シンプルなクレジットに続いて、カメラはクラシックな建物の中に入り込み、様々な角度から映画館内部を撮っていきます。静謐な画面が続いて、きっと良い映画だという予感が高まってきます。このオープニングから映画館がすでに廃業していて、かつてここで働いていた人が登場するのかなと思ったら、全く見当違いでした。

1980年代初頭のイギリスの静かな海辺の町マーゲイト。ヒラリーは、地元の映画館エンパイア劇場で働いています。サッチャー政権下の英国は、厳しい不況と社会不安の中にありました。そんな折、新しく映画館で働くことになった黒人青年スティーヴンは、あからさまな黒人差別がまだまだまかり通る中、知的で明るい性格で、映画館のスタッフに馴染んでいきます。やがて、ヒラリーはスティーヴンを愛するようになっていきます。建築家になる夢を諦めているスティーヴンと、心の病を持つヒラリーは、ささやかな希望を見出していきます。しかし、黒人を排斥しようとする暴動や、映画館の支配人とヒラリーの関係など、そう簡単に幸福を手にすることはできません。

では、二人は不幸せに終わるのか、というとそうではない。これからもキツイことは起こるかもしれないが、前を向いて歩ける僅かな光を見せて映画は終わるのです。映画館が人生に寄り添い、生きてゆく希望を与える。そういう意味ではエンパイア劇場自体が、もう一つの主役かもしれません。

「生命が宿る幻影だ」

これは、エンパイア劇場の堅物の映写技師が、ポツリとスティーヴンに言うセリフです。映画の魅力を語るに相応しい言葉だと思います。こちらの方がシビアでビタースイートですが、もう一つの「ニューシネマ・パラダイス」と呼びたい、いい映画でした。

 

 

 

 

 

90分1カット。つまり映画が始まって、エンドマークが出るまでカメラは回り続け、画面が切れない。「ボイリングポイント/沸騰」(京都アップリンクにて上映中)は、クリスマス前の金曜日、最も忙しい日の人気高級レストランのとんでもない一夜を描いた映画です。ロンドンに実在するレストランで撮影をしました。

ブレディみかこさんが、この映画についてこんなことを語っています。

「この映画を見た翌日、英国でレストランに行った。『夕べ、あの映画を見たんです。』とウェイターに言うと、『あれはけっこう現実ですよ』とにやりと笑っていた。それぐらい英国では誰もが見た作品だ。あなたもきっとこれまでと同じ感覚ではレストランに座っていられなくなる。」

オーナーシェフのアンディは、妻子との別居騒動で疲労困憊。そんな時に限って、店へ衛生管理検査が入り、評価点を下げてしまう。それでも頑張って開店するのだが、予約過多のためスタッフはオーバーワークで、仲間同士でも一触即発状態。さらに、さらに、と怒涛のごとくトラブルが押し寄せてきます。レストランを動き回って怒鳴り散らしたり、なだめたりする姿を、カメラは延々と追いかけていきます。見ている方も、スピーディな展開にワクワクドキドキしながら、この店は今夜を乗り切れるのだろうか?と心配になります。

キャスターのピーターバラカンさんは「このレストランの一夜に我々の社会が抱える様々な問題が集約されています。」と語っていますが、イギリス社会の、例えば移民問題や差別問題などが顔を出します。レストランの裏側だけでなく、イギリス社会の隠れていた姿まで暴かれていきます。レストランの調理場だけが舞台なのに、もう破滅的に面白い!のです。

こういう展開の映画では、ラストでみんなが一致協力、なんとかピンチを切り抜け朝焼けの街を帰路につくみたいな作品になりがちなのですが、そうはなりません。で、ラスト。これは辛い!「アンディ!」の声とともに画面がフェイドアウト、さて、何が起こったのか?社会派エンタメ作品として超おすすめです。

☆7月27日(水)〜31日(日)「ワンコイン500円古本フェア」開催します。


 

観た後、ちょっと心持ちが軽くなり、センスよくユーモアと批評精神にあふれた映画って近頃少なくなりました。「ゴヤの名画と優しい泥棒」(京都シネマにて上映中)はそんな佳作です。

開設されてほぼ200年の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」で、1961年、ここに飾ってあったゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれました。犯人はケンプトンという60歳過ぎのタクシー運転手。

当時、イギリスではTV受信料を払わないとBBC(英国国営放送)を見ることができませんでした。しかし、下層階級の、しかも老人たちにはそんな余裕はありません。日頃からそのことに不満を持っていたケンプトンは、盗んだ絵の身代金で、多くの人たちの受信料を肩代わりしようと考えたのです。

