「憲法なんて知らないよ」(集英社文庫/古書350円)の著者池澤夏樹は、書いています。
「法学のホの字も知らない素人が、法律の翻訳という専門的な分野に敢えて足を踏み入れた理由は簡単、これが憲法だからだ。 憲法というのは法律の中でも最も文学的な法だ。飢えてパンを盗んだ者にはどの程度の刑罰がふさわしいかを問うだろう。しかし、なぜ彼がパンを盗まなければならなかったか、どうすれば国家は飢えるものを出さない社会を作れるか、そこを論じるのが憲法。」
文学的だと評する日本の憲法の原案、つまり戦後アメリカ側に主導された憲法の文章を、文学者の視線で翻訳したのが本書です。今の憲法は日本人が作ったものではない、占領軍のお仕着せだ、だから自主憲法を!と叫ぶ人たちがいます。しかし当時、憲法草案に参加したアメリカ側の人たちは、とても若い人々でした。平均すると40歳にならないくらいだったそうです。
「人間は若い方が理想主義に近い。歳をとるとそれだけ考えが現実的になる。しかも、この委員たちの多くはルーズベルト大統領のニューディール政策を体験した世代だった。アメリカがいちばん自由主義的だった時代に青春を迎えた人たちだ。そこで、日本の新しい憲法の草案はずいぶん理想主義的になった。」もちろん日本とアメリカの間で議論の上、何度も手直しされて公布に至ります。
そして、この憲法を日本人は熱烈に歓迎したのです。
「もう戦争に行かなくてもいい。よその国を銃をかついでうろついて人を殺さなくてもいい。自分の住む町にもう爆弾は降ってこない。政治を批判しても警察に捕まって殴り殺されることはない。 親が決めた相手と無理に結婚させられるこちもない。裁判もなしに牢屋に押し込められることもない。二十歳以上の国民みんなに選挙権があって、自分たちの代表を選ぶことができる。新しい国、国民が主役の国。」
本書には、英語で書かれた憲法原案と、それを翻訳した現在通用している日本語版、そして著者の新訳を読むことができます。よく問題にされる戦争放棄を明記した9条の「国の交戦権はこれを認めない」を、池澤訳では「国というものは戦争をする権利はない」になっています。日本国のみに限定せずに、この地球上に存在する全ての国家には戦争をする権利はない、とも読み取れます。
とても読みやすい憲法の本です。国ってこうあるべきだよね、と書かれた憲法。一度ぐらいは目を通しておいた方がいいです。
そしてこんな事も明記しているのですね。
第99条「天皇と摂政、国務大臣、国会の議員、裁判官、その他の公務員にはこの憲法を尊重し、しっかり護る義務がある」
どれぐらいの政治家や官僚がこの条文を知っていることやら……….。もしかしたら知っているからこそ、変えようとしているのか…..。
岡崎武志の新刊「憧れの住む東京へ」(本の雑誌社/1980円/著者サイン入り)は、生まれ故郷を離れ東京に出てきて、そこで生きた6人の表現者の日々を追いかけたノンフィクションです。取り上げた6人は、赤瀬川原平、洲之内徹、田中小実昌、山之口貘、耕治人、そして浅川マキです。
「胸の高鳴りを抱いて1990年春、すでに三十歳を超えていながら大阪から上京してきた。私にとって東京はまさしく『憧れの住む町』だったのだ。今年で在京三十四年目。関西在住時代より長い年月を過ごしてきたことになる。その間ずっと『上京者』を意識していき続けてきた」と著者は「まえがき」に記しています。だからこそ、この6人の、上京前と以後を丁寧にたどります。書評の上手い人は町歩きの上手な人、というのは植草甚一の時代から変わっていないと思います。書評家の著者が、ここに登場する人たちの住んでいた家を訪ねて、素敵な町歩きをしています。
「沖縄を含む南西諸島は一年を通じて気温が高く、台風の通り道となり暴風にも晒された。東京は夏には南東から、冬は北西から季節風が吹き、雪が降った後は空気が乾燥した。詩人はそのことを、路上を歩き、草に埋もれて寝ることで体感したと思われる。私は山之口貘こそ、日本詩史の中で、東京の風を親身になって受け止め、表現した詩人だと思っている。」と、沖縄出身の詩人山之口貘を評しています。
残された書物の中からだけでなく、彼らが生きた空間を追体験することで生まれた文章です。客観的事実や情報をちりばめながら、随所に自分の思いをエッセイ風に潜りこませています。だから一緒に町歩きをしながら、著者の心情を垣間見るようなのです。
田中小実昌は、バスに乗って出かけるのが好きで、その旅を書いた本もあります。そして著者もまた、バスに乗ることに喜びを見出していきます。
「田中がバスを実用としてだけだなく『バスにのって遊んでる』使い方をしたのが面白い。私などはそこに感化されてバスに乗るようになった。人の待ち合わせや取材など、時間厳守の時にバスは使えない。ゆったりとした心の余裕が絶対に必要だ。その『余裕』の目が、ふだん気づかない東京を気づかせてくれることもある。」
