2020年冬、渋谷区幡ヶ谷のバス停を寝場所にしていたホームレスの女性が襲われて亡くなる事件が起きました。この事件を基に梶原阿貴が脚本を書き、高橋伴明が監督をした「夜明けまでバス停で」(京都シネマにて上映中)は、切実な映画でした。

主人公の三知子(板谷由夏)は、焼き鳥屋で住み込みアルバイトとして働いていました。決して職場環境は良いものではありませんでしたが、それなりに生活していました。しかしコロナ禍で、いきなり店は閉店、即刻解雇、その上退職金もピンハネされてしまいます。あてにしていた次の職場もやはり閉鎖。彼女は職も住む場所も一気に失ってしまいます。所持金は数千円。生理用品一つにしても、一番安く多く入っているものを必死で探して買わなければなりません。

行くあてのなくなった三知子は、最終バスが出た後のバス停のベンチを寝ぐらにします。「東京オリンピック」の旗がいたるところではためき、一方で多くのホームレスが街のあちこちに寝場所を作っているシーンが何度か登場します。偽物の繁栄の下、貧困生活を強いられる姿が対比して描かれます。

そこで三知子は公園を住処とするホームレスの、不思議な老人(柄本明)に出会います。かつて爆弾を作り、企業爆破をしていた男です。老人は、警察に捕まったとき、映画館で「仁義なき闘い第4部『頂上作戦』」を観ていたと話し出します。そして、その名ラストシーンを再現します。あ、これ、監督は意図的にやっているなと思いました。(ワタクシ、仁義なき闘いは繰り返し見ているのでかなり詳しいのです)

仁義なき闘いは、戦争に駆り出され、戦後は国に見捨てられて男たちの映画。主人公は、修羅場を生き抜き、てんでバラバラに弾ける組織をまとめようとしたものの失敗、刑務所に収監されるところがラストです。戦後のヤクザ社会を生きた男が、老いた身を振り返りながら、やはり刑務所に収監される同士から、長い刑務所暮らしを「辛抱せえや」と言われて映画は終わります。もし、こんな男が辛抱して真面目に社会に復帰したとしても、生きる道が残っていたでしょうか。きっとこのホームレスの男になっていたはずです。

本作品のファーストシーンは、バス停で眠る三知子の頭に、男がレンガを持って襲いかかるところから始まります。定石どおりなら、彼女に起こる悲劇へ突き進むのですが、監督は、安易な正義や社会的メッセージをかざすことをせず、また同情に走ることもなく、ささやかな連帯に希望に託します。そしてエンディングに登場する国会が爆破されるシーン。これは、彼女の妄想か、監督の怒りか。

社会の矛盾や歪みを、ズバリ直視した作品でした。オススメの一本です。

 

 

 

 

村上春樹が通っていた映画館の写真や大学在学中に読んでいたシナリオ、彼のエッセイや小説に登場する数多くの映画、そして小説を映画化した作品等に関する豊富な資料から、春樹文学と映画の世界を辿る「村上春樹映画の旅」(新刊/フィルムアート社2420円)。

監修は早稲田大学坪内博士記念演劇博物館で、ここで開催された「村上春樹|映画の旅」展覧会の公式図録です。全5章に分けられていて、第2章「映画との旅」では、小説以外の作品で言及してきた映画を取り上げ、第3章「小説のなかの映画」では、作品に登場する映画を調べ上げ、映画のワンカットやポスターなどを紹介しています。この二つの章を読んで、こんなにも映画作品が登場してきていたことに驚きました。もともと、シナリオライターになるつもりだったから、多くの作品を観て本の中に登場させていたのは当然かもしれませんが。

「1973年のピンボール」の「マルタの鷹」、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」における「第三の男」、「ノルウェイの森」における「卒業」、「国境の南、太陽の西」における「カサブランカ」等々、ハリウッド黄金期の映画がポンポン登場しています。最近の「騎士団長殺し」には、恐怖映画「シャイニング」まで出てくるみたいです。(すみません、読んでません)春樹の多くの作品から映画に言及している文章だけを抜き出しすなんて、並大抵の努力ではありません!

