今日は鉄道開業150年の記念日とか。横浜・新橋間を初めて汽車が走ったのですね。それに引っ掛けた訳ではないのですが、ちょっと、いや、もしかしたらかなりレアな2冊の本をたまたま入荷しました。

1冊目は、”描き鉄”の本間淳子さんの鉄道画集「railroad book vol.1」(ミニプレス/1900円)です。「いつのまにか心の拠り所になったローカル線の一人旅。『描き鉄』と呼ばれるようになったスケッチ集です。いつか消えるであろう小さな駅を1日でも存続させたい思いで作品集にしました。」

津軽鉄道ストーブ列車、函館市内電車、わたらせ渓谷鉄道、三陸鉄道、富士急行など、写真を撮り、メモをして、切符やパンフレットをノートに貼った記録(本の最後にスクラップ帳が載っていて、これが楽しい)と、旅の印象をもとに描かれた絵が並びます。

新幹線や、豪華特急の華やかな舞台装置はここにはありませんが、大都会を一歩外に出れば、日本中どこにでもローカルな風景が広がり、そこに暮らす人々を運ぶ鉄道が走っている。その風情は、私たちの旅情を誘います。JR只見線「会津川口駅」に停車するディーゼル列車(写真右)。ホームには雪が降り積もり、静かな風景が心に染みます。

私も乗ったことがある函館市電。坂の多い市内をゆっくり走る電車内から見える風景を思い出しました。またこの市電が、かつて京都市内を走っていた市電に似ていて、京都駅近くで育った私は、幼い頃どこへ行くにも市電に乗っていた記憶が蘇りました。

今回、本と一緒に原画も2点飾っています。「富士急行『フジサン号』2000系」と「小湊鉄道 養老渓谷駅キハ200系」です。ぜひご覧ください。なお原画は販売しております。どちらも額込み40000円です。

さて、もう一冊は山宮喬也「北海道の駅舎たち」(バルクカンパニー/新刊2750円)です。こちらはおよそ600ページに及ぶ大著で、北海道の駅舎を全てボールペンで描いた、数百点の「駅舎画」と著者の短い文章が収められています。

函館本線赤井川駅の絵には、こんな文章が添えられています。

「人家のほとんどない所にひっそりと置かれた赤井川駅。付近の川が赤く濁っていたという地名が駅名に。箒と塵取が置かれ、よく整頓されています。静寂の中で孤独感を漂わせている姿が印象的です。」

また、駅名の横には、その駅が開かれた年月日が書かれています。赤井川駅の場合、明治37年10月15日です。きっと、当時は多くの人で賑わい、人や荷を運んだことでしょう。

釧路から網走を結ぶ釧網線には、何度か乗ったことがあります。原生林を掻いくぐって、オホーツク沿岸を走り抜け網走まで向かう車窓は見飽きることがありません。釧路湿原駅、塘路駅、五十石駅、標茶駅、五稜郭駅そして新しくなった知床斜里駅。こんな感じの駅だったなぁ〜と旅を思い出しました。

「訪問した駅舎たちの多くは、都市部や主要駅を除けばいずれも簡易、粗末、無人という状況にありました。悄然と佇む小さな駅舎に何度も心が痛みましたが、多くは利用客や地域の暖かい愛情の中で懸命にふるさとの玄関口たらんと頑張っている姿に感動を覚えました」と、駅舎への思いを書いています。

廃線、あるいは廃駅になってしまうかもしれない運命の列車や駅舎を眺めながら、旅への憧れを募らせるステキな作品集です。

 

 

 

大阪発のミニプレス「IN/SECTS」(1870円)最新15号の特集は「家事」です。

「そもそも家事ってどういうもの?という疑問をもとに、もっと広義に、家で行うことで全て=家事と拾え直し、建築家、料理家、写真家、映画監督、漫画家、店主、商売人、主婦、子どもなどなどさまざまな職業や立場の人たちと考えてみた。 そうすることで内向きなりがちな行為がむしろ四方八面へと無限の広がりを感じさせてくれるのでは?と。」

