久々のコミックの紹介です。

傑作「ピンポン」以来、その独特の画風で漫画界をリードしてきた松本大洋。熱心な読者だったかと問われれば、そうでもありませんでした。ただ、絵本「『いる』じゃん」や、最近のコミック「ルーブルの猫」などを読んで、もう一度過去の作品にも目を通そうかなと思っていた矢先、昨年出た「東京ヒゴロ1」(小学館/古書700円)が入ってきました。

大手出版社を早期退職した漫画編集者塩澤。えっ、なんで?と他の漫画家たちに惜しまれて出版社を立ち去って行きます。彼は小さなマンションに一羽の文鳥と住んでいます。その文鳥との何気ない会話が印象的です。もう漫画とは関わらないかと思われていた塩澤でしたが、そうではなかった。彼は、かつて担当した漫画家たちに執筆を依頼します。理想の漫画雑誌を作るために。

柔らかく、優しい、どこか昭和の匂いを感じさせる東京の街の風景が見事です。懐かしさとやるせなさを醸し出しながら、一癖も二癖もありそうな漫画家たちの人生が少しづつ語られていきます。過剰でなく、控えめに、ストイックに。

もはや大御所的存在になりつつある松本が、初めて描く漫画家の創作世界。う〜ん、これは彼の代表作になるかも。2巻も発売されています。今、読むのが最も楽しみな作品です。(2巻も古書で探します)

毛塚了一郎という漫画家は知りませんでした。雑誌「青騎士」でデビューして、「音盤紀行」(古書/500円)が初の単行本。作家がレコード好きというだけあって、レコードが主人公といえますが、音楽に関するオタク的情報を詰め込んだマニア向けの漫画ではありません。

「自由にレコードも売れねえ 好きな音楽もコソコソと聴くことしかできねえ。レコード屋にとってホントにつまらんトコだ」

これ、「密盤屋の夜」に登場するレコード屋の主人のセリフです。舞台となっている国では、西側の音楽などの文化の輸入を禁止していて、聴きたい音楽を得るには、逮捕される危険を冒して闇で仕入れているレコード屋に行くしかありません。かつての東ドイツのような体制下の物語です。

また「電信航路に舵を取れ」では、海上から音楽を流す海賊ラジオが舞台です。電波は東側諸国にも届いていて政権から睨まれる可能性もある中、活動する若者たちを描いて行きます。デヴィット・ボウイが西ドイツでライブをしたとき、スピーカーを東ドイツに向けて、その後のベルリンの壁崩壊の引き金になった歴史を思い出します。

帯に「レコードにまつわる5つの物語」とあるように、様々な国や環境で、レコードから流れる音楽を通して人々の人生が変わってゆく姿を描いています。よく、描きこまれた素敵な作品です。

光瀬龍原作の萩尾望都傑作SF大作「百億の昼と千億の夜」の「完全版」が、単行本サイズの判型500ページのボリュームで復刻されました(河出書房新社/新刊2750円)。今までは、小さい文庫で読むしか仕方なかったのですが、恐ろしくセリフが多く細かく書き込まれている漫画は、老眼鏡が要るようになったおじさん・おばさんには骨の折れる読書だったと思います。でも、このサイズの本なら大丈夫です。

え?この本を知らない?それは一生の損。壮大な物語ですが、簡単に説明します。

舞台は地球。時代は不明。未来を救うと言われている弥勒の存在に疑問を抱き、隠された真実を暴く戦いを続ける阿修羅王が主人公です。そこに救いを求めて出家したシッタータが現れます。

「この世界は完全な熱的死へ向かっている エネルギーの完全な平衡状態 そのあとにはどんな変化も起こらない どんな生命も生きられない いわば終末のための終末へ……..あなたも私の存在も 一切が無に帰してしまうのだぞ。ーこんな事はこの世界の者にはできないー こんな大きな力は私には無い。これはいったいなに者のしわざであろうな!」