6人の表現者の生きた東京を追体験しながら、この街に今も憧れを持ち続けている著者の気持ちを感じてください。
「たやさない」(hoka books/1100円)は、編集発行人の嶋田翔伍さんが、親しい知人に執筆を依頼して作り上げたミニプレスです。嶋田さん自身、「烽火書房」と言う「ひとり出版社」を運営し、本づくりを続けていくために、何をすべきかをずっと考えてきました。このミニプレス「たやさない」のキャッチコピーは「つづけつづけるためのマガジン」。嶋田さんが「つづける」ことに、とてもこだわっていることがわかります。というわけで、ものづくりをしている人たちが、なぜ今の仕事をすることになったのか、どうして続けてきたのかを書いてます。
執筆者は、京都の和菓子屋「のな」を営む名主川千恵さん、東京国立市谷保にひとり出版社と本屋「小鳥書房」を立ち上げた落合加依子さん、作曲家の高木日向子さん、京都西陣に店を持ち日本とアフリカのトーゴ共和国を行き来する中須俊治さんの4人。彼らとの関係については、それぞれの章の前に嶋田さんが書いていて、書き手に対する厚い信頼がわかります。
何かを作りつづけるためには、好きなことがあるということ。それこそが持続のエネルギー源。そして信頼できる誰かと出会うこと。それにはかなり直感が働いているような気がしますが、例えば、商店街の店主であったり、職場の先輩であったり、仲間であったり、店のお客様だったり、または好きな作家であったりもします。そして、今生きている場で力を出すこと。なにかを始める時「ないものねだり」より「あること探し」をすることが大切だという中須さんの言葉は印象に残ります。中須さんは銀行員だったからこそ自分ができることを考えて、トーゴと日本の新しい架け橋を作ることができたのだと。
物語性のある和菓子を創作している名主川さんは、「人が追い求める心地よさは、新たに生み出すものではなく、探し出して呼び覚ました、自分自身に眠っている何世代も前の祖先からの贈り物の中身との再会ではないかと、年を取るたびに感じるようになった。私はそういうものを見つけては、風味を織り混ぜ、形のある『菓子』へと組み立ててゆきたい。」と書いています。
また「小鳥書房」の落合さんは、93歳まで国立市谷保の商店街で手芸店を営んでおられた女性に想いを馳せながら、「わたしはこの本屋に立ち続けたいと思っている。いまこうして近くにいてくれる仲間たちと、見守ってくれる谷保の町のひとたちに恩返しできることは、『本をつくって本を届ける』こと以外になにもないから。なるべく長く自分にできることがしたい。」といいます。
中でも私がこのミニプレスでキュンとなったのは、高木日向子さんの作曲したオーボエとアンサンブルのための「L’instant(瞬間)」という作品が、画家高島野十郎が描いた油絵「蝋燭」からインスピレーションを得ている、という文章でした。偶然この画家の「蝋燭」の絵を見たことがあったから。その曲をいつか聴いてみたいと思いました。(女房)
フリーペーパー”BOOKMARK”は、海外文学を面白いアプローチで紹介してきましたが、今回の20号で一旦幕を閉じるそうです。2015年に第1号が出て、8年間で20号まで出ました。この小冊子で、海外文学の面白さを知った方も多いと思います。
最終号の特集は「詩」。とはいうものの、「19世紀イギリス生まれで児童書も書いているデ・ラ・メア、戦後を代表するドイツ系ユダヤ人の詩人で独特の詩を書いたパウル・ツェラン、ノーベル平和賞を受賞しながらも獄中で死を迎えた劉曉波」などなど、発行人の金原端人(翻訳家)のセレクションは曲者揃いです。「見事にごちゃごちゃだけど。『詩』といったって、こんない広いんだぞという面白さ、楽しさを味わってもらえればいいと思う。」と書かれていますが、それは今号に限らず毎回のことで、ごちゃごちゃ感がとても面白いフリーペーパーでした。
毎号巻頭に特別ゲストがエッセイを寄せています。(蛇足ながら、村上春樹が書いた号はあっという間に無くなりました)今回は以前ブログでもご紹介した「ポエトリードッグス」の著者斎藤倫です。若い時、辞書を引いて洋楽の歌詞をひたすら訳していたとのこと。
ところで、最終号で紹介されている本のことをほとんど知りませんでした。それで、隅から隅まで熟読してしまいました。金原端人が翻訳しているシャロン・リーチの「あの犬が好き」は、詩とは無関係な本にしか見えないのですが、「英詩アレルギーが少しマシになったのは、この本のおかげだ。『えーっ、詩?』と思っている人にこそ読んでみてほしい」と金原自身が語っています。この本は近日中に仕入れる予定です!
