ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」は、誰もが知ってる曲です。”Blowin’In The Wind”を、この本の著者鴻巣友季子はそのまま「風に吹かれて」と訳しています。戦争の悲惨さを象徴的に歌ったこの曲では、「何発弾が飛べば 爆撃をこの先、禁じられるのか? 友よ、答えは風に吹かれている 答えは風に吹かれている」と人間にとっての戦争をペシミスティックに捉えています。

それを美術家の横尾忠則は「全てが焼き尽くされるまでに マイフレンド、答えなんかほっておけ 答えは風の吹くままに」と訳するのです。「答えなんかほっておけ」って凄いですね。

本書「翻訳、一期一会」(左右社/古書1300円)は、翻訳家である鴻巣友季子が、横尾忠則や作家の多和田葉子、ミュージシャンのダイヤモンド・ユカイ、翻訳家の斉藤真理子たちと、一つにの作品の一部を翻訳しながら、物語の奥に秘められたものを論じ合うスタイルの本です。

一言でいって、極めて知的なスリリングさに満ちた本です。翻訳の実践にこだわった本書について、著者は「翻訳という営為にはその方の生き方が確実に投影されるからです。訳文と原文を見ながらお話しするのは、ある意味、その方の密やかな日記やアルバムを覗かせてもらうようなところがあります」と書いています。翻訳を担当した人たちの、言葉への思いが如実に表れています。

横尾忠則のニューヨーク時代のサイケデリック体験談が、その後の作家生活に影響を与えた話はとりわけ面白いものでした。多和田葉子との対談はさらに凝った内容です。素材に上がっているのは「枕草子」、「おくの細道」で、多和田はドイツ語で訳されたものを日本語に、鴻巣は英語版を日本語に訳し直したものをお互いに論じつつ、翻訳のあり方を探っていきます。有名な一句「閑かさや岩にしみ入蝉の声」も英語版、ドイツ語版が収録されています。

ダイヤモンド・ユカイは、イーグルスの名曲「ホテルカリフォルニア」に挑みます。メランコリックで、ロマンチックで、センチメンタルな響きを持つこの曲。実は、とんでもない悲観的で、救われない中身なのです。そのことは以前に知りましたが、ここで再度詳しく解説してもらうとなるほどなぁ、と納得です。ロック産業は衰退し、明るい未来が閉ざされた場所の象徴が、ホテルカリフォルニアという架空の場所なのです。かつて、友人の結婚式で入場シーンで、何度かこの曲が流れてきたことがりましたが、詳しい解説を読んだら不向きな曲ですね。もちろん名曲であることは間違いありませんが…….。

と、こんな具合に翻訳の面白さや、奥深さがわかる一方で、言葉の存在について改めて考えさせてくれる本なのです。語学の授業がイヤだったという苦い思いのある方も、ぜひ一度お読みください。

 

音楽を聴きながら毎日製作しているという9cueさん。骨太なアコースティックなものが大好き。同じ趣味のレティシア店長と話が盛り上がり、本屋の壁いっぱいに9cueワールドが広がりました。お気に入りのアルバムから、想像の翼をガーンと羽ばたかせて、ユニークなヤツらが、レティシア書房に3年ぶりにやってきました。

9cueさんがチョイスしたアルバム、ミュージシャンはアメリカンロックに親しんできた人にとっては、よくご存知のものばかりですが、華やかな音楽業界から見れば、地味で渋めです。アメリカ音楽のルーツへのリスペクトと、アーテイストとしての表現力、作風でそれぞれに頑張ってきたミュージシャンばかりです。呑んだくれの音楽詩人が、深夜一人で人生の哀歌を歌い続けるトム・ウェイツ。生まれ故郷を一歩も出ずに愛する音楽を奏で、そのまま天国へ行ってしまったJJ.ケイル。女性シンガーとして時代の最先端を走り続け、独自の世界を表現してきたジョニ・ミッチェル。アメリカだけでなく、日本の多くのシンガーにも影響を与えてきたジェイムズ・テイラー。姉御肌なんだけど、キュートな魅力一杯のマリア・マルダー。ノーベル文学賞を受賞しても、ひねくれぶりとマイペースは変わらないボブ・ディラン。アメリカ南部の荒くれ魂と強い女ってこれよね、と豪快に疾走するテデスキ&トラックバンド。(写真上)そして御大ローリングストーンズ。