後半には様々な人たちによるエッセイが掲載されいますが、あ、これよくわかると思ったのが長谷正人による「サブカルチャーとしての村上春樹と自主映画」でした。

「1979年、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』が発表されたとき、私は大学一年生だった。それを読んだときの、あの新鮮な衝撃をどう説明したら分かってもらえるだろうか」

ハイ私も大学生でした。胸にグッと食い込んでくるとでもいうのか、この小説が運んでくるアメリカ西海岸的な雰囲気に酔っ払っていた気がします。数年後、大学をほっといて西海岸へ行ったのは「風の歌を聴け」のせいかもしれません。

春樹ファン、映画ファンに一読をお勧めします。

 

京都在住の絵本作家Junaida(ジュナイダ)は「Michi」、「の」、「街どろぼう」、「EDEN」と近年発行した絵本がいずれも高い評価を受け、人気も一気に高まりました。ヨーロッパ風の景色の中に出現するおとぎ話のような謎めいた世界。細密に描きこまれた人物が、鮮やかな色彩の中を泳ぐように動いてゆく様を描き出します。明るさと闇が共存する独特の世界観は、一度見たら忘れられません。

「IMAGINARIUM」(新刊/ブルーシープ3850円)と題されたこの作品集は、現在東京の美術館「PLAY!MUSEUM」で来年1月15日まで開催されている個展の公式図録です。

14歳の時に耳に飛び込んできたパンクロックの影響が今も続き、エレキギターが絵筆に変わっただけで、そのパンクのスピリットは今も一緒だと彼は言います。

「Junaidaの絵をパッと見て、いわゆるパンクを思い浮かべる人はあまりいないかもしれないけど、こういうパンクの表現もあるんだなって、だんだん理解を深めてもらえたら嬉しいです。これまでオマージュしてきた宮沢賢治だって、ミヒャエル・エンデだって、僕にとってはパンクスピリットをビリビリ感じるシビれる存在です。」とインタビューで語っています。

もともと、パンクはサッチャー政権下のイギリスの下層階級の若者たちが、社会への怒りをぶちまけた音楽です。音楽業界からはバカにされ、孤立無援になりながらも、自らの音楽だけをやり続けたミュージシャンたちのスピリットは日本にも輸入され、大きなムーブメントとなりました。不協和音と暴走するメロディーがJunaidaの絵と結びつくかといえば、そうなの?と首をかしげる人も多いかもしれません。しかし、妙にねじれた空間や、可愛らしさを兼ね備えつつ、奇怪な形態にデフォルメされた作中人物や背景を眺めていると、私たちの心の中にある既成概念を吹っ飛ばす力があると思います。

一見すると、可愛らしい少女や少年たちや動物たちが、私たちを見たこともない世界へと連れて行ってくれるのです。その魅力が本書から伝わってきます。

「代表作の『モモ」や『はてしない物語』はもちろん大好きですけど、影響されたとはっきり自覚しているのは『鏡の中の鏡ー迷宮』です。この作品には答えや正解のようなものが一切なくて、読者の数だけ合わせ鏡の世界が増殖していくような、なんともいえない不思議な魅力があります」

そして彼は「 EDEN 」を発表します。「本の中で絵と言葉が立体的に共鳴し合う、特別な本になりました」とインタビューで答えています。

これを機にJunaidaを知らない方は、ぜひ彼の絵本を手に取ってください。「街どろぼう」「Michi」「EDEN」を店頭に置いています。

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久々にミニマリズムに徹した映画に出会いました。登場人物は4人ほど。舞台は森にある二軒の家。音楽もなし。そして上映時間は約80分。減らせるものは全て減らしたような映画「秘密の森の、その向こう」(アップリング京都にて上映中)です。

味も素っ気もない家に佇む二人の少女を捉えるだけの映画といっても過言ではないのですが、その映画に流れる時間の豊かなこと。恐ろしく端正な美を生み出す全てのカットに、セリーヌ・シアマ監督の魂が宿っていると思います。

不思議な物語です。8歳の少女ネリーの大好きだった祖母が亡くなります。このシーンも病院の空のベッドをワンカット見せるだけ。ネリーと母親は、家財の整理のために森の奥にポツンと建つ祖母の家を訪れます。しかし、祖母の持っている品々を見るにつけ、その思い出に苦しめられる母親は不意に姿を消します。これも父親の「お母さんは出て行った」の一言だけで描かれます。

