以前に紹介したエッセイ「夢のなかの魚屋の地図」に引き続いての井上荒野の作品です。「小説家の一日」(文藝春秋/古書1200円)は、短編小説の名手である彼女が、「書くこと」を主題にした短編集で、全10作品が収録されています。

「書くこと」がテーマだからといって、小説家や作家ばかりが登場するわけではありません。「園田さんのメモ」では、OLの主人公にさっと手渡される先輩社員の園田さんの「五センチ四方くらいの、薄ピンク色の紙」に書かれたコメントがテーマです。宴会で酌はするなとか、ストッキングは不要だとか、よく言えば先輩からの助言、悪く言えばお節介が、次々と届けれます。え?なにこのヒト?いじめ?と思われるかもしれませんが、ラストの切れ味のいいこと!上手いなぁと感心しました。

「窓」は、いつも学校でいじめられている女子中学生が逃げこむ保健室のトイレが舞台です。ここのトイレには窓がありません。彼女は、サインペンでトイレの壁に窓を書きました。息苦しい学校生活から飛び出す象徴のような。ある日、彼女はトイレに入ってびっくりします。「私が描いた小さな四角の中に、小さな小さな木が一本、描き加えられていたからだ。それでその四角はもうただの四角ではなくなっていた。ちゃんとした窓になっていた。」

もう一人、ここに逃げ込む女生徒がいる!一人じゃないのだ。そのことを「トイレの窓」から主人公は知るのです。

私が特にいいなぁ、と思ったのは「料理指南」です。主人公の女性の母は著名な料理研究者でした。母が、昔好きだった人のために作った料理指南書の最後に書いてあった「はい、おしまい」という言葉。なぜ、母は最後のページにこの言葉を書いたのか。やがて、母と同じように料理研究家になった彼女は、好きな人のために作った料理指南書にやはり同じ言葉を書き添えるのです。そこに潜む、親子二代にわたるそれぞれの愛の終焉が切ない。

「書くこと」をこんなに多面的に捉えた小説はないと思います。短編の名手と呼ばれるだけのことはある作品集でした。

 

 

 

平野啓一郎の小説を石川慶が映画化した「ある男」は、徹底的に画面作りに拘り、力のある役者を見事に動かした骨太の映画でした。

愛して、結婚して、慎ましくも幸せな家庭を築いた里枝は、夫の大祐を事故で失います。一周忌にやってきた大祐の兄は、仏壇の写真を見て「これは弟ではない」と断言します。一体、この男は誰だったのか。里枝は、かつて自身の離婚調停で知り合った弁護士の城戸に身元調査を依頼します。

なぜ、彼は大祐と名乗ったのか。どうして元の名前を捨てたのかということを解き明かしてゆく様がスリリングです。やがて明らかになるこの男の過去。他人になりたかった男の切望を、リアルに描いていきます。

私たちは、過去の膨大な記憶を元に、私たち自身になってゆくのだと思います。いつも近くにいた母親の笑顔、耳元で歌ってくれたおばあちゃんの子守唄、ワクワクドキドキしたお年玉、風を切って友達と走ったこと、初恋、等々の記憶が蓄積されて今の私を作り上げています。笑顔の素敵な人は、きっとそれを与えてくれた生活から恩恵を受けているのでしょう。しかしそんな記憶を持つことのできなかった人生、残酷で悲惨な記憶しかなかったとすれば、他人になってやり直したいという思いがあってもおかしくはありません。

映画は、男の身元を調べる弁護士に肉迫しつつ、彼の心の変化に踏み込んでいきます。城戸は在日三世でした。帰化し、裕福な生活を手に入れ幸せなはずでした。ところが、男の過去を探ってゆくうちに、もう解決したと思っていた自分の出自について考えるざるを得ない状況へと追い込まれていきます。劇中、狂言回し的な立場だった城戸が、いつの間にか主役となり、他の人生を生きたいと望む未来を示唆するラストが心に刺さります。