そんな彼らのLPアルバムの横に、9cueさんが作り上げた独自の作品がディスプレイされています。音楽への限りない愛と、そんな音楽を通してこんな作品を作れる幸せが、本屋全体に漂っています。音楽のこと知らなくても、9cueさんが作り上げたキャラクターを見ているだけで、楽しくなってきます。閉店後、店の中でヤツらが音楽に合わせて、体を揺らしているかも。

9cueさんの作品はなんだか男前でとてもカッコイイんです。ザクっザクっと直線的に切り出した木に、渋い着色を施し、蒐集している古釘やネジなどの金属や革で作った小物を組み合わせ、独特の全く見たこともないようなヒトや鳥や動物を作り上げます。彫刻でもない、人形でもない。可愛いけれど甘くない。ヤツらはしぶとくリズムを刻んで生きています。

「人生のレールは生まれる前からもう既に敷かれているように感じる部分もあれば自分の力で敷いているのだよ感じる部分もある。ー中略ーそして、レールの上を走る汽車は自分自身で動かす。乗車してくれるのはやっぱり愛する者達なのだと思う。このアルバムはやっぱり信仰心について深く考えさせられます。自分は無神論者なのですが、運命の赤い糸は信じます。何か見えない力のようなものも。」これは、ボブ・ディランのアルバム「SLOW TRAIN COMING」(写真右)につけた 9cueさんのコメントです。丁寧に生きて、創作してきた 9cueさんの世界に触れてみてください。きっと元気になりますよ。

なお、素敵なペンダント(写真下・11000円〜)も沢山作ってこられました。ぜひ手にとってみてください。(女房)

 

 

 

「暮らしのリズム」展は10月16日(水)〜27日(日)12:00〜20:00 月曜定休日(最終日は18:00まで)

 

 

 

 

 

 

「もしも/人の身体に鋼の刃がくいこんで/人の血が流れたとしても/それはそのうち/夕陽の鮮やかな色を浴びて/そして明日には/その血の跡を 雨が洗い流してしまう。/それが意味するものは、たぶん命をかけた諍いに/けりがつけられたという/ただそれだけの事。/暴力からはなにも始まらないのに。/一度だって、なかったのに……./この怒り狂った星の上で/生を受けた全ての命が/とてもとても/脆くて壊れやすいものだということを/決して忘れたりしてはならないのに」

朝鮮半島や中近東で睨み合っている政治家たちにぜひ読ませたい詩句です。これ、ロックシンガー、スティングの名曲「フラジャイル」です。

音羽信の著書「愛歌」(未知谷1800円)は、60年代から最近までのロックの曲を取り上げて、歌詞の一部をもとに、その時代がシンガーに与えたものを解説したものです。ロックを全く知らない人にこそ読んでもらいたいと思います。戦争、飢饉、暴動、差別等々、様々な形で牙を剥く暴力を、歌い手たちがどのように受け止め、歌ったのかが語られています。

1992年、ボブ・ディランレコードデビュー30周年コンサートで、ゲスト参加していたシニード・オコナーという女性シンガーが、恐ろしい程のブーイングを受けました。彼女はその直前に、幼児虐待に対するバチカンのローマ・カトリック教会とローマ法王の姿勢に抗議したため、全米から批判され、このコンサートでも起こったブーイングでした。彼女は騒然として歌う事が出来なくなった会場で、毅然とした態度で、たった一人歌いました。

「あらゆる人種差別、階級差別、幼児虐待。基本的人権を侵害するあらゆる差別や暴力が根絶されるまで、世界はどこだって戦争状態にあるんだ。それらが撲滅されるまで、私は戦う」

これは、ジャマイカを代表する歌手、ボブ・マーリーの「WAR」の一部でした。著者は、「こんな客をつくるためにロックがあったのではなかったはず。」とこのブーイングに憤慨しています。

著者の音羽信は、70年代に一枚だけアルバムを発表して、スペインに住まいを移し、音楽シーンから消えた人物です。そんな彼の、いわば、ロックと共に生きた半生記です。でも、音楽ファン向けのレコード紹介でもなければ、マニア向けの些細な情報本でもありません。

多くのロッカーが歌った愛歌は、「人や人生を愛し、自分や誰かを含めたみんなが、今よりすこしでもマシになることを願って歌われた、人が生きる場所の今と明日と、そこにあっていいはずの美を愛する歌」だと断言しています。かなりベタな言い回しですが、真実であることは間違いありません。

 

