行為や地域社会のためになることすることであり、周囲の人々によって育まれ、維持されるものだと学んだ。」

☆レティシア書房からのお知らせ

7月27日(水)〜31日(日)「ワンコイン500円古本フェア」開催します。

 

「EF58」と言っただけで、あぁ、あの電気機関車か!とその姿を思い起こす方は、鉄道ファンでしょう。

一時、日本の長距離列車を牽引していた電気機関車です。私が高校生の時、友人と九州一周旅行に出発した時の夜行列車も、京都22時発の東京行き急行列車「銀河」に乗った時もこの電気機関車が牽引していました。青春時代の旅はEF58がいつも一緒でした。

西村繁男の絵本「やこうれっしゃ」(福音館/新刊990円)の表紙絵は、EF58110のナンバーを付けた電気機関車が長距離列車を引っ張っています。

西村繁男は1947年生まれの絵本作家です。私よりもう少し年上。つまり著者にとってもこの機関車はなじみ深かったわけです。絵本は上野駅中央改札から始まります。季節は冬。スキーを担いだ若者、帰省する親子、引き出物を手にして挨拶を交わす人々が次々列車へ乗り込んでいきます。全編文章もセリフもありません。

ホームでお弁当を買い込み、寝台車に乗る人、四人がけの普通座席に座る人、リクライニングシートの一等車に乗る人。目的は違いますが、あちこちで会話が弾んで賑やかです。改札にいた多くの人々がそれぞれの座席に収まる様子が面白い。ページをめくっていくと、車内の様子が細かく描き込まれています。一昔の長距離列車、それも夜に出発する列車には、どこか濃密な雰囲気がありました。深夜、それぞれの席で眠りにつく乗客。若い方は体験したことがないかもしれませんが、硬い座席で寝るのは、なかなか大変でした。そんな様子も見ることができます。

上野を出た時には、雪など降っていなかったのに、いつの間にか車輪も真っ白になっています。朝7時、どうやら終着の金沢に着いたようです。帰ってきた安堵感、さぁこれから観光だという期待感、乗客の感情がホーム一杯に漂っています。ホームにある手洗い場で顔を洗っている人もいます。

本書が初めて世に出たのは1980年。それから版を重ねて、2020年には34刷。驚異のロングセラーです。現代のスピーディーな旅とは全く違い、ここには旅情があります。もうこんな旅は物理的に不可能ですが、だからこそ、あの時代へのしみじみとした思いが読者を捉えているのかもしれません。

☆レティシア書房からのお知らせ

7月27日(水)〜31日(日)「ワンコイン500円古本フェア」開催します。

90分1カット。つまり映画が始まって、エンドマークが出るまでカメラは回り続け、画面が切れない。「ボイリングポイント/沸騰」(京都アップリンクにて上映中)は、クリスマス前の金曜日、最も忙しい日の人気高級レストランのとんでもない一夜を描いた映画です。ロンドンに実在するレストランで撮影をしました。

ブレディみかこさんが、この映画についてこんなことを語っています。

「この映画を見た翌日、英国でレストランに行った。『夕べ、あの映画を見たんです。』とウェイターに言うと、『あれはけっこう現実ですよ』とにやりと笑っていた。それぐらい英国では誰もが見た作品だ。あなたもきっとこれまでと同じ感覚ではレストランに座っていられなくなる。」

オーナーシェフのアンディは、妻子との別居騒動で疲労困憊。そんな時に限って、店へ衛生管理検査が入り、評価点を下げてしまう。それでも頑張って開店するのだが、予約過多のためスタッフはオーバーワークで、仲間同士でも一触即発状態。さらに、さらに、と怒涛のごとくトラブルが押し寄せてきます。レストランを動き回って怒鳴り散らしたり、なだめたりする姿を、カメラは延々と追いかけていきます。見ている方も、スピーディな展開にワクワクドキドキしながら、この店は今夜を乗り切れるのだろうか?と心配になります。

キャスターのピーターバラカンさんは「このレストランの一夜に我々の社会が抱える様々な問題が集約されています。」と語っていますが、イギリス社会の、例えば移民問題や差別問題などが顔を出します。レストランの裏側だけでなく、イギリス社会の隠れていた姿まで暴かれていきます。レストランの調理場だけが舞台なのに、もう破滅的に面白い!のです。

こういう展開の映画では、ラストでみんなが一致協力、なんとかピンチを切り抜け朝焼けの街を帰路につくみたいな作品になりがちなのですが、そうはなりません。で、ラスト。これは辛い!「アンディ!」の声とともに画面がフェイドアウト、さて、何が起こったのか?社会派エンタメ作品として超おすすめです。

☆7月27日(水)〜31日(日)「ワンコイン500円古本フェア」開催します。


 

私ごとですが、小鼓のお稽古に通ってなんとはや10年。能楽が親しい芸能になってきていて、時間があれば舞台を見たり、本を読んだりしています。本日紹介するのは、脇役(ワキ方)を専門にする能楽師が書いた本です。

「舞台のかすみが晴れるころ」(ちいさいミシマ社/ 新刊2970円)の著者有松遼一さんは、東京のフツーのサラリーマン家庭から、24歳の時に能楽の世界に飛び込みました。この本は、小難しい能楽論でもなく、能舞台の名作や傑作の解説書でもありません。一人の能楽師がコロナ禍で立ち止まり、どう考え行動したかを綴った本です。