阿修羅王がシッタータに問いかけ、この世界を創造し、勝手に破滅への道へと向かわせる謎の存在を究明する戦いに誘います。

プラトン、イエス、ユダ、帝釈天など歴史上の人物がどんどん登場してきます。宇宙物理学、歴史学、宗教学などの理論をブレンドさせながら、とんでもない破天荒なSF小説を、流麗なタッチで漫画化した萩尾のパワーは、何度読んでも惹きつけられます。特に両性具有っぽい阿修羅王の造形は素晴らしく、私など奈良の興福寺にある阿修羅像を初めて見た時、コミックの姿を浮かべたほどでした。

スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙への旅」を何度見ても、完全に理解できないように、「百億の昼と千億の夜」の壮大なスケール感は、完全に理解できなくても面白い。

「この世界の外に さらに大きな世界の変転があり さらにその世界の外に世界が そしてまたその外にも さらに永遠の世界がつづくのなら わたしの戦いはいつ終わるのだ…….?」

絶望的な気分に陥りながらも、次の戦いに向かう阿修羅王の孤独な姿で終わるラストカットまで、今でに読んだ事のない世界を味わっていただきたいものです。

さらに「萩尾望都に聞く『SF100の質問』」、エッセイ、イラストコレクション、阿修羅王イメージスケッチ、関連年表など盛り沢山の内容です。

 

台湾出身の漫画家、イラストレーターの高妍(ガオ・イェン)の「緑の歌」(コミック・上下巻/新刊1738円)には泣けました!といっても、女子大生の淡い恋物語で泣く感性は残念ながら持ち合わせていません。そうではなく、この物語の持つ優しさと音楽への深い慈しみに涙したのです。

上巻の帯には作詞家、松本隆が推薦のこんな文章を寄せています。

「ねえ『細野』さん、ぼくらの歌が異国の少女の『イヤフォン』を通して、繊細な『孤独』を抱きしめたら。それって『素敵』だよね?」

ここに登場する細野さんとは、もちろん音楽家の細野晴臣。そして物語は、台湾に住む女子高生の緑(リュ)が、松本・細野たちのバンド「はっぴいえんど」の名曲「風をあつめて」を聴いたところから始まるのです。

優等生の緑は、希望通りの台北の大学へ進学します。しかし、段々と学校に行かなくなり、孤独を抱え下宿で読書にふける生活に陥ります。そんなある日、偶然出かけたライブハウスで、村上春樹ファンのバンドマン南峻(ナンジュン)に出会います。そこから、春樹の文学、細野晴臣の音楽といった、今までと違った世界に触れていきます。そして南峻との恋が生まれます。

高妍の描く絵がとても素敵です。写実的でありながら、どこか夢見るようなタッチをブレンドさせています。その雰囲気と、「はっぴいえんど」や細野晴臣の空中をふわりふわりと漂ってゆく音楽が見事にシンクロしているのです。音楽の持つ優しさが、コミックの世界に伝播していき、その世界に包まれる幸福。

下巻の表紙には村上春樹が推薦の言葉を寄せています

「高妍さんの絵には物語を広げていくための、自然な空気の通り道のようなものがあって、それが見る人の心に心地よい、そしてどこか懐かしい共感を呼び起こす。」

実は、春樹は彼女の絵を以前から知っていて、著書「猫を捨てる」の挿絵を依頼しました。店にある本を見てみると、不思議なノスタルジックにあふれた彼女のイラストがそこにありました。

「クジラは歌によって コミュニケーションを取る動物なのだそうだ。たとえ言葉では表せないようなとても抽象的な気持ちであっても『リズム』によって伝えることができるのだ。もし文字が一種の言語ならば 音楽は文字を超越した言語であって、気持ちを通じ合わせる絆と共鳴なのだ」

という恋する緑の独白シーンには、音楽に支えられながら少しづつ成長する彼女の姿が描かれています。

今も「はっぴいえんど」を愛聴している方、「ノルウェイの森」を愛読されている方、一読をお勧めします。

 

 

 

 

京都在住の漫画家、スケラッコさんの新作「みゃーこ湯のトタンくん」(ミシマ社/新刊1650円)が発売されました。(初回は著者サイン入り)

スケラッコさんの漫画との出会いは「大きな犬」でした。町のど真ん中にいる、どこから来たのかもわからない大きな野良犬。その大きさは、一軒家と同じぐらいなのですが、この町の住人は誰も気にしていません。町の風景としてそこに在るという世界でした。

