「システムに封じ込められた人間の創造性の解放を促す」をテーマにした「新百姓」(2200円)が創刊されました。「効率性や規模の拡大を最優先に追求する経済のあり方、人間一人ひとりが、それに従順であるように求められる巨大な社会システム。そういったものに疑問を持ち、新しい生き方を探求している人たちの、問いと実践の物語を紹介する雑誌です」と趣意書には書かれています。
なんか難しそうと思われましたか? 実際に紙面をめくったらそんな感じは全くありません。要は、グローバル経済の恩恵やら、AIとコンピュータネットワークが作り出す明るい未来などを、簡単に信じ込まずに、ちょっと見方を変えて世界を見てみようよ、というのです。そうすると、私たちが、何か巨大なシステムに操られ、思考停止の状態になっていることが見えてきます。実際に、写真をふんだんに使った構成は、読みやすく、文字もびっしりと埋め込まれているわけではありません。
創刊号には、霊長類研究者の山極寿一さんへのインタビューが掲載されています。本誌発行者の女性に、「あんな忙しい先生へのインタビューよく出来たね」と言ったら、駄目元で申し込んだらすんなりOKが出たそうです。霊長類学の権威であり、京大総長を勤めた方、ということで最初は緊張していたそうですが、「手土産の焼酎を渡すと会話はとたんにテンポを上げる。それは僕らの想像以上に、山極先生から『僕らの考え』が語られる喜びに満ちた時間となっていった。」と、このインタビューがとてもいい雰囲気だったことが伺えます。
この中で、先生は「技術に人が奉仕するんではなくて、技術が人に奉仕するっていう、そういうシステムを作らないといけない。 もっと端的に言えば、今は人間の社会が経済に奉仕している時代だよね。逆なんですよ。社会というものがあって、それをさらに豊かにするために経済っていうものがあるべきだったのに、今は逆になっちゃったんです。」と語っています。
このインタビューを読むだけでも価値ありですが、最後に、「そもそも、なんで『新百姓』をつくろうと思ったの?」という発行人と編集長を交えた対談が載っています。これが、なるほどね、と納得の対談です。これからの編集に期待大です。
ゴリラ研究者の山極寿一著「スマホを捨てたい子どもたち」(古書/ポプラ新書500円)。巻頭で、著者が中高生と対談した時に、スマホを捨てたいと思っている子どもたちが多いことに驚いたという文章がありました。
インターネットのネットワークが全世界を覆い、AIが私たちの生活全般に入ってくるこの時代、人はどのようにして他人とつながってゆくのかを論じています。
人間の脳の大きさで、安定的な関係が築けて繋がれるのは150人前後だというのが文化人類学では定説になっているのだそうです。それ以上になると関係性が保てなくなるのです。先生によれば、
「ぼくにとっては、年賀状を出そうと思ったとき、リストを見ずに思いつく人の数がちょうどこのくらいです。互いに顔がわかって、自分がトラブルを抱えたときに、疑いもなく力になってくれると自分が思っている人の数ともいえます。」
ネットの網を介して繋がれる数は膨大に増えたのに、安定的な信頼関係を保てる集団のサイズは150人規模のままです。見知らぬ人たちと繋がれるようになって、どんどん集団規模が拡大していくという幻想で、身体的繋がりが失われていき、孤独が人間を支配していきます。今、考えるべきなのは、「人間は『生物』として進化してきたことを自覚し、生物としての人間の幸福な在り方、生き方を考え、現代文明と付き合っていくこと」だと著者は考えています。
では、「人間の生物的特性」って何だろうか?ゴリラやニホンザルを研究してきた著者が本当に知りたかったのは、実は人間だったのです。ここから、彼らとの暮らしを経験したことから、見えてきた人間の不思議さについて語られます。
本書は新書というスタイルで、しかも発行元がポプラ社という児童文学を主に出版しているところだけに、平易な文章で、専門用語をなるだけ使わずに書かれています。先生の本の中では、対談を別にすれば最も読みやすい一冊かもしれません。
「人間は本来、他者に迷惑をかけながら、そして他者に迷惑をかけられながら、それを幸福と感じるような社会の中で生きていく生物です」
そのことを先生はゴリラから学んだと書かれています。先生の”通訳”を通して、ゴリラたちから人間はどうあるべきかを学んでみるのはいかがでしょうか。
京都の出版社英明企画編集(株)が、シリーズで「比較文化学への誘い」を出しています。比較文化学?って何と思われる方も多いと思いますが、これからの時代、重要な学問になってくるかもしれません。
