11月10日の京都新聞夕刊のトップは、「カライモブックス京から熊本へ」という記事でした。

京都市上京区にある古書店「カライモブックス」には、ここに移転される前のお店に何度か行きました。オールマイティな品揃えのお店ですが、一つ違うのは「水俣」関係の本と、水俣産のグッズが数多くあることでした。水俣病の発症の地、「水俣」を忘れないというオーナー夫妻のスタンスが反映されていました。

新聞によると「来夏、熊本県水俣市へ移転する。新天地は、作家の故・石牟礼道子さん(1927〜2018年)の自宅。水俣病に苦しむ人々に寄り添い、近代社会の矛盾や命の尊厳にまなざしを向けた石牟礼さんに共鳴してカライモブックスを始めた奥田直美さん(43)と順平さん(42)夫妻は『石牟礼文学に触れる拠点にしたい』と話す。」

お店のオープン時から、石牟礼作品や不知火海の物産を販売し、時には勉強会も開催されていました。私は、池澤夏樹個人編集による「日本文学全集」(河出書房新社)で石牟礼作品に出会いました。収録されていた「椿の海の記」の、豊かな言語表現と色彩感覚に圧倒されました。

代表作「苦海浄土」は実はまだ読んでいませんが、「あやとりの記」「水は海土路の宮」「十六夜橋」と、続けて読みました。最近、池澤夏樹による石牟礼文学論考の「されく魂」(古書1200円)を読了。

これほど、入れ込んで読んだ作家は最近ではありませんでした。その作家の自宅が本屋になるのです。奥田さん夫妻が2022年に自宅を見に行った時、水俣に住んでみたいという二人の希望と、石牟礼さんの家を残しておきたいという関係者の思いが一致したのだそうです。予定では来年3月〜4月あたりに京都の店を閉店し、その後移住、夏にはカライモブックスを再開し、石牟礼さんの書斎の公開を目指すと新聞には書かれていました。

「石牟礼文学のファンは、石牟礼さんのまなざしを通した水俣がみたいと思う。そんな人たちが立ち寄り、交流できる場所にしたい」とは直美さんの言葉です。私もぜひ見てみたい、石牟礼さんの書斎から見える水俣を。

アメリカ中間選挙の記事を差し置いて、京都の古書店の移転の話をトップに持ってきた京都新聞、地方新聞かくあるべしと思いました。記事を書かれた行司千絵さんには、当店も何度か取材していただきました。いつもありがとうございます。

 

現在公開中のジョニー・デップ製作・主演映画「MINAMATA」に合わせての出版となった石井妙子「魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣」(文藝春秋/新刊1900円)は、妻のアイリーンと共に水俣病を取り続けた写真家ユージン・スミスの生涯を追いかけたノンフィクションです。著者の石井妙子は「おそめ 伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生」や「原節子の真実」といったノンフィクションの傑作を世に送り出しています。

この本でも、ユージンがアイリーンと出会い、水俣に行き、そこで3年間も魅入られたように写真を撮り続け、1978年10月59歳の生涯を閉じるまでを追いつづけています。また、京都に住んでいたアイリーンの元へ何度も通い、ユージンの思い出、水俣での日々、彼女の生い立ちを聴き続けました。

第一章と第二章では、アイリーンとユージンのそれぞれの複雑な生い立ちや、幼かった頃の体験が語られています。そのまま大河ドラマになりそうな怒涛の人生です。二人は1970年8月、ニューヨークのユージンのロフトで出会います。

蛇足ながら、このロフトにはセロニアス・モンクなどジャズ界のトップクラスのメンバーが集まり、ジャムセッションを毎夜行っていた場所で、この秋にはそのドキュメンタリー映画も封切られます。

さて、当時ユージンは50歳、アイリーンは20歳。二人は恋に落ち、共に暮らし、彼女はユージンの写真制作のパートナーへとなっていきます。芸術家肌のユージンのマネージメントは極めて難しい仕事でしたが、全力で彼を支えていきます。そのあたりの苦闘は第三章に描かれています。そんな折、彼に水俣病を撮影する依頼が舞い込んできます。

二人は数日間のつもりで水俣に旅立ちます。しかし、二人はそこで3年間も過ごすことになり、世界中に知られることになる水俣病の世界をフィルムに収めてゆきます。

後半は、有機水銀を垂れ流し続けた企業チッソによって、水俣に住む人々が中毒性中枢神経系疾患を患い、苦しみ死んでゆく水俣病の凄まじい現場と、それでも写真を撮り続けた二人の軌跡が詳細に描かれます。

