「憲法なんて知らないよ」(集英社文庫/古書350円)の著者池澤夏樹は、書いています。
「法学のホの字も知らない素人が、法律の翻訳という専門的な分野に敢えて足を踏み入れた理由は簡単、これが憲法だからだ。 憲法というのは法律の中でも最も文学的な法だ。飢えてパンを盗んだ者にはどの程度の刑罰がふさわしいかを問うだろう。しかし、なぜ彼がパンを盗まなければならなかったか、どうすれば国家は飢えるものを出さない社会を作れるか、そこを論じるのが憲法。」
文学的だと評する日本の憲法の原案、つまり戦後アメリカ側に主導された憲法の文章を、文学者の視線で翻訳したのが本書です。今の憲法は日本人が作ったものではない、占領軍のお仕着せだ、だから自主憲法を!と叫ぶ人たちがいます。しかし当時、憲法草案に参加したアメリカ側の人たちは、とても若い人々でした。平均すると40歳にならないくらいだったそうです。
「人間は若い方が理想主義に近い。歳をとるとそれだけ考えが現実的になる。しかも、この委員たちの多くはルーズベルト大統領のニューディール政策を体験した世代だった。アメリカがいちばん自由主義的だった時代に青春を迎えた人たちだ。そこで、日本の新しい憲法の草案はずいぶん理想主義的になった。」もちろん日本とアメリカの間で議論の上、何度も手直しされて公布に至ります。
そして、この憲法を日本人は熱烈に歓迎したのです。
「もう戦争に行かなくてもいい。よその国を銃をかついでうろついて人を殺さなくてもいい。自分の住む町にもう爆弾は降ってこない。政治を批判しても警察に捕まって殴り殺されることはない。 親が決めた相手と無理に結婚させられるこちもない。裁判もなしに牢屋に押し込められることもない。二十歳以上の国民みんなに選挙権があって、自分たちの代表を選ぶことができる。新しい国、国民が主役の国。」
本書には、英語で書かれた憲法原案と、それを翻訳した現在通用している日本語版、そして著者の新訳を読むことができます。よく問題にされる戦争放棄を明記した9条の「国の交戦権はこれを認めない」を、池澤訳では「国というものは戦争をする権利はない」になっています。日本国のみに限定せずに、この地球上に存在する全ての国家には戦争をする権利はない、とも読み取れます。
とても読みやすい憲法の本です。国ってこうあるべきだよね、と書かれた憲法。一度ぐらいは目を通しておいた方がいいです。
そしてこんな事も明記しているのですね。
第99条「天皇と摂政、国務大臣、国会の議員、裁判官、その他の公務員にはこの憲法を尊重し、しっかり護る義務がある」
どれぐらいの政治家や官僚がこの条文を知っていることやら……….。もしかしたら知っているからこそ、変えようとしているのか…..。
池澤夏樹が文章を書き、黒田征太郎が絵を描いた「旅のネコと神社のクスノキ」(SWITCH/新刊1870円)は、広島の被曝建物の記憶を、今に伝える絵本です。
広島市南区の一画に陸軍被服支厰という、旧帝国陸軍の軍服を作る軍需工場だった建物が4棟並んでいます。1945年、原爆投下で建物の扉が歪んんだものの、倒壊は免れて現在も建っています。8月6日の記憶を止める場所といえます。絵本で戦争を考え、平和について学ぶという構想を具体化するために池澤と黒田は、この建物にやってきます。雑誌『COYOTEー特集絵本の中の「戦争」』(古書1000円)が、この絵本についての特集をしていて、取材で初めて陸軍被服支厰に出会った黒田は「この建物は生きている」と言ったそうです。。
「黒田征太郎は被曝して亡くなった大勢の人々が、窓の奥から自分を見つめていると感じた。『目がいくつもあるような気がした』 黒田はただただ建物の傍にたたずんでその気配に身を寄せていた。」と特集記事に書かれています。
さて、絵本の主役は、フラリと陸軍被服支厰にやってきた一匹のネコと、側の神社に立っているクスノキ。被爆地から2600メートルほどしか離れていなかったのに、建物は倒壊を免れました。被爆後、臨時の救済所として多くの人々が救われ、そこで多くの人が死にました。原爆投下後の世界をクスノキがネコに語って聞かせます。
「わたしがおびえていたことそのまま 朝、空がまぶしく光ってすごい音がした 光でない光 音でない音 風でない風 ここにいても世界がこわれたのがわかった でもこのたてものはのこった」
原爆が落ちた瞬間を老木が証言します。でも、暗い過去を嘆き悲しむだけでなく、平和な未来へ向かうことを示唆して終わります。静かな祈りの物語です。
ワンコイン古本市フェア三日目です。
全集の端本ですが、須賀敦子全集の第七巻「どんぐりのたわごと/日記」と第五巻「イタリアの詩人たち」(河出書房新社)。5000円以上した本ですが、価格だけでなく、内容が充実しているのでお買い得です。第七巻は、著者が日本の友人向けに作り続けたミニコミ誌「どんぐりのたわごと」と、後半には1971年の日記が収録されています。