ということから作られた一冊だけあって、ユニークな企画が並んでいます。例えば「職✖️家事」。家事と職業は切り離された関係だと思いがちですが、うまい具合に職の一部に取り込んでいる5人が紹介されています。

料理家・文筆家の高山なおみ、映画監督の今泉力哉、写真家の平野愛、建築家の家成俊勝、漫画家のスケラッコとお馴染みの面々が並んでいます。

スケラッコさん曰く「家事があまり好きではないとは言え、やっていないと日常的な出来事を漫画に描く時には現実感が出なくなってしまうので、作品には活きていると思いたいです。全く家事をしないような生活だったら、描く内容も今とは違ってくる気がします。自分の作品を描くにあたっては、家事も大事かな、と。」

「教えて!お宅の家事分担」では、「誠光社」の堀部夫妻が登場。育児について堀部篤史さんは「自分達2人だけじゃない環境を作ることは優先的に考えるってことかな。だから、(経済的に)楽とはいわないけど、今の環境はいいと思います。」と語っています。お店に行った時に、時々お嬢さんにも会いますが、いつもなんか楽しそうです。

「家事」の本というと、ハウツーもの、もしくは、お固いものになりそうですが、これは面白い。

もう一冊同社の本をご紹介します。「(保存版)いいお店のつくり方」(新刊/2200円)。もともと「IN/SECTS」の過去の号で「いいお店のつくり方」として何度か特集したもので、そこで取り上げられたお店を、2022年に再度取材し、いい店の「いい」をひもときます。

選ばれたお店は、書店、飲み屋、銭湯、レコードショップ、カフェ、フランス料理店など17店が登場します。店主の開店までの道程や店への思いなどが語られていきます。

特別寄稿で吉本ばななが、「地上の天国」と題して、「いいお店は地上の天国だ」と書いています。そんな風にお客さんに言ってもらいたいものです。

 

 

 

 

京都から新幹線と山陽線で約1時間半。尾道市立美術館で開催されている「隙あらば猫 町田尚子絵本原画展」(11月6日まで)に行きました。尾道駅から少し歩いて、ケーブルカーに乗ると、小高い山の上に建っている美術館(安藤忠雄建築)入り口のウィンドウには、早速猫の彫刻がお出迎え。(写真・左)

「画家・絵本作家の町田尚子は、絵本の物語を繊細なタッチと大胆な構図で描くことで、その文章が生きる空間を表現し、高い評価を受けています。そうした町田の絵本には、所々に猫の姿が表されています。

町田の座右の銘は、『隙あらば猫』。童話や遠野物語、怪談絵本など、様々な物語の中で、猫を主人公として、時に脇役として登場させています。描かれた猫たちは、毛並みから仕草まで綿密に表現され、猫と共に暮らす町田の観察眼の鋭さ、そして猫を慈しむ眼差しが感じられます。」と、美術館に、この絵本作家の特徴が書かれていました。

原画を観れば、そのことがよくわかります。見れば見るほど、繊細なタッチに魅かれます。

「ネコヅメのよる」(新刊/岩崎書店1650円)や、「ねこはるすばん」(新刊/ほるぷ出版1650円)の大胆な展開にも驚きますが、京極夏彦原作の「いるのいないの」や、柳田國男の原作を元に京極夏彦が文章を書いた「ざしきわらじ」などで見られる日本家屋を捉えたアングルなどは、極めて映画的で、大好きです。因みに右の写真は、尾道の商店街に吊り下げられた大きな旗で、「猫はるすばん」のワンカットです。

本作品展では、デビュー作から最新作までの絵本原画や挿画、タブロー、それにラフスケッチなどの制作資料も見ることができます。

 

展示室から出ると休憩できる場所があり、そこからは瀬戸内の海を見渡すことができました。京都を出る時には少し曇っていたのですが、秋らしい青空が広がり、素晴らしい眺望を楽しみました。

☆最近刊行された「町田尚子画集 隙あらば猫」(新刊/青幻舎2750円)は売行き好調で、残りが少なくなってきました。お早めに!