一人残されたネリーは、母親が幼かった時に遊んだ森に出かけます。そこで、同い年の少女に出会います。彼女の名前はマリオン。ネリーの母親と同じ名前です。マリオンはネリーを自宅に誘います、ここも森にポツンと建っている家で、ネリーの家同様なんの装飾もない家です。そして、そこで彼女はマリオンの母に出会います。それはネリーのおばあちゃん。

マリオンはネリーの母親の幼い姿であり、ネリーは、会えるはずのない幼少の時の母と仲良くなっているのです。え?なにその話??でもそれはあくまでも象徴的な存在でしかありません。

祖母、母、娘の三代にわたる女性の救済が根底にあると思います。監督は、そのテーマを削いで削いで作り出した映像で届けてくれました。まるで宝石のような映画です。一緒に森を走り、ボートで湖に乗り出し、二人でご飯を作る。それだけなのに、とても心が穏やかになる不思議な映画です。

コラムニストの山崎まどかが「幼心だけが理解できる悲しみがあり、かけてあげられる優しい言葉がある。二人の少女の交流に、こんがらがった関係のままでいるたくさんの母と娘が救われるはず。」とコメントを寄せています。

本日は京都三大祭りの一つである「時代祭」です。当番が回ってきた町内では、朝早くから大忙し。古式豊かな飾りをつけた馬が、近所の公園でスタンバイ。街の中を馬が歩くなんてなかなかお目にかかれない風景です。幼なじみが行列に参加するというので、公園まで見に行った女房が、写真を撮ってきました。

さて、今回は馬の本をご紹介いたします。戸張良彦(写真)、鎌田武雄(文章)による「どさんこの夢」(共同文化社/新刊3300円)です。

こんな牧場あるのか!と驚きました。

「北海道の十勝・芽室町、日高山脈、剣山の麓にその牧場はあります。 80haを超える広大な草原と森林。そこには100頭近くの馬が放牧され、馬達は自分達の社会を保ちながら、いつでもそこを訪れる人間たちを歓待し、希望すればその背に乗せて山を登ってくれる。それが乗馬経験者でも未経験者でも、観光にやってきた子連れの家族でもカップルでも、東京のIT企業の社長でも、一人でやってくる私のようなサラリーマンでも。 並みの牧場や乗馬クラブではありえない、馬にとっても人にとっても楽園のような自由で広大な戊放牧場『剣山(ツルギサン)どさんこ牧(マキ)』」

もともと外資系企業の営業をされていた著者の鎌田武雄さんは、ご本人によれば、この牧場と出会ったことで、それまでの価値観が一変したとか。

写真は春夏秋冬それぞれの季節の中で、走り、眠り、仲間と寄り添う馬たちを捉えています。こんなに接近して大丈夫?と思われるアップ写真の中には、どう見ても笑っている顔がありました。どこにも柵が見えず、自然の中で自由気ままに暮らしている彼らの、生きていることが楽しいという表情がありありと浮かんでいます。

ところで、「剣山どさんこ牧」の名前の後に付いている「牧」という言葉ですが、古代から軍馬や牛を放牧し、飼育する場所を「牧」と呼んでいたそうです。ここで放牧されているどさんこ馬は、乗馬に適さない頑固な性格を人とうまくやってゆく温和な性質を育てるために、十数年かかって馬の選抜、繁殖、育成を繰り返してきたそうです。ゆっくりと育て上げられた馬は、どんな初心者でもホーストレッキングに連れて行ってくれるまでになりました。

この広大な馬と人の楽園をたった一人で作り上げたのは、川原弘之さん。川原さんと帯広在住の写真家戸張良彦さんと鎌田さんで作り上げた素晴らしい写真集です。ここに行ってみたい!写真集を見ながら思いました。

 

知床財団とは? パンフレットにはこう書かれています。

「知床財団は1988年の設立以来、野生生物の調査や対策、森づくり、国立公園利用の適正化、環境教育など様々な事業を通して世界遺産知床の生態系と生物多様性の保全、そして自然と人がともに生きる知床を目指して活動している公益財団法人です。」