その一方で、里枝と息子は、数年間の大祐との生活を幸せで充実したものだったと確認して、未来を生きてゆこうとします。その姿に感動しました。

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山口智子は、役者業以外に様々な活動をしています。本も何冊も出していて、「手紙の行方 チリ」、「反省文 ハワイ」などは、当店でもよく売れていました。

近著「LISTEN」(新刊/生きのびるブックス4400円)は、今年読んだ本では最も分厚い(約4cm)620ページ余の大作でしたが、あっと言う間に読んでしまいました。

「元気な明日を手繰り寄せる『音』の力に惹かれ、2010年から地球の音楽映像ライブラリー” LISTEN”を作ってきました。10年に及ぶ旅で26カ国を巡り、250曲を越す曲を収録し、記録された写真は約20000枚。」

そして、その世界を回る旅の第二弾がこの本「LISTEN」です。本の半分を素敵な写真が占めています。本に掲載されている二次元コードで”LISTEN”の映像を見ることができます。

「地球の美しさに出会う旅に、音の精霊の導きがありますように。」と彼女は書いています。

我々の知らない土地で、小さな幸せを守って生きている人たちの姿と生活の中から生まれた音楽に耳を傾け、なんて素敵な!と驚きながらペンを走らせたであろう文章を読んだり、楽器を鳴らし踊る人たちの至福の瞬間を捉えた写真を眺めていると、最後のページに辿り着いていました。

旅は、2011年、ハンガリーから始まります。そして、最後はインドで幕を閉じます。民族の悲しい歴史、差別のことも折に触れて書かれています。その歴史の中で歌い継がれてきた歌や踊りが、いかに重要なものかが伝わってきます。旅をして、そこで暮らす人たちに溶け込み、ともに笑いながら、著者は生きるエネルギーを吸収していきます。

イヌイットと犬ぞりで大雪原を旅した時、雪の上に寝そべる犬たちを見ながら、感じたことをこんな風に書いています。

「私も犬たちの横に寝そべってみた。ふかふかと雪に包まると、不思議と温かかった。たくさんの命が形を変えて一面に降り積もっているようで、守られている安らぎと静けさの中に、風の息や地球の鼓動を確かに感じた。人間は、とても動物たちにかなわないけれど、彼らと学びながら一緒に生きてゆける。困難を乗る超える道はいつも、自然の中にある。」

登場する人たちの顔を見ていると、人間の持つ原始的な力強さと優しさが溢れています。そのことを追い続けた山口智子の好奇心と行動力、そして他者への、この惑星への愛に溢れた一冊です。

 

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辻惟雄と聞いて、かの伊藤若冲を世に広めた人と反応される方、きっと美術好きの方ですね。若冲や、曾我蕭白など、一風変わった江戸時代の画家を取り上げてきた回想録「奇想の発見ある美術史家の回想」(新潮社/古書1650円)を読んでみました。

辻惟雄は1932年、愛知県の医者の家に生まれます。父親は医学の道を進めますが、畑違いの美術史の方に進み、大学で教える身となり、やがて千葉市立美術館長、多摩美大学長、MIHO MUSEUM館長などを歴任しました。著名な学者なのに、上から目線的なところは全くありません。それどころか若い時の失敗談やら、同じ下宿にいた、のちに動物王国を作り上げた畑正憲とのどんちゃん騒ぎなどがスケッチ風に描かれています。

一時、宮沢賢治に夢中になってわざわざ賢治の弟の静六氏に会いに出かけ、挙句に「宮沢賢治の出た東北で医者をやろうーそう思いつき、仙台に行って東北大学医学部を受けたが、これもやはりダメだった。」こともあったとか。

著者は画家になるのを諦めて美術史家になるのですが、「芸術家の作品は、出来上がった段階では、片目の入っていない達磨だ。片目のままで長い間放置されているケースもある。それに片目を入れるのが美術史家の役割ではないか」と書いています。