現在、海外文学の紹介本はかなり出ているようです。「BOOKMARK」誌で紹介された本をまとめた「BOOKMARK」(CCC/古書1150円)を始め、都甲幸治「生き延びるための世界文学」(新潮社/古書900円)、藤井光「ターミナルから荒れ地へ」(中央公論新社/古書1400円)。池澤夏樹「世界文学を読みほどく」(新潮社/古書800円)、そして津村記久子「やりなおし世界文学」(新潮社/新刊1980円)と、うちの狭い店内の狭い海外文学のコーナーには、翻訳者の書いた本を加えると、10数冊並んでいます。同業者と話をしていても、海外文学を読む人が増えたという感想をよく聞きます。従来の英語圏の文学だけでなく、アジア、アフリカ、南米と世界各地の文学が翻訳されているからなのかもしれません。海外文学に未だ出会ってない方も、一度チャレンジしてみては如何でしょうか。
2022年11月10日京都新聞夕刊に「カライモブックス京から熊本へ」という記事が掲載されました。京都市上京区にある古書店「カライモブックス」が、熊本の石牟礼道子さんの家に引っ越しされるというものです。この事についてはブログで詳しく書きました。
書店を切り盛りしているのは奥田順平・直美さんご夫妻。二人が、今日まで思ってきたこと、考えてきたことをまとめた「さみしさは彼方 カライモブックスを生きる」(岩波書店/新刊2200円)が出ました。
石牟礼道子文学に惚れ込み、水俣や天草に通っていた二人が古書店を開業する時、店の名前に石牟礼文学の関わりのある何かを付けようと考え、「カライモブックス」になりました。
「カライモとは、サツマイモを表す当地の言葉で石牟礼文学にもしばしば登場する。ただそれでもやっぱり……….と思ったのだった。はじめのころ、『カライモブックスです』と口に出すのが気恥ずかしかったような記憶がうっすらとある。」と、直美さんが書いています。オープンは2009年、西陣の細い通りに面した長屋の一軒。10年後の2019年に、元の家から自転車で15分のところにある町屋に引っ越して、今日まで営業されてきました。
本書には、二人が出してきたフリーペーパー「唐芋通信」を中心に日常が描かれています。「唐芋通信」は、この場所で生きてきた二人の、日々の言葉が満ち溢れている小冊子です。家族で店を営み、子供を育て、この国の未来に不安を感じながら、言葉を紡いでゆく。
「いつの時代にも子どもを育てることは厳しい。だってこの世はきっといつだって厳しいからだ。それでもわたしは、気づけば子どもを産んで育てていたし、これからも育てていく。生まれたばかりの赤子の、あの存在のゆるぎなさを思えば、わたしはそのゆるぎなさに育てられているのかもしれない」直美さんの「産み育てる」という文章の一部分です。
以前、「良い店には良い客が集まる」と、言われたことがあります。順平さんは「カライモブックスをはじめてよかった。ほんとうによかった。このくそ社会がすこしずつだけどよくなると信じることができるようになったのは、カライモブックスをはじめたからだ。よいひとたちがいるということを、知った。」と書いています。この店には、きっと良いお客さまがいっぱい集まったのでしょう。そして、良い空間が出来ていたのです。
水俣で、きっとまた新しいカライモブックスができることでしょう。京都での十数年の本屋業、お疲れ様でした。なお、京都のお店は、春頃に閉店して、夏頃に水俣へと旅立たれる予定です。
「引き潮になると水は入江に吸収されて潟湖はなくなる。汚らしい灰色の砂地が広がっているだけで、ところどころに濃い影のように海水がたまっている。水たまりでは、運がよければ蛸の赤ちゃんがみつかるかもしれないし、点々のついた橙色の蟹の古い殻や、沈没したおもちゃのボートの残骸があったりもする。潟湖には橋がかかっていて、そこから下の小さな水たまりをのぞきこむと、海水やイグサや雲の切れはしと一緒くたになった自分の姿が見える。そして夜には、ぼやけた月がひっそりと、水底に映っていることもある。」