事実を元に脚本が書かれ、ケンプトンにはジム・ブロードベント、その妻にはヘレン・ミレンという英国を代表する名優が演じています。貧しい暮らしの日常をきめ細かく描きながら、反骨精神旺盛でめげないケンプトンと、その如何しようもない夫の尻を蹴りながらも、彼を見つめる妻。

あっけなく簡単に盗むことができた名画。さて、それをどうするか。自宅に隠すのですが、正直で真面目な妻にばれやしないかとヒヤヒヤの日々です。貧しい人から乗車賃を取らなかったためにタクシー会社もクビになり、アルバイトで見つけたパン屋も人種差別をする上司と喧嘩してクビ。でもこの人、全然動じていません。ラストの裁判のシーンでも、そのシニカルで、ちょっと人をクスッさせるユーモラスな弁舌は冴え渡ります。威厳ある裁判官も、笑いをこらえる始末。

女優の加賀まり子は、「この映画には”やわらかい芯”がある。触ってみてください」とコメントしています。単に泥棒騒動をコミカルに描いただけではなく、お上への真っ当な批判精神を生き方で証明した老人の話なのです。物語には、実はもう一つ秘密が隠されています。この夫婦には、若くして亡くなった娘がいました。その娘の死と、二人はどう向き合ってきたのか、いや向き合ってこなかったのかを映画は優しく見つめます。

ラストシーン、ショーン・コネリーの「007Dr.No」を、映画館で夫婦揃って鑑賞中の二人の会話に大爆笑。え、えっ、そうなの?もう一度「007」観てみようという気分になりました。

愛すべきイギリス映画でした。

 

 

ブレディみかこの大ベストセラー「「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の続編「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」が出ました。(新潮社/新刊1300円)

著者の息子も13歳。様々なことが起こって、悲しんだり、怒ったり、笑ったりと騒がしい日々が続いています。その姿を母親である著者は、ある時は突き放し、ある時は共感を持って見つめていきます。

そして、英国の教育現場の面白さ、日本では考えられないような教育プログラムを、知りました。例えば、「ノンバイナリー教師」。

「息子の学校にはノンバイナリーの教員が2人いる。英国では人気シンガーのサム・スミスがノンバイナリーであることを発表したりして大きな話題になったが、『第三の性』とも表現されるこの言葉は、男性でも女性でもない、性別に規定されない人々のことを表す。」

息子の学校は LGBTQの教育に力を入れていて、校長も含めてレインボーカラーのストラップを下げている教員に生徒が相談できることになっているのです。その中にはノンバイナリーの教員もいて、通常の教科を教えているが、担当するクラスの子どもたちに自分は男性でも女性でもないということや、生徒たちにどう呼んで欲しいかを最初の授業で説明すると言うのです。

で、面白いのは彼らをどう呼ぶんだということについて、著者と息子と、労働者階級出身を誇りにしている夫の3人が、ああだ、こうだと語りあうのです。息子も自分の意見をきちんと言うところがいいですね。

そしてまた、日本で台風19号が上陸した時、避難所からホームレスの人が締め出されたニュースから息子はこんなことを言います。

「けど、英国も一緒だよ。この近辺の人たちだって、図書館の建物にホームレスの人たちを受け入れるの、拒否しているから」

そして、こう続けます。「実は、国語のスピーチのテストで、そのことをテーマにしたんだ」

息子のクラスでは、人種差別、気候変動などのアップトゥデイトな話題を選んで500ワードでスピーチの文章を書いて、クラスで発表することになっているのです。イギリスのGCSE(中等教育終了時の全国統一試験)の国語の試験にスピーチがあるらしい。著者は日々成長を続ける息子の姿を見て、多難な時代を生きる彼の心の中では葛藤や、悩みが日々生じていることを痛感しています。

「そして息子はもうそのことをわたしには話してくれない。だけど、それでいい。彼もいよいよ本物の思春期に突入したのだ。」これが本書の締めくくりにある文章です。著者の息子に対する距離感がいい。

●前作「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」も古書(500円)で在庫しています。

イギリス在住のコラムニストのブレイディみかこは、労働者階級の子供達を通じて英国の現状をあぶり出し、それでもどっこい生きている姿をビビッドに描いてきました。

今回は、労働者階級のうだつの上がらないおっさん群像を描いて、EU離脱に揺れる大国の姿を見せてくれます。「ワイルドサイドをほっつき歩け」(筑摩書房/古書950円)です。

ここに登場するおっさんたちは、BBCが発表した階級表(英国は階級社会であるというのは常識)によると「トラディショナル・ワーキング・クラス」に該当します。著者はこの階級の人をこのように解説しています。