その次が、お盆をテーマにした「盆の国」でした。おそらくお盆をテーマにした作品なんて、漫画も文芸作品にもなかったと思うのですが、その不思議な世界に驚かされました。

そして、今回は猫ばかりが出入りするみゃーこ湯のオーナートタン君を主人公に据えた作品です。実は、みゃーこ湯にはモデルになる銭湯があります。滋賀県の膳所の都湯さん。(先行販売をこの銭湯でした時は、多くの方が購入されたみたいです)

漫画ではみゃーこ湯のある猫の町に、人間の青年が紛れ込みます。え?なんでこんな町にいるの??なんで猫のおふろ屋さんがあるの??と思いながらも、まぁいいか、とこの銭湯の二階に間借りしてお手伝いを始めます。

ここでは、入浴前に猫たちはブラッシングして毛を落としてから入浴するのが作法なんです。スケラッコさん独特のほんわかした気分に浸れる物語です。猫のキャラも個性豊かで楽しい。圧巻は、大晦日オールナイト営業の銭湯のシーン。よくもまぁ、こんな多くの猫を描いたものです。猫好き、銭湯好きは必読の一冊です。

 

●レティシア書房からのお知らせ  12月27日(月)は、平常営業いたします。

                 12/28(火)〜1/4(火)休業いたします。

●私が担当の逸脱・暴走!の読書案内番組「フライデーブックナイト」(ZOOM有料)の3回目が、12月17日に決まりました。次回は「年の瀬の一冊」をテーマにワイワイガヤガヤやります。お問い合わせはCCオンラインアカデミーまでどうぞ。(どんな様子でやっているのか一部がyoutubeで見ることができます「フライデーブックナイト ー本屋の店長とブックトーク」で検索してください)

 

そこで語られる戦争の悲劇、愛、憎しみが複雑に展開する物語として、宮崎駿の漫画版の「風の谷のナウシカ」ほど世界観が大きいものはありませんが、それに匹敵する作品として、伊図透の「銃座のウルナ」(全7巻セット/古書2400円)を忘れてはいけません。

少数民族のヅードとの戦いに身を投じる女性狙撃手ウルナの過酷な人生を描いたドラマです。2018年に、「第21回文化庁メディア芸術祭」でマンガ部門優秀賞を受賞しました。

極北の雪原を進んでゆく大型ソリに、辺境の前線に派遣される新兵が乗っています。新兵の名前はウルナ・トロップ・ヨンク。覇権国家レズモアの若い女性狙撃手です。1年中、殆どが雪と吹雪が荒れ狂う島リズル。ここに生息する蛮族ヅード族とレズモアは交戦状態が続いています。

その最前線基地に着任したウルナ。前線基地の向こうには長いジャンプ台があり、ここから飛び立つヅード族を狙撃するのが彼女の仕事でした。この戦場で、彼女が見て、体験したことから壮大な物語が始まります。

ヅード族が悪者で覇権国家レズモアが、彼らを駆逐すると言うような単純な構成ではありません。巨大な国家が、小国を殲滅し、その真実を人々の記憶から抹殺してしまう。その絶望を描いていきます。圧倒的な情景描写力は宮崎作品を凌駕しています。雪深い戦場の情景。微細な所まで書き込まれた基地の中の暗闇。苛烈極まる戦闘描写。その一方で、光に満ちた美しいウルナの故郷の姿。よくも、ここまで描きこんだものだと、漫画の持つ力に感動しました。

ナウシカも、彼らの血塗られた歴史と殺戮の中で、葛藤し、ボロボロになりながらも真実を見つける旅をしてゆくのですが、それ以上にウルナは過酷です。

最後まで読むのは、辛く、悲しい。でも、読んでおいた方が絶対にいい。軍部のクーデターで、片っぱしから市民を殺している東南アジアの国にも、ウルナみたいな女性がいるかもしれません。正義とは、国家とは、そして歴史とは、という大きな問題を射程に入れたコミックの大作です。