★レティシア書房臨時休業のお知らせ  明日4月17日(月)と18日(火)連休いたします。

 19日(水)〜23日(日) 上仲竜太イラスト展「ひとり旅」を開催します。

「耳のなかで縛られた真紅の焔が/高くころがり大きなワナ/焔の道に火とともに跳ねる/思想をわたしの地図としながら。/「せとぎわであろう、じきに」とわたしは言った/ひたいをあつくして誇らかに。/ああ、あのときわたしは今よりもふけていて/今はあのときよりも ずっとわかい」

象徴詩のような言葉が並んでいますが、最後のフレーズで音楽好きの人には、あ〜あれか、とピンと来るでしょう。そう、ボブ・ディランの「マイ・バック・ページ」の一番の歌詞です。なんのこっちゃ理解不能にもかかわらず、”Ah , but I was so much older then ,I’m younger than that now.”というリフレインに心躍らされて来ました。

大学時代に初めて聴いて、衝撃を受けて、片桐ユズルの翻訳した分厚い詩集を買って、解った様な気分でキャンパスを闊歩していたことを思いだします。しかし、その後、ディランは、うっとおしい存在になったり、聴きたくもなくなったり、しかし、急にのめり込んだりという事を繰り返してきました。ボブ・ディランというミュージシャンは、私にとって不思議な人です。

思うに、気分的に後ろ向きの時とか、やましい時なんかに、ディランは忍びこんでくるのかもしれません。だからと言って、癒してくれるとか慰めてくれるとか、そんなことはありません。その時のそのままの姿を肯定してくれて、ま、そんなものでしょう、とため息混じりに去ってゆく・・・ような気がします。

64年、ディランはこんな言葉を残しています

「内側から素直に出て来る歌だけを歌いたい。歩いたり、話したりするのと同じように歌が書きたいのさ」

彼の言葉を集めた「自由に生きる言葉」(イーストプレス600円)には、そんな言葉がギッシリ詰まっています。

私のお薦めはアルバム”SLOW TRAIN COMING”(US盤800円)です。

「ぐだぐだ言わず、働いて、安酒飲んで寝ちまえ」みたいな積極的後ろ向き人生を歌ってくれているのが、心地よいアルバムです。忌野清志郎が、名曲「いい事ばかり ありゃしない」で、「新宿駅のベンチでウトウト、吉祥寺あたりで ゲロ吐いて すっかり 酔いも 醒めちまった 涙ぐんでも はじまらねえ 金が欲しくて働いて 眠るだけ」と歌っていますが、あの気分です。

でも、そんな歌こそが、ほんの、ほんの少しだけの生きる力を与えてくれると思うのです。

 

 

「もう 月も 星々も すっかり隠れはじめ 女まじない師でさえ 商売道具を片づけている カインとアベル ノートルダムのせむし男をのぞけば みんなセックスをしたり そうでなければ あてもなく雨を望んでいる サマリア人はとっておきのドレスを着こんで ショーの出番を待っている 彼が行くカーニバルは 今夜の 廃墟の街だ」

こんなさっぱり意味不明の詩が、延々11分も続くボブ・ディランの「廃墟の街」。多くの人が訳詞に挑戦し、くだけ散った曲です。マンハッタンの地獄を綴った、ジム・キャロルの「夢うつつ」(晶文社900円)のごときドラッグポエトリーの世界なのか、F・フェリーニが描く万華鏡のように変幻する映画の世界なのか、私には理解できません。ところが、何度聞いてもこの曲が、不思議なことに心の奥に染み込むのは何故でしょうか。孤独に苛まれたり、不安にいら立つ時、この曲は救い上げる力を持っているのです。

一方、ディランの詩とは正反対に、全く平易な言葉だけで綴られた阪田寛夫の「含羞詩集」(河出書房400円)にも、さぁ!と手を差し伸べる詩をみつけました

 

「うるさいな  朝からおはよう、おはようって  おまえらいったい、なんの用?  用はないけど、ただ、おはよう  きのうは土曜、きょうは日曜  さあ行くよう、って  雨上がりの地めんから、いい匂いが  空へのぼっていった」

スニーカーの紐をぎゅっとしめて、威勢良く飛び出したくなりませんか?

もちろん、ディランの曲も、この詩も、それがどうしたの?と何も感じない方もおられるでしょう。その人には、その人にだけ響く言葉や、メロディーがあるはず。ならば、それが少ないよりは、多い方が豊かな日常が送れるはずだと思います。

誠に勝手ながら、レティシア書房は9月1日(月)〜5日(金)まで臨時休業させて頂きます。よろしくお願いいたします。

 

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