という印象的な描写で始まるジャネット・フレイムの「潟湖 ラグーン」(白水社/古書1300円)。滑り出しの文章に魅了されて、この短編集を読みました。
ジャネット・フレイムは、ニュージーランドの作家で2004年になくなりました。大学卒業後、教師になりますが、1947年自ら精神病院に入院して統合失調症と診断されます。52年、ロボトミー手術をされそうになりますが、その時にデヴュー作である本書が、ヒューバート・チャーチ記念賞を受賞し、手術を免れます。のちにロンドンで受診し直したとき、統合失調症は誤診だったと判明しました。
この短編集には24編が収録されています。幼い時の思い出、日常の暮らしの一片を切り取ったもの、あるいは精神病院での体験や姉の死など、自伝的内容が反映された作品が並びます。
「それぞれ自分の五シリングを握りしめ、きらきらした物欲しげな目で、道や空や草や、道行く人たちを見つめました。家を持ち、自分の人生を生きている人たちを。それから、金曜日、お買い物の日というわくわくする小さな渦巻きの中でぐるぐるまわったあと、病院の生活という、死んだようによどんだ水に戻るのでした」
「ベッドジャケット」という作品の一節ですが、著者の病院生活を反映しています。入院中に執筆された本書ですが、しかし特殊な環境にいる自分の疎外感や狂気を表に出すことなく、捉えた対象を冷静に、客観的に見据えて生き生きと描き出していきます。
「わあ、わあ、と私は言いました。何か言いたくて、でもほかに言うことがなかったのです。わあ、わあ。世界はおいしくて、食べ物みたいでした。丘のてっぺんでは風がどうっと吹いていて、ときどきカモたちが黒いダイヤ形になって飛んでいきました。」(「子供」より)
ここでは、世界をこんな風に瑞々しく捉えています。子供が海岸で凧あげをする様子が描かれていますが、本書の表紙写真は、このシーンでしょう。眩しくて爽やかな風が、こちらにまで吹いてきそうです。
なお、フレイムの自伝「エンジェル・アット・マイ・テーブル」は、映画「ピアノレッスン」のジェーン・カンピオン監督の手で映画化されています。彼女もニュージーランド出身です。
☆レティシア書房からのお知らせ 勝手ながら3/1(水)臨時休業いたします。
今日から、沖縄辺野古発のフリーマガジン「うみかじ」を置くことにしました。
「辺野古に滞在しはじめて4ヶ月になろうとしています。多少慣れてきた今でも、時々海に行ってしまう。なにかを喪失しているかのような感覚や、あふれだしてしまいそうな感情にどうしようもなくなる時、海を見に行きました。行くたびに新しい風が吹いている海に、きもちやこころが包み込まれます。辺野古の海がすきです。」
発行人うみさんは、2023年1月27日発行「うみかじ」2号の編集後記に書いています。「辺野古の海」は、現在その多くの区域をアメリカ海兵隊の二つの基地に占有されていて、かつ普天間飛行場の代わりの建設のため大浦湾埋め立てが強行されています。沿岸は沖縄屈指のサンゴ礁がひろがっています。絶滅危惧のジュゴンの生息地であり、多くの新種の海洋生物が発見された生物学的に貴重な地域でもあります。絶滅危惧種であるアオサンゴの大規模な群集もここにあります。
だからといって、この雑誌は反対闘争の報告書というものではありません。「島じま紀行宮古島」とか「うみの辺野古日記」を読んでいると、うみさんが沖縄の自然を、人々を見つめる暖かい視線を何度も感じました。もちろん、基地問題を避けて通ることはできませんが……。
「12月11日(日) くもり時々雨。宮古島2日目。宮古島でのブルーインパルス飛行に抗議する集会やデモ行進などがあった。飛行する時の轟音が身体に残り続ける。宮古島で声をあげ続けているひととゆっくり話す時間があった。たくさんさまざまなな話を聞かせてもらえた。何より、自分はなにがわかっていなかったのかが、少しわかってよかった」(「うみの辺野古日記」より)
美しい沖縄の大自然の中で、自分が何者で、なにを考えていこうとしているのか、そして、この地でどう生きていこうとしているのかを模索する日々を素直に文章にしています。そして身を置いてみて初めてわかる、基地の脅威や近さが綴られています。
