「荒地の家族」(新潮社/新刊1870円)は、震災から10年余りたった今も、この地でささやかな造園業を営む中年男、祐治の物語です。最新の第168回芥川賞を受賞しました。著者は、仙台在住の現役の書店員で、2017年「蛇沼」で第49回の新潮新人賞を受賞し、その後も執筆活動を続けてこられました。
2021年4月発売の文芸雑誌「新潮」に著者の「象の皮膚」という作品が掲載されました。たまたま書店でこの雑誌を手に取った時に、著者の文章を目にしました。その硬質な文体が私好みだったので、店頭でしばらく読んでいましたが、買うこともなく店を後にした記憶があります。その硬質な文体は今も健在で、何の未来も見出せない男の魂の、彷徨を描き出しています。
「災厄に見舞われたのは、祐治が造園業のひとり親方として船出した途端だった。そしてその災厄から二年後、妻の晴海をインフルエンザによる高熱で亡くした。晴海は心労で弱っていて、最期はひとり息子の啓太を残して脆く逝った。祐治は生活の立て直しに必死だった時期で、事態に心が追いつかず、晴海が肉体を残して魂だけ海に攫われたような思いだった。」
その後彼は再婚するのですが、妻が流産をして、二人の関係は修復できる限界を超えてしまいます。彼女は家を飛び出し、離婚。先妻との間にできたひとり息子と、祐治の実家で母との3人暮らしを続けています。肉体労働の辛さに、中年男の体は悲鳴をあげ始めるのですが、これ以外にできることはなく、生活に追われていきます。震災に端を発する喪失を抱えながらも、肉体を酷使して生きていくしかない男の姿を冷徹に見つめていきます。この地に生きていかねばならないリアルな心情が迫ってきます。
「道路ができる。橋ができる。建物が建つ。人が生活する。それらが一度ひっくり返されたら元通りになどなりようがなかった。やがてまた必ず足下が揺れて傾く時がくる。海が膨張して押し寄せてくる。この土地に組み込まれるようにしてある天災がたとえ起こらなかったとしても、時間は一方向にのみ流れ、一見停止しているように見える光景も絶え間なく興亡を繰り返し、めまぐるしく動き続けている。人が住み、出ていく。生まれ、死んでいく」
では、どうすればいいのか。どんな風に明日を見つめて生きていけばよいのか。祐治の痛みは癒されてゆくのか…….。
「海と陸の間で生き残った俺は幸運か。祐治は死んだ者らに取り囲まれる瞬間があった。責めるでもない。追い立てるわけでもない。死者が手に手を取り合って自分を見ているようで、呼吸もままならない。」
もう、彼らの元に行くしかないのか。しかし、物語はそんな簡単に幕を降ろしません。ほんの、ほんのわずかの希望をラスト一行に託すというウルトラC級の技で終わります。母親の最後の言葉に、読むものも救われたような気がします。
先日の京都新聞朝刊で著者は「受賞者は後の生き方や作品を問われる」と述べていました。受賞の重みを背負った著者の次回作に期待します。
岩手県大槌町。東日本大震災発災時、町庁舎に残っていた町職員幹部ら数十人は、津波接近の報を受けて屋上に避難しようとしたものの、約20人が屋上に上がったところで津波が到達。町長と数十人の職員は間に合わず、庁舎を襲った津波に呑み込まれて、そのまま消息が途絶えました。
この地に生まれ育った菊池由貴子は、震災の後、たった一人で、大槌町のことだけを伝える新聞「大槌新聞」の発行をスタートさせます。発行開始から、幕を降ろすまでの10年間を振り返ったのが「私は『ひとり新聞社』」(亜紀書房/新刊1980円)です。
震災前、彼女は様々な病気に苦しめられ、ICUで二度の心肺停止に追い込まれます。なんとか危機を脱したあと、結婚と離婚を経験します。
「離婚後は夢だった獣医のかわりにになるような仕事を見つけられず、自分の存在意義を見出すこともできないまま、ただ毎日を暮らしていました。津波が来たのは、そんな頃でした。」そのときそこに居た人の津波の描写に言葉が出ません。当然ながら町は大混乱し、正確な情報が伝わらず、住民は途方にくれます。
「大槌町の情報は、町民みずからが書くべきだと思いました。町民目線で書けるのは、そこで暮らす町民しかいません。まちづくりを住民みんなで考えるためには情報が必要です。町の情報は、まずは住民が知るべきで、みんなで共有されるべきです。」
「いつか大槌の新聞を作りたい」と決心し、ここから彼女の新聞作りが始まります。新聞編集ソフトと格闘し、慣れないインタビューをこなします。そして2012年6月30日、これからの町づくりを住民とともに学ぶ新聞が創刊されます。役所が出す公報のような上から目線ではなく、住民たちの日常目線で紙面は作られていきます。