こういう企画展が関西に来ないのは残念です。10月2日まで東京「PLAY MUSEUM」で開催されていたクマのプーさん展の公式図録が、近年優れた美術展カタログを発行しているブルーシープ社から出版されました。(3850円)

「クマのプーさん」は、1924年から数年間イギリスとアメリカで出版された2冊の詩集と2冊の物語です。詩集は「クリストファーロビンのうた」(古書1400円)と「クマのプーさんとぼく」(古書900円)。物語の方は「絵本クマのプーさん」(古書900円)と「プー横丁に立った家」(古書1650円)になります。英国人作家A.A.ミルンが文を書き、画家であるE.H.シェパードが挿絵を担当しました。

 

我が国では戦時中の1940年に石井桃子の翻訳で世に出ました。戦時下に出したというのが驚きです。

この展示会図録は、シェパードが50年代から60年代にかけてアメリカの出版社のために書き下ろした100点の原画を収録しています。岩波書店から出版されている「絵本クマのプーさん」、「プー横丁に立った家」に絵が多数使用されています。

本書に収録されている「森のなかを行こう」で、梨木香歩が、「森のなかを行こう 暗いところや明るいところ、風がびゅうびゅう吹くところ、小川が優しく流れるところ ほら プーが戸口で待っている」とプーの住む百町森の素敵な雰囲気を書いています。

プーとその仲間たち、そしてみんなに慕われているクリストファーロビンが、心地よい風が吹いて、どんな季節も楽しい森へと誘います。読者の心をグッと掴む絵が、すっとプーの世界へと導いてくれます。すっとぼけた感じのプーを見ていると、心の底から笑いが出てきます。

図録を見ていて、詩集の2冊に興味が湧き、早速仕入れました。子供向けの詩集なので、誰でもが楽しめます。差し込まれるシェパードの絵が軽妙で、とても動きがあって、本全体に楽しいリズムを作っています。楽しい2冊です。

 

 

「私はイラストレーションを描く時にホリゾン(水平線)をよく使います。紙の上にホリゾンを一本引くと、絵に安定感が生まれるからです。ホリゾンを引くことで、例えばコーヒーカップはちゃんとテーブルの上に載っているイメージを出せるし、花瓶なら出窓の張り出しに飾られているイメージを出せる効果があるのです。

そして、紙にホリゾンを引く時、なぜかいつも千倉の海の水平線が目に浮かぶのです。海は水平線があるから海としての存在感を表しているのだと思います。千倉の海は、私のイラストレーションの中でも脈々と息づいているのです。」安西水丸著「一本の水平線」(新刊/クレヴィス2200円)のトップページに書かれた言葉です。

安西の作品を特徴づけているホリゾンは、彼の故郷の海の水平線を描いていることがわかりました。

本書は、膨大なイラストレーションから70点を選び、彼が残した言葉を添えた作品集です。都会的で、ユーモアとノスタルジーがあり、明るいようで寂しいような作品が並んでいます。

「絵の魅力は上手い下手ではない。描いた人にしか出せない味が大切だ」

彼の絵は、この人にしか出せない味は、どの作品にも充満しています。簡単そうに見えて計算尽くされた色と構図。鮮やかな色彩で、ふわりと描かれた家の中にある様々な小物たち。ふと動きそうな気配がします。何よりも描き手が心底楽しんでいるように見えるのが素敵です。

中学校の卒業直前まで過ごした千倉の海を想い、「海」というタイトルで書かれた文章。当時の千倉はひなびた地域で、名所旧跡のなく、図書館も映画館もない文化的には何もない場所だったそうです。あるのは、海と豊かな自然だけ。でも「こうした自然以外に何もない環境が私の想像力や美意識を育んでくれたのだと思っています。」と書いています。

もし、パリやマドリードで育っていたら、ルーブル美術館やプラド美術館で、一流の絵画作品の接する機会があったはず。千倉にはその代わり、本人曰く「一流の海」があったのです。