ワシの巣の調査、野生動物の保護、クマの調査、シカの頭数調査など幅広い活動をしています。この夏、知床斜里町にある「知床自然センター」にお伺いしたことは、ブログにも書きました。

その時に、知床財団の山本さんとお話をする機会があり、財団および自然センターを多くの方に知ってもらうために、センターで販売されているグッズを当店で販売することになりました。オリジナルロゴバッジ、ステッカー、ハンカチ、ロゴバック、そして北海道に生息する動物を表紙にあしらった「シレトコ野帳」などです。

「シレトコ野帳」は、表紙に日本を代表する動物画家田中豊美氏の線画を高精密な箔押しで再現したもので、スケッチやメモ帳に自由にお使いいただけます。表紙の動物は、エゾシカ・エゾタヌキ・ヒグマ・キタキツネなど7種類から選んでください。(605円)自然に関心のある方へのプレゼントにも最適です。

センターに案内してくださったのは、知床在住の絵本作家のあかしのぶこさん。先月、当店で3回目の個展をして頂きました。もともと、福音館から出ていた彼女の絵本「しれとこのきょうだいヒグマ ヌプとカナ」、そして新しい絵本「しれとこのみずならがはなしてくれたこと」も、財団オリジナル絵本としてハードカバーで再発行されました。

「ヌプとカナ」は、親子のクマの暮らしを通して、人間とクマの悲しい関係を描いています。そこから、今後私たちは彼らとどう共存してゆくのかを示した素晴らしい一冊です。都会にクマが出た、怖いですね!的な報道しか流さないメディアの姿勢に疑問をお持ちの方にも、ぜひ読んでほしい絵本です。知床自然センターのグッズと並べて販売しておりますので、ぜひ手にとってご覧ください。

 

2023年ARKカレンダーを販売しています

動物保護団体ARKの来年のカレンダーが到着しました。壁掛けタイプ(1200円)、机上タイプ(1000円)です。売上は全てARKにお渡しいたします。

 

 

 

小川洋子最新の短編集です。(集英社/新刊1815円)ただただひれ伏すしかない、というのはちょっと大げさかもしれませんが、どの作品もう〜んと唸りながら読み終わりました。彼女の文学的境地の最高地点だと思います。

全て「舞台」がテーマにはなっていますが、没落した役者の人生とか、ステージを駆け上がる役者たちの群像とかいうような直球ど真ん中の物語はありません。動物をテーマにした「いつも彼らはどこかに」でも、ストレートに動物を主役に据えることはなく、極めて変化球的な物語で私たちを幻惑させてくれた作家ですし。

金属加工工場で働く父親を待っている幼い娘が、工場の片隅に散らばっている工具や部品を使って、バレエ「ラ・シルフィールド」を作り描く「指紋のついた羽」。歯医者で埋め込まれたブリッジから小さな生物が生まれてくる「鍾乳洞の恋」。自室で死亡した一人暮らしの女性の、ベッドの下から出てきた得体の知れないものを描く「花柄さん」など、幻想と恐怖という初期の小川洋子が持っていた世界を巧みに持ち込みながら、他人には理解できないような孤独を描き出していきます。ある種の異様な設定が、異様で終わることなく究極の美に昇華してゆくところが、彼女の真骨頂でしょう。

極め付けは、「装飾用の役者」です。金持ちの老人が広大な自宅内に建てた劇場に役者として雇われたコンパニオンを生業とする女性。しかし、女性はその舞台で演技をするのではありません。

「私は装飾用の役者でした。そこは劇場ではありましたが、正式な意味でお芝居が上演されることはありませんでした。劇場もまた、装飾です。」

「舞台の上に、いるだけでいいのです。そこで、生活するのです。」そして時たま、オーナーの老人がやってきて、いつもの席に座って舞台の上の彼女を見つめるのです。

「私の一日は全く、退屈の一言です。もっとも重要な役目が、舞台に存在すること、ただその一点なのですから、どうしようもありません。舞台のスペースは私のアパートより広いものの、ずっとそこに閉じこもっているとなれば話は別です」