第5巻にはウンベルト・サバの詩集をはじめ、彼女が生涯読みつづけた五人の詩人たちを巡るエッセイ、日本帰国後初の翻訳とされている「ミケランジェロの詩と手紙」など貴重な作品が収められています。須賀ファンなら、持っていてほしいですね。
「イタリアの詩人たち」で解説を担当しているのは池澤夏樹。彼の著書「母なる自然のおっぱい」(新潮社)と「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」(小学館)の2冊が出ています。「母なる自然のおっぱい」は1992年発行の本ですが、強靭で明晰、一貫した論理にあふれたネイチャー評論は、初めて読んだ時、強烈な印象を受けた一冊でした。もともとここに集められている文章は、新潮社が出していたネイチャー雑誌「Mother Nature’s」で読んでいたのですが、まとめて読むと迫力が違いました。池澤は、多くの科学系評論、エッセイを出していますが、初期の傑作です。
「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」は、題名どおり聖書ってどんな存在なの?という疑問を、宗教学者秋吉輝雄との対話から探り出す本です。「乙女のマリア」がなぜ「処女マリア」に変化していったのか、そもそもエデンの園って、本当に楽園だったのか等々、聖書の世界で聞いてみたかったことに応えてくれます。但し相手は宗教学者なので、聞いた事のない地名や人の名前がふんだんに出てきて、行きつ戻りつ読むところもありました。
多くの人に読まれている「気まぐれ美術館」の著者、洲之内徹の美術エッセイ集「絵のなかの散歩」(新潮社)も、美術ファン必読の一冊です。当店でも人気の画家、松本竣介について「彼は絵かきとしての生涯の初めから終わりまで都会を描き続けた画家である。都会というもの以外にはひとつもモチーフを持たなかった、と言ってもいい。」と書いています。
そして「東京を東京らしくなく、東京から東京らしさを抜き去って、一種の抽象的な都会風景にしてしまうことで、結果的には無性格が性格であるような東京の街を奇妙に巧く捉えている。」と分析しています。松本の作品を見るたびに、思いだす言葉です。
今回、須賀敦子、池澤夏樹、洲之内徹の著作5冊を紹介しましたが、明確で凛とした日本語を堪能できると思います。
☆古本フェアは31日(日)まで!
ロバート・ルイス・スティーブンソン。この名前覚えておられますか? そうです、「宝島」の作者です。子供の頃、一度は読んでワクワクドキドキした体験をされた方も多いと思います。
「子供の詩の庭」(毎日新聞社/新刊1760円)は、スティーブンソンが子供の夢や希望、そして輝く明日を平易な言葉で詩にしたものです。今回、池澤夏樹・春菜親子による共訳で、楽しい本に仕上がりました。
「応接間とキッチンの灯が 細く零れている ブラインドや窓の桟の隙間からぼくの頭の上を滑っていくんだ たくさんの、 すっごくたくさんの星たちが どれだけいっぱい葉っぱがついた木よりも、教会や公園に集まる人より、もっとたくさん空の上からぼくを見下ろしている、 くらやみの中瞬いている、星の群れ おおいぬ座、北斗七星とオリオン座も全部 船乗りの星に、火星 お空の上で光っている。」
これは「ベッドを抜け出して」という詩の最初の部分です。夜空に光り輝く星々を見たくて、ベットを抜け出した少年のキラキラした瞳が目に浮かびます。
私が良いなぁと思ったのが、「お日さまの旅」です。
「お日様は、ぼくが寝ているとき、起きている ぼくが枕の間で眠っている間に 地球をぐるっと一周しているんだ そうして朝がやってくる 輝くような、お日さまでいっぱいのお家 ぼくらが日当たりのいいお庭で遊ぶとき インドでは眠たい子どもたちが お休みのキスをしてもらっている そして夕方になって、ぼくらがお夕飯を食べる頃 大西洋の向こうは朝焼けだ 西の国に住む子どもたちは 起きてお着替えの時間」
子どもたちの頭の中は、「天動説のままだが、しかし地球が丸いことは知っているし、世界地理もわかっているのです。なんと言っても海の民の国なのだ。」と池澤は書いています。
本書が書かれたのは、1885年。イングランドの港町ウエストバーンにスティーブンソンが住んでいた頃です。ちなみに、この本を出す2年ほど前に名作「宝島」を執筆しています。
子ども向けの本ではあるのですが、大人が読んでも楽しく、想像力の翼を思い切り広げることができます。
「ひとりぼっちでお家にいて つまんなくなっちゃったら 目を閉じてみるんだ 空を航海して 遠い国に行こう 遊びの国 妖精の国」(「小さな王国」より)
日々忙しく過ぎてゆく中で、こんな瞬間を持てたらどれだけ幸せなことか。子どもだけの特権にしておくのは勿体無い!