牛若丸が母の仇の盗賊を切り倒す、実録ヤクザ映画ばりの血だらけの「山中常盤物語絵巻」を描いた岩佐又兵衛に注目し、研究者としての人生をスタートさせます。そして、岩佐又兵衛みたいな、ど肝を抜かれる作家がいるはずだと確信していた著者の前に現れたのが伊藤若冲でした。若冲研究に至るプロセスは極めて刺激的で、どんどん読んでいきました。さらに、曾我蕭白を発見し、オーソドックスな美術から離れた異端の画家たちの世界へと入っていきます。とても忙しい日々なのですが、なんだかとても楽しそうな感じが文章から伝わってきます。

そしてその研究は「奇想の系譜」(ちくま学芸文庫)という著書で世間に知られます。「『奇想の系譜』で取り上げた江戸時代の画家たちの作品は、表現の面でいくつかの特徴を同じくしている。その一つは想像力に関わるもので、エキセントリック、グロテスク、ファンタスティックなどと呼ばれる要素である。だが、私の目は別の面にも向けられていた。その一つは、見る人の笑いを誘う『遊び』の仕掛けである。グロテスクであれ、陽気であれ。かれらの作品に共通して見出せるもの、それは『ユーモア』だ。」

美術史家の自伝でありながら、戦後の日本美術界の歴史や、美術に関わる学者たちの世界も知ることができる貴重な本だと思います。とにかく、読みやすい!!

 

 

著者のモトムラタツヒコは、福岡を拠点に活動しているグラフィックデザイナー。動物をモチーフにした点描画の作品展も行なっています。2018年、東京で個展を開いたとき、荷物が増えるので少しでも軽くするために、いつもなら最低二冊はバッグに入れる本をやめて、「断読」状態で過ごします。ところが、心が落ち着かなくなり、活字が読みたいという渇望が大きくなってきたのです。

「僕は読書という行為が、いかに我が身にとって日々の精神の安寧を、思考の柔軟性を支えているかを思い知ったのであった。」その後間もなく、「読書の絵日記」を描き始め、一冊の本になりました。それが「モトムラタツヒコの読書の絵日記」(書誌侃々房/1650円)です。

読んだ本の表紙が独特のタッチでイラストになっています。まずイラストをじっくり眺めてください。書物への深い愛情が伝わってきます。そして、書名の横にジャンルが書かれていていますが、「プロレス」というジャンルでアカツキ著「味のプロレス」が取り上げられています。表紙絵の横に「まず猪木の延髄斬りを『この角度』で描くことに大いなる味わいを感じてしまう」と註釈が入っています。プロレスの本にはあまり興味ないので、これが延髄斬りなのかと思いながら、手書き(そう、文章は全て手描き文字なのです!)でぎっしり書き込まれた文章を読んでみると、著者のプロレス愛をしみじみ感じます。

ジャンルは多種多様です。「画文集」の安野光雅「らんぷと水鉄砲」があるかと思えば、「漫画」の白土三平の「シートン動物記」があります。「文芸」として、ケストナーの「飛ぶ教室」とスタインベックの「赤い子馬」が両面びらきで並んでいたりします。

所々に、番外編として映画や音楽の紹介が挟み込まれています。その中に、農場に生きるブタの日々を追いかけたドキュメンタリー「グンダ」を見つけました。私もこのブログでご紹介しましたが、モトムラさんも傑作だと評価していて、距離が縮まった気がしました。当店に最近入荷した、パオロ・コニュッティの「フォンターネ山小屋の生活」も取り上げられていました。私も読もうと思っていた一冊。

パラパラとめくっているだけで、実に楽しい読書案内です。

 

「ナチスのキッチン」(左右社/2970円)や「縁食論」(ミシマ社/1870円)などの著者藤原辰史の新刊「植物考」が、「生きのびるブックス」という小さな出版社から出ました。(新刊/2200円)

農業史や食関係の思想史を専門とする著者は、「植物についてじっくり考える時間を作ることは、作物や歴史研究をなりわいとする私にとって切実な課題でした。」とあとがきに書いています。