そんなある日、京都新聞社元社長の斎藤修氏から、この新聞が読みたいという手紙が届きます。氏は、活字の大きさや「です・ます調」の文章、大半がまちづくりの情報であることに、これが新聞?と驚いたそうですが、「『これでこそ大槌の新聞だ』と思い直した」のだそうです。
町はやがて復興への道を歩み始めます。しかし、震災後の苦労を共にした町長が選挙で交代し、新しい町長に変わったところから、予期しなかった方向へと進んでいきます。後半は、新しい町長の運営方針がコロコロ変化したり、疑惑が浮上したりして暗雲が立ち込めてゆく様を時系列に追いかけたノンフィクションになっています。おそらくこういう問題は、震災後、方々の村や町で起きていたと思います。
彼女は新聞を続ける理由を三つあげています。それは、「復興情報の発信」「地域課題の取り上げ」「大槌は絶対にいい町になることを言い続けること」です。最初は郷土愛なんてなかったはずなのに、いつの間にか郷土を思う気持ちに押されて、復興の最前線を見つめた一人の女性の姿が印象に残ります。政治家もマスコミも、まるで震災のことは終わったかのような態度ですが、まだ何も終わっちゃいないという事実を教えてくれる本でした。
盛岡市在住の作家・俳人のくどうれいんを初めて知ったのは、ミニプレス「てくり26号」(まちの編集室/660円)でした。「文学の杜にて」という特集の案内役でした。この号の表紙になっている書店「BOOKNERD」が自費出版した「私を空腹にしないほうがいい」を経て、2020年九州の出版社書誌侃々房から出たエッセイ「うたうおばけ」(1540円)、左右社から歌集「水中で口笛」(1870円)と続き、読者を獲得していきました。
そして、2021年発行された「氷柱の声」(講談社/新刊1350円)で芥川賞候補になりました。連作短編小説のスタイルで、東日本大震災が起きた時、盛岡の高校生だった伊智花が主人公です。震災から10年の時の流れの中で、彼女がどう変化し、どんな生き方を選んでいったかが描かれています。
「うん。かえせ。わたしの十代をかえせ、って、思っちゃった。なんていうか、震災が起きてからずっと、人生がマイボールじゃないかんじっていうか。ずっといい子ぶってたんじゃないかと思っちゃったんです。福島出身で、震災が起きて、人のために働こうと思って医師を目指す女。美しい努力、なんですよね。たしかに。もともとかしこくていい子だからわたしはそういうのできちゃうし、無理もなかったんですけど。でも、これからずっと美しい努力の女として生きていくなんて、もしかしたらいちばん汚い生き方かもしれないって思って、思ったらもう、無理かも!って。だから退学したの」
これは、伊智花の友達で医学部に通うトーミの台詞です。震災を経験したから、こういう生き方が美談に祭り上げられて、彼女たちに重くのしかかってゆく。
震災直後から、メディアは多くの物語を垂れ流し続けてきました。震災の当事者であってもそうでなくても、何かをしなければという思いにとらわれていき、がんじがらめになってゆく若者たちの青春群像が時に痛ましく、時に切なく描かれていきます。
東京の大企業の就職した釜石出身の青年、松田は、会社を辞めて故郷に帰る決心を上司に伝えた時、こんな言葉を投げつけられます。
「震災でちやほやされてたか知らないけど、折角震災採用なのに辞めたら後悔するぞ。」
この時、彼は震災体験者=かわいそう=助けてあげよう=それが企業の社会貢献、という図式に気づきます。
伊智花自身、震災とどう向き合うのかわからないまま生きてきました。しかし、それぞれに思いを抱えた仲間と出会うことで、自分が納得する生き方を見つけていきます。
「いまはちゃんと人生がマイボールになっているから大丈夫。やれることをやれるようにやるしかない。『今やること』がないなら作るしかない。自分がいちばん納得するようにやるんだよ」と、医学部をさっさと辞めて海外に渡り、再び福島で働くトーミは言います。
曇り空の隙間から青空が見え出してきた時に感じるような気分を、味わうことができました。
⭐️北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。
10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約
「震災で消えた小さな命展」では、東日本大震災で犠牲になった動物達の絵(複製)を展示しています。
かけがえのない命を失くした飼主に、天国へ旅立った動物たちの話を聞き取り、100名近くのイラストレーター、絵本作家が協力して、動物たちの絵を描きました。今も次々と描かれた原画の展示は各地を回っているのですが、最終的に飼主さんの元へ贈られます。それで、その後原画の中からいくつか複製画が作られ、各地のボランティアの働きで巡回しているのです。