宮沢賢治を特集した雑誌は、ほとんど買いません。賢治は大好きな作家で、何度も読み返していますが、雑誌で特集したものは何故か魅力的なものが少ない。ところが、「Coyote」のWinter2022号「山行 宮沢賢治の旅」(switchPublishing/古書950円)は、極めて面白い一冊でした。
おっ!と思ったのは、特集の巻頭のインタビュー記事が五十嵐大介だったことです。ご承知のように、「海獣の子供」「魔女」等の長編漫画で、圧倒的な支持を集めました。私も好きな漫画家の一人で、「海獣の子供」を初めて読んだ時に、底辺にアニミズム的な思考があることに気づきました。この雑誌の最初に彼のインタビューを載せた編集者も、そう思っていたのかもしれません。
「五十嵐の初期の短編『はなしっぱなし』や『そらトびタマシイ』に収録されているマンガは、まるで宮沢賢治の童話や柳田国男の『遠野物語』のような、人間がふとした時に得体の知れないモノに出会ってしまうというような世界観がある。」
実際に、五十嵐はこの二人から影響を受けたと語っています。
傑作「海獣の子供」の着想を得たのは、賢治の生まれた岩手県にある衣河村に住んでいた時らしいです。
「日々山や森の中を歩いている感覚を海の中に置き換えて描きました。森の中もすごく立体的な世界で、例えば木の上や足元の茂みの中に熊が隠れているかもしれないので、けっこうびくびくしながらいつも歩いていたんです。その時の感覚と海の中ってひょっとしたら似たような感じなんかじゃないかなとか、足元の小さな草むらの中にだって生態系があるように、海の中も同じなんじゃないかなと、森での感覚を海の中の世界に置き換えて描き始めたんです。」
「海獣の子供」の豊穣な世界が、そのまま賢治の世界につながるとは思いませんが、この世界のほとんどの部分は人間ではないもので構成されているという世界観は賢治と同じでしょう。私の読書体験としては、賢治が先で五十嵐が後でしたが、「海獣の子供」に圧倒されたのは賢治体験があったからかもしれません。
賢治は散歩が大好きな作家でしたが、五十嵐も、一人ぶらぶら散歩しながら観察して妄想するのが好きみたいです。「人間って脳じゃなくて足で考えていると思うんです」とインタビューの中で言っていますが、脳は身体全体の統制役であって、思考は他の部位が受け持っている。だから、「自分の身体にちゃんと向き合うことで何か見えてくる気がするんです。」その時の感覚を表現したいという欲望が創作に向かうと語っています。
本書は他に、串田孫一が1956年に編集した「宮沢賢治名作集」のあとがきや、池澤夏樹による「『銀河鉄道の夜』の夜」、イッセー尾形の「再訪としての『小岩井農場』」など、刺激的な記事が山盛りです。もちろん、この雑誌らしい素敵な写真も多く掲載されています。
池澤夏樹が、尊敬する作家石牟礼道子の声を聞くために、水俣の彼女の元へなんども通いました。その対談をまとめたのが「みっちんの声」(河出書房新社/古書1600円)です。
「私は方言を『土語』というふうには思っていません。方言を詩歌の言葉として非常に高級だと思っていて、詩(ポエム)の言葉として蘇らせたいと気がありました。それで『苦海浄土』の会話は、絶対、標準語では書かないぞと思っていました。」
池澤は、個人編集による世界文学全集(河出書房)に、唯一、日本から石牟礼の「苦海浄土」を入れました。この全集は元植民地だった国、あるいは女性の書いた作品が数多く収録されています。そのどちらもが弱い立場にいる人たちの視点です。しかし、弱さを「スローガンにしたり、アピールしたり、ひとりよがりの嘆き節にするのではなく、もう一つ深みを持たせて、相手に届くようにする。それが文学ですね」と池澤は語っています。
そして「弱者として訴えながらも、向こう側を引き込むようにして、言葉が通じる場を作らなきゃいけない。『苦海浄土』がすごいと思ったのはそこなんです。」と続けます。