「世界のどの地域に出かけても同じような『もの』があふれ、文化の違いがなくなりつつあると感じる一方で、文化による差異を思い知らされ、異文化理解に当惑することが少なくありません。」
お隣の韓国や中国、比較的多くの情報が入ってくるアメリカ合衆国のことでさえ、私たちには知らないことが沢山あります。ましてやイスラム圏の文化となると、もうほとんど知らないという方が多いと思います。
比較文化学とは「文化の相違と共通性を明らかにする学術的な学問領域です。比較文化学を学ぶことは、文化を相対化するまなざしを身につけ他者(異文化理解)を深めることにつながります」と、このシリーズ発行の意義が本の扉に書かれています。ヘェ〜、あの国ではこんな風に考えるんだ、行動するんだということを分かった上で、仲良くしましょうという手助けをするシリーズだと思います。「食からみる世界」、「弔いにみる世界の死生観」、「比較で捉える世界の諸相」、「文化が織りなす世界の装い」、「祭りから読み解く世界」が出ていて、今回6冊目として「人のつながりと世界の行方 コロナ後の縁を考える」が出版されました。山極寿一京大総長の論考に続いて、「『つながり』の変容から考える日本の未来」という座談会で、人類学のスペシャリストたちが、人がつながってゆく重要性について議論が行われています。さらに、世界各国では人と人はどうつながっているのか、フィールドワークによる検証論文が掲載されています。
大阪にある国立民族学博物館の藤本准教授は、「困難に直面している今だからこそ、多様な地域に暮らす人々が環境の変化に適応しながらつながりを築いている様子に、改めて目を向ける必要がある。異なる文化のなかで育まれた人のつながりについて学ぶことは、これからの社会の可能性を拓くことにも結びついていくだろう。」と結論付けています。このシリーズは、今後ますます重要になっていくと思います。
小川洋子、太田光、中沢新一と異種格闘競技のような対談集を出してきた山極寿一先生が、またもや対談集を出しました。それが「虫とゴリラ」(毎日新聞社/古書1100円)です。対談相手は養老孟司先生。解剖学と人類学と学問の違いはあれど、なんとなく似た者同士の組み合わせですが、このお二人が面白くないはずがない。刺激に富んだ対談集でした。
本の紹介に入る前に、先日NHKの番組で山極先生が、哲学者、歴史学者というジャンルの違う学者と、コロナ後について語り合ったことを書いておきます。番組で先生は、「地球は人間が主人公ではない。多くの細菌、多くの生物の住む惑星であり、人間が主人公の如く生態系を破壊している。」と語り、例えば温暖化の影響などでコロナとはまた違う生物が登場する可能性もあるから、生態系、自然環境をあなどることをしてはいけないと言われたのですが、今回のコロナ騒動下で、最も腑に落ちた意見でした。
その思想が本書にも流れています。自然との感動を分かち合う生き方を求めてゆくことの大事さが語られています。元来、秋になれば山から聞こえてくる鹿や猿の繁殖期の鳴き声や、春には鳥の繁殖の鳴き声に、日本人の情緒は影響されてきたはず。しかし、「今、森が空っぽになっちゃたから、気温の変化や、そういうものでしか判断できなくなっちゃった。自然に対する感覚を失って、人間が機械的な反応しかできなくなったいう気がするんです。」と語っています。
洗剤で荒れた河川を下水道整備でもとの状態に戻した時に、「役所がフナを放しやがった。フナなんて一匹もいなかった川なのに。」と養老先生。
すると山極先生が、役所は日本の水田の構造・生物環境を調べずに「『復元すりゃいいでしょう』って、いろんな生き物を放しちゃった。それで生態系が変わり、外来種もずいぶん増えちゃった」と答え、さらに養老先生が「いちばん悪いのはアメリカザリガニ。あいつら、本当にたちが悪い」と切り返していきます。なんだか、飲み屋さんで、ご隠居のうんちくを聞いている感じで、とても楽しい読書時間です。
最後の山極先生の発言は、これからの生き方を考える上で大切なことが語られているので、長いですが、全文載せます。
「日本列島はもうほんとうに多様ですから。この多様というのをうまく反映させた地域づくりと、自然観をつくっていかないと。工業化っていうのは、均一性に向かうんですよ。もちろん海外からくるものは、みんな均質、質保証って言うでしょう。あの質保証っていうのがね、厄介なんです。ある質っていうのをクリアしなくちゃいけない。だから、その質をクリアしないものは、製品にならない。捨てられていくわけです。こぼれ落ちていくものほど、価値がある。だから、うちはいくつもそのこぼれ落ちたものをいただいて食べてますけども。そっちのほうの、価値観を持たなくちゃいけないと思います。」