最初に「うみかじ」が送付されてきたときのお手紙に、ゆっくりと自分たちのあり方を探っていきたい、そして、そこで見つけたものを、みんなに手渡していきたい、というような言葉がありました。そうか、今、辺野古でこんな風の生きていこうとしている人がいるのか。パンダが中国に帰ってしまうのも寂しいことですが、そのほんの数滴の涙分だけジュゴンのことを考えてもらえたら、と思います。沖縄から届いたハートウォーミングな風を感じてください。(部数に限りがありますので、興味のある方はお早めに。)
☆レティシア書房からのお知らせ 勝手ながら3/1(水)臨時休業いたします。
どのワンカットも絶対に外せないというポジションで、撮影、美術、照明などの映像技術をフルに動員して、監督の世界を完璧にスクリーン上に投影した作品があります。例えば、キューブリックの「2001年宇宙の旅」、ヴィスコンティの「ベニスに死す」、 ベルトリッチの「暗殺者の森」そして「マクベス」を大胆に映像化した黒澤の「蜘蛛巣城」など。表現技術と描かれる世界がシンクロした時、深い感動に包まれます。
それらに比べるとスケール感は小さいかもしれませんが、私にとっては、パク・チャヌクの新作「別れる決心」もそんな一本でした。前作「オールドボーイ」では、これでもか、これでもかという過激な暴力シーンのオンパレードでしたが、本作には全くありません。監督自身が「これは大人の映画、過激なシーンは必要ない」ときっぱりと言っています。
釜山の山で起こった中年男の墜落死。主人公の刑事ヘジュンは、その妻ソレを疑います。が、彼は彼女の妖しい魅力に惑わされていきます。いわゆる”ファム・ファタール”ものです。やがて、捜査は意外な形で終結して、彼の恋も一旦は終わります。しかし数年後、ソレが再び彼の前に現れたことで、彼は理性を失いのめり込んでいくのです。
よくある物語なのですが、スマホなどの小道具を巧みに使い、凝ったカメラワークと、細部までこだわった美術などで、二人の艶めかしい関係をサスペンス風に演出していきます。部屋にいるソレを双眼鏡で監視していたヘジュンが、次のカットではうたた寝をするソレのそばにいるというシュールな演出も見事で、観客を飽きさせません。上手いなぁ〜と、何度拍手を送りたくなったことか!特に、ヘジュンがソレを取り調べるシーンは、向き合った二人のリアルな姿と、監視カメラが捉えた映像を一つの画面の中に組み合わせて、二人のちょっとした表情を捉えるシーンには唸りました。これが映画の力です。
男が女にのめり込み、女もまた…..という恋愛に溺れていく姿を、完璧に創りあげました。ラストシーンは、海の音とともに心の奥に残ります。悲しいよりも、おそろしいシーンですが、一言では説明できません。2時間18分、映画の魔力に引っ張られました。
小川洋子の短編集はどれがいいですか?と聞かれると、お客様には「いつも彼らはどこかに」(新潮社/古書1300円)をお勧めすることが多かったのですが、今回「不時着する流星たち」(角川書店/古書900円)もまた、素晴らしかったのでご紹介したいと思います。
10編の短編が収録されています。そしてどの作品も、作家・音楽家・写真家などかつて光輝いた人や事に焦点をあて、その痕跡を著者が昇華させたものなのです。ヘンリー・ダーガー、ローベルト・ヴァルザー、パトリシア・ハイスミス、牧野富太郎らの作家のほかに、グレン・グールドような音楽家もいます。かと思えば、2011年パラグアイで作られた世界最長のホットドッグとか、バルセロナオリンピック男子バレーボールアメリカ代表とか、新聞の片隅に載ったような人なども。
各物語の最後のページに、どんな人物が元になっているのかが書かれていますが、まず物語を読んで、なるほど、この短編はこの人物からインスパイアされているのか、え!ここに結びつけるのか!と驚いてください。私も、楽しみました。