「一流の海を見て育ったということは、パリやマドリードで一流の絵画に接して育ったのと同じ環境だと私は思っています」

安西の創作の原点は、ここにあったのか。

出版社クレヴィスは、「作品集『イラストレーター安西水丸』」「漫画『青の時代』」「漫画『完全版普通の人』」と、質の高い安西の本を出してきていますが、本書もそんな一冊になると思います。

 

やっと読破した!エライ!と自分を褒めたくなってきます。滝口悠生の長編小説「水平線」(新潮社/新刊2750円)は、全500ページの大長編で、改行も少なく、びっしりと字が詰まっている。読もうか、やめようか迷ったのですが、これは読んでよかった!と心底思える小説でした。

横多平と妹の横多来未は、それぞれ2020年自分たちのスマホにかかってきた不思議な電話を受け取ります。フリーライターでなんとか食っている平は、全く会ったことのない祖母の妹、八木皆子という名前で送られてくる「お〜い、横多くん」で始まるメールに誘われるように、小笠原諸島の父島へと向かいます。太平洋戦争末期、彼らの祖父母は、疎開で故郷の硫黄島を離れていました。もう亡くなっているはずの皆子のメールが偽物である可能性は高いのに、なぜか彼は父島を彷徨うのです。

一方、妹の来未はパン職人として独立を考えています。そんな彼女の元にかかってきたのは祖父の弟と名乗る三森忍からでした。しかし、彼は日本軍に現地徴用されて戦死しています。

「相手は七十五年前に死んだ十五歳の少年であり、まずもってそんなひとからちょこちょこ電話がかかってくることじたいが怖いのだが、かかってきてしまうものはかかってきてしまうし、応えて話せば話せてしまうもので、三森忍さんの言う通り、電話というのは本当に便利だと思う。」などというダラダラした状態で、世間話を続けていきます。

一歩間違うと怪談になってしまう設定ですが、そこから祖母イクや祖父の弟の同級生の重ルが登場し、交互に自分たちの生きた歴史を語ってゆきます。それはそのままこの国の現代史の姿へと繋がっていきます。

今ここにいない者たちが、電話で、あるいはメールという実態のないものを介して、現代に繋がる存在として登場し、語らせるという手法で小説は続いていきます。細密な描写は、まるでドキュメンタリー映画の優れたカメラワークを見ているようでありリアルなのですが、魔術のように立ち上がる、戦争を生きて死んでいった者たちのモノローグに幻惑させられていきます。

こういう書き方をすると、多重的な意味を持たせた言葉や複雑な構成を持つ幻想文学の洪水に遭遇するのではないかと、躊躇されるかもしれませんが、そんな心配は全くありません。極めてリアルにリアルに描かれた世界に、ふらりと現れる死んだ者たち。この一家の人生が交差していきます。図書館で借りてでも読むべし!

 

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チベット高原の野生動物保護区にいると言われる幻のユキヒョウを探すため、野生動物写真家ヴァンサン・ミュニエと、作家で地理学者シルヴァン・テッソンの二人の旅を撮ったドキュメンタリー映画「ベルベット・クイーン」(アップリング京都で上映中)。期待していた通りの出来栄えに感動しました。

圧倒的に厳しい自然がスクリーンに映し出されます。映画を観る前は、ユキヒョウとここに住む野生動物を追いかける作品だと思っていたのですが、ヴァンサン・ミュニエとシルヴァン・テッソンの姿がテーマでもあるのです。異なる世界に生きるこの二人の邂逅と人跡未踏の地への過酷な旅をカメラは捉えていきます。二人は、できるかぎり、野生動物の域に踏み込まず、向こうから現れるのを待ち続けます。ヴァンサン・ミュニエが「そもそも僕ら2人の組み合わせがうまくいくという確信すらなかった」と語っています。

平均標高4500メートルの高原が広がる大地は乾き、広大な風景が広がっています。撮影に参加したのは、二人とアシスタントディレクターと監督のマリー・アミゲの4人のみ。自然に与える影響を考慮しての撮影クルーです。3週間に渡る長期滞在を2回、数日間の滞在を何度か実施して、荒涼たるこの大地に住む動物たちの姿をフィルムに収めました。マヌルネコ、チベットスナギツネ、ナキウサギ、チベットヒグマなど。