そして「こぼれ落ちたものが、いちばん面白いんですよ」と養老先生が締めくくりました。
★お知らせ
6月より、営業日・時間を下記のように変更いたしました。
月曜、火曜定休。 営業は水曜日から日曜日まで 13時〜19時とさせていただきます。また、ギャラリーの企画展も7月から再スタートをいたします。度々の変更でご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いします。通販、メールでの在庫確認は常時できますので、ご利用ください。(info@book-laetitia.mond.jp)
休業初日の店長日誌です。
山極寿一と中沢新一の対談集「未来のルーシー」(青土社/古書1300円)は、とてつもなく面白い知的刺激に満ちた対談集です。山極先生の対談集は、小川洋子との「ゴリラの森、言葉の海」、太田光との「『言葉』が暴走する時代の処世術」など、読みやすく内容も濃かったので、当ブログでもご紹介しました。
この本もそんな風にすらすら読めると思って手にしたのですが、なんせ相手が人文科学系で、刺激的な著作を発表している中沢新一先生。学者同士の対談です。各々の専門分野はもちろんのこと、周辺の学問分野へ話は飛んでいき、西田幾太郎が出てきたときは、私の手に負えない状況になってしまうのですが、それでも読書中、貧弱な脳みそが、ふつふつと煮えたぎってきて面白い。
森羅万象を横断しながら、これからの私たちが進むべき、より良い未来を模索してゆきます。見よ、この付箋の多さ(写真下)。自分なりに消化したはずの部分です。最終章「華殿的進化へ」(もうこのタイトルだけで??ですね)で、松尾芭蕉の「秋深し 隣は何を する人ぞ」という一句を持ち出し、この句の背後に広がる東洋的世界観を山極先生は、こう論じます。(短く要約できないので、長いけど引用します)
「西洋的な、因果論的に人間の行為や自然の現象を読み解こうとする思考の結果、初めて「意味」というものが出てきます。いま多くの人が「生きる意味」が無いと困ってるわけです。そんなものは探さないほうがいいと私は思います。いま中沢さんがおっしゃった「秋深し 隣は何を する人ぞ」というのはまさに意味を消しているのですね。お互いに感じあって、みんなで共有し合うことの深さ。楽しさというものが、まさに生そのものであるということ。そこにはお互いに干渉しあわないけれど、お互いの存在を感じあえるような共存が語られています。」
今や、破壊尽くされて瀕死の状態の地球環境。「それを救うには、今一度人間と他の生物や物理的な環境を包括的に捉える観点に立たねばならない。生物も環境も互いにつながり合って循環する共生園を作っているという考え方である。」と、結びの言葉として書かれています。文章にすればわずか数行のこの真実を、二人の知識人が、語り合ってくれたのが本書です。
こんな時期に自宅にこもって、頭をフル稼働する楽しさを本書で堪能してください。
★お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業いたします。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)
また、休業中でも店内で作業していることがあります。その時は半分店を開けていますので、ご用があれば声をかけてください。(店長日誌にてお知らせします。)
★★ 今週は4月25日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。
密林の奥に分け入ってゴリラの世界を研究する、霊長人類学者山極寿一と、言葉の森に分け入って物語を紡ぎ出す小川洋子という、全くフィールドの違う二人が対談する「ゴリラの森、言葉の海」(新潮社/古書1100円)は、知的好奇心がムクムクと起こる素敵な一冊でした。
2014年紀伊国屋のホールで開催された二人のトークショー、同年および翌年に行われた京大の山極研究室での二回にわたる対談、そして2016年、屋久島の深い森の中で行われたフィールドトークがまとめられました。
「ずっと私は山極さんの声に耳を澄ましていた。言葉の響きに残る、言葉のない世界の気配を感じ取ろうとしていた。そこにはゴリラのドラミングやインパラの足音が、人間を圧倒する意味深さでこだましていた。霊長類学者と作家が同じ地点を見つめて対話できたのは、全て山極さんのおかげである。」という小川は、あらゆるゴリラへの疑問や、思いをぶつけていきます。それを山極は、ある時はユーモアたっぷりに、ある時は人間社会に置き換えて論理的に答えていきます。