本書で著者が目論んでいることは、「かつて鉱物や植物や動物の真理を究明することも、演劇や音楽を論じるのと同様に人文学の営みであった時代を、過去のものにしないことである。別の言い方をすれば、鉱物や植物や動物の心理を究明することが自然科学者だけの営みになった高度分業社会を例外とみなすことである」ということです。

極めて刺激的で面白い本でした。ただ、全てが理解できたわけではなく、何度も読み返しても??の部分があったことを白状しておきます。植物は生きているという事実の多面的な意味合いを、かなり突っ込んだ考察と文献紹介で教えてくれます。そして、果たして人間は植物より高等な存在なのかという疑問を持たせてくれます。

第二章「植物的な組織」に、こんな記述があります。

「植物をカメラで低速度撮影をして再生すると、茎と葉を用いてダンスをしている、あるいは遊んでいるように見える。筋肉組織はないのに、太陽の向きに応じて、葉や茎を微妙に調節して動かしている。植物が動くものではない、という既成概念は一気に消される。 植物には、近くの物体も、匂いも、光も、動物と同じように『感じる』ことができる。しかも感じるだけでなく、それを分析して、つぎの動きにつなげられる。脳はなくても、それは『知性』と呼んでもよいのではないか。」

論考は、根について、花について、葉について、種について、様々な文献を紹介しながら広がります。歴史学、文学、哲学、芸術作品まで登場してくるので、ガチガチの植物学の本を呼んでいる息苦しさはありませんでした。

あとがきに「本書は、日本の教育制度が『文系と理系』という単純すぎる図式で高校生の柔らかい頭を硬直化させてきたことに対するささやかな抵抗でもあります。」とあります。自然科学か人文科学かという二者択一ではなく、二つを融合することで、新しい一歩を踏み出せることを希求する思いです。「ボタニカル・ライフ」(古書1600円)の著者いとうせいこう、「つくるをひらく」(ミシマ社2200円)の建築家光嶋祐介、「肌理と写真」(求龍堂2970円)の写真家石内都など多種多様な人々が本書に関与しています。

 

上映時間70分少々、設定はSFのようでそうでないいい加減さ、誰もいない劇場の舞台のみで物語は進行し、登場するのは18歳の俺と48歳になった俺の二人と少し。なに?その映画??

しかしこれが、泣かせて、最後に大笑い、いや〜人生そうだよね〜と納得させてしまうというウルトラCの離れ業をやってのける。京都出身の谷健二監督「追憶ジャーニー」(京都シネマで上映中)は、基本人生応援歌的なつくりですが、お涙頂戴の湿度は0、乾燥度数は100、物語の吹っ飛ばし方は台風並みという作品なのです。

不思議な物語です。母親と喧嘩して自室でふて寝していた18歳の文也は、気づくと何故か舞台の上にいます。そして隣に見知らぬ中年男が立っていて、「ここがお前の正念場だ!ここ逃すと一生後悔するぞ」としつこく迫ってきます。すると舞台には、文也の幼馴染みで同級生のくるみと、ちょっとセクシーなユリエが登場して、文也にどちらと交際するか迫ってきます。

なんだこれは夢かと思う文也ですが、時代は進んでいきます。その場面転換はSF的、お約束を吹っ飛ばしていきます。なんせ中年男が「ここは次元がアレで、アレだから」と理解不能なことを言い続ける世界です。やがて、文也はこの中年男が自分の30年後の姿だということがわかります。

ははぁ〜これは未来からきた男が、現在の文也に向かって人生の決断を諭す映画だろうと思われるかもしれませんが、裏切られます。立場が逆転してゆくのです。うだつの上がらない未来の自分に向かって、高校生の文也が、お前こそどうなんだと迫っていくのです。48歳の現在を生きる男は、30年前の自分に、お前の今の人生はどうなんだと詰問される羽目になります。