「収入は低いが、資産が全くないわけではない。自分と同じような職業の人々と交際している。フイットネスジムに通うとかソーシャルメディアを使うというような現代風の文化はあまり取り入れない。ダンプの運転手、清掃職員、電気技師などの仕事をしていることが多い。」

著者は、連れ合いの男友達のおっさんや、女ともだちの旦那たちとの付き合いの中から、彼らの人生観や国の将来の展望を、いつものパワフル母さん調で語ります。

「海外には、英国はすでにEUを離脱したものと思っている人たちもいるが、実はまだEUの中にいる。離脱の条件に関する取り決めがぐちゃぐちゃといつまでもまとまらず、もはやすっかり国民がダレている状態」だというのが現状だとか。

政府の緊縮財政政策による医療体制の崩壊、景気悪化による失業、酒で身を持ち崩して妻に逃げられる、等々おっさんたちを取り巻く環境は厳しさが増しています。

「寝ゲロはやべえんだよ。喉に詰まって死んだりするから。年をとったら食道も繊細になるから。自重して飲まないと。」

「うん、俺たちの年になると泥酔するのも命がけ」

などとぼやきながらぐいぐいビールを飲んでいるおっさんたちを、見守る著者の愛情がかいま見えてきます。「おめえ、アンチトランプデモに行ったろ」と友人のデモ参加をワイワイ言い合ったりしながら、おっさんたちは前に進んでいこうとします。帯に「絶望している暇はない」と書かれていますが、その通りの忙しい日々が続いていきます。人情ドラマを見ているような気分になりました。

「労働者の立場が弱すぎる現代に求められている新しい労働者階級の姿とは、多様な人種とジェンダーと性的指向と宗教と生活習慣と文化を持ち、それでも『カネと雇用』の一点突破で繋がれる、そんなグループに違いない」という著者の言葉が力強く響いてくる一冊です。おっさん、頑張ろ!!

 

 

 

 

 


 

 

西山裕子さんのミニプレス「イギリスの小さな旅シリーズ」刊行を記念して、イギリスの写真と水彩画展が始まりました。

レティシア書房では2016年に、西山さんがイギリスで描かれた花の水彩画展を開いていただきました。2019年9月に出された「イギリスの小さな旅」は、4冊シリーズで、約10㎝角の手のひらサイズの文字通り小さなミニプレスですが、その中に、西山さんが見つけたイギリスの魅力が詰まっています。イギリスの田舎のTea Roomでの紅茶の楽しみ方や、ガーデニンググッズのこと。「ピーター・ラビット」の著者ビアトリクス・ポターの別荘を改装したホテル、ポターがナショナル・トラストに賛同して広大な土地を寄付したことや、ポターが保存を訴えたおかげで残った小さな家の写真。中世の豪族「エア」の名が刻まれた教会の写真と、小説「ジェーン・エア」がこのエア一族の名前をかりて命名したらしいことなど、西山さんの心を動かした小さなエピソードがいっぱいです。もちろんレティシア書房では、昨年から店頭販売していますので、ご存知の方もいらっしゃると思います。

なお、青幻舎発行「英国ヨークシャー 野の花たち」「さくら」を始め、「誕生」「愛おしいひととき」「英国ヨークシャー想い出の地を旅して」などの著作、水彩画の花々の便箋・封筒・一筆箋・ポストカードなども揃っています。この機会にぜひ美しいイギリスの風景写真と優しい花の水彩画をお楽しみください。(女房)

★「イギリス小さな旅シリーズ 刊行記念展」は、

3月17日(火)〜29日(日)月曜日定休 12:00〜20:00(最終日は18:00まで)

 

 

 

 

 

 

 

http://www.soukasha.com

 

先日、格差を描いた映画「パラサイト」のことを書きました。今、格差の問題は韓国だけでなく、中国、アメリカ、日本でも大きな問題です。 EUを離脱した英国も、それは一緒です。

「二軒先に警察のブラックリストに載っている幼児愛好者は住んどるわ、斜め前の家の息子はドラッグ・ディーラーやわ」という貧困階級の危ない人たちが住むブライトン。そこで暮らすフレディみかこさんが見つめたイギリス社会をまとめた「花の命はノー・フューチャー」(ちくま文庫/古書400円)は、ルポルタージュなのに、笑わせ、涙させて、怒らせてくれる一冊です。

当ブログで彼女の「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」(売切)を紹介しました。あの本に溢れていた著者の逞しさとどんなことも笑いに変えてしまう力強さは健在です。実はこちらの本が先に発売されていて、長らく絶版になっていたけれど、「ぼくはイエロー〜」人気で再発され、未収録原稿を多数加えられた文庫ということになります。