一つ救いがあります。ウルナが着任した基地にいる大型犬たちがとても可愛いくて、彼らが出てくるとホッとします。

今、この時代を生きる人を描きながら、四畳半フォーク的世界を展開し、綿密な描きこみで版画の様な作風の山川直人の新作「短編文藝漫画集」(水窓出版/新刊1980円)がでました。内容は横光利一「機械」、萩原朔太郎「猫町」、太宰治「東京だより」という短編小説を漫画化したものです。漫画には、それぞれ原作小説が付いていて、原作を読んでかから、漫画を読むと、山川がその原作をどう解釈していたのかを窺い知ることが出来ます。

1935年に発表された萩原朔太郎「猫町」は、極めて幻想的スタイルを持った短編です。モルヒネ、あるいはコカインで体を崩した主人公が体験する不思議な散歩を描いた物語で、初めて読んだ時、面白さがよくわからん小説でしたが、今回これは散歩の楽しさを萩原らしい視点で描いたものと解釈しました。山川は、ひょんなことから現実の世界なのか、幻の世界なのか判別不能の状態に陥った主人公を飄々と描いています。

戦時中、軍事工場で働く足の悪い少女への思いを綴った太宰の「東京だより」は、ほんの数ページの短編ですが、戦時下で働く女性への温かい思いを描いた作品です。山川漫画のラストシーンも太宰の世界観を見事に映し出していると思います。

今日マチ子の「Distanceわたしの#stayhome」(rnpress/新刊1650円)は、タイトルからわかる通り、2020年4月に出た緊急事態宣言以降、変化してゆく町や人々の様子を、彼女らしい静謐なタッチで描いたイラスト日記です。ステイホーム、ソーシャルディスタンスという今までなかった行動スタイルの中で、新しい日常を生きる人々の姿をそっと見せてくれます。

高橋源一郎が「大切な風景。愛おしい場所、人。今日さんの本を開きさえすれば、ぼくたちは、きっと、みんな思い出すことができるのだ。」と推薦の言葉を書いていますが、あぁ、こんな風景あったよなといつか思い出す事になるのでしょう。切なくて、ちょっと悲しくて、ぎゅっと抱きしめたくなる。そんな素敵な本です。

「秋の終わりの夜、いつも通る道に、十字架が現れる事に気づいた。ビルの照明が、壁と窓に反射してちょうどきれいに十字架になっている。道ゆく人はこの建物を見上げないから、誰も気づいていないのだと思う。毎日通り過ぎるどうでも良い場所。別に十字架でなくても、温泉マークでも、何だって良かったのだけど、狭い日常の中、誰にも見えないものをわたしは見つけたのだ。」

ステイホーム、ソーシャルディスタンスの中でも、彼女は自分にしか見えないものを見つけているのです。

 

文化人類学者奥野克己と漫画家MOSAのコラボ「マンガ人類学講義」(日本実業出版社/古書1300円)には「ボルネオの森の民には、なぜ感謝も反省も所有もないのか」と、めったやたらに長いサブタイトルが付いています。

奥野は2006年から約1年間、その後も何度もボルネオ島の熱帯雨林に住む狩猟民プナンの元を訪れて共に住み、共に狩猟に出かけました。共同執筆者のMOSAも、短期ではありますが、2019年に、ここを訪れています。その二人が組んで「民族誌マンガ」と命名したのが本書です。

これを読んで思ったこと。世界は広く、文化は深いという、当たり前のことの再確認でした。ボルネオのプナンの民にはモノを所有するという概念がありません。彼らの言葉には、「貸す」「借りる」という言葉がありません。だから、何かを貸しても感謝されないし、借りたものを無くしても反省しない。そう、サブタイトル通りなのです。では、欲張りなのか?と人類学者は考え、彼らの生活を見つめてゆくと、そこには深い意味が隠されていたのです。

彼らは人が死んだ時、遺品はすべて燃やして、死体は土葬し、速やかに離れる。儀式は一切ありません。死者を敬うことはないのか?やはり、ここにも彼らの死生観があるのです。

おかしかったのは、世界の民族の性に関しての調査、研究です。題して「セックスの人類学」。え?そんなんあり??と驚愕の物語がドンドン出てきます。それを未熟なというのか、ヘェ〜おおらかな考えね、と捉えるかは読者次第ですが、笑えます。