しかし、ユキヒョウはなかなか姿を見せてくれません。撮影終盤のある朝、ついに奇跡は起こります。その時の様子をヴァンサンはこう語っています。

「最後の数日に、ユキヒョウが現れたんだ!洞窟の寝袋から出たら、ユキヒョウが前日に仕留めた獲物を食べていた。その姿を目の当りにした時は言葉を失ったよ。もちろん、事前に仕込めることではない、本当に驚きだった。」

カメラは二人の表情を捉えます。ヴァンサンのその時の顔はどこまでも優しく、ユキヒョウへのリスペクトが溢れていました。そしてユキヒョウも、ヴァンサンのカメラをじっと見つめるのです。もちろん決して理解し合える間柄ではなく、お互いに境界を保ちながら、ほんの一瞬、ユキヒョウが彼を認めたように感じました。そしてユキヒョウは、ヴァンサンのカメラを通して、私たちの方をじっと見つめてきます。

厳しい自然の中で、今ここに生きているものの覚悟を見せて、映画は終わりを迎えます。そのことの重みと美しさが胸に染み込みました。フランスセザール賞長編ドキュメンタリー最優秀賞を獲得しています。

 

 

レティシア書房のギャラリーコーナーである白い壁には写真展が似合うようで、個展に使っていただくことが多いのですが、もしかしたら「本」との相性がいいのかもしれません。今日から始まりました桟敷美和さんの写真は、季節にも合って、ひんやりした空気が流れこんできたような素敵な展示になりました。

キラキラ輝く波、波打ち際の光と陰、汀にひっそり佇む鳥の姿。「あわい」と題したこれらの有明の海の連作からは、不思議と波の音が聞こえてこないのです。それは、生きてる世界と続いているけれど違うところ、「彼岸」に通じる海なのかもしれないと思いました。音楽のない映像を見ているような感じが、なぜかここちよい。海をテーマにしていない作品にも、ゆったりした時間が流れていて、今と昔が静かにつながっている、なんというか安心感みたいなものを感じます。

桟敷さんは熊本県出身。京都嵯峨美術短期大学を卒業後、ホラー系の漫画を描いています。個人的にはホラーは大の苦手なのですが、桟敷さんの不思議な漫画を実は初めて読んでみて、この作家は、生と死の間(あわい)に惹かれているのだと実感しました。写真から感じたものは、的外れではなかったんだと思いました。

以前、カフェギャラリーでの、猫とおじさんをテーマにした写真展に伺ったことがありました。今回も桟敷さんの飼い猫の写真が、(小さく)飾られています。そういえば、猫も時々遠い目をして、向こうの世界を見ていることがありますよね。(女房)

 

「桟敷美和写真展 」10月5日(水)〜16日(日)        月・火定休 13:00〜19:00

 

 

 

 

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イランを代表する映画監督アッバス・キアロスタミ。「友だちのうちはどこ?」「そして人生はつづく」「オリーブの林を抜けて」などの傑作をご覧になった方も多いと思います。癌のため、2016年に療養先のパリで76歳の生涯を閉じました。

1970年に詩人のアフマド=レザー・アフマディーが文章を書き、キアロスタミが絵を描いた「ぼくは話があるんだ、きみたち、子どもたちだけが信じる話が」(新刊2310円)と、絵本「いろたち」(新刊1650円)が発売されました。

「ぼくは話があるんだ、きみたち、子どもたちだけが信じる話が」は、幻想的でとても美しい文章と、センスの良いコラージュで出来上がっています。

ぼくは、兄へ宛てた手紙を書きます。しかし、ぼくは手紙をそのままにして、友達に誘われて遊びに出かけます。季節は夏から秋へと変わり、テラスに置いたままの手紙も色が変わってしまっています。ぼくは変化してゆく季節の姿に驚き、その季節のひとつひとつを部屋へ取り込もうと窓を作るのですが……..。シュールな情景がアフマディーの魅力的な筆さばきで立ち上がってきます。同時に、キアロスタミは写真のコラージュに色をつけるという手法で、物語に広がりを持たせています。特に、窓のコラージュ作品は、独特の色彩感覚が溢れています。