LGBT、移民問題、広がってゆく貧困社会、荒れる青少年達とドラッグ等々、地べたから見据えたイギリスの今を、共にこの地で生きる一人の女性の思いを、パンク精神と笑いで吹っ飛ばした内容なので、あっという間に、ドハハハと笑いながら、いや実は笑っている場合ではないのかもしれませんが、読み切ってしまいました。そして、彼女の人生哲学に納得します。未来がないから生きる甲斐がないという言説に対してこう言い切ります。

「生きる甲斐がなくても生きているからこそ、人間ってのは偉いんじゃないだろうか。最後には各人が自業自得の十字架にかかって惨死するだけの人生。それを知っていながら、そこに一日一日近づくのを知っていながら、それでも酒を飲んだり、エルヴィスで腰を振ったりしながら生きようとするからこそ、人間の生には意味がある。」

彼女の中には、上品で貴族趣味的なイギリス的風土は全くありません、醜く蠢く負の部分をさらけ出しているのですが、逆にその負の部分が輝く出すところが曲者ですね。

「大人が一番物事を知らないのに。知ったかぶりのたれかぶり。いつまでもたれかぶり続けろ、あなた様のようなおワイン階級の腐れ塗り壁中年は。貧乏人を蔑視するな。外国人を軽視するな。たわけるのもいい加減になさらないと自爆してやるぞ。」

とブルジョワ階級への暴言、下品な言葉の数々。私、こういうの大好きです。

その一方で悟りを開いた僧侶のように、「厭世とはポジティヴィテイの始まりである。だいたい、すぐ激情したり主人公になったりする人たちってのは、自分の人生の責任の一端は他人、またはなんらかの外部からの力にある、と信じているからドラマになるのであって、結局全ては自分のバカから発したことであるとわかれば、人生というもののアホらしさが突如として浮き彫りとなり、後は冷静になるしか無くなるもんな」と語っています。

なかなかに、奥の深い読み物です…….。

★2/5(水)〜2/16(日) 恒例となりました女性店主による『冬の古本市』を開催します。今年も神戸・大阪・岐阜・東京・御殿場・京都などの女性店主の選書です。ぜひお立ち寄りください

★古本市準備のため2/3(月)〜4 (火)連休いたします。


 

 

フレディみかこ著「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社/古書950円)は、イギリスの中学校に通う息子と、彼の言動を見守る母親の日常を綴った一冊です。高橋源一郎が、帯で「自分たちの子供や社会について考えざるをえなくなる」と評価していますが、まさに差別、偏見、貧困の中を生き抜く中学生達の日常を通して、イギリスの教育システムの明暗が、そして私たちが生きる私たちの社会のあり様が見えてくる傑作ノンフィクションでした。

カトリック系の小学校を卒業した子供は、普通はそのままカトリック系の中学に入学するのが常識なのですが、母親は、あえて白人労働者階級が通う公立小学校に息子を通わせます。その中学校は、学校ランキングで底辺を彷徨っていたのが、最近ランクの真ん中あたりまで上がってきた事実に、興味の湧いた母と息子が、学校見学会に向かうところから二人の物語が始まります。

英国の中学校には「ドラマ(演劇)」という教科があるそうです。何も俳優養成のためではなく、「日常的な生活の中での言葉を使った自己表現能力、創造性、コミュニケーション力を高めるための教科なのである」から驚きです。

彼はその教育過程でミュージカルに参加してゆくのですが、ここで様々な民族的差別に遭遇します。多くの移民が暮らす一方、保守党の緊縮財政政策で白人社会に広がる貧富の格差。この二つが、常に本書に流れています。けれども、堅苦しい現状報告に終わらず、母親の息子への信頼と愛情、そして尊敬が巧みにブレンドされていて、読む者を疲れさせないところが秀逸です。著者のユーモアのセンスも抜群で、「今日ね、こんなことが学校であってね……..」みたいな会話を聞いているようです。

人種差別丸出しの美少年や男か女かジェンダーに悩むサッカー少年がいたり、暴力が飛び交う日々なのですが、パンクな著者と冷静で分別のある息子が、共に悩み、混沌とした日々を生き抜いてゆく様子は、小説以上に面白く、「う〜む、そう考えるか」とこちらも巻き込まれていきます。

「多様性ってやつは、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽」なんて息子の台詞には、確かにそうだよな、難しい問題やなぁ〜と考えてしまいましたね。極めて私的でありながら、普遍的な親子の成長物語です。

おそらくこの親子は、閉塞感100%の日本の教育界では窒息死してしまうでしょう。失点続きの文科大臣にも、ぜひお読みいただきたいものです。