また、「アホ犬会議」という章では、「良い犬」と「アホ犬」に区別されることついてご当地の犬たちが論じる、犬好きには興味深いものも描かれています。「アホかわいい犬」を目指す犬が愛玩犬として生き延びるのかもしれません。

プナンの人々を描いたマンガを通して、私たちは生きること、働くこと、セックスのことなどを、もう一度見直してみることになる一冊です。

 

鯨庭(クジラバ)の初作品集「千の夏と夢」(リイド社/古書600円)について、朝日新聞の「好書好日」でこんな文章を見つけました。

「職人がひとつひとつ手で仕上げた工芸品などから、生体エネルギーの迸り感じる時がある。躍動する竜のしなりに辺りの空気を震わせるグリフィンの羽ばたき 本作に登場する伝説の生き物を描いた線からも、エネルギーの放出を感じた。」

決して緻密な線で描かれた漫画ではないのですが、明らかに空中に飛び出すエネルギーを感じました。

短編が5つ収納されています。村に雨を降らすために龍神の生贄として献上された娘と、龍神との心の交流を描いた「いとしくておいしい」、山で人間の子供を拾い名前をつけて育てた鬼と、人間社会へと帰ってゆく子供との永遠の別れを描いた「ばかな鬼」、生物兵器として育てられたケンタロプスが戦後に目覚める「君はそれでも優しかった」、鷲の頭と馬の後半身があわされたヒポグリフと研究者の交流を描いた「僕のジル」、そして父親をなくした娘を見守る掛け軸の中に描かれた龍の物語「千の夏と夢」。どれも幻の獣と人間の交流を描いています、

どの作品にも感情移入してしまいそうですが、やっぱり第一話の「いとしくておいしい」のラストシーンでしょうか。本当は生贄を食べたくないのだが、村に恵の雨をもたらすために食いちぎる竜の迫力あるカットに続いて、目に涙を浮かべる龍神、そして、降り出す雨。龍神が流す涙のように降り続きます。

ファンタジーですが、慈愛に満ちていて、ある時は悲恋のような物語は涙を誘います。最終話の「千の夏と夢」で、幼い娘を残して天国へ旅立った父。父の納骨の朝、娘はそれまで彼女を見守ってきた掛け軸の竜にそっと触れるワンカットで幕を閉じます。これは泣ける。今後の活躍が期待の作家です。

 

 

谷口ジローのコミックは、若かったらその小市民的世界に辟易したかもしれませんが、年をとると、これがグググッ〜と心に染み込んできます。

私が最初に読んだのは「犬を飼う」です。昨年愛犬をなくしたので、この本を開くだけで涙が溢れてきます。谷口ジローといえば、夏目漱石を中心として明治の時代と文壇を描いた「坊ちゃんの時代」が有名ですが、これは全5巻の大河ドラマなので、読み切るにはちょっと根気が要ります。

その点、「犬を飼う そして猫を飼う」(小学館/古書750円)、「欅の木」(小学館/古書800円)、「歩く人plus」(光文社/1400円)、「遥かな町へ」(小学館/古書1200円)は、さらっと読めて、しかも心に残るものばかりです。

老夫婦が、新しく引っ越してきた家に残っていた欅の木を、一度は切ってしまおうとするのですが、この木を守っていこうと決意する「欅の木」には、市井に生きる人々の優しさが滲み出ています。感動的な盛り上がりがあるわけでもなく、日々を誠実に生きる人たちの哀歓を巧みに描いてる短編が並んでいます。多分、若い時にはわからなかった人生の真実がここにはあって、それを理解できる年齢になったということかもしれません、

「犬を飼う」で、年を取った犬のタムに、おばあちゃんが語りかけるシーンがあります。おばあちゃんは生きていても他の人の迷惑になるだけだから、早く死んでしまいたいと思っています。タムに向かって「あたしゃね、迷惑かけたくないんだよ…..。この子だってそう思っている。そう思っているんだよ。でもね、死ねないんだよ…..。なかなか……死ねないもんだよ。思うようにはね……。なかなかいかないもんだね」と語りかけます。