穏やかに進んでゆくものがあるし、その美しさに魅入られる作品もあります。ぎょっとする描写に釘付けになるものもあります。
「あとからあとからいくらでも母乳は出てきた。その大量の液が、体の内側で作られたものだと思うと、恐ろしい気持ちになるほどだった。ずっとうつむいているのにどうして分かるのか。風が吹き、小鳥が飛び立って一枚でも木の葉が落ちると、あなたは手を止め、胸をはだけたまま芝生に出てそれを隣家に投げ捨てた。何度でもあきらめず、いちいちリズムを中断させた。腰をかがめるのと一緒に乳房はぶらんとなった。日光トスバフの緑に映えていっそう肌の白さが際立った。その間もずっ二階の赤ん坊は泣き続けていた。」(第四話「臨時実験補助員」より)
ぎょっとする文章かもしれませんが、小川洋子らしいリズムのある整った文章が胸に迫り、幻想と現実が切なく交差して、私たちを不思議な世界へと誘います。
私が魅かれたのは、彼女がヴィヴィアン・マイヤーを「手違い」という物語に使っていたことでした。マイヤーは素人写真家として膨大な作品を残しました。一度も発表されずにいたのですが、一人の青年が掘り起こし、展覧会を開催するまでに至りました。そのプロセスはドキュメンタリー映画になりました。(ブログでも紹介しました)第六話「手違い」は、構成、内容とも巧みで、上手いなぁ〜と感心したのですが、まさかこれがヴィヴィアン・マイヤーから生まれたとは思いもよらなかった。最初から最後まで、驚きつつ読み終わった素敵な一冊でした。
☆レティシア書房からのお知らせ 3月1日(水)臨時休業いたします。
和田誠は、新宿にあった日活名画座のポスターを、1959年から1968年まで9年間、無償で制作していました。和田誠事務所に保管されていた185枚を、時系列に沿って掲載したものが「和田誠日活名画座 ポスター集」(古書/4500円)。ポスターはB2サイズ(728✖️515ミリ)、シルクスクリーンで製作され、新宿界隈の駅や、喫茶店にはり出されました。残念ながら上映期間を過ぎたものは、すべて破棄されているので、残っているものは少ないらしいです。
最初のポスターは、「最高の名画 最低の料金40円均一」という宣伝文句に目がいきます。40円で映画一本鑑賞できた時代です。映画好きなら、和田のイラストが、どの映画のエッセンスも見事に捉えているのがお分かりだと思います。186ページの「気狂いピエロ」のJ.P.ベルモントを描いた作品は、クールでカッコいい一つですね。(「冒険者たち」のアラン・ドロンにもグッときました。)
次に紹介するのは、昭和56年に文庫として発売された「3人がいっぱい」(新潮社文庫/ 古書800円)の第二集です。もともと「小説新潮」に1976年から79年にかけて連載されたものを文庫化したものです。42名の選者が、おっ!と思わせる人3人を選び出して、イラスト化したものです。文章は選者が描き、和田が見事なまでにその人物の特徴をつかんだ作品を書いています。寺山修司、青島幸男、小沢昭一、筒井康隆、落合恵子、向田邦子等々、選者も曲者揃いで、楽しいとことです。(第1集も出ています)
もう一冊、入荷しました。「五・七・五交遊録」(白水社/古書2100円)ですが、俳句を専門にしている人の本ではありません。曰く「俳句をおかずに思い出ばなしのご飯を召し上がっていただく、というようなものだと思ってください。」著者が親交を結んできた多くの人々に贈った俳句と、その人へのオマージュを書き添えたハートウォーミングな一冊です。
「月冴ゆる大河に小舟出しにけり」
これ、三谷幸喜がNHK大河ドラマ「新撰組!」の脚本の準備を始めた頃の気持ちを詠んだものです。「初めて大河ドラマに挑む心境はこんなかな、と思って詠みましたが、本人は小舟じゃなく大舟のつもりだったかもしれません。」とユーモアを加えた解説も楽しいところです。
「本を読む人の歩みや春に雪」これ、いいなぁと思いました。
レイ・ブラッドベリの「華氏451」を映画化したF・トリュフォーのラストシーンから一句を作り、映画評論家の山田宏一に贈った作品です。