京都での巡回ボランティアをしていらっしゃる松永さんは、2013年「ひとまち交流館」で開催された原画展を観に行って、お手伝いされるようになったとのこと。今回、松永さんとのご縁で、本日より5日間だけですが(今週日曜まで)レティシア書房で開催出来る事になりました。
主宰者の絵本作家うささんは、震災後、東北へボランティアに行き、そこで多くの人の命とともに、想像を絶する数の動物が命を落としたことを知ります。飼主さんたちの心の傷は癒えることがありません。何故、彼らは命を落とすことになったのか、動物の命は尊重されているのか。「見過ごされる命、声なき声を、展覧会を通して伝えたいと思います。」という主宰者の声を聞いて頂ければと思います。そして、震災から6年経った今も、動物の命の救われ方が変わっていないことを、この展示を機会に知って頂ければと思います。うささんが描かれた「ぼくは海になった」という絵本は、流されて亡くなったお母さんと犬のチョビのお話ですが、犬を飼っている身には涙なくしては読めませんでした。(絵本「ぼくは海になった」展示中販売しております。1400円)
池田あきこはじめ、絵本作家・イラストレーターの方々が、震災で亡くなった犬、ネコ、鳥、牛などの在りし日の姿を描き、絵には、それぞれのエピソードも書かれています。中には、飼主からの手紙も展示してあります。
「避難所ではペット受け入れ不可だからと、避難できるのに避難せず、自宅に残った人、ペットを連れて避難所に向かったが、一緒に入室を断られたために、自宅に戻った人・・・・その人たちは、ペットと共に亡くなっています。姿かたちが違ってもその命を思う人にとっては、大切な家族です。ペットの命を助けることは、人の命を助けることにつながるのです。」
ペットだけでなく、畜産業者の牛の話もあります。生き残った牛が、子牛を産みますが、警戒区内で交通事故に遭い、亡くなってしまうという辛い体験談です。
「避難時に一緒に連れてくるものは、その人にとっては大切な存在であり、共に助かりたいから連れてくるのです。初めから救える命、救えない命と、命の線引きから決めるのではなく、命は全て救うもの、そこから考えていただきたいと切に願います。」
ペットを飼っている方も、そうでない方も、ぜひご覧ください。(女房)
◉7月9日(日)まで開催です。(会期中無休。最終日18時まで)
★うささんの絵本・ポストカード・クリアファイルなど販売しております。
これ、石川梵の著書「フリスビー犬、被災地をゆく」(飛鳥新社950円)の最初の文章です。
石川さんは、辺境の民を見つめた作品で知られているフォトジャーナリストで、当店でも「鯨人」(集英社新書400円)、「時の海、人の大地」(売切中・近日再入荷)等が人気です。彼が、愛犬十兵衛を連れて東日本大震災の被災地を回った記録が「フリスビー犬、被災地をゆく」。なんで、犬を連れて?と思いの方もおありでしょう。最初から、彼も連れていったワケではありません。
震災直後から現地に入り、実情をカメラに収めてきました。(その時の記録写真「THE DAY AFTER」も近日入荷します。)取材から帰宅して、久々に、十兵衛と三度の飯より好きなフリスピーで遊んでいるうちに、ふと思います。
「苦難の日々が続く被災地。ひょっとしたら、犬にしかできないことが、あるかもしれない」と。
そして東北へ再取材に旅立つ朝、十兵衛を連れていきます。投げられたフリスビーをジャンプして取る犬に、被災地の子どもたちは大喜び。震災以後、ふさぎ込んでいた老人が、ふと投げたフリスビーを、楽しそうに取る十兵衛を見て、笑います。セラピードッグの誕生です。
各地で愛嬌を振りまき、みんなに笑顔を与える十兵衛。でも、この本はそんな心洗われる写真ばかりではありません。横転した機関車の前に佇む十兵衛のぞっとするような写真や、廃墟と化した海岸線を歩く十兵衛を捉えた痛々しいものも収録されています。どん底に落ちた人々に、犬一匹できることはたかがしれています。しかし、無垢な十兵衛の与える喜びは計り知れないものがあるのかもしれません。
素敵な写真があります。気仙沼港で、朝もやの中、湾を見つめる凛とした十兵衛を捉えた作品です。できることをやる、という石川さんの決意を十兵衛が表現しているかのようです。
後半、映画監督の山田洋次さんが登場します。瓦礫にたなびく黄色いハンカチ。そして十兵衛。この辺りに登場する写真は、文章がなくても力を発揮して、見るものに迫ってきます。「時の海、人の大地」で、文明からはるか離れた大地や、大海原で生きる人びとの力強い表情を捉えた石川さんの真骨頂を見る思いです。