愛犬の一生を描きながら、私たちの死を見つめた名シーンだと思います。

ところで谷口は、2000年代からヨーロッパでの評価が高まり、フランスを中心に数々の芸術系統の賞を受賞しました。きっかけは「歩く人」や「遥かな町へ」などの翻訳版刊行でした。カルテイエの2007年と翌年の広告を複数の画家とともに担当し、本国フランスのブティックではカルティエに関する漫画の入った小冊子まで配布されています。「歩く人」は、どの物語も極端にセリフが抑えられています。だから、ヨーロッパの人に理解されやすかったのかもしれません。しかし、小津安二郎の映画が、ヨーロッパで圧倒的な人気を持っているのと同じく、谷口のマンガ世界には、日本人独特でありながら世界にも通用する自然観、死生観、人生観があり、受け入れられたのではないでしょうか。

「歩く人」の世界は、どこにでもある日常です。でも、ここにはホンモノの喜びと哀しみがあるのです。谷口ジローは2017年70歳でこの世を去りました。きっと天国で、彼の愛犬達と遊んでいることでしょう。

「本の雑誌」に吉野が連載していた書評というか、本を紹介するコミック「お父さんは時代小説が大好き」「お母さんは『赤毛のアン』が大好き」「弟の家には本棚がない」「本を読む兄、読まぬ兄」「犬は本より電信柱が大好き」「神様は本を読まない」、悪魔が本とやってくる」「天使は本棚に住んでいる」全8冊のうち、「弟の家には本棚がない」(古書600円)、「本を読む兄、読まぬ兄」(古書600円)、「悪魔が本とやってくる」(800円)、「犬は本より電信柱が大好き」(古書800円)を入荷しました。

まずは「悪魔が本とやってくる」がオススメです。「シンデレラ」を読んでいる少女のそばに来た悪魔が、結婚したシンデレラと王子の将来についてこう囁きます。

「だって苦労知らずのバカ王子と苦労人の美少女だよ うまくいくわけないじゃん」「きっと浮気するね」と言い残して消えていきます。この最初の一編だけで、笑えてきますよね。このイントロにハマったら、本編もどんどんいきましょう。

本編の主人公は、ウエルッシュ・コーギー犬を一匹飼っている著者です。毎回、読んだ本についての読書体験がユーモアたっぷりに描かれています。幅広い本が紹介されています。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、穂村弘「君がいない夜のごはん」、アシモフ「コンプリート・ロボット」などなど、ジャンルクロスオーバーしていくところがミソです。阿佐田哲也「Aクラス麻雀」まで遡上に上がっているのですから。

そして、そこに紹介されている本を読みたくなるかと言えば、まぁそうでもないところが良いのです。本筋とは全く無関係なことばかりの章も沢山あります。本を肴にして、ほのぼのとした味わいのあるコミックが展開し、おっ、この本で、こうくるか??というヒネリを楽しんでください。

「本を読む兄、読まぬ兄」の「他人の本棚」という章で、堀江敏幸「雪沼とその周辺」、ポール・オースター「トゥルー・ストーリーズ」、ステーブン・ミルハウザー「マーティン・ドレスラーの夢」の3冊が登場します。いかにも、という本であることは、読書好きの貴方ならお分かりでしょう。主人公の独白はこうです。

「自分が人に見せるなら見栄を張ってミルハウザーとかオースターとか堀江さんとか並べちゃうかな でもそれじゃ芸が無いよな きれいすぎる わざと読んでもいないベストセラーでも入れるか んーあざとすぎる じゃあ誰も知らなそうな渋い本を」

その一方で、知らなかった事実をゲットしたりもできます。ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」がアメリカで初上演された時のこと。あまりに退屈で、理解不能だと客がみんな帰ってしまったのですが、二人だけ最後まで観た客がいたのです。その二人とは、なんとウィリアム・サローヤンとテネシー・ウイリアムズだったそうです。

「必読!」とか「癒されます」と言った陳腐な推薦の言葉は全く登場しません。なんだか読書がさらに楽しみになる不思議な4冊です。それぞれの本のタイトルが意味深のようでもあり、そうでもないようでもあり…….。