グロテスクな設定なのですが、舞台をこんな風に捉えた小説って多分なかったと思います。食い入るような老人の視線、黙って舞台で生活する彼女の観られ続ける時間を静かに描いていきます。

「いけにえを運ぶ犬」の主人公の男は、偶然に行くことになった音楽会で始まったストラヴィンスキーのバレエ組曲「春の祭典」で聞こえたファゴットの音で、小さい町に来ていた「馬車の本屋」を思い出します。正確には馬ではなく、大きな犬に引かれた本屋なのですが、そこでの少年の日々。「春の祭典」の主要なモチーフの一つでもある「いけにえ」というテーマを見事に小説に仕上げた傑作だと思います。「春の祭典」を聴きながら読んでみてください。

異次元への扉を開く舞台という世界。そのライブ感の高揚と、終わった後の空虚な気持ちをもたらしてくれるような気がします。何度も繰り返しますが、傑作です!

 

本日から「S &S glass exhibition  サイトウガラス店とglassジョネの二人展」が始まりました。

まるでキャンデーのようなガラス作品は、箸置き。なんと本屋の展覧会用に、小さな本の形になっているんです!(写真右)透明感がありつるんとしたガラスの微妙な色合いが可愛い。ゆる〜い形に優しい色で、使い方もその人に委ねるような、サイトウさんの独特のセンスが光っています。そして、ジョネさんのお皿や器(写真上)、箸置き、アクセサリーなどは、色ガラスの組み合わせがしゃれていて、食器はたくさん持っているはずなのに、もう一つ、とつい手が出てしまいそう。同じ大学で、ともにガラスを学んだ二人の展覧会は、深まっていく秋に思いをはせる暖かな雰囲気に満ちています。

ガラスの作品は、ホットワーク・コールドワーク・キルンワーク、と大きく三つの方法で作られるのだそうです。ホットワークは、溶けたガラスを直接扱うもので、吹きガラスなどはこれです。コールドワークというのは、冷たいガラスを削ったり磨いたりして作ります。そして今回のお二人の作品はキルン(窯)ワークと言います。電気窯の中でガラスを溶かして型に流し込んで作ります。割れたり、ムラができたりと、溶ける温度がガラスの種類によって違うので、何度でどのくらいの時間をかけるのか温度管理が難しいということです。そして、それら三つの方法を合わせて作る作品もあります。

経験を重ねて出来上がったガラスたちは、しかしそんな苦労を顔に出さず、ニコニコ笑っているように見えます。ガラスは、どちらかというと夏の展覧会が多いように思いますが、秋からクリスマスに向かう時期にもぴったり合うことがわかりました。レティシア書房でも久しぶりのガラス展をぜひお楽しみくださいませ。作品は全て販売しています。ちなみにS &S glass exhibition  のSは、サイトウガラスさんの頭文字と、glassジョネのカメダサチエさんの名前の頭文字から。(女房)

「S &S glass exhibition  サイトウガラス店とglassジョネの二人展」は10月19日(水)〜30日(日) 月火定休 13:00〜19:00(29日のみ18:00まで)

 

 

 

吉川トリコは、1977年静岡県生まれ、2004年に「ねむりひめ」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞しました。その後、順調に作品を発表してきましたが、私がこの作家の名前を覚えたのは、21年に発表された「余命一年、男をかう」でした。タイトルの奇抜さに惹かれて、読もうと思っていたのに機会を逸してました。

今回、初めて読んだ新作の短編集「流れる星をつかまえに」(新刊/ポプラ社1760円)は、一言、強烈に面白い!作品集です。

本の帯にブレディみかこが「本作の根底にあるのは、やりたいことはやっちまえというエネルギーだ」と推薦の言葉を寄せています。さすが、ズバリ言い切ってますね。

様々な人が登場します。家族の仲が上手くいかず、自分の人生に疑問を持っている母親。16歳になるまで、自分が在日韓国人だと知らなかった姉妹。ある日突然ゲイであることに気づき、葛藤する高校生。自分の子どもを持てなかった母親などが登場人物です。設定は極めて現代的で、それぞれに、そう簡単に解決の糸口は見つからない問題を抱えた人たちばかりです。