チッソとこの企業を支援してきた県、そして国による救済措置は全く取られず、御用学者が水俣の水は安全ですと放言し、ますます多くの人々がこの病におかされていきます。(福島原発事故の時、TVに御用学者が登場し、放射能は安全ですと平気で話していたシーンを思い出します)

その後、裁判でチッソの過失が認められて、莫大な賠償金を払ったことはご存知だと思います。石井は、その訴訟時の複雑な関係、対立する水俣の住民の苛立ち、姑息な策を弄する会社側の動きを、事実を端的に積み上げながら描いていきます。350ページのボリュームのある本ですが、一気に読めます。

「ジャーナリストは裁判官に似ているとユージンは言っていた。裁判官には六法全書があるけれど、自分達にはない。六法全書にあたるものは自分の中にある誠意や信念、責任感や物の見方。つまりは自分による決断だ。その決断にジャーナリストは責任を持たなきゃいけない。客観性なんて言葉に逃げたらいけない」

その姿勢に従って彼はシャッターを押し、アイリーンは心身ともに弱っていた彼を支え、水俣の人々と戦ったのです。そういう意味で、これは二人の闘争の記録かもしれません。

ジョニー・デップが何故彼の映画を制作しようとしたのか?早速観に行くことにします。

 

 

当店で配布しているJAZZの無料ペーパー「WAY OUT WEST」というミニコミ紙から、影響を受けたジャズの本を3冊選んでくださいという企画がありました。何を紹介したかは次号をご覧いただくとして、ジャズプレイヤーとしても、人間としても、この凄味と深い思想には、敵わないと思える人物が一人います。

ピアニスト、作曲家、オーケストラ指揮者の秋吉敏子。大学時代のこと、高野悦子の「二十歳の原点」にも登場するジャズ喫茶「シアンクレール」で、煙草プカプカさせながら、うつらうつらジャズを聴いていた時、いきなり小鼓と大鼓の音が巨大なスピーカーから流れてきました。なんだ、なんだ、ここは邦楽も鳴らすのか?と思っていたら、まるで尺八みたいなフルートが流れてきたのです。そして分厚いホーンセクションが、能の地謡みたいな重々しいサウンドを奏で出しました。

レコードを見せてもらうと、「秋吉敏子&ルー・タバキンビッグバンド/孤軍」と書かれていました。ここからです、彼女の音楽家としての人生に興味を持ったのは。1956年、たった一人で渡米して、ジャズプレイヤーとしての修行が始まります。日本から来た女性ということで、バカにされたり差別されたりした事がたくさんあったと思いますが、着々と頭角を表わし、なんと自分のオーケストラを持つに至りました。しかも、このオーケストラは、彼女の作曲したものしか演奏しない、スタンダードナンバーなんて絶対にやらないという、あり得ないビッグバンドです。

当然「孤軍」も彼女の作曲です。おそらく、たった一人でアメリカで音楽を追求した自分の人生を象徴させたタイトルなんでしょう。深く心に突き刺さってくる音楽です。このアルバムの2年後、「インサイツ」という作品を発表。この中に「ミナマタ」という組曲が入っていました。観世寿夫、亀井忠雄らの能楽家も参加したこの曲は、タイトルから分かるように水俣の公害病と、病に苦しむ街を音楽で表現したものです。凄いな、ジャズでここまでやるんだ!と驚きました。

その後、「ヒロシマーそして終焉から」とうアルバムで、未来の平和を祈るアルバムを発表します。原爆記念日の8月6日、ヒロシマでお披露目公演が行われ、CD化されました(1300円)。曲は三章に分かれていて、第二章で、重森涼子さんが原爆落下直後の惨状を朗読します。そして、第三章では「これは原爆の無い世界、そして願わくは平和な世界を、と云う、広島からの愛と希望を込めた、全世界へのメッセージです」というナレーションと共に、力強いジャズサウンドが爆発します。会場にいた人達は恐ろしいほど深い感動に包まれたことでしょう。

1929年満州生まれ、今年88歳。長い人生をひたむきにジャズに生きてきた女性です。彼女の音楽に出会えたことに感謝します。

蛇足ながら、you tubeで彼女のオーケストラと和太鼓奏者林栄哲のNYでのコラボライブが観ることができます。夫君ルー・タバキンと林の凄まじいアドリブはジャズも、邦楽も飛び越した唯一無比の音楽を作り出しています。

なお「孤軍」はアナログレコードのみ在庫があります。(800円)

 

★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。

 

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