「私たちは舞台の空気を吸って、日々の生活を送っている。舞台の息吹や感覚は生きものであり、いつも身体に語りかけるものだ。補助輪のない自転車がしばらく静止していられないように、走りつづけてこそ保たれるものなのだ。それが停止を余儀無くされる。」

コロナ禍で舞台がなくなり、カレンダーから出演予定が消えていきます。これはやばい!しかし、焦れば焦るほど身動きが取れなくなる。その時著者は「能楽師の仕事というものが本来、自分の腕を磨き、稽古することであるならば、黙々と、日々せっせと稽古すれば良い」という真理に思い当たります。コロナ禍で何をすべきか、誰もが直面した問い掛けでした。

そして、京都市の文化芸術推奨制度の募集を知って、新しい企画を立ち上げます。それは、無観客のオンライン公演です。でも、単なる舞台の配信ではありません。

「オンラインでやるのなら、なまの舞台を下手になぞっても仕方がない。能に宿されたシンプルな力、余分をそぎ落した、骨格の勁さのようなところで、観客の心へ訴えるようなものをやりたい。そこにオンラインの新しさ、可能性、人々が連帯するぬくもりのようなものを見出したい。」

その「ことばとわざ」という企画に登場するのは、著者と、シテ方観世流の林宗一郎氏、花士の珠寶氏の三人だけ。舞台は左京区の吉田山荘。

「能と立花(たてはな)という室町時代に由来する芸能同士が、昭和七年(1932年)に建てれらた由緒ある日本建築の座敷で、令和の現代に融合する。」

立花の内容、季節、歴史を踏まえて、上演されるのは「半蔀(はじとみ)」に決まります。「源氏物語」に登場する夕顔と光源氏のあわい契りの舞台です。感染防止のために、謡いのみの素謡(すうたい)にしました。「珠寶さんの立花が依り代となって、そこには磁場が発生するだろう」というのが著者の狙いでした。舞台の様子は写真撮影されていて、本書でご覧になれます。清々しい座敷で、黒紋付・袴姿の能楽師二人と、白い着物姿で自然や神仏や時や人に花を献ずる花士の三人が、なかなか素敵な感じです。

能楽のことなんか知らなくっても、興味がなくても、一人の表現者がコロナ禍の中で少しでも前に進んだ記録としてお読みください。得るものがあるかもしれません。

 

☆7月27日(水)〜31日(日)「ワンコイン500円古本フェア」開催します。

 

 

 

 

 

 

著者は京都府立大学文学部准教授。ドイツ文学の専門家です。彼がヨーロッパ、アジアを巡った時の印象を綴ったのが本書「イスタンブールで青に溺れる」(古書/1400円)なのですが、普通の旅とは違うのです。

「四十歳になった年、発達障害の診断を受けた。診断を受けなければ、人生の最後の瞬間まで『ああ横道誠さん?ちょっと変わった人でしたよね』というあたりで終わったかもしれないのに、診断を受けて障害の当事者だということがはっきりし、困惑がないと言えば嘘になる。」とあとがきに書いています。

ASD(自閉スペクトラム症)と ADHD(注意欠如・多動症)とを併発した文学研究者が、一人で世界を旅して、何を見て、何を考えたかを記録したものなのです。

「ウィーンで僕は、毎日のように屋台のシュニッツェルを食べた。」シュニッツェルは、牛カツ、豚カツ、鶏カツのことです。それを「すっかり飽きてしまうまで、毎日できるだけ同じものを食べつづける。立ちながら、歩きながら、座りながら、寝転びながら食べた。 (中略) 同じものを繰り返し食べたがるという自閉スペクトラム症の特製のひとつが、僕には顕著にある。」

そんな症状を抱えながら、ヨーロッパの街を歩きまわり、美術館に足繁く通います。

「僕がマイエンフェルトで歩いている様子を想像していただきたい。ヨーロッパの田舎で、両眼の焦点が合っていない、日本人の男性が、満面の笑みを作りながら、隙だらけの身のこなしで、両方のくるぶしをコキコキ回しながら歩いてゆく姿を。僕は生きたモダンホラーなのだ。」と表現しています。体を動かすことは難度が高く、負担が大きい。さらに歩くときに、両足のくるぶしをコキコキ回すと言うこだわり行動が伴う。そんな著者の感じる世界が、重さと面白さを武器に読む者に迫ってきます。

また、彼は幼少時、母親が信じるカルト宗教のせいで、毎日のように母親から肉体的暴力を受けていました。ヨーロッパに点在する宗教的建築物を見るときも、美術史的、文学的興味を持つ一方、忌々しい過去がフラッシュバックを引き起こすと言います。そのフラッシュバックを本人は「地獄行きのタイムマシン」と呼び、宗教的建築物はどんなものでも善悪の混じり合ったものとして迫ってくるのだそうです。

様々な症状に苦しみ、軋轢や不安に耐えながらも、独特の知的なユーモアを交えながら彼は世界を描き出します。「発達障害者の旅の様子を、当事者の内側から活写した書物として、画期的なものだと言う自負もある。」

文学者である著者は、様々な文学作品を引用していて、巻末には五十冊以上の文献が掲載されています。それぞれの場面で引用された文学作品は、スリリングであり、オリジナルの作品を読んでみたいと思いました。個人的には、ハイヤーム・オマル「ルパイヤート」の強靭な文章に惹かれました。