「一人で行動するゴリラのオスというのは、本当に孤独なんですよ。いったん群れを離れてしまうと、ほかの群れからも絶対に相手にされないし、ひとりゴリラ同士の付き合いもほとんどない」という話から、ゴリラも孤独をかみしめるという、笑ってはゴリラに可哀想だけれども、なんとなく笑えてくるような雰囲気を作る二人のペースに乗せられて、ゴリラの社会を知ることで、私たち人間とは何者かという根源的な疑問へと向かっていきます。
「ゴリラやサルと付き合いながら自然の森を歩いていると、生きることに意味などないような気になる。それぞれの生物に与えられた時間があり、それをあるがままに生きるのが生命の営みというものだ。」と、山極は後書きに寄せています。「あるがままに生きる」とは深い意味を持った言葉です。
ところで、映画「キングコング」でコングがドラミングをして、相手を威圧するシーンがありますが、実際は全く違って、「戦いの宣言ではありません。ゴリラたちは、自分の意想を相手に危害を加えずに紳士的に伝えることを編み出したんですよ。」というのが真実です。危害を加えずに紳士的に伝えるか。何かと物議を醸し出すトランプ氏も、彼らの教えを受ければ、もっと平和的になれるかもしれませんね。
★イベントのお知らせ
6月5日(水)より「世界ひとめぐり旅路録」展をされる小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)
京大総長で、京大霊長類学を代表する山極寿一さんの棚が、当店にはあります。専門的なものは扱っていませんが、「ゴリラの森に暮す』(NTT出版/古書1400円)、「ゴリラは戦わない」(中公新書/古書600円)といった専門のゴリラのことを平易に書いた本や、「父という余分なもの」(新潮文庫/古書550円)、「オトコの進化論」(ちくま新書/古書950円)の文化人類学から派生したものなど、様々な示唆に満ちています。
山極さんと、東大人類学を率先する尾本恵市さんとの対談「日本の人類学」(ちくま新書/古書650円)は、頭脳明晰な人たちの対談の面白さを堪能できます。
先ず、尾本さんが、東大では人類学者が低い扱いを受けていて、とてもじゃないが大学の総長なんかなれない、ましてや総長室にゴリラの写真が飾ってあるなんて、事務方が認めないと言う話から入り、お互いが人類学という学問に進んだことへと移ってゆきます。
山極さんがゴリラを専門にしたのは、先輩たちが皆チンパンジーの研究へと向かっていたので違うものをやりたいと思ったのだそうです。「チンパンジーは人間を超えている感じがしなかった。ゴリラを人間とちょっと違っていて、ある意味で人間を超えている感じがしたんです。」事実、ゴリラは抑制のきいた社会を作っていて、仲間同士の殺し合い、縄張り争いが無いらしい。
また、あの大きなゴリラは、ペニスも睾丸も極めて小さいそうです。それに比較してチンパンジーは極めて大きい。彼等の社会は乱婚制だから、相手構わず交尾します。性行為の頻度では人間以上。さらに、射精まで平均6秒。だから。メスは妊娠するまで1000回以上交尾するとか。
こういった柔らかい話を交えながら、狩猟民族と農耕民族の社会へと話は進みます。「狩猟民族にとって自然と人間は平等で、支配、被支配の関係ではない」、一方の農耕民族は「自然を自分たちの手で整理し、人工的な食料環境につくりかえる。」その時から自然の頂点に立つのは人間であり、神に許された行為であった。神の貢ぎ物をする、というところから支配、被支配の考え方が生まれていきます。
極端に言えば、狩猟民族というのは私有を否定する文化であり、土地は私有せず、みんなで共同利用するものであったというのが、お二人の共通認識です。私たちは農耕文化を選択して、ここまで来たのですが、今一度振り返る時期かもわかりません。
アフリカの土人は暴力的だ!教育しなければ!と叫んで、植民地化したのは西洋文明です、しかし、文化人類学者たちが研究した結果、彼等は平和的で、素晴らしい文化を持っていることが判明しました。山極さんは「政治家はそれを認めていない。それが大きな問題なんですね。彼らはいまだに、西洋文明が世界の頂点にいると信じ込んでいる」と指摘しています。これからのあるべき人類の姿を考える一冊です。
★お知らせ★
レティシア書房 第5回「女子の古本市」2/21(水)〜3/4(日)
京都・大阪・兵庫・滋賀・岐阜・東京などから、出展者が女性という古本市です。お買い得の面白い本を見つけにお越しくださいませ。
「都市と野生の思考」(インターナショナル新書400円)は、京都大学総長の山極寿一と、京都市立芸術大学学長の鷲田清一との対談集です。