その人たちが一歩を踏み出す瞬間を、「やりたいことはやっちまえ」みたいに応援する物語です。

「わやなこと言っとってかんわ。こんなおばさんらがでかいケツ振って踊るとこ見てだれが喜ぶの」というのは、オープニングの「ママはダンシング・クイーン」。爆笑ものですが、みんなシビアな状況で生きているんだということがわかってきます。ここには中途半端な癒しや、意味のない希望はありません。でも、暗いトーンの小説かといえばそうではないのです。ままならない日常を吹っ切り、ちょっとだけ変速モードで生きようとしている姿が爽快です。

また、最後を飾る「プロムへようこそ」は、女子高生の”明るい反乱”を扱った物語ですが、とても映画的な感覚の、素敵な青春小説でした。

なお、第一回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門を受賞した「流産アルアルすごく言いたい」を収録した「おんなのじかん」(古書/1200円)も店に置いています。この中の「名古屋の嫁入り いま・むかし・なう」の章(著者は名古屋在住)で、「新郎からは『一生食べるのに困らせない』、新婦からは『一生おいしい料理を作ります』の意味を込めてウェディングケーキをたべさせあうファーストバイトなど、まさに憤死しそうな謎演出である。(中略)ここまで旧来の強固に結晶化した儀式が今もしぶとく生き続けている現場は、他に類を見ないように思う。」と書かれていて笑いました。

 

 

 

プーチン憎し=ロシア憎しという単純な思考回路にならないために、この本を読んでみてはいかがでしょうか。(新刊/イースト・プレス1980円)

著者の奈倉有里は1982年生まれ。2002年、ペテルブルグの語学学校で学び、その後、モスクワ大学予備科を経て、ロシア国立ゴーリキー文学大学に入学。2008年、日本人として初めて卒業、「文学従事者」という学士資格を取得して帰国後多くのロシア文学を翻訳しています。

本書は「高校一年の秋になんとなく、自分もなにか英語以外の言語がやりたいと思った」頃から始まり、単身ロシアに向かい多彩な人々とのエピソード、そして奥深いロシア文学への探求をまとめた本です。サブタイトルに「文学を探しにロシアに行く」とありますが、文学の入門書ではありません。

「新しい言語を学ぶーその魅惑の行為を前に、人は新たに新たに歩きはじめる。母語ではとうにありふれたものになっていたものごとを、もうひとつの言語の世界でひとつひとつ覚えるたびに、見知った世界に新しい名前が付いてゆく」

そのことを徹底的に楽しむために、彼女はエイッ、ヤッ!とロシアへ旅立ちます。もちろん初の海外渡航です。「『知らないところへ来た』不安と一緒に、なぜだか『故郷に来た』という錯覚が共存していた。」というのが、マイナス30度のペテルブルグに降り立った第一印象です。

様々なエリアから集まってくる学生や海外の留学生に混じって、彼女の大学生活が始まります。その様子をビビッドに描いています。政治体制や宗教の違いに戸惑い、ウクライナがロシアより劣っていうという考え方に疑問を持ち、まだまだ市民生活が貧しかった時代のロシアで四苦八苦しながらも、学究生活は続いていきます。

「最新の家電どころか洗濯機もなくお金もなく、部屋には『兵士式』の粗末な二段ベッドしかないけれど、『言葉』だけはいくらでもあり、朝から晩まで本を読んだり議論したり、全身を耳にして講義を一語一句聞き取ったりする日々が、いつにまにか充実した幸福の連続に思える」

若い時にこんな幸せな時間を過ごせたことが、その後の彼女の生き方を方向づけていきます。ロシア語とロシア文学を愛してやまない彼女は、現在のウクライナ情勢を念頭にしてこう語っています。

「人には言語を学ぶ権利があり、その言葉を用いて世界のどこの人とでも対話する可能性を持って生きている。しかし私たちは与えられたその膨大な機会のなかで、どうしたら『人と人を分断する』言葉ではなく『つなぐ』言葉を選んでいけるのか その判断は、それぞれの言葉がいかなる文脈のなかで用いられてきたかを学ぶことなしには下すことができない」

「つなぐ」言葉。とても響きのいい、私たちが忘れてはならない言葉です。

なお、著者は宇治市が主催する紫式部文学賞を本書で受賞しています。