10年ぐらい前に出た高野和明著「ジェノサイド」には衝撃を受けました。イラクで戦うアメリカ人傭兵と、日本で薬学を専攻する大学院生が主人公で、人類滅亡の危機に立ち向かうという冒険活劇でした。この作家の久しぶりの長編小説が「踏切の幽霊」(文藝春秋/古書900円)です。

「1994年の晩秋、箱根湯本駅の長いホームを、運転士の沢木秀男が歩いていた。」から物語は始まります。沢木は箱根と新宿を結ぶ私鉄に勤務しています。都会の片隅にある踏切で撮影された一枚の心霊写真。この踏切では、列車の非常停止が相次いでいました。物語冒頭に登場する沢木の運転する電車も、踏切に人影を見つけて急停車します。

一方、雑誌記者の松田は、読者からの投稿写真を手掛かりに心霊ネタの取材に乗り出します。当初は乗り気全くなしの状態で取材に入るのですが、調査を進めるうちに暴力団、大物政治家、翻弄される女たちの姿が浮かび上がってきます。ゴーストストーリーで出発したのに、途中からリアルな物語へと変わっていきます。

幽霊となって踏切を渡ろうとする女性の身元を調べようと奔走する松田。しかし、その女性については全く情報が得られないのです。かろうじて「いつも陰気な作り笑いを浮かべ、金のために体を売っていた性悪女」という、彼女を知っていた人たちの証言だけ。

「誰も彼女の素性を知らない。出身地はおろか、本名すら知る者はいない。身元不明のまま死んでいった女は、肉体を持ってこの世に存在していた時でさえ、実態のない幽霊のような生き方をしていたのだ。」

やがて、女性の生い立ちがわかってきます。そこには父親の性的虐待が大きく関与していました。もうこのあたりから物語は、2時間サスペンスドラマ的世界から離れて、彼女の悲しい一生へと向かっていきます。松田は、ようやく見つけた女性の母親の悲惨極まりない話を聞いたあと、母親の人生に思いを馳せます。

「あの人は、これからどうやって生きてゆくのだろう。孤愁と懐旧の狭間で老いてゆく他に、何ができるというのだろう?」

著者は性的虐待という重いテーマを選びました。その重さは読者にも伝わり、残ったまま幕を閉じます。なぜ彼女が幽霊になってでも踏切を渡ろうとしたのを知るラストは、その切なさに涙がこぼれそうでした。

最愛の夫が交通事故で死んでします。安置所で、白い布をかけて置かれた彼の死体。ところが死体は、急に起き上がり、白い布を被ったまま歩いて安置所から抜け出し、野原を越えて、懐かしい我が家へと戻っていく。どうやら妻にも、他の人には彼の存在は見えていないらしい。え?死んだら魂は神の国に行くはずなのになんで…….?

映画「ア・ゴーストストーリー」は、そういう風に始まります。セリフを極端に減らし、ひたすら長回しの撮影スタイルと透明感のある色彩で、この男、いや幽霊を見つめていきます。誰もいない空間に、ぽつんと立っている幽霊は、絵画にような美しさともの悲しさに満ちあふれています。

家に戻ってきた妻は、心配した友人が作って置いてくれていたケーキを、ひたすら食べ続けます。あまりの悲しみに、ただただ食べ続ける姿は極めてリアルで、カメラはその姿をずーっと長回しで追い続けます。そんな彼女の側に幽霊はじっと居続けます。シーツの目のあたりにふたつ穴が開いているだけなのですが、愛しそうに哀しそうに、見ています。

37歳の監督デヴィッド・ロウリーは、幻想的なカットとリアルなカットを巧みに織り交ぜながら、この世のものでも、あの世のものでもない物語を見せてくれます。

季節は巡り、やがて妻には新しいボーイフレンドが出来て、思い出深い家を静かに出ていきます。間もなく、スペイン系の家族が引っ越してきます。思い出が消えるのがつらいのか、楽しそうな家族に嫉妬したのか、幽霊は家の中のものを滅茶苦茶に壊してしまします。幽霊が見えない人にしてみれば、もう恐怖の家ですね。その後若者たちが出入りしたりしますが、そのうち定住者がなくなり古びて荒れていく家。それでも、幽霊は留まりつづけていました。が、ある日クレーン車によって、壊され更地になり、大きなビルが出来てしまいます。無骨な鉄骨で組まれたビルに立つ幽霊の姿。もう、ここまでくると、誰か成仏させてあげて!と祈りたくなりますが、これがアメリカの映画であるところが何とも不思議です。

仏教的なようでいながらも、宗教臭さが全くないのも面白いところです。幽霊には幽霊なりの”人生”があるみたいなのです。こんなにも美しく、哀しい映画は久々です。何だかわからんことが平然と起こる映画なので、真っ新な心でご覧下さい。

★話は違いますが、店の前のツワブキの花(左)が咲きました。これは、3年前に亡くなった母の家から少し株分けして持ってきたものですが、きれいな蝶々が止まったのでシャッターを押しました。もしかしたら母も店の行く末を心配しているのか。