「苦海浄土」は、ご承知のように水俣病に苦しむ患者と、公害を垂れ流した企業の姿をドキュメントタッチで描いた彼女の代表作です。この稀代の文学作品が出来上がるまでを中心に、二人の作家が文学について、言葉について、生きることについて縦横無尽に語り合います。私は「苦海浄土」は未読ですが、「椿の海の記」「水はみどろの宮」で彼女の豊穣な言葉にみいられました。(ブログで紹介しました)
石牟礼が亡くなる3ヶ月前までの、10年にも及ぶ交友の中から生み出されてきた言葉に、じっくり付き合ってください。彼女の素直な、飾り気のない話し方がとても印象に残ります。
以前、池澤夏樹編集による日本文学全集が出版されました。その中で、池澤は古事記を現代語に翻訳し、話題になりました。私も面白く読みましたが、それから6年が経過し、古代を舞台にした小説を発表しました。
実在されたと言われるワカタケル、後の雄略天皇に焦点を当てた長編「ワカタケル」(日本経済出版社/古書1600円)です。
イチノヘノオシハ(市辺押歯)やら、ナダタノオホイラツメ(長田大郎女)やら、古代人独特の名前の人物が数多く登場しますが、覚えられなくても先へ進みましょう。(私はそうしました。)細かいところにこだわっていると、このダイナミックな歴史物語の面白さを堪能できなくなります。
国家の基本を作り上げたワカタケル。凄まじい暴力的世界と血塗られた権力闘争を平定し、国が整うまでを描いた叙事詩的物語なのですが、こんな描写も出てきます。
「何ごとも男が率先するのはよろしい。卑俗な世事などは男に任せてかまいませぬ。だが、本当に国生みをなしたのはイザナミであったことをお忘れなく。ものごとを底のところから作ってゆくのは、女であります。先の世を見通して道を示すのは、女であります。
戦の場ではせいぜい戦いなされ。刀を抜き、弓を引き、戈を振り立て、火を放つのは男。しかし、亡くなった者たちの後を満たす者を生むのは女。民草は一人残らず女の胎より生まれます。」
こう言い放ったのは、ワカタケルの乳母のヨサミです。そして物語後半、近隣の国への無謀な出兵を押しとどめようとしたのはワカタケルの大后のワカクサカでした。その後、女帝が国を治め、平和な国家建設へと向かいます。
さらに女王イヒトヨに至っては、「女と生まれた以上は男を床に迎えるのが当たり前と言う。さして興味なかったけれど、知らぬまま済ませるのも口惜しい気がして、試したの」とおっしゃる。さらにどう感じたかと言う問いに対しては、
「なにも。こんなものかと思い、一度で充分と思いました。それからは男を近づけなかった。だから子もいない。」
因みに彼女の治世は穏やかな日々だったそうです。
思慮深い女性たちが印象に残る物語でもありました。超おすすめです。
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先日、堀田善衛の本を購入されたお客様と、少し話をしていた時に新書で「堀田善衛を読む」が出てますよ、と教えてもらいました。今頃何故堀田の本が、しかも幅広い客層を相手にした新書で、出るんだろうと不思議に思い、取り寄せました。(集英社新書/古書500円)
サブタイトルに「世界を知り抜くための羅針盤」とあります。5人の作家・映画監督と、堀田との関わりを語ったインタビューで構成されています。その5人とは、池澤夏樹、吉岡忍、鹿島茂、大高保二郎、そして宮崎駿です。
堀田は、1918年、富山県高岡市生まれの小説家・評論家です。52年発表の「広場の孤独」で芥川賞を受賞しました。55年、日中戦争時代に起こった南京事件を中国人の視線で描いた「時間」を発表。翌年、アジア作家会議出席のためインドを訪問し、「インドで考えたこと」にまとめます。これ以後、諸外国をしばしば訪問して日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍しました。
池澤夏樹は、彼の積極的国際性に注目しています。堀田の家は、羽振りの良い廻船問屋でした。外国人との交流も頻繁で、国際的感覚を若い時から育てていました。池澤はこう指摘します。