そしてラスト、若い時に駆け落ちして家を飛び出した母が老いて、死が近いことを知った現在の文也は、病院でその母と対峙します。とてもいいシーンで涙が溢れます。が、しかし、そんなバカな〜ワハハと笑ってしまうエンドが待っています。(劇場内も方々で笑い声が聞こえました)最後のセリフで、あなたも私も自分の人生間違っていない!と確信に至るという離れ業を決めるのです。ここは言えません。ぜひ劇場で、そうだ!そうだ!と声をあげてください。素敵な70分になること間違いなしです。

監督の谷健二は1976年生まれ。映画の世界を夢見て上京し、数多くの自主映画に携わった後、2016年監督としてデビューしました。ワタクシ応援します!

ミニプレス「よあけのたび」の、第2号発刊を記念して、「Have a wonderful morning 」と題した展示が今日から始まりました。

「よあけのたび」は、主に京都(他に鎌倉、尾道)のカフェなどの朝ごはん巡りが、エッセイと写真と楽しいイラストマップで書かれています。著者はまごさん。1000件以上のモーニング巡りをした朝型人間だそうで、朝の魅力を発信し続けています。早朝街を散歩していて、ふと気になったカフェに立ち寄りモーニングを注文する。まごさんは、店の佇まい、ドアを押して入った印象や、その時の気分を丁寧に綴っていきます。コーヒーの匂いが立ち上ってきて、店主との静かな対話、食器の音などが聞こえてくるようです。すぐにでも食べたくなるような美味しそうなトーストやサンドウィッチ、これは危険な本です。

いつも市内のカフェの情報を携えてレティシア書房に立ち寄ってくださるIさんに、昨年まごさんのミニプレスを教えてもらい、その後何度も追加注文している人気のミニプレス(2021年5月30日の店長日誌で紹介)。京都に長く住んでいますが、カフェでモーニングという時間を持たないまま暮らしてきました。「よあけのたび」を手にしたら、これを体験しないのは人生の楽しみを半分損してたのではないかと焦ります。

「わたしにとって朝の時間は、たとえ近所でも、コーヒーとトーストというシンプルな食事でも、旅をしているときに感じる非日常のような特別な時間です。」と、「よあけのたび」の1号に書かれていました。そして待望の第2号。冒頭にはこう書かれています。

「なんでもない日が少し特別に思えるから、夜明けのたびにワクワクする。それは旅へ出る日のように。」小さな旅は、今こんな時期にこそ大切なものかもしれません。

今回の個展では、まごさんの作った張り子の狸と、 ミニチュアフードを手がけるBonchi Kyotoさんとの「たぬきの朝ごはん」というコラボ企画も!!これがメチャクチャ可愛い!!たぬきの朝ごはんに、時を忘れて見入ってしまうこと請け合いです。(張り子のたぬきは販売しています。)その他、朝の散歩に持っていきたいオリジナルマルシェバッグなども販売していますので手にとってご覧ください。

そしてさらに、「思い出の朝ごはんを描かせてください」というinstagramを通じての呼びかけに寄せてもらった文章とともに、まごさんのイラストが並んだ「思い出の朝絵ご飯」(写真左)という、盛り沢山の展示となりました。食欲の秋、まごさんの展覧会でお腹いっぱいになってください。(女房)

 

 

朝ごはん巡りミニエッセイ本「よあけのたび2」発刊記念展

『Have a wonderful morning 』は、11月16日(水)〜27日(日) 13:00〜19:00(最終日は18:00まで)月火定休日

 

文京建築会ユースは、東京建築士会・日本建築家協会の文京支部からなる「文京建築会」の若手有志団体として2011年に発足しました。その文京建築会ユースが、歴史的建造物などの記録保全・活用提案等の活動の中で、地域コミュニティ拠点として注目してきたのが銭湯でした。

京都もそうですが、文京区の銭湯もここ10年で半減し、数件しか残っていないそうです。解体される銭湯から、多くの道具や部品を回収したもののどう活用するか悩んでいました。