二人の知識人が、様々なテーマで縦横無尽に語り合います。大学の存在意義、老いと成熟を学ぶ場としての京都、これからの家族の在り方、アートの起源、自由の根源、ファッションに隠された意味、食の変化がもたらすもの、教養とは何か、AI 時代の身体性まで語り尽くします。優れた知識人の話が、読者の知的好奇心を膨らますというのは、こういう本のことですね。私は1章づつ、電車の中で読みました。
ところで、東京生まれで生粋の京都人ではない山極先生は、京都をこう語っています。
「京都ではいまだに、衣食住にかかわるしきたりがきちんと保たれている。これが根っこを共有する意義でしょう。これは表に現れないからこそ大切なものだった。そんな根っこを日本の多くの地域は失ったんですね。」
へえ、そうなの?と思わないこともないんですが……..。
山極寿一は、ご存知のように霊長類の研究者として、研究発表、執筆など様々な活動をされています。その中の一冊「ゴリラの森に暮す」(NTT出版/絶版1400円)はお薦め。アフリカのザイールで野生のゴリラを追い求めてジャングルを駆け巡った日々を中心に書かれた本ですが、文章が平易で、専門用語が少ないので誰でもスルリと読めます。第一章の「原生林の世界」だけでもお読み下さい。ジャングルで道に迷い野宿をしたその夜、すぐ側に何頭ものゴリラたちが集まっていた時のことなど、小説みたいに面白く読めます。
山極寿一が原生林を歩きはじめたのは、数十年前。日本でサルを観察するために、各地で餌付けが始まり、成果は大いにあったみたいです(京都なら嵐山のサルが有名)。しかし、その一方、これで本当に野生に生きるサルの生態が解るのだろうか、と、人間からエサをもらうために道路沿いにズラ〜ッと並んで待ち続ける彼らを見て、疑問に思い始めます。それで日本各地を巡り、最後に屋久島に行き着きました。
屋久島に棲息するサルたちの生態を追って、彼らの社会を描いたのが「サルと歩いた屋久島」(山と渓谷社1200円)です。当時、大学院生だった著者は、各地で餌付けされて、やけに人間に親しいサルたちに違和感を抱いていました。ところが、屋久島のサルたちは、まるで人間なんて存在しないかのように振る舞っていました。そんな野生のサルに引込まれてゆく姿が描かれたネイチャーエッセイです。
笑い顔が素敵な著者の研究の原点を読むような二冊のサル本です。
★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。
北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします)
定期的に刊行されている雑誌で、個人的に気になるものがあります。
「Coyote/コヨーテ」(スイッチパブリッシング)、「MONKEY」(スイッチパブリッシング)、「考える人」(新潮社)、「Kotoba」(集英社)等々です。どの雑誌も200ページ以上のボリューム満点で、びっしりと活字で埋まっています。読破はなかなかです。
「考える人 2015年冬号」(600円)の特集は「山極寿一さんと考える家族ってなんだ?」というテーマで、山極先生のロングインタビューが掲載されています。ゴリラ研究の第一人者で、現京大総長が、人にはどうして家族が必要だったのかを語ります。この中に150人という数字が登場しますが、これが面白い。ぜひ、お読み下さい。
翻訳家の柴田元幸責任編集が売りの「MONKEY」は、海外小説好きにはたまらん一冊ですが、海外の小説に縁遠い方でも、特集次第では結構楽しめます。
例えば2014年夏秋号は「こわい絵本」(600円)という特集です。いくつかの作品が載っていますが、ブライアン・エヴンソンの「本と女の子」は、「こわい」というよりは、「悲しい」お話です。柴田さんと穂村弘の「怖い絵本はよい絵本」という対談で、二人が「こわい絵本」をどんどん紹介していて、この特集を参考に集めてみるのも、楽しいかもしれません。
2015年夏秋号の「音楽の聞こえる話」(600円)は、音楽にまつわる小説がメインですが、音楽そのものを描いたものではありません。この特集では、海外の作家だけでなく、柴崎友香、小川洋子、松田青子らの作品も登場します。どれも、短篇ならではの魅力に溢れた作品ばかりです。松田の「天使と電子」の奇妙なタッチも、読む者をきっちりと作家の世界に引っ張ってゆく小川の「少年少女」も、ともに素敵な小品ですが、柴崎の「バックグラウンドミュージック」に引き込まれました。
ラストで、ヒロインの弟が、昨日と今日の自分の違いについて、むかし中学時代の先生から、聞いたことを語ります。
「昨日より確実に一日死ぬ日が近づいたってことや。棺桶に入る日が一日近くなったんや。」
弟の話を聴きながら、遠くをみつめる姉。この小品、もっとストーリーを膨らまして映画にしても面白かもしれません。