「語学は才能もあるけれども、そこに向かっていこうとする開かれた積極性、国際性、それを最初から装備して出てきた。その結果が後にアジア・アフリカ作家会議での活躍や、『インドで考えたこと』になり、それからベ平連で脱走兵をかくまうというところにいく。こういう開き方を持って世を渡った作家が他にいたかというと、ちょっと思い当たらない。」
面白かったのは宮崎駿と堀田との関係です。宮崎は最も尊敬する作家として堀田の名前を挙げており、彼の文学世界に非常な影響を受けていると言っています。宮崎はある時、堀田から彼の『方丈記私記』の映画化を打診されます。
「『方丈記私記』が何とか映画にならないかと、とにかく考えています。それには、実は知らなければいけないことや、ひょっとしたらこれは映画になるかとか、ここが骨になるかなとか、そういうふうに探してはいますけれども、なかなか実現には至っていません」
ここに登場する「方丈記私記」(筑摩書房/古書1250円)は、堀田の代表作の一つで、「要するに方丈記一巻が自分の経験となり、かつ自分の魂に刻みつけて行ったものを記そうとしているにすぎない。」と語っている通り、堀田自身の戦争体験を踏まえつつ、方丈記を読み、鴨長明の心の内側へと入ってゆく文学です。
なぜ、何度もこの古典を読み返すのかと自問した時の彼の答えはこうです。
「それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭遇してわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に貸してくれるものがここにある、またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがる、と感じたからであった。」
戦争体験と、海外で見聞きした多くの体験が元になって、強固な思想を文学に落とし込んで行った堀田の文学は、池澤が言うように「社会と歴史と自分の想像力から生まれてくる文学というのは役に立つ、それからやっぱり面白い」のです。
この新書をお読みになって、興味を持たれたら、堀田の著書をぜひ。
★フリー雑誌「 S&N」最新号入荷しています。数に限りがありますので、お早めにどうぞ
池澤夏樹が、沖縄のボーダーインク社から出版した「沖縄への短い帰還」(古書/1600円)は、沖縄について書いたエッセイ、書評、インタビュー、講演などをまとめた一冊です。著者は、1994年から10年間沖縄に住んでいました。都会である那覇から、田舎の知念へ引越もしています。
戦争末期、軍部は時間稼ぎに沖縄を戦場にし、20万以上の民間人が犠牲になりました。戦後はアメリカによって好き放題使われていることは、皆さんご存知のことです。日本は沖縄をいいように扱ってきました。著者は、そんな現状への鋭い意見を発表しています。しかし、この本はそういう面だけでなく、様々な顔を持つ沖縄を紹介しています。
彼が移住を決心したのは、「東京という大都会が提供してくれるさまざまな魅力が色あせて見えるようになったからだった。もうあの喧噪はいらない。」でした。「感動的においしいものはなくても、まずくないものが手に入ればいい。沖縄ならばそういう食生活になりそう。」
ここから、地元の食材の話が展開されていきます。そして、当然、泡盛の話題になっていきます。「酔うために飲んで、気持ちよく喉を通り、素直な酩酊に入れる。翌日はすっきり目が覚める、という意味では、泡盛はよい酒である。」
沖縄ぐらしのエッセイの後に、沖縄についての本の書評が集めてあります。本土の出版社から出たものもありますが、沖縄の出版社の本が多いです。その中で、宮城文著「八重山生活誌」(沖縄タイムス社)に驚きました。
「一人の女性が自分が経てきた時代の生活文化すべて書き記そうと決意した。九年あまりかけて知るところを書き、不明な点は調査を重ね、ついにA5判で六百ページの大著を完成した。検索項目だけで二千を越える綿密な生活誌である」この本が完成した時、著者はなんと数え年で81歳でした。