もともと、新しい絵本を作ろうとしていた出版社の企画から、全く絵本とは縁のない詩人と映画監督がコラボした一冊だけに、子供向けというよりは、アート作品の趣があります。

「いろたち」は「友だちのうちはどこ?」発表の3年前に絵と文を描きおろした イランではベストセラーになった絵本です。
みどり、きいろ、だいだいいろ、あか、みずいろ、むらさき、くろ、しろ、という色から連想する、風景や食べ物、植物や生きもの、道具などを、子どもと一緒に歌を唄うように描いた本です。キアロスタミは、子どもを主役にして、彼らの視点で映画を作ってきました。同じように絵本にも、子どもたちへの優しい眼差しが溢れています。

「いろのついてないところは、いろえんぴつやマジックでぬっていいんだよ。」最後のページで、キアロスタミが子どもたちへ声をかけています。やさしい美しい絵本です。

 

☆お知らせ

北海道のネイチャーガイド・安藤誠さんのトークショーを、今年も開催します。

 10/29(土)18時より (参加費2000円) 要予約!

 

 

 

 

安倍元総理の政策の失敗は色々あったと思いますが、言葉でできた本という商品を扱っている者にすれば、この人ほど日本語の品位を傷つけた人はいません。ペラペラの薄っぺらい真実味のない言葉だけが流れ落ちていたように思います。国葬の日、うっとおしい気分をどこかにやってくれ、という思いで吉田篤弘の「遠くの街に犬の吠える」(筑摩書房/古書1050円)を手に取りました。

正解でした。

「ほとんど1日も休むことなく言葉を集めてきました。集めて、整えて、分類して、解説する。言葉の奥に隠されたその意味をより正しく解明するために研究をつづけてきました。」

とは、本書に登場する言葉の研究する白井先生の言葉です。先生が元総理の言葉を聞いたら、どんな批判をしていたものか。この長編小説は吉田ワールド満開の、不思議で、ユーモアがあって、所々に哀愁が顔を出し、最後は読者はいい表情になって終わるという世界です。

主人公は、小説を書いている吉田君。自作の朗読の録音で、「遠吠えをひろっているんです」という音響技術者の冴島君と出会い、物語は始まります。どうして録音の仕事をするようになったのかという質問に、

「世界は音で出来ているからです。吉田さんは小説を書く人だから、世界は言葉でつくられていると思われるでしょうが、そもそも、言葉は音からつくられます。というか、言葉の正体は音なんです。音がなかったら言葉は生まれなかったし、音がなかったら文字も生まれませんでした。」

と答えます。小説の後半、音が大きなモチーフになってきます。

吉田君と冴島君、編集者の茜さん、白井先生、そして代書屋をやっている夏子さんの、事件のようなそうでないような、どこまでがリアルでどこまでがファンタジーなのか判別出来ないまま、物語は進行していきます。さらに、そこへ天狗の物語まで絡んできます。でも心配ご無用。著者は、読者をまごつかせません。とても良い塩梅でラストまで連れて行ってくれます。

「新刊書店、古書店、図書館と私がめぐり歩いてきたところは、どこも無数の本棚が並び、気が遠くなるくらい大量の本が溢れ返っていた。 そのすべてが声を持っていた。 書かれているのは森羅万象さまざまだが、そこにはもれなく著者の声が付いてくる。 どれほど事務的に機械的に綴られていても、それを書いた人間がいる以上、書きながら胸中に詠じた声がきっとある。その声が文字に置き換えられて、すべてのページに閉じ込められていた。 世界は本という名の声で埋めつくされ、それらの声を発した人たちは、すでにあらかたこの世に存在していない。ただ声だけがのこされた」

本屋冥利に尽きるこんな文章に出会えば、うっとおしい気分なんてどこかに飛んでしまいました。