京都で行われた「京都銭湯芸術の祭りMOMOTARO二O一七」を視察したのがきっかけで、「祭り」の姿を借りて、銭湯を未来につなげようと企画。「銭湯山車巡行部」を立ち上げました。そして、2021年「令和三年度銭湯山車巡行」を行いました。本書はその公式記録集(1500円)です。

銭湯のあらゆる要素を一台の山車に詰め込む、という大胆な発想で、ユニークな山車を製作。そのプロセスも事細かに収められています。閉業した銭湯の写真と、その部品をどう活用していったかを見ることができます。出来上がった山車が表紙に使われていますが、立派な破風と下足箱が組み合わされ、タイル張りの水回りもついた楽しいフォルムは、可愛らしく、堂々としています。巡行を見たかったな、きっと大きな拍手を送ったことでしょう。

「祭礼における『山車』は、伝統文化や誇りを具現化し、精神を受け継ぐ依り代で、各地域の工芸技術の粋を集め永く継承するものでもある。今回の『銭湯山車』でも、東京の銭湯が培ってきた文化を建築や彫刻の要素も含めて色濃く再現することで、銭湯の『粋』が後世に伝わっていくことを期している。」

編集・デザインを担当された内海さんが、一緒にフリーペーパー「みんなの藍染大通り」を持ってきてくれました。この通りで行われている歩行者天国50周年を記念して出されたものだそうですが、1972年に始まった歩行者天国が今も続いているとは驚きです。こちらの編集も内海さんで、町の再生、失われてゆく文化の復活に努力されています。(フリーペーパーは10部ぐらいしかありません。お早めに)

11月10日の京都新聞夕刊のトップは、「カライモブックス京から熊本へ」という記事でした。

京都市上京区にある古書店「カライモブックス」には、ここに移転される前のお店に何度か行きました。オールマイティな品揃えのお店ですが、一つ違うのは「水俣」関係の本と、水俣産のグッズが数多くあることでした。水俣病の発症の地、「水俣」を忘れないというオーナー夫妻のスタンスが反映されていました。

新聞によると「来夏、熊本県水俣市へ移転する。新天地は、作家の故・石牟礼道子さん(1927〜2018年)の自宅。水俣病に苦しむ人々に寄り添い、近代社会の矛盾や命の尊厳にまなざしを向けた石牟礼さんに共鳴してカライモブックスを始めた奥田直美さん(43)と順平さん(42)夫妻は『石牟礼文学に触れる拠点にしたい』と話す。」

お店のオープン時から、石牟礼作品や不知火海の物産を販売し、時には勉強会も開催されていました。私は、池澤夏樹個人編集による「日本文学全集」(河出書房新社)で石牟礼作品に出会いました。収録されていた「椿の海の記」の、豊かな言語表現と色彩感覚に圧倒されました。

代表作「苦海浄土」は実はまだ読んでいませんが、「あやとりの記」「水は海土路の宮」「十六夜橋」と、続けて読みました。最近、池澤夏樹による石牟礼文学論考の「されく魂」(古書1200円)を読了。

これほど、入れ込んで読んだ作家は最近ではありませんでした。その作家の自宅が本屋になるのです。奥田さん夫妻が2022年に自宅を見に行った時、水俣に住んでみたいという二人の希望と、石牟礼さんの家を残しておきたいという関係者の思いが一致したのだそうです。予定では来年3月〜4月あたりに京都の店を閉店し、その後移住、夏にはカライモブックスを再開し、石牟礼さんの書斎の公開を目指すと新聞には書かれていました。

「石牟礼文学のファンは、石牟礼さんのまなざしを通した水俣がみたいと思う。そんな人たちが立ち寄り、交流できる場所にしたい」とは直美さんの言葉です。私もぜひ見てみたい、石牟礼さんの書斎から見える水俣を。

アメリカ中間選挙の記事を差し置いて、京都の古書店の移転の話をトップに持ってきた京都新聞、地方新聞かくあるべしと思いました。記事を書かれた行司千絵さんには、当店も何度か取材していただきました。いつもありがとうございます。