続く第三章は、著者が受けた沖縄に関するインタビューがまとめてあります。1995年、地元雑誌の載ったインタビュー記事を少し長いですが紹介しておきます。
「地方にもっと強い力をというのは、言ってみれば『強い国」』か『幸せな国』かの選択なんだな。『強い国』が欲しいのであれば、みんな中央のことをきくというのがいい。日本の会社が軍隊をまねて人を使うのと一緒でしょ。一糸乱れず行進する兵隊が強いんですよ。だけど『幸せな国』ってのはそうじゃない。みんなしたいことして、ばらばらで、しかもなんとなくまとまっているというふうが幸せなんですよ。やっぱり日本というのは、明治以来の西洋コンプレックスがあってどうしても『弱い国』にはなりたくないんだ。力の神話にすがっている。ぼくなんか『弱いけれど幸せな国』の方がいいんだけれど………。琉球はかつて『弱いけれど幸せな国』を実現していたから、そこへ返りたいという思いも強い。」
あるべき国の姿をこの地に求めた愛情と、ここを見捨てた日本という国への辛辣な意見が交差する一冊です。
先日、国の押しつけ政策に必死で抗ってこられた、沖縄の翁長知事が亡くなりました。残念です。
さて、沖縄のことを語る本というのは星の数ほど出版されていますが、この地に暮す人々の、様々な表情を白黒写真で捉えた「やさしいオキナワ」(700円/出品 ヒトノホン)は、傑作の一つに入ると思います。撮ったのは垂水建吾。写真に寄り添うような文章を書いたのは、池澤夏樹です。池澤は、「なぜ、沖縄の人々の顔に惹かれるのか。彼らが正しい暮らしをしているからだと思う。」と書きます。正しい暮らし…..この時代に、なんて新鮮な響きでしょうか。どんな運命も受け入れ、或は断固拒否し、差別をせずに、おたがいに手を貸しあう社会を作ってゆく。池澤の言うように「そういう自信があるからこそ、この本に見るとおり、沖縄人の顔はなんともやさしいのだ。」
もう一冊、池澤夏樹の本でお薦めが「世界文学を読みほどく」(500円/本は人生のおやつです)です。サブタイトルに「スタンダールからピンチョンまで」とあり、いわば世界文学の歴史なんですが、読みやすい!それもそのはず、これは2003年9月に行われた京都大学文学部夏期特殊講義の講義録なのです。七日間、午前と午後に分けて、計14回の講義がされました。講義で語られたのは、19世紀と20世紀の欧米の長編小説十編です。アカデミックな文学専門家が書き下ろしたら、少なくとも私はきっと寝てしまうところですが、池澤の話し方が巧みなので、フムフムと作品世界に入っていけます。個人的な事ですが、大学の基礎ゼミでメルヴィルの「白鯨」をやったときは、少しも前に進みませんでした。しかし池澤は、ポストモダンの小説として、明確に説いていきます。初めて、この本を読んだ時、こんなゼミに出ていれば、基礎ゼミも優だったかも、などと思ったものです。
さて、もう一冊は赤坂憲雄著「岡本太郎の見た日本」(1100円/出品 半月舎)です。民俗学者の著者が、岡本太郎の民俗学的仕事として有名な縄文土器へのアプローチ、そして東北、沖縄へと一気に広がった岡本独自の日本文化再発見のプロセスを論じた一冊です。
「戦後のある日、私は、心身がひっくりかえるような発見をしたのだ。偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけ展示してある一隅に何ともいえない、不思議なモノがあった。ものずごい、こちらに迫ってくる強烈な表情だ。」と縄文土器との出会いを自伝に書いているとおり、岡本はこの土器との出会いから、猛烈な勢いで日本文化とは何かというテーマにのめり込んでいきますが、その様子が書かれています。岡本は、フランス在留時にパリ大学で民俗学を学んでいたのですから、半端ではありません。「太郎はつねにあたらしい」は、この本の最後を飾る言葉ですが、その通りの人物だったことが理解できます。
★古書市は19日(日)まで。月曜定休。なお最終日は18時で閉店します。
★夏休みのお知らせ 8月20日(月)〜